「たらってろってらろりるらー」 タ行とラ行しか使われてない自作ソングを口ずさみながら、俺は廊下を歩いていた。元の世界へと帰る術式は、召喚されたあの部屋でしかできないものらしい。それを聞いて、あの部屋が地震か何かで壊れたら帰れなくなるんじゃないかと尋ねてみたんだが、ファニルの奴に笑顔で、『その時は救世主業を終えても、下働きとして雇ってあげますから安心して下さい』とか言われたけど、それはそれとして。 準備に時間が掛かるらしいんで、その部屋で少し待っていてくれということだ。将来的には、俺一人で自由に行き来できるようになればいいなとは思ってる。一応は秘伝の術式を、そうお手軽に扱えるようになるのもどうかと思わないでもないけど。 「てってろらってれってれたー」 それにしても、流れでファミレスのバイトを辞めることになったけど、どうしたもんかなぁ。いきなり消えた上に、帰ってきたと思ったら辞めさせて下さいとか、人としてどうなんだろう。 それでも、店長は何とか話が通じるはずだ。問題は、フロアリーダーの方だよな。暴力を生業にしてるようなオッサン達を、眼力と慇懃な言葉遣いだけで追い返す猛者だし。フロアリーダーが救世主やった方が、話が早い気もする。 あ、ダメだ、挫けそうになってる俺がいる。もういっそ、しばらくこっちの世界に避難しちゃおうかしら。一ヶ月くらい行方不明になっておけば、やむにやまれぬ事情があったって言い訳できそうだし。失うものも多そうだけど。 「とってったらり〜」 ま、深く考えてもしょうがない。そもそも、救世主はじめましたとか、冷やし中華かよとツッコミを食らってもしょうがない環境にあるんだ。悩むだけ無駄ということで、ここは、なるようになれ精神でいこう。 捨て鉢な一人問答に自己満足な決着を付けたところで、目的の部屋の前に辿り着いた。それにしても、中で待ってろと言われても、ケータイもないし、どうやって暇を潰したもんか。 「……」 扉を開けた瞬間、室内の状況に言葉を失い、そのまま閉めて無かったことにしたい衝動に駆られた。でも、元の世界に帰るには、最終的にここに入る以外無い訳で。意を決して、というよりは、諦めの感情で入室した。 「やぁ、救世主どの、またお会いしましたね」 そこにいた内の一人は、ハイネルさんだった。 「たしかに、近い未来会うことになるって言ってましたけどね」 五分後も、五日後も、五ヶ月後も、人生の尺度で見れば、大した長さじゃないって詭弁を誰かが言ってたのを思い出した。 「それで、そちらのお嬢さんはどちら様?」 ハイネルさんの左脇、ちょうど俺が召喚された魔法陣の上に、一人の女の子が立っていた。淡い色調の髪を首の後ろで束ねていて、肌の色は俺よりやや濃いくらいだろうか。だけど何より、この薄暗さでもはっきりと認識できる金色の瞳が、奪われる程に目を引いた。 「私の名前はミーレイ。当代の、魔王になる」 「……」 ああ、こんだけアレコレ起こっておいて、何でこの可能性を想定してなかった。適応しきれてねーぞ、俺。 「どうも、三宮一志です! 今日から、救世主をはじめることになりました! 仲良くしてやって下さい!」 「その物言いは、なんだ?」 「いや、バイトとか、クラス替えの時の自己紹介っぽく」 「ほむ?」 当然、今の行動に意味なんかある訳がない。 「ってか、先代が隠居したのは聞きましたけど、後を継いだのが、こんなチビっ子でいいんですか?」 ぱっと見の年で言うなら俺より幾らか下な程度だろうけど、上背は、平均より割りかし低い部類になると思う。 「チビっ子などと、言うな」 「あれ、いわゆる、見た目は子供でも、実年齢は遥か上的なパターンっすか?」 「いや、年で言うなら、十三だけど」 やっぱりチビっ子じゃねーか。 「んー?」 そういや、マヤさんが派閥争いで揉めてるって言ってたな。つまり、ハイネルさんはこのミーレイちゃんを立てる立場ってことなのか。 