僕と彼女と探偵と


 赤は炎。炎は文明の象徴。
 そして、赤は鮮血。血は生きていることの象徴。
 我ら文明人は、この外なる“赤”と内なる“赤”無しに生きることは出来ないといっても過言ではない。
 いわば“赤”は、人間にとって“生命(いのち)”を意味する色なのかもしれない。
 私はそうだと信じている。

 故に、その外なる“赤”と内なる“赤”に包まれる時こそ、人が永遠の生命を与えられる時なのではないか?
 私はそうだと信じている。

 そして、あなたにその永遠の生命を与える私に罪などあるだろうか?
 否、それは無い。私は永遠なる生命を創造したのだから。
 私はそうだと信じている……。


僕と彼女と探偵と
〜紅蓮の殺人〜 炎の章

civil


「と、言うわけであたし達は今、依頼人であるあの有名な陶芸家、和光わこう雄全ゆうぜん先生の自宅へ向かっているところなのです!」
「何が、というわけで、だ。てか、誰に向かって喋った今?」
「細かいことは気にしない、気にしない! そんな風にしてるとそのうち禿げるよ」
「余計なお世話じゃ!」
 いつも通りの駿兄と飛月の掛け合い漫才。
 いつも通りのお決まりな展開。
 しかし、それをやっている場所は、いつもと違った。
 現在ここは、ワゴン車の後部座席。駿兄の車ではない。
 先程、飛月が言っていた依頼人の和光氏の要請で迎えの車に乗って、依頼内容を聞く為に依頼人宅に向かっていたのだ。
 だが、今は大学の試験期間中。
 本来なら、仕事への同行は断っていたのだが……。
 依頼人が陶芸家の和光氏だと知った飛月が、どうしてもついていきたいと嘆願し、何故か僕を強制的に同行させられるハメになってしまったのだ。
 偶然にも今日は試験は無かったが、明日は必修科目の試験が控えている。
 本当に災難だ……。
「どうしたの、莞人? 頭なんか抱えてさ」
 ……君のせいです、君の。
「僕は明日、大事な試験があるんだよ……。飛月もあるだろ?」
「え? まぁ、あるけどね」
「なら、今日は試験勉強をした方が――」
「でも、それを差し置いても、あの陶芸界の鬼才、和光雄全氏に会うことには価値があると思ったんだよね〜」
 声がうっとりしていたので、彼女の方を見てみると、その目も輝いているようだった。
「あの和と洋の美を兼ね揃えた斬新な曲線美……。あれだけの作品を作れるのは、世界でもあの人くらいよ、きっと」
 ここまで、彼女を魅了する和光雄全という彫刻家とは一体……。
「ず、随分と陶芸に詳しいみたいだけど……」
「あたし、陶芸が趣味のおばあちゃんの傍でずっと暮らしてたから、そっちの知識は自然と入っていたのよね〜。その影響で高校時代では美術部で焼き物作ってたりもしてたんだ」
 美術部だったのか……。空手部とかかと思ってた……。
 やはり、まだまだ謎が多い人だ……。
 しかし、飛月が作った作品を見て、「ダメだぁ!」とか言ってそれを叩き割る姿は何故か容易に思い浮かんだ。
「え、えぇぇぇ!!? お、お前って空手部とかレスリング部とかに入ってい、ぶるぉぁっ!!」
 そしてここで、自分の考えていることを素直に言ってしまう馬鹿が駿兄だった。
 今日も今日とて、飛月から一撃目の鉄槌を喰らう。
 まったく、学習能力が無いというか……。
「ははは! そこまで先生の作品をお褒め下さるとは……。光栄ですよ」
 今喋ったのは、運転席にいる登米田とめださんという男性で、今回の依頼主である和光氏の自宅で執事をしているという。
 執事――その言葉は、小説や漫画でたまに見たり聞いたりはしていたが、現実で見るのは初めてだった。
 そして登米田さんは、中年で背が高く、口ヒゲをはやした柔和そうな顔という、僕の執事像そのままの人だった。
「それなら、向こうに着きましたら、いいものを見せてあげましょう」
「いいもの?」
「えぇ。先生の作品のファンでしたら必ず、お喜びいただけると思います」
 そう言う登米田さんの声は、どこか楽しげだった。



