『――中野駅前で白昼堂々の飛び降り―― 昨日午後三時ごろ、中野区中野の雑居ビル「中野駅前第二ビル」の屋上から男性が飛び降りるという事件が発生した。 男性は、同区彼岸一の大学生、 この事件は時間帯が昼過ぎということもあり、多数の通行人が目撃しており、衝撃を与えた。偶然、ビルの傍を歩いていた会社員(三五)は――(中略)―― なお、志崎さんが飛び降りたビル屋上には遺書が残されており、警視庁中野署は自殺と見て、捜査を進めている。』 〜一九九八年七月四日付け 万国新聞朝刊 地方欄より抜粋〜 そして翌日の土曜日。朝九時五十五分。彼岸一丁目にあるアパート『メゾンド彼岸』。 僕と駿兄は、依頼人である九十九飛月の部屋を調査するために、ここを訪れていた。 ドアの連なる一階廊下、入り口から二番目にある一〇二号室のドア。ここが飛月の部屋だった。ドア横のネームプレートには『九十九』とある。 「一〇二号室……か」 駿兄は改めて部屋を確認してから、インターホンを押す。 すると、すぐにドアの向こうで足音が聞こえ、続けてチェーンと鍵を開ける音がした。そして……。 バタン! ドアが開いた。勢いよく。そして、それと同時に僕の視る世界が暗転した。 状況を説明すると、インターホンを押した駿兄はドアの横にいたが僕はドアの前にいたのだ。その結果がこれだった。 「まさか時間ぴったりに来るなんてね〜。あれ? 一人で来たの? 莞人は?」 「あぁ、あいつなら……」 「ごごにいばぶ」 僕は、駿兄の後ろに回った。 ドアに鼻を打ちつけられ、声が詰まる。顔面全体が腫れ上がったかのように痛い。 「ちょっとちょっと。どうしたの、その顔? 情けないわねぇ」 呆れたような口ぶりの飛月。 って、元はと言えばあなたの所為なのですよ……。 「ま、それはどうでもいいとして、それじゃあ早速入ってちょうだいよ」 どうでもいいんかい!? 僕の顔ってその程度だったのか……。 「ちょっと? 何してるの? ドア閉めるよ!?」 気付いたら、ドアの前に取り残されていた僕。駿兄はとっとと中に入ったようだ。 今日は厄日だ……。 飛月の部屋の中は一人暮らしとは思えぬほど、充実していた。 いわゆるワンルームではなく、俗に言う一LDKの形容を取っており、風呂とトイレも別々であった。 築二十年のガタがきているワンルームに住む僕の男友達が見たら、まさに発狂しそうなほどの部屋だ。 僕と駿兄はそんな部屋のリビングに案内され、そこにある椅子に座らされている。ちなみにこのリビング、うちより少し広い気がする。 「かなり広いけど……、これだけ広いと家賃大変でしょ?」 僕の率直な意見に対し飛月はあっさりと返答する。 「あ、大丈夫大丈夫! ここすごく家賃が安くてね、月五万なのよ」 ご、五万!!?? 都内二十三区内だとワンルームでも七万は行く時代に、小奇麗な一LDKが五万!? おいおい……これってやっぱり……。 「ま、いわゆるいわくつき物件だってのが理由なんだけどね」」 予想は的中した。 苦笑しながら言葉を続ける飛月。 何でも、このアパートが出来て最初の住人が駅前で飛び降り自殺をしたのがきっかけらしい。 その事故以後、部屋では少しずつおかしな事が起こりはじめ、更にこの部屋に住むと必ずといっていいほど、不幸な目に遭うようになったのだ。 そして、一月まで住んでいた前の住人は最初の住人同様、飛び降り自殺をしたらしく、その不幸というのが命に関わるほどになってきているらしい。。 このようにして、この部屋は『不幸を繰り返す部屋』として立派ないわくつき物件となったというのだ。 「ま、あたしはそういうの信じないからね。安いし駅近いし、ここに即決したわけ」 あっけらかんと、笑いながら飛月は喋る。 ここまで話を聞かされて、なお住んでいるとは……中々根性が据わっている。 「でもねえ〜。