前略、兄貴様。俺は今、南国に来ています。おっと、南国ランドに遊びに来たなどというベタベタなオチではありません。人の手では決して生み出すことの出来ない青い空に青い海。そして両の目を焼き尽くさんばかりに白く輝く砂浜。これぞ南国の定番にして至高。嗚呼、自然とは何と素晴らしいのでしょう。人々の渦に飲まれる日常を送っているとつい忘れてしまう、こんな当たり前の現実。私の心は浄化され、まるで悟りを開いたお釈迦様の様に清らかな心持ちです。帰りましたら、この無垢な感動を滔々とお伝えしたいと思います。草々。 「先輩。バカ面してないで、一緒に遊びましょうよ」 追伸。砂浜にはやっぱり、水着姿の女の子です。無垢な感動? ある意味に於いて、これ以上に無垢な感情も無いでしょう。ひゃっほう。 話は、五時間ほど遡る。 「公康ー。海水浴に行こー」 あの激闘と呼べる選挙戦を終え、最初の週末。久々の完全休養日を楽しもうと、朝飯を食らいつつ色々と検討している最中のことだった。玄関先から、りぃの声が聞こえてきたのだ。やれやれ。何を血迷ったことを言っているのだ。梅雨に入るまで、まだ間のあるこの五月末、どうやって海で泳ごうというのだ。そりゃ、折角の休みだ。温水プールに行くのも良いだろう。しかしそれならそうと、ちゃんと『プールに行こう』と言うべきだ。あの選挙戦を生活に活かしていないとは、全く、嘆かわしいことだ。 「りぃ。お前、本気で政治家秘書を目指すなら、もう少し正しい日本語をだなぁ――」 扉を開け、そう声を出した所で我が目を疑った。家の前に、マイクロバスが停まっていたのはまあ良いとして、そこに見慣れた顔が集合していたのだ。えっと、りぃ、千織、岬ちゃん、遊那、茜さん、綾女ちゃんに西ノ宮。他にも、何処かで見たような奴らが数名に、黒服も何人か。な、何だ。選挙関係者の慰安会か、これは。 「それじゃ、全員揃ったから宜しく」 「オーケー、ボス」 半分、寝巻きの様な格好のまま乗車させられ、近場の高層ビルに突入するまでがおよそ二十分。屋上のヘリポートから、最寄の空港までが約十五分。手荷物チェックを済ませ、中型と思われる飛行機に放り込まれるまでが十分程。そして、ようやく現実感を得た頃には雲の上と、何か昔に見た半強制拉致番組を思い出してしまったが、気合で言葉を搾り出した。 「えっと、りぃ。この便は一体、何処に向かっているのかね」 「沖縄」 さっくりと、無茶なことを言ってくれる人が居る。 「沖縄って、パスポート要らないんだっけか?」 「相当に動揺しておられますわね」 ごめんなさい。どうにも小心なもので。 「ってか、一から解説しろ!?」 昔ながらの江戸っ子なら、ここで一発、ちゃぶ台の一つもひっくり返すのだろうが、ベルトで固定されていて、立ち上がることも叶わない。まあ、どう頑張ろうと、リクライニングに引っ付いた簡易テーブルがひっくり返る訳無いんだけど。 「うーん、最初っから言うとね。私達、選挙活動で戦い合ったでしょ?」 うんうん。それは間違い無いな。 「でも、公康も執行部に入ることだし、ずっと対立してるってのも、あまり前向きじゃないでしょ」 おぉ。ラブアンドピース。昨日の敵は今日の友さ。 「だから、親睦を深める為に沖縄でぱ〜っと遊ぼうかなぁって」 はーい、間違い発見。 「あのなぁ! 何でいきなり沖縄なんだよ!? 学生なら学生らしく、街に繰り出すとか、遊戯施設に行くとか、幾らでも手段はあるだろ!?」 論理の飛躍という言葉を知らんのか、貴様は!? 「でも、折角出掛けるなら泳ぎたいかなぁって思ったり」 ああ、何処と無く話が噛み合ってない気がするぞ。 「西ノ宮も何か言ってやれ。おかしいだろ。常識外れだろ」 西ノ宮自身、普通からは程遠いと思うけれど、それでも理性的な部分ではマシな方だ。援護射撃を期待しよう。 「ぼへー」 って、意識が何処かに飛んでる!? 「うーん。麗ちゃんも選挙で随分と疲れたみたいね〜」 茜さん。それは確実に違うと思います。 「うわ、先輩、見て下さい。タンカーがあんなに小さく見えるなんて、有り得ないと思いませんか」 「だぁー。もう、好きにしてくれー!」 こうして、修学旅行に匹敵するテンションの高さのまま、三時間弱のフライトはつつがなく終了した。 かくして俺は、ここに居る。青い空。白い雲。