「き、き、公康! 私、一つ、分かったことが、あるの!」 「ほう。興味深い話だな。一体、何だと言うのかね」 「いや、さ。公康って、普段、下校の時は、革靴なのに、最近は、運動靴が多いから、なんでかなぁ、って」 やたらと読点が多いが、別にふざけてる訳じゃない。慣れてない、っていうか初めての奴だったら、こんなもんだろう。 「成程なぁ。たしかに、その疑問も尤もだ。一応、生徒手帳には、登下校は革靴が望ましいと書いてある。と言っても、そんなものは有名無実。大多数が革靴を着用しているものの、罰則がある訳ではなく、注意を受ける訳でも無い。とはいえ、魑魅魍魎が跋扈する選挙期間中だけに、逆の行動をとるなら理解も出来よう。しかし俺の場合、演説中は革靴、登下校は運動靴と、今一つ整合性が取れていなかった。つまりはそう言いたい訳だな?」 「な、何で、公康、そんなに、すらすら、喋れんのよ!?」 「俺程の達人ともなれば、走りながら酸素を取り入れることなんぞ、造作も無いことなのだよ」 あまり自慢にはならないことの気もする。仮に、履歴書の特技欄に書いたとしたら、バイトでさえ落とされそうだ。 「二人共、楽しそうだな」 「いやいや、そんなことは無い。何だったら遊那君も共有してみるかね」 「生憎、私は尚のこと、余裕が無い」 俺と並行して走っていた遊那は、足を地面に掛けて身体を反転させると、数発撃ち放って威嚇とした。そしてその勢いのまま、もう半回転すると、加速し、再び肩を並べる。 「ひゅ〜。相変わらず大した瞬発力だね」 運動部に所属していないのが、本格的に惜しまれる。 「遊那ってさぁ、タッパ有るし、運動神経なかなかだし、勧誘結構あったと思うんだが、何で何処も入らなかったんだ?」 「群れるのは苦手だからな」 あらら。端的なお返事で。 「部員数が少なめなとこで個人競技やるって選択肢もあるぞ」 「まあ良いじゃないか。私が何処かへ入部していたら出会うことは無かっただろう。縁とは、そういうものだ」 「だ、だから、何で、普通に会話、出来るの!?」 「って言うか、こんな時に、世間話、しないで、下さい!」 りぃと岬ちゃんに窘められ、俺らは口を噤むことにする。むぅ。何か理不尽な気もするぞ。 「か、革靴は、走り難い、です」 まあなあ。それは俺も初日に痛感した。ってか、二人に何か言い忘れてる気がしたが、これだったか。 「とりあえず、そこの路地に入れ。電柱が多い上、大通りに出れる」 遊那の指示で、俺、岬ちゃん、りぃの順番で雪崩れ込む。女の子を壁にするのは気が引けるが、これは俺の防衛戦だ。下手に悩むよりは、効率を優先すべきだ。 「まあその場所が安全だというのは、待ち伏せが無ければという前提があっての話だがな」 「そういう重要な仮定を後に言うんじゃねぇ!」 「運試しだ。この程度の窮地を脱せない様で、当選なぞ叶うものを思うな」 嘘だ。絶対に後付けだ。目がそう言ってるもん。 「だぁ! なるようになれ!」 今まで襲撃を受けた際の最大人数は三人。後方に居るのもそれと同じだけだから、伏兵の可能性は低いと言えば低い。運を天に任せ、俺は先頭のままその裏路地を駆け抜けた。 幸いにして、急襲も無く突破できたけど、何かいつもより疲れた気がするぞ! 「は、はひあひ……」 「お疲れ」 まるで部活上がりの様な爽やかさで、そう言ってみる。遠巻きに見ると、歯がキラリと光っていたかも知れない。 「初日は辛いと感じるだろうけど、すぐ慣れるから」 本当に部活化してる気もするが、深く考えない様にしよう。 「ま、毎日、こんなこと、してる訳?」 「いや、一日置きくらいかなぁ。こっちとしてみれば、安全に家まで帰れば良いだけで、慣れてみると地の利もある分、案外楽な戦いなんだよな」 言いながら、自販機でスポーツドリンクを買って岬ちゃんに放ってやる。えっと、りぃは苦手だったから――。 「紅茶で良いか?」 「無糖のね」 「へいへい」 そんな気を遣わなくても、年中戦闘モードで無駄にカロリー消費してるだろうとは、口が裂けても言えなかった。 「まあ、体力と精神力を鍛えてると思えば、悪くないよな」 あっけらかんと、そんなことを言えるまでになっていた。ふむ。人間の環境適応能力とは恐ろしいね。今の俺だったら、朝起きて南国の孤島に居たとしても、普通に生活出来る気がする。 