――昔、魔法少女の殺し合いを見た。 あれは何年前だったか。雨の降る、暗い夜だったはずだ。 ……銃声と、斬撃の音が響く路地裏。 殺意と鬼気を渦巻かせて、彼女達は火花散る戦を繰り広げていた。 偶然にもその場に居合わせた俺は、無謀にも――魔法少女を背にして、『敵』の前に立ち塞がる。 ……『敵』も、同じく魔法少女。魔道の力を操る少女は、一撃で俺を斬殺――するはずだった。 なのに、何故かそれで『敵』は退いた。俺が魔法少女に応急処置をすると、彼女はお礼の言葉を口にして飛び去って行った――とまぁ、そんな感じだ。 普通に人生を生きてれば、滅多に体験しない出来事だろうが……かと言って、俺の人生を大きく変える程の出来事でもない。 それだけの、詰まらない話だ。 「……兄……」 とは言え、どうして急にそんな事を思い出したんだろう? 何かの前触れか? 「お兄……ん!」 それと、さっきから聞こえるこの声は何だ。これもやっぱり何かの前触れ? えーっと。俺は確か、昨日の夜にベッドに入って――って、まさかッ!? 「起きろ、このネボスケお兄ちゃんッ!」 「――ぐはァッッ!?」 衝撃。 殺人的な威力が、俺を現へと無理矢理引き戻して行く。
「あ、ようやく起きたね」 「…………」 俺がうっすらと眼を開くと、そこには腰に両手を当てて俺を睨む我が妹――時宮鈴乃の姿があった。 くりっとした瞳と、短くショート・カットの髪。美人ではないがそこそこ可愛い女の子で、学校ではある程度の人気がある。ラヴなレターもたまに受け取っているようだ。 だが―― 「……毎朝毎朝、俺をテコンドーじみた技で叩き起こす……いや、蹴り起こすのはよせ」 こいつの本性が広まれば、人気など未来永劫この世界から根絶される事になるだろう。 人間の間接の可動限界を超えてるとしか思えない動きで繰り出される蹴りを、毎朝ギロチンのように俺の首に喰らわす鈴乃。 ……いずれ死人が出るぞ。言うまでもなく俺だが。 「だって、こうしないとお兄ちゃん起きないんだもん」 「『起きないんだもん』じゃねえ! 下手したら永遠の眠りに就く事になるだろうがッ!」 「ふふ、私が下手すると思う?」 ……どこから湧いて来るんだ、その自信は。 宇宙の彼方から、電波に乗ってやって来るのか? 「とにかく、私はもう学校に行くよ。ごはん作っておいたから、ちゃんと食べてね。急がないと遅刻するよ?」 鈴乃はタッタカタッタカと駆け、俺の部屋から出て行く。 ベッドの上で、それを見送る俺。 「…………」 いつまでも寝てる訳にはいかないので、よいしょと身を起こす。首痛ぇ。 部屋から出、階段を下りる。 家に、人の姿はない。この家には、俺――時宮快人と時宮鈴乃の、兄妹しか住んでいないのだ。 両親は、現在海外。二人仲良く、未知の遺跡に眠る伝説の財宝とかを探しているはずだ。アホか。 歯を磨き、顔を洗い、鈴乃製の朝食を頂く。コップの牛乳を一気飲み。 制服に着替え、家を出る。 「行って来ます」 答える人は誰もいないが、口にするのは悪い事じゃないと思う。 玄関のドアに施錠。よし、行こう。 往来する人々に混じって、真っ直ぐ進む。高校までは、歩いて通える距離だ。 ……この街の名は、青川市。 人口数万人の、田舎とも都会とも言えない地方都市である。 何の特徴もない街だ。ただ一つ、時々魔法少女が悪と闘ったりしている事以外は。 腕時計を見る。……っと、少し急がないと遅刻しそうだな。歩くぺースを速めよう。 しばらく歩くと、前方に人だかりが見えた。 「……ん?」 近寄ってみると。 ……そこには、俺の想像を遥かに超越した光景が展開されていた。 「グハハハハハ! このガギングール様の手にかかれば、こんな星など三分もあれば制圧出来るわッ!」 謎の大男が――空中に浮いて、大笑いしている。 ……朝っぱらから見るモノとしては、少々健全ではないと思う。 「そんな事、この魔法少女レグルスがさせないよッ!」 同じように空中に浮き、ガギングールとかいう変な名前のオッサンと対峙しているのは――自分で名乗った通りの、魔法少女。 無駄にフリルの付いた、派手な色合いの服。まぁ、どこからどう見ても魔法少女だろう。腰の両側に下がっているブツを除けば。 「…………」 彼女は――あの雨の夜の、魔法少女である。 しかし、レグルスよ。そうやって空を飛んでると、スカートの中身が……ぬぅ、見えそうで見えない。絶妙な風と陰影のコラボレイションが、魔法少女のスカートに不落の防御力を与えている。 いや待て。俺は何故、スカートの解説なんぞをしてるんだ。変態か。 ……つーか、一体何事? 俺は近くの人に、状況を聞いてみる。 その人の話によると――あのガギングールは、地球制服を企む異星人のボスらしい。 今までに何度もこの街に刺客を送り込むも、全てレグルスに斃されていた。それに痺れを切らせたボスが、直接乗り込んで来たのだ。 つまりこれは――悪の異星人と正義の魔法少女の、最終決戦という訳か。 「……心の底からどうでもいいな……」 しかし、闘いに決着が付かない限りは人だかりも消えないだろう。無数の人間が道路に立ち止まっている状態で登校など出来るはずもないので、仕方なく決戦を見物する。 「――死ねぃッ!」 掌を、レグルスに向けるガギングール。 その手から、極太の光線が発射された。 「く――ッ!?」 それを、レグルスは紙一重で躱す。 外れた光線は、グングン飛んで行き――遥か彼方で、山が一つ吹っ飛んでそうな爆発を引き起こしていた。 うわぁ、超迷惑。 「……さすがは、数多の星をその手に収めた征服王ガギングール。恐るべき力だね」 「クククッ、ようやく力の差を理解したと見える。