邂逅輪廻



「ねえねえ。公康君は将来、何になりたいの?」
「俺か? 俺はな。プロ野球選手になって、江夏豊(阪神)の年間奪三振記録を塗り替えるんだ」
「うん、公康君なら、絶対に叶えられるよ」
 思い出すものは、断片的なイメージだ。砂場が見えるってことは、近所の公園か。そこのベンチに座るのは幼少期の俺と、傍らに同年代の女の子だ。顔は、靄が掛かったかの様にはっきりとしない。誰なんだ、一体。
「そういうお前はどうするんだよ」
「私はね……公康君のお嫁さん!」
 あはは、ありがちだな。そうか。そういやこんなこともあったなぁ。何年前の、何処でと問われるとはっきりしないけど、記憶の片隅に、ひっそりと記録されているのは事実だ。時たま、無くしてしまうことを拒むかの様に蘇る。俺にも、こんな時代があったんだなぁ。そんな戻らぬ日々に思いを馳せつつ、映像は遠のき、掠れる様にして消えた。


 ジリリ、ジリリ――。
「うぅ……」
 呻き声に似た情けないものを上げ、枕元の目覚ましに手を掛けた。七時、十分前か。情けないことに、六時前に起きる習慣は、選挙後一週間で消失していた。
「もうちょっと寝ても、朝飯くらいは食えるよなぁ」
 典型的ダメ人間思考のまま、襲ってくるまどろみに抗うことなく深い闇の底へと――。
「……ん?」
 何か、違和を感じた。冷静に状況を分析すると、何かがトントンと近付いてくるような……こういうの、最近、物理で習ったな。何だっけか。そうそう、グラップラー効果だ。微妙に違う気もするが、まあ些事だろう。
「公康! 朝だよ!」
「のわっ!?」
 突然の掛け声に動揺し、ベッドから転げ落ちてしまう。ある意味、物凄く難しいことをしている気もするんだが、落ちてしまったものは仕方が無い。
「朝から、何か楽しそうだね」
「そう思うなら代わってくれ、りぃ」
 尻餅を衝いた痛みが先行して、自然に反応してしまうが、考えてみれば不自然だ。何でここにりぃが居るんだよ。
「その件に関しては、俺が説明しよう」
「兄貴?」
 何ですか、その科学者系解説キャラは。
「親父がちょくちょく出張しているのはお前も知っているだろう」
「息子が知らない訳無いだろう」
 知らないとしたら、どんだけ疎遠な家庭なんだという話だ。
「実はな……それが色々な事情が加味されて、短期単身赴任になった。最低でも三ヶ月は掛かるだろうとのことだ」
「商売繁盛は結構なことじゃございませんか」
 幸いなことに、俺達は親に構って貰えなくていじける性格でも無いし。
「それはそうなんだが……お袋もついてったんだ」
「……」
 ナンデスト?
「オーケー、オーケー。現状は理解した。力を合わせて生き延びようぜ、兄貴」
 これまた幸いなことに、俺達にはそれなりの生活力が備わっている。二人居れば、男所帯に蛆が湧くとまでは行かずに済むだろう。
「すまんっ! 公康っ!」
「何故に謝るんだ、兄貴」
 何だか、すっげー嫌な予感がするんですが。
「俺は、暫く先輩の手伝いが忙しくってな。二ヶ月は帰って来たり来なかったりが続くんだ」
「……」
 思考が、停止した。ハハハ。お兄様ってば冗談がキツイですわ。
「いや、俺も将来は研究者目指してるだろ。今回のチームに、末席でも名を連ねさせて貰えるってのは、実に有意義と言うか何と言うか――」
「実家に帰らせて頂きますわ」
「ここが実家だろ」
 そりゃそうだ。人間、気が動転すると何を言い出すか分からんもんだぜ。
「という訳で、こちらの椎名君に出来る限りの援助をお願いした」
「ってか、何でりぃなんだ」
 知り合いの中では、割かし家が遠い部類だと思うんだが。
「履歴が一番多かったからな」
「人の携帯、勝手に見るな!」
 いいか、良い子のみんな。この行為は、プライバシー権の侵害といって、お巡りさんに連れてかれることは無いにしても、人間関係を壊すには充分だ。よっぽどのことが無い限り、真似するんじゃないぞ。
「いや〜、それにしてもお前の履歴は女の子が多くて羨ましいな。俺の高校時代なんて、クラスメイトを登録に入れるものの、事務連絡さえ掛かってこない日々が続いてだな――」
「生々しい体験談を語るんじゃない!」
 あ、朝っぱらから、何を喋ってるんだ、この兄貴は。
「さ、流石は公康のお兄さんだね」
 りぃのその一言が、何だか微妙に心苦しかった。