「でも、もう選挙妨害ってレベルじゃないでしょ。委員会に言って取り締まって貰わないと」 「何を言ってるんですか。本物の国政選挙なんて、総会屋の類と組んで、やりたい放題な所もあるんですよ。もちろん一部の候補者に限られますけど」 さりげなく政界の闇を垣間見た気がするが、記憶から抹消しておくことにしよう。 「椎名。お前の言っていることは尤もだが、残念なことに犯人を特定する証拠が無い。下手なことをすれば、しっぺ返しを食らいかねない」 「そ、そーいうもんなの?」 「政治の世界は綺麗事だけで成り立っている訳ではないのだよ、椎名君。まだまだ若いねぇ」 と言っても、俺のキャリアはりぃと全く一緒な訳だが。 「あーもう。だったら、さっきとっ捕まえて黒幕吐かせれば良かった」 それだけは勘弁してくれ。仕損じれば、一瞬で立候補を取り消されるかも知れない。 「うー、でもこういう受身オンリーの状況ってどうしても落ち着かないのよー」 超攻撃型人間というのも善し悪しだなぁと、呑気なことを思った。 「案ずるな。私とて、無策のまま選挙戦を終えるつもりは無いさ」 「おう、頑張れ、遊那。後四日で約束通り、合コンの場をセッティングしてやるぞ」 「合コン?」 あ、そーいや、りぃには言ってなかったか。 「いや、成功報酬の話。傑作と言うべきか、遊那の奴、顔を赤らめてモジモジしながら懇願してき――」 「貴様。この土壇場で裏切られたくなかったら、その軽い口をこれ以上動かすな」 「二重契約は業界人にとって恥ずべき行為の気がするのですが、どうでしょう」 中途半端な敬語になってしまう辺り、恐怖という感情は侮れない。 「遊那ちゃん、本当になんとかなるの?」 「どうだろうな。人間のやることに絶対は無いが、まあ最善は尽くすさ」 自信が有るのか無いのか、良く分からない口調だ。だけど、幼馴染みである岬ちゃんには通じるものがあったのか、二、三秒見詰め合い、頷いた。 「分かった。任せるよ」 「そうして貰えると助かる。多少凄惨な光景になる恐れもあるからな。お子様の岬を巻き込むのは忍びない」 「あー、そういうこと言うんだ。だったら私、遊那ちゃんとのアルバム持ってくるから」 「か、過去を持ち出すのは卑怯だぞ。人と言うのはだな。何時だって今と未来を見据えて生きるべきだと思う訳で――」 何があったのかを問うて見たい気分だが、きっとパンドラの箱だ。丁寧に梱包して押入れの奥にしまっておこう。 「ま、何にせよ良いチームだよな、俺ら」 時たま思う。この四人は、バランスがとても良い。攻撃的なりぃと遊那に、防御型な俺と岬ちゃん。理論は岬ちゃん担当だし、感覚的なものはりぃが鋭い。火力は遊那とりぃで賄い、戦略は岬ちゃんだ。俺だけであれば、天才肌の茜さんや、魅力ある綾女ちゃんには遠く及ばなかっただろう。だけど、曲がりなりにも戦えているのは、みんなのお陰だと思う。感謝しても、しきれない気分だ。 惜しむらくは天然ボケが足りない気もするが、そこはそれ。ボケ量産工場の異名を持つこの七原公康が何とかしてみせよう。選挙活動に何の関係も無い気もするが。 「むぅ」 ところで、何か横でりぃの奴がむくれてるけど、とりあえずこれは黙殺することにしておこう。 「あと、三日かぁ」 繁華街を抜け、住宅街に辿り着いた辺りで、ふとりぃの奴が口に開いた。 「そうだな。日、月、火。あと三日選挙活動したら、後はまな板の鯉って奴で、捌かれるのを待つだけだ」 昨日、一次選挙を突破したのが、とてつもなく遠くのことに思えた。あそこで一度死んだ身のせいか、投票自体を冷静に見れる気がする。やれることを全てやった末の敗北は、むしろ誇らしい。学生選挙と言っても、勝つ奴が居る以上は、負ける奴も居る。常勝無敗で人生を終えられる奴なんてのは数えるくらいしかいない。だから、負けること自体は恥なんかじゃない。そこに至るまで悔いを残さずに済むか、そして負けたとしても、意味を生み出せるか。本当、生きる為に必要なことを、この一週間で随分と学んだ気がする。岬ちゃんには感謝だなぁ。 「先輩。変な笑みをこっちに向けないで下さい。気持ち悪いです」 くすん。男の純情を汚されちまったぜ。 「でもさぁ、終わるって思うと、無性に寂しくない?」 