では後悔しながら死ね、魔法少女レグルスッ!」 ……色々と、付いて行けないノリだ。 ガギングールが、またあの迷惑な光線を撃つ構え。 レグルスは―― 「――甘い! 何度も同じ手は通じないよッ!」 腰の左右に下がっているホルスターから、二挺の銃を引き抜いた。 ――マウザーC96。かつて、ドイツのマウザー社が開発した拳銃である。 ガンマニアだったら誰でも知ってる、拳銃の神話とでも呼ぶべきセミオートマティック・ハンドガンだ。 しかし……魔法少女とはギャップがあり過ぎる代物だと思うのだが、どうだろう。 「は――ッ!」 両手に、C96を構えるレグルス。 トリガーが引かれる。 「ゲハハハ、そんな豆鉄砲がこの私に――ぐぎゃあああああああッッ!?」 撃たれ、悲鳴を上げるガギングール。弱っ! レグルスは相手の絶叫など意に介さず、さらに銃弾を連射する。鬼か。 「ぐ……お、おのれ……ッ!」 蜂の巣にされ、ガギングールが地上に向けて落下する。 「私を斃しても、我々は止まらぬぞぉ……ッッ!」 地に叩き付けられる前に、空中で消滅する大男。 ガギングールを亡き者にしたレグルスは、空の彼方へと飛び去って行く。魔法少女のお約束っぽく、変身は人目のない所で解くのだろう。 ……まぁ、それはともかく。 マジカルな力で斃されるならまだしも、しこたま弾丸を撃ち込まれて葬られたガギングールが――少々哀れに感じるのは、俺だけであろうか? ――県立青川高校。 青川市において、最も賑わっている高校だ。青川中学校の卒業生は、ほとんどがこの学校に進学する。俺や鈴乃も、その一人だ。 生徒総数数百人。あるのは、校舎に体育館にプール。建物としては平均的か。 校門を潜り、玄関へと向かう。 靴箱に靴を収め、上履きを取り出し――朝の騒がしい廊下を通って、三年生の教室へ。 「おはよー」 廊下が騒がしいなら、教室はもっと騒がしい。先生が来る前の教室なんて、どこの学校でもこうだと思うが。 ……ん? 鈴乃の奴はまだ来てないのか? 俺より早く家を出たのに。 「おう、おはよ快人。鈴乃ちゃんは一緒じゃないのか?」 俺に話しかけて来た、この男。 茶色に染めた短髪に、多少鋭い目。外見的にはワルの雰囲気が微妙に漂うが、別段ワルでもない。虚仮威しだ。 名前は、杉山……何だったか。ま、とにかく杉山だ。杉山如き、スギヤマンでよろしい。 「……おい。何か、失礼かつ下らない事を考えてるな?」 「濡れ衣だよ、スギヤマン」 「――適当に考えたあだ名を俺の呼称に設定するな! 何だよ、スギヤマンって!? 正義のヒーローかッ!?」 「よかったな。正義のヒーローは男の子の憧れだぞ。精々、悪と闘って華々しく散れ」 「……正義のヒーローが散ったらダメじゃん」 杉山は、一つ溜息をついた。 ……人並みに溜息なんてつきやがって。スギヤマンのくせに。 「あー、話を戻すぞ。鈴乃ちゃんはどうした?」 「知らぬ。俺より先に家を出たはずだが」 「ふーん……最近、多いよな」 ……まぁ、確かに。 早く家を出たはずの鈴乃が、俺より学校に来るのが遅い。 そんな事が、よくある。 「と言うか、何故にそんなに鈴乃の事を気にする。ストーカーか?」 「んな訳ねえだろ。って、通報しようとするんじゃねえッ!」 俺の手から、携帯を奪う杉山。 くっ、汚い手で触れられた……ッ! 「情報通で知られてる俺としては、美少女の動向はチェックしておかなければならないのだ」 「…………」 情報通。 こいつは、そんな風に呼ばれている。気になるあの子の趣味特技から政治家先生達の弱みまで、集められない情報はないらしい。 俺は半信半疑――いや、95パーセントくらいは信じてないが。杉山にそんな才能があるとは、余りにも信じ難い。 「とにかく、知らん。さっさと俺の視界から消えろ。お前がいると、世界に絶望しそうになる」 「……何でそこまで言われなきゃいけないんだ、俺」 項垂れる杉山を、脳内から抹消。ホントは、クラス名簿からも抹消したいが。 「おはよう、真希」 とある女子生徒に、挨拶する。 「……おはよう」 彼女――草部真希は、無表情な顔で挨拶を返してきた。 長身で、腰にまで届く髪を後ろで纏めた――鈴乃とは対照的な、美人タイプである。愛想がないため、鈴乃程人気があったりはしないが。 俺と真希は、まぁいわゆる幼馴染。どれくらい幼馴染かと言うと、昔は一緒に砂場でお城を作ったくらいの幼馴染だ。ウィンザー城。 家は古流武術の名家で、こいつは皆伝の腕前だと聞く。体育の成績がやたらよいのも、幼い頃からの鍛練の成果だろう。 「くぅ、学校に来てすぐ幼馴染と挨拶しやがって……! お前はどこの夢の世界から来たんだ!? 二次元かッ!?」 「……誰だ、お前?」 「杉山だッ! 一分くらい前に会話しただろうがぁッ!」 「確か、杉山は去年の夏休みにバイク事故で死――」 「――死んでねえ! そもそも、バイク事故に遭った覚えはねえッ!」 そうだっけ? 「はぁ、はぁ――……」 肺に、酸素を送り込む杉山。 叫び過ぎて息が切れたらしい。馬鹿だなぁ、ハハハ。 「そのまま酸欠で死ね」 「――酷ッ!」 「おっと、つい本音が。杉山クン、大丈夫かい? 辛いなら保健室に連れて行ってあげるヨ?」 「……人間の心って、醜いよな……」 杉山のくせに、何を悟ったような事を言っているんだ? 一発二発、殴っておこうか。 「おはよー」 俺が拳を握り締めた時、ようやく鈴乃が教室に現れた。 拳を開く俺。杉山、命拾いしたな。 「遅かったな。拾い食いでもしてたか?」 「してないよ。お兄ちゃんじゃあるまいし」 ……我が妹よ。お前は兄の事を、何だと思っているのか。 一度、腹を割って話し合う必要があるように感じる。 