邂逅輪廻



『放課後、屋上で待っています』
 手紙に書かれていたのは、それだけだった。手書きではあるものの、文面だけ見れば実にそっけないもの。だが、それを発見したのが下駄箱であること。薄紅色の便箋に、桜の花びらをあしらった洋形封筒。封には、猫のキャラクターシールが使われていて、事務的な目的で無いことが容易に想像できる。いや、むしろこれは、浪漫。ありえない程、ありがちなシチュエーションなのだが、これはあれか。ついに俺にも春が来てしまうのか。踊り出してしまいそうな程、陽気な気分を無理に抑えようとするが、顔には出てしまう。ふう、只でさえ後光が射すほどのオーラを持つ俺だが、今日の輝き具合は一味違うんだろうな。
「何よ、公康。ニヤニヤして、気持ち悪いんだけど」
 バッサリ一太刀と来たか、りぃ。
「ふっふっふ。しかし今日の俺はちと違うぞ」
 普段であれば、多少ヘコみかねない俺だが、心ウキウキ、極寒の地で、温泉に入った時の様な開放感を味わっている今では、まさに蟷螂が斧。効かぬ、効かぬわぁ!
「これを見よ、りぃ!」
「何これ。まだ春だし、焼き芋の焚き付けなら気が早いんじゃない?」
 なんつうバチ当たりなことを言い出してくれるのですか、お前は。
「これはラブレターだよ、りぃ君。まあ色恋沙汰に無縁の君が貰うことなど生涯無いだろうがね」
 ふっ。決まったぜ。きっと今、全校で良い男ランキングを開催すれば、トップテンには入れるはずだ。
「私、月三通くらいのペースで貰ってるよ。自慢になるから言わなかったけど」
 見事な自爆だぜ、俺。しかし大丈夫だ。一昨日の選挙演説に比べれば、この程度――。
「余計に落ち込んだじゃないか、こんちくしょう」
 りぃにしてみれば意味不明な言動だろうが、どうしても言いたかった。只の危ない奴になることなんて、もう慣れっこさ。
「まあ、それはさておいて、本当にそれラブレター? 美人局とか、悪戯とかじゃないの」
 そう言うと、りぃはひったくる様にして手紙を奪い、舐める様に見回していた。
「七原公康様――人違いの線は無さそうだから、やっぱり誰かの悪戯ってとこじゃない。屋上で隠れられそうなとこ、調べるのを薦めとくわね」
「何処まで俺の恋路を邪魔したいんだ、お前は」
 こいつ、何か恨みでもあるのかと考えたが、本気で数えだすと、二桁で収まらないくらいある気もするので、すぐさま思考を放棄した。
「まあ、莉以にしてみればせめてもの抵抗だからねー」
 いつものことながら、千織は何処からとも無く沸いて出る。時代が時代なら、隠密や忍にでもなれば成功しただろうに。惜しい存在だ。
「んで、抵抗ってのは何だ?」
 文脈にそぐわない単語だ。気にするなと言う方が無理だろう。
「べ、別に良いでしょ、それより、行くつもりじゃないでしょうね。明後日、告示日なのに、そんなことしてる場合じゃないでしょ」
 ああ、そうだった。悪夢の演説で気付かない内に時間を浪費してしまったが、二日後までに準備は整えておかなければ状態だった。だがしかし――駄菓子菓子。ごめんなさい、言ってみたかっただけです。
「すまぬな、りぃ。男にはやらねばならぬ時があるのだよ」
 と言うより、少しばかり女の子とお近付きになりたいというのも立候補を決めた理由の一つだ。この機を逃すと言うことは、本末転倒以外の何者でも無い。
「はぁ!? ふざけたこと言ってると、全身の皮を、末端から剥いでく――」
 やたらと物騒な言動が耳に入ってきた気もするが、敢えて脳への侵入は遮断して、教室を飛び出した俺なのであった。


