生徒会長選出選挙第一次投票直前大演説大会――通称、演説祭。一次投票前日に、立候補を表明している者全員の出場が義務付けられている、一大決戦だ。昼休み後の五、六時間目を潰して行われる為、この後、校内演説に費やせる時間はせいぜい二、三時間。投票当日の活動は禁止されている為、ここでの印象が、そのまま当落に結びつく。一次は確実と言われる候補でさえ、緊張を余儀なくされる、正に運命の岐路なのだ。逆に、俺の様な当選が難しい候補にとっても、一発逆転が狙える可能性もある。もちろん、それと同時に、ここで稼げなければ絶望的だという意味でもあるが。 演説の持ち時間は、一人五分。そして十八名の候補を九人ずつに分け、前半四十五分を続けた後に十分の休憩。そして、後半九人を休み無く続ける。実際には、候補と候補の間にそれなりのタイムロスがあるから、全プログラムが終了するまで二時間程度だろう。一般の高校であれば、この手の行事は形骸的なものになりがちだが、うちは違う。事前調査で、八割が『この演説を投票の参考にする』と答えている。過去にも、一次は確実と目されていたにも関わらず、ここで大コケして消えた候補は少なくない。正しく、決戦は木曜日という奴だな。 何か違う気もするが。 「良いですね、七原先輩。絶対に良い番号を引いてきて下さい」 演説祭当日。早朝の演説活動を終えた俺に向け、岬ちゃんは念を押すようにそう言った。演説の順番は、ホームルーム前に候補が揃ってクジで決める。事前に決めると、それに対する準備も出来、有利不利が生じかねないという配慮かららしい。たしかに、今から五時間弱、授業を全部サボったとしても、特に何かを出来るとは思えない。文面に多少の修正を入れる可能性があるかも知れないが、それはアドリブの範囲内だ。 「それにしても演説順ってそんなに大事なの?」 「当たり前です。先輩は科学論文の発表順が、如実に力関係を現しているのを知らないんですか」 そんな閉鎖的なとこだったのか、科学業界。 「ベストなのは、前半の二番目か三番目です。幾ら小休止が入るといっても、人間の集中力は段々と落ちてくるものです。それに最初の方の記憶は新鮮な分、頭に残り易いですから、どう考えても有利なんです」 「いや、だったら一番が良いんじゃないの?」 「先輩が、全く温まっていない聴衆を相手に実力を発揮出来る自信があるなら、それもありです」 う゛。それはたしかにキツいかも。 「それに、人間ってどうしても相対でしか物を判断できません。一番っていうのは、一番目立てる場ではありますが、良かったか悪かったかを判断する物差しが無い訳です。そのリスクを負うことを考えれば、二番目、三番目、或いは四番目辺りの方が随分とマシなんです」 「つっても、所詮は運否天賦の世界だからな〜」 俺の努力が介入する余地は全く無い気がする。 「そこを脅威のドローパワーで何とかして下さい」 「ドローパワーって何だよ!?」 こうしてここに、後世には残らないであろう新語が誕生した。 「麻雀漫画の主人公とかに標準装備されている特殊能力です」 ええい、訳の分からんことを。 「分かった、分かった。とりあえず念を込めて引いてくるよ」 と、意気込んで出ていったのは良いんだが――。 「てへっ、一番引いちゃった♪」 帰ってきての第一報告がこれだった。俺はきっと、これ以上に引き攣った顔をした岬ちゃんを、今後見ることは無いだろう。 「成程。岬の奴、それで不機嫌なのか」 昼休みの作戦会議時、遊那に概要を説明すると、そんな反応が返ってきた。 「うーん、一番はダメだ、一番はダメだと念じ続けて引いたら、吸い寄せられる様に一番が手中に収まったからな。これはもう、将来は芸人になれという天からの啓示だとしか思えん」 なりたいかと言われれば、果てしなく疑問符が付く商売ではあるが。 「しかしまあ、引いてしまったものは仕方ありません」 「そうそう。何事も前向きにだな――」 「辞表を書かせて頂きます」 うぉい。 「冗談です」 笑えんわい! 「とりあえず、早めに食事を済ませましょう。もう残り一時間くらいしかありません」 そうだな。昼休み終了後の一番手と考えると、そのくらいか。何度も練習はしてきたが、最後の悪足掻きだ。この昼休みだけは予行に費やす連中が多い。