邂逅輪廻



「それでは皆さん、静粛に御拝聴願います」
「この様な場で静かにしても、さほど効果があるとも思えんがな」
「遊那ちゃん、真面目に聞いて」
「はいはい」
 遊那の奴はおざなりに返答すると、目の前のナゲットを一つ摘み、特製ソースとやらに漬すと、口に放り込んだ。何とはなしにその咀嚼する様を見詰めていたが、意味の無いことに気付き、岬ちゃんに注意を戻す。
 ここは駅前の有名ファーストフード店。放課後の選挙活動を終え、息抜きと作戦会議を兼ねて立ち寄ったのだ。店内は、下校時間と夕食時が重なっているせいかそれなりの喧騒に満ちており、会議をする場として良好だとは言えない。だけど、ま、息抜きと考えればこの位騒がしいのも、悪くないのかも知れない。人ごみを見ると、笑顔で握手を求めたくなる習性はさておくとしてだ。
「それでは改めまして、本日もお疲れ様でした。ですが一次投票まで後二日、気を緩めることなく頑張っていきましょう」
 今日が火曜で、一次投票は金曜。当日の活動は禁止されているから、残るは水、木の二日間だ。それなりに手応えも感じてきてるし、やり切らないとな。静かにコーヒーに口を付けつつ、そんなことを思った。晩飯前ということで、腹に溜まらないものを選んだのだが、目の前の三人は、それを気にする風でもなく、何たらセットとやらを頼んでいる。太るのを気にするくせに、バランスはさほど考えない女の子という生き物は、俺にはどうも良く分からん。
「では、本題に入らせて頂きます」
 岬ちゃんはコホンと咳払いを一つし、間を取った。
「現状、七原先輩の支持率は五パーセント程度だと見込んでいます。あくまで、私個人の勘ですので、実際とどれ程開いているかは分かりません。ですが、一つだけ言えることは、五パーセントの得票で一次を通過したのは、過去十年二十回の選挙で、僅かに三回。十五パーセントということです」
 淡々と、事実だけを伝えてくれる。そう楽な戦いでは無いとは思っていたが、具体的な数字にされると結構、落ち込むな。
「ですが、これを十パーセントにまで引き伸ばせば、十二回、六十パーセントまで上昇します」
 上位から得票率を加算し、六十パーセント以内に収まる候補が二次投票へ進めるシステムでは、僅かな差でも、当選率が相当に変わる。特に五パーセント以上十パーセント未満の候補は、大体が、上位陣の総得票に依存するので、一パーセントに泣く候補も少なくない。例えば、上位陣が全部で五十五パーセントに収まれば、五パーセントの候補は引っ掛かるが、五十六パーセントであれば落ちる。ほぼ確実なのが二十パーセント、まあまあいけるのが十パーセント、運任せなのが五パーセントと言うのが、大まかな目安だ。
「更に言えば、今回はこれといった本命候補の居ない乱戦状態です。一パーセントでも二パーセントでも伸ばせれば、順位が上昇し、突破確率を増やせるはずです」
 当然のことながら、上位のトータルが六十パーセント以内なのだから、順位的に一つでも高い方が有利だ。候補がひしめく中にラインが引かれれば、場合によっては数票差で当落が分かれてしまう可能性もある。
「んー。でも、私達に出来ることって特に無いよね。今まで通り、演説を繰り返すくらい?」
 りぃは楽観主義的にというか、能天気にそんな言葉を返した。まあ、実際、その通りの気はするのだが。校内放送は均等にしか使えないし、演説会も同様だ。絶対的な差別化を図る為には、綾女ちゃんみたいに神輿に乗るとか、そういう手に出るしかない。しかし、下準備も無く、そんなことが出来る訳も無い。残る期待は専門家の岬ちゃんなのだが、特に策を提示してくれる訳でも無い。結局は、岬ちゃんの指示通り人の集まる場所に飛び込んで、演説と握手を繰り返すという基本的な戦術を取るのが関の山だ。参謀の家系に生まれ、その勉強もたくさんしてきたんだろうけど、これが初陣。期待しすぎるのも酷だろう。
「それじゃ皆さん。難しい話はこれで終わりにしましょう。張り詰める時は張り詰めるべきですけど、緩める時は緩めるのが、良い結果を残すコツです」
「いや――」
「岬、残ってるのはお前だけだ」
 熱弁に集中しすぎて手を付ける暇がなかったのか、卓の上に残っているのは岬ちゃんのセットメニューだけであった。
「この際だ。手伝ってやる」
「あ〜、遊那ちゃん、何するの。ポテトの一欠けは乙女の一欠け。それを強引に剥ぎ取るなんて――」
 言葉自体は意味不明だが、その屈託の無い笑みにこちらまで顔が緩んでしまう。そうだよな。岬ちゃんは俺より一つ下の十五歳。こんな風に笑っているくらいが丁度良い。そんな呑気なことを思いつつ、俺達の時間は過ぎていくのであった。