 学園の屋上は、常時開放されている訳では無い。サボりなんかの厄介事対策で、昼休みの一時間と、帰りのホームルーム終了時から二時間の合計三時間だけだ。土日祝日は終日閉鎖状態だし、大雪大雨で開放厳禁になった記憶もある。あ、但し天文部みたいに、必要に応じて届けを出せば、例外的に認められるものではあるらしい。そこまでして来たい場所では無いので、開いてなければ諦めるのが常であるのだが。
 今は、ホームルームが終わって十分程。昼休みと違って、全力疾走で向かうような奴も無い為、閑散としていた。扉から見える位置には誰も居なかったが、後ろ側は死角だ。時間潰しがてら、一回りしてみることにした。
「って――」
 そこには、一人の少女が居た。小豆色の髪をポニーテールで纏めている小柄な少女。柵に手を掛け、遠くを見遣っていたのだが、こちらに気付いて、振り返る。
 リボンの色から察するに、一年生だろう。柄がこまく見えるのは肩幅が狭いからで、上背自体は年相応みたいだ。瞳から感じる印象はかなり柔らかいが、りぃの目付きに慣れている俺だ。相対的にそう見えている可能性も、否定しきれないのが情けない。
「七原先輩、来て頂けたんですね」
 少女は、はきはきとした口調で言葉を口にした。うんうん、若い子は溌剌としていて良いねぇ。一つしか違わないけど。
「私、桜井岬さくらいみさきって言います。今年入学した一年生です」
 岬ちゃんかぁ。可愛い名前じゃないか。何も迷うことは無いんだよ。先輩に全てを任せたまえ。
「それで、いきなりなんですけどね――」
 来たぞ、落ち着け。こういう時は深呼吸だ。吸って、吸って、吸って――違う違う。過呼吸になって倒れたら、只のバカではないか。
「一昨日の選挙演説、拝聴しました」
 ピシッ。時たま、マンガなんかで、石化する奴が居るが、今の俺は、まさにその状態だった。ハハハ、しかし冷静に考えてみれば、全校生徒を相手にしていたんだから、岬ちゃんが聞いていても、何の不思議も無いじゃないか。論理的思考と言うよりは、ヤケっぱちな心持ちでそんな結論に至っていた。
「初対面でこんなこと言うのも何なんですけど、どうしようもないものでした。言葉面だけは良いんですけど、内容は皆無です。心に響く訳でも無く、かと言って笑いになるものでも無い。先輩が有名人だったら緩和される部分もあったんでしょうけど、正直、九十パーセント以上の人は、存在自体記憶していないと思います」
「……」
 一瞬、ここから飛び降りたら楽になれるかなぁ、などと思ってしまった。いかんいかん。気をしっかり持て、俺。
「そこで、一つ提案があるんです」
「何で御座いましょうか」
 年下相手なのに敬語を口走ってしまった理由は、俺自身も分からない。
「私を、参謀として使って貰えないでしょうか」
「――はぁ?」
 意外と言えば意外なその発言に、俺は意識せず頓狂な声を上げた。
「私の家は代々、選挙参謀を生業としているんです。現代の様な、民主的な選挙が確立される以前は軍師なんかもやっていたらしく、遡れば竹中半兵衛にまで至るそうです」
 竹中半兵衛と言えば、現在の岐阜に当たる美濃の斎藤家に仕えた、戦国屈指の智将である。僅か十数人で城を奪取したなどの逸話もあるが、まあどっちも話半分くらいに聞いておくのが無難だろう。
「それでですね。家訓があるんです。十五歳になったら、戦で圧倒的不利な状況を頭脳で覆して勝利しろ、と。現代選挙は陰謀渦巻く頭脳戦ですから、これ以上のものはありません。この学園を選んだのも、選挙がこれでもかってくらい活発だからです」
「そうでございますか。それは宜しゅう御座いますね」
 生返事という言葉は、この時の為にある単語だと実感した。
「そして、一昨日の演説会で確信しました。七原先輩は現状、最も当選から遠い候補者です。まだ立候補を表明していない方が居るかも知れませんが、最悪でもどんぐりの背比べといったところでしょう」
 ああ……熟したトマトって、自然に落ちてその実をぶち撒けるんだよな。五階の高さに相当するこの場所から、校庭と通用路を見下ろしながら、そんな物騒なことを考えていた。
「大丈夫です。お姉ちゃんも似た様な状況を引っくり返して生徒会長を仕立てたんです。前例がある以上、挑戦しないというのは、先人達に対して失礼だと思います」
「岬ちゃん、姉が居るの?」
 自分と何の関係が無くとも、女性と聞くと生きる気力が湧いてくる。それが正しい男の在り方というものだ。
「ええ、三年生です。一昨年、何の取り得も無い一年生を当選させた手腕は、一部では伝説とさえ成りつつあります」
 初めて聞いたのは、黙っておくことにしよう。
「あー、でも悪いんだけどな。俺、そんなにやる気無いんだ。お祭りの御輿を担げれば良いって言うか、要はドンチャン騒ぎがしたいだけだったりするんだ」
 中途半端な受け答えをしても、不誠実なだけだ。ここはキッパリと言い切った方が良い。