 東京都世田谷区成城せいじょう
 いわゆる都心の高級住宅街の一角に、和光氏の自宅兼アトリエがあった。
「ほぉ〜〜〜」
「これはまた何とも……」
「てか庭が広っ!」
 敷地内に入った僕たちは、三人三様の反応を示すが、感嘆の感情を持っていたことは共通のようだ。
「どうぞ、こちらです」
 驚くのも程ほどに、僕たちは登米田さんの後をついてゆく。
 そうして着いたのは、本宅とは違う別の建物だった。
「まず、先にこちらをお見せしましょう」
 登米田さんが、ドアを開き、暗がりの部屋に明かりをつける。
 明かりがつくことにより白さが際立つ、その広い部屋にあったのは無数の陶芸作品。
「うわぁ……」
「こ、こ、こ、こ、これって!?」
「はい。これは先生、つまり和光雄全の作品を集めたギャラリーでございます」
 私設の専用ギャラリー。
 和光氏ほどの人になれば、こんなものまで作ってしまうのか……。
「すごいすごい! “喜”“怒”“哀”“楽”の四作が全部揃ってる! あ、あそこには“蒼龍”も!」
 飛月は、広いギャラリー中を早足でめぐり、一つ一つをみて感動していた。
 が、その一方で僕と駿兄は、ただ唖然としていた。
「……おい、莞人。和光雄全の作品って知ってるか?」
 僕の耳元で、小さく囁く駿兄。
 中高とミステリ一直線だった僕が当然知るわけも無く、首を横に振る。
「……というか俺、その和光って名前をこの前初めて知ったんだけど」
「……僕も」
 そんな僕達兄弟と、熱心に作品を見て回る飛月。
 一体、どちらが異常なのだろうか……?
「どうやらお喜びいただけたようですね」
「はい! そりゃあもう! ね?」
「あ、あぁ……」
 とりあえず相槌を打っておくことにする。
「それで申し訳ないのですが、私はここで仕事がありまして、本宅への案内は別の者に任せなければならないのですがよろしいでしょうか?」
 あくまで低姿勢で登米田さんは尋ねる。さすが執事……。
 駿兄は、別段人が代わる事には全く異論は無いようで即答する。
「それは別に構いませんよ」
「申し訳ありません。では今すぐに代わりの者を呼んできますので……」
 そういうと、ギャラリーの奥にある“事務室”のプレートが張られたドアの奥に入って行き、少ししてから出てきた。
 そして「間もなく来るはずです」と登米田さんが言っている矢先に、ギャラリーの入り口のドアが開いた。
「登米田さーん、来ましたよー!」
 快活な声を出して入ってきたのは、一人の青年。
 僕より少し年上といった感じがするその青年は、スーツ姿の登米田さんとは対照的にシャツにジーパンという非常にラフな格好だった。
「あ、相変わらず来るのが早いね、高峯たかみね君……」
「いやぁ! 僕のとりえなんて若さと足の早さくらいっスから」
 笑って答える姿を見ると、このタカミネという青年は、人当たりのいい性格に見える。
「それで、登米田さん。彼らが?」
「あぁ、そうだ。谷風探偵とその助手だ」
 名目上、助手扱いの僕と飛月。まぁ、実際も手伝ったりするのだが。
「そうですか。どうも、僕は和光先生の弟子の高峯さとしといいます。高い峯に聡明の“聡”と書きます」
「弟子……?」
「はい。先生の家に住み込みで家事を手伝いながら、陶芸のことを習っているんです」
 芸術の部門でも弟子を取ること、まだあるのか……。
 確かに、そのラフな格好は、陶芸に向いている格好だと思った。
「それでは、高峯君。後は頼みましたよ」
「えぇ。任せてください」
 登米田さんは、高峯さんに案内を任せると再び事務室と書かれたドアの向こうへと消えていった。
「それでは、行きましょうか」
 高峯さんが僕達に声を掛け、ギャラリーの入り口のドアを開けてくれた。



