邂逅輪廻



「先輩、それ……」
「ふえ?」
 長かった土日を終え、俺は夕日差し込む教室で、軽く読書と洒落込んでいた。まあ単に、りぃと岬ちゃんが所用で、ちょっと時間が空いた為の暇潰しってだけだが。読んでいるのは、昨日買った、『日本という国の在り方』。何となく、カバーは付けて貰わなかった。いや、少しでも知的に見えた方が印象良いかなぁ、とか思った訳で。気持ちあざとさが滲み出る様な気もするが、そんな何度となく凝視される訳でも無いし、悪くは無いと思うんだがね。
「それって、この本?」
「あ、はい」
 何故だろうか。岬ちゃんは何処となく緊張した面持ちで同意した。
「これがどうかしたの?」
 栞を挟んで、表題が見える様に持ち替える。どうにも世間というものに疎くて、何が流行ってるとかは良く知らない。だけど身近に二人も知ってる奴が居るとなると、やっぱそこそこ売れてる本なのかも知れない。まあ、岬ちゃんに関して言えば、この手の本は専門分野だから知ってて当然って感じもするけど。
「筆者のこと、知ってるんですか?」
「うんにゃ。何だか日本人じゃなさそうだってことくらいしか」
 と言っても、文章を見れば書き手の性格なんて大体分かる。個人的な人格や嗜好、生い立ちを知りたいなんてのは、ファンとしての感情だ。まだ読みきってもいないし、そこまで思うなんてことは無い。
「その本書いたの、お姉ちゃんなんですけど」
「……」
 オー、落ち着け、マイブレイン。良いか、ここが勝負所だ。パニクるんじゃないぞ。
「はぁ!?」
 全く以って無意味だった脳内思考を経て、俺は豪快に頓狂な声を上げた。


「は〜、何と言うか、世間は狭いね〜」
 帰りしな、俺らは岬ちゃんに状況を説明してもらっていた。話は簡単だ。マダー=チェリーというのはペンネームで、一応、本人と言うことを隠しておきたいらしい。まあ、個別に対応するのが面倒なだけで、親しい友人辺りは殆ど知っているらしい。大体、マダーは茜のことだし、チェリーは桜だ。カタカナで表記するからいけないんだ。英語綴りだったらすぐ気付いたぞ。殺人者かと思ったじゃないか。
「つうか、あの人、こんな真面目な文章書けるんだ」
 偏見に近いのかも知れないが、意外だった。何と言うか、物腰はおっとりだし、考えてることは読めないし、ほわほわしてるし。それなりに思慮の深さはあるのかも知れないけど、それを具現化する能力がこんなにも高いとは思わなかった。人は見掛けに依らないと言うことか。あの人、学園卒業したら、すぐにでも現場へ行くんじゃないかと、思わなくも無い。
「お姉ちゃんは、いつだって私の憧れなんです」
 偉大な姉を持つ気分ってのは、正直俺には良く分からない。一応、兄貴が居るには居るが、どちらかと言うと俺と同類で、一緒に馬鹿やってた記憶の方が強い。蝮を育てると蛟になるのかとか調べてた頃が懐かしい。結局、俺らの寿命が足りないということで頓挫したが、逃げ出した蛇太郎、元気にしてるかなぁ。
「何呆けてる訳?」
 ふっ、漢の浪漫ってのは他人には理解されないものだぜ。
「とりあえず、もう一冊買って、サインを貰うのもありだな」
 上手いこと大政治家になってくれれば、プレミアが付くに違いない。何か最近、こんな発想しかしてない気もするが、小市民ってのはこういうものだぜ。
「あ――」
 ふと目の前の光景に気付き、足を止めてしまう。噂をすれば何とやら。そこには、千織と茜さんが居た。二人も何故だか足を止めて、何やら言い合っている。まあ、千織に関しては完全に茜さんの使い魔なので、痴話ゲンカとかそういう類のことは考えられないだろう。せいぜいが、手懐ける為の訓練タイムといった所か。
「よ。二人共、お疲れさん」
 敵対する意味も意思も無いので、気さくに声を掛けておく。西ノ宮の前例もあるし、警戒すべきかとも思うが、今は規定時間外だ。この甘さがあの悲劇を生んだ気もするが、出したものは引っ込められない。心持ち、身構えるだけはしておいて、二人の言葉を待つ。
「やぁ、公康。こんな所で逢うとは奇遇だね。宿星とは恐ろしいものだと思うよ」
 同じ学園から同じ駅に向かってる事実は、忘れておいてあげよう。それが友情と言うものさ。
「ん〜。みんな元気そうね。ちゃんと御飯食べてる?」
 第一の話題はそこなのか。本当にそこで良いのか。ってか、この本の作者、あんたで良いのか。
「あれ。ひょっとして読んでくれたの?」
「ん、ああ。まだ全部読む暇は無いけどな」
 割とスムーズに、手に握られたものに気付いてくれる。
「まあ、その事実を知ったのはついさっきのことだが」
 横に居る岬ちゃんに目配せして、同意を得る。当の岬ちゃんは、自慢の姉だとでも言わんばかりに、満面の笑みを浮かべていた。
「へー、全然知らないのに買ってくれたんだ。うふ。印税が楽しみね」
 いきなり現実的な話と来たか。相変わらず読めないぜ。
「そーいや、千織と茜さんはこんなとこで何してたの?」
 何かを話すだけなら歩きながらで充分だし、立ち止まらないといけない用件にしても、学園や駅では無い理由が必要ではある。気になって、聞いてみた。
「いや、何。大したことじゃ――」
「ん〜、それはちょっと内緒かな」
 口を開きかけた千織を嗜める様にして茜さんが割って入った。となると政策絡みか。隠しておきたいことを公道でやるというのは何か変な気もするが、まあ茜さんだし。
「んじゃ、とりあえず一緒に帰るってことで良いか?」
「ええ。御一緒するわね」
 その天真爛漫な笑顔を見ると、やっぱ岬ちゃんと姉妹なんだなと思わないことも無い。何か一瞬、ドス黒いものを垣間見た気もするけど、敢えて記憶からは抹消しておこう。


