「やぁ、岬ちゃんに遊那、お早う。今日も気持ちの良い朝だね〜」 土曜日早朝、今日も元気にやって来てくれた二人に、俺は開口一番、そう言い放った。 「こちらとしては、お前が一番気持ち悪い訳だが」 「ハハハ。遊那ってばお茶目さんなこと言ってくれるね〜」 普段はそっけないのも、可愛く見えるぜ。 「ど、どうしたんですか、先輩。何かキャラが違いますよ」 「どうもしないさ。朝というのはそれだけで希望に満ちているものなのさ」 嗚呼、朝日って眩しい。明けない夜は無いと良く言うが、正にその通りだ。人生、明けの明星に宵の明星、常に希望を持って生きねばならない。自分でも何を言っているか分からなくなっているけど、そんなのは些細なことさ。 「昨日の奇跡的当選で、頭の配線がショートしたと見るのが妥当だな」 「でも、帰りは普通だったよ?」 「パンチドランカーだって、試合の直後からおかしくなる訳じゃないさ」 ええい、好き放題言いおって。だが、今日の所は全て水に流そう。ラブアンドピース、人類平和が一番さ。 「まあ、要はあれだ。どうせ一晩経ってようやく実感が沸いて来たという所だろう」 「オー、ジェニファー。君は何でもお見通しだね」 おっと、いけねえ。ついネイティブな発音をしちまったぜ。生まれも育ちも親戚縁者に至るまで、全てチャキチャキの関東人なのだが、あまり気にするな。 「そろそろうざったいな。そのテンションを、これ以上維持するなら撃つぞ」 言って遊那は、上着の内ポケットから愛用のデザートイーグルを取り出すと、こちらに突き付けてきた。 「ふ〜、その態度はボディガードとしてどうなんだと――」 パンッ。躊躇も躊躇いも無く、遊那は指に力を籠めた。遷音速まで加速されるという銃弾は、背後の壁にめり込み、その生涯を終える。お、お前、本当に撃つ奴があるか! 「目は覚めたか。あまり受かれているのも、時間の無駄だ」 「はひ、肝に命じさせて頂きます」 こうして、俺の爽やかな目覚めは、一瞬にして砕け散った。ついでになるが、母さんと兄貴が何事かと飛び出して来たけど、すぐさま逃げ出したから関係無いことにしてくれ。 「いや、さっきは少しはしゃぎ過ぎた。反省している」 校門まで来た所で、二人に向けて謝罪した。 「あれで少しと言える先輩は大物だと思います」 いや〜、そんな褒められても困るぜ。 「にしても、な」 何だか、閑散としている様に思えた。今までは最大で十九人、スタッフを含めれば百人近く居たであろう人の群れがそこかしこを走り回っていたのだ。それが一次を終えた今、残った候補は三分の一以下の僅か六人。有権者の取り合いは相当に減るだろうが、ここから求められるのは密度の濃い時間だ。六人の誰が脱落しても有利になるのだから、露骨な蹴落としが行われる可能性もある。能天気で居られるのはここまでだな。気を引き締めると致しますか。 「ん?」 視界に、見覚えのある女の子が入った。切れ長の瞳と整った顔立ちは理知的で、又、僅かに色の抜けた直毛を肩口で切り揃えている様は誠実な印象を残す。スタイルは、モデルと見紛うばかりのものだが、凛とした空気が艶かしいと言うより、近寄り難い雰囲気を醸し出していた。俺は、皆に一声だけ掛けて、その子の所へ足を向けてみた。 「よぉ、西ノ宮。一次突破おめでとさん」 「ありがとうございます。七原さんもおめでとうございます。これからは近しいライバルとなりますが、どうぞ宜しくお願い致します」 『冷涼なる論客』、 「ところで、一つお伺いして宜しいでしょうか」 「は、はい」 ダメだ。この子に見詰められると、妙に萎縮してしまう。純粋な意味での攻撃性は綾女ちゃんの方が上だろうが、政治家としての総合的な雰囲気では西ノ宮に分があると思う。そこは昨年十一月期に、新人でありながら一次を突破した経験が物を言うのだろう。