 帰りの電車内。りぃの家は逆方向なので、今は俺と岬ちゃん、それに遊那の三人だ。俺と遊那は学園から二駅で岬ちゃんは三駅。最寄り駅こそ違うが、岬ちゃんと遊那は小中の学区が一緒で、それからの付き合いらしい。
 この帰り道、俺らは基本的に、どうでも良い話をしていることが多い。昨日見たテレビの話。知り合いのバカなエピソード。最近のお気に入りなど。ついさっきの岬ちゃんじゃないけど、抜くところはキチンと抜かないと、長続きしない。
「その時、遊那ちゃんは近所で恐れられてた巨大犬に追われちゃったんです。あんなに怯えた表情をした人を、私は未だに見たことがありません」
「岬。どうやら命が惜しくないようだな」
 いつもなら銃を取り出して威嚇するところなのだが、流石にこの場では出来無い様だ。ギロリと睨むだけに留まっていた。
「あ、もう着きますね」
 俺達の下車駅がアナウンスされ、車体は駅のホームへ滑るように流れていく。そして段々と速度を落とし、ガタンと音を立てて止まると、空気が抜ける音がして、その扉を開いた。俺は岬ちゃんに手を振ると、遊那と共に、ホームに降りた。
 不意に、違和を感じた。と言っても、そんな大袈裟じゃ無い。岬ちゃんも一緒に降りてきたのだ。
「岬ちゃん?」
 桜井家の最寄り駅は、ここより一つ先だ。頑張れば歩きで行けないことも無いが、一緒に帰って一週間、そんなことは無かった。
「先輩、ちょっとだけ、お話、良いですか?」
 不思議なことを言う。俺達は、今朝合流してから、それこそ授業時間以外は、ほぼずっと一緒に居た。用があるなら、何時でも言えた筈だ。効率的に行動する癖がある岬ちゃんらしくない。
「遊那ちゃん。ちょっと外してもらって良いかな?」
「ああ、手短にな」
 大人なのか、冷めているのか、遊那は何も聞かず、話が聞こえないくらいの所まで離れていった。他の降車客も既に居らず、後に残されたのは、俺と岬ちゃんの二人だけだ。
「え、えっと。それで、何の用?」
 どう切り出して良いのか分からず、無難な言葉を選んでしまう。勘繰るとか、疑うとか、そういうのは無い。岬ちゃんは、とても誠実に働いてくれる。だからこれから口にするのはとても大切なこと。そんな確信めいた心持ちが、俺を少しだけ動揺させていた。
「一次投票は三日後です。それを突破出来るか否かは、明後日の演説会に懸かっています」
「ああ」
 念を押されるまでも無く、分かっている。当落線で言うと、確実に下側に位置する俺だ。この形勢を何とかするには、過半数を占める浮動票を、演説会で取り込むしかない。最近、家に帰ってからは専ら、その練習に勤しんでいるのだ。母親に、『お経なんて唱えて出家でもするの?』とか言われたのはさておくとして。
「先輩。押し掛けて来て、今更こんなこと言うの、間違っているのは分かっています。でも、聞かせて下さい。先輩は、生徒会長になりたいですか」
「は?」
 ややもすると、かなり間の抜けた声を上げた気がする。聞き違いとも、もっと言えば、幻聴、白昼夢の類にさえ感じる言葉だった。その為に、俺達は毎日汗を掻いてるんじゃないか。本当に、何を今更、だ。
「答えて下さい。例え、そこにどんな苦難があっても、覚悟を持って歩めますか」
 岬ちゃんは、語尾を上げずに詰め寄ってくる。これはつまり、曖昧な疑問形ではなく、明確な回答を求めていると言うこと。白か、黒か。零か、百か。とても真摯に見詰めてくる岬ちゃんに、一瞬気後れするが、それを受け止め、見詰め返した。
「大丈夫だ」
 しっかりと言葉を紡いだ。
「俺は、生徒会長になる。俺一人で歩けなくても、岬ちゃんやりぃと一緒ならきっと進める。約束するよ」
 とりあえず、遊那を数に入れてないのは、黙殺してくれ。
「ありがとうございます」
 掠れる様な声で、そっと口にした。
「これも、筋違いなのは分かってます。だけど言わせて下さい。ありがとうございます」
 二度目のありがとうは、全ての感情を詰め込んだ様な、力強い言葉だった。
 結局、何を求められたのかは分からなかった。だから、俺は俺の心の内にある答を出しただけだ。それに正しいとか、間違いは無い。そして、岬ちゃんのありがとうも、多分同じだろう。心にある気持ちを形にしたら、そうなった。唯、それだけのことだ。
「それじゃ、私は次の電車を待ちますね。帰り道、気を付けて下さい」
「あ、何だったら、来るまで何か喋るか?」
 と言っても、ものの五分か十分だろうが。
「大丈夫です。それに少し、一人になりたいんです。遊那ちゃんと帰って下さい」
「そっか」
 何処と無く、今の岬ちゃんの周りには触れがたい空気がある。だけどそれは、何物をも切り裂く刃という訳では無く、異質な空気と言うべきか。ここはそっとしておくべきだろう。俺は遊那に目配せし、呼びつけた。
「終わったのか」
「ああ」
 遊那はそう問い掛けると、岬ちゃんの前に歩み寄る。
「岬、あまり思い詰めるなよ。全部抱えようとするのはお前の悪い癖だ」
 流石は幼馴染みというところか。一言だけ声を掛けて、すっと改札口に足を向ける。俺もそれを追う様に、彼女の後に着いて歩いた。
「それで、結局、何の話だったんだ。愛の告白か?」
「……」
 流石は幼馴染みと発言したのは、撤回させてくれ。
「岬は純情だからな。あまり泣かすなよ」
 ここまでピントがズレていると、何も返す言葉が無い。結局、俺等は何だか、どうでも良い会話だけをして、帰宅の途に着いたのだった。