「ちょっとしたトラブルに巻き込まれて、遅れただけ。心配しなくても大丈夫だよ」 「……む。俺は別に心配なんぞ――」 「はいはい」 鈴乃は笑うと、自分の席に就く。 ……妹に、見透かされてる俺。 「幼馴染の次は妹と楽しげにお喋り……! この野郎、元の二次元世界に帰りやがれッ!」 「元の世界に帰らなければならないのはお前の方だ。杉山、いい加減人間の皮を被るのは止めろ。もう皆知ってるんだよ、お前が人間じゃないって事くらい」 「――ホモ・サピエンスである事を否定されたッ!? 何だよ皆知ってるって、俺は人間だよぅッ!」 「ま、それはさておき」 「――ぐッ!?」 首を絞めて、強制的に黙らせる。 「……ちょっとしたトラブルって、何だと思う?」 「何だ、やっぱり心配なのか?」 「オチろ」 「ぐぉ……!? 締めるな締めるな! 今日の朝起こったトラブルといったら、魔法少女レグルスと征服王ガギングールの決戦くらいしかないだろ!」 「……アレか」 あの場に、鈴乃もいたのだろうか? 見た覚えはないが。 しかし杉山の言う通り、トラブルといったらそれだろう。 「うーむ……」 俺が、考えていると。 「……ん?」 誰かが、俺の服の裾を引っ張った。 何だ何だ? 「……って真希か。どうした?」 「…………」 真希は、杉山を指差す。 「死にそう」 「……あ」 そう言えば、首絞めっぱなしだった。 杉山は口から、カニみたいにぶくぶくと泡を吹いている。汚いなあ。 「えやっ」 とりあえず杉山を投げ捨て、床に叩き付けた。 「ぐごぉ……ッッ!? お前、いずれ俺を殺すぞ……ッ!」 瀕死っぽい杉山は、何やら必死に訴えて来ている。 ……男の涙目って、気持ち悪。 「大丈夫、手加減はしてやるさ。ギリギリの所でな」 俺は最上級の笑顔で、慈悲溢れる言葉を杉山に言ってやった。 「もう嫌……」 俺の言葉に感動し、涙を溢れさす杉山。 うんうん、愛い奴め。 「……お兄ちゃんと杉山君って、仲いいよね」 鈴乃が呟く。 馬鹿を見る眼をしているような気がするが……恐らくは錯覚の類だろう。 「す、鈴乃ちゃん、どこをどうみたら仲がよいように見え――へがァッ!?」 俺は、肺を潰す勢いで杉山を踏み付けた。 「そ、俺とこいつはとても仲がよい。例えるなら……主人と奴隷?」 「だ、誰が奴隷だ……」 俺を睨む杉山。 ……スギヤマンの分際で生意気な。 「…………」 そんな杉山を、じーっと眺めている真希。 「どうした? 踏みたいのか?」 「――……」 真希は無言で、杉山へと接近する。 ビクリ、と反応するスギヤマン。ビビってるビビってる。 「――ッ!? 待て、思い止まれ草部! 俺は、踏まれて喜ぶような嗜好は持ち合わせてな――」 ズドン! 「ぐごぉおぁぁああぁああああッッ!?」 真希は、いかにも武術家らしい――震脚じみた一撃を、杉山にお見舞いした。 ……凄ェ。杉山の身体が、小石を放り込んだ水面みたいに揺れたのがハッキリと見えたぞ。 ヴィデオに撮って置きたかったな。きっと、科学の教材としても使えるに違いない。『人体に衝撃が伝わってゆく様子』とかで。 「貴重な体験をしたな。羨ましいぞ、杉山」 「――……」 杉山は何も言わない。無言の同意、というヤツだな。 ただ単に喋る程の力が残っていないだけ、という意見もあるだろうが……ま、少数意見は歴史から葬られるものである。 「……楽しい」 どこかウキウキとした様子で、二発目を打ち込もうとする真希。 ああ、それは死ぬな。さすがに、ここは止めぬばなるまい。 「ストップだ、真希」 「…………」 「いくら杉山が金魚のフン以下の存在でも、殺したら日本の法律で裁かれる事になる。それはまずいだろう?」 まったく、そこは改正すべきだよな。政治家達は何をやっているのだ。 「死なないギリギリでやる」 「あ、そう? ギリギリならいいか。じゃ、やっちまえ」 ズドン! 「へごぉぉぉおおお……ッッ!?」 断末魔じみた杉山の悲鳴。 カクンと、杉山の頭が落ちる。意識を失ったようだ。 ま、大丈夫だろう。死なないらしいし。 「見事だ、真希ッ!」 俺は、グッと親指を立てる。 それに、小さなガッツポーズで応える真希。 「真希ちゃん、いい感じだよ! 頑張って!」 鈴乃が、笑顔で真希に囁く。 ……いい感じって何だ? ああ、杉山の痛め具合か。 「…………」 鈴乃の言葉に、真希はコクンと頷いた。 「快人。今日の放課後、一緒に――」 「――ハッ、阿弥陀仏がッ!?」 真希の言葉を遮るようにして、杉山が飛び起きる。 どうやら、お迎えが来ていたようだ。しかしそこで帰って来れる辺り、真希の力加減は絶妙だったのだろう。さすがだ。 「やぁ杉山、現世に戻って来た気分はどうだ?」 「現世……? って、逝き掛けてたのか俺ッ!?」 「ああ、生還出来てよかったな。こんな所で死なれると非常に迷惑だし。いや、勿論生きてても迷惑だけど」 「発端のお前が死なれると迷惑だとか言うなッ! 生きてても迷惑は酷過ぎるだろ、人間としてッッ!」 「ハッハッハッ……」 「――笑って誤魔化した!? そういう誤魔化し方が通用する場面だと本気で思うのかッッ!?」 「思ってないよ。でもまぁ、杉山相手だから別にいいだろうと」 「舐められてる! 今更だけど、俺って完全に舐められてる……ッ!」 頭を抱え、絶叫する杉山。アハハ、愉快な奴だなぁ。 と、そこで。 「…………」 真希が俺達の方を、じーっと見てる事に気付いた。 ……いつもより、視線が鋭い気がするな。 「真希? そう言えば、さっき何か言おうとしてたよな。何なんだ?」 「――……」 沈黙を続ける真希。 ……ハッ! まさか、今度は俺を踏みたいとか言い出すつもりかッ!? 