「ほう、登米田さんはギャラリーの運営の仕事をしているのか」
「えぇ。先生はご自身の作品の外部とのやり取りは全て、登米田さんに一任してますからね。世間に出ている作品は皆、あのギャラリーを通じて取引されているというわけです」
 ギャラリーを出てすぐ、駿兄が登米田さんが何でギャラリーに残ったのかを高峯さんに尋ねると、そんな会話になった。
「しかし、随分と彼を買っているんだな。作品の管理を一任するとは」
「まぁ、先生と登米田さんは美大時代の親友だったそうですから」
「成る程。親友だからこそ、自分の作品を任せられる、か」
 と、本宅への道を歩いていたその時、また本宅とは違う建物が敷地の端の方に見えた。
 それは平屋建の小さな建物で、いわば小屋といっても問題は無かった。
 大きな物置か? とも思ったが、それに気付いたのであろう、高峯さんが説明してくれた。
「あれは先生の今のアトリエです。で、その隣にあるのが作品を焼く窯です」
 アトリエ……つまり、飛月が感動するような作品の数々を生み出してきた場所というわけだ。
「まぁ見た目は小さいですが、昼夜を問わず一人で作品制作に没頭したいという目的で作られたので、中には一晩過ごせるようにトイレや寝床もあって結構充実しているんですよ。先生自身も雄全御殿なんて呼んでいますし」
 アトリエを御殿とは……。
 芸術家の考えることはやはり違うなぁ、と思う。
 そして、せっかくだから、と高峯さんはそのアトリエの正面前まで、僕たちを案内してくれた。
 間近で見ると、ますます小屋に見える“御殿”。
 高峯さんは、入り口にあたる引き戸の横にあった窓を指差した。
「ほら、ここに窓があるでしょう。ここから先生の作業場が見えるんですよ」
「え? ホントに!?」
 嬉々として窓に食いつく飛月。僕達もそれに続いて覗く。
 手前は、入り口から続く通路となっており、壁が切れたところからやや広いスペースが見えた。
 そしてそのスペースからは、部屋の奥には完成しているであろう壺と粘土の塊が載った大きな台や、陶芸に使うであろう道具が並ぶ棚等が見え、そこが作業場であることを示していた。
  ……がしかし、人の姿はそこからは見えなかった。
「あっちゃ〜……。“篭り部屋”にいるのかな?」
 僕たちの後ろから覗いていた高峯さんが、気まずそうに呟く。また謎の言葉が出た。
「篭り部屋?」
「ここからじゃみえないけど、右奥の方に寝床のある部屋があるんだよ。先生は制作に詰まった時、あそこに一人で篭ってインスピレーションを高めるんだ。だから“篭り部屋”って訳」
 苦笑混じりに答える高峯さん。その顔は申し訳無さそうにしていた。
「ま、どうせ後で顔あわせるんだからいいんじゃない、飛月?」
「そ、そうだよね……」
 納得したような口ぶりだが、その顔は明らかに悔しそうだ。
 すると、それを見かねたのか、高峯さんはフォローをする。 
「え、えっと、ほら。奥にある作業台の上に壺があるだろう。あれが先生の新作なんだ。まだ未発表のね」
 新作の言葉に、目を光らせて再び窓に食いつく飛月。
「それの隣にある粘土の塊は、あの新作と同時に発表する予定になっている作品になるはずだ
「へぇ〜、あれが和光雄全の新作……。なんか感激だよぅ」
「分かりますか? やっぱり先生の作品は窓越しに見ても、その美しさがにじみ出てますよね!」
「そりゃぁもう! 他の人の作品とは一味も二味も――」
「そうですよね! いや〜、僕も弟子入りして本当に良かったって、いっつも思ってるんですよ」
 飛月と高峯さんの間で、必然ながら陶芸トークに花が咲く。
 しかし、こんなアトリエ前で熱く語られても困るので、とりあえず制止することにする。
「あ、あのー、時間の方は大丈夫なんですか〜?」
 僕の言葉を聞いて、二人の会話はとりあえず止まった。
 しかし、飛月は不満げな顔をしていた。
「ちょっと〜、今いい話してんだから邪魔しないでよね〜」
「いやいや、確かに寄り道していたことを忘れてしまっていたのは僕の方ですから」
 かく言う高峯さんもどこか残念そうだったが……。
「それでは、本宅へと向かいますか」
 何はともあれ、これでようやく今度こそ、アトリエから本宅へ向かうことになりそうだった。



