「あー、何か変な感じだなぁ……」 何もしなくて良いということが、こんなにも空虚なものだとは知らなかった。唯、ぼけっと空を見上げ、ごろんとベンチで横になる。放課後の屋上は、それなりに人で溢れているが、何かどうでも良かった。この広い世界で、結局、人はいずれ死にゆく。そんな壮大なことを思ってもみるが、それもどうでも良いことに気付き、寝返りを打ってみる。コンクリ作りのベンチはやたらと固く、どうにもしっくりこないので、反動をつけると、一気に起き上がった。 投票日当日は、一切の選挙活動が禁止されている。投票そのものは、六時間目終了後のホームルームに行われ、その直後に回収、集計が成される。そして、結果が確定するのは、およそ一時間後。この日ばかりは、すぐさま下校する生徒は少なく、特にすることが無くても、だらだらと駄弁るなりして、時間を潰す。俺は、自分に投票して、りぃや岬ちゃんと一緒の教室に居たのだが、どうにも閉塞感に耐えられなく、外の空気を吸いに出てきたのだ。岬ちゃんにも、全校放送で結果が知らされるまでは自由にして良いと言われた。但し、襲われる可能性も考慮して、人が大勢居る所と但し書きは付けられたが。 「はぁ……暇だ」 たかだか一週間、真面目に候補者をやっていただけなのだが、何もしなくて良いという現状が落ち着かなかった。定年退職後のサラリーマンとはこの様な気分なのだろうか。それにしても人ごみを見掛けても声を掛けたら即失格とは。うう。晩御飯にお預けを食らってる飼い犬の気分だぜ。悪かったな、ジョセフ。今度からふざけてお預けなんてしないことにするぞ。 愛犬への懺悔が済んだ所で、もう一度身を横たえた。空って、青いのな。至極当然のことが、何だか大層なことに思えた。価値観が変わると、景色が違って見えると言うが、正にその通りなのか。 「失礼致しますわ」 一声を置いて、俺の頭の隣に誰かが腰掛けた。顔を上げてみても、視点と光の関係で顔は今一つはっきりしない。だけど、ストレートの黒髪と高いソプラノで何となく理解した。それに、他の女の子と比べて、リボンやら頭の位置が全体的に低い。俺の交友範囲で、これに全て合致するのは、一人しか居ない。 「綾女ちゃんも息抜き?」 身を起こそうとも考えるが、別にこの子なら気兼ねしなくても良いだろう。喋り方こそお嬢様然としているが気軽に付き合える。そういうタイプだと思っていた。選挙が終わったら、千織や茜さんも一緒に、何処か遊びに行くのも悪くない。しかし一堂に会すとなると相当の個性派集団だ。千織や俺で纏められるだろうか。絶対に無理だろう。 「何をニヤついていますの」 どうやら、顔に出ていたらしい。隠し事の出来無い清廉な性格は、これだから困る。 「それにしても、良く会いますわね」 「そういや、前も活動出来無い時間帯だったな」 俺は運命の巡り合わせという奴をそれなりに信じるタチだ。商売の為、適当なことを言ってる奴らは歯牙にもかけていないけれど。 「じゃあ、綾女ちゃんに会いたい時は、禁止時間を狙えばいい訳だ」 「あら、選挙をまだお続けになるつもりですの」 厳しい所を突いてくれる。正直、俺が一次を通過する可能性は、半分以下だろう。事前調査でもそれなりに人気があった綾女ちゃんより下位なのは、ほぼ間違い無い。 「ま、やるだけのことはやったつもりだからな。投票してくれた人に、顔向け出来無いことは無いと思う」 「私としては、楽しみにしておりますのよ」 「ふえ?」 つい、頓狂な声を上げてしまう。何が楽しみだと言うのだろう。もしや、俺と一緒に居る時間が楽しみなのだろうか。ふう、茂木モテ夫は、これだから大変だぜ。 「二次投票進出者には、直接討論の場が設けられることは御存知でしょう。茜お姉さまや岬さんの手腕を、この目で見極めたいですもの」 俺はおまけかよ。 「それに、私、あなたのこと、嫌いではありませんわよ」 「つまり愛の告白か?」 