実際今ここで色々変なことが起きてるのを目の当たりにしちゃうと、もしかしたら本当に幽霊の仕業だったりして、なんて時々考えちゃうわけ。だから探偵に調査してもらって白黒つけてもらおうと思ったの」 人は昔から、自分が理解できないことを神などの人智を超えた存在の所為にしたがる傾向がある。 そういった存在を信じていない人でも絶対、一度くらいはその存在が頭をよぎる筈だと僕は思っている。 飛月も一度でも幽霊の存在を頭の中で認めかけたのだろう。だからこそ、駿兄に『幽霊が〜』と話を持ちかけたのだ。 「で、その変なことってのが、ラップ音やポルターガイストって訳か」 駿兄が突如口を開いた。 「え? あ、うん、そうなのよね。ホント不思議で……」 「他には、そういった変なことが起きてたりするのか?」 その問いに対しては―― 「そりゃあもう! 幽霊から電話が掛かってきたり、手紙が届いたりって外でもおかしいことが起こったりするし!」 と、はっきり“ある”と答えた。 「ゆ、幽霊から電話ぁ!?」 僕は、そんな唐突な言葉に耳を疑った。 すると、飛月は軽く笑い、言葉を改める 「ま、幽霊なんてのは物の例えだけどね。でも変な電話があったのは事実。例えばね――」 ある夜。飛月がレポート課題をやっていると、電話が掛かってきた。 こんな時間に、と思いつつも急いで受話器を取った彼女はそこで、かすれた低い男の声を聞いた! ――イタイ、イタイ……クルシイ、タスケテ……―― そして相手は、そう言い残すとすぐに電話を切った。飛月は相手の番号をディスプレイで見ようとしたが、相手は公衆電話だった。つまり特定不能だった。 そしてこんな電話は何回か続くようになり、彼女は相手が掛けてきたらすぐに切ることに決めた。 しかし、すると相手は留守番電話のメッセージにそれを残すようになった。そして今に至っているらしい。 「……で、そのメッセージはまだテープに残っているのか?」 メッセージの内容を確認するためか、録音されたそれを探す駿兄。しかし―― 「無いわよ。だって残してたら気味が悪いじゃん」 駿兄、計画失敗。 「……まぁいい。それじゃ幽霊からの手紙ってのは?」 「え? あぁそれなら……」 飛月は立ち上がると、隣にある部屋に入っていった。 そして待つこと、数分。彼女は、何かを持って戻ってきた。 「ごめんね〜。手紙もさ、気味悪くて殆ど捨てちゃっててさ。残ってるのは昨日届いたこれくらいだったよ」 そういって差し出されたそれは、何の変哲も無い封筒で確かにこの部屋に届くように宛先と飛月の名前が書かれていた。しかし差出人の名前や住所は書かれていない……。 駿兄が、封筒の中の便箋を取り出して見るので、僕も横からそこに書かれた文面を覗いた。しかし―― ――タスケテ―― それが、その便箋に書かれていた全てだった。そしてその文字はどこか弱弱しく、死にかけの人間が書いたようだった。 「まったく、電話といい達が悪いイタズラだと思うわ〜。何遍も変な電話を掛けたり手紙を送ったりするんだから」 「というか、実はこれストーカーの仕業だったりして」 思いつきで、僕は言ってみる。 イタズラ電話に変な手紙。これだけを見るとストーカーとも言い切れないのは事実であった。 「あはは、確かにそうかも! だとしたら、そいつを見つけ出してボコボコにしてやらなきゃ!」 「は、ははは……。……やけに現実味を帯びてる言葉だなぁ……」 「なんか言った?」 「い、いやいや! 空耳だよ、きっと」 つい口を滑らせてしまった……危ない危ない。もう昨日みたいな鉄拳は喰らいたくないからな……。 と、僕達がストーカーの可能性を示唆していると、駿兄は急に黙り、カバンの中をごそごそと漁りだした。 そして何かを取り出すとそれを、僕達の前に置いた。 「ん? これは……」 しわくちゃになっていたが、それは便箋のようだった。そしてそこに書かれていた文面を読んで僕は驚愕した。 