「ほ〜っほっほっほっほ」 前略。兄さん、お元気ですか。こちらは春が駆け足で過ぎ去って、めっきりと暖かくなりました。風邪などはひいておられないでしょうか。一緒に住んでるんだから、知らない訳無いだろうといった突っ込みは御遠慮下さい。 さて、俺は今、大自然の素晴らしさを実感している所です。近年、絶滅危惧種から、絶滅種へとその分類を変えたはずの高笑い少女を目の当たりにしているのです。彼女は、無駄に設えの良い神輿に担がれ、それを背負っている男共は、その筋骨隆々とした肉体をふんどし一丁で晒しています。ああ、世にはまだ、この様な真性のバカが生き残っていたのですね。まるで、南アフリカ沿岸でシーラカンスに遭遇した時の様なこの感動を胸に留めておきたいと思います。草々。 「 岬ちゃんが、『対立候補メモ』と書かれたノートをパラパラとめくり、教えてくれた。ちなみにこのノート、お気に入りのテレビタレントから、初恋の年齢まで書き込まれている程、とんでもない情報量を誇るものだ。その大半が、役に立つかは怪しいが。 「つうか、十五歳で既にアレなのか」 人生、終わっちまってるな、おい。遠巻きに、合掌しておいた。 やや釣りあがってはいるものの、くりくりとした瞳は小動物の様に可愛らしいし、肩口まで伸ばしたストレートの黒髪も艶やかだ。上背がかなり足りない部分もあるが、一年生ということを考慮に入れれば、資質はかなりのものだろう。惜しい。実に惜しい。 「あら、岬さんじゃありませんこと」 その少女、一柳綾女はこちらに気付いたらしく、神輿を蹴って向き直らせた。 「うおぉぉお!」 男達は、奇怪な掛け声を上げると、ドタドタとこちらに走り寄ってきた。うーむ、こいつら慣れてやがるな。只の筋肉バカでは無い様だ。 「って言うか、知り合い?」 「ええ、少し」 何だか、微妙に歯切れが悪かった。 「岬さんも、お姉様も物好きですわね。この私の誘いを断って、こんな何処の馬の骨とも分からぬ雑兵に手を貸すなんて」 うぉ、馬の骨とか言われた。すっげー貴重な体験をした気分だぜ。 「ところで、何で断った訳?」 彼女に聞かれぬ様、こそこそと耳打ちした。 「だって趣味じゃありませんし」 何だか、同情心が沸いてきた。 「その憐れみに満ちた視線は何ですの」 「いや……お互い、頑張ろうぜ」 親指を立て、無意味なまで爽やかに言い放った。この子に関して言えば、上から見下ろされるくらいでちょうど良いな。 「ふん、言われなくても誠心誠意務めますわ。あなた方は精々、私の引き立て役におなりなさい」 言って彼女は、小さく足元を蹴り付けた。 「うおぉぉぉぉおお!」 日本語、喋れよ。お前ら。来た時と同じく、ドタドタと音を立てて去っていく彼らを見て、そう思った。 あー、畜生。結局、スカートの中は覗けなかったぜ。 「ちなみにあいつ、候補として有力な方なのか?」 「一年生の為、実力は未知数ですが、事前調査では十二パーセントの支持を受けて三位に食い込んでいます」 大丈夫か、この学園。 「ちなみに、一、二位は前十一月期でも同順位だった三年生です。五月期は、前年度の地盤を引き継ぐ人が多い上に、一年生も加わるので新人には厳しい傾向があります」 「成程なぁ」 やっぱ思っていた以上に、大変な様だ。でもまあ、今回負けても、三年生が抜ける十一月に頑張れば――。 「今、負けても良いとか思いませんでした?」 心を見透かされ、少しビクついた。 「そんな気持ちじゃ、例え勝ってしまっても何も成せません。選挙の基本は、一戦必勝、不退転の決意です。新人だから負けても仕方無い。準備が足りなかったなんて言い訳は通用しないんです。それは例え十票でも、一票でも入れてくれた人への侮辱になります。やるからには、どんな厳しい状況でも勝ちに行く義務があるのが選挙なんですよ」 押し掛け女房同然に転がり込んできた身で、好き放題言ってくれる。だけど、その通りだ。半端な気持ちでやろうとしていた以前ならいざ知らず、今は岬ちゃんが居る。それに何だかんだでりぃも真剣だ。この二人が居る限り、不誠実なことは許されないんだ。 「ありがとう、岬ちゃん。目が覚めたぜ」 感謝の意を表現すべく抱き付こうとするが、すんでの所で躱される。ふう、娘に『お父さんとはもうお風呂一緒に入らない』って言われる哀愁を理解した気がするぜ。 「――はっ!?」 不意に殺気を感じ、身を屈めた。