依頼があった次の週の月曜日。現在の時刻は午前零時。正確には火曜日となったところだった。 そんな時間に、僕は飛月と二人で彼女の自室にいた。 別にやましい理由があるわけではないことを先に述べておこう。 発端は、飛月からの「家に帰ってきたら、画鋲が緩んでいた」という連絡だった。 これ自体は、土曜日の昼食後に行われた打ち合わせの中で駿兄の「画鋲が急に緩んだら俺に連絡してくれ」という指示を受けての連絡だった。 僕は、その指示にどういった理由があるかは分からなかったが、ともかくこの連絡を受けて、駿兄と僕は、飛月宅へと急行した。 そして今、僕と飛月は駿兄の指示によって、ここに待機させられているというわけだった。 僕達は、待機中は駿兄が設置したモニターを見ているように、とも指示されたがこのモニター、先程からただ暗い部屋を天井から映しているだけだった。 「あ〜暇……。ねえ莞人? 本当に今日何かが起こるっての?」 「た、多分ね。僕も今日のことの詳細は聞かされてないから……」 飛月は既にモニター監視に飽きたようで、ベッドの上でゴロゴロしていた。 僕も横になりたかったが……飛月と一緒にゴロゴロ……いや、いかんいかん!! 僕はこんなキャラじゃないはずだ! 落ち着け僕! よし精神統一! 深呼吸! 心頭滅却! えぇっとそれから……。 「ねえ、ちょっと! これって!?」 「う、うわぁ!」 邪念を掻き消していると、僕のすぐ横に飛月が身を乗り出してきた。 そして飛月は、興奮したかのようにモニターを指差す。 「ちょっと! これ見てよ!」 指差した先には、人影があった。 先程までいなかったものだ。 「おいおい、まさか幽霊とか?」 「ちゃんと見て! 足があるってば」 初めて飛月にツッコまれた気がする――が今は、そんなことどうでもいい。それよりも人影だ。 生きてる人間なら誰なんだ、この人影は? 暗視機能をもってしても、その正体は薄ぼやけてしまって分からない。 と、そうこうしているうちに人影は立ち止り、壁に向かって持っていたものを振りかぶった。 しかしそれと同時に、急に画像が明るくなった。懐中電灯の光が点いたのだ。 『何してるんですか? こんな時間に、空き部屋である一〇三号室に?』 光の方向から、声が聞こえてきた。 声の言うとおり、確かにこの画像は、駿兄が先にカメラを設置しておいた一〇三号室のものだった。 ――ということは、この声は……。 『…………』 『答えられませんか? ならば代わりに当ててみましょうか?』 光を当てられた方の人影は、突然の光にまぶしそうにしていたが、それを気にせず、光の持ち主は人影に歩み寄る。 『このアパートの一〇二号室で起こるラップ音、そしてそれに続いて起こるポルターガイスト現象。それを起こそうとしていたんですよね?』 そして遂に、光によってその二人の人影の正体が分かった。 『そうなんでしょう、管理人の留本稔明さん!!』 光を当てられたのは留本さん。そして光源は駿兄だった。 「あ、あいつ、あんなところにいたのか!?」 「どうも姿を見ないと思ったら……」 呆れながら、その姿を見る僕と飛月。 僕たちは、駿兄がどこにいるのかを全く知らされていなかった。 そして、モニターの向こうでは、駿兄と留本さんが相変わらず対峙していた。 『あ、あんたはたしか週刊誌記者の――』 『そう、天城です……と言いたい所なんだけどねぇ、実は違ったんだなぁ、これが』 そう言って駿兄は、留本さんにあっさり素性を明かし、備前島、そして飛月から怪奇現象の解明の依頼を受けていたこと等を伝えた。 それを聞き、留本さんは唖然としていたが、しばらくして急に怒鳴った。 『つまり、この私を騙していたのか!? しかも私を怪奇現象の元凶と名指しするとは、何たる侮辱!』 プライドを傷つけられたと思ったらしく、留本さんは罵倒を続ける。 『第一、私がどうやって怪奇現象を起こしたのかね? というよりも、君がこの部屋にいることがおかしい! 大方ピッキングでもしたんだろうが、それはれっきとした犯罪ではないか! それをまあよくも――おい! 話を聞かないか!』 しかし、駿兄はそんな留本さんなど意にも留めずに、ただ彼に近づいていった。 