前略。兄さん、お元気ですか。俺は今、全校生徒の前で立ち尽くしています。兄さんも御存知の通り、うちの学園は生徒が千五百人を越える、ちょっとしたマンモス校です。何と言うのでしょう。俺の人生に於いて、これ程多くの視線に晒されることがあるのでしょうか。こんな経験は中々出来るものでもありません。貴重な人生の一頁として、心のメモリーに刻むことに致します。 ああ、そう言えば、何故この様な状況になったかを説明していませんでしたね。理由は意外とシンプルです。それはですね――。 時は数日程遡る。 「うむ、唐突だが、生徒会長に立候補しようと思う」 「はぁ!?」 やや閑散とした放課後の教室で、俺は悪友その一である、 「聞こえなかったのか、りぃ。俺は五月期の選挙に立候補する。これは全生徒に認められている権利であり、俺もその例外では無い」 当学園生徒会は年二期生で、五月と十一月に選挙を行い、その月の内に引き継いでしまう。今は四月下旬で、来週に告示日が有り、その日から一週間の選挙活動を経て、投票日を迎える形式だ。他校がどうなっているかは知らないが、うちに関して言えば、これはちょっとしたイベントで、毎年数々の伝説を打ち立てる英雄と阿呆が入れ乱れるのだ。もちろん、売名と言うか、只、目立つ為だけに立候補する泡沫候補もたくさん居る訳で、そんな一人に紛れてみようと思い立った訳だ。 唯、選挙自体はかなり民主的で、理事長の孫に組織票が入るとか、そういう馬鹿げたことは殆ど無い。強いて言うなら、人気があって煽動が上手い奴が勝つ傾向にはあるが、それも選挙戦略の一環だ。宗教関係の後援があるよりは、幾ばくかマシと言うものだろう。 「って、どういう風の吹き回しよ。 りぃは、公康こと俺、 「別に嫌いと言った覚えは無いな。興味が無いとは言ったが」 俺は二年生なので、去年に二度、このお祭りを経験している。しかし何となく馴染めない部分があって、あまり深く関わろうとはしなかったのだ。でもまあ、折角この学園に入学した訳だし、どうせなら、参加側に回るのも悪くないと思った訳だ。 「心配するな。俺が当選する訳無かろう。自慢では無いが、顔はそこそこ良いとしても、カリスマ性も無ければ、話術も無い。人心操作術にも全く自信の無い俺が生徒会長になるようなことがあれば、それはもう、この学園の終わりを意味している」 「自分を持ち上げるのと同時に落とすのって、相乗効果で傷付かない?」 「……うん」 ちょっと泣きそうなのは内緒だ。 「はは、相変わらずだねー、公康」 不意に声を掛けてきたのは、悪友その二、 唯、千織はその実、かなりの女好きで、たった今も一年生を物色してきていたところのはずだ。成果が上がったという話を聞いたことは無いが。なよなよした態度と外見が敬遠される原因なのだろう。本人は、母性本能をくすぐる作戦だと言っているが、付き合いの長い俺が断言する。天然だ。 「それで、何かやりたいことってあるの? 落ちるのが前提にしても、公約とか必要だし」 千織は、何処となく軟体動物を思わせる手付きで椅子に手を掛けると、俺達の横に腰掛けた。 「そうさなぁ。男女同権を実感する為、月に一度、フェミニズムの日を作る」 「具体的には何する訳?」 「男女の制服を取り替えて登校するんだ。電車、自転車、徒歩に関係無くな。こうすることにより、お互いの苦労を理解出来る――」 「却下」 つれない奴である。 「うちの学校、女子が多いから数合わないし」 自分で提案しておいてなんだが、論点はそこじゃないと思う。 「あー、何々の日を作るっていうことなら、キャット・デイを作ろうよー」 「説明を求めても良いだろうか」 「月に一度、朝のホームルームに猫を撫でるんだよ。アニマルセラピーは科学的にも認められてるし、精神的に和めばその日一日を有意義に過ごせると思わない?」 