もちろん、そうでないことは分かっているんだが、何とはなしに、そう返してしまう。 「そう取って頂いても構いませんことよ」 「……はひ?」 自慢ではないが、想定していない問答には反応が遅れてしまう。素人候補にありがちな欠点だ。 「冗談ですわ」 「あ、うん、そうだよな」 や、やばい。今、俺、本気で焦ってた。普通に考えて有り得ない発言、つまりはボケを処理する能力にはそれなりの自信があったのに、今の醜態は何だ。落ち着け、落ち着く時、落ち着ければ、落ち着こう、俺。 「選挙が終わりましたら、何処かへ遊びに行くのも悪くありませんわね」 「……」 ああ、もう! 何が何やら! 「私のスタッフも、御紹介致しますわよ」 あー、うん、もちろん皆、一緒にだよね。ははは。 「何を複雑な顔をしておりますの?」 男の苦労は顔で語るものだぜ。察してくれ。 「それは背中でしょ」 「――!?」 誰だ、俺の心を読む奴は。まるで戦場の様な独特の緊張感に身は強張り、暗闇の仔猫の様に怯えた眼差しで周囲を睨みつけてしまう。しかしこの挙動、傍から見ると只のバカなので無いのだろうか。結論としては、深く考えるのはやめるということで落ち着いたが。 「ちゃお、綾女ちゃん」 そこには、りぃが居た。何だ、驚かすな。敵襲かと思ったでは無いか。冷静に考えて、何をどうすれば敵が襲ってくるなどという結論になるかは分からないが、気分と雰囲気だよ、諸君。 「お久し振りですわね、椎名さん。御機嫌は如何かしら」 何か、俺とは扱いが違う気がするんだが。 「うん、まあまあだよ。やることやって、スッキリした感じ」 「まるで、全部終わったかの様な物言いですのね」 「そういう訳じゃないけど、ここまで来たらもう、どうしようもないし。公康や岬ちゃんと、やれるだけのことはやったって言えると思うから」 「同じことを仰いますのね」 「ふえ?」 リアクションまで統一する必要は無いぞ。 「あなた方、もしや内縁関係にありますの?」 物凄い飛躍だ。逆の意味で凄いぞ。 「な、な、な。そ、そんな訳無いでしょ。な、何を言ってらっしゃいますのことよ」 そして落ち着け、りぃ。 「んー、まあ、入学してからの付き合いだから、仲は良い方だけどな。その手の感情は殆ど無し」 「そんな訳じゃないんだけど……」 りぃが何かを言った気もするが、小さ過ぎて聞き取れなかった。ま、そんな重要なことでも無いだろう。 「つまり私にもチャンスはあると言うことですわね」 「ああ、俺は何時如何なる時、誰の告白も受け付けるぞ」 良し、突っ込みとしては温いが、動揺せずに言い切れたぞ。これだ、これで良い。 「うぎゃ!?」 な、何だ。いきなり足にとんでもない激痛が走ったぞ。 「って、おい!?」 見てみると、りぃの奴が俺の足を踏み付けていた。こいつが力一杯やらかしたら屋上が抜けるだろうから、全力では無いのだろう。しかしそれにしたって酷いぞ。 「あら、ごめんなさい。こんな所に足があるだなんて、思わなかったの」 何だ、その棒読みは。何で足を伸ばして踏み違えるんだよ。つうか明らかに力が入ってるぞ。 様々なツッコミが頭を駆け巡るが、差し当たり足の痛みが先行する。うう。上履き対上履きでまだ良かったぜ。これがスパイク対上履き、或いはハイヒール対同上という戦いだったなどと思うと、目も当てられない。 「随分と仲睦まじいのですね」 「何処をどう見たらそういう結論になるのか、明確な答弁を求めます」 おっと、いけねぇ。つい候補者口調になっちまったぜ。 「私はそろそろ戻りますわね。少し、気も紛れましたし」 意外な言葉を聞いた気がした。一年生候補最右翼にして、これだけ自信に満ちた綾女ちゃんが、気が紛れたと口にしたのだ。正直な所、心がザワついたと言っても良い位だ。 「綾女ちゃんも、緊張とかするんだ」 その言葉の方が意外だったのか、綾女ちゃんは呆けたかの様な顔をした。 