「ぼへー……」 「七原先輩、しっかりして下さい!」 「ぐけー……」 「まるで粗大ゴミだな。市指定のシールを貼って、水曜に所定の場所へ運ぶとするか」 「いや、それは完全な不法投棄だから」 こらー。何だ、そのツッコミはー。ツッコミってのはなー、ツッコミってのはもっとこう……何だっけ? 「完全な腑抜けと化したな。しかし本番でこうなることを考えれば、今負けておいたのは、悪いことでは無いかも知れん」 遊那が言っているのは恐らく、二次投票前日、残った候補者全員で行われる討論会のことだろう。たしかに、あそこで今回の様に完膚なきまでに叩きのめされると、俺の様な弱小候補は挽回の機会が皆無になると言って良いだろう。良し良し、前向きに考えよう。今回の一件は予行演習。失った数十人分の信頼は、授業料。そうさ安いもんさ、ははは。 「ばふぉー……」 「ああ!? 先輩が又、壊れた!?」 ううう、ポジティブになんかなれるか! うちの学園は女の子の方が多いんだぞ。可愛い子もたくさん居たんだぞ。軟派と言われようとも、このブロークンハートは修復不能な領域にまで来てるんだい。 「うう、こんなんじゃ活動なんて出来無いよ。遊那ちゃん、どうしよ〜」 「それを考えるのが選挙参謀だろう。素人に頼るな」 「流石にこれは想定して無かったよ〜」 あー、何か気持ち良くなってきたぜ。このまま皆でトリップしようぜ、ゲハハハハ。 「ねえねえ、皆。体育館の前に、人だかりが出来てるよ」 ふと、斥候に出ていたりぃの声が聞こえた。 「椎名先輩、良い所に戻ってきてくれました。七原先輩が使い物にならなくなってしまったんです」 さりげに人聞きが悪い気がするのは、俺だけだろうか? 「そういう時はね、延髄のちょっと上の辺りを全力で叩くと直るよ」 「成程。旧型のテレビや洗濯機と同じ理論ですね」 「手加減しちゃダメだよ。こういう時の人間は物だって思わないと。見ててね、こうやって右腕に全精力を込めて――」 ブォン。空を切り裂く音がした。幸い、すんでの所で、身体を前屈みにして躱したけど、絶好調時は大理石さえ砕くと言われるりぃの鉄拳だ。頭蓋骨陥没、脳震盪、脳挫傷、脳内出血のフルコースが味わえたことだけは間違い無いだろう。 「お、お前、俺を殺す気か!?」 言うまでも無いが、良い子の皆は真似しちゃダメだぜ。公康君との約束だ。 「何だ、元気じゃん」 人間、死に直面すると、何は無くとも生命維持にエネルギーを使うものだというのを実感した。 「んで、何だって」 「うん、体育館の方にかなりの人が集まってたから、御報告」 「何の集団だったんだ?」 つっても、この時期に選挙以外で盛り上がるものも無い訳だが。 「んー、多過ぎて良く分かんなかったけど、演説だと思うよ」 どうにも要領を得ないな。調査部隊として頂けない気もするが、俺がそれ以上にダメダメな状態だから何とも言えない。 「ま、行ってみれば分かるか」 正直、この場に留まっているのは少し辛い。気分転換がてら、他の連中を見ておくのも良いだろう。何にしたって、俺以外は五人しか居ないのだ。誰もが明確なライバルと言えるこの状況で、情報収集は基本だからな。そう自分に大義を作ると、俺らは体育館に足を向けた。 道すがら、歩を進める度に人の密度が濃くなってることに気付く。休日である今日、登校している生徒は、せいぜい数百人だろう。それでも尚、これだけの人が居るということは、相当の集客力があるということだ。しかしこういう人だかりを見ると妙に心が弾んでしまうのは日本人ならではなのかね。海外でも行列の出来る人気店というのはあるのかと、どうでもいいことを思ってしまう。 「そういや、今年は花見に行かなかったなぁ」 何だかんだで、季節はもう初夏に近い。葉の色も、柔い薄緑から、全体的に力強さを増している。こういう風情も悪くないが、来年はこの面子で桜を愛でたいな。人込みの中でバカみたいな話をしながらドンチャン騒ぎ。もちろん、ちょっとばかりアルコールも入れたりして――生徒会長を目指す連中がそんなことをしたらダメですね、ごめんなさい。 