「尚ちゃん、しっかりしてよ、尚ちゃん!!」 救急隊員が到着し、担架に乗せられ運ばれる尚美さんに、僕達はついてゆく。 そして、救急車に担架を乗せると、隊員の一人が誰か同行するのかと訊いてくる。 「えっと、それじゃ私が……」 と、一番尚美さんと付き合いの長い麻希さんが手を上げたその時だった。 「おっと、それは待ってもらえますかねぇ」 横槍を入れるかのような言葉が、文字通り横の方から聞こえくる。 振り向けばそこには、海水浴場には似つかわしくないよれよれのスーツを着た背の低い中年男性が立っていた。 「アンタ達、ガイシャとテーブルを囲ってたっていう知り合いだよねぇ? だったらここから離れてもらっちゃ困るんだよねぇ」 「ど、どうしてナオと一緒に行っちゃダメなのよ! それに、アンタ何者なの!?」 「あぁ、そうでしたそうでした。これまた失礼、っと」 男は懐をまさぐると、例の如くアレを取り出した。 こういうとき、お決まりのように出てくる警察手帳を。 「えー、私、今回ここの指揮を任されました茨城県警の 中濃宗輔――そう名乗った刑事は、そう言ってニタリと笑った……ような気がした。
「ふぅむ、ではあなた方が食事を始めて間もなく、被害者である佐東尚美さんは苦しみだしたというわけですな?」 尚美さんを乗せた救急車を見送った後、僕達は中濃刑事の立会いの下で、実況見分を進めさせられていた。 当然、水着の上にシャツを羽織っただけという格好のままで。 現場を一通り回ると、中濃刑事は、苑部さんの方を見る。 「ウチらに通報した時、あなたが毒が使われた可能性があると言ってたそうですねぇ?」 「えぇ、そうですが、それが……?」 「いえね、ちょっと気になったんですが……あなた、どうして毒だと思ったんです? 喉を押さえて苦しんだって言うなら、何かが喉に詰まっただけかもしれないし、もしかしたら喘息とかの類の呼吸器系の持病があったとも考えられるでしょう。なのに、あなたは毒という可能性を、我々が来る前に示唆した。ちょっとそこが引っかかりましてねぇ」 口ぶりからするに、中濃刑事は明らかに苑部さんに疑いを掛けている。 毒という可能性を思いついたのは自分が実際に毒を使ったからなのではないか、というような疑いを。 すると、そんな刑事さんに対し、飛月が吼えた。 「ちょっと、アンタなっちゃんに疑いを掛けてるの? そんな訳ないでしょ! だって、なっちゃん必死に人工呼吸とかしてたんだよ? 毒を盛った相手にそんな事普通する!? それなのに――」 飛月の叫びに続いて有栖さんも声を荒げる。 「そうだよ、そうだよ! そもそも奈都子は、そんなことする人じゃないよ! だって――」 と、そこで苑部さんが有栖さんの言葉を手で制止して、中濃刑事の前へ出た。 そして、上着の懐からソレを取り出すと…… 「言い遅れましたが、私は苑部奈都子、警視庁捜査一課の所の属巡査部長です。毒物の可能性も、私の今までの経験と知識から導き出された答えです。状況を見ての判断でしたが……如何だったでしょうか」 あくまでも感情を抑えた口調で喋る苑部さん。 そして、中濃刑事は警察手帳を見て多少ながら驚いたようだったが、直ぐにその顔も先ほどまでの薄ら笑いに戻る。 「なぁるほど、そういうことだったのですねぇ。しかし、その若さでしかも女性ながらに警視庁の刑事さんとは大したもんだ。……で、毒物の方はどうなんだ? 出たのか?」 中濃刑事がテーブルの方にいた鑑識官の方を向く。 すると、鑑識官は曖昧な顔をする。 「う〜ん、今のところ、向こうでの調査も終わっていませんし、まだはっきりとは言えませんが確かに被害者が食べていたという焼きそばの皿から毒物らしきものが少量ですが検出されてますねぇ。それも、彼女の言っていたような有機リン系の何かが」 「ほぉ。やっぱり毒なんですなぁ。いやはやさすが警視庁の刑事さんですな。……ですが」 再度苑部さんを見る中濃刑事。言葉を続ける。 「ですが、ここは茨城県で、あなたの管轄である東京ではありません。ここから先は我らに任せてもらいましょうか」 「……それは、つまり口出しをするな、と?」 「いえいえ、一市民一証言者としての発言なら、我々はいつだって大歓迎ですよ、んっふっふ」 それはつまり、刑事として警察としての発言は控えろと暗に示しているのだろう。 ……これが、警察の管轄……縄張り意識というものなのだな、と僕は実際に見る事で思い知った。 