「私を何だと思っておられますの」 「いや、中学の時も生徒会長だったらしいし、俺なんかと違って最初から決意してた訳だし、それ程でも無いのかな、って」 「それは考え違いですわ」 さらりと口にした。 「前のそれは、選挙と呼べるものでは無かったですわ。事実上の無投票当選。それに私は入学して一月ですのよ。右も左も分からないその中で、ようやく一つの山を越えられるかの結論が出る時ですもの。そうそう平常心でいられる訳が御座いませんわ」 一つのことを思い知らされる。人は、自分が苦しい時、どうしても自分だけがこんなにもと思い込んでしまう。だけど、実際は違う。自分が苦しい時、同じ様に、又はそれ以上の人は幾らでも居る。人が何かを成す為に、必ずその思いをしなくてはいけない。それは厳然たる事実で、例外は無い。そんな当たり前のことを、俺は一つ下の後輩に思い知らされたのだ。 「ありがと、綾女ちゃん」 「いきなりどうしましたの」 そりゃそうだ。いきなり御礼を言われたら、普通はきょとんとする。 「いや、誰もが何かを成す為に道を求める。だけどそこにある道は、細く柔い。皆が仲良く生徒会長になれる訳でも無いし、それでも前に進み続けるしかない。分かってたはずなのに、分かった振りをしてるだけだった気がする。それを気付かせてくれて、ありがとう」 とても照れくさいことを口にしている気もする。だけど、何の躊躇いも無かった。それだけ、目の前の少女は、心を開かせる力がある。本当に不思議な子だ。 「その言葉、とりあえず預かって置きますわ。二次投票でお会い致しましょう」 そんな台詞を残して、この場を後にした。残された俺とりぃは、何となくその様を見遣ってしまう。 「変わった子だよね」 お前が言うのか、椎名莉以。 「あー、それでだ、りぃ」 「うん?」 な、何でだ。妙に照れるぞ、こいつの場合。 「ありがとな、ここまで付き合ってくれて」 これだけのことを言うのに、視線を合わせられなければ、声も上擦ってしまう。まるで、俺が俺でないみたいだ。 「別に良いわよ。公康のやることにいちいち驚いてたら疲れるだけだし。千織もあんなことになっちゃった以上、私が頑張るしかないでしょ」 具体的な戦略や、演説の内容。それにスケジュールなんかを決めるのは岬ちゃんの役目だが、細かい雑務なんかは、りぃがかなりの部分をこなしてくれた。流石に鬱憤が溜まるのか、少々爆発することもあったが、我慢してくれた方だと思う。うん、だからこそ言わせて欲しい。ありがとう、りぃ。 「あ、それとこのことは岬ちゃんには内緒な」 これで終わりだなんて思っていないけど、どうしてもここで言いたかった。だけどあの生真面目な岬ちゃんだ。また何かを言われるかも知れない。ここだけの話で済ませておこう。 「それって、二人の秘密ってこと?」 「そだな。出来れば墓場まで持ってってくれ」 何気無い一言のつもりだったんだけど、りぃは面食らうと、もじもじとし始めてた。何だよ、良く分からない奴だな。 ピンポンパンポーン。不意に、校内放送を知らせるチャイムが鳴った。 「えー、それでは本年度五月期生徒会長選出選挙、第一次投票の結果を十分後に発表致します。お聞きになる皆さんは、所定の位置にお着き下さい」 しかし常々思う。何て独特の言い回しだ。 「それじゃま、行きますか」 心残りはもう無い。全ての想い、全ての力は出し尽くした。後は出た結果を甘んじて受け入れるだけ。そう心に言い聞かせて、俺らは屋上を後にした。 綾:一番良い所で終わってくれましたわね。 遊:嘆かわしいことだ。この作品にも商業主義の波が押し寄せてきてしまうとは。 茜:そういうんじゃないと思うけど。 遊:では、どう弁護するつもりだ。 茜:んー、擁護するって言うか、書いてる人が何も考えてないだけかな、って。 綾:そちらの方が嘆かわしいですわ。 遊:何はともあれ、次回、第十一話『虹を架ける者』。 綾:一次投票決着ですわ。
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