邂逅輪廻



「お疲れ様です、先輩。今日はゆっくり休んで下さい」
「うぃー」
 岬ちゃんの声に生返事を返し、手を振った。次いで、空圧式ポンプ特有の空気が抜ける音がして、ドアが閉まる。帰宅する学生や会社員を運ぶ鉄のゆりかごは、ゆっくりとホームから離れ、視界から消えていった。俺は何も考えることなくそれを見遣っていたが、気付けば一人だったので、我に返ったかの様に改札口へ足を向けた。
 土日の活動はこれにて終了。と言っても、部活に出てくる奴らを相手にしただけだから、明日以降はもっと忙しくなる。とりあえず今日の所は、とっとと風呂にでも入って寝るべきだろう。春になって久しいこの時期、陽はまだ落ちきっておらず、西の空は赤く焼けていた。それが妙に綺麗に思え、何とはなしに口の端が緩んだ。
 それにしても岬ちゃんは凄い。人が大勢居る場所を探す嗅覚を持っているし、初対面だろうと物怖じせずに入り込んでいける。それでいて必要以上に目立つことはなく、主役をあくまで俺に出来る。この気質が天賦なのか、努力に依るものなのかは分からないが、適性として参謀が向いているのは間違い無い。
「それでも、私はお姉ちゃんには及びません、か」
 それは、単なる謙遜でも、二年という年の差だけでも無く、どんな時でも客観的に状況を分析しなければならない参謀としての発言だろう。茜さんとのことは、遠巻きに何度も目にしたし、すぐ近くに居たこともある。そこでちょっと分かったのは、彼女は、岬ちゃんとは気質が違うということ。岬ちゃんが花の蜜を精一杯集めるミツバチなら、茜さんはそれを捕食する食虫植物。独特の雰囲気で、男女問わず惹き寄せることが出来るのだ。これはもう才能に他ならず、岬ちゃんの言い分も分からなくは無い。只の努力家は、凡庸な天才にさえ勝てないのだから。
「つっても、選挙の結果は別だからな」
 勝負事は何でもそうだが、個人の資質、能力が全てじゃない。それに選挙運動はチーム戦で、立候補してるのは俺と千織だ。白旗を揚げるのは、ちょっと早すぎる。
「……?」
 不意に、異質な物を感じた。春独特の生温かい空気に、真冬の冷涼なそれが紛れ込んだかの様な違和感。背筋に悪寒が走り、自然と筋肉が強張ってしまう。何だ、何が起こってる。
 何をどうすれば良いかは分からない。だけど感覚的に、狙われていることだけは理解出来た。恨みを全く買ってないと言い切れるほど偽善者では無いが、実力行使となると話は別だ。りぃ以外に、そんなことされる憶えは無いぞ。
「とりあえず、逃げる!」
 疲れるのは嫌だが、全力で走れば、家までは二、三分で着く。脚が速いとは言えないが、遅い訳でも無い。地理に長けている点を考慮に入れれば、そうそう追い付けるとも思えない。
 だが、それはあくまで相手が一人であると仮定した場合の話であって――目の前の三叉路から男らしき奴が飛び出してきて、足を止めてしまった。らしきと言うのは、フルフェイスヘルメットに、バイクスーツ、手には果物ナイフと、コンビニ強盗三種の神器を装備していたからだ。身長と起伏の少ない身体付きから間違いないだろうが、今はそんなこと、どうでも良い。おいおいおい、こんなところで死ぬ気は無いぞ!?
 確認できるのは、後方からにじり寄って来るのが一人と、三叉路のが一人。後ろの奴の方が小柄だが、強行突破となると、冷静にならなくてはならない。更なる伏兵の可能性もあるし、りぃの様に細腕でも、人外の域に達してる奴は幾らでも居る。安易な先入観で命を賭けるのは危険だ。
「やあやあ君達、演劇の稽古かな? 熱心なのは結構だが、俺の様な一般人を巻き込むのは感心しないな」
 務めて冷静に声を張る。もしかしたら趣味の悪い悪戯の可能性だってある。最悪、りぃと岬ちゃんだったなんてオチも、一縷の望みとして取っておこう。だけど、そんな淡い期待を打ち砕く様に、変態二人は息荒く近付いてきた。
「はぁ……下手に抵抗しない方が得策かなぁ」
 痛いのとかは嫌だし、刺される場所に依っては死ねる武器なだけに、損得勘定が難しい。しかし状況の割に冷静なのはりぃのお蔭だな。今まで、あいつのせいで何度死線を乗り越えてきたことか。素直に喜んで良いのかは自信無いが。
 ――パンッ。
 唐突に破裂音がした。次いで、同様の音がもう一発。何が何やら分からないが、不審人物二名は、唐突に蹲ったかと思うと、そのまま動かなくなってしまった。ちょ、ちょっと待て。これはこれでやばくないか?
 とは言え、好機ではある。頭の中の冷静な部分で、筋肉に命令を下した。ナイフを蹴飛ばし、三叉路の街灯の下まで逃げ込む。右手奥の道には、誰も居ない。どうやら、この二人で打ち止めの様だ。顔を上げ、何があったのかを確認する。
 そこに居たのは、少女だった。上背は男並で、髪も短く切り揃えられているが、スカートを穿いているから間違い無いだろう。彼女は拳銃をこちらに突きつけたまま、微動だにしない。って待て。あれはうちの学園の制服じゃないか?
 確認しようと目を凝らして見てみるが、薄闇に紛れ、はっきりとしない。そうしている暇に、彼女は銃を内ポケットに収めると、踵を返して立ち去ろうとする。追おうとも思うが、倒れていた二人がピクリと動くのを確認し、逃げるのが先決だと判断した。
 それからのことは良く憶えていない。唯、何とか家に辿り着いたから、無事は無事だった様だ。母親に、『良い年して、何はしゃいでるの』とか言われたけど、泣いてなんか無いやい。