でも、その前に、夏は海水浴に行きたいなぁ。プールでも良いけど。秋は紅葉狩りして、新年は初詣とか。そういえば茜さんは進路どうするのかな。あの人でも卒業式に泣き出したりするのか。うむむ、地味に謎だぞ。今度、機を見て岬ちゃんに聞いてみよう。 「ゆ、遊那ちゃん。先輩、大丈夫かな」 「そろそろ潮時かもな。次の雇われ先を探しておくとしよう」 「二人共、何言ってるの。公康にとってこの程度、誤差範囲じゃない」 女性陣が何やら言っているのが耳に届くが、敢えて聞き流すことにしよう。 『――だから、こういうことなのよ』 『成程、そうだったんだ』 ふと、聞き覚えのある声を耳にした。大勢の人達のざわめきや笑い声に紛れている為に分かりづらいが、やや鼻に掛かる柔らかい女性の声と、声変わりが微妙な男のそれだ。茜さんと千織のものだと理解したのが、その数秒後。あの二人なら、これだけ人を集められるのも理解は出来るか。 「つっても見えないことにはなぁ」 文字通り、声はすれど姿は見えず。人垣が壁となって、今一つ視界が利かない。ううむ、あと二十センチくらい上背があれば何とかなるんだが、筍じゃあるまいしそこまでの急成長は望めない。何かを踏み台にするのが無難な選択だな。 「遊那、四つん這いになれ」 「ほう、本気で言ってるんだな」 これだけ人が居る中で銃口を向けるのはやめて下さい。俺の評判にまで響きます。 「先輩、良い物がありました」 何処から運び出したのか、岬ちゃんはビールケースを二つ持ってきてくれた。園内だから多分、ビンジュースのそれなのだろうけど、これの名前は永遠にビールケースなのだろう。 「サンキュ、岬ちゃん」 バランス的に、一つに一人乗るのが精一杯か。順当に、俺と岬ちゃんが先に見ておいた方が良いだろう。俺は適当に座りの良い場所を選ぶと、片足を掛け、一気に乗り上げた。 「だから、残りは後六人だから、事実上の決戦投票状態って言って良いわよね」 「そうか〜。別に、一次投票の結果で有利不利がある訳じゃないんだね」 「そうそう、六人のスタートラインは一緒だし、別に一次投票と同じ人に入れなきゃならないものでもないから」 「水曜日までにじっくり考え直そうってことだね、茜さん」 「こら、この場では先生でしょ」 「あ、そっか」 ここでどっと笑いが起こる。体育館と購買の中間辺りで、勉強机とホワイトボードを並べて教師コントをしている様は、何処のアットホームドラマかと突っ込みたい所だ。しかし、この場で口にすると、単なる個人攻撃になってしまうので抑えておく。 「ところで千織君は、白票をどう思う?」 「んー、一つの選択肢だとは思うよ。入れたい人が居ないっていう意思表示ってことだろうから」 「でも、生徒会は誰かの手に依って運営されないといけないでしょう。本当に高潔な理想を持っているなら立候補をすべきだし、その力が無いんだったら、誰かにきちんと託すのが正しい姿勢だと思わない?」 「その考え方も一理あるね、茜さん」 「も〜、千織君、わざとやってるでしょう」 「てへへ」 む、むむ。この寸劇、一見すると安っぽい三流ドラマ仕立てだが、ボケツッコミのタイミングといい、天丼と呼ばれる笑いを繰り返す技法といい、中々勉強になるぜ。 「先輩、全く以ってどうでもいい所を感心してません?」 岬ちゃん、人の心を読むのはやめた方が良いぞ。 「しかし、随分、中身の薄いことを喋ってないか?」 誹謗中傷になるといけないので、岬ちゃんに耳打ちする形で意見を述べる。今ここには百人以上の人が居るだろう。ここで政策と基本理念を述べればそれなりの宣伝になるだろうに、さっきから延々と選挙の一般論を続けている。はっきり言えば、もったいないと思える。 「先輩、今日の曜日、分かってますか?」 「……は?」 な、何だ。俺、そこまでボケてると思われてるのか。それとも、逆にここでボケ倒して、茜さん達に対抗しろということなのか。しかし空気的にも、精神的にもそれを出来る状態では無いので、とりあえずまともに答えておこう。 「土曜日だ」 「二次投票は水曜です。