「あの兄貴の言うことだから、そんな真に受けなくて良いぞ」
 何とか精神を持ち直し、登校の道すがら、そう言葉を掛けておいた。頑張れば一人でも生きていけるだろう。俺ももう十六歳。独立心を養うには持って来いだと、開き直ってやるさ。
「別に構わないよ。私も、は、花嫁修業だと思ってみるから」
 何でまた、そこでどもるんだ。
「にしても、良い天気だな〜」
 季節的には、もうそろそろ梅雨のはずなんだが、お天気お姉さんはまだ宣言してなかったっけか。たしかあれは、気象庁が決定するものだったとは思うけれど。
「ち、遅刻します〜!」
「ん?」
 何だか、どっかで聞いたことのある声の様な?
「って、何ぃ!?」
 十字路の真ん中に足を踏み出した途端、右側から女の子が飛び出してきた。帰宅部で鈍りに鈍りまくった俺の反射神経で対応しきれるはずも無く――二人は見事に衝突した。
「あたた……岬ちゃん。何焦ってんのさ」
 つうか、学生やって十年以上になるけど、トースト銜えて走る女の子なんて初めて見たぜ。
「み、見ました?」
「はい?」
 慌てた感じで、スカートの裾を押さえ付ける。いやまあ、乙女の純情としてその行動は分かるんだが、トースト銜えて電車に乗るのは構わないのかと問うてみたい。
「せ、先輩。それはそれとして、急がないと遅刻ですよ」
 はて。今日はギリギリから見れば二本は早い電車に乗ったはずなのだが。
「だって、もう八時半ですよ!」
「いや、俺の時計だと八時五分なんだが」
 何だろう。この噛み合わない会話は。
「え、で、でも、お姉ちゃんも随分と焦って登校してましたよ?」
「あ〜……」
 状況を、概ね理解した。
「それはあれだ。担がれた訳だ」
「……はい?」
「家中の時計を全部、三十分程進めておく。するとあら不思議。いつも通りに起きたつもりでも、何故かギリギリの時間なのさ」
「な、何だか詳しくありませんか?」
「俺も昔、兄貴にやられたのさ。まあ、すぐさまテレビを付けて時間をチェックしたから、余裕で看破したがな」
 ガハハ。岬ちゃんの一歩上を行ってやったぜい。
「え……テレビなら付いてたんですけど、腕時計と殆ど同じ時間でしたよ」
「……」
 お、恐るべし、茜さん。恐らく、DVD辺りで、昨日か一昨日辺りの放送を流してたんだろう。ここまで来ると悪戯と言うより、計略って感じもするぞ。何となく、あの人なら、時報に電話しても、好きな時間を知らせる術を知っているような気がしてならない。参謀なんかより、探偵のライバルの方が向いてそうだもんな。いや、マジで。
「ポイントは、対象が何処で気付くかだが……」
 その瞬間を目撃しないと面白くない訳だから、近くに居るのだろう。案の定、右手奥の電信柱の後ろからこっちを覗いてやがる。多分、あれも発覚した後、わざと見える様に立ち位置変えてんだろうな。本気で尾行されたら、一流のヒットマンだって気付かないはずだ。根拠は無いけど。
「ん〜。公康君に会わなかったら、学園まで行けたかも知れないのに、残念」
 何を記録に挑戦してるんだ、この人は。
「難しいのはやっぱり、駅構内なのよ。あそこの時計を操作出来ないことも無いんだけど、流石にそれは悪戯の美学に反するでしょ?」
「ってか、出来るんですかい」
 やはり、この人を敵に回すのは、賢い人間のすることではない。
「ちょっと待った」
「どうした、りぃ」
「今の話の流れだと、両親も悪戯を黙認してたってこと?」
 あー、そうなるのか? まあ、選挙参謀一家だし、普段から家に居るかは怪しいもんだが。
「今日は両親共に居ませんでしたけど、居たとしても関係無いです。うちの家訓は、『騙される奴が問答無用で悪い』ですから」
 お、恐るべし参謀ファミリー。まあ、『計略に引っ掛かって負けた訳ですから私は悪くありません』なんて参謀に需要は無いだろうからな、やっぱり。
「ところで公康君」
「な、何でしょうか」
 この人と、何も躊躇わずに接することが出来る千織は、もしかすると凄い大物なのかも知れない。
「ひょっとして、見えた?」
 この人の頭の中は、何処まで行ってもブラックボックスだ。そんなことを再認識した、初夏の朝だった。