 翌朝。学園に辿り着いた俺達は、いつもとは違う騒々しさに満ちた空気に、違和を感じていた。大体、朝の七時なんて時間は、朝練をする奴らもそんなに多くなく、かなり閑散としているのだ。それでも人の声がするということは、候補者とそのスタッフが騒いでいるということ。何やら訳が分からないまま、適当に近場の奴を捕まえて、問い詰めた。
「何だ、知らないのか。大村の奴が立候補を取り下げたんだよ。何でも、スタッフの女の子に手を出したらしいぜ」
 大村聡おおむらさとし。去年十一月期の選挙で接戦を制し、生徒会長となった男だ。今回の事前調査でも、僅差ながら支持率一位を獲得し、最有力候補と目されていた。だけど、女関係にルーズだという噂もあり、岬ちゃんの対立候補メモにも、そんなことが書いてあった気が――。
「岬ちゃん!?」
 ふと気付き、側に居た岬ちゃんに視線を送った。彼女は意を決したかの様に、力強い瞳で見詰め返してくる。
「そうです。私がリークしました」
 さらりと言ってのけた。
「入学する前から、生徒会長事情は調べていたんです。そして、この事実に辿り着いた。参謀なら、対立候補を蹴落とす為に尽力するのは、至極真っ当なことですから」
 まるで自分に言い聞かせるかの様にゆっくりと、言葉を紡ぐ。
「先輩。政の世界で生きるっていうのはこういうことなんです。勝つ為に有効だと思える手段は全て尽くす。権力は残酷で、魔物さえ生み出します。必要なのは、ことを成す為に、何をすべきかを見極めること。理想論だけではなく、現実的に見据えなければ、自己満足に終わってしまうんです」
 意思の宿った双眸は、何物よりも純粋で、それでいて猛々しかった。俺はどうして良いのか分からずに、少しだけ困惑してしまう。
「ん〜、やっぱり岬ちゃんだったのね」
 不意に、聞き覚えのある声がした。振り向くと、そこには千織と茜さんが居た。
「やあ、公康。久し振りだね」
 久々に言葉を交わした千織の奴は、何処から持ってきたのか、白スーツを身に纏い、深紅の薔薇を胸に刺していた。お前、最早只の仮装行列だぞ。
「お姉ちゃんも知ってたんでしょ」
「あら〜、どうしてそう思うの?」
 相も変わらず、飄々と物を喋る人だ。
「お姉ちゃん、やっぱりって言ったから。もし知らなかったら、そんな言い方はしないんじゃないかって思って」
「う〜ん、合格」
 茜さんは、にぱっと笑みを浮かべた。
「実はこの情報、掴んでたのは私だけじゃないのよね〜。でも、暴露はされなかった。公康君、何でだと思う?」
 いきなり振られた!?
「いや、そりゃ、正々堂々戦おうと――」
「ぶっぶー」
 小学生ですか、あなたは。
「正解は、一次投票突破がほぼ確実なメンバーだから。規程では、一次投票が確定した後に候補が降りても、補充は行われないことになってるの。だから二次投票に自力で進める人なら、その時に蹴落とした方が効率良いってこと。結局、牽制し合って、今日まで来ちゃった訳」
 淡々と喋っているけど、結構、黒い話の気がするんですが。