 というわけでやって来た和光家本宅。
 流石、成城に構えるだけあって、外観も凄かったが、中もそれ相応に凄かった。
 普段、雑居ビルの一角で生活する僕達が、物珍しげに玄関ホールできょろきょろしていると、高峯さんに言葉を掛けられた。
「えぇっと、ではこちらに――」
「あ、高峯さーん!!」
 高峯さんが僕達を案内しようとした矢先、廊下の奥から女性の声がした。
 僕達に近づく彼女を見ていると、僕は彼女の格好に目を惹かれた。
 黒いワンピースドレスに白のエプロン――その格好はまるで……。
「メ、メイドさん!?」
 そう、思ったことをすぐに口にしてしまう駿兄の言うとおりの“メイドさん”のようだった。
「え? あぁ、紹介します。彼女はここの家事を手伝っている、まぁいわゆる家政婦の乙井かおりさんです。かおりさん、こちらは例の探偵さん達」
乙井おといかおりと申します。皆様、ようこそおいで下さいました」
 深々と頭を下げるかおりさん。
 僕達も慌てて、頭を下げる。
 彼女は、高峯さんと同年代くらいの若い女性だったが、その礼儀正しさは顔にも出ているような気がした。
「それで、かおりさん。今、僕の名前を呼んだのは?」
「あ、そうでした! 先程、作品展の選考委員の方から電話が入ったので、その事をお伝えしようと思ってたんです」
「えぇっ!? 選考委員? あちゃ〜参ったなぁ。まさか今掛かってくるとは……」
「お客様は私がお連れしますから、高峯さんは電話を掛けに行って結構ですよ」
「あ、そうですか? それじゃあ、お言葉に甘えて……」
 と言って、高峯さんは僕達をかおりさんに任せると、廊下に入ってすぐのアトリエ、と書かれたドアの向こうに消えていった。
「アトリエ……って、あそこが高峯さんの?」
「そうです。元々旦那様がお使いになっていたアトリエだったのですが、庭に新たなアトリエをお造りになった後に弟子入りした高峯さんのお部屋となったのです」
 かおりさんは、僕の素朴な質問に嫌な顔の一つもせずに答えてくれた。
 さすがはメイド……もとい、家政婦さんだ。
 そして僕達は、登米田さん、高峯さんに代わってかおりさんの案内について行く事となり、ようやく二階にある応接室まで連れて行かれた。
 応接室もそれなりに壮観で、壁には絵画や骨董品の代わりに恐らく自身が制作したあろう様々な作品が並べられていた。
 当然、飛月はそちらに目を奪われるのに時間は掛からなかった……。
 一方の僕達は、美術品には特に関心が無かったので、部屋を見てただぼーっと見ていた。
 そこで一度、かおりさんは部屋を出たが、一分もしないうちにティーポットの乗ったトレイを持って戻ってきた。
 トレイをもつ姿、そしてポットからカップへ紅茶を注ぐ姿もなかなか様になっている。さすが、メイ――もとい家政婦さんだ。
 駿兄は、紅茶も注ぎ終わり、静かに部屋を去ろうとする彼女に声を掛けた。
「なぁ、メイドさん。ちょっと聞きたいことがあるんだけど……」
「はい、何でしょうか?」
 僕はその時、駿兄の鋭い眼光を見て、駿兄の真剣さに驚いた。
 まさか、依頼内容を聞く前から、その内容が分かってしまったのか!?
 そして口から出た言葉は……。
「あんたはどうして、そんな王道のメイドルックなんだ? 俺はそれが気になってならない!」
 舞台のコントなら、確実に僕は大袈裟にコケなければならなかっただろう。
 作品を見ていた飛月も思わず、足が少しスベっていた。
「しゅ、駿兄! あんた一体何を!」
「そ、そうよ! 馬鹿じゃないの!?」
「いいだろ? 本当に気になったんだからよ。俺、本物のメイドさん見るの初めてだし」
 いや、確かに僕も初めてだけど……。
「これは、旦那様の御指示で身につけているのです」
 って、平然と説明してるし!
 さすが、メイドさん。大抵のことには動じないのか……。
「旦那様は、常にこう仰られています。『家政婦はすなわちメイド! メイドならばそれ相応の服装を以って働くべし!』と。そう言って支給されているのがこの服装なのです」
 旦那様――すなわち和光雄全氏は一体どんな思想の持ち主なんだ?
 芸術家とは、常にそのようなことを考えているのだろうか?
 僕が、そんな風にポカンとしている横で、駿兄ですら呆気に取られていた。
「それでは、それでは失礼いたします――」
 こうして、応接室を去るかおりさん。
 そして、駿兄が突然口を開いた。
「和光雄全……デキルな……」
 僕にはそれがどんな意味を持っているのかは、いまいち分からない。
 と、そんなことを思いつつ時間が過ぎ、5分位して電話のコール音が室内に鳴り響いた。
 電話の方を見てみると、どうやら内線のようだった。
 しかし僕達はあくまで来客なので、その電話と取るべきかを悩むもので……。
「はい、もしもし?」
 ……中には悩まない人もいるようだった。
 飛月は堂々と受話器を取っていた。
「え、えぇぇっ!? は、はい……、はい。あ、今は私達しかいなくて……。は、はい、今すぐ!」
 あの飛月がここまで慌てる相手は誰なのだろう?
 内線なのだから、この敷地内にいる人物からの電話なのは間違いない。
 敷地内にいるのが分かっているのは、メイドのかおりさん、弟子の高峯さん、執事の登米田さん、そして……
「た、高峯さーん! わ、和光先生からで、電話がー!!」
 保留音のボタンを押した飛月は、そう叫びながら部屋を飛び出した。
 しかし、よりにもよって依頼主からの電話を受け取ってしまうとは……。
 すると、その声が聞こえたのか高峯さんが、すぐに階段を駆け上ってきてくれた。
「まったく僕がいないときに限って……。間が悪いなぁ〜」
 悪態を吐きながら、高峯さんは受話器を取る。
「はい、高峯です。代わりましたよ、先生。……はい、はい。……えぇ。はい――」
 なにやら和光さんと電話で会話を続ける高峯さんだったが、少しすると「了解しました」と言って受話器を置いた。
 そして、申し訳無さそうな顔で頭をかきながら、僕達の方を向いた。
「えぇっと、どうやら先生、インスピレーションが高まったとかでもう少し制作に専念したから、まだ来れないようです。で、代わりに話しておいてくれ、と頼まれたんで、僕の口から話させてもらいますね」
 流石、芸術家。没頭すると手が止められないのか……。