「さて、毒が実際に、被害者の食べていた物から出てきたということですが……」 中濃刑事は、少し歩くと麻希さんの前で立ち止まる。 「確か、昼食である焼きそばを運んだのはあなたでしたよねぇ?」 「そう、だけど…………まさか、私を疑ってるの!?」 「いえいえ、そんな滅相も無い。ただ、私は毒を盛れる機会が一番あったのは誰かと思いまして……」 「それを疑っているって言うんじゃない! ……だけど私は違うわよ。だって、ナオは自分で自分が食べる分の焼きそばを選んだんだから!」 「……ん? それはどういうことですかな?」 どうやら、麻希さんの言葉に中濃刑事も興味を示したようだった。 すると、麻希さんは一気にまくし立てるように説明を始めた。 「いい? 私達は八人いたの。ってことは運ぶ焼きそばは八つ。だけど一人じゃトレイを使ってもそんなに持てなかったから、私はナオを呼んだ訳。で、ナオには四皿置いたトレイを渡したの」 ――そういえば、そうだった。 麻希さんよりも早く戻ってきた尚美さんは、四皿置かれたトレイを僕達の目の前に置き、それを“自らの手で”配膳してくれたっけ。自分の分もしっかり選んで。 「ふぅむ、つまり被害者は、“自らの手で”毒入り焼きそばを選んだ訳ですか」 「流石にナオが四つのうちのどれを選ぶかなんて分かりっこないし、四分の一の可能性に賭けるなんて真似する訳ないでしょ」 「ま、確かにそう考えられますな、普通なら。ただし、これがもし毒を食らうのが誰でもいいという無差別的なものだとしたら……」 「まさか刑事さん、麻希ちゃんが無差別殺人を計画していたとでも考えているんですか?」 雪絵さんの言葉に、麻希さんは青ざめた。 「そ、そんなわけないでしょ! む、無差別殺人なんてそんな滅茶苦茶な事を――」 「確かに無差別殺人ってのはちょっと……」 ――あれ? 今、僕何か言った……? いや、確か咄嗟に思った事を心の中で言って――――――って、もしかして無意識の内に口にしてたのか!? 「莞人……?」 あ〜、飛月もこっち見てるし、やっぱりそうみたいだ……。 何でこういうときばかり、言わなくてもいい事をベラベラと僕は言ってしまうんだ……。 「ほぉ、無差別殺人でないという根拠があるのですかな、んん?」 あちゃ〜、中濃刑事にもロックオンされてるし、最早毒を喰らわば皿まで、ってやつかぁ。 ――毒を扱った事件なだけに、とか少しでも思った僕が情けない……。 「いや、あのこれはあくまで僕の考えなんですけど……普通、毒を盛った犯人が少数に特定できる状況で、無差別殺人なんて考えるかなぁ、と思って……。無差別殺人なら、もっと自分が疑われないような状況を作ってからの方が……」 「そうね。無差別殺人なんて、それこそ誰が死んでもいいって考えてる人間がやることだもの。こんな知人達で囲むテーブルで計画するような事じゃないと私も思うわ」 苑部さんに半分助けられる形で、僕はその考えを伝えると、中濃刑事も少し考えるような仕草をした。 「ほぅ。こんな状況だっていうのによく頭が回る事で。確かにあなた方の言う通りかもしれませんな。……だが」 刑事は再三、麻希さんのほうを見た。 「毒が検出されたのが焼きそばである以上、それを運んできた彼女が一番毒を盛れる機会があるというわけで……」 「だからぁ、私は毒なんて知らないって何度言わせれば――」 「警部補! 毒物の正体が分かりました!」 ドタドタと足音を立てて中濃刑事――警部補だったのか……――の元へやってきたのは、角刈りで体育会系な雰囲気の若い男だった。 「そうか、ご苦労。で、結局何だったんだ?」 「はっ! 通報時に言われていた通り、毒は有機リン系の農薬パラチオンでした」 「パラチオン……ドイツの化学メーカーが生み出した殺虫剤ね。だけど、その毒性の高さから今は先進各国で使用が禁止されているはず……」 「ほぉ、流石東京の刑事さんだ。博学でいらっしゃる。だが、そんな知識は今は重要じゃない。問題は誰がそれを使ったかなんですよ。――んで、他には何か無いのか、 臼田と呼ばれた角刈りの刑事は、さらに報告を続けた。 「はっ! それが、つい先程鑑識の方から受けた報告なのですが、毒――パラチオンが、焼きそばからだけでなく、被害者の使っていたコップの水や箸からも検出されたそうです」 「何ぃ? 水や箸からも検出されただぁ? ……するってぇと、毒を盛った可能性があるのは、一人だけではなく……」 中濃刑事は、首を向ける。 コップを配り、橋を渡していった彼女達の方を。 「そんな……冗談ですよね?」 