「何で、このチビっ子を推そうと思ったんです?」 「しれっと、無礼な質問をするな」 それが無礼と分かるだけ、まあまあの感覚してると思うよ。 「ふ、むさ苦しいオッサンと、今は幼くとも、将来有望な美少女。男なら、言わずもがなでしょう」 ああ、分かった。薄々は勘付いてたけど、この人もアホだ。 「仕方ないだろう、魔王は、世襲制なんだ。バカ親父が隠居とか言い出した時点で、私が継ぐしかなかった。血族以外から出そうとすると、とてつもなく面倒な手順を踏まないといけなくなる」 「具体的には?」 「まず、候補を絞るために、バトルトーナメントを開催する」 「それはそれで面白そうだけど」 「不人気打ち切りを回避するためみたいで、私は嫌いだ」 「あんたも、こっちの世界の事情に詳しいな」 もしかして、漫画雑誌とかをこっちに搬入するだけで、一財産築けるんじゃないか。不当所得みたいで、何かモヤモヤするけど。 「はっはっは。私も、魔族の中ではそれなりの立ち位置でしょうが、魔王になろうなどと思ったことはありませんよ」 「その心は?」 「トップなんて、負うべき義務ばかりで面倒なものです。側近の立ち位置を確保して旨味は吸いつつ、いざという時は責任を回避する。これが、賢い生き方というものですよ」 「さては貴様、俺と同じ人種だな!」 文明が生まれてから何千年か正確には知らねーけど、傀儡政権が廃れないわけだ。 「酷い部下だろ?」 「魔王権限で、左遷とかしちゃえばいいじゃない」 「これで仕事はきっちりするから、切るに切れない」 「ふふ。この私にかかれば、煩雑な事務処理も、片手間でチョチョイのチョイです。疾風のハイネルの二つ名は、飾りではありません」 うわー、扱いに困る感が半端ない。 「状況は、分かってもらえたか?」 「あー、人間と魔族の差なんて、俺の世界でいう、人種とか程度しか違わないなーって」 一応は、人間サイドの俺が言っていいものなのかは知らないけど。 「この争いは、私が生まれる前、何百年という昔から続いてきたことだから、とりあえずは置いておけ」 「置いていいの?」 どっちも肩書だけと言っても、救世主と魔王がトップ会談してるんだから、何か活路とか見出せそうなもんだけど。 「まとめると、私は、できることなら魔王を辞めたい」 「それは、まあ分かった」 「そして、跡継ぎに押し付けることさえ出来れば辞められると、バカ親父が立証してくれた」 「ふむふむ」 「しかし、私には兄弟姉妹や、襲名できるほど近い血縁もいない」 「そういうことになるっぽいな、話の流れ的に」 「だから、貴様、私と結婚しろ」 「はい、完全にここで論理が破綻しましたよ」 少しずつ話がズレていくと、どこがおかしいか分からなくなってくるもんだけど、こう一気に論理の飛躍があると、ツッコミが楽でいい。 「何がおかしい。子を成せば、性別問わずに隠居できると、言ったも同然だろ。どれだけ幼かろうと、傀儡であるなら、むしろ好都合でさえある」 自分の子供を生贄に捧げられるって、バカにしてる先代魔王と変わりねーじゃねーか。 「何で、そこで俺が出てくるのかというのは無視か。適当に魔族内で相手を探せよ」 「青いな。形骸化して久しいが、魔王ともなると、結婚相手の一族の発言権が増す。ギリギリで均衡を保たれている現状を維持するためには、外部の存在が一番いいのだ。こちらの世界の人間相手だと、それはそれで問題が生じるし、異世界人の貴様以上の適任など居ない」 「……」 一瞬、筋が通ってないかと思っちまったぞ。ヤバい、引っ込め、俺の歴史好きの血。 「いいんですか、ハイネルさん。主君が、こんなこと言ってますよ」 「私は、美しさと利益と、そして何よりも面白さを最優先に生きる所存ですので」 全方位ひどすぎて、発する言葉も無い。 「すいませーん、救世主さま。お待たせしました」 そして、ファニルさん、あなた、このタイミングで出てきますか。 