「――という訳だ。全く、この国も物騒になったものだ」
 明けて月曜早朝。登校してくる生徒を相手にしていたのだが、ちょうど切れ目で間が空いたので、昨日のことを二人に話した。りぃは呆気に取られた感じのまま相槌だけ打ち、岬ちゃんは思案顔で何やら考えていた。
「うんうん、分かるわ、公康。そんな幻覚を見るくらい疲れてるのね」
「問答無用で全否定ですか、椎名さん」
 敬語を使うのが精一杯の抵抗な俺。器がバレるぜ。
「ところで岬ちゃん。何で黙ってる訳?」
 別に笑ってくれとは言わないが、無反応なのは寂しい。
「あ、いえ。すいません」
 ほとんど脊髄反射で顔を上げ、言葉だけを返してきた。
「少し、甘く見てました」
 沈痛な顔付きで、声を搾り出していた。
「前例が無い訳じゃないんです。何年かに一度、手段を選ばない過激派が暴力に訴え出ることがありました。だけどそれはあくまで脅迫で、それも有力候補に限られていたので、一次投票を突破するまでは黙殺しても問題無いと思ってました。すいません、これは私のミスです」
 真剣な面持ちで、深々と頭を下げる岬ちゃん。そこまで背負われると、こっちまで胸が苦しくなってしまう。
「岬ちゃんだけの責任じゃないよ。たかが学生選挙でそこまでする奴が居るなんて思わないだろ」
「でも、耳に入れておくくらいは――」
「終わったことだし、無傷だったから気にしない。これから気を付けるよ」
「って言っても、公康弱いからね〜」
 そりゃりぃを基準にすれば、ヒグマクラスにならない限り弱者だろ。
「あ、何だったら私がボディガードしてあげようか?」
「お前、俺と家、反対だろ。朝夕、俺んちまで来て、そっから登下校する気か?」
 幾らあと一週間程度の話とは言え、そこまでさせるのは気が引ける。
「そのことなら任せて下さい。実は一次投票に通ったら頼もうと思っていた方が居るんです。幸い、七原先輩とは家が近いので、問題は無いと思います」
「む〜、私なら構わないのに」
 何だか、無駄に甘えた声を出しているりぃは無視しておこう。
「それじゃ、ま、放課後にでも会えるかな?」
「はい、話を通しておきます」
 最後にほんの少しだけ明るく、言葉を放った。うんうん、岬ちゃんはそっちの方が可愛いよ。口には出せない、ヘタレな俺だけどさ。