そして壁にたどり着くと、それに触りつつポケットから、金槌のようなものを取り出した。 『えぇ、確かに裏技的なやり方でここに入りましたがね、今にそう言ってられなくなりますよ……と、ここかな?』 壁を触っていた手を離すと、駿兄はその金槌を振りかぶった。そして――!! ゴンゴンッ! ゴンゴンッ! ゴンゴンッ! ゴンゴンッ!―― 駿兄は壁を叩き始めた。 そして、それと同時に壁の向こう側にある飛月の部屋でも、その音はくぐもって聞こえてきた。 「これって……いつも聞こえるラップ音と同じ音……!」 音を聞いた飛月は、驚いた表情になった。 『いくら防音って言ったってね、壁自体の振動を抑えることは難しいんですよ。それにこうやって振動をずっと起こしていると、壁に緩くくっついている画鋲なんかはね……』 ゴンゴンッ! ゴンゴンッ! ガタンッ! 突然、画鋲が壁からはずれてカレンダーが落ちた。 「お、落ちた……。いつもみたいに……」 「こ、これがポルターガイストの正体――!!」 そう、僕達が散々ラップ音だのポルターガイストだの言っていた怪奇現象も、突き詰めてみればただの壁叩きに過ぎなかったのだった――!! カレンダーが落ちたのを見て唖然としている飛月。 僕はそれを尻目に、駿兄へカレンダーが落ちたことを知らせるワン切りをした。 すると、駿兄は壁を叩くのをやめ、再び留本さんの方を向いた。 『ラップ音の後に、カレンダーが落ちるポルターガイスト現象。この二つは必然的に連続して起こる必要があったんです』 『し、しかしだな。もし画鋲がしっかり留まっていたら、カレンダーは落ちまいて』 『だから、九十九さんの部屋にマスターキーで侵入する必要があったのでしょう?』 『!!!』 その言葉に留本さんは、完全に言葉を失った。 「し、侵入って、管理人さんが!?」 会話を聞いていた飛月も、衝撃を受けたようだった。 『画鋲がしっかり留まっているのなら緩めればいいことです。普通一度しっかり留めた画鋲を、毎日きちんと留まっているか確認する人はいませんからね』 そ、そうか……――僕は駿兄の言葉を聞いてようやく納得した。 画鋲が急に緩んだら俺に連絡してくれ――これは、カレンダーが落ちる日、つまり犯人がこの一〇三号室に入ってくる日を知る目的で指示したものなのだ。 実際、犯人の留本さん――いや、留本と呼び捨てるべきか――はまんまと駿兄の用意した罠に引っかかってきた。 そして、罠を仕掛けた張本人は更に留本を追い詰めてゆく。 『そんなことが出来たのはアパートのマスターキーを持っていたあなたくらいだと俺は思うんですが、違いますか?』 追い詰められてゆく留本。 しかし、ここで留本が思わぬ反撃に出た。 『お、おい、忘れていませんか? マスターキーがなくても、君みたいにピッキングで入れる奴がいるじゃないですか!?』 と、留本は指を差して、自信有りげな声を出したのだ。 確かにその通りだが……彼は頭に血が上りすぎているのだろう、大事な事を忘れている。 それはつまり―― 『じゃあ何であなた、ここに来たんです? しかもハンマー片手に?』 駿兄の今の言葉通りだ。 今回の駿兄の作戦は、犯人を犯人たらしめる為の罠なのだ。 例えるなら、万引きGメンが万引きをした主婦を追いかけて、店を出たところで声を掛けたような状態なのだ。 こんな状態で万引きをした主婦は「他にも万引きした人がいる!」と言って、言い逃れできるだろうか? いや、できないだろう……。 つまり、今の留本はそんな主婦の立場なのだ。 しかし、それでも留本は抵抗していた。 『そ、それは――そう! 修理に来てたんです、壁の!』 『こんな時間に、こんな暗がりで?』 『だ、だからだなぁ……』 『分かりました』 見苦しい言い訳を駿兄は遮る。 『分かりました。では、他の怪奇現象についても説明しましょうか』 駿兄の強い口調。それは、犯人を完全に追い込もうとする意思が現れていた。 『まずは、不審な手紙と電話。これらからも犯人を限定できます』 そう言って、駿兄は何か四角い紙のようなものをポケットから取り出した。話からするに恐らく例の手紙だろう。 『これは備前島、そして九十九さんに宛てられたいわゆる“幽霊からの手紙”ですが、宛先のところにフルネームが正確に書かれています』 『そ、それがどうした!?』 