何処までも続いているかの様な太平洋。俺達の住んでるところは、せいぜいが初夏の陽気だっただけに、まるで別天地の様に感じてしまうが、ここもれっきとした日本なんだよなぁ。いや、狭いようで広いよなぁ、この国。 「百何十年か前までは、ここもそれなりの自治を認められた国家でしたのよ」 綾女ちゃんが、カキ氷を両手に隣に座ってきた。今は、パラソルの陰で一休みって感じだ。綾女ちゃんは左手に持っていたそれを、俺の前に突き出してくれる。 「沖縄でブルーハワイを売ってるんだ」 「中々に興味深いことと思いますわ」 まあ、ブルーオキナワでは、何か名前にドスが効いていない。カクテルの種類にそういうのがあった気もするけど、敢えて気になんてしないさ。 「うーん、この季節にカキ氷ってのも、贅沢なもんだねー」 少々火照って、汗を掻いた身体には、この冷たさと甘さが心地よい。シャリシャリシャリと順調に消化しつつ、何とはなしに綾女ちゃんを見遣った。 「綾女ちゃん」 「どうしましたの」 「今更だけど、本当に十五歳なの?」 「怒りますわよ」 いや、身長の低さもさることながら、ビキニの水着を着ていてさえ何の色香も感じぬこの体躯。ブルーハワイなんかより、よっぽど興味深い気がするぜ。 「とりあえず、失礼なことを考えていることだけは良く分かりましたわ」 てへっ。バレバレだぜ。 「――負けましたわね」 ふと、その手を止め、哀愁に満ちた表情でそう言い放った。 「ああ、俺達は負けた」 結局は、掌で踊らされてるだけだった選挙戦。現実として認めるのは辛いが、事実は事実だ。 「俺らは、まだ生徒会長になるべきじゃないってことかもな」 「そうかも知れませんわね」 優秀な参謀がついただけの俺と、高い才能を持っただけの綾女ちゃん。どちらが勝ったとしても、少なからず驕りが生まれただろう。そう、前向きに考えることも出来るけど、やっぱり負けは負けだ。思い出すだけで、気分が本格的に沈む。 「千織も、立場は俺と大差無いんだがなぁ」 「ついた参謀の差ですわね」 それも認めたくは無いが、結局はそういう話になる。百戦錬磨の茜さんに、岬ちゃんは負けたのだ。 「ですが、岬さんとあなたは、これからのチームですわ。今回負けたとしても、いつか追い越す日が来ますことよ」 「そんなこと言って良いの。綾女ちゃんは参謀が欲しいんでしょ」 俺と岬ちゃんがずっと一緒ってのは具合の悪い話だと思うんだが。 「御心配無く。秋までに、お姉さまを口説き落としますわ」 「……」 な、なんですとー!? 「あ、綾女ちゃん。それ、反則」 「選挙は、公職選挙法に違反しない限り、何をしても良いのですわ」 うわっ。この目はマジだ。じょ、冗談じゃないぞ。バラバラだって勝てなかった二人なのに、纏めて掛かって来られたら土俵にさえ立てない。そういや、遊那も茜さんにつくかも知れないって言ってたけど……まあ、あいつは選挙自体にはさして影響無いか。 「二人共、何を喋ってたんですか?」 気付けば、俺達の目の前に、桜井姉妹が立っていた。うーむ。こちらは年齢相応の色香があるぜ。いや、眼福、眼福。 「岬ちゃん、ダメだよ〜。負け犬は負け犬同士、傷を舐め合ってたところなんだから」 「ぐはっ!」 こ、こ、この人は……傷口に唐辛子と塩を塗り込む様な真似を平然としてくれやがって。 「お――」 「お?」 「お姉さまと言えど、今の暴言は許せませんわ!!」 半ば涙目にのまま綾女ちゃんは立ち上がると、右拳を固めて、茜さんに殴り掛かった。 「こ、これは 「知っているのか、岬ちゃん!?」 あれ、何か懐かしいぞ。 「ええ。中国の奥地で独自に開発された拳法の一派で、その拳は象を昏倒させ、グリズリーでさえ吐血すると言われる究極の剛拳です。まさか、その使い手が日本に居るだなんて――」 「な、なんですとー!?」 それにしても、何秒の間に解説してるんだ、俺達は。 「唯――」 「唯?」 「一柳さんのリーチでは、特に脅威には成りえません」 見てみると、茜さんが綾女ちゃんの頭を抑えた状態で膠着していた。一応、綾女ちゃん側もジダバタと腕を動かしているのだが、いわゆる猫パンチにしかならず、痛打には程遠い状態だ。 「そーいや、綾女ちゃん、百四十ちょいしか身長無かったんだなぁ」 茜さんも百五十五くらいだと思うが、動体視力と反射神経が良い。