前略、お兄様。御機嫌麗しゅう御座いますわ。時折、真夏と紛うばかりの陽気となりますが、体調をお崩しになられてはいないでしょうか。いと心配で御座いますことよ。ほ〜っほっほっほ。 「あぁ!? 先輩が又、壊れました!?」 かなり失礼だぞ、岬ちゃん。 「あのな、俺は現在、この選挙というレースをトップでひた走る綾女ちゃんの真似をすることで、その長所を盗もうとしていた訳だ。良い所を模倣するというのは、どんな分野でも基本だし、もしかすると弱点が見えるかも知れないじゃないか」 「それで、何か分かった訳?」 「いや、これが全く」 どうやら、彼女の本質は、喋り方とはあまり関係無いらしい。 「上っ面しか見ていないからそうなるんだ。私の様に深謀遠慮、世俗に流されない度量を持っていれば何の問題も――」 「とか言いつつ、遊那ちゃんの喋り方は、何年か前に観た映画にそっくりなんです――って、痛いよ。遊那ちゃん、本気で殴ったでしょ」 「人の過去を無闇にばらそうとするからだ」 良いことを聞いた。暫く、このネタで弄り倒してやることにしよう。 「今後、この話題に触れたら色々な意味で夜道を歩けない様にしてやるから覚悟しておけ」 えっぐ、えっぐ。遊那お姉ちゃんが怖いよ、お母さん。 「しっかしなぁ」 何か、怒涛の土曜日だった気がする。本来なら週末というのは、登校している人数の関係で、時間はあるものの効果は平日とあまり変わらない。それなのに、西ノ宮にやられて、茜さんの策略があって、綾女ちゃんの躍進があって、かなり密度が濃かった。一次の時とは違い、明確に敵が見えているというのは、かなり大きい。常に勢力図をインプットして置かないと、戦うべき時、きちんと戦えない気がする。 「にしても矢上先輩、大丈夫かね」 人様のことを心配していられる身分でも無いが、かなり悲惨な状況になっているのは同情を誘う。綾女ちゃんにやられた後、ある程度の間を置いて、西ノ宮に粉砕され、更にその直後、二階堂先輩にも負けていた。二次ではこの様な場外乱闘的な討論が名物になるのだけど、強制では無いから、退き際も重要だ。決して心証は良くないが、ボロボロに負けるのとは比べるべくも無い。その判断も出来無い状態ってことは、本格的にやばい状況なのかも知れない。 ちなみに俺らが狩らなかったのに深い意味は無い。綾女ちゃんの食い残しを漁った所で、大したプラスになるとは思えないし、西ノ宮が狙っていたので退いておいただけのことだ。流石に、一日に二度同じ相手に負けるのは、心情的にも形勢的にも、絶望的なものになりかねない。挽回の機会はまだあると、俺と岬ちゃんの意見が一致した訳だ。 「さて、と」 平日の選挙時間が朝七時から夕方六時なのに対し、土日は朝八時から夕方五時と前後が一時間ずつ削られている。それ故に、肉体的にはともかく、精神的なゆとりがある。この一時間をどう扱うかは各陣営それぞれらしいのだが、俺らの場合は気分転換に充てることにしている。円熟のベテラン政治家ならいざ知らず、二週間近くを無呼吸で走り切るのは、あまり効率的とは言えない。特に明日を挟んでの月火は最終決戦だ。蓄える時に蓄えておかないと、力を出し切れずに終わる可能性だってある。それは幾らなんでもやりきれない。 「先輩、どうします?」 「あー、何か久々に本屋に行きたい気分だな。新刊のマンガが出てるかも知れないし」 「じゃあ、皆で行くことにしましょう。先輩は死角に入らない範囲で行動して下さい」 「へいへい」 何とはなしにおざなりな返事をしつつ、俺達は件の場所へと向かうのだった。 学園最寄のステーションビルにある書店は、全国規模で展開している大手チェーン店だ。蔵書数ウン十万冊とやらを売りにしており、そのジャンルも幅広い。まあ、図書館と言える化物的読書空間を持ってる俺らにしてみれば、そんな足繁く通う場所でも無いが、仕事帰りのサラリーマンとかでそれなりに繁盛しているらしい。