困る、それは困る。杉山が踏まれるのはいいが、俺が踏まれるのはダメだ。杉山が踏まれても俺は痛くないが、俺が踏まれると俺が痛い。そんなのは御免だ。 「……何でもない」 俺の恐れを知ってか知らずか、真希はそう口にした。 プイっと顔を背け、自分の席へと戻って行く。 「もう! 杉山君、空気読んでよーっ!」 「――俺ッ!? 俺が何か悪い事したのかッ!?」 鈴乃の怒りが、杉山に向けられる。 何を怒っているのかはサッパリ分からないが……杉山が悪いというのは納得だな。この世の諸悪は、全て杉山が原因だ。 「杉山……」 俺はポンポンと、杉山の肩を叩く。 天使のような笑みを顔面に貼り付け、この愚かな男に言ってやる。 「――責任取って、腹を切れ」 「だから何の責任だッ!? 俺が一体、どんな悪事を働いたっていうんだーっ!?」 「ようやく社会が気付き始めたんだ。この杉山という変質者は、百害あって一理なしだと。速やかにこの世から消えてなくなるべき、地球の癌細胞だという事にな」 「……お前ってさ。俺を罵倒する時は凄く生き生きしてるよな」 「そうか? まぁ、お前への罵倒は人類の義務だからな。世界に貢献してると思えば気分もよくなるさ」 「…………」 「ま、それはともかく切腹切腹」 「ちょ、カッターを握らせるな! 俺の腹に向けるなぁ!」 「介錯は任せろ。ちゃっかり失敗するかも知れないが、気にするな」 「『ちゃっかり』かよッ!? ……いや、それ以前の問題だ! お前に介錯なんて出来るはずがないッ!」 「え? 首を落とせばいいんだろ? 簡単簡単、美術室に糸鋸とかあると思うし」 「――それは拷問かッ!? 腹切って痛い上にそんな拷問を受けなきゃならん程、俺は罪深いのかッッ!?」 「そうだよ」 「言い切ったッ!? ああもう、この人嫌だぁーッッ!」 ダダダーッと逃げ出す杉山。 奴は自分の机まで行くと、下に潜り込んで丸くなった。震えながらブツブツ言っている。 「まったく、根性なしめ」 「……お兄ちゃん。あんまり杉山君を苛めちゃダメだよ。数少ない、お兄ちゃんの友達なんだから」 「数少ないとか言うな、鈴乃」 フン、友などいらぬ。修行の邪魔になるだけよ。 ……別に、何の修行もしてはいないが。 「っと、そろそろ先生が来そうだね。お兄ちゃん、席に戻った方がいいよ」 「ああ」 素直に聞き、席に戻る俺。 ……今日も、一日が始まる。 午前・午後の授業を終えた、放課後。 本来ならばテンションを上げ、家に帰るなり遊びに行くなりする所なんだが……残念ながら、俺はそれが許される立場にいない。 ――部活動である。 好きで入った部活ならやり甲斐もあるのだろうが、俺はとある事情により強制入部させられた。やり甲斐もクソもない。 「……いつも思うが、正気の沙汰ではないよな……」 眼前には部室。 その扉には――『魔法少女研究部♪』の文字が踊る。最後の音符が異様にムカつくのは、俺だけではないだろう。 扉を開く。 その向こうは、まさしく地獄であった。 部屋は、大して広くもない。普通の教室の半分くらいか。 狭い部室の中を、魔法少女グッズ――否、正確に言おう。レグルスグッズが埋め尽くしている。 ……凄まじい不思議空間だ。 「や、快人君。今日は早かったわね」 この魔界の最奥には机が一つあり、魔法少女研究部(略して魔少研)の部長――千石つばめが鎮座している。 ……この女が、諸悪の根源だ。ふとした事で、俺は部長に雨の夜の事を話してしまい――気付いた時には既に遅く、俺は魔少研の部員と化していた。 言っておくが、入部届けを出した覚えはまったくない。この女、俺の入部届けを偽造しやがったのだ。 いっそシカトして部室に来ないのも一つの手なのだが、その場合部長は猟犬のように俺を追跡し、部活動に参加させる。 ……どうせ捕まるのならば、逃げるより自分から向かって行った方がいい。俺はこの非情な現実と、戦う事にしたのだった。 「別にいつもと同じですよ。熱中してるから、時間が早く感じるんです」 相手は部長。まったく敬っていない人間だが、敬語を使わなくてはならない。社会っておかしいよな。 鞄を放り出し、椅子に座る。 「あ、そう?」 部長は適当に答えると、手元の作業を再開した。眼鏡の奥の瞳に、真剣な色が宿る。 眼鏡キャラというと、勉強のし過ぎで眼が悪くなった――というイメージが付き物だが、部長の場合はそうじゃない。 本人曰く、アニメの見過ぎでそうなったらしい。アホにも程がある。 ……で。その部長が、時間の流れを忘れるくらい熱中している事は。 「また作ってるのか……」 聞こえないように、呟く。 部長の手には布地があり、針と糸でチクチクと縫い合わせている。 ……魔法少女レグルスの、衣装であった。 この部室の壁には、レグルスの服が何着も掛けてある。それでもなお、部長は服を生産するつもりらしい。 以前、 「そんなに何着も作ってどうするんですか?」 と、問うた事があった。 返答は、 「今度のは素材が違うのよ。前の服は、縫い方も甘かったし」 とまぁ、そんな感じである。 なので今回も、素材が違ったりするのだろう。詳細は別に知りたくないけど。 ……余談だが。部長が作るレグルス衣装は、かなり出来がいい。手縫いなのに、ミシンを使ったのかと思う程しっかり縫われている。 その才能……手芸部とか裁縫部とか、もっと別の所で生かして欲しかった。 あといくら上手く出来ているからといって、販売するのはどうかと思う。壁の衣装にも、ばっちり値札が付いているのだ。 ……たまに、買いに来る生徒がいるのが恐ろしい。部活動で金銭取引をしてもいいのだろうか。いいはずないよな。 