防御と回避に専念したら、簡単には当たらないだろう。 「キーッ。どうせ私は、何をしても負け犬ですわー!」 夕日でも無いのに、砂浜を走り去っていく奴を始めて見たぜ。それにしても綾女ちゃん、案外、直情型だったんだなぁ。どうにも、格好付けてた選挙期間の印象が強すぎる。 「ところで、このブルーハワイ、どうすんだ?」 「私が貰っちゃうね〜」 まさか茜さん、この為に挑発したんじゃ無いだろうな。この人ならやりかねないだけに、とりあえず疑惑の眼差しを向けておいた。 「綾女ちゃんは、まだまだこれからの子だから。鉄は熱い内に打たないとね〜」 「打ち方を間違ってませんか、茜さん」 言っても無駄と分かっていても、口を出さすにはいられない。この人は、それだけボケオーラを周囲に振りまいているのだ。 「そういう意味では、公康君も同じだけどね」 「俺は、曲がった胡瓜も趣があると思ってる人間ですけどね」 矯正と教育は、似ている様で何か違う。俺は、素に近い方が良く伸びるタイプだと思うんだけどなぁ。 「うふ」 って、唇、青っ!? 十七歳にもなって、ブルーハワイをちゃんと食べられないのか、この人は。 「まあ、お姉ちゃんですから」 肉親らしい、究極の一言を吐いてくれる岬ちゃんだった。 「ひょお〜〜!!」 「うわっ!」 筋肉男の放ったスパイクが、千織の腕を弾いてコート外へと飛んでいった。うーむ、あの黒服の一部が綾女ちゃんの親衛隊だったとは。赤フン一丁で神輿を担いでくれないと、どうにも見分けがつかないぜ。 「椎名。加勢するぞ」 お。第一回桜井茜杯ビーチバレー選手権、決勝の組み合わせは、りぃ、遊那対筋肉男二名になったか。これ以上無い、最高の組み合わせだな。 「さぁ、盛り上がって参りました。通常であれば、只の戯れで終わってしまいがちな身内でのビーチバレーですが、この人達にとっては違います。速、力、柔。バレーボールに必要な全ての能力を兼ね備えた、素人であることを超越した一戦です。僅か十数名しかギャラリーが居ませんが、本日、皆さんは伝説を目の当たりにすることでしょう」 実況となると妙に嵌まるなぁ、岬ちゃん。 「おぉっと! 椎名選手の放ったサーブが天高く舞い上がり、敵陣へと突き刺さったぁ! これが噂のリッパーズダイナマイトか! あぁっと。ですが今の一撃でボールが破裂し、使用不能になった模様です。この場合、審査員特別ルールに依り、テクニカルノックアウトが適用され、椎名、浅見ペアの優勝ということになります!!」 何処から突っ込んで良いか分からない一戦だったぜ。 「ふう」 ひとしきり泳いだところで、再び、パラソル下のシートに腰掛けた。日も大分傾き、お開きが近付いて来ているのを実感する。あれ。そういえば俺、お袋か兄貴辺りにちゃんと連絡入れたっけか。記憶の何処を掘り返しても思い出せやしないが、近くに公衆電話も無ければ、携帯電話も持ってきていない。さっくり諦めると、その場に横たわった。 「公康。そろそろ撤収だよ」 「オーライ」 何だか分からない内に過ぎたけど、良い一日だった。選挙活動も非日常だったけど、こんな非日常もたまには良い。ありがとな、りぃ。 「ほいじゃ、片付けて宿舎、行こうか」 ……はい? 「って、泊まりなのかよ!?」 「そりゃ、片道四時間掛けて来たんだし、とんぼ返りも大変じゃない」 さっくりとまあ言ってくれるものだな。 「お金の心配なら大丈夫だよ。飛行機も泊まるとこも、お父さんが用意してくれたから。その代わり、晩御飯付き合わされることになったけどね」 「まさかと思うが……お前、相当のお嬢様か?」 俺の勝手な偏見では、こいつは中流家庭ってことになってる訳だが。だって、電車通学だし、ですわ口調じゃないし、普通にカツ丼食べるし。こんな令嬢は、俺は絶対に認めないぞ。 「ま、基本的に学園じゃ言わないことにしてるから。それで付き合い変えられるのもつまんないし」 なるほど。俺らはそういう人間じゃないと思った訳か。そりゃ、選挙経験者なら口は堅いよなぁ。 「それじゃ、シートとパラソル宜しくね」 「へいへい」 追伸、兄上殿。どうやら帰るのが一日伸びそうですが、適当に言い訳しておいてください。可愛い弟からのお願いでした。 中編へ続く
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