「た、『タスケテ』? こ、これって!?」 まったく同じ様に書かれていたその一言。 驚く飛月を横目に、駿兄は封筒をそのしわだらけの便箋の横に置いた。そこに書かれていた宛先は…… ――『中野区彼岸一の十三の十八 メゾンド彼岸一〇二号 名前こそ違うが、住所は確かに今いるこの部屋のものだった!! 「これは、今年の一月にここの住人だった備前島って男に届いた手紙だ」 駿兄が、さらりと言ってのける。しかし「今年の一月」「ここの住人」ということは……。 「備前島は、この手紙をもらった二週間後に飛び降りて自殺した。つまりお前さんが言ってた“自殺した前の住人”ってのがこいつだ」 「え? えぇっ!?」 いきなりの急展開に僕は戸惑いつつも、少しずつ理解していった。そして衝撃はまだ続いた。 「俺は彼から、お前さんが俺にしたのと同じような依頼を受けていたんだ」 駿兄は、再びさらりと言った。 よもや、そんなことが……。 しかし、目の前にその備前島さんがもらったという例の手紙があるという事実が、それを本当だと物語っていた……。 『――廃ビルから男性が飛び降り―― 昨日未明、中野区東中野で散歩中の男性(六五)が、男性が頭から血を流して倒れているのを発見した。男性は病院に運ばれたものの、頭を強く打っていたため、既に死亡していた。 所持品から、男性は同区彼岸一、会社員備前島吾郎さん(二五)と判明。 後の警視庁中野署の捜査により、備前島さんが倒れていた傍の廃ビルの屋上で彼のものと思われる遺書が発見されたため、中野署はここから飛び降り自殺を図ったものと断定している。 司法解剖によると死亡したのは昨日午前三時ごろで、この時間帯付近の人通りは完全になくなっていたと思われる、と中野署は発表している。』 〜二〇〇五年一月二八日付け 首都日報朝刊 地域欄より抜粋〜 「備前島は俺の大学時代の友人でな。その関係で依頼を受けたんだが、その内容ってのが身の周りで起きている変なことの正体を突き止めてくれってことだったんだ。まぁなんとも突拍子も無いことだったんだけどな、他ならぬ友人の頼みってことでとりあえず引き受けたわけだ」 身の回りで起きている変なこと。つまりは例のラップ音やポルターガイスト、手紙や電話のことだろう。 「でな、あいつの家、つまりここで一回、どんなことが起こるのか話を聞いてみたんだ。その時調査の参考としてもらったのが、この手紙って訳だ」 手紙に手を添え、懐かしげに話す駿兄。 「でもな……あいつは知っての通り自殺した。それも依頼を受けてから一週間もしないうちに……」 声のトーンは自然と下がっていた。友人が自殺したことを話しているのだから無理も無い。 「しかしまさか、こうやってもう一回、この件の調査の依頼を受けることになるとは思わなんだ。これも何かの縁ということで依頼を引き受けたのさ」 成る程……そういった背景があって依頼をあっさり引き受けたって訳か……。 ……あれ? そういえば……。 「ね、ねえ駿兄。ってことはだよ? ストーカーって可能性は……」 「元住人の備前島の元にも手紙は来てたんだ。限りなく少ないな。というかその仮説を否定することも兼ねて、このことを話したんだよ」 即答だった。 「だけどな、だからといって俺は認めないぞ、一連のことが幽霊の仕業なんてオチはよ。それを証明するためにも俺はここに来たんだ。今度こそ……」 駿兄の言葉には、力がこもっていた。 もうこれ以上、備前島さんのような死者を出したくない、そんな気持ちでこの調査に臨んでいるのだろう。 「てな訳だから、そろそろ他のラップ音とかポルターガイストについても話を聞いてもいいか?」 「う、うん。そうだよね!」 駿兄の話を聞いている間呆然としていた飛月は、駿兄の声で我に返ったのか、あわてて立ち上がる。 すると襖を開け、リビングの隣にある部屋に入るように僕と駿兄に指示した。 