「そりゃ、な」 言葉として正しいか分からないが、この面子は戦友だ。友達として、スタッフとしてはこれからも続くのだろうけど、チームとしては一時解散になる。分かっていたこととは言え、心に風穴が空くのは避けられない。 「それは正しい認識だな。私が次も仲間である保証は何処にも無いからな」 そして、ビジネスライクな人発見。 「茜がたかだか学生選挙でやる気になってるのは珍しいからな。秋口も参加するのであれば、そちらに付いてみるのも面白そうだ」 「茜さんは三年だから出れない――と思ったが、参謀としてだけなら問題無いのか」 「規約で言えば、留年が確定すれば出れないことも無いがな」 その時期に決まってる奴ってのは、出席日数が足りないか、相当に素行が悪いかだと思うんだが。万一生徒会長になったとして、職責を果たせるのか、かなり怪しい部分がある。 「ちなみに、茜さんって成績良いのか?」 「学年で五位を割ったこと無いらしいですよ」 やべ。地味にヘコんだ。 「そういう七原はどうなんだ?」 「男はな。背負った秘密の数だけカッコ良くなれるんだぜ」 とりあえず、一学年六百人弱のこの学園で、二百位以内に入ったことが無いのは間違いない。ちなみにりぃと千織はそれなりで、二桁いってたこともあったなぁ。 「折角だから教えておきますが、西ノ宮先輩は学年一位を二度獲ったことがあり、二年生のタイトルホルダーです。一柳さんも、入学試験で十傑に入っていたみたいです」 他陣営の情報まで握っている以上、俺の成績も筒抜けか。 「人間の価値はなぁ。テストの結果だけで決まる訳じゃないぜ」 「ですが、一つの指針であることも覆しがたい事実ですよね」 それを言われてしまうと、身も蓋も無いんだが。 「そういや、選挙明けたら、中間テストじゃなかったっけ?」 嫌なことを思い出させてくれる。今が五月半ばだから、中間試験まで三週間無い訳か。こっちはこっちで地味にピンチだぜ、俺。 「赤点だけは取らないで下さいね。十一月期のことを考えると、補講リストに入るっていうのは、どう考えても不利ですから」 「いや、まあ、努力はするけど。ってか、十一月も出ることが決まってる訳?」 以前、窘められたことがあるだけに、あまり触れてこなかった話題なのだが、何か決定事項の様に聞こえた。 「もちろん、先輩が出たくないと言うなら諦めますけど、出る以上は精一杯支援させて頂きます。こう見えて、一途ですから」 自分で自分を褒める辺り、茜さんの妹だなぁとしみじみ思う。 「それに、です」 「うん?」 何かを躊躇う様に、岬ちゃんは一拍間を取った。 「結構、嬉しかったんですよ。『俺の参謀は岬ちゃんしか居ない』って下り」 照れ隠しなのか、一瞬だけ微笑むと、くるりとあちらを向いてしまう。あれは、俺の本音だから、別に照れることでも何でも無いことの気がするんだがなぁ。 「わ、私も、公康が出るんだったら、とことん付き合うから!」 張り合うな。小学生か、お前は。 「そうだな。先のことは分からないけど、出れるなら出ようと思う」 それが現職としてか、再び挑戦者としてかは分からない。だけど、成すべきことがある限り、戦い続けなければならないのだと思う。その為の障害の一つが、赤点無しか。むむ。意外に難敵かも知れんぞ。 「ま、なる様になりますわな」 今は先ず、残り三日の選挙戦を戦い抜くことが先決だ。勉強も大事だが、何かをやり抜くというのはそれ以上に重要なことだと思う。気持ち優先度を下げても、罰は当たらないだろう。 零れんばかりの満天の夜空を見上げつつそんなことを思うと、俺らは足を速め、帰宅の途を急いだ。 茜:遊那ちゃん、今からでもうちの陣営に来れば良いのに。 遊:一度でも二重契約や一方的破棄を行えば、生涯、信頼を失うだろう。 私にそんな人生を送れと言うのか、茜。 茜:む〜。折角、リボンとフリルで飾って宣伝にしようと思ってたのに。 遊:ちょっと待て! 護衛としてじゃないのか!? 茜:だって、遊那ちゃん可愛いし。五年前に返るだけでしょ? 遊:い、いや、まあ、それはその……ごにょごにょ……。 茜:という訳で、次回、第十八話、『柳髪の忌子』。 遊:私は絶対、着ないからな!
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