 そんな訳で、僕達はようやく依頼内容を聞くこととなった。
 高峯さんは、深刻そうな顔をしている。
「実は最近、先生が何者かに脅迫されているんです……」
「ほう、脅迫ですか……」
「えぇ。今から一ヶ月前、こんな手紙が届いたのがきっかけでして……」
 と言って、見せられたのは、味気ないワープロソフトで打った文章の書かれた便箋だった。
 そこには、簡略にこう書かれていた……。
 ――貴様は陶芸界の恥だ。貴様のような外れ者の作る作品が世に横行するだけで虫唾が走る。よって、今すぐに陶芸界から立ち去れ! これは警告ではない、命令だ。――
 その内容を見て、駿兄も苦笑する。
「随分な言われようですね」
「えぇ。ですが、ここまで過激すぎると、逆に冗談にしか聞こえなくて……。それで結局何も対処せずに放置することにしたんです。ですが――」
 脅迫文の届いた後、無言電話が幾度かあり、更に家の壁にも落書きがされたり、売り出された作品が割られて届けられたりと、実際に不穏な事態が続いた。
 しかし、和光氏は事を大きくしたくないのを理由に警察には届けようとしなかったと言う。
「ですけど、僕にはそんな先生につけこんで嫌がらせを続ける奴が許せなくて……! それで登米田さんと相談して、探偵さんに内密に調べてもらう、といことで先生の了承を得たんです」
 和光氏を尊敬している高峯さんにとって、これは何物にも変えがたい屈辱だったのだろう。その怒りは目に見えて分かる。
 そして、そんな怒りのオーラは僕の隣に座る彼女からもひしひしと感じられ、そして――
「そ、そいつ、許せないわ!!!」
 飛月は爆発した。
 そして、ソファーから身を乗り出して、高峯さんに迫る。
「わ、和光先生に向かって陶芸界の恥ですってぇ! 何をふざけたことを言ってるの! あの方は――」
 猛抗議を口にする飛月を見て、駿兄は我関せずと言った表情だった。“触らぬ神に祟りなし”ともいうのだろうか……。
 高峯さんに彼女をどうこうできる訳が無いので、彼女を抑える役は自然に僕に回ってきた。
「とりあえず、落ち着いてって飛月!」
 とりあえず興奮する飛月を抑えようと、彼女の腰を掴もうとしたが――!!
「――!!!」
 掴んだのは腰より少し上。女性の特徴であり、男性には普通無い、膨らんだ“あれ”だった。
 柔らかい……とか言っている場合ではないだろう。飛月の顔がこちらを向いた。
 そしてその顔付きは……まるで……鬼しっ……
 ここで暗転。