「わ、私!? ち、違うよ! 私は――!!」 どうやら疑いは、雪絵さんや有栖さんにまで飛び火してしまうようだ。 あの時、食事が始まる直前のことを整理してみよう。 まず、焼きそば。あれをカウンターからテーブルまで持ってきてくれたのは、麻希さん、そして尚美さんだった。 そして、尚美さんは、自分が食べるそれを自らの手で選んでいた。 次に、コップ。水を入れたそれを配ってくれたのは、雪絵さんだった。 苑部さんは酔った駿兄の世話をしていたし、僕と飛月はいわば客ということで、雪絵さんが持ってきてくれたのだ。 「つまり、給水機で水を汲むと見せかけて、毒を入れることも可能だったと……」 「確かに私はコップを運びましたし、仰るとおりの毒を盛る隙があったかもしれません。ですが、コップを選んだのは尚美ちゃん本人だったのですよ?」 あの時、雪絵さんはトレイに載せた八つのコップを順に取らせていた。 給水機に近かった僕は確か二番目で、尚美さんはそれから直ぐだったから……大体三、四番目ってことか。 「尚美ちゃんがどれを選ぶか分からないのに、水に毒を入れるなんて……そこまで私は愚かではありません」 つまり、自らの手で選んだという点では、焼きそばと殆ど一緒と考えていいはずだ。 そして“自らの手で”といえば…… 「ちょ、ちょっと待って! それだったら、私だって同じだよ!」 そう、その点では有栖さんも同じだった。 有栖さんが配ってくれた割り箸。 それ自体は、カウンターの傍に束になっていたのを持ってきたもので、皆から遠ざかった隙に毒を盛ることは他の二人同様、可能だ。 だが、問題はその持って来た人数分のそれを、有栖さんは全て握って僕達に差し出してきたことだった。 まぁ、とどのつまり、握られたくじ引きの紐を引くかのごとく、僕達はこれまた“自分の手で”箸を選んだのだ。 それを知った中濃刑事は、流石に困惑気味のようで。 「……ということは何ですかい? 焼きそば、コップ、箸の全ては最終的には被害者自身が選んだっていうわけですかね?」 「そういうこと。だから、私達に尚ちゃんを毒殺するなんてことは無理なんだって!」 「しかしですなぁ、それら三つから毒が検出されて、しかも被害者がそれを口にして倒れたのは事実なんですよねぇ」 「そ、そうかもしれないけどさ……」 「とにかく、ひとまずはもう少し捜査が進むまで皆さんには待機してもらいましょうかねぇ。なぁに、そんなに時間は取らせません。我々の力を以ってすれば、すぐに解決しますから」 こうして、事件の当事者である僕達を交えた実況見分は一時中断された。 多くの謎と疑問を残しながら――。 ここで、思い出して欲しい。 先程の実況見分の場面、何か違和感が無かっただろうか。 証言の内容とかそういう場所ではなく、もっと根本的なところで。 あの事件を間近で目撃したのは尚美さんを除けば僕達七人。 だけど、先程の見分でいたのは、僕と飛月、苑部さんに有栖さん、麻希さん、雪絵さんの六人だった。 そう、駿兄がいなかったのだ。 では、そのいなかった駿兄は、あの時どこにいたのかというと…… 「う〜、目が回る……頭がガンガンする〜……」 情けない事に、駿兄はパラソルの下でずっとぐったりしていたのだ。 どうやら今更になって本格的に酔いが回ってきたようだった。 そして、それ故にこんな状態ではいるだけ邪魔ということで見分立会いを警察から免除されたというわけだ。 「――ったく、一気にあんなに飲んだらそりゃ酔うわよ。それくらい分かってよね」 飛月が駿兄の額に濡れたタオルを置く。 ちなみに、一時的に解放されたので、飛月も僕ももう水着から普段着に着替えていたりする。 これ以上、海ではしゃぐわけにもいかないしね。 「……んで、どうだったんだ? 何か分かったのか? 俺達まだここにいなくちゃなんないのかぁ?」 「あ、うん。それが――」 僕が先程の実況見分で分かった事実等をかいつまんで説明すると、駿兄はため息をつく。 「はぁ〜、ってことはまだ俺達はここにいなくちゃなんないのかよ。……勘弁してほしいぜぇ」 「いや、そんな事言っても……。それに被害に遭ったのは苑部さんの友達なんだからそんな言い方……」 「その事なんだがよ……やっぱ、犯人はあの中にいるってことなのかねぇ……」 「そ、それは……」 確かにその通りなのだが、その可能性は考えたくはなかった。 あれだけ中が良さそうだったあの人達のうちの誰かが殺人を犯したなんて事は……。 「気持ちは分かる。