「リーチ、です」 上家の西ノ宮が三筒を捨て、千点棒と共にテンパイを宣言した。ここまで西ノ宮は、ピンフ、タンヤオをメインに、実に基本的なアガリ方を重ねてきていた。学年トップクラスの成績を誇り、合理的な西ノ宮らしい闘牌だが、甘いな。麻雀とは、理に依ってのみ構成されている訳では無いことを思い知るが良い! 「あ、公康君、それロン」 「……」 「字一色、小四喜。六万四千点、かな」 ふっ。不合理の極みを思い知らされたぜ。 「茜。累計で役満、何度目だ」 「うーん。はっきりとは分からないけど、二百回は下らないはず」 一生の運というものは、誰であろうとプラマイゼロだと言う人が居る。だけどそれは絶対に嘘だ。そんな、世の理不尽な摂理を知った十六の夜だった。 「ふっ。燃え尽きたぜ。真っ青にな」 我がことながら、かなり難しい燃え尽き方をしている気もする。 「公康。その様子だと負けたみたいだね」 「おう。ぐぅの音も出ない程の惨敗だ。これで俺もしばらく、茜さんの奴隷だぜ」 千織と違い、俺は操り人形慣れしていないのだ。 「一応、次期生徒会長として賭博行為は窘めないといけないんだけど」 「心配するな。賭けたのは、何でも言うことを聞く券だ。実に健全な物品の遣り取りだぜ」 尚、俺が勝った場合、何をさせる気だったかは聞かないでくれ。 「それで、どのくらい負けた訳?」 「……四十七枚」 半荘終了時、四位が一位、三位が二位に対して、端数切り捨てで五千点につき一枚支払う取り決めだ。一体、どれだけ負けたのか。億劫よりも、恐怖で計算する気になれない。ちなみに、西ノ宮と遊那の間は一万点も無かったので、一枚で済んでいた。しかも肩揉みという、至極温いことに消化していたので、本当の意味で余興と言えるだろう。 嗚呼。俺は一体、何をさせられるのか。金銭的項目は無効だから破産の心配は無いけれど、むしろそっちの方が怖い。あの人の脳は殆どダークマターだからなぁ。想像が全く付かん。 「僕ならとりあえず、一枚千円くらいで売り捌くけどね」 「ひゃっほう。その選択肢を忘れていたぜ」 やべえ、使用する人間を限定するの忘れてた。あの人なら、只でばら撒いて楽しんだっておかしくない。期限も規定しなかったし、出来ればとっとと消化して欲しいなぁ。 「公康君。ちょっと良いかな」 「は、はひっ。何で御座いましょうか」 声が上擦る辺り、俺は何処までも庶民なんだと思い知らされる。上司にゴマを擂って、小器用に出世する野郎にはなれそうも無いなぁ。 「肝試しをしようと思うんだけど、皆に伝えてくれないかな」 「肝試し……ですか?」 な、何かまともな展開になりつつあるんだが、良いのか。もしやお姉様。私はあなたのことを誤解していたのでしょうか。何と言うことでしょう。この汚れきった心が憎い。これから私のことを狗とお呼び下さい。 「はい。という訳で一枚目」 今後、人生でどんなことが起ころうとこの人だけは信用すまい。そう心に誓った沖縄での夜だった。 「ルートは今、説明した通り、砂浜から防砂林を抜ける、とても単純なものだから」 宿舎前に全員集合し、主催者の茜さんからルールが伝達された。ザ・自由人の茜さんがどういう意図を持ってこんなことを企画したのかは分からない。純粋な思い出作りなのかも知れないけど、そこはそれ。目の前のライオンが、例え満腹であったとしてもケンカを売る奴が居ないのと同じことだ。警戒をして、過ぎる相手では無い。 「それで、ペアリングなんだけど、男の子の方が少ないから、先ず男の子が女の子を指名して、余った女の子同士で組むってことで良いかな?」 単純に、クジ引きにしない辺りが茜さんだ。主催者がそんなものを用意したところで、あの茜さんだけに勘繰りたくもなる。だけど、この手法だと少なくとも何人かは抱き込まなくてはいけなくなり、目的が絞りきれない。虚構を隠すには、真実と嘘を散りばめるのが効率的とは言うが、その基本を外さずにやってくるとは、やはり恐ろしい人だ。 