邂逅輪廻



『それではこれより、第一次投票の結果を発表させて頂きます。皆さん、メモの御用意、並びに心の準備は宜しいでしょうか。はぁ、それに致しましても私、この大役に身が引き締まる思いと申しますか。そもそも、どの様な御縁でこの場に立っているかと申せば、今を遡ること四日前。管理委員会の雑務だったこの私に――』
『って、あんたの話は長いのよ!』
『オーケー、オーケー。マイスイートハニー。差し当たり、岩盤さえも絹ごし豆腐の様に砕いてしまうその手刀は引っ込めてくれ』
『誰があんたのハニーよ!』
 スピーカーから流れてくる、夫婦漫才もどきにどう反応して良いか分からず、とりあえず頬を掻いてみた。つうか、仮にも公的機関が公共施設を使って、こんなことをしても良いのかと思わなくも無い。
「何にせよ良かったな、りぃ」
「何がよ?」
「あの相方の女の子なら、お前と熱いバトルが繰り広げられそうだぞ」
 うんうん。如何なる競技であっても、好敵手が居ないというのはつまらないからな。『雷獣の落とし子』と呼ばれ、その拳で地域社会を牛耳るりぃにしてみれば、力とは只、虚しい存在なのだろう。しかしそれも今日まで。君には輝かしい未来が待っているのだよ。
「はぁ〜……ふぅ……」
「頼む。本気で呼吸して、気を練るのはやめてくれ」
 何とか躱すとしても、掌底で黒板とかを落とされたら洒落にならん。
「ふう。困ったものだな」
 おお。そうだ、遊那。言ってやれ。
「スピーカーの二人、ボケツッコミのタイミングというものをまるで理解していない」
 そっちかよ!?
「遊那、落ち着いてるね」
「まあ、私にはどっちでも大差は無いからな。そういう岬はどうなんだ」
「私は選挙参謀の娘だよ。こんにゃころ位で――」
 マシンガンガールの異名を持つ岬ちゃんが噛むとは。想像を超える緊張状態の様だ。
『えー、それではそろそろ発表させて頂きます。皆さんも御存知の通り、この投票は上位候補者の得票率が六十パーセント未満に収まる様、当選者が選出されます。総和が〇.一ポイントでもオーバーした場合、落選となりますので御了承下さい』
 ああ、分かってる。何度と無く復習して、頭の中にこびり付いてるんだ。一票足りなくて負ける夢なんて、もう見飽きたレベルだぜ。
『総得票千七百二十二票、白票、無効票合わせて百十票、よって有効票千六百十二票――』
 女の子が事務的に読み上げる数字が、心拍を増してくれた。ちっ、何でこんなにも、なんだよ。
『第一位、矢上春樹候補、得票率十三.三ポイント、得票数二百十四』
『永遠の生徒会長候補が、堅実に纏めて来ましたね。最大のライバルと思われた大村君が突然、立候補を取り下げた為、この結果は順当とも言えるでしょう』
 いきなり、男の方が解説者役になっていた。何だ、この二人。もしや本物の漫才師なのか?
「矢上先輩が来ましたね。二年前、お姉ちゃんに負けて以来不運続きだったんですけど、人気と実力は本物です。今回が最後なだけに、背水の陣で挑んでくるでしょうし、同情票も集まり易いです。第一の難敵と考えて然るべきでしょう」
 たしかに、総合力という観点では矢上先輩が一番だろう。知名度、演説能力、組織力、カリスマ性。どれを取ってもそつが無い。同時に、決定的なものも無い為に引き離されずに済んだ訳だが。いずれにせよ、一位は一位だ。
『第二位、一柳綾女候補。得票率十一.七ポイント、得票数百八十八』
『一年生ながら彼女は良い候補ですよ。人脈が薄く、技術的に拙い部分も多いですが、熱意と人を惹く天性の魅力がある。投票する人はちゃんと見ているということでしょうね』
 初めて綾女ちゃんに会った時、本気でこの学園の将来を案じた記憶がある。何しろ、神輿に担がれ、意味不明な筋肉集団と一緒だったのだ。彼女が有力候補だと聞いた時は頭痛がしたものだが、今なら分かる。綾女ちゃんは、立派な生徒会長候補だ。
「そう言えば、あの筋肉軍団、最近見ないけど何してんだ?」
「さぁ。そう言えば、私も見てないかも」
 はて、あれだけ目立つ奴らが忽然と消えるなどということが有り得るのだろうか。まあ、きちんと制服を着ていれば、ちょっと体格が良いというだけで紛れられるのだろうけど――。
『うひょおぉぉ〜!』
『き、君達は何だね。ここは今、我々委員会が――』
『ひょぉぉおぉ!』