撤退されたら撤退されたで困るなぁとは、名も無き小市民的意見だが、本物の政治家ともなると、そんな曖昧なことではいけない訳か。やれやれ、政策を押し通すのも楽じゃ無さそうだ。やっぱ、まともな神経の人間には出来なさそうなお仕事だね。 「でも、茜さんや岬ちゃんは、この世界に身を投じるんだよな」 何が善く、何が悪いかなんて分からない時代だ。薄っぺらい批判や、中身の無い評論なんかじゃない、はっきりとした道を指し示さなくちゃいけない立場なんだ。特に茜さんなんか、最終的には政治家そのものになることが目標だとも聞くから、大変だとは思う。唯、あの人の場合、少なくても神経が真っ当じゃないことだけは保証されてるから、その点だけは心配なんてしてない訳だが。 「ん?」 ふと目に留まったタイトルが気に掛かり、手に取ってみる。背に『日本という国の在り方』と印刷されたその本をパラパラと捲ってみると、これが中々面白い。思想の押し付けがキツイ部分もあるけど、政治学的、経済学的、社会学的、それぞれの見地からこの国をどう形成し、世界の中で関わっていくべきかを書き記している。 『日本人というのはとかく宗教というものに大らかであるが、それも善し悪しである。一つの事実としてそれを認識しないことは、いつの日か必ず歪みをもたらすであろう』 むぅ? 何かどっか身近に似た事例があった気もするが、気のせいか。まあ明日の幸せの為にとりあえずは目を瞑っておこう――って、この姿勢がダメなんじゃん! 「あ、何か面白そうなの読んでるね」 俺と同じく、店内をプラプラしていたりぃに遭遇した。 「何だ、この本、知ってるのか?」 「結構、売れてるらしいよ。小難しくなりがちなこの手の話を、コミカルに書いてあるって友達も褒めてた」 ほう、そんな一品なのか。中々感心な作者だな。この御時世、如何に分かり易く政治を説くかが重要になってくる。基本、政治を難しくしているのは、下手に参加させたくない政治家本人だとは言うが、それに真っ向から挑むとは好感が持てる。 「えっと、作者は――」 これを機に憶えておくことにしよう。もしかしたら近々、大ブレイクするかも知れない。 「マダー=チェリー……何処の国の人だ?」 てっきり日本人の教授先生辺りが書いたものだと思って、面食らってしまう。だけどおかしいな。訳者の名前も無ければ、筆者紹介もそっけない。もしかすると、日本に長年住み着いているのか、単にペンネームか。幾ら考えたところで憶測の域は出そうに無いので、とりあえず思考は打ち切った。 「ねぇ、公康。ひょっとして将来、政治家になるの?」 「はぁ?」 あまりに飛躍しすぎたその言葉に、頓狂な声を上げてしまった。 「だって、生徒会長になるなんて言い出したり、本気になって一次を突破しちゃったりしてさ。面白いから付き合ってるけど、先のことも気になってみたり」 「お前なぁ。俺が後先考えず行動するのはいつものことだろ」 何の自慢にもならない気もするが、まあ事実だし。 「公康さえ良かったら、私、一生懸命勉強して秘書になっても良いけど」 「だから、何でそこで話が飛ぶんだ」 この年になるまで、将来のことなんて二回しか考えたことの無い俺だぞ。一度目は野球選手になって江夏豊(元阪神)の年間奪三振記録四百一を塗り替えるで、二度目はネットビジネスの波に乗り二十代で楽隠居だったか。どっちにしても、一瞬思っただけで、具体的に何らかの努力をした訳では無いのだけれど。 「だって良いじゃん、政治家秘書って、何か格好良さげで」 「阿呆。名前の響きで職業決める年でも無いだろ」 夢を見るには、相応の覚悟が必要だ。単なる憧れや思い付きなら、きちんと止めるのが友情というものだろう。 「仮に本気で言ってるなら、岬ちゃんに頼んだ方が現実的だな。色々と人脈もあるだろうし、将来有望な人を紹介してもらえるかも――」 「むぅ」 何故にそこでむくれる。 