さて、皆さん。噛ませ犬という言葉を御存知でしょうか。元々は、若い闘犬を調練する為、老犬などを噛ませることからきている言葉です。転じて、主役を引き立てる為、脇役が屈辱的な仕打ちを受けるという意味でも使われています。 一見すると、主役の座を諦めた者達にさえ思えます。だが、侮らないで頂きたい。彼らは彼らで、主役級の面々に劣らない努力をしているのです。今日は、その一端を紹介することにしましょう。 「ふふふ……良くここまで勝ち上がってこれたな。途中で負けやしないかとヒヤヒヤしたぞ」 大会モノで良くあるこの台詞。しかしこの程度では、一流の噛ませとは言えません。むしろ名勝負を生み、後世、絶大に称えられる可能性も十二分に秘めています。では一体、どうすれば良いのでしょうか。 「ふっ、奴が勝ったか。さぁて、次は俺の番だな」 これが、限りなく正解に近いと言えましょう。ここでぽっと出の新鋭にケチョンとやられ、『バ、バカな……』と捨て台詞を残してこそ、噛ませオブ噛ませなのです。もちろん、この台詞を放つという絶対的劣勢を覆し、勝利を収める御仁もおられますが、我々、噛ませ連合から見れば惰弱もいいところ。お話にすらならないのです。 「ふん、この湿原の覇王と呼ばれた我に歯向かうとは良い度胸だな」 仰々しい二つ名などを備えているのも、噛ませとして望ましい条件です。 「全国大会準優勝の俺を捕まえて、雑魚などとは良い面の皮だぎゃー」 過去の実績を、さりげなく、且つくどくどしいまでに述べるのも良いでしょう。ここで重要なのは、優勝者ではいけないという点です。むしろ主人公無二の宿敵として、格好のポジションを得てしまいます。但し、有名どころが殆ど出場しなかった、形骸的優勝であれば話は別ですけどね。 「ふぅ、あの程度の敵に隙を見せるとは、貴方もまだまだですね」 ことあるごとに突っかかるのも、噛ませとして重要な資質です。 「この局面であんな行動をとるなどとは、流石に失笑を禁じえません」 動きを逐一把握することこそ、基本であると言えましょう。その様はまるで、愛が行きすぎて不審者と化した亡霊達の様ではありませんか。そう、噛ませの本質とは、自称ライバル達への愛なのです。愛の形は人それぞれなのは、最早、常識の領域。この様に噴出する輩が居ても、何ら不思議な部分はないのです。 「ヒョーッヒョヒョ。奴は我々一族の恥とでも言うべき小物。そやつに勝ったからと言って調子に乗るでない」 これです。噛ませを志す者として、一度は言われたい台詞ランキング、ベストスリーに入る憧れの言い回しです。事前に、『あの様な輩、我が一族の敵では御座いませんよ。どうか私に先鋒を仰せつかって下さい』などと言っておくと、尚、その価値は高まります。 「へっ、俺達を敵に回すたぁ、良い度胸じゃねぇか」 威勢が良いことは、噛ませの絶対的必要条件ですが、ここでのポイントはそれではありません。さりげなく、『俺達』という複数形と使っている点です。組織に属すか、或いは味方の威を借りなければ虚勢も張れない。これでこそ、殿堂入りの噛ませを目指すスタートラインに立てるのです。 「俺が……俺があんなところで負けなければ!」 はい。自意識過剰というのも、重要なところです。正直なところ、我々の様な噛ませ犬を、重要戦力として考えている者はいません。相手の戦力を探る為の捨石、運が良ければ勝つこともあるかなぁ程度の立ち位置が現実というものです。もちろん、そのことを自覚した上で謙虚な姿勢をとる様では、上を目指すものとして失格ですけどね。 「ここは俺に任せて先に行け!!」 解説の山場がやって参りました。噛ませ犬同好会所属の学生から、名誉噛ませ顧問の肩書きを持つ者に至る、全ての噛ませ達に、生涯、一度で良いから口にしたい台詞をアンケートしたところ、二位以下をぶっちぎりで離してトップを獲得した、至高の口上です。 僭越ならが私も、この言葉さえ吐ければ、何処で死んでもさしたる悔いは御座いません。それ程までに、噛ませにとっては神威を感じさせる程の魅力を持つのです。このことを理解出来ない方には、同じ噛ませを名乗って欲しくない――失礼。少し、熱くなってしまいました。 さて、皆さん。悠遠にして奥深い、噛ませ道の一端を垣間見て頂きましたが、如何だったでしょうか。人は、必ずしも主人公として生きられる訳ではありません。そんな時は立ち止まり、この道に思いを巡らせてみるのも一興でしょう。 尤も、覚悟の無い方が歩める程、甘い世界では無いことも、一つの真実なのですがね。 |