「よーし、出来た!」 部長が、完成したのであろう新作の服を広げる。 うーん。朝見たレグルスの衣装と、寸分違わない。それは、他の衣装にも言える事だが。 ハンガーを通し、壁に掛ける。 「次はこっち……と」 木片やプラスティックの塊を、机の上に置く。 資料本を開き、あーでもないこーでもないと言い始める部長。 ……今度は、マウザーC96のモデルガンを手製し始めたのだ。そんな事、メイカーにでも任せておけばよかろうに。 この部室の床には、今までに作られたC96がいくつも転がっている。こちらは販売していない。まだ、満足に足る出来の物が完成していないようだ。 作業風景を見て、一つ気付く。 今までのC96は、全てプラスティックで作られていた。だが今度は、実銃と同じく――グリップは木製にするつもりらしい。 その情熱……プラモデル部とか、もっと別の所で生かして欲しかった。 素晴らしい才能と情熱を持っているのに、どうしてこんな事になっているのか。それを考えると、目頭が熱くなる。 ……人間って、どこで狂うか分からないな。アレを反面教師にして、俺も気を付けないと。 「ねえ、快人君。君って時々、私を哀れむ眼で見るわよね」 「哀れむ? いえいえ、そんなまさか。これは、尊敬の眼差しですよ」 勿論ウソだ。部長を尊敬するくらいなら、杉山を尊敬する方がまだマシ……いや、それはさすがに部長の方がマシか。 ……いくら部長が変人でも、杉山と並べるのはさすがに問題があったな。ごめんなさい部長、私は貴方を非人道的なレヴェルで貶めました。 「君の言動にはウソの臭いが漂う。まぁ、分かっていても気付かない振りをしてやるのが年上の優しさよねー」 「…………」 腹立つなぁ。 大体、気付かない振りしてないし。思いっ切り口にしてるし。 消えてなくなってしまえ、アホ部長め。 「つーか、窓開けてください」 部長は今、プラを紙ヤスリで整形している。埃が凄い。 プラスティックの粉塵って、絶対身体に悪いよな。肺病になるぞ。 「君は、窓一つ開けるのにも私の許可が必要なの?」 その厳しい上司的な発言は何だ。 「勝手に開けたら、それはそれで文句言うんでしょう。これでも付き合いは短くないんです、貴方の性格がツイストしてるのはよく分かってる」 「……んー。それは、捻くれてるって言いたいのかしら?」 「まさか。尊敬する部長に、そんな失礼な事を言うはずがないでしょう。ツイスト・ダンスのように美しい、という意味です」 「ふふ、褒めても埃しか出ないわよー」 出すな。 いい加減呼吸するのが嫌になってきたので、席を立って窓を開ける。 ふーはーっと、深呼吸。ただでさえ息苦しい部屋なのに、今は塵害が発生している。深呼吸の一つもしたくなるだろう。 「むー。この埃が、いかにも作業中っぽい雰囲気が出ていいのに」 あんたの雰囲気作りのために、肺病になって堪るか。 「部長の身体が心配なんですよ」 俺は部長思いの部員を演じつつ、椅子に戻る。 フッ、我ながらパーフェクトな演技だ。アホの部長は、見事騙されたに違いない。 「快人君……君、やっぱり私の身体が目当てだったのね」 「――そんな事が有り得るかッ!」 敵の方が一枚上手だった。 く……時宮快人、一生の不覚。 「……部長、前から訊きたかったんですけど。俺って一体、何のためにこの部活にいるんですか?」 やる事といえば、こうやって部長の作業を眺めたり、無駄話をしたりするくらいだし。 まさか、寂しい部長の話し相手としてここにいるのか。 ……もしそうだとしたら、何という時間の無駄使いだ。 「んー……象徴的存在?」 お飾りかよ。 「ほら、仮にも魔法少女研究部を名乗るからには、魔法少女と接触した事のある人間が部員にいないと話にならないのよ」 「魔法少女研究部って言うより、レグルス研究部ですけどね」 レグルス以外にも、魔法少女はいるのに。 魔法少女――彼女達はある日突然、この世界に現れるようになった。 以前、地球に大きな隕石が接近する事件があった。地球と衝突すれば、恐竜滅亡の再現になると騒がれたのである。 世界各地で魔法少女が出没するようになったのは、その頃だ。 杉山辺りの話では、隕石から地球を護るために、彼女達は魔法の力に目覚めたのだという事だが――それはロマンティック過ぎると思う。結局、衝突はしなかったんだし。 俺としては、隕石に乗ってやって来た未知のウィルスが地球に降り注ぎ、それに感染した者が魔法少女になった、という方がよっぽど現実的な気がする。 ……とにかく、世界には魔法少女がたくさんいる訳だ。なのに、魔少研が研究の対象としているのはレグルスだけなのである。いや、研究なんて言える程大した事はしてないけど。 「仕方ないわよ。活躍してるの、レグルスばっかりなんだし」 「……それは、そうですけどね」 世界中に魔法少女がいると言っても、地球侵略を企む宇宙人と戦ったりしてるのは、この街のレグルスだけだ。他の魔法少女は、時々ニュースに出て来るくらいである。 ……彼女達は基本的に、世界と関わろうとはしない。 レグルスも、本当はそうなのだろう。アホな宇宙人が攻めて来るから、仕方なく戦っているだけなんだと思う。 「でも、レグルスは少し活躍し過ぎてる……目立ち過ぎてるかもね。ちょっと、よくないかも知れない」 「……?」 どういう意味だろう? まさか、レグルスの人気に嫉妬しているのか。小さい、器が小さいぞ部長! 「ま、それはいいわ。快人君、お願いしたい事があるんだけど」 「……何です? 内容によっては、聞かない事もなきにしも非ずですよ?」 「うん、ありがとー」 「…………」 言葉に込めたトリック、深い意味に気付いて欲しかった。 ……いや、気付いてて無視したのか? 「快人君って、銃とかに詳しいわよね?」 「……まぁ、それなりに」 好きで覚えた訳ではないが。 アレだ。子供に付き合ってアニメを見ていたら、子供以上に詳しくなってしまった親みたいなものである。 「快人君、モデルガンとか持ってる?」 「ははあ。遂に、独学に限界を感じ始めましたか」 「うん、そうなのよ。やっぱり、写真だけじゃ張りぼてにしかならないのよねー」 「残念ですが、俺は持ってません」 「……あーぁ、この役立たずめッ!」 いきなり態度が豹変した。 つーか、自分で買えよ。自分の趣味の資料くらい、自分で揃えやがれ。 「……ま、仕方ないか。快人君が役立たずなのは、今に始まった事じゃないしね」 「酷い事言われてますね、俺。今に始まった事じゃないって、俺がいつどこで役立たずっぷりを披露したというんですか?」 「そう。あれは快人君がこの部に入って、すぐの事だったわね――」 いきなり回想シーンに入るな。 それ以前に、回想に値する事がこの部活であっただろうか? 「冬、部活の皆でスキィに出掛けた時の事だったわ」 「…………」 ……部活の皆ってのは、具体的に誰の事だ? 俺の知る限り――この魔少研の部員は、部長と俺だけだ。 勿論俺には、スキィに行った記憶などない。 「滑り降りる途中、突然の吹雪に巻き込まれ――私達は遭難し、彷徨った挙句、見付けた山小屋に避難した」 だから、その『私達』ってのは誰なんだ。 ……いないはずの部員か。山小屋の怪談か。 「その山小屋に、次々と現れる一癖も二癖もありそうな人物達。そして、遂に起こってしまった殺人事件。吹雪で閉ざされた山小屋を舞台に、惨劇は続く!」 「……あの。そんなクローズド・サークルに遭遇した事は、俺の人生において一度もありませんが」 聞くに堪えず、口を挟む。 山荘ならまだしも、山小屋で連続殺人は無理があるのではないだろうか。狭いし、殺したらバレるだろう。一人なら一瞬の隙を突くとかあるかも知れないが、二人三人となると不可能だとしか言えない。 「そこで、冴え渡る名探偵つばめの推理! 事件にビビり、役に立たない快人君ッ!」 「…………」 聞けよ、俺の話。 部長は陶酔し切った変態顔で、妄想語りを続ける。 「白を切る犯人。そこで、確たる証拠を突き付ける私ッ! オドオドするばかりの快人君ッ!」 ……この話、オチはあるんだろうな? 「明かされる犯人の悲しき動機。名探偵つばめは犯人を諭し、快人君は感涙しながら自首を決意するのだった……」 「俺が犯人かい」 意外にも、ちゃんとオチた。 ……とりあえず、さっきから思っていた疑問を口にする。 「部長。今の語りによると、魔少研にはそれなりの人数、部員がいるように思えるんですが」 例の『部活の皆』とか『私達』とか。 部長は、きょとんとした眼で俺を見る。 「何言ってるの。皆、犯人の快人君が手に掛けたんじゃない」 あ、成る程。そういう事なんだ? その事件によって、魔少研の部員はここまで減ってしまったと。 ……いや、待て待て待て。 「で、今の快人君は保釈中」 「貴方は何の目的があって俺を殺人犯に仕立て上げてるんですか? 部員を苛める事がそんなに楽しいですか?」 「うん、楽しいわよ」 肯定された。 この女ァ……いつかボッコボコにしてやるぅ! 「む? 今、何となく身の危険を感じたわ」 「誰かが部長の噂でもしてるんでしょう」 「そっかー、私ってば人気者だからねー。それがどう身の危険に繋がるのか、一切謎に包まれてるけど」 「謎は謎だからこそ、魅力的なのですよ部長」 「うんうん、そうね。私と同じく」 何をほざいてるんだ。頭がおかしくなったのか? ……いや、おかしいのはいつもの事だな。 俺は本心を隠しつつ、部長の言葉に頷く。 「そうですね。部長は魅力的な人です。多分。きっと。見る人によっては」 「いやぁ、そこまで言われると照れるわね。で、何を恵んで欲しいの? やっぱり、金銭とか食料?」 「――……」 俺は乞食か! ……いかんいかん、部長のペースに呑まれるな。 「いや別に、何も恵んで貰わなくても結構ですよ」 「そう? なら、お互いの利害が一致したわね。私も、役立たずの快人君に恵む物なんて、塵一つも在りはしないから」 「――テメェ、絞め殺したろかァッッ!?」 遂にキレる俺。 ……嗚呼。時宮快人、本日二度目の不覚。 「おお。キレ易い若者が、とうとう醜い本性を現したわね」 「……本性が醜いのはどっちですか。それに……貴方から若者呼ばわりされる程、俺達の年齢が離れてるとは思えませんが」 「あれ? 快人君って、私の歳知らなかったっけ?」 ……知らん。怪人が何年生きてるかなんて、興味もなかったし。 と言うか、何だその言い方は? 何の前振りだ? 「ん、ん……そうね、知らないのならそれはそれでいいわ。ふふ、ぬふふふふふ」 「……どんな秘密を隠してるんですか、部長」 「快人君。謎は謎だから、魅力的なのよ?」 「…………」 見事に言い包められた。 凄まじい敗北感。俺はこの部室に来る度に、こんな風に打ち負かされているのだ。 ……いつの日か必ず、この女を討ち取ってやるぅ……。 「あら、快人君が熱い視線で見詰めてる。もしかして、私に惚れちゃったのかしら?」 憎悪と怨念を込めた殺視線を、どう解釈すればそうなるんだ。 部長の脳を調べたら、これまでの学問を崩壊させるような何かが発見される気がする。 「はは、まさか。俺如きでは、部長とは釣り合わないですよ。部長と釣り合うような男は……そうですね、地球上にはいないと思います。この星のレヴェルでは、部長のお相手は務まりません」 珍しく、本心を口にした。 