 ……  ……  ……  ……

「成る程、分かりました。では、情報をもう少し詳しく――」
 目が覚めると、少し時間が過ぎているのが分かった。僕は気絶していたようだ。
 そして、横を見てみると明らかに不機嫌な顔をした飛月がいた。駿兄と高峯さんは視線を合わせぬよう、必死に会話しているようだ。
 まぁ、何はともあれ、この不機嫌は僕の所為だろう。ということで、小声で僕は飛月に謝る。
「飛月……さっきはごめん。あれは事故だったんだよ」
「…………」
 僕の言葉に飛月は答えない。
 聞こえなかった……訳はないだろう。耳の傍で喋ったのだから。
 ということは……無視!?
 思い当たる節は、大有りなのが辛い……。
「ごめんってば! だから機嫌を直してくれって」
「…………」
 それでもなお、飛月は黙っている。
 顔を良く見ると、僕の方をじとーっと汚らしいものを見るかのように睨んでいた。
 そして、その口がぽつりと言葉を紡いだ。
「ラッキースケベ……」
 ……そう来たか。
「だ、だから事故だって言ってるだろ!」
 小声ながら必死に弁解しようとした。
 しかし飛月もそれに反論をする。
「事故だからラッキースケベって言ってるんでしょ! このスケベ!」
 最早、小声という領域を既に越えた大きさで叫ぶ。
 当然、駿兄と高峯さんも何事かとこちらを見てくるわけで……。

 バタン!!

 そして部屋を追い出されたわけだった。
 しかし、口論は続く……。
「だから謝っているだろう! それにわざとじゃないのに、スケベってのは酷いよ!」
「ひ、人の胸触っておいて、それはないでしょ!」
「あのねぇ――」
 と、その時だった。メイドのかおりさんが慌てたように階段を上ってきたのは。
「あれ、どうしたんですか? 何か慌てているみたいですけ――」
 あからさまに慌てていたかおりさんは、先程の落ち着きも何処へやらといった感じで、僕の言葉を遮って叫んだ。
「だ、だんな様のア、アトリエから、ひっ、ひっ、火が!!」
 だんな様のアトリエ……あぁ、あの小屋か。成る程、そこに火が――って
「「え、えぇぇぇええ!!」」
「ど、どうした!」
「何があったんです、かおりさん!」
 飛月とここぞとばかりに声を合わせて叫ぶと、その声に、室内にいた二人も飛び出してきた。
 かおりさんが再度事情を端的に説明すると、僕達は急いで外に出る。
 すると――
「お、おい……嘘だろ……」
「そんな……」
 そこには、黒煙を濛々と立ち上らせ、炎が所々から吐き出されている変わり果てたアトリエがあった。
「せ、先生ー!!」
 高峯さんが慌てて、アトリエへ向かった。
「メイドさん! 消防は呼びました!?」
「い、いえ、まだ……」
「今すぐ電話してください! それと念のため救急車も!」
「は、はい!!」
 かおりさんが、急いで家の中へ戻る。
 それを見た駿兄は、高峯さん同様にアトリエへ駆けていった。
「しゅ、駿兄!」
 すると、飛月が僕の腕を掴んで、アトリエの方に引っ張ってきた。
「何ぼさっとしてるの? あたし達も行くよ!」
「い、行くって……」
「和光先生が中にいるかも知れないのよ! 助けに行かなくちゃ!」
 そう言って、駿兄の後を追う飛月。
 確かにそうかもしれないけど……僕達の出る幕か?
 そう思いつつも、僕はとりあえず飛月についていった。