「……」 彼女はとりあえず俺を見て、二、三拍の間があって、次いでミーレイちゃんとハイネルさんを見て、目をパチクリとさせた後、もう一度、俺の方に首を向けた。 「えーと、状況の説明をしてもらっていいですか?」 「一言で言うと、修羅場?」 単語の使い方として正しいのか分からないけど、これ以上に近いものは思い浮かばなかったんだ。 「下女よ、下がれ。私は、カズシを貰い受けることにした。どの様な関係かは知らぬが、過去のことと思って諦めてくれ」 「はぁ? いきなり何言ってんですか。カズシさんは、私達の所有物です。これから、国家のために使い潰される大事な身体なんですからね」 「いやぁ、救世主どのはモテモテですなぁ」 雰囲気だけ見れば俺の争奪戦って意味で修羅場なんだけど、あいにく、完全にモノ扱いだ。しかも、どっちも今日会ったばかリで、大した感情を持っていないんですけど。 「やめて、俺を巡って、争わないで!」 こうなったら、秘奥義、道化の振りをしてお茶を濁す作戦の封印を解くしかない。 「救世主さまは、黙っていて下さい! これは、この泥棒猫へのしつけの問題です」 「見苦しい、見苦しい。嫉妬に狂った女狐がここまで醜悪なものだったとは。知らなんだ、知らなんだ」 俺が完全に蚊帳の外っていうのは、色々とどうなのでしょうか。つーか、これ、根本的に会話成立してるの。ついでに、時給九百二十円の範疇を完全に超えてると思うのですが。賢明で博識な、皆様方の御意見を伺いたいところです。 「ファニルさん〜。カズシさん、まだ居ますか〜?」 トドメを刺すかのように、マヤさんまでやってきやがった。もう、これ、絶対、収拾つかない。俺、しーらない。 「……」 あれ、マヤさんの登場で、ミーレイちゃんが固まっちゃいましたよ。 「ハイネル! 今日のところは、帰るぞ」 「御意に」 えーと。どう解釈すればいいのかしら。 「ミーレイ様は、小さな体躯もさることながら、胸周りの慎ましさにも心を痛めておりましてな。あのように、勝負がバカバカしい程の方が現れますと、気力を根こそぎ削られてしまうのです」 「ハイネル、貴様!」 本当、仕事の能力以外、何一ついいところがない側近だな。気配りは完璧だけど、仕事自体は無能極まりない奴とどっちがマシかと言われると返答に困るけど。 「ではカズシ。いずれ会いに来るぞ。変な女に、引っ掛かるなよ」 「へーい」 あなた様が何より変ですとは、さすがに追い討ちすぎて言えなかった。と言うか、窓から帰るのね。こう、俺を召喚したみたいに、空間転移的なものを期待していたんだけど、夢を見過ぎですね、はい。 「結局、どちら様だったんですか〜?」 「あっ、一応は偉い、あの変態魔族が様付けしてたってことは、もしかして――」 はい、そうです。魔王様です。 「あちらの総大将はフットワークが軽いんですね〜。うちの王様は、侵攻に怯えて、引きこもり同然の暮らしをしているんですけど〜」 さすがにそれは、部下が色々と叱ってやらないといけないのではなかろうか。 「その為の救世主さまです。正直、うちの王様のダメ人間っぷりは、王国民に知れ渡ってますから、今更、取り繕ったところで、挽回は不可能に近いです。隠居させるにしても、後継者争いで、無駄に国力を削ぎかねませんし」 「その点、カズシさんでしたら〜、まっさらな状態からイメージを構築できますものね〜」 あの魔王さんなら、和平とまではいかんけど、講和で停戦くらいにはもっていける気がしないでもないんだが。何世代にも渡って続いてることらしいんで、そう簡単にはいかないんだろうけどさ。 何はともあれ、俺の救世主業初日は、こうして終了した。この先に待ち受ける騒動や試練なんかについては、正直、考えたくない。そもそも、俺は穏便にファミレスの方のバイトを辞めることができるのか。個人的には、そっちの方が、悩ましいのだけれども。 ケ・セラ・セラ、なんくるないさー、なるようになれって、いい言葉だよな! 了 |