「あのね。私は、公康の秘書になりたいって言ってるの」 「はっきり言っておくが、俺の下で働くなんて酔狂な真似はやめておけ」 人生捨ててるってのと等号になるぞ。 「もう、良い!」 ぷいっとそっぽを向いてりぃの奴は歩き去っていった。はて、何か怒らせる真似をしたか、俺。あの程度の軽口や悪口はいつものことだし、何だか良く分からんな。 「っと、この本、どうすっかな」 文庫本だから、そんな値の張るものじゃない。だけど、水曜までは熟読する暇なんて無いだろうし、別にそれからでも良いんだが――。 「ま、本ってのは一期一会だからな」 探せば図書館に置いてあるかも知れないけど、一つの敬意だ。それに、水曜までに売り切れて絶版になってる可能性が全くの零って訳じゃない。買える時に買っておくというのが正しい姿勢だろう。 「毎度おおきに〜」 ついでになるが、売り子さんの有り得ない程コテコテの関西弁に、顔が引き攣ったのは、俺だけの秘密だ。 「んじゃ、今日もお疲れさん」 いつも通り、俺は改札を抜けた所でりぃに別れを告げた。四人の中で唯一、家の方向が違うのだから当然のことなのだが、何か、今日はいつにも増してむくれてる気がする。 「むぅ」 だから、俺、何かしたか? 記憶の何をどう弄くり回しても心当たりが無いので、対応に困ってしまう。 「決めた」 どういう自己完結があったのか、唐突にりぃは声を上げた。 「決めたって、何をだよ」 「私、今日から公康の家までついてく」 はい? 「何だよ、いきなり?」 「いきなりじゃないよ。私、前にも一回提案してるし」 あー、そう言えば遊那が護衛に付く時、そんなことを言ってた様な? 「だけど、えらく遠回りだろ」 って言うか、ここから俺んちまでの往復を丸々追加する訳だから、倍以上の時間が掛かるんでは無かろうか。 「遊那も何か言ってやれ。護衛の対象が増えるのは厄介だろ」 「いや、椎名の戦闘力は常人を凌駕しているからな。足手纏いになる可能性はかなり低い」 「……」 もしや俺、火に油を注いだ? 「とにかく、決めたんだからね。あとたった四日のことだし、ダメだって言っても聞かないから」 「でしたら、私もついていきます。人数が多い方が、相手も手を出し難いでしょうし」 「はぁ」 よくよく考えなくても、別に俺の面倒事が増える訳では無い。純粋に悪いなぁと思って反対してただけなので、ここらで折れておかないと、こっちが悪者になってしまいかねない。 「オーケー、オーケー。旅は道連れ、世は情。朝夕両手に華ってのも、悪くないかも知れん」 冷静に分析すると、御近所さんにえらく軽薄な印象を与える気もするが、深く考えないでおこう。 「ほいじゃま、行こうか。そろそろ電車来るし」 「うん!」 何が嬉しいのか、りぃは妙に明るく同意した。ま、これもまた良いか。元来、収拾が付かない位に騒がしい方が好きだ。遊那と二人きりってのは、それはそれで悪くないが、こっちの方が俺のペースだろう。選挙期間は残り三日。ここは一つ、俺らしく行くというのは悪くない。 そんなことを頭の中で思いつつ、俺らはホームへと降りていった。 莉:岬ちゃんは、公康のこと、どう思ってるの? 岬:は、はい? い、いきなり何ですか!? 莉:いや、政治家としての可能性って言うか。専門家から見てどうかな、って。 岬:あ、あ〜、そっちでしたら、それなりにあると思いますよ。 お姉ちゃんが食指を動かすなんて、有りそうであまり有りませんし。 莉:ふ〜ん。じゃあ、私の目も、まんざらじゃないってことだよね。 岬:何か言いましたか? 莉:う、ううん、な、なんにも。 岬:?? 莉:という訳で、次回、第十七話、『闇薙ぎの埋葬者』。 莉:もう、突っ込むのにも疲れました。
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