例えば、どんな願いでも叶えてくれる妖精が目の前に現れたとして、俺は一体、何を望むのだろうか。生涯掛けても使い切れない財産か。天下に号令する大宰相の地位か。或いは、決して老いることの無い永遠の肉体か。もしかすると、綾女ちゃんに勝って生徒会長になるなんてことも、充分、検討に値するのかも知れない。だけど、俺はこう答えるんだと思う。この戦いを、最後まで見守って欲しい、と。ともすると、それ自体とても贅沢な望みだとも思う。だけど、この時だけは誰にも邪魔をされたくない。そう。これは俺達の戦いなのだ。 「さぁさぁ。大変なこととなって参りました。中盤までは一柳候補の独壇場かと思われましたが、二年生候補が俄かに結託し、徒党体制を組んでの猛追撃。しかし、敵も只者ではありません。ここまでのらりくらりと追随を躱し、若干のリードを保ったまま最終議題まで辿り着きました。競馬で言うのでしたら残り一ハロン。二百メートルの直線を残すのみです。ここから、誰が頭一つ抜け出すのか。そして、二階堂候補の大外からの大逆転劇は――無いかも知れませんが、御期待下さい!」 外野と言うか一般大衆は、気楽なものだと思い知らされる。俺自身、かなりそちらに寄っているので、尚のこと良く分かる。片足を突っ込んでみないと分からない重圧や苦悩、それに疲労感を初めて知った。脳内麻薬による覚醒なんて慣れっこで、正直なところ、そろそろやばいかも知れない。それでも、この場から退く気にはなれなかった。賛同してくれた人達への義理もあるけれど、純粋に勝ちたい気持ちが上回ってきていた。それはきっと、敵が他ならぬ綾女ちゃんだからだろう。彼女に勝つことで、俺は俺の存在理由を確立出来る。そんな気にさえ、なっていた。 「それでは! 最後の議題に参りたいと思います! ずばり、『私が生徒会長になったら』です。究極にして至高。これ以上無い最高の議題であります。候補者達は何を思い、何を語るのか。一挙手一投足を見逃さないように致しましょう。尚、最終議題ということで、割り当て時間を五分延長し、十五分とさせて頂きます。泣いても笑っても、これが事実上、最後の聖戦です。悔いの残らない様、血反吐を吐いたってやり遂げちゃって下さい」 いや、吐いたらまずいだろ、流石に。 「ではでは、レディース、セット、ファイト!」 「一柳さん。早速ですが、あなたはこの日本国をどうしたいと考えますか」 西ノ宮の発言に、場内が少しどよめいた。 「突飛な発言ですわね。議題とは、少し掛け離れている様に思えますわ」 「次代を担うのは若者です。この学園の生徒会長になるということは、その二千人もの担い手の長となることでもあります。あながち、的外れでも無いと思いますが」 後の無い俺達二年生組だ。体勢に幾らかの無理があろうと踏み込み続けるしかない。 「良くしたいと思いますわ」 「具体的には?」 「……組織体制の軽量化。外交に依る友好関係の形成。外資参入への規制等、問題は山積ですわ」 今まで淀みなく返し続けてきた綾女ちゃんが、初めて曖昧な返答を口にした。 「私は、この国はソフト面での地位を確立することこそが唯一の生き延びる道だと考えます。広い国土がある訳では無く、絶対的な資源がある訳でもない。そして、人口も減少傾向にある。こんな私達が物質的に豊かな生活をしていられる一つの要因に、文盲率の低さがあると考えています。文字が読めると言うことは、自分一人でも情報を吸収出来るということであり、知識を共有出来るということでもあります。故に、私は技術を生み出し、あまねく世界で創造出来る人材を輩出する為に教育関連で尽力する。その為に生徒会長になり、ゆくゆくは日本の中核に食い込む人間になる。そう、決めています」 強い意志と決断力を持つ西ノ宮だ。どんな壁が立ちはだかろうと進み続けることだろう。だけど――。 「それは、生徒会長にならなくては出来ないことですの」 足元が甘い。 「御存知の様に生徒会には会長職の他に、二十名程から成る執行部がありますわ。これは自薦他薦を含めて人材を募り、生徒会長が任命するものですが、当然、教育に関する仕事も存分に出来ますわよ」 特定の仕事をしたいのであれば、むしろ執行部に所属した方が力を発揮出来る。その為、そのことを口にするのは基本、タブー視されていて、俺も岬ちゃんに止められている。正直な所、これは西ノ宮の勇み足だ。