 成程、全てを理解した。とりあえず嬉しいのは分かるが、やりすぎて綾女ちゃんの立候補が取り消しにならないことだけ、祈っておこう。
「これで一柳さんが失格になってくれると、とても嬉しいんですけどね」
 流石に、岬ちゃんは容赦が無い。
『ま、真に申し訳ありません。只今、想定外のトラブルに巻き込まれまして――うぁ、ちょっと、何処を触ってるんですかぁ』
 それにしても大変だなぁ、委員会も。
『ぜぇ……ぜぇ……な、何とか事態は収拾致しました。発表を続けさせて頂きます』
『第三位、舞浜千織候補、得票率九.七ポイント、得票数百五十六』
『桜井茜旋風、再びといったところですか。二年前は自身の力を誇示するかの様に一次で決着に掛かりましたが、今回は磐石の横綱相撲を展開しています。二次でどの様な策略を巡らしてくるのか、大変楽しみですね』
「そう言えばお姉ちゃん、一昨年のことを、『若かったわよね〜』とか言ってました」
 十七歳でその老練もどうかと思う。その間、何かあったんだろうか。それはともかくとして岬ちゃん。物真似、似てないよ。
『第四位、西ノ宮麗候補、得票率九.四ポイント、得票数百五十一』
『二年最強候補、ここに在りと取るか、伸び悩みと取るか、意見の分かれる所でしょう。特に同じ二年生である舞浜候補に僅差とはいえ遅れを取っているのは、心中穏やかとはいかないのではないでしょうか』
「ここまでは、ほぼ予想通りです」
 岬ちゃんは、小さくそう口にした。そう、学年最有力候補の三人に、茜さんの飼い犬、千織だ。順位までは分からないにしても、ここまでの結果は、驚くに値しない。
「勝負は、ここからです」
 ここまでの総計が、四十四.一ポイント。残り十五.九ポイントの中に収まるのは、一人か、精々二人だ。
『第五位――』
 名前を読み上げるまでの、僅かなその間が、溜まらなく長く感じられた。
『二階堂優哉候補、得票率八.二ポイント、得票数百三十二』
『あー、まあ、コメントしづらい所なのですが、政教分離は所詮幻想といった所ですか。人に何かを信じる心がある限り、この類の勢力が減ずることは無いでしょうね』
 解説の言葉は、頭を素通りする。残りは、七.七ポイント。残りが十三人も居ることを考えれば、二人が入り込むのはほぼ不可能だろう。次にコールされる名前が俺で、且つこの数字を下回らなくてはいけない。
「七は、ラッキーナンバーですよね?」
 岬ちゃんは歯を食い縛りつつ、懇願するかのようにしてこちらを見上げてきた。
「選挙参謀がそんなゲン担ぎみたいなこと言って良いのか?」
「今日だけは、良いんです」
 御都合主義的な物言いだが、たしかにその通りだ。まぐれでも奇跡でも、ここで突破出来れば何だって良いんだ。
『第六位』
 心臓が、鼓動した。何物にも代え難い緊張感が場を支配し、刹那が劫と思える程の時が纏わり付いた。
『七原公康候補』
 良し、一つ目の山は越えた。後は、七.七パーセントを下回れば――。
『得票率七.八ポイント、得票数百二十六』
 空気が、凍り付いた。七.八ポイントということは総計で、六十.一ポイント。規程の六十パーセントを越えたってことは、二次進出者は五人。俺は、負けたんだ。
「は、はは……」
 乾いた笑いが、口から漏れた。票が少なくてじゃなくて、多くて負けるなんて思いもしなかった。数にすれば、ほんの数票の話だろう。重ねた思いが刃になって、俺へ返って来るなんて、あまりに辛すぎる。
『第七位、若菜由愛候補、得票率六.九ポイント、得票数百十一』
 下位の候補が、読み上げられていくのが、何だか遠くの世界の出来事に思えた。俺だけじゃない。りぃや岬ちゃんも、表情を無くして、唯、立ち尽くしていた。遠巻きに見ていた野次馬その他も、悲痛な空気に耐えられなくなったのか、一人、また一人と去っていく。
「ごめんなさい、先輩」
 掠れるような小声で、岬ちゃんはそう口にした。
「岬ちゃんのせいじゃないよ。本当なら、もっと下に居たはずの俺が、勇み足で負けるとこまで来たのは、間違いなく岬ちゃんのお陰だ」
「でも、お姉ちゃんなら!」
「それは絶対の禁句」
 ペチンと額を弾いて嗜めた。そう。俺の参謀は岬ちゃん以外考えられない。俺がちゃんと選挙に取り組もうと思ったのは彼女が居てこそだし、これ以上無いってくらい尽くしてくれた。これで恨み言なんか口にしたら、バチが当たる。
「りぃもお疲れ。楽しかったよ」
「公康ぅ……」
