邂逅輪廻



 私、三上洋子は暗室が好きだ。
 自室のようにリラックスできるから。
 けど、暗室は自室ほど綺麗じゃないし(むしろ汚い)、明るくもない(暗室が明るかったら意味はないだろう)。
 だけど、暗室が好きだ。
 次に好きなのは生徒会室。あれは長くいたからだろう。愛着かもしれない。
「うんだからねー、私はたまたま見たんだよ、タライが降り続く中、それを全く気にせずドラマをやり続けるという素晴らしきコントを!!」
 ……いや、一番好きなのは生徒会室かもしれない。
 理由は簡単。

 ――弥生がいなくて静かだから。



誰かのためのおとぎ話 番外編
〜写真部と吹奏楽部のカンケイ〜

りむる



 私は静寂が好きだ。そして私の幼馴染、西野弥生はそれと真逆の存在である。だからと言って弥生が嫌いということはない。彼女に関してはそれ以前の感情だ。あまりに長いこと一緒にいたので好き嫌いの感情が失せてしまっている。弥生も同じようにそんな風に私を見ているだろう。ただし自覚はないだろうが。
 弥生の周りの評価は幼稚園、小学校、中学校、高校と常に真っ二つだ。
 判りやすく、好きか嫌い。
 しかも両極端で、大好きか大嫌い。
 私はどちらでもない。理由は先ほど語った通り。
 そういう性質のため、弥生には敵が多い。それと同じくらい味方も多い。
 弥生を好く人間にどこが好きなのかを聞いてみると「楽しそうで面白いから」と答える人が多数。代表は写真部の大村亜里沙か。あの子はほわほわと微笑みながら「うん、やよちゃんって面白いよねー」と言う。たまに流されているだけじゃないかとたまに思うが……まあ、他人事なのでどうでもいい。
 反対に弥生を嫌う人間にどこが嫌いなのかを聞いてみると「何を考えているのか判らない。なんかむかつく」と答える人が多数。代表は吹奏楽部部長、岡倉忍おかくらしのぶか。あれは単純に心が狭いだけかもしれない。
「三上先輩」
 どうでもいい考え事を止めて声の主に視線を移す。それは最近入部したばかりの目つきの悪い一年生、樋口啓輔。
「なに?」
「あのですね、不思議に思うのですが」
「いい!? そもそもタライというのはね!!」
 …………。
 弥生はいつも楽しそうで、何を考えているのか判らない。そこがむかつく、という意見は良く聞く。私の場合はむかつかないが、ただやかましいと思う。
「外で話そうか」
「そうっすね……」
 啓輔はどこか悲しそうな顔をして頷いた。私たちが立ち上がると目ざとく弥生が反応する。
「外?」
「ええ」
「行ってらっしゃい」
 深くは尋ねず軽く頷く。興味あるだろうが、今は自分の話のほうが楽しいのだろう。すぐに視線を戻した。麻美ちゃんはちらりとこちらを見、すぐに離す。興味の有無ではなく確認だろう。双子の弟は興味がないのかこちらを見ようともしない。
「――……」
 姉のほうは――しっかりと視線がぶつかる。双子の姉は微笑むと軽く会釈した。
 ――面倒な子。
 私は無言で外に出る。少し戸惑いながら啓輔が続く。