「そんなことは分かっています」
 しかし、岬ちゃんの刃の方が鋭かった。
「分かり易く言い換えます。私の踏み台になって下さい」
 いやいやいや。それは参謀として、本末転倒だろう。
「それに、良いんですよ。最初はどんなきっかけだったって」
 不意に岬ちゃんは声色を変えると、柵の外を見遣った。
「大事なのは、自分が持った力で、何をしようとするかです。医者になったのは、世間体だった人と命を救いたかったからの人。どっちが偉いなんて言い切れますか? 重要なのは、今、患者さんとどれだけ真摯に向かい合ってるかです」
 岬ちゃんは一度、こちらの顔色を伺うように首を動かすと、再び遠くに視線を移した。
「生徒会長だって同じです。高潔で、大志を持ち、それを実行するだけの行動力を持つ人。そんな人が運営するのは、もちろん理想です。ですけど、理想形って、一つじゃないんです。先輩みたいな人だから成し得る生徒会もあるんです。この学園を想い、どう形作っていくか。なってから考えたって、それは全然悪いことじゃないんです」
 一陣の風が彼女の前髪を掬った。何と言うのだろう。真っ直ぐな瞳でこちらを見詰める彼女の顔は、年下と思えないくらいの意思を感じた。選挙や軍事という、魔物が棲む世界に携わってきた家系が持つ血か、本人の資質なのか。いずれにしても、俺を圧倒するだけの気迫を持っていることは、理解できた。
「――と、先輩には、最低でもこの位の話術は身に付けて貰います」
 うぉい。
「ちょっと待て、何か。今までの台詞は、全部建前かよ」
「そんなこと無いですよ。本音だって相当量含まれてます」
「具体的にはどれくらい?」
「七パーセントくらいですかね」
 とりあえず俺の感動を返せ。心の涙もだ。
「何言ってるんですか! 内容が無いものを如何にして壮大なものに勘違いさせるかが、軍事に於いての基本であって、それは選挙でも、法案提出でも、何ら変わりないんです! 酔っ払っちゃえば、極限まで薄めたウイスキーだって、原液と偽って売れるのと同じですよ!」
「どんな喩えだよ!?」
 思わず突っ込んでしまったが、これ自体、論点を逸らす為の作戦では無いかと勘繰ってしまう俺が居た。
「でもまあ、先輩にしか出来無い生徒会があるっていうのは本心です」
 けろっと口にした。
「私、学園生活を楽しみたいんです。先輩とならそれが出来ると感じた。家訓のことはありますけど、それも只のきっかけに過ぎないんです」
 屈託の無い笑顔で、そう言い切った。ある意味、泣かれるのと同じくらい威力があるぞ、この子のそれは。
「わーった、わーった。岬ちゃんを参謀として迎え入れる。それで良いんだろ」
 男ってのはな、女に騙されてナンボの所があるんだぜ。憶えておきな。
「ありがとうございます! では、早速初仕事を――」
 言って岬ちゃんは、俺の懐に飛び込んできた。
「ちょ、岬ちゃん?」
「動かないで下さい。ネクタイが曲がってるんです」
 ……はい?
「人間は外見じゃないって言う人も居ますけど、私は少し違うと思っています。見た目を整えるのは、誠意の一つなんです。相手に不快感を与えないこと。人間関係って、その積み重ねじゃないですか」
 彼女は俺からちょっと離れると、頭から爪先まで、視線を這わせた。
「んー、まあ今日は仕方無いですけど、明日以降はちゃんと制服にアイロン掛けてきて下さいね。寝癖なんか言語道断。靴下も清潔感溢れる白か、或いは逆に、汚れが目立たない黒でお願いします。ボタンが外れかけてたら早めに言って下さい。それと、毎朝、出掛けにチェックしますし、登校時を狙った運動もする予定もあるので、早めに起床する様、お願いします。あとはですね――」
 留まることなく、延々と続ける岬ちゃん。早くも、後悔の念が押し寄せて来ているのは内緒だぜ。

 こうして俺は、参謀という名の小姑を味方に引き込んだのであった。




次回予告
※ 公:七原公康 莉:椎名莉以 岬:桜井岬

岬:始めまして、桜井岬です。七月九日生まれの十五歳。家族は両親と姉の四人ですが、近所に親戚が多い為、
 大きな共同体を形成している感じです。好きな動物はエリマキトカゲ。嫌いな動物はカメレオンです。
莉:って、何で自己紹介になってるのよ! ここはあくまで次回の宣伝で――。
岬:椎名先輩は黙って下さい。選挙業界、自己の主張を受け入れて貰えるかどうかが一つの分かれ目なんです。
 そんなことも分からないから、七原先輩はあんな大恥を掻いたんです。
莉:あの一件は公康がバカだからの一点に過ぎないわよ。
公:おーい。
岬:ふー!!
莉:ふぎゃるるるー!
公:猫か、お前らは。
岬:という訳で、次回、第三話、『意外な対抗馬』。御期待下さい。
莉:しかも良いとこ持ってくし!




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