もちろん穴場の時間であるとも言えるが、俺にそんな余裕は無い。覚悟を決めて決戦の準備をするのが吉だ。 「苦労を掛けるね、岬ちゃん」 「いえ、もう慣れました」 それはそれで、何だか寂しい俺が居た。 ざわ、ざわざわざわ――講堂内は、異様な空気に満ちていた。十日前、全校生徒の前で大恥を掻いた時とは明らかに違う。今にして思うと、あれは余興と予行を兼ねた程度のものだった。聴衆は、顔見せ程度の印象しか残さなかっただろう。戦いは、ここからが本番なのだ。日々の街頭演説で多少なりとも存在を認知されてきているし、岬ちゃんのリークで混戦度が増した今、この演説祭の持つ意味は大きい。安全圏の二十パーセントは無理でも、十パーセントを確保出来れば、芽は残る。ここは、その為の場なのだ。 「それにしても一番なんて良く引いたわね〜」 えぇい、りぃ! 思い出さない様してたのに蒸し返すな! 「だって、単純に十八分の一でしょ。サイコロ二つ振って、和が三になる確率だよ?」 実に分かり難い解説ありがとう。 「でもま、これさえ終われば一山終わりだし、やるしかないでしょ。また失敗したら、骨くらい拾ってあげるから」 口調は突き放した感じだが、たしかにその通りだと思えた。負けたとしても、精一杯やった結果なら仕方の無い部分もある。それよりも、出来ることを全てやり切らないで終える方がよっぽど悔いが残る。 「まあ私としては、一次で消えて貰った方が、楽で良いがな」 「遊那。お前は一言多い!」 薄情なボディガードに集中力を乱されかけたが、もうそんなに時間は無い。くっと一息吸い込むと、両目を閉じて、意識を深い部分に押し遣った。 「それではこれより、演説祭を開幕致します。皆さん、ゆるりとお楽しみ下さい」 独特の言い回しで開催を伝える進行役に目配せされ、準備が整ったことを視線で返した。ここまで来たら、何も考えることは無い。やるだけのことをやって、希望を繋げる。唯、それだけだ。 「では一番手、『勇猛果敢な騎乗兵』、七原公康さんです、宜しくお願い致します」 トクン、トクン、トクン。心臓の音がする。この空間が、静寂に満ちているといるからというだけでは無い。自分に一番近い場所で、力強く鼓動しているからだ。だけど今はそれさえも心地良く――俺はすっと、第一歩を踏み出せた。学校指定の上履きが放つコツコツという音が響き、視線が自分に集中しているのを実感する。マイクの前に立つと、全体が見回せ、二千人近い人達がこちらを見ていることに息を飲んでしまう。だが、それに気圧されることなく、先ずは一礼した。大丈夫。練習どおりにやれば、大丈夫だ。 途端、視界が無くなった。何が起こったのかが分からない。一寸先も見渡すことが出来ず、ゆっくりと手探りで前方を触れてみるが、台に手が掛かるだけで、どうして良いかも分からない。背筋に滲む汗に嫌悪感を覚え、頭の中は只、混乱するだけだ。 「え、え〜、申し訳ありません。電気系統のトラブルの様です。復旧まで今しばらくお待ち下さい」 進行役の解説で、ざわめき掛けた講堂が、少しだけ沈静化した。それにしても、このタイミングで停電するか、普通!? 「おい、岬。これはどういうことだ」 舞台袖に居る遊那の声が、微かに聞こえた。 「分からないけど、もしかしたら、誰かが配電盤に細工をしたのかも。候補者達を動揺させられるし、リスクも少ないから、可能性が無いとは言えない」 「ちっ、こんなことなら赤外線スコープを持ってくるんだったな」 ちょっと待て。お前、何でそんな物騒なものを持ってるんだよ。って、いやいやいや。そんなことはどうでも良くてだな。 「あー、進行役の人、ちょっと良いか?」 マイクを介さず、大体の方向だけ当たりを付けて問い掛けた。 「な、何でしょうか」 「このまま始めるってのは、無しか?」 「はい?」 そりゃまあ、面食らうだろう。顔は見えないけど。 「いや、だから、時間も惜しいし、このまま喋り始めて良いかって。ストップウォッチ位、携帯の液晶でも使えば見えるだろうし」 「先輩、いきなり、何を言い出すんですかぁ!!」 掠れる様な、しかしそれでいて猛烈な抗議の意を籠めた岬ちゃんの声が届いた。まあ、俺も何を言い出しているか分からない部分がある。だけど、これはチャンスなんじゃないかって思えた。