そしてたった今、頭があった部分を裏拳が通り過ぎる。おいおい。今、空を切る轟音がしたぞ。 「公康〜。そう言えば昔、セクハラで訴えられた知事が居たわね。名誉の為に、ここで葬ってあげるわ」 「待て、りぃ。ハグ如きで色々な人生絶たれてたら、欧米の政治家は一人として生き残らんぞ」 自身を正当化する何の理由付けにもならないが、とりあえず弁明してしまうのが俺の器の小ささだ。 「ところで椎名先輩。あっちはどうでした?」 天然か、故意か、助け舟を出してくれる岬ちゃん。おお、ありがとう。愛してるぜ、ベイビー。 「ん〜。何て言うんだろ。凄い人だかりって訳じゃないけど、常に数人は話を聞いているって感じだったわね」 「そうですか」 りぃに頼んだのは、千織と茜さんコンビの視察だった。オーソドックスに通用門で握手参りをしていると聞いて向かわせたのだ。報告を聞く限り、特に目立ったことはしておらず、五組程の対抗馬と一緒になって活動しているらしい。大人しい姉が気になるのか、岬ちゃんは思案顔で何処か違う場所を見詰めていた。 「でも、今日は土曜日だから、特定の時間に登下校が集中する訳でもないからな」 派手な花火を一、二発打ち上げるより、線香花火を延々と続けていた方が、効率良いってのは有り得る話だ。 「まあ、その通りなんですけど――」 「そんな気になるなら見に行ったら良いんじゃない?」 「そだな、河岸を変えようと思ってたとこだし」 一柳綾女との騒動で、瞬間的に聴衆が集まったものの、彼女が去ると同時にそのほとんどが消え失せていた。良し、決定。彼女のあだ名は、ミストルネードだ。 「岬ちゃん、行くよ」 「え、あ、はい。分かりました」 上の空とはまさにこの時の為にある言葉か。でも、考えるだけじゃどうにもならないことだってある。俺は岬ちゃんの手を取って、門へと向かった。 ちなみに、りぃのマジ裏拳が顔面に入ったのは、俺的黒歴史にしたいなぁ。 通用門に屯している人だかりは、二十人ちょっとといったところだった。その中で、候補者は千織を入れて五人。それに支援者が五、六人程確認出来るから、聴衆は十人くらいか。もしサクラが混じっているなら、もっと減ることにはなるが。 今は、午後二時。昼飯時や、放校時なら、もう少し人の出入りを望めるが、この時間ならこんなものだろう。だからこそ、園内の適当な場所を転々としていたのだ。でも、あの二人はほとんど変わらずあそこに居るらしい。たしかに他の面子に比べれば雰囲気は良好だし、質問にも理路整然と応えている。だけど、これで決定的な差を付けられるものとも思えない。一昨年の偉業ってのは、伝聞に依る誇張なんじゃないかと、思えてしまう程だ。 「あ、あれは!」 「知っているのか、岬ちゃん!?」 何故か、少年漫画風味で返してしまった。 「あれはお姉ちゃんの秘技、微笑み三年斬りです。三年って所は語呂なだけで、実際の効果は一週間後、投票当日にあの笑みがチラついて、必然的に候補者に投票してしまうという荒技です」 な、なんですとー!? 「冗談ですけどね」 待てい。 「でも、この目で見に来て良かったです。お姉ちゃんの戦略は、大体理解しました」 言葉とは裏腹に、岬ちゃんは苦虫を噛み潰した様な顔で、嫌な汗も掻いている感じだった。 「だけどこれは、派手なことをされるよりよっぽどタチが悪いです」 「どういうこと?」 りぃの質問に、岬ちゃんは小さく息を吸うと、話す順番を纏める為か、少し間を取った。 「あの二人が握手や弁論を優先させている対象が分かりますか」 「優先……って言われてもなぁ」 千織は女の子、茜さんは男を優先させているように見えるが、それは基本中の基本なので、敢えて問われることでも無いだろうし。 「一、二年生かな? 気にはなってたんだけど」 あ、成程、言われてみれば。そう露骨では無いが、間が空いた時の場所取りや声掛けのタイミングを遠巻きに見ていると、三年生より、そちらを重点的に狙えるようにしているのが分かる。 「でも、何で?」 十一月期なら三年生に投票権は無いから、当然の行動なのだが。 「簡単なことです。三年生は、そのほとんどがお姉ちゃんのことを知っているんです」 なんですとー!? 「票を獲得する上で、最初の一歩というのは、認知して貰うことです。名前と顔を知って貰わない以上、演説をしても素通りされるだけですし、直前まで決めない方の票も望めません。