『また、不審な電話と言うのもこの二人に同様に掛かってきたようです。これって少し面白いと思いません?』 『だから、どこが!?』 のらりくらりと喋る駿兄の痺れを切らせた留本が怒鳴るが、対する駿兄はあくまで冷静に答えた。 『だって、二人には一〇二号室の住人という以外に何の接点も無いのに、犯人は二人のフルネームはおろか電話番号も知っていたことになるんですよ』 『あ……』 そこに目を付けたとは……。 さすがは私立探偵の洞察力、といったところだろうか? 『これは不思議だと思うんですけどね、双方の個人情報を知りうる人物もいるんです』 そう言って指を差す駿兄。その差した方向には―― 『それがここの住人名簿を持っていた管理人の留本さんって訳です』 名指しされた留本だったが、それでも諦めずに抵抗した。 『し、しかしそんな情報なら、アパートの元締めをしている住宅会社だって……』 『おっと、先程はピッキング犯が犯人と言っていたのにもう考えを変えるんですか?』 『ぐっっ!!』 彼の抵抗はもろくも崩れようとしていた。しかしあくまで犯行は認めない。 『ふう、見かけによらず中々強い方だ。しかし、これでも認めないですか!?』 そして、こんな頑なな態度に感心したのが、業を煮やしたのか、ついに駿兄は“あれ”を取り出した。 取り出した“それ”は、何の変哲も無い“携帯電話”だったが、それは彼を驚かすには十分だっただろう。 『これは、“地獄からの呻き声”が聞こえるという九十九さんの部屋の床下を探していて見つかったものです。見つかった時は、まだ電源は入っていました』 駿兄の言葉を聞いて僕は、土曜日の飛月に飛ばされる原因となったあの床下捜索を思い起こした。 ――あの日、僕は駿兄に手伝わされ、動かせる畳を一つ一つひっくり返していった。 そして荒床の一部が簡単にはずれるところを発見、そこを開いたところで“それ”を見つけたのだ。 それから、その捜索した状態を飛月に見つかったため、僕は昇天したわけだった。―― その携帯電話を見て、流石に僕も分かった。 ――あぁ、これが地獄からの呻き声の正体なのだな、と。 『まぁ、物は試しです。とりあえずこれに電話を掛けてみると……』 ウゥゥゥーー……オォオォオオーーー!……ウゥウウ――ー 駿兄がダイヤルすると、モニター越しにでも分かるような呻き声が聞こえてきた。それを聞いて飛月が反応した。 「同じだ……。あの地から響く声と同じだ!!」 やはりそうだった……。僕のそして駿兄の予想は見事当たった。 『床下でこんな着信を流せば、確かに地面から響くようなこもった声になりますよ。蓋を開ければ大したことの無い仕掛けです』 確かに、壁叩きと携帯の着信という下らないものによってこれら怪奇現象が出来ていたのなら、それは本当に大したことの無いことだった。 『あ、そうそう。携帯の電池ケースの裏の製造番号から調べてもらったら、これがあなたの名前で契約されたのが分かりました。それと着信履歴にあった番号が全てあなたの自宅の番号だったことも……』 これはあまりにも決定打過ぎた。誤魔化しようの無い事実だった。 そして駿兄は最後の追い討ちをかけた! 『つまり、アパートの部屋に容易に入る手段を持っていて、かつ今夜ハンマーを持ってここに来ていて、接点のない二人の住人の個人情報を知っていて、しかも謎の声の正体であるこの携帯の持ち主であるという条件の揃ったあなたがこの一連の幽霊騒ぎの元凶であることは明白なんです!』 『…………』 ついに黙り込んだ留本。もう反撃する余裕もなくなったらしい。 「そ、そんな……」 モニターで一部始終を見ていた飛月も唖然としている。 僕も、どうしようもない気持ちを胸に、ただただその映像を凝視するしか出来なかった……。 するとモニターの向こうで、ようやく留本が口を開いた。 『打つ手無し、最早これまでってことか……』 それは、白状の言葉とも取れる発言だった。 顔ははっきりと見えないが、その声は何かを達観しているかのように聞こえる。 『しかし、分からないのは動機……。どうしてこんなことをやっていたんです?』 駿兄のそんな問いに対する留本の答えはあまりにも簡潔なものだった。 