一生、寂しく過ごすがいい。ふははははは! 「いい女ってのも罪よねー。でも私も、さすがに地球外との遠距離恋愛は遠慮したいし。うーん……やっぱり、身近な子で手を打っておこうかな」 「……は?」 身近な子? ……まさか。この部長にも、人並みに好きな異性がいるのか。凄いインパクトだ。 「ふふ……」 部長が、机から立ち上がる。 俺に近付き――顔を、覗き込む。 「――君の事よ?」 囁く、部長の唇。 瞳と瞳が――見詰め合う。 「……はぁ」 俺は呆れ顔で、溜息を吐き出した。 「……ぬ。女の子が迫ってるのよ? もう少し愉快な反応をしてもいいと思うんだけど」 「女の子……ですか。部長、まったくこれっぽっちも関係のない話ですが、一度遺伝子の検査をお勧めします」 「意図が全然分からないけど、心の隅に置いておくわ」 部長が、机に戻る。 ガリガリと、プラの整形を再開。 「女の子が愛の言葉を語ってるのに、顔色一つ変えないなんて。ちょっとどうかしてるわよ?」 「いい男は罪ですね」 「そうね。快人君と釣り合うような女の子は、地球上にはいないと思うわ」 ……仕返しされた。 「眼が笑ってるんですよ、部長は。『これで動揺したら、大笑いしてやるわーっ!』って雰囲気が、ビシビシと伝わって来るんです」 「あらそう? まだまだ私も修行が足りないわね。でも――どうせ、快人君は揺るがないか。何しろ、本命の子がいるんだもんねー」 「…………」 ……待て。 今のは、どういう意味なのだ。 「部長。その発言について、詳細な説明を求めます」 「あれ、違ったのかしら? いや、私の勘違いならそれでいいんだけど」 「――……」 さて、どう切り返すべきか。 沈黙を続けるのはよくない。無言の肯定、というヤツになってしまう。 「部長――」 「あ、もうこんな時間か」 俺の声を途中で遮るようにして、部長が言う。 時計を見る。確かに、部活終了の時間だ。 「……じゃ、俺は帰りますから」 「はいはい、今日もありがとねー」 机上を片付け始める部長を見ながら、椅子から立ち上がる俺。 ……結局、何も言い返せなかった。敵前逃亡みたいで気に入らないな、この終わり方。 「じゃあ言われた通り、遺伝子検査を受けてみるわ。もしかしたら、快人君との血縁関係が判明しちゃったりするかもねー」 「そうなったら、俺は血の涙を流して喜びますよ」 「うんうん、期待しててね。さよなら、また明日ー」 「はい、さようなら」 出来れば、永遠にさようならしたい。 廊下に出て、扉を閉める。 「……血縁関係、か」 溜息を落とす。 ……これ以上、厄介な姉妹が増えて堪るか。 「グハハハハハハッ! ガギングールなど、我等四天王の中では最弱の愚物よ! このスチェーレンが、真の恐怖を教えてくれるッッ!」 「いいからもう消えてッ!」 「――ぬ? おおおッ!? い、いきなり撃つなッ!」 帰り道。 俺は、朝の再放送みたいなものに遭遇した。 空中でレグルスと向かい合う、スチェーレンとかいう宇宙人。 レグルスがバンバン発砲し、スチューレンは逃げるばかり。相変わらず弱い。 「……さすがに、二度目ともなれば大衆の興味も薄れるか」 野次馬もおらず、俺は障害なく下校を続ける。魔法少女のガン・アクションなど、興味の欠片もない。 しかしまぁ、連中も雑魚だね。宇宙を航行して地球まで来る技術があるのに、どうして魔法少女一人倒せないんだ。 ……や。別に、レグルスが倒される事を望んでる訳ではないが。 でも、もう少し強くてもバチは当たらない気がする。 あの雨の夜の『敵』は、何と言うか、まるで奈落の底のような―― 「…………」 止めた止めた。そんな事思い出しても、何も楽しくない。 頭を振って無意味な思考を追い出し、道を進む俺。 蝿が寄って来たので、振り払う。ええい、どっか行けい! ――と。 「ヒャッホウ! 今日もレグルスちゃんは最高だッッ!」 ……眼前に、蝿がいた。人型の蝿だ。 このエンカウントは俺の歴史においてなかった事にし、帰宅を急ぐ。 しかし―― 「お、快人。今帰りか?」 向こうから、話し掛けて来た。 ……ようやく家に帰れるって時に、杉山なんぞと遭っちまった。悲惨だ。 「失礼ですが、どちら様でしょうか?」 「……俺も、アレだよな。何で、懲りもせずお前に話し掛けてるんだろうな? 俺とお前の友情、普通だったらとっくに壊れてるぞ?」 「何を言う。簡単に壊れる友情なんて、真の友情じゃないだろう」 「……!」 杉山が、眼を見開く。 気持ち悪いリアクションだな。俺、変な事でも言ったか? 「そっか……そうだよな! 俺とお前の間には、真の友情があるんだよな! 我が真の友、時宮快人よッ!」 「……は? 寝言は寝て言えよ。むしろ永眠推奨な」 「ダメだ、やっぱお前はダメだーッ!」 さっきまで喜んでたのに、いきなり獣みたいな悲鳴を上げる杉山。 あー、耳障りだ。そして勿論目障りだ。 ホント、五感に悪い男だな。俺の成長に悪影響が出たらどうする。 「……んで。快人はこんな時間まで学校で何してたんだ?」 「部活に決まってるだろ。お前は自分で考える事も出来ないのか」 「部活……そう言えばお前、魔少研に入れられたんだっけ。それはそれは、御苦労様」 ……杉山に労わられた。 野犬に労わられる方が、まだマシだ。 「……お前は、また脳内で俺を貶めてるな?」 「野犬に労わられる方が、まだマシだ」 「御免なさい! そういう俺の心に悪い台詞は、脳から出さないでくれ!」 ああだこうだと、注文の多い奴だな。最後の最後で、俺を食べるつもりなのか。 弱肉強食は自然の定めだが、弱者が強者を喰らうなんぞ道理に悖る。そんな状況になったら、俺は自害を選ぶぞ。 「……よし、決めた。