 弥生がヒートアップしたらしばらくやかましいので保険講義室前の階段まで移動する。
「で? 話は何かしら?」
 腕を組んで、廊下の壁に背を預ける。
「ここまで離れてするようなご大層なものじゃないんですけど」
「じゃあ、戻りましょう」
「嫌です嫌ですここで話しましょう」
 壁から背を離すと若干泣きそうな表情になって啓輔はすぐに自分の言葉を否定した。なんとなく、啓輔の表情に急に嫁さんに離婚を突きつけられてなんとかひきとめようと必死になっている男を連想させられた。昔近所にいたのを思い出す。後にその一家は引っ越したようだが。
「で?」
 再度廊下の壁に背を預ける。
「写真部とブラバン部ってどうして仲悪いんですか?」
 何でそんなことが気になるのだろうと思うが、質問に質問で返すような馬鹿な真似はしたくない。
「部費予算の関係ね。うちのせいであちらの部費がかなり下がったし……それと、弥生と向こうの部長の相性かしら」
 おかげで吹奏楽部の何人かに嫌味を言われた。だが、今は写真部と吹奏楽部を掛け持ちしている亜里沙のおかげでもうない。亜里沙は吹奏楽部にいながら写真部との確執を全く知らずに写真部に入部してきた(同じクラスで仲の良かった弥生に誘われて入部した)。亜里沙が写真部に入部したのは二年の六月。吹奏楽部は入学してすぐだ。
「じゃあ嫌がらせ合戦はしたんですか?」
 目をきらきらと輝かせ啓輔は言った。
「嫌がらせ合戦って?」
「ブラバン部だから騒音攻撃とか、写真部なら恥ずかしい写真攻撃とか」
 明るく下らないことを言い出した。自分の部活に誇りを持っている人間はそんなことしないだろう。当然、あの二人は誰よりも自分の部活に誇りを持っている。いつのまにかよく判らずに入部していた私とは違うのだ。
「まさか。やるったら普通に言い争いの喧嘩ね」
 最初は部活のことなのだが、どんどんレベルが落ちていき、最終的にはお互いの嫌いなところを言い合っている。小学生のレベルである。
「……なんだ、火炎瓶とかの投げ合いでもしてるんだと思ったのに」
 どうしてそんな過激な想像をするんだろう。弥生たちをアフガン辺りのテロリストとでも思っているのだろうか。
 それにこの子は弥生にどんなことを期待しているのだろうか? 確かに何かを期待したくなるような雰囲気が弥生にはある。そしてそれに応えてとんでもないことをやらかすのが弥生である。
「例えばどんな言い争いをしてたんですか?」
 好奇心いっぱいの表情と声で啓輔は私を見た。
「どんなって」
 後輩に部長の小学生レベルの言い争いの内容を教えて良いのか少し迷う。でも……弥生なので啓輔も色々判っているだろう。
「そうね、高校で一番大きいのは――やっぱり、部費の予算会議かしら」
「どんな戦いだったのですか?」
 目を閉じてゆっくりと記憶を呼び起こした。