『…………。……まぁ、とどのつまりは創作のためかな?』 『私はね、昔はずっと無名のライターでね、管理人の仕事無しに飯も食えなかった。だがね、あの七年前の志崎さんの自殺が全てを変えたのですよ』 彼曰く、あれ以降彼は志崎さんは未だに未練を残していて、あの一〇二号室に留まっていると考えるようになった。 そう考えるようになると執筆も順調に進み、和製ホラーのブーム到来も相まって、そこからホラー業界で名を上げるようになったのだ。 なお、ここで彼が挙げた自分の作品というものの中には、僕も知っているような映画化した有名作品もあった。 そして、彼の勢いは暴走し、実際に一〇二号室に霊がいるということを表現したくなり、一〇二号室に対し怪奇現象を起こすようになっていたのだ。 『はじめは家具の位置を変えるとかのイタズラ程度だった。だが、住人が驚いているのを知るともう止められなくなってねぇ……』 それから彼は、今のようなラップ音や呻き声、それに気味の悪い手紙や電話等、行動をエスカレートさせてゆき、ついにはそれは行き着くところまでいってしまったのだ。 彼は、ある時は階段から突き落とし、ある時は同棲している男女の仲をわざと悪くさせるように操作、またある時は通帳と印鑑を盗んだりと、悪質の一言では言えないようなことをしていたのだ。 『そう、あの頃私も少し落ち目になっていました。今思うと、その憂さ晴らしも兼ねていたんだろうと思います』 『……それはつまり、一〇二号室に住む住人の不幸ってのは……』 『そう、大体が私の起こしたものです。ま、相次ぐ怪奇現象に心労で倒れたってやつもいましたがね。ま、どちらにしても、責任は呪われたあの部屋が取ってくれるって寸法だったから気にはしなかったですねぇ』 ここまで静かに話を聞いていた駿兄が、声を荒げた。 『じゃあ、やっぱり備前島の奴も……』 『あの方は、私のやっていたことに気付いたようでしてねぇ。私のところに押しかけてきたんです。だから警察に言われても面倒なので、ね……』 そ、それはつまり……備前島さんを……。 『どうりでおかしいと思ってたんだ……。事件当時、備前島が落ちた周辺は無人だったのに「頭から落ちたらしい」なんて誰かから聞いた風に言ったことがな……』 『流石は名探偵、といったところですな。着目点がすばらしいですよ』 『じゃあ今、この秘密を知った俺はどうする? やっぱり……』 次の瞬間、留本が突然持っていた金槌で駿兄を殴った!! 短い呻き声を出して倒れる駿兄を、留本は見下しながら嘲笑っていた。 『確かに君は頭がいい。だが、私が人の話を最後まで聞かないで殴りかかる人間だとは思わなかったようだね。そこが君の敗因さ』 『ぅ、ぐぅ……』 『まぁ安心しなさい。今は殺しはしないよ。備前島さんの時のように――』 僕は、そんな光景を見ていて、文字通り“いても立ってもいられなくなって”急に立ち上がり、飛月に指示を出した。 「飛月! 急いで救急車と警察を! それとここから絶対出ないで!」 「え? ちょ、ちょっと莞人!?」 ――とにかく今の事態を打破しなければ!! 一度決めたらもう止まらなかった。 僕の足は玄関を飛び出し、一つ隣の部屋、一〇三号室へと向かっていた。 というか、もうドアの前にいたりした。 そして、ドアノブを回してみると――開いた!! 僕は、高鳴る心臓を抑えつつ、ドアをゆっくり開けてゆき中へと入っていった。 空き部屋なので当然ながら暗い室内。 しかし、留本がなにやら先程からリビングの方で喋っていたので、空き部屋特有の静けさは無かった。 そして廊下からリビングに入ろうというところで、僕は息を潜めて中の様子を伺った。 「――まぁつまりだ、君は私という呪いの一部になろうとしているのだよ!」 何も言わなくなった駿兄を尻目に、留本は高揚したように一人で喋っていた。 その姿はもはや、正常な精神状態ではなく、まるで何かに取り憑かれているかのようだった。 「そうだな……こういうのはどうだろう? “またも一〇二号室の悪夢! 今度は恋人と無理心中!?”なんて少しロマンチックにね」 無理心中? 恋人と? そんなことを不思議がっていると、留本は更に続けた。 「まぁ、あんな若い女の子を手に掛けるのは辛いがね、これも目的のためだ。