「やぁ、公康。今日は夫婦で出勤とは、実に羨ましい話だね」
「千織。その件に関して、ちょっと言っておくことがあるんだが」
「き、公康、いきなり肩を抱き寄せてきて何さ。い、一応言っておくけど、僕は生粋のオールラウンダーを自負してるけど、それはあくまで女の子限定であってだね」
 このバカも、朝っぱらから何を口走ってるんだ。
「実はな……諸般の事情で、しばらく一人暮らし同然となることになった」
「ま、まさか、僕に家事を手伝えと。あまつさえ、エプロンドレス着用でだって!?」
 一度殴り倒したら、配線が直ったりしてくれるんだろうか。
「本当にお前が次期生徒会長で大丈夫か?」
「僕が尊敬する人は、前漢初代皇帝、劉邦だから問題無いよ」
 部下に恵まれて天下獲ったラッキーボーイじゃねえか。
「あの人って、国主になったら、腹心の部下を裏切って切り捨てたんじゃなかったっけか」
 こいつに、茜さんを敵に回す度量があるとは、到底思えない訳で。
「まあ、そんなことはどうでも良いんだが、とりあえず一人暮らしの件は皆には黙っていてくれ」
「何か不都合があるの?」
「色々と面倒だろ。絶対に屯する奴とか現れるだろうし」
「あー、それは納得」
 知られる人間を一桁に抑えておけば波風立たずに済むだろう。但し、茜さん辺りは絶対にダメだ。あの人なら、一晩で九割以上の生徒に伝達する手段と実行力を保有しているに違いない。
「茜さんにだけは絶対に言うなよ。催眠術を掛けられたとしても、根性で耐えろ」
「それは人間に可能な行為なの?」
「よーし、みんな、席に着けー」
 担任の一声で、喧騒に包まれていた教室内が一定の秩序を取り戻した。俺も千織への釘刺しを一先ず中断し、自分の席に腰掛けた。
「いきなりだが、今日からこのクラスの仲間になる奴を紹介するぞ」
 こりゃまた、えらく中途半端な時期に。つっても俺の親父も出張マニアだからな。唯、兄貴も大学通いだし、二年生のこの時期に転校なんてことは無いだろうが。
「喜べ、野郎共。新戦力は女の子、それも二人だぞ」
 ピクリと、意識せずに耳が動くのを実感した。このパターンは、新しい出会いを期待して良いよな。廊下の向こう側に待機する新たな希望に思いを馳せ、気持ちを高めてその登場を待った。
「西ノ宮麗です」
「浅見遊那だ」
 ズベドーン。三十年前のコント宜しく、豪快に椅子から転げ落ちてしまう。な、な、な。一体、どういうことだよ!?
「この度、各クラスからの無償トレードが成立した」
 それは体の良い厄介払いじゃないのか、担任。
「正確には、今後導入を検討しているクラス交換の試験運用です。カリキュラムの調整が難しいという問題もありますが、定期試験前後に行えば、最小限で済みますから」
 淡々と現状を解説する西ノ宮。そ、そんな簡単な話で良いのか。
「という訳で、学期末まで世話になる。見知った顔も居ることだしな」
 かくして、俺の学園生活にまた新たなる騒動の種が舞い降りた。





次回予告

食――それは神が与え給う至高の一時。
乱れ飛ぶは、手作り弁当と言う名の人外魔境。
輝ける至宝。その名はヤキソバパン。
公康に、安住の食生活を得られる時はやってくるのか。
次回、七原公康流王道的ラブコメ之日々、中編、
食べ物を粗末にしたら祟られますわ』乞う御期待。




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