「じゃあ、次期生徒会長の千織君からいこうか」 「うーん。それじゃ、岬ちゃんにしようかな。実は案外、喋ったこととか無い気もするし」 この順番も、さりげなく巧妙だ。千織が茜さんの飼い犬だというのは周知の事実だから、これが目的でこんな妙なルールを作った様に見えなくもない。この人の旦那になる人は大変だなぁ。並のレベルなら、一生、手玉に取られて生き続けることになる。まあ、それが一番幸せっていう説もあるけど。 「それじゃ、次は公康君いってみようか」 「俺は……茜さんにお願いするよ」 券の使い方としては、とてもありふれたものだ。この人が相手で無ければ、だけどな。 「茜さん……何を企んでるんすか」 「ん〜。何のことかな?」 砂浜を寄り添って歩きつつ、探りを入れてみた。月こそほぼ新月で輝いていないものの、星明りが眩いばかりに輝いていたし、近くの民家の家明かりも漏れていて、懐中電灯一つでも問題無く歩くことが出来る。しかし、これは一応、肝試しのはずだ。このまま終われば只の散策に過ぎず、特に面白いことも無いだろう。そんなことをこの人が望む訳は無い。俺の野生本能がそれを告げてくれていた。都会育ちのモヤシっ子だけど。 「公康君と二人っきりになりたかったっていうのはどうかな」 「却下です」 それこそ、券なんて使わなくても実現出来ることだ。皆を巻き込んでまでやる程のことではない。茜さんのことだ。ドス黒い、それこそまともな神経の持ち主なら聞いただけで罪悪感で押し潰されるような画策をしているに違いない。ここまで偏見に満ち満ちているのもどうかと思うけど。 「さて……」 防砂林を前にして、気を引き締め直した。敵は魑魅魍魎。悪鬼羅刹。亡者鬼畜の類だぞ。良し、これで良い。 「公康君、とても失礼なこと考えてるでしょ」 女の勘って奴は、何でまた、こんなにも鋭いのか。神様は不公平なのです。 「ルールは憶えてるかな?」 「中の社に割符を置いて帰り、最後の一人がその箱を回収して上がりでしたね」 「はい、良く出来ました〜」 「って、良い子良い子しないで下さい」 あれ? だけど何か妙に心が落ち着くのは何故だ? 「それにしても公康君、背中おっきいね〜」 「一応、成長期は殆ど終えてますから」 まあ、単に茜さんが小さいというのもあるだろう。綾女ちゃんは別格にしても、充分、小柄な部類に入る。ここに集まった面子の中だったら、下から二番目になるのか。ちなみに、女の子で一番上背があるのは遊那だ。何しろ千織より幾ばくか高い。仮にコンプレックスに感じているのだとすれば彼氏を作るのは難航するだろう。只でさえ、人格的に問題があるというのに。 「ところで茜さん――」 「はい?」 ふと、違和を感じた。今までの、間延びしたおっとりした声では無く、軽やかな澄んだ声に変わっていたのだ。それが岬ちゃんのものだと理解するのに、二秒程を費やしてしまう。 「……やられた」 意図は今一つ見えないが、こんなややこしいことをするのは茜さん以外に有り得ない。この薄暗い雑木林の中で、背後の人間が入れ替わったとしても、気付くのは難しいだろう。岬ちゃんにしてもそれは同じで、木の背後といった死角を利用すればどうとでも出来るはずだ。全く以って迂闊な話の訳だけど。 「ま、深く考えるのは良そう」 自慢では無いが、物事の読み合いであの人に勝てる自信など無い。となれば、何も考えず突き進むことが、むしろ計算を崩すことになるのだろう。実に手前勝手な理屈だけどな。 「あの……先輩」 「どうした?」 「割符、持ってますか?」 「……やられた」 本日、三度目の敗北だった。 割符は、メモ帳の中心線に任意の数字、漢字を書き込み、四枚に千切った物を使用していた。二人一組に対して一枚配布され、一番手の千織と岬ちゃんが社に置いたティッシュ箱に収め、最終組が回収して確認する。まあ、その気になれば抜け道がありそうなルールだけど、そこまでする奴も居ないだろうと、なあなあで承諾された。