勝利することと自分の理念が相まって、焦りとなったのか。冷涼なる論客にも熱が籠もることを知り、人間の深さを思い知らされる。 「でもまあ、生徒会長になった方が、全体を把握出来るっていうのはあるよね」 千織が、事態を収拾しようと助け舟を出した。 「それもそうですわね。選出されなくても、執行部に立候補すれば良いのですから、大したリスクとは言えませんしね」 蜂の一刺しを残して、綾女ちゃんは退いた。ここで必要なのは、逃げ切る為の間合いだ。このギリギリの状況で、バランス感覚まで磨かれてきているなんて。正に、難攻不落の古城と化しつつあった。 「それにしても日本がどうこうって言うのは壮大だね〜。僕なんて、今日と明日をどうするかくらいしか考えたこと無いよ」 「その様な心構えで、生徒会長が務まるとお思いですの」 「でも、生徒にしても一般市民にしても、殆どの人が願うのは日々の平穏な暮らしだよ。そういう人達の気持ちは僕の様な普通の人の方が良く分かる。そうは思わないかい」 「日々の平穏な日常を守る為に、道筋を立てるのが政治家の務めですわ。その為に知恵を借りることもあれば、力を借りることもあるでしょう。ですが、先のことを読むことが出来ない方に、政治の道を選んで欲しくありませんわ」 具体的な政策は曖昧だったが、理念に関してはきちんと返すことが出来る。まだその進路を決めかねている綾女ちゃんだけに、頭の中は有るべき政治家像で一杯なのかも知れない。 「七原候補はどう思う?」 矛先を変える為か、援護を期待してか。千織は、話題を俺に振ってきた。 「私は――」 何だか、言葉に詰まった。その理由に気付くまで何秒か要したが、すぐさま自己修正した。 「俺は、どっちかって言うと舞浜候補寄りだな。明日のことなんて考えたって分からないし、それでも今日を必死に生きていかないといけない。苦しくて、やましくて、切なくて。その痛みが分かる人間だからこそ出来る仕事もあると思う」 当初から感じていた、異物感にも似た違和はこれだった。何かちゃんとした場で言葉遣いを正していたけど、それは俺という存在に殻を付ける様なもので、正確な俺じゃない。そんな俺のまま相対するというのは、何よりも、綾女ちゃん達に不誠実なのではなかろうか。そう、思えたのだ。 「では、七原候補。舞浜候補。両名にお伺いしますわ。あなた方が生徒会長になられた場合、この学園はどう変わりますの。私は前にも述べた通り、人を信頼できる人間の育成に尽力致しますわ。それは人と人の関係の基本であり、つまりは国家の基盤でもありますもの」 結果として、西ノ宮の言葉は綾女ちゃんに火を付ける格好となった。たしかに具体的な政策など無いに等しい綾女ちゃんだけど、国を愛する気持ちは人並み以上だ。そのことに思い至り、今までよりも言葉に力が籠もっている。国政に携わるべくして携わる人材というのは、こういう人を言うのだろう。 「僕は何よりも楽しい学園生活を送れるような体制を作りたいと考えてる。何だかんだ言っても、高校生活ってのは一度しかないからね。僕に出来ることがあれば、何であろうとも手伝わせて貰おうと思うよ」 トクン。心臓が、高鳴った。その意味が分からず、視線が宙を泳いでしまったが、慌てて壇上の二人を見詰め直す。今のは、何だろう。さして良質ではない頭脳を目一杯に働かせ、一つの結論に辿り着く。 これは、岐路だ。それも恐らくは、選挙自体の結果さえ左右しかねない程の。そして俺自身の覚悟を試されるものでもある。割り切っていたはすなのに、心が少し締め付けられるのも俺が人間だからか。 「俺の意見を言う前に、一つ思ったことがある。舞浜候補が楽しい学園生活をって言ったけど、結局の所それは、一柳候補の言うことと何ら変わりは無いんじゃないか。だってそうだろ。誰も信じず、一人っきりで学園に来たって楽しいことなんてある訳が無い。突き詰めて同じことを言っているんだったら、一柳候補の方が具体的で、実行性が高いものだと思う」 茜さん。あなたは、優秀な参謀です。だけど、人選を誤った。俺と岬ちゃんを驚かす為に千織を選んだのでしょうけど、それは間違いです。こいつは、人が良過ぎる。ギリギリの極限状態で尚、人を信じてしまう。それはとても素晴らしいことではある。だけど最低限、切るべきものは切る覚悟が無ければ、いずれは自身が斬られてしまう。その生き様を否定する気は無いけれど、人の上に立つものの姿勢ではない。