僕が言われるがままに入ると、そこは畳敷きの和室で机や本棚が置かれ、彼女の自室であると予想するのは容易かった。 「まずはラップ音とポルターガイストだけど……」 と言って飛月は、壁に画鋲で掛けてあるカレンダーを指差した。 「いつも、壁からコンコン……コンコン……って物音がした後にストンって落ちるの、あのカレンダーが」 つまりはラップ音の後にポルターガイスト現象が起きる、ということだ。 だけど……。 「まさか画鋲で留めているのが緩かったってことは――」 「んな訳ないでしょ!! はじめはあたしもそう思ったけどさ。落ちるたびにしっかり画鋲で固定しなおしているはずなのに、毎回落ちるんだよ!! これが偶然とでも!?」 「い、いや、それは…… 飛月にまくし立てられて、僕は黙ってしまう。 「それに、この部屋でどこからともなく、変な声が聞こえてくるのよ! これはあたしのせいじゃないでしょ!」 「それは壁から音が伝わってきたとか――」 「部屋の間の壁は高性能の防音壁! それに壁の向こうは空き部屋で人がいないの! だからどうして音が聞こえてくるのか悩んでるんじゃない!」 いや、そういうことは先に言って欲しいです。 しかし、そうなると物音の件も声の件もさっぱり分からなくなってきた。 が、そんな時に駿兄が不意に飛月に尋ねてきた。 「で、その声ってどんなだ?」 「え、声? う〜ん、何て言うのかな、こう地から響くような呻き声って感じかな〜?」 その答えにうつむき考える仕草を見せる駿兄。 「やっぱり備前島の時と殆ど同じか……」 考えた末に、そう言った駿兄。そしてそれに僕と飛月は先程同様に驚いた。 「やっぱりって、その備前島って人もそんな現象を体験したの!?」 「だからそう言ってるだろ。まぁ、あいつの場合は壁に掛けてたのは絵だったがな」 この際、そういった細かいことはどうでもいいとして、ますます分からなくなってきた。 何故どうして、この一〇二号室で立て続けに住人が変わってもこんなことが起こるのだろうか。 そして、これはやっぱり誰かのイタズラなのだろうか? それとも……。 そう考えていると、僕は急に寒気がしてきた……。 所変わって、場所はアパートの廊下。僕と駿兄は、飛月を待たせて一〇一号室の前に立っていた。ネームプレートには『留本』の字。飛月の話によるとルモトと読むらしい。 そして何故か駿兄は伊達眼鏡を掛けていた。 ――ピンポーン そんな眼鏡装備の駿兄が、ためらい無くインターホンを押す。 すると「はい」とスピーカーから部屋の主らしき人物の声が聞こえてくる。 「あ、どうもすみません。私は週刊ウエンズの天城というものなんですが、こちらのアパートのことで少し聞きたいことが……」 “天城”と偽名を名乗る駿兄。週刊誌記者の 『え? 記者の方ですか?』 「はい、そうです」 『……分かりました。今開けますんで』 「はい、分かりました〜」 何とか部屋に入ることに成功した駿兄と僕。 しかし、どうしてこんなことをしているのか? それを知るには少し時間を遡る必要がある。 …… …… …… …… 「なあ、ここの大家か管理人はどこに住んでる?」 「え? 管理人さんならここの隣の一〇一号室の留本さんだけど、どうしたの?」 「いや、今から行くんだよ。そこに」 「だ、だから何で!?」 「備前島、そしてお前さんが同じ体験をしてるのなら、他の元住人達もこういったことを体験してる可能性があるだろ? だから彼らのことを調べるためにもとりあえず、彼ら全員との接点のありそうな大家のところで情報を仕入れるのさ」 「いや、でもそう簡単には……」 「ま、まかせとけって。おい莞人、行くぞ」 「え? 僕も!?」 「当然だろ。お前は俺の助手だ。なあに、気付いたことを後で言ってくれればそれでいいさ」 「わ、分かったよ……」 …… …… …… …… とまあこんな訳である。 