仕方あるまい」 若い女の子――つまりは飛月のことか!! 留本は、駿兄と飛月を二人まとめて、処分するつもりらしかった。 しかしそうは問屋、いやこの僕が下ろさなかった!! 「させるかぁぁぁっ!!」 その時、僕の体は自然と部屋の中へ向かっていた。 そして飛び出した勢いそのままに、僕は留本目掛けてタックルをした! 留本はその奇襲に体勢を整えることも出来ずに体を倒すが、一方の僕も衝突したときの反作用で、大きく弾き飛ばされていた。 そして床に腰をしたたかに打ちつけ、体を思い通りに動かせなくなっていた。 「痛たた……あ、駿兄! 大丈夫!? 駿兄!?」 弾き飛ばされた先には偶然にも倒れた駿兄がいた。 「しっかりしてよ、駿兄! 駿兄!?」 何度も声を掛けるが、返答は無かった。 それでも、僕は諦めずに声を掛け続けて―― ドゴッ!! 後頭部に突然の鈍痛。そして朦朧とする意識。 「いけませんよぉ、私の呪いを邪魔しては……」 おぼろげな意識の中、僕は背後から隙を突かれて留本に殴られたのだな――と認識した。 しかし状況が把握できたからといって、事態が好転するわけでもない。 僕の意識は刻一刻と消えかかっていた……。 「仕方が無いですねぇ。こうなったら三人まとめてでも……ぐばっ!!」 そんな意識の中、最後に聞いた言葉はそんなものだった気がする。 しかし、最後の「ぐばっ!」は一体なん……だと……いうの……だ……ろう……。 そこで僕の意識は途絶えた。 …………。 痛い。頭がズキズキする……。 あれからどれくらい経ったのだろうか、僕は白い部屋のベッドの上で目を覚ました。 心なしか、少し薬品臭い気がする……。 「あ、ようやくお目覚め?」 起き抜けの僕の視界に、飛月の顔が映った。 驚いて、思わず起き上がるが、それと同時に後頭部に鈍い痛みが走った。 しかし痛みよりも驚きの方が先行していたため、僕は痛みを気にせず、キョロキョロと周囲を見渡した。 「あ、あれ? こ、ここは……?」 「区立病院。あの後、莞人に呼ぶように言われていた救急車がやってきて、君と探偵を搬送したってわけ」 ベッドの横に座っていた飛月が、簡略に説明してくれた。 そうか、病院なら薬臭さや白に統一された内装も納得がいく。 ……ん? 納得していいのか? 何かを忘れているような――。 ――あ! 「そ、それで留本はどうなったの!? 駿兄は!? 事件は結局どうなったの!?」 「ちょっと、ちょっと、慌てないで! 一つずつ説明していくから!」 僕の剣幕に驚いたらしく、飛月が慌てて僕を制止する。 しかし、聞きたいことは山ほどあった。僕の心は落ち着かない。 「まずは、管理人さんだけど……」 そうだ、まずはそれを聞きたい。 というか、あの最後の「ぐは」が気になってならなかった。 「……あたしが倒しちゃった……」 「…………。……え?」 倒した? 何を言っているのだ彼女は? 「だからね、探偵がやられて、莞人もやられちゃったでしょ? それであたしもいても立ってもいられなくなってさ部屋を飛び出してね……つい……」 「つい、どうしたの!? つい!?」 「えへへ……」 笑って誤魔化そうとしている飛月。 しかし、もう何があそこで起こったのかは、大方の予想がついてしまった。 「は、ははは……」 僕も笑うしかなかった。いや笑わないと何をされることやら、といった方が良いだろうか。 「とにかく! ここから先が重要なの!」 更にうやむやにするべく、飛月はその先のことを話し出した。 彼女曰く、“やらかした”後、警察と救急車がほぼ同時に到着。事情を知った警察は、留本を気絶したまま身柄を拘束し、署まで送致され、一方で僕と駿兄は病院へ搬送されたそうだ。 留本が警察に運ばれた――これを聞いて、かなり安堵した。 カメラの映像も残っているし、留本の容疑もこれで確定するだろう。 「でも、あの後大変だったんだから! 警察に事情は細かく聞かれるし、病院に行ったら行ったでどこに莞人がいるか分からなかったし」 「だが、もっと大変なのは、これからみっちり事情を聞かれる俺だがな」 突然飛月以外の声がした。その声の正体は―― 「しゅ、駿兄!」 「よう、やっと目が覚めたか、この野郎」 部屋の入り口に駿兄がいた。