お姉ちゃんはその点、『あの桜井茜が絡んでるのか』と、それだけで充分、興味を惹かせられます。主従が逆転してしまう感じもしますが、常に舞浜先輩と行動を共にしていれば、その点は解消できます。何しろ、学園は閉鎖的な空間で、候補は限られていますから、こと三年生に関して言えば、舞浜先輩を知らない人は居なくなると言って良いでしょう。もしかすると、四日前の演説会に登場しなかったのは、印象を浮き彫りにする為の作戦だったのかも知れません」 流石にそこまではと思うが、相手が相手だけに勘繰りたくなるのが実情らしい。 「成程、ね。それで今日を含めて後六日、一、二年生主体に名を売るって訳か」 たしかにこれは、ボディブローみたいな攻撃だ。タチが悪い。 「六日じゃありません。十日です」 いやいや、それは無いぜ、岬ちゃん。それとも何かい。参謀って商売は、引き算が出来なくても問題無いとでも――。 「気付きましたか。お姉ちゃん達は既に、二次投票を視野に入れているんです」 淡々と、自分を落ち着けるようにして言葉を紡いでいた。 「そもそも、一昨年と今回では、選挙の質が違うんです。一昨年は、ほぼ確実視されていた有力候補が居て、他陣営は絶望的な状態でした」 「あれ。でもその時って茜さん、ぶっちぎりで勝ってなかったか?」 有力候補が散らばっている状態なら、そういう現象も起こると思うんだが。 「それは凡俗の発想です」 一蹴と来ましたか、岬ちゃん。 「お姉ちゃんは、それを逆手に取りました。一次投票では敵を絞れない上、候補は無名の新人でした。そこに目を付け、水面下で最有力候補の切り崩しに掛かったんです。これは二次投票では時たま行われる戦法ですが、警戒される前、一次投票の段階でケリを付けようというのは前例がありませんでした。大胆にして不敵な戦い方ですが、その位の逆転策を講じなければならないと判断し、そして喰いきったんです」 ボクサーが格上と戦う時、一発を狙うのに似ていると付け加えてくれる。 「ですが今回、有力候補は何人も居ますが、絶対的な人は居ません。一柳さんの様に、派手なだけの人が三位に食い込んでいることで、想像が付くでしょう。そして何より、お姉ちゃんにはある程度の地盤がある。仮に三年生の五人に一人が舞浜先輩に投票すれば、それだけで七パーセント弱の得票です。今回に関して言えば、十パーセントもあれば、二次投票には進めると推定されますので、広く薄く、認知されることを先行させているんです」 つまり、磐石のアウトボクシングということか。たしかに、戦況に依って戦術を使い分けるのは基本だが、こうそつが無いと、何か落ち着かない。 「有力候補の切り崩しや、派手なパフォーマンスは二次投票前の四日で充分。むしろ、乱発すると飽きられ、嫌悪感に転じられかねないと判断したに違いありません」 うむむ。あの、穏やかな笑みの裏側で、そこまで強かな戦術を練っていたとは。恐るべし、桜井茜。 「成程。こういうローラー掛けるんだったら、通用門は最適だな。正直全員憶えられる訳無いから、ダブって握手する確率減らすには良いだろう」 「何言ってるんですか。参謀として有権者の顔と名前を一致させるのは、一万人単位までは余裕です」 恐るべし、桜井姉妹。 「お姉ちゃんは、たしかに手強いです。でも、私だって足を止めるつもりはありません。行きますよ、先輩」 言って岬ちゃんは俺の手を取り、人垣の中に身を投じた。流石のりぃも、俺主導で無い限り、手出しは出来無いらしい。良し、今度から、この手法を応用することにするかなと、下らないことを考えてみる。 だけど岬ちゃんはすぐに一年生を掴まえ、俺を売り込み始めていた。うっし、それじゃいっちょ、頑張りますか。 茜:うるうる。話題には上がったけど、全然台詞が無かったわ。お姉ちゃん、悲しい。 莉:あれだけ目立って、まだ物足りないんですか!? 茜:だって〜。アニメとかだったらこれ、報酬が発生しないじゃない。 莉:物凄く、論点が間違ってる気がするんですけど。 茜:それにしても莉以ちゃんは、台詞があってもあまり目立って無かったわよね。 莉:言わないで下さい。泣きたくなるので。 茜:という訳で次回、第五話、『闇に蠢く者』。 莉:って、これ、本当にラブコメのタイトル!?
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