杉山、何か奢れ」 「うん。話の流れがサッパリ理解出来ない」 「……チッ」 馬鹿は、日本語もロクに分からないのか。 仕方ない。特別に、懇切丁寧に説明してやろう。 「弱者のお前が、強者の俺に貢ぐのだ。当然の事だろう?」 「それはいかなる強弱なのか、具体的に示しやがれ」 「生まれた時点で決まってる、生命体としての優劣」 「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らずッ! 福沢諭吉に謝れこのクソ野郎ッ!」 「あれはアメリカの独立宣言からの引用だ。馬鹿丸出しだな、杉山」 「ぐ……何だ、間違ってないのに負けた気分……!?」 うう、と怯む杉山。 所詮、杉山ではこの程度か。 「独立宣言も、日本人の俺達には極めて関係がない。よってお前は俺以下。はい、これで証明終了」 「待てッ! 俺がお前以下だって根拠を答えろッ!」 「オーラの強さ」 「そんなもんが物事の基準になって堪るかッ! この人でなしがぁ、一度頭の中を掃除して来いッ!」 「そうだな……その点、お前は掃除し易そうだよな。頭の中身が少ないから」 「ぐぅ……言えば言う程、俺の心が傷付いてゆく……何なんだ、その反射属性は!?」 「反射か。そう言えば杉山、お前って鏡見た事あるか?」 「……あるが?」 怪訝そうな杉山。 そうか……見た事があるのか。 「可哀想に……可哀想にな……」 「――急に哀れまれてる!?」 「鏡を見た事があるのなら、気付いたんだな。自分の顔が……である事に」 「ハッキリと言え! 暈されると余計嫌だッ!」 「自分の顔が、不細工の極みである事に」 「俺、さっきの教訓が全然生かせてなかった! こいつの言葉は、脳内から出しちゃダメなんだったー!」 「まぁ、そう落胆するな。世の中には整形手術とかあるし。ほら、工事に使うようなドリルで顔面をゴリゴリとやれば、少しは見れるようになるんじゃないか?」 「頭蓋に穴が開くわッ! 生命活動の停止が確実だ!」 「いや、大丈夫だよ。さっきも言った通り、お前の頭の中はカラッポだし」 「待て待て、さっきは『少ない』だったろ! で、今は『カラッポ』! ああもう、お前はとにかく俺の評価を下方修正しやがって……ッ!」 ったく、五月蝿いなぁ。 俺は杉山の頭を、パコンと叩く。 「とにかく、そこの自販機でジュースでも買って来い。それで全て丸く収まるんだ、安いもんだろう?」 「俺の怒りは、どこの誰が収めてくれるんだ?」 「我慢しろ。どうせ、三歩歩けば全部忘れる」 「――忘れるかッ! お前から受けた心の傷は、万年経っても癒えんわッ!」 「万年……杉山、お前は亀並みに生きる気なのか。止めとけって、万物にとって迷惑以外の何物でもないから」 「うわ……俺、あらゆる物から嫌われちゃってるの……?」 「そんな杉山でも、僅かとはいえ功徳を積む方法がある。民衆に喜捨するんだ。その民衆とは、詳しく言うと俺なのだが」 「……分かったよ。買って来ますよ……」 トボトボと、自販機に向かって歩く杉山。 奴の背中からは、力強さとかそういうものが感じられない。人間、ああなったらお終いだよな。 ガードレールに体重を預け、パシリが帰って来るのを待つ。 と、その時―― 「……!?」 俺の目の前を、異様な人物が通過した。 美しいドレスを着た、女性。日本人なら絶対似合わない衣装だが、その女性は日本人ではなかった。多分、ヨーロッパの方だと思う。 髪が流れる。俺と擦れ違い、先へ歩いて行く。 「…………」 無言で、その背中を見送る俺。 ……凄く場違いだったな。外国の御嬢様か何かだろうか。 ま、別に誰がどこにいようと、それは本人の勝手なんだけど。 「……っ」 纏わり付く、羽虫を振り払う。 ……一つ、気になった事は。 さっきの人――二、三匹くらい虫が寄っていたのに、まったく振り払う様子がなかった。 まるでそれが自然な状態であるかのように、悠然と歩いて行ったのだ。 「……身分が高い人は、虫を払うなんて事はしないのだろうか」 庶民には理解出来ねー。 俺が貴賎というものについて、真剣に考えていると。 「おーい、買って来たぞー」 杉山が、帰って来た。 放られた、ジュースをキャッチ。二人一緒に開け、中身を口に運ぶ。 「ずっと向こうを見てたけど、何かあるのか?」 「んー……今な、外人の女の人が通り過ぎて行ったんだよ」 「――にゃんとッ!?」 グワッと、杉山の顔が俺に迫る。 反射的に、殴ろうかと思ったが……こんな往来の真ん中で殴り倒したら、警察のお世話になってしまうかもしれない。鋼の自制心で、押し止める。 「び、美女だったのかッ!?」 「……不細工ではなかったと思うぞ」 「歳はッ!?」 「知る訳なかろう。まぁ……二十歳にはなってない感じだな」 「くぅ……ッ」 地団駄を踏む杉山。お前は子供か。 「何でそんな時に、俺はパシリになんぞ行っちまってたんだ……! その場にいたら、絶対に声を掛けたのにッ!」 「日本語が分かるとは限らないだろう」 「――そこは愛でッ!」 グッと拳を握り、杉山は力説する。 ……愛で言語の壁を越えられるのなら、通訳も翻訳も英語の授業もいらねえんだよ。 「こうしちゃいられん、その女人が向かったのはあっちだな!?」 「ああ……って、追う気かい」 「決まってる! ここで追わずして何が男か!」 うおおおおお! 叫びながら、走って行く杉山。 ……ああいうのを、真正の馬鹿っていうんだろうな。 まぁ馬鹿が消えてくれたお陰で、落ち着いてジュースを味わう事が出来た。 空き缶はちゃんと、自販機の横の『カン』と書かれたゴミ箱に捨てる。 「さて……」 いい加減、さっさと帰ろう。 |