 弥生と岡倉の下らない喧嘩は写真部と吹奏楽部の不仲のそもそものきっかけで、部費の予算問題だった。
「はいはい、質問でーす!」
 高校二年生の春。部費予算の会議。三年生が多い中、二年生は生徒会役員を除くと弥生を含めて片手で数えるほどしかいない。その中に吹奏楽部の部長も含まれていた。
 場違いなほどの軽い声で弥生は手を上げた。 
「写真部、どうぞ」
 議長である生徒会長が頷く。私はその隣の生徒会副会長の席で弥生を無表情に見つめる。内心、何でこんなところにいるんだろうと思いながら。
「えーとですね、サッカー部とかラグビー部とか、人数が多い部活に予算が集まるのはむかつくけど納得出来るのですが」
 余計なことを言わないほうが心象いいのに、ぼうと眺めながら思う。
「うちの部、写真部のえっとギリギリの六人です。だからこの予算は判ります。でも部員数十三にもかかわらず、写真部の予算の約三倍もあるブラバン――吹奏楽部の予算はおかしいと思います」
 手元の資料を見ると、……確かに。サッカー部とラグビー部は大所帯だ。先ほど弥生が行った通り予算が集まっている。何だかんだ言って予算というものは人数が物を言う。だが、吹奏楽部はそうではない。
「それに関しては」
 生徒会長が小さくため息をついてから口を開く。前生徒会長からしつこいくらいに説明を受けていたからだ。
「我が校、私立修泉しゅうせん学園高等学校吹奏楽部は毎年全国大会へ行き、そしてそこで金賞を取るほどの実力を持っています」
 その説明に吹奏楽部部長、岡倉忍は少し困ったよう笑った。褒められているのに何故?
「他にもサッカー部、ラグビー部、野球部など運動系の部活の応援演奏もやってくれています。その際の交通費、そして全国大会で出している実績を評価してのこの予算となります」
 実績と応援遠征での優遇。それは判らないでもない。でもそれにしては今年の人数が少なすぎる。そう思ったのは私だけじゃなく、高体連に「参加すことに意義がある」みたなスローガンを掲げている(進学校のせいかこの手の部活が多い)バドミントン部の部長(男女両方)が怪訝な顔をする。
「ええー」
 判りやすい不満の声を上げるのは我が写真部の部長、西野弥生。
「それちょっと優遇過ぎじゃないですか?」
 その言葉に岡倉が明らかにカチンときた顔で弥生を睨んだ。弥生はそれに気付き、真正面からその視線を受け止め火花を散らすが無視。それに周りが驚いている。
「全国大会に行ってるってうちの部活もそうですよ。去年なんてうちの先輩が全国大会で準特選でしたよ。それに関して何かないんですか? それに関する優遇はないんですか?」
 ストレート過ぎるその言葉に何人かは苦笑している。
「毎年って言いますけど、去年行ったんですか?」
 その質問に岡倉の顔がモロに引きつった。生徒会長も少し顔を引きつらせた。この二人の反応で室内にいる全員は答えを知った。
「ええ、確かに行っていません」
 引きつったまま止まっている生徒会長を見て、話が止まるのが嫌(こんな会議、さっさと終わらせたい)な私が答える。
「副会長!」
 少々ヒステリックな岡倉の声は無視。お前は写真部だから弥生の味方をするのか、そんな目で思い切り睨まれる。うっとおしい。私はただ単に早く終わらせたいだけだ。それに本当のことを言っただけなのに文句を言われる筋合いもない。
「去年行ってないんだ。なら今年も行くなんてまだ判らないですよね? それに全国大会に行ってない去年と比べて人数激減じゃないですか。去年はほとんど三年生でしたけど三十人以上いました。今、その三年生がいなくて十三人です。それで一昨年と同じ、またはそれ以上の成績を出せるんですか?」
 挑発しているわけではないだろう。弥生は純粋に問い掛けているだけだ。だけどここにはそれを挑発と受け止める、弥生ととても相性の悪い吹奏楽部の部長がいる。
「出せるさ!!」
 バン! と机を叩いて岡倉は立ち上がった。
「さっきから黙ってきていれば、うちの部を窄めるようなことばかり! そんなに金が欲しいのか!」
「欲しいよ。当たり前じゃん!」
 激昂する岡倉の言葉をあっさりと肯定する弥生。……写真部に限らずどこの部も予算は多いに越したことはない。