クラス一同、いや、全校生徒が同時刻、猫を膝に乗せて撫でる絵を想像してみる。下手な新興宗教より、確実に危ない光景だ。 「あのねぇ。そんなにたくさんの野良猫、何処で調達してくるのよ」 もう一度突っ込ませてくれ。論点は、そこじゃない。 「あのな、りぃ。政治の世界では、文句を言うのであれば対案を用意せねばならんのだ。そこまでダメ出しするのであれば、何かあるんだろうな」 まあ、その異論自体、反論とも言えないものなんだが、敢えて黙っておくことにしよう。 「う……た、例えば……七月の文化祭を今までに無いくらい盛り上げるとか」 「つまらぬ。まったくもって、つまらぬな」 わざとらしいまで大仰に、そしてちょっとばかり声をしゃがれさせて返してやった。 「所詮、主などその程度。平凡にして凡庸。生涯、才など発揮する機会さえなく終える器よ」 「制服交換なんて、下心見え見えの発案する奴に言われたかないわよ」 そこを突かれると、何も言えなくなるではないか。一瞬、俺なんかよりよっぽど政治家に向いているとさえ思ってしまったぜ。 「まあ、別にやりたいことがあって立候補する訳じゃないし、そう焦らなくても良いだろ」 「それもそっか。あと一週間ある訳だし、最悪、前の日に何とかしましょう」 「はははー。莉以ってば、公康応援する気、満々なんだねー。最初から聞いてたけど、同意とか無かったよね」 言われてみれば、たしかにそうだ。まあ、断ったところで済し崩し的に巻き込むつもりだったので、結果としてはあまり変わらないのだが。 「な、何言ってるのよ。こいつ、生徒の代表に立候補するなんて無謀なことしてるのよ。止めても止まる奴じゃないんだから、だったらせめて手綱を握るしかないでしょ」 「うんうん、そう言うことにしてあげるよー」 何だか良く分からないが、りぃは焦った感じで捲くし立てていた。気のせいか、顔が少し赤い様にも見える。こいつ、酒でも飲んだのか、未成年のくせに。 ま、何にしても、こいつらとこんなバカやるのは楽しいし、今回のこれも、その延長に過ぎない。俺にしてみれば、その程度の心持ち。だけど、事態はそんなに単純では無かったんだ。 えーっと、兄さん、何処までお話しましたっけ。そうそう。俺が生徒会長に立候補しようと決めたところでした。人生万事塞翁が馬――いえ、これは違いますね。何と言いますか、一寸先は闇と申せば適切なのだと思います。詰まるところ、告示は一週間後だったのですが、その四日前に、非公式な演説会があったのです。参加は自由なので、今にして思えば断れたのですが、どういう訳だか現状に至っております。 その持ち時間は一人三分。たかが三分と侮ってはいけません。千五百人にとっての三分なのですから、考えようによっては、四千五百分、つまり三日以上の時間と取れなくも無いのです。ああ、何の考えも無いまま、無情にも俺の紹介が終わろうとしています。もし無事に生還できれば、また兄さんと酒を酌み交わしたいものです。そんなことした憶え無いぞと、野暮な突っ込みは御遠慮下さい。草々。 「――では、二年三組、七原公康さん。お願いします」 頭の中は既に純白だったが、かろうじて頭を垂れると、再び全体を見回した。そこは、人の海だった。教職員を含めれば、二千人とも言える群集。瞳の数に換算して、四千にもなるのだ。全てではないにせよ、その殆どがこちらを注目している訳で、このまま卒倒してしまった方が楽になれるとさえ感じられる。だけど、生来の気丈な性格が、こんな形で裏目に出るとは――恨めしくも、憎たらしい。 「只今御紹介頂きました、七原公康です」 殆ど時間稼ぎの意味で、ゆっくりと自分の名前を口にした。しかし、稼げたのはせいぜい五秒から十秒。次に何を喋るべきか、働きの鈍い頭脳を駆使して、何とか言葉を選んでいく。 