俺は、綾女ちゃんの域に到達したい。その為に千織を踏み台にする。理屈で無理矢理に感情を抑え付け、言葉を続けた。 「俺は、誰もが何かに打ち込める学園を作りたい。俺自身、何をするでもなく学園生活を送ってきたけど、ほんの思い付きで生徒会長選挙に参加して、色んなことを知る機会に恵まれた。受験でも良いし、もちろん部活や学園祭、それに生徒会選挙だって良い。何でも良いから命を張って挑んでみる熱さを知って欲しいと思う。俺なんかが言うのはあれだけど、その熱を知ることが、日本にとって一番良いことだとも思う」 結局の所、国を動かすのは人の心だと思う。いつの時代だって、大きく流れが変わるのは、民衆の心が熱くなった時だ。圧政に耐えられなくなった時。民衆に依る自治を求めた時。世界に追いつこうとした時。理由はそれぞれだけど、その基本は変わらない。学園という小さな世界でも、その手伝いが出来るなら、それは素晴らしいことなんじゃなかろうか。そんなことを思う。 「仰ることは分かりますわ。ですけど、具体的にはどうするおつもりですの。私達は目的の見えない世代と言われる程、先行きに不透明感を持っているのですわよ」 「でも、それは綾女ちゃんも同じだろ。人を信じるってのは、言うほど簡単じゃない。本当に信じてるってのは、裏切られた時も決して後悔しない心持ちだ。それこそ、たった半年の任期で成し遂げるのは簡単じゃないんじゃないか」 っと、流石にこの場で綾女ちゃんはまずいかな。 「半年で全て成し遂げる必要はありませんわ。そこに至るまでに兆しを見せ、基盤を固めれば、皆さんはそれを認めてくれますもの。再選すれば、少なくとも一年は時間を掛けられますわよ」 何つう自信だよ、おい。 「だけど、そういう意味で言えば俺も面白いぞ。秋には学園祭もあるし、夏休み中に何かを募るのもありだ。そこで少しでも熱を感じてくれる奴が居れば、それはそのまま俺を認める力になる」 「ある種、政治とはそういうものですわ。皆が求めるものは、期待感と、満足感。それを与えられない者は座る椅子を失い、倦怠感に満ちた時も変化を求めて失脚させられるのですもの」 「だからこそ目に見える結果は重要で、それを残すことに奔走する。良くも悪くも、それが民主主義の本質だ」 「社会でそれを最も如実に感じるのは経済ですわ。その為に分かり易い公共投資をし、明確な敵を作って特定の産業を潤す。驚くほど陳腐なことが、いつの時代も、何処の地域でも行われていましたわ。人と世界が変わらぬものだとするのは、少し感傷的かも知れませんわね」 「生徒会であったって、それに似た構造であることは否定出来ない。だけど人としての血が通えば、同じことをしても全く別の組織になる。俺はそう信じて、生徒会長になると決めた」 「私も同様ですわ。良い政を行える資質というのは、行動力や発言力よりも、何より人の心だと知りましたの。何は無くとも、一人ぼっちで機械的に生命活動を維持したところで、それは生きているとは言えませんもの」 チーン。ベルの音がした。音を認識して、それが合図だと理解するまでに数秒を要してしまったが、はっとして顔を上げる。ああ、終わったんだなと言い聞かせてみたけど、何だか今が虚ろで、自分自身が分からなかった。視界に、綾女ちゃんと千織が入っているけれど、それさえも現実感が無かった。 パチパチパチ。何かが爆ぜるかの様な音がした。その小さなさざ波は呼び水となって高波となり、館内を埋め尽くすほどの轟音となった。それが拍手だと気付くのにまた何秒か掛かってしまい、熱病であるかのように呆けたまま皆と並んで礼をした。 余談だが、舞台袖に戻った途端、二階堂先輩を除く四候補は倒れ込んでしまい、事態の収拾にえらく苦労したんだとか。まあ良く憶えてない訳だけど。 こうして、今年度五月期最終討論会は、大好評のまま、幕を閉じた。 麗:一柳さん……一つ良いですか? 綾:何ですの? 麗:私、強く主張している役回りでばかり登場して参りました。 綾:そうでしたわね。 麗:こ、こういう軽めの場面では、ど、どうすれば良いんでしょうか? 綾:知ったことではありませんわ。 麗:と、と、と、という訳で、次回、第二十五話、『五月雨の朝』です。 綾:凝り固まるというのは、考え物ですわね。
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