顔も見えないし、身振り手振りを使えないというのはたしかにリスクだ。だけど、『初っ端に暗闇の中で演説した男』ってのは、印象に残るんじゃないだろうか。今の逆境を何とかする為には、これくらいの博打は必要な気がした。 「わ、分かりました。それでは、改めまして七原公康さん、宜しくお願いします」 息を、小さく吸った。幸いにして、聴衆のざわめきは収まっている。見えないというのも、この場合、悪くない。視線の出所が分からないんだから、余計な緊張をしないで済む。それに、聴覚にほぼ全ての神経が集中するのだから、頭に残り易いだろう。 そして、都合四回鳴るベルの内、一回目のそれが構内に響き渡った。 「皆さん、こんにちは。只今御紹介に預かりました七原公康です――」 「最後に、静粛に御拝聴頂いた皆様に感謝の意を述べて、締めの言葉に代えさせて頂きます」 言葉を絞り尽くし、気力を燃し尽くし、俺は全てを出し尽くしていた。十日前のそれとはまた違う、とんでもない疲労感が身体を苛む。見えていないのだから、人前という実感は殆ど無い。それなのに、これ程消耗するなんていうのが信じられなかった。何事も無く始まったとすれば、最後まで立っていられていたかさえ、自信が無い。 と、電灯が復旧した。暗闇に慣れた目には辛く、つい目を細めてしまうが、すぐに瞳孔が狭まる。そして、今、自分が相手にしていた人数を実感し、錯乱しそうになるが、何とか体裁だけ整えて、舞台袖まで足を運んだ。 「公康、大丈夫!?」 ああ、りぃ。正直挫けそうだったよ。 「ふむ、意外と真っ当なことを喋れるんだな」 遊那。その憎まれ口さえ、今は嬉しいよ。 「先輩、本当に生きてますか?」 岬ちゃん、独断で行動したのは謝るよ。だけど、悪くなかったと思うんだ。 あれ、俺、声を出してない? って言うか、立ってさえ居ない? 袖で見えないから良いようなものの、いわゆるお姉さん座りでその場にへたり込み、口をパクパクさせている現状は、絵的にあまり宜しくないだろう。 「とりあえず、奥の部屋に行って休んだ方が良さそうね。幸いって言うか、ほとんど丸二時間、やることないし」 ――!? 「……なに、言って……んだ」 うう。口の中が乾ききって、まともに喋れない。 「とりあえず含め。あまり飲むなよ」 遊那が腰のポーチから小さな緑茶のペットボトルを取り出してくれた。うう、マジでありがたいです。 「って、だからそんなに飲むな!」 ケチー。 「いざという時の為、痺れ薬を配合してある。全部飲んだら、半日は動けんぞ」 ――!? 「安心しろ。一口程度なら、殆ど効果は出ない」 殆どって何だ、殆どって。 「あー、でも何とか声は出る様になったな」 ちょっとばかり口内がピリピリするのが気になるが。 「それで、何を言い掛けたの?」 りぃの奴に覗き込まれ、さっきの続きを口にした。 「奥の部屋に行くなんて冗談御免ってな。こんなにじっくり他の候補者の話を聞ける機会なんて中々無いだろ」 折角一番を引いたんだ。その程度の役得、貰わなきゃなと付け加える。 「公康――」 「先輩……」 女の子二人が瞳をうるうるさせ、こちらを見詰めてくる。な、何だ。俺、変なこと言ったか? 「う、う。先輩、何時の間にか大きくなったんですね。参謀として嬉しいです」 「分かる、分かるよ、岬ちゃん。私も昔、蚕飼ってて、飛び去って行った時、寂しいと同時に嬉しかったもん」 蛾と同レベルにされた俺、万歳。 「ま、何にせよ、戦いはまだ終わってないってことだ」 俺の敵は残る候補者十七人。その誰もが目指すのは、たった一つの生徒会長の椅子だ。そう、俺は一つ目の峠を越えたに過ぎない。命を削る選挙という修羅場は、始まったばかりだ。 茜:うーん、公康君、ちょっとは成長したかな。 岬:ちょっとどころじゃないよ。本当、幼虫がサナギになるくらいなんだから。 茜:ふふ。今の公康君なら、付き合ってあげても良いかも。 岬:お姉ちゃん、本気で言ってる? 茜:さぁ。どうかしら。 岬:実の姉ながら、変わってると思います……。 茜:それでは、次回、第九話『猛者達の攻防』。 岬:演説祭は、もうちょっとだけ続きます!
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