「えー、この度、私が生徒会長に立候補しようと思い立ちましたのは、皆様に明るく楽しい学園生活を送って頂きたいからであり――」 りぃの奴に聞かれたら、『あのありきたりな演説、何?』となじられかねない内容だが、背に腹は代えられない。無難にそつなく三分間を乗り切ってみせる。 「つまり、学園生の学園生による学園生の為の生徒会運営を目指したいと思っています」 チーン。ベルの音がした。これは、一分毎に鳴るものなのだが、おいおいおい。まだたった一分かよ。 「その為に、私自身粉骨砕身、身を粉にしていく所存ではありますが、それ以上に皆様の御協力も必要不可欠であります。何卒、清き一票をお願い致します」 感覚として使った時間は、一分三十秒。途中退席が許されないことは事前に釘を刺されている。かろうじて構築した文章は、もう底を尽いてしまった。残り五合も残っている山を登るだけの体力は残されていないのだ。 「ですが皆さん。この様に、通り一遍のことだけ述べられても、今一つピンと来ないでしょう」 まあ、中身が無いのだから、一般論を述べるしか無いと言うのが正しい気もするが。 「そこで、少々具体的な公約を述べさせて頂きます」 ああ、落ち着け、俺。時間が余りまくったからといって、適当なことを口走るな。この時ばかりは、考えるより先に口が動くこの体質を、心底呪った。 「さて皆さん。学生にとって一番大切なものは何でしょうか」 チーン。二度目のベルが鳴った。 「それはもちろん、学業です。ですがそれは、唯一のものでは無い。部活動、委員会活動、友人、恋と、様々な経験をしてこそ、本業である勉学にも生きてくるというものです」 とにかく、舌を回すことだけは達者な俺である。詐欺師にでもならない限り、役に立つ能力だとも思わないが。 「しかしこの学園に於ける恋の現状はどうでしょう。女子が数的優位に立っていますが、むしろそのことが男女それぞれのコミュニティを強化し、多少なりとも溝を生じさせているではありませんか」 ちなみに、これが事実であるかは知らない。真面目に考えたことも無い。 「そこで、私は週に一度、男女交流会と銘打った、合コンを開催することをここに宣言致します」 静まり返った体育館に、スピーカーから吐き出される機械音が、余韻を奏でていた。普通であれば、拍手、失笑、爆笑、ざわつきなど、聴衆の音に依って掻き消される程度のものなのだが、耳につくほど、そこは静寂に満ちていた。 そして、三度目のベル。 「はい、七原さん。ありがとうございました」 事務的な司会役の声がした。そのこと自体、まるで何処か別世界の出来事の様にさえ感じられるが、辛うじて引っ込むべきことだけは理解して、足を動かしてゆく。 静けさが意味することは明らかだ。少しでも心動かされるものがあれば拍手をするだろうし、ウケ狙いだったら、どれだけ寒くても、感性はそれぞれだから、多少なりとも笑いを生じる。それでも尚、何も反応しなかった理由は単純明快。何も感じなかった、と。中途半端な真面目さがまずかったのかと、反省する余力も無く、舞台袖まで来たところで、俺は力尽き、倒れ込んだ。 かくして、俺の壮大なる選挙活動は、マイナスからスタートした。 莉:ったく。公康ってば、やってくれたわねぇ。 千:あれでこそ公康って感じもするけどねー。 莉:何、呑気に構えてるのよ。私達、あいつと一蓮托生なのよ。 選挙終わるまで、ずっとセットで見られるんだから。 千:莉以の場合、それはむしろ望むべきところなんじゃないの? 莉:な、何言ってるのよ! わ、私はあんな奴のことなんて――。 千:という訳で、次回、第二話。『参謀は美少女!?』 莉:ライバル、登場!?
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