 いい歳して泣きじゃくるなよ、お前。こっちはこっちで、ボロボロと大粒の涙を教壇に零しては弾けさせていた。見てられなくて、ハンカチとポケットティッシュを差し出したのだが、拭いても拭いても止まる気配は無い。
 あーあ、にしても明日からどうするかなぁ。怠惰な生活に戻るってのも有りだが、折角だから綾女ちゃんか千織のサポートにでも回るかね。しっかし、茜さんも実の妹相手に容赦無いと言うか。考えてみれば、千織が立候補しなきゃ、余裕で受かってる訳じゃん。結果論だけど。
「はいはい。二人共最後まで放送聞こう。遠足は帰るまでが遠足ってね」
 不思議と、沈んだ気分は短時間で消え失せていた。とりあえず締めはきちんとして、皆で残念会だな。幸い、まだそんなに遅くないし、ファーストフード行って、カラオケ行って、ボーリング行って――りぃと岬ちゃんは相当に荒れそうだけど、今日の所は許す。受け止められる分だけは何とか受け止めてやる。
『第十八位、清川庄治きよかわしょうじ候補、得票率〇.二ポイント、得票数三』
『三票とは凄いですね。しかし、過去には一票という候補者も居たんですよ。スタッフはおろか、友達さえ居なかったんですかね〜』
 最後の候補者が発表され、全ては終わった。校舎の至る所で喜びと悲しみが入り乱れて居るのだろう。俺の心に浮かぶのは、俺に応えてくれた人達だ。得票百二十六。俺、頑張ったよな。期待には添えなかったけど、恥ずかしくなんて無いよな。そう自分に言い聞かせて、息を吐いた。それと、綾女ちゃん、ごめんね。俺は残れなかったけど、陰ながら応援させてもらうよ。千織は……まあ良いや。
 委員会の放送は、締めの言葉に入ろうとしていた。俺は顔を上げると、注意をスピーカーに戻した。
『という訳で、二次投票進出は矢上春樹候補、一柳綾女候補、舞浜千織候補、西ノ宮麗候補、二階堂優哉候補、七原公康候補の計六名となりました』
「……は?」
 耳を疑った。今、俺を含めた六人がコールされなかったか? 足し算を間違えるなんてことは考えられない。俺と岬ちゃんとりぃ、三人で計算したんだ。六人の総和は六十.一。本当に、二票か三票の話なのだろうけど、落選は落選のはずだ。
『えー、単純に得票率を足していかれた方は勘違いされたかも知れませんので解説させて頂きます。そもそも得票率は四捨五入された誤差のある数字で、厳密なものではありません。七原候補を含めた六名の総得票は九百六十七。これを有効投票の千六百十二で割りますと、五十九.九八八ポイント――前代未聞のラインではありますが、間違いなく当選しています』
『いやー、私もこの稼業長いですが、こんなことがあるんですね〜』
『あんた、一年生でしょうが!』
 現実を認識できなかった。俺は、受かったのか。また皆と一緒に、走り回って良いのか。荒唐無稽で無作法な感情が、身体の中に溜まり爆ぜては、又蓄積した。
「岬ちゃん……」
 ふと、隣で呆然と立ち尽くす女の子に目を遣り、気付いた。俺は、岬ちゃんの手を握り締めていた。小さく、柔く、実にらしいものだった。やべ、このままでいたら、りぃの鉄拳が――。
「公康!」
「わぁ! ご、ごめんなさい!」
 脊髄反射で謝ってしまった次の瞬間、胸元に衝撃を感じた。それは、俺を吹き飛ばす覇者の豪拳では無く、弱々しい少女の叫びだ。りぃは俺の胸元に飛び込んで来ると、幼子の様に唯、ひたすら泣きじゃくっていた。
「うぅ……えっぐ……うぐ……」
 えーい、落ちても泣く、受かっても泣くんだったら、どうすれば良いんじゃい。
「はぁ。でもまあ、良いか」
 戦いはまだ終わらない。最下位の俺は、一番厳しい状況にあるとも言える。それでも、今日、この時だけは想いを共有しよう。俺は岬ちゃんにそっと微笑みかけると、りぃの頭をクシャクシャになるまで撫で回した。





次回予告
※莉:椎名莉以 岬:桜井岬

岬:あぁ、どっと疲れが込み上げて来ました。
莉:岬ちゃんも、ちょっとうっかりさんだったよね。
岬:考えてみれば、有効票に対応して合格ラインを計算するのが基本です。
 私も、まだまだ精進が足りません。
莉:私なんか、普通に最終回とか思っちゃったんだけど。
岬:何はともあれ、次回、第十二話、『闇が胎動せし時』です。
莉:だからこれ、ラブコメのタイトル!?




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