「そーいや、千織。操り人形の気分はどうなんだ?」
「実に良いよ。次の進路希望調査書には、傀儡って書こうと思うくらい」
 それは職業なのかと素で思うが、本人が気に入ってるなら触れないでおいてやろう。
「公康君、公康君。ここで会ったが百年目だから、良いこと教えてあげようか」
 茜さん、使い方を確実に間違えてます。
「ほいで、何すか?」
 一応、少しだけ身構えておいた。
「あなた達四人は、本当に良くやってると思うわ。みんな初めてのことだらけなのに、惑うことなく食らいついてる。これって、言う程、楽なことじゃないよね」
「はぁ。どうもっす」
 褒められること自体は悪い気分じゃないけど、相手が相手だけに勘繰ってしまう。大体、選挙期間中に敵を持ち上げるなんてのは、絶対裏がある。悲しい習性が、そう俺の理性へと語り掛けていた。
「だけどね」
 ほら来たぞ。
「あなた達には、足りないものがあるのよ!」
 な、なんですとー!?
「そ、それは何だって言うんだ!?」
 ちと大袈裟だけど、こう応えて置いた方が喜ぶだろう。調子に乗ってぽろっと答えてくれるかも知れないし。
「それは自分達の力で見付けないと意味が無いのよ」
 ふっ。予想通りのリアクションだぜ。
「これで満足ですか」
「あれ? ひょっとしてバレてた?」
 まあ、いつものことだし。
「やりたかっただけだってのは、ここに居る全員が理解してるかと」
 強いて言うなら、空気の読めない千織がきょとんとしてるけど、数には入れないでおこう。
「ぷ〜。綾女ちゃんの所では面白い反応してくれたのに」
「余所でもやってたんですかい!」
 流石茜さんだ。抜け目が無いぜ。
「面白かったよ〜。綾女ちゃんってば、割と本気で悩んじゃったりして」
「さりげに高度な撹乱戦術になってる!?」
 お、恐るべし、桜井茜。伊達に作家デビューはしてないぜ。関係無い気もするけど。
「あー、でもスポーツの世界にもこういう監督居るよな。何も考えてない様でいて、それが幻惑になるタイプ」
 たしか、囲碁将棋にも似た感じの打ち手は居た気がする。一手一手は平凡、或いは不可解な手なんだけど、総合で見ると全てが計算ずくなタイプ。このキャラも、油断を誘う為に猫被ってんじゃないかと思ったけど、これだけは殆ど素だから、尚のこと訳が分からない。
「お姉ちゃんの最終目標の一つは、理想の上司ナンバーワンらしいです」
 本当にそんな日が来たら、この国は終わりの気もするなぁ。
「やっぱり、部下を慕わせて自主的に精根尽き果てるまで働かせるっていうのが、正しい上司の姿勢よね♪」
 そんな明るく言われても困るんすけど。ってか、その犠牲者第一号の千織哀れ。あ、二年前の傀儡生徒会長が居たか。名前忘れたけど。
「上司ねぇ」
 何度見ても、千織と茜さんの関係は、飼い犬とその主人だ。まあ、千織に関して言えば、元々使われる方が性に合ってたから、現状に問題は無いんだと思う。だけど日本中の組織がこんな関係になったら、本当にやばい気がする。部下にだって自主性は大切な御時世だと俺は思うんだがなぁ。