「だけど公康君みたいに、一次さえ危うい候補なら、話は別。一番上の人が潰れれば、枠は順当に見て二人、上手く下で分散していれば三人、四人増えるものね。それに大村君の政策は、一応は公康君と同じ改革型だから、取り込み方に依っては、順位が上がる可能性もある。そういう意味で、今日というタイミングもバッチリ。演説会当日や、投票当日だと、混乱だけが残るけど、一日あれば充分に沈静化する。だから、合格って言ったの」
 そこまで計算ずくだったとは。岬ちゃんに視線を移すと、肯定も否定もしない。概ね、その通りということか。
「だけど、百点はあげられないかも」
 茜さんは、ゆっくりと言葉を続ける。
「こういう工作をする時は、出来る限り中身を伝えちゃダメって言ったでしょう。不利になる証拠が出ても、傷が拡がらない様にね」
 あの、茜さん。それ、めっちゃ生々しいんですけど。
「たしかに、その通りかも知れない――」
 岬ちゃんは茜さんに身体を向けると、そう口にした。
「だけど嫌だった。私は、命を張って仕事をしてるのに、嘘を吐いたり、騙したりなんてしたくなかった。だからどうしても言いたかったの!」
 再び岬ちゃんは俺に向き直ると、じっと見詰めてくる。
「先輩――」
 何を言いたいかは、大体分かっていた。泣きたいのを必死で堪えて、しっかりと両足で踏ん張って。そして俺の為に必死で頑張る桜井岬という女の子。俺は彼女の頭をそっと撫でると、耳元に唇を寄せた。
「大丈夫、昨日も言ったろ。俺は君と一緒に歩く。だから君は、ことを成す為に必要なことを一緒に考えて欲しい」
「分かりました、先輩」
 お、もしやこの状況、このまま抱き締めても拒絶されないんじゃないか。そんな邪な考えが頭をよぎったその瞬間――。
「とぉりゃあ!」
 俺は、力任せに引き剥がされてしまった。ああ、さらば愛しきブルースプリングよ。
「き〜み〜や〜す〜。あんたって人は!」
「誤解だぞ、りぃ。今のは必然性があって近付いただけで――」
「問答無用!」
 りぃの奴は、腕をグルグル回しつつ拳を繰り出す、ドン・キホーテ・アタックを放ってきた。ちなみにこの名は、風車に突撃をかまして自爆した時代錯誤の騎士、ドン・キホーテに由来する。
「って、結局はいつも通りかよ!」
「あ、あの、椎名先輩。今回、七原先輩に落ち度は――」
「こら、公康! 大人しく粛清を受けなさい!」
 やなこった。
「う〜ん、ああいうのって良いわよね。ちょっと憧れちゃうかも」
 茜さんが放ったその小さな呟きは、風に流れて、そっと消えた。





次回予告

※ 莉:椎名莉以 千:舞浜千織

莉:最近、出番が少ない。
千:はっはっは。莉以はまだ良いよ。僕なんて立候補してるのに、
 存在を抹消されかけてる気がするからね。
莉:そう言えば、茜さんルートがあれば、千織が立候補を取り消して、
 公康サイドに着くって話もあったらしいけど。
千:その格闘漫画的展開もどうかと思う。
莉:ま、それはそれとして、次回、第八話『演説会の罠』。
千:選挙もいよいよ、山場だよ!




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