留本に殴られたその頭に僕同様に包帯を巻いて。 駿兄は、部屋に入ると僕のベッドに腰掛けた。 そしてよりにもよって、包帯の巻かれた後頭部を平手で軽く叩いた。 「あだっ!」 「あだ、じゃないっての! まったく! 一人で一〇三号室に乗り込むなんて無謀にも程があるぞ!」 「で、でもあの時は――」 再び、駿兄は僕の頭を叩いた。 「でももヘチマもあるか! 危うく殺されるところだったってのによ」 「いつつ……。じゃ、じゃあ飛月はどうなの!? 飛月だって部屋に乗り込んだじゃないか!」 「あいつは特別なんだよ! いいか? あいつみたいなバーサーカーなら、ああいったイカレた奴にも勝てたかもしれん! だがお前――」 「ふーん。バーサーカーだったんだ、あたし」 凍りつく場。特に駿兄は、口を空けたまま凍っていた。 飛月の穏やかな口調とは裏腹に、周囲に赤いオーラが満ち溢れてきた。 もうこれで何度目だろう、この光景を見るのは。 「あ、だからな! これは物の例えって奴でなっ!」 「準備はオーケー?」 「あ、いや……その……」 駿兄の頭では、「はい」「いいえ」の選択肢コマンドが浮かび、「いいえ」を選択していたようにみえた。 しかし―― 「ふじこっ!!」 駿兄は隣の空きベッドへと強制ダイブしていった。 どうやら、どちらを選択しても結果は同じのようだった……。 「そ、それで、これからどうするの?」 「これからって?」 駿兄を隣のベッドで寝かしたままにしていた僕たちは何事も無かったように会話を続けた。 「つまり、住むところをどうするか、だよ。まだあそこに住むつもりなの?」 これは僕にとって直接的には関係ないことだったかもしれない。だが、ただの他人事のようにも思えなかった。 「あぁ、そういうことか。うん、流石にもうあそこにはね……」 「じゃあ、これから新しく家を探すの? 大変でしょう」 すると飛月はあっけらかんと答えた。 「大丈夫。莞人達と一緒のところに住むことにから」 「へぇ、それは良かった良かった、ってエェェエエェエエエ!!!?」 見事なノリツッコミ……自分でもそう思ってしまうくらいの出来だった。 しかし病院でこれだけ騒ぐ僕たちって一体……。 「どどどどどうして!? 何で!?」 「だって、あそこみたいな好条件の物件って全然他にないんだもん。だったら家賃タダで一緒に住めるあそこがいいかな〜って」 いや、あそこの条件が馬鹿みたく良かったわけで、そんな物件他にあるはずがないって! 「てなわけで、いい物件が見つかるまでの間、居候させて頂くことにしました!」 だから、見つかるわけが無いだろ!! それって永久にあそこに住むって言ってるのか!? と、いうか飛月は男二人と住むってことに抵抗は無いのか!? 「あ、そうそう。もう探偵の許可は取ってあるからね。食事の用意と仕事の手伝いをたまにしてくれればそれでいいってさ」 いいのか!? それでいいのか駿兄!? 「ま、ある意味、命の恩人だからな。それなりの礼をしないとな……」 いつの間にか、復活した駿兄が上半身だけを起こして、そんなことをのたまっている。 もう訳が分からん……。 これが夢だとも思いたくなってきた。 しかし、先程から続く頭の鈍痛がその可能性を脆くも消し去っている。 「というわけで、これからよろしくね!」 そう言うと、飛月が可愛くウインクをしてみせた。 普段なら、少しはどきまぎしたかもしれないが、今はそんな気力も無かった。 あ〜、どうしてこんなことになったんだ……? 駿兄が飛月から依頼を受けたから? それともあそこで飛月に呼び止められたから? そもそも飛月と面識があったからか? ……いや、もっと大きな根幹があった。 それは―― 「新歓の“あれ”か……」 呆然としながら、僕は呟く。 そう、あの新歓での出来事こそが、そもそもの発端だったのだ。 僕と駿兄と飛月。 これからこの三人の奇妙な同居が始まろうとしている。 この先どんなことが起こるか分かるはずも無いが、ただ一つだけは言えることがある。 ――絶対、平凡な日々はやってこない―― <繰り返す部屋 完>
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