「私、一度、公康君の参謀やってみたいな〜。お一ついかが?」
 何かお菓子でも勧められてる言い方だな。内容はそれなりに真面目な気がするんだが。
「あー、まあ、俺には岬ちゃんが居るし」
 気を遣うとかそういうのではなく、素直な本音だ。あと何回出馬するかは分からないけど、彼女が認めてくれる限り、参謀は岬ちゃんで通したい。
「あら。何人もの女を踏み台にしてこそ大政治家への道が開けるものよ」
 さらりと、とんでもない暴言を聞いた気がする。あー、でもえらく最近、女を踏み台にした首相が居たなぁ。誰とは言わないけど。
「お姉ちゃん」
 ギロリと、姉を睨む妹が約一名。と言ってもこの姉妹、体格的には気持ち茜さんの方が小さいので、どっちが姉なんだが分からないこともある。
「うーん。それじゃみんなお疲れ様」
「あれ。どっか行くんですか?」
 俺らが向かう改札とは別の方向に立ったまま、そんな声を掛けてくる茜さん。その横にはちょこんと佇むようにして千織が一人。流石は現代に蘇った忠犬だぜ。
「私達はこれから作戦会議」
「そっすか」
 もう、明日には待ったなしの月曜だ。明後日には最後の大山、六候補に依る討論会も控えている。何事も詰めが一番大事なのよね。ここからの一歩一歩を踏み外さずに歩き切ることが出来れば、俺にだってまだチャンスはあるはずだ。
「ほいじゃ千織、またな」
「公康もね」
 何だか、こいつに関しては未だに敵って感じがしないなぁ。分かり易い感じで黒幕が目の前に居るからか。嗚呼、あの笑顔が痛い。もしや俺は、やんわりと親友を見捨てているのでは無いだろうか。時たま、そんなことを思わなくも無い。
「岬ちゃんも、また後でね」
「お姉ちゃん。私達は、負けないから」
「楽しみに待ってるわね」
 ふと思う。茜さんは今すぐにだって選挙活動の現場で働くことが出来るだろう。それなのに学生選挙に湧いて来たのは何故か。始めは妹に対して試練を与えてるつもりかとも思ったが、多分、それだけでは無い。きっと、彼女自身、感じ入ることがあるのだろう。それが何なのか、明確には分からない。だけどその答えも、もうすぐ分かる気がした。全てが終わるまでの時は、さほど残されていないのだから。





次回予告
※ 公:七原公康 岬:桜井岬 茜:桜井茜

茜:らんらん。るるるる〜。
公:茜さんが壊れた!?
岬:いえ、ある意味、いつも通りです。
茜:うるうる。岬ちゃんってば、初々しさが全然無くなってお姉ちゃん悲しい。
岬:離乳期からお姉ちゃんを見続けている妹を甘く見ちゃダメですよね。
公:何処から突っ込むべきかを、真剣に悩んでいる俺が居る。
岬:という訳で次回、第二十話、『岬と言う名の女の子』。
公:やっぱ、離乳期だろうか。




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