それはさておき、ドアが開くと、中からの眼鏡を掛けた、陰気な感じのする中年男性が出てきた。この人が留本さんなのだろう。 「あ、どうもこんにちは! 実はいわくつき物件の特集で、ここの一〇二号室について調べているんですが……」 そんな言い方で大丈夫か? と僕はそう心の中でツッコんだが、それに対し留本さんは口角を上げていた。 「ほう、成る程……。できるだけ答えてあげましょう。どうぞ中へ」 入れちゃうのか!? 何故あの言い方で……。 とそこで、留本さんの目は僕にいっていた。やはり怪しまれている? 「あぁ、こいつは新人の 「あ、ど、どうも戸成です」 「おお、そうでしたか。こちらこそよろしく」 いつの間にか戸成という人物にされている僕がいた。 そして何一つ疑わない留本さん。一体何がどうなっているのだ!? 一〇一号室リビング。言っては何だが少し汚い。ゴミは散らばっていないものの、雑誌や本がいたるところに散乱している。 そして留本さんがそんな本等をかきわけて作ってくれたスペースに僕達は座った。 「いや〜すみませんなあ。今仕事中でしてね、資料が多くて多くて」 「え? 留本さんの仕事はここの管理人じゃ……」 と、僕がそんな質問をすると、駿兄が急に頭をひっぱたいた。結構痛い……。 「馬鹿! 留本さんのメインの仕事は執筆業だ! 留本 いや、そんなに怒鳴らなくても……。 というか、知っていたのなら先に言って欲しいものだ。 しかし、彼が先程から駿兄との会話がスムーズに要っている理由をこれで納得した。おそらく同業者意識があって、警戒心が薄いのだろう。 「ははは、いいですよ。私の名前は知っている人を選びますからね」 留本さんは、笑いながらそう言い、僕の目の前に一冊の本を置いた。 タイトルは『実録! 呪われた伝説!』。著者は『留本稔明』となっていた。 「これが私の書いた本だ。私は主にこういったホラー系の作品をフィクション、ノンフィクション問わず書いていてね。君はあまりそういった本は読まないかね?」 「あ、いや僕は……」 「日本人は基本的に、こういった怖い話に好奇心を持ちやすい民族だと私は思ってるんだ。僕もそういった人間の一人でね――」 それから留本さんは、延々十分位の間、怪談の何たるかを僕に話してくれた。正直言って、僕にとってはあまり興味の沸かない話であったが……。 そしてようやく僕があまり乗り気じゃないことを悟ったらしく、留本さんは話すのをやめ、本題に入った。 「……で、聞きたいこととは何ですか、天城さん?」 その問いに対し駿兄は、まずあの部屋が一体どうして激安のいわくつき物件なのかを聞きたい、と遠まわしに答えた。 すると、それを聞いてか、留本さんの目が明るくなった気がした。 「ふむ、いいでしょう。では、これを見てください」 そう言って見せたのは、名簿の一ページ。そして、そこにある名前の列の一番下には『九十九飛月』更にその上には『備前島吾郎』の名が書かれていた。 「これは、住人名簿の一〇二号室の歴代住人の名前が記されたページです。ほら、一番上に『志崎篤』って名前があるでしょう? 彼は七年前に飛び降り自殺したんですがね、これが全ての始まりなんです」 留本さんは、先ほどの怪談談義の時のような生き生きした喋り方ですらすら喋る。 「これ以降、ここに住んでいた住人達は相次いで、家具の位置が勝手にずれた、とかいないはずの人影がいる、と管理人である私に言ってきたんです。しかも彼らは階段から転落して大怪我を負ったり、空き巣に入られたり、同棲していた男女は急に分かれたり、と様々な不幸な目に遭って引っ越していったんですよ」 「ほう、相次いで不幸が……」 「えぇ。そして極めつけは一つ前の住人の備前島という青年が今年の一月に初代住人と同じように自殺をしたんですよ。」 「やはり飛び降り自殺で?」 「鋭いですな。