「私はちゃんと良い成績を出せるかどうかも判らない部活を優遇するのはやめてくれって言いたいだけだよ!!」
 弥生も立ち上がるとまたストレートに言い放つ。
「今年は大会に出れるに決まってるだろ!!」
「そんなの判らないでしょ!! それを決めるのはあんたじゃないじゃん!!」
 相手が岡倉だからこそ、弥生はこんなにもむかついている。
「第一、実績ありならうちもそうだし、サッカー部だってそうでしょ! なんでブラバン部だけなんだよ!」
 岡倉に向けていた鋭い視線を生徒会長に向けた。
「そ、それは他の部の応援もあるし――」
 弥生の剣幕に生徒会長はたじたじだ。
「じゃあ、吹奏楽部の優遇費をサッカー部と写真部に回します?」
 こっそりと会計(三年生)が私に耳打ちしてくる。私は肩を竦めるだけで何も言わない。しかしなんで私に言うのかしら? そういうことは生徒会長に言って貰いたいわ。ねえ、先輩。
「そうだ、うちだって毎年良い成績出してるんだ、ちょっとくらい色をつけてもらっても良いじゃないか」
 弥生の言葉にサッカー部の部長が声を上げた。予算案でのトラブルメーカーのサッカー部。正確に言うならば顧問なんだけど、顧問がアレなせいで部員も中々アレだ。そして部長はアレの筆頭だ。
 なんだか面倒なことになってきた。隣の生徒会長は左手で眉間を抑えて俯いている。さっさとこんな予算編成を正さなかったツケだろう。もちろん、今の生徒会長ではなく、歴代の。優遇なんてすると他の部から恨みを買うのは当然のことなのに。
「別にうちは吹奏楽部とも写真部とも争うつもりはない。だから他の部への予算をちょっとづつ貰えば――」
「そんな横暴あるか!!」
 何故か弥生と岡倉の声が重なる。
「なんでサッカー部は他人のものを欲しがるんだ!? 理解に苦しむ!!」
「大体おかしいのはブラバン部だけじゃん、何で他の部を巻き込むのさ!! バッカじゃないの!?」
 たぶん、二つの部を敵に回したくないからこんなことを言ったんだろうけど……馬鹿丸出しね。真っ当な神経の持ち主は自分とは関係なくても他人への不当な圧力は見ていて気持ち良いものではない。
「去年他の部の予算を押さえつけた顧問の暴走を忘れたのか! これだから脳みそまで筋肉は考えが浅くて好かん!」
「冗談でも悪質するぎる!! これだからサッカー部は煙たがられるんだよ!! ちょっとは頭を使いなさいよ!!」
 妙に息の合った攻撃にサッカー部部長は小さくなった。やはり顧問が馬鹿なせいか、部員も馬鹿である。
「お前さりげなくうちのことおかしいって言ったな? おかしいのはそっちだろ! 部活動に関係ないものばっかり部室にあるくせに!!」
「なにいい! おかしいのは予算の話であって、部室の話は関係ないじゃん!! あんたはそーやってすぐ関係ないことを言う。そういうの大嫌い!!」
「ああ、俺もお前の適当に考えて適当にしゃべるその様が大嫌いだ!!」
「ちょ、二人とも落ち着いて!!」
 おかしな展開に生徒会長は慌てて二人を止めようとするが、一度火がついたら止まらない弥生とそれを嫌う岡倉。制止程度で止まるわけがない。
「適当ってなんだよ、失礼な! 去年の最後の期末で数学どっちも私に負けたくせに!!」
「数学が何に役に立つんだ! 日本史で俺に勝ったことないくせに!!」
「本当かどうかも判らないもんで負けたってちっとも悔しくないよ、バーカバーカ!! 歴史で良い点取るくらいなら実用的な地理を勉強したほうがマシだよ!!」
「なんだと、必死こいて調べてる人を馬鹿にする気か!?」
「あんたは必死こいて勉強した数学を馬鹿にしたじゃない、このハゲ!!」
「ハゲだと!? 俺のどこがハゲてるんだ!! ちゃんと目見えてるんか!?」
「うるさい、あんたなんかハゲで充分だ! そもそも心がハゲてるんだ!! だから数学が出来ないんだ!!」
「やかましい! 髪の毛の有無が勉強に関わるか! このスカポンタン!!」
「うるさーい! お前のかーちゃんデベソ!!」
「だったらお前のとーちゃんアンポンタン!!」
 相変わらずレベルの低い口喧嘩だ。
 二人は周りを無視してヒートアップ。弥生の隣りにいる演劇部部長(写真部と仲が良い)が弥生を止めようとするが止まらない。岡倉の隣りにいる科学部部長(写真部とも吹奏楽部とも仲が良い)が岡倉を以下同文。
「俺はお前の能天気な言