……だけどな、話を聞くとやっぱりなぁ……」 「そんな! アンタまであのねちっこい刑事みたいな事言うの? そんな事言ったら、なっちゃんが可哀想だよ」 「だから、なっちゃん言うなって何度も言ってるでしょう」 いきなり聞こえてきた声に驚き、僕と飛月が振り返ると底には予想通りのあの人が。 「なっちゃん!」「苑部さん!?」 苑部さんも僕達同様に、向こうで水着から普段着に着替えていたようで、ワイシャツにタイトスカートという格好になっていた。 「いや、だからなっちゃんは……って、もう何か疲れたわ。それと、あなたも苗字にさん付けなんてそこまで他人行儀じゃなくてもいいわよ」 「え? それじゃ、なっちゃんって呼んだり……いや、ナンデモナイデス」 そりゃ、その切れ長な目で睨まれたら怖いもの。 咄嗟に謝りたくもなる。 すると、苑部さ――もとい奈都子さんは、仰向けになっている駿兄の傍に近づいた。 「で、気分はどう?」 「見りゃ分かるだろ。……頭痛はするわ気持ち悪いわで最悪だっつーの」 「だから飲みすぎるなって言ったのに。人の言う事を聞かないからこうなるのよ」 「るせー……痛つつ……」 駿兄は身体を起こすが、すぐに頭を押さえる。 「はぁ〜、急に起きたらこうなる事くらい予想しておきなさいって」 「大きなお世話だっつーの」 痛みが引いたのか駿兄は顔を上げる。 「……だけど、大変な事になったな」 「えぇ。尚美の安否もまだ分からないし……無事だといいんだけど」 尚美さん……奈都子さんの懸命の心肺蘇生は功を奏したのだろうか……。 そして、駿兄はそんな奈都子さんの顔を見て、静かに口を開いた。 「んで、お前は誰がやったと思う?」 「え……」 「トボけんな。あの三人の中の誰が毒を持ったのかって聞いてるんだよ。さっきの俺達の話も聞いてたんだろ?」 「それは…………」 奈都子さんが言葉に詰まると、飛月が前に出て声を荒げた。 「あのね! 何でわざわざそんな事をなっちゃんに聞くのさ! この馬鹿探偵が!」 「うん、飛月の言うとおりだよ。もう少し奈都子さんの気持ちを汲み取ってあげ――」 「現実から逃げてたら犯人が三人のうちの誰かじゃなくなるのか? 考えなければそれでいいのか? なぁ?」 「そ、そこまで言ってはいないけどさ……」 駿兄の言ってる事は尤もだったけど、それを今の奈都子さんに押し付けるのは辛い事だと思う。 せめて今くらいはそっとしておいた方が……そう思ったのも束の間。 「そうね。事実から逃げても何も変わりはしない。いずれは直面することになるだろうしね。目を背けていた所で何も始まらない、か」 「なっちゃん……」 「そういうこった。……相変わらず強いな」 「刑事だもの。これくらいじゃないと」 奈都子さんは気丈に振舞っていた……がすぐにその表情に翳りを見せる。 「でも、ここでは私は所詮は事件の当事者というだけ。いつもみたいに捜査情報が刻々と入るわけでもないし、私の力じゃとても……」 「お前、自分が警察側じゃないと何も考える事が出来ないのか?」 「!! そ、そんなこと――!」 「だろ? 別に警察じゃなくっても、誰が犯人かとかを考える事は出来るんだ。ここにいる莞人や飛月にも出来るくらいだしな」 「何でそこで、あたし達の名前を出てくるのよ!」 確かに、何だか言い方が“サルでも出来る”と同じニュアンスだったような……。 「つまり、私にあんたみたいに探偵の真似事をしろってこと?」 「真似事って……俺はれっきとした探偵だっつの!」 「れっきとしたも何も所詮はヤクザな仕事よ。人のプライベートを犯したり、酷い時は私達警察の邪魔したりする厄介な、ね」 やけに言いたい放題だなぁ……などと思っていると。 「でも、今はそれくらいしか無いのかも、ね」 奈都子さんの表情は次第に明るくなっていった。 「今回は特別……特別にあんた達と一緒に考える事にするわ。同じ民間人側としてね」 「何か言い方が引っかかるけど……ま、お前がそれでいいなら俺は協力するぜ。お前らはどうだ?」 答えはまぁ、決まっているわけで、僕と飛月は二つ返事で答えた。 「協力しないって言えるほど僕も薄情じゃないからね」 「そういうこと! 私達もなっちゃんに協力するよ!」 「いや、だからなっちゃんて言うなって何度言えば――」 奈都子さん……そろそろ諦めてもいいんじゃないかなぁ……。 <中編・弐へ続く!!>
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