そうです、飛び降り自殺です。何でも何者かに取り憑かれたかのように頭から飛び降りたとか」 そして深呼吸をすると、留本さんは締めくくるかのように、喋り始めた。 「あの部屋は呪われているんです。初代住人の志崎さんによって! そして備前島さんは長くあそこに住みすぎていたんです。だから志崎さんの強い呪いを受け、自分と同じ死に方をさせたんですよ」 呪われた部屋。確かにそうかもしれない。――しかし呪いなどこの世に存在するのか? 「つ、つまり留本さんは、部屋で起こる怪奇現象も相次ぐ不幸や自殺もすべて呪いだと?」 僕がただ黙っているだけではまずいかと思い口を出してみると、留本さんは口元に笑みを浮かべながら答えた。 「そういうことですな。だからこそ、いわくつきなんて物件に指定されいるんですよ、あの部屋は……」 その嬉しそうな声は聞いて、僕は笑えなかった。 なにしろ、あの部屋には、今なお飛月という住人がいるのだから。 「そういえば、あの部屋には今、若い女性が住んでいるんですがね。これまた呪いとかを全く信じない人でしてねぇ、全く動じないんですよ。これじゃ備前島さんと同じ運命をたどるかもしれないのに……」 飛月が自殺!? 馬鹿馬鹿しい! しかし、僕はこの男がそんなことを喋りつつもどこか楽しんでいるような気がした。 「留本さんが思うに、その女性というのもやはり……」 駿兄が飛月とは知り合いだということをあえて伏せて話を進めると、留本さんは相変わらずの明るく丁寧な口調で恐ろしいことを言ってきた。 「えぇ、それ相応の報いを受けると思いますがね。何でしたらインタビューしてきたらどうです?」 僕はその言葉に怒りが頂点に達しようとしたが、それを悟ったかのように駿兄が僕を制して丁寧に受け答えた。 「そうですね。一度話を聞いておくとしますか」 留本さんとの不快な会話はそれから少しして終わり、駿兄と僕はあの住人名簿の写しと住人達の現住所を書いたメモを貰って、玄関にいた。 普通はそう易々と名簿などもらえるはずないのだが、相手が相手だったのであっさりと渡してくれた。 「では、今日はお忙しいところ、どうも申し訳ありませんでした」 「いやいや、こちらも久々にこういった話を出来て気分が良かったですよ。またいつでも来てくださいな。あ、名簿を渡したのはあくまで極秘と言うことで……」 「分かってますよ。それでは」 閉まるドア。そして残された僕達。 しかし、嫌な感じのする男だった。さん付けしていた僕は、今思うと飛月とは違う理由で不自然だった気がする。 それは駿兄も同じだったようで、左手の指をせわしなく動かしていた。この仕草が駿兄の怒りを表す象徴だった。 「さて、あいつのところに戻るとするか」 「そうだね……」 しかしここで怒りを発散するわけにもいかず、仕方なく飛月の部屋に戻ることにした。 そして早速、一〇二号室のドアを開け中に入ると、何やらいい匂いがしてきた。これは……玉葱を炒める匂い? そんなことを想像しつつ、リビングに行くとそこからキッチンで料理をしている飛月の姿が見えた。 「あ、おかえり〜! どうだった? 管理人さんとの話〜」 僕達に気付いた飛月は炒める音に負けないくらいの大声で訊いてきた。 ここは、真実を述べた方が良いのか? そう僕が思っていると……。 「あぁ、結構色々聞けた。管理人の男も中々話してくれる奴だった」 駿兄が、当たりざわりの無い言い方で答えた。中々話してくれる――確かにその通りなのだけど……。 しかし、驚いたのはそれに対する飛月の言葉だった。 「そうでしょ〜。少し暗めに見えるけど、結構話すといい人なのよね〜」 いい人!? あの人が!? 一体どうなってるのだ? ああいった陰気な面を見せなければ、比較的まともな人なのだろうか……? しかし駿兄は驚く素振りを全く見せずに、飛月の自室に通じる襖に手を掛けていた。 