しかし、冷静に考えると、はぐれた時にどうすれば良いのかが設定されていない。割符を持っている側はまだ良い。置いて別々に帰っても、特に問題無い。だけど茜さんのことだからきっと――。 「一枚目しか入ってないな」 箱には、千織、岬ちゃんペア用の割符だけが収められていた。このまま帰還すると、俺はキングオブヘタレの称号を冠することになるのだろう。まあ、それだけのことと言えば、それだけのことなんだが、何か嫌だ。となると残る策は――。 「次の班が来るまで、ここで待機することですかね」 「……しかないのか」 何処までも謀略の匂いしかしない訳だが、他に手段も無い。次の筋肉親衛隊一号と綾女ちゃんのコンビに掛け合って、ここまで来たことを証明して貰うくらいしか思いつかない。 「ま、こうなったら開き直るしか無い訳で」 見えない恐怖に怯えていても幸せな生き方は出来ない。この状況を前向きに捉えることに致しましょう。 「そーいや岬ちゃん。最近どう?」 選挙が終わって今日で丸三日。二人きりでのんびり話す機会は無かった。折角だから、その空白を埋めることにしよう。 「特には無いですね。テストも近いですから、遅れた分を取り戻そうと頑張ってるくらいです」 「はっはっは。一年生はこれだから。定期テストなんてものはなぁ。三日前から漬け込めばお釣りが来るものなのだよ」 「先輩。私が立候補者の成績を把握してるの、忘れてますね」 「ごめんなさい。ちょっと先輩風を吹かせてみたかったんです。悪気は無かったんです」 俺の成績は、平均よりやや下といったところか。そこまで恥ずかしいものでは無いけれど、威張れるものでもない。岬ちゃんは、頭の回転は良いし勤勉だから、俺より悪いということは無いだろう。 「本当、赤点だけは勘弁して下さいね」 「努力させて頂きます」 十一月期の選挙を見据えると、やはり落第点を食らうというのは、良いことでは無いだろう。あー、来週は大勉強会かもな。こうなりゃプライドを捨てて、学年屈指の成績を誇る西ノ宮にでも教えを乞うかな。こと勉学に関して、俺に捨てるプライドがあるのかは謎だけど。 「茜さんはどう?」 何を意図するでもなく、漠然とした意味合いで問うてみた。実の姉妹にして、同じ選挙参謀の卵だ。選挙が終わって、何か感じることがあったのか、と。 「敗北感で一杯ですね。個人として勝てるという自信は無かったんですけど、チームとしては勝負に持ち込めると思っていました。ですけど出た結果は四位です。やっぱり、これだけの差があるんだと思い知らされました」 それは俺も同じだな。俺の上の三人は、覚悟と素養を兼ね備えた人が絡んでいる。付け焼き刃と言っては言葉が悪いが、これといった準備期間も無く挑んだ俺が勝てる程、甘い物では無かった。まあ、お陰で俺の生き方に変化が生まれた訳で、悪いことばかりでも無いのだけれど。それでも、勝つことが至上命題の選挙参謀にしてみれば、負けは負けだからなぁ。俺以上に心の傷は深いに違いない。 「ですけど、後悔はありません。お姉ちゃんはやっぱりとても偉大で、追い続けることは間違いじゃないと確信を得ました。まだまだ未熟で、拙い所もたくさんある私ですけど、先輩さえ良ければ又、使って欲しいです」 あー、何だろう。こういう一生懸命な岬ちゃんを見ていると、とても心が締め付けられる。大丈夫。俺は選挙に出馬し続ける限り、参謀に岬ちゃんを選び続けるよ。まだ付き合いは短いけれど、懐刀だと断言出来る。綾女ちゃんにも言われたけど、足りない部分は一緒に伸びていけば良いじゃないか。それが未完の俺らに出来る唯一の道なのだ。 結局、俺らは綾女ちゃんらが来るまで他愛の無いお喋りを続けていた。特に何が起こるという訳でも無く、罠らしき物も無かった。どうにも釈然としないけど、納得するより他無い。四人で連れ立って宿舎へと帰還した。 後に、茜さんに真意を聞いた時の一言がこれだ。 「ん〜。恋の選挙戦も、トータルプロデュース?」 絶対に言いたかっただけだ。 後編へ続く
|