 アトリエにそばに来た時、黒煙は僕たちをも飲み込もうとしていた。
 黒煙は、その色に相応しい嫌な臭いと特有の目の痛みを誘発している。
 駿兄は、入り口となっている引き戸を必死に開けようとしていて、一方の高峯さんも携帯を取り出して、どこかにかけているようだった。
「くそっ! 鍵が掛かってて、びくともしねぇ!」
「先生の携帯、応答ありません。いつも持っているはずだから出ないって事は……」
 どうやら不穏な空気が流れているみたいだ。
 飛月は作業場の方にある窓から様子が中の見れるかも、とアトリエの裏手の方に回り込んでいった。
 そして僕は、何をするでもなかったので、引き戸の横についている窓から先ほどのように中を覗いてみた。
 ――すると、奥の作業場が激しく燃えているのが見えた。
 どうやら火元は作業場方面のようで、あまりの火の手の強さに真っ赤に染まっている。
 そして、窓からは人の姿はまったく見えない……。いるとしたら、ここからでは見えない死角に?
 すると、ついさっき作業場方面の窓がある裏手に回った飛月が、急いでこちらに戻ってくる。
「あっちは全然駄目! 作業場のほうは窓が開いてるみたいで火が飛び出してて、とても中を見れる場合じゃなかった!! 
 しかし、だからといってこちら側から窓を割るなりして、中に入ってもとてもじゃないが、奥には行けないだろう……。
 まさに万事休すの状態だった。
「せめて消火器とかがあれば……」
「これはどういうことですか!?」
 飛月が悔しげに言っていると、登米田さんが慌てて駆けつけてきた。両腕で消火器を抱えて……。
「や、やっぱり火災なんですね!? 私、消火器を持ってきた――」
「それ貸して!」
 登米田さんの腕から消火器をひったくり、飛月はものすごいスピードで裏手に回る。
「あぁ! 飛月待って!!」
「あの単純頭がっ!」
 暴走しかねない飛月を止めるべく、僕と駿兄も慌てて追いかけ、高峯さんと登米田さんもそれについてきた。
 そして裏手。
 先ほど飛月が言っていた通り、裏手にある窓はどれも網戸になっていたらしく、いまやその網の部分が溶け、火の飛び出る口となっていた。
 とてもではないが窓のすぐ近くには行けないので、僕達は窓を遠巻きに見ることしか出来なかった。
「飛月……やっぱり無理だって。こんな強い火じゃあ……って、えぇ!?」
 飛月は僕の言葉を無視して、窓の一つにできるだけ近づくと、消火器の安全ピンを外し、狙いを定め始めた。
 やることは大方予想できた……。
「いっけぇぇ!!」
 そして予想通り、火に向かって噴射。
 それを見て駿兄は思わず飛月に怒鳴った。
「ば、馬鹿か! そんなことしても火が消えるわけ……」
 僕も実際そう思っていた。……が、実際は火の勢いは次第に弱まっていっていた。
「猛火が消火器に抑えられている……。そ、そんなことがあるのかよ……」
「あ、中の様子が見えてきたみたい!」
 その言葉どおり、窓から出ていた炎は鳴りを潜め、窓に最接近できるようになった。
 そして、そんな窓から見えたものは、未だ勢いづく室内の炎に燃える棚や床、天井。そしてうつ伏せに倒れる人……。
 そう、入り口側からでは、壁の死角になって見えない、その場所にまさしく人が倒れていた。
「……せ、先生ぃ!?」 
「ア、アトリエに残っていただと!? なんてことだ!」
 窓を覗く高峯さんと登米田さんから悲痛、そして驚愕の声が聞こえた。
 やはり、あれが和光氏のようだ……。
 倒れる彼を見て、僕は直感的に嫌な予感がした……。
「先生! 先生!? い、今助けにっ!」
「馬鹿! 今、その格好で飛び込んだら焼け死ぬぞ!」
「だ、だけど中には先生が! 先生が!」
 と駿兄が高峯さんを無理矢理抑えていると、再び火の手が強まってきたのが見えた。
 やはり消火器は一時しのぎにしか使えなかったようだ……。
 そして、猛火が窓の正面にいる二人に向かって飛び出ようとしてきた!
「危ない!!」
 それを見ていた僕は、咄嗟に二人を押し倒した。
 炎が彼らの立っていた位置に吹きかかってきたのはそれからすぐ、まさしく間一髪だったようだ。
「あ、あぁぁああ先生……先生……」
「…………」
 起き上がることなく、ただ立ち上がる炎を見つめながら“先生と”呟く高峯さんと、起き上がり悔しそうな顔をする駿兄、そして無言で呆然と立ち尽くす登米田さん。
 炎は、そんな人々の心も露知らず、無情にもアトリエを嘗め尽くすように燃え盛っていった……。



 結局、火の手が収まったのは、それから十分後、消防車が到着してからのことだった。
 そして、焼け残ったアトリエ内部からは、消防隊員により遺体が一人分発見された。
 それが、あの和光雄全氏であると判明するまでは、そう遅くは無かった……。
 僕の直感は不幸にも当たってしまったようだった……。



 <血の章:壱へ続く!>



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