「部屋入るぞ〜!」 「いいよ〜。でも机の中とか覗かないでよ〜。もし覗いたら〜!!」 「分かってる、分かってるから!」 脅されながらも部屋に入る許可を得た駿兄は、襖を開けると僕を呼んだ。 僕が呼ばれるがままに飛月の自室に入ると、駿兄は襖を閉める。 「駿兄、どうしたの僕を呼んで――」 「とりあえず、少し手伝え」 いつもにも増して真剣な駿兄。 何か重要なことなのだろう――僕は直感でそう感じる。 「う、うん。分かった」 「よし、まずは……」 それから十数分の作業の末、僕はとんでもないものを見てしまった。 「まさか!! それが……」 「あぁ、こいつが真実だろうな」 駿兄が握る“それ”は、怪奇現象の一つを怪奇ではなくしてしまう可能性を十分に秘めていた! 「で、でも残りの現象は? 何か分かってるの?」 すると自信有りげに駿兄は頷いてくれた。 「あぁ大方の検討はな」 最早、言葉も出なかった。 まさか、ここまで早く解決へと漕ぎつけるとは……。 「じゃ、じゃあ早く飛月に!」 「ダメだ!」 キッチンにいる飛月にこのことを伝えようと、襖に手を掛ける僕を駿兄は制した。 「ど、どうして!」 「まだ、証拠が揃っていない。今彼女に不確定な情報を与えても不安を募らせるだけだ」 「だ、だけど……」 「安心しろ。証拠は勝手に向こうからやってくる算段だからな。それを待てば――」 「おーい! 昼食が出来たよ〜。とっととも……どっ……てこ……い……」 突如襖が開き、飛月が部屋内に入ってきた。 恐らく彼女の目には、作業中で見るも無残な部屋の有様が映っている事と思う。 「……ナニ、コレ?」 「き、君、落ち着きたまえよ! これはだな、れっきとした理由があってだな」 「そ、そうだよ飛月。これは……」 駿兄と僕は必死に弁明しようとするが、もう遅かったようだ。赤いオーラが彼女の背中からこんこんと沸いて出ているように見える。 「は、話せば分かるー!!」 「問・答・無・用!!」 そんな昭和七年五月十五日の首相官邸で交わされたような会話がなされた次の瞬間、駿兄が文字の通り“飛んだ”。“跳んだ”のではない“飛んだ”のだ。 あぁ、人間だって飛べるのか……。 そう思っていた僕もまた次の瞬間、“飛んで”いた。円弧を描くように。 そして目の前が段々白くな……って……。 「で、あたしはそれを伝えれば良い訳?」 「あぁそうだ。俺は俺で色々と調べておく」 あの後、僕達は何とか復活して、一生分くらいの謝罪をすることより飛月に許され、昼食にありつけた。なお、昼食は野菜炒めと味噌汁だったことを補足しておく。 そして昼食後の今は、駿兄と飛月は今後の打ち合わせをしていた。 ちなみに駿兄の二枚舌のお陰か、“あれ”については飛月から隠し切ることに成功した。 「まったく! あれだけ部屋をよくも荒らせたもんよね」 「だから悪かったって言ってるだろ! それにお前さんのプライベートにかかわるようなものは見てない!」 呆れる飛月に駿兄は、頭に出来たこぶをさすりつつ答えた。 「本当に?」 「さっきも言った本当だ!」 「莞人は?」 飛月が、顔を僕に近づける。 ――ま、間近で見ると結構可愛い……。 「おーい! 莞人〜聞いてるか〜?」 「は、はい! 聞いてますです、イエッサー!!」 訝しげにこちらを見る飛月。 ……危うく変態扱いされそうだったかもしれない。 「ま、もう過ぎたことだし別に怒りゃしないけどさ」 いや、さっき十分過ぎるくらい怒っていたし……。 「それで結局、今回の件、何とかなりそうなんだよね?」 飛月は少し安堵したかのように駿兄に訊くと、駿兄が大きく頷いて答えた。 「あぁ。死んだ備前島のためにも俺がケリをつけてやる、怪奇現象も金輪際無くしてやる!」 <解決編に続く!>
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