そして火曜日に公開討論会がありますから、言い換えればその前はたったの三日しか無いんです」 「いや、だったら尚のこと、ここの人達を大事にした方が良いだろ」 数少ない機会だ。一期一会という言葉もある以上、このチャンスを逃すのは理解し難い。 「一般の国政地方選挙だったら、そうしたかも知れません。殆どの聴衆は二度と同じ候補の前に立たないでしょうから。ですが、学園内の閉鎖的な空間では、火曜日を含めた四日の間に、何度となく遭遇します」 「つっても、今ある機会を逃す理由にはならないだろ」 あの食虫植物みたいな茜さんが、こんな状況を放置しているのが、どうしても納得出来無かった。 「分かりませんか? これは、撒き餌です」 真面目な顔をして、岬ちゃんは言い切った。 「考えてみてください。幾ら百人以上居ると言っても、全体から見れば十パーセント未満です。同じことを延々繰り返して認知させるのも作戦でしょうが、非効率的ですし、バカの一つ覚えの様な印象を与えます。それに土日は何だかんだで登校しない人の方が多いんですから、効率性という観点では、更に下がることになります」 ここで一拍取って、少し息を吸った。 「あくまでこれは、触りの部分なんです。ここに居る百人に、『桜井茜と舞浜千織が何か面白いことやってるぞ』と思わせて、口コミで広めさせる。そして、ほぼ全ての生徒が登校している月曜と火曜の昼休みか放課後に本演説を行えば、二回か三回の上演で、かなりの人数にメッセージを送れます。最低限の労力で最大限の結果を残そうとするのは、参謀として基本中の基本です」 あくまでこれは、学園という狭いコミュニティに於いて、情報が短時間で行きかう為に有効な手法だと付け加えてくれる。 「ここまでお姉ちゃん達は、出来る限り派手な演出を避け、地道に顔と名前を憶えさせることを優先させてきました。残された四日の選挙期間に暴走気味の手段を講じたとしても、有権者は飽きること無く付き合いきってしまう可能性が高いです」 「千織君、良く出来ました〜。撫で撫でしてあげるね〜」 「わーい、ありがとう、茜さーん」 ここでまたしても、どっと笑いが起こる。や、やばい、結構受けてるぞ、この漫才。千織の奴、あれで甘えキャラの美少年で通せる顔付きなだけに、女子に対しての印象だって悪くない。下手をすれば、ここから爆発的に票を伸ばして、過半数を取ってしまう可能性だって無くも無い気がしてきた。 「――!」 何気なく舞台を見遣ると、茜さんと目が合った。今のキャラクターや、普段のおっとりさからは想像もつかないくらい挑戦的な瞳だ。それはほんの一瞬のことだったのだが、言いたいこと何となく分かる。『私の策はこれだけじゃないわよ』と『勝ちたいなら本気で掛かってきてね』。未だ、何の為に参戦したのか良く分からない人だが、生徒会長になるつもりなら、乗り越えなければならない壁であることは確かだ。俺は、気合を入れ直すようにして、両の掌で頬をしばいた。 「岬ちゃん、ボケてる場合じゃないってのが良く分かった。俺みたいな素人候補が勝とうと思ったら、何度だって砕ける覚悟が無けりゃ無理だ。俺は、走り続ける。だからその背中を、支えて欲しい」 「元よりそのつもりです」 覚悟を決めたと言葉にするのは容易い。俺はこの先、何度と無く迷うかも知れない。それはきっと、岬ちゃんやりぃも同じだろう。だけど、道を歩むと決めたからには、もう退けない。俺は意を決してビールケースから飛び降りると、聴衆を背に、その場を後にした。 茜:うふふ。選挙はここからが本番なのよね。 岬:って、お姉ちゃん。二年前は一次で決めたから、二次は初めて――。 茜:あら〜、何か言ったかしら? 岬:いや、言うだけ無駄だからやめておく。 茜:それでこそ、賢明な岬ちゃんよね。 岬:褒められてるのかどうか、物凄く微妙な訳だけど。 茜:何はともあれ、次回、第十五話、『覚醒する魔獣』。 岬:私は一体、いつ活躍するんでしょう。
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