 放課後、件のボディーガードは何か用があるらしく、五時過ぎになるとの話だった。下校ピークのちょうど間になるので、こちらとしては好都合だった。約束の教室で、一人椅子に腰掛け、一息つく。やはり平日は人数が違う。学園生徒の半数とは言わないが、三分の一程度が一気に飛び出すのだ。六時には、部活をしている生徒も放校になるから、もう一山あることになる。うむむ。顔と名前を売るのがこんなにも大変だとは思わなかったぜ。
 だけど、りぃと岬ちゃんはまだ通用門で粘っているはずだ。そのことを思うと、あまりへこたれてばかりもいられない。木曜には全候補者参加の大演説会もある。それまでにある程度名前を売っておかないと、土俵にさえ立てないんだ。もう少し頑張らないとな。
 そんなことを思いつつ、時計を見遣った。五時十分。そろそろかな。あと五分して来ないようだったら、岬ちゃんに連絡を取ろう。待ちぼうけを食らって時間を潰す訳にはいかない。
 しかし、そんなことを考えている内に誰かが教室に入って来るのを感じたので、立ち上がって、向き直る。
 そこに居たのは少女だった。上背は、俺と殆ど同じか、気持ち低い程度。リボンの色からして、俺と同じ二年生だろう。髪は焦げ茶色で短く切り揃えられていて、前髪の一房だけが淡く染められていた。瞳は丸みが印象に残り、透き通るような黒色は、何処か別の世界へ吸い込まれそうになる。あれ、こいつ、どっかで――。
 不意に少女は、内ポケットからシルバーメタリックに輝くハンドガン――デザートイーグルを取り出すと、銃口をこちらに突きつけてきた。待て! 何故にこの日本社会で拳銃なんだよ!?
 心の中で叫びつつも思い出した。こいつ、昨夜の奴だ。暗がりで顔ははっきり見えなかったが、こんな奇行に走る奴が、そうそう居てもらっても困る。
「お、落ち着け。俺を殺しても身代金は取れんぞ」
 冷静に考えれば、殺したら身代金の要求なんか出来無い気もするが、そんなことまで頭が回らない状態なんだよ!
「交渉時、圧力を利用せずテーブルに着ける程、自信家では無くてね」
 第一声がそれだった。お前は何処の強行タカ派だ。
「安心しろ、エアガンだ。BB弾は遷音速まで加速されるがな」
 明らかな違法改造じゃねえか。
浅見遊那あさみゆなだ。あんたは七原公康――間違い無いな?」
 もしかして、ここで関係無いと言えば解放されるのかとも思ったが、暗殺者の基本は秘密を知るもの全ての抹殺だ。嘘を吐くのは危険すぎると、非現実的すぎる思考が頭を掠めた。
「あ、ああ、そうだ。七原公康、二年三組出席番号十五番、二月八日生まれのA型で、好きな動物はミーアキャット――」
「そこまで聞いていない」
「ご、ごめんなさい」
 悪いことをした憶えは無いが、つい謝ってしまう。恐るべし、圧力型外交。
「そ、そう言えば昨日はありがとな。助けてくれて」
 しかしたった今、暴力の脅威に晒されているのだから、プラマイゼロの気もするが、切り離して考えよう。
「ああ、そう言えばお前の様なのが居たな。何、気にするな。あれは只の試し撃ちだ」
 はい?
「古来より、勧善懲悪であれば、多少の犯罪は目を瞑るというのが慣習だろう。あの手の暴漢は新型の性能を試すのに丁度良くてな。とりあえず片端から潰すことにしている」
 あなたは時代劇の主役気取りですか。諸国漫遊している御隠居や、城下へ遊びに行く将軍の顔がチラついた。
「まあ、それはそれで良い。護衛の話だが、受けても構わない。報酬次第でな」
「か、金ですか」
 ある意味、最も明快な交渉カードだ。殺伐としているが。
「怯えるな。金が目的ならお前などに近付くか」
 何だろう。地味に心が痛いぞ。
「あー、そのあれだ。お前、先週の演説憶えてるか?」
「忘れられるのなら忘れたいのが本音です」
 また少し心が痛いじゃないか、こんちきしょう。
「それで、だな。詰まるところ公約、だ」
「はぁ」
 公約っつうと、何て言ったかな。何しろ私的黒歴史の為、脳の奥に追い遣っているのだ。頑張れば復元可能なところは、パソコンのハードディスクに通じるものがあるな。
「あ――」
 思い出した。明確にくっきりと鮮明に記憶から掘り起こせたぞ。
「たしか合コンするとかなんとか」
「ま、まあ何だ。人生に於いて様々な経験というのが必要だからな。か、勘違いするな。男枯れしているとか、物悲しいとか、そういうのでは無く、あくまで後学の為だ」
 人間、テンパると無駄に雄弁になるものだ。ついさっきまでの俺がそうだったのだから、間違い無い。
「了解。その条件、飲もう。来週水曜日までの護衛と引き換えに、こっちは合コンの場をセッティングする。それで良いな?」
 自慢では無いが、俺はその類の宴会に出席したことは無い。でもまあ、千織に頼めば何とかしてくれるだろう。そんな適当なこっちの気持ちを知らぬまま、彼女は銃を収めると右手を差し出してくれた。一応、信頼してくれたのだろうか。俺はしめしめと思いつつ、しっかとその手を握り締めた。

 こうして俺は、抑止としての武力を手に入れたのであった。





次回予告
※ 岬:桜井岬 遊:浅見遊那

遊:浅見遊那だ。趣味は銃の収集――もちろんレプリカだがな。
岬:遊那ちゃんとは小さい頃からの友達で、面白い話もあったり無かったり。
遊:こら岬。何か妙なことを言う気じゃないだろうな。
岬:大丈夫。間違えてクマの人形捨てられて大泣きしたことなんて言わないから。
遊:お前って奴は、お約束を忘れない――。
岬:という訳で、次回、第六話『柳色の少女』。
遊:岬! 大人しく、的になれ!




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