二年生最強候補と呼ばれ、ここから三期連続での当選を目指すであろう彼女の意気込みがそうさせているとも言えるが。 「んで、質問ってのは?」 「七原さん。あなたは、生徒会長に学園を変える力はおありだと思いますか?」 妙な質問だと思った。立候補者全員が、とまでは言わないが、生徒会長という役目には力があり、そこに自分が収まることでやりたいことがある奴が多数派だと思う。もちろん、お祭りに乗りたいだけの奴も居るが、仮にそいつらが当選したらしたで、それ相応の学園になるのだと思う。だから俺は、はっきりと返答した。 「ある種、根源的な問いだな。言葉を変えれば、誰がなっても大差無いってことで、俺らから選出する行為も意味が無いってことだ。それは民主主義って社会体制にまで及ぶ根の深い問題になる」 今の社会が世界の理想的な形と言えるかは分からない。だけど、人の意思が声になるこのシステムはそれなりのものだとは思う。優秀な人材に依る独裁が政治の理想形だと言われるが、権力は必ず腐るものだ。だからこそ皆は無力感を持たず、自分の頭で考え、政治を監視し、票を投ずべきなのだ。つまり正しくは、生徒会長に力があるのではなく、その候補を選んだ有権者が力を与えたってことだ。何のことは無い。最後に辿り着くのは至極単純な結論だ。 「生徒会長という椅子に力は無い。だけど、もしそこに何らかの意味があるとすれば、それは有権者が与えたものだ。腐敗が起こったとしても、それはちゃんと見守ってなかった方にも責任がある。望んでいる答かは分からないが、これが俺の本音だ」 もちろんこれは、政治体制が国内で完結する理想的な国家が前提で、現実には外交的な問題もある訳だが、少なくても日本はかなり融通が利く。生徒会長なんてのは更に狭い空間での長なんだから、把握出来無いって方がおかしい。前任の大村先輩だって、それがバレて続けられなくなったんだ。民主主義は決して無力じゃない。そうじゃない世界なんてのは、少し悲しい。 「成程、仰りたいことは分かりました」 ふと気付く。西ノ宮はその切れ長の双眸を更に細めてこちらを見据えていた。やば、こいつ、戦闘モードに入ってやがる。 「あー、わ、わりぃ。俺、皆を待たせてるから、これくらいで」 三十六計逃げるに何とやら。こんな所でボコボコに熨されて戦意を削がれるのは得策じゃない。 「宜しいのですか」 「何がだよ?」 問われていることが分からず、きょとんとしたまま返してしまう。 「相応の聴衆が集まっています。ここで退くのは、逃げだした様で印象が悪いですよ」 見てみると、俺らの回りには二十人かそこらの人垣が出来ていた。最終的に、数票が勝負を決しかねないこの戦況で、初っ端から蹴躓くのは拙すぎる。 「ったく、論客の称号は伊達じゃないな」 弁論で必要不可欠なものの一つに、相手を土俵に引き摺り出す手腕が上げられる。高潔な理想や明確な政策も重要だが、政敵にのらりくらりと躱されている様では話にならない。相手を逃げ出せない状況に追い込み、叩ける時は確実に叩く。兵法にも通じる基本戦略だ。自分以外に残っているのが僅か五人のこの状況で、西ノ宮は個別撃破することにした訳か。こりゃ、下手に声を掛けた俺が迂闊だったみたいだな。 「ところで七原さん。先程あなたは、政治腐敗が起こった場合、それは有権者にも責任があると仰いましたが、本当にそうなのでしょうか。現職の大村会長は、スキャンダルで立候補を辞した訳ですが、それも投票した生徒達の責任だと?」 「だってそうだろ。選挙期間は二週間もある訳だから、直に接する機会は何度と無くあったはずだ。それでも尚、先輩を選んだ以上、その責任は俺らにもある。大事なのは、再選させないことで、監視されていることを意識させることだ。政治家だって人間だから堕ちる時はある。だけどそれを見過ごす国民であってはいけない。その類の奴らをのさばらせない為にも、今の時期に立候補を取り下げたのは、結果として良いことだったと思う」 あの一件をリークしたのが岬ちゃんだというのは、一般には知られていない。俺達以外では、茜さんと千織くらいか。他の陣営でも掴んでいた奴が居たという話だから、牽制し合うためにも、ここは伏せておいた方が良いだろう。 「つまり今回は、『たまたま』明るみに出てくれた為、浄化出来たと言うのですね」 「西ノ宮にとっては偶然なのか? 俺としては、学園という組織の自浄作用が働いたと思っている訳だが」 半分は建前、半分は鎌掛けで問うてみる。西ノ宮が元々、何らかの情報を握っていたとすれば、少なからず動揺するかも知れない。だけど彼女は、眉根一つ動かさず、淡々と言葉を続けた。 「私の考えは少し違います。単純に、大村先輩は生徒会長になるべきではなかった。この役目を担うのであれば、清廉潔白に職務を成し切らなくてはいけないのです」 「いや、それは――」 『究極の理想論だろ』と続けようとして遮られた。 「七原さんは先程、人は堕ちるものだと仰いました。たしかにそれは事実かも知れません。ですが私には、それを言い訳にしている様に聞こえました。失礼ですが七原さん自身、覚悟を持って臨んでおられないのでは無いのでしょうか」 完全なる論点のすり替えだが、そこを衝いただけでは言い訳を重ねている様で心証が悪くなる。窮地を脱しようと、もがく様にして反論を構築した。 「その言い分は、有権者をバカにしてるとも取れるぜ。俺に覚悟が無ければ、それは底を透けさせる。半分運だったとしても、この場に残ってるなんてのは有り得なかったはずだ」 仮にも俺は、西ノ宮と同じ一次投票通過者だ。彼女にとってもこれ以上の追撃は、自らをも傷付けることになるだろう。後は引き際さえ見極めれば、何とか乗り切れる。俺はそう読んで、西ノ宮を見詰め返した。 「では問います」 途端、空気が変わった気がした。今の今まで、春の柔らかな陽射しが照っていたはずなのに、まるで冷蔵庫の中に放りこまれたかの様に、全身が身震いした。何だ。何でいきなりこんな――。 その発信源が西ノ宮だと気付いたのは、時間にして数秒後だろうか。だけどその僅かな時が、俺には永遠の時にも感じられていた。 「七原さん。あなたは何故、立候補の前後で述べていることが変わっているのですか?」 二の句を、継げなかった。もう、誰もが忘れていると思っていた。岬ちゃんと出会う前、正式な立候補をする以前の演説会で、俺はかなり適当なことを喋った。ビデオが回っている訳でも無い、顔見せ程度の場だ。だけど西ノ宮は、それをきちんと記憶し、更には攻撃材料として構成していたのだ。甘く見ていた。俺は、本気で生徒会長になろうという連中の意気込みを、甘く見ていた。 「結局は、耳障りの良い言葉だけ並べて、当選することを優先させたのではないですか」 何も、反論をすることが出来無い。言葉は頭の中をぐるぐると回るのだが、それを構成することが出来無い。しかし、仮に口にしたとしても、それは空虚なものとして、溶けて消えるだけだろう。俺は頭を垂れたまま、唯、西ノ宮の弁論を聞き入れ続けることしか出来なかった。 これが、俺にとって初めての、絶対的敗北となった。 公:やべえ……普通にダメージがでかい。 綾:相手が悪すぎましたわね。西ノ宮さんと言えば、 弁舌で右に出るものは無いと言われる程の論客ですのよ。 公:俺も噂にだけは聞いてたが、完全に油断してた……。 綾:私と致しましては、この程度で脱落して貰っては困りますわよ。 公:ああ……何とか頑張ろうと思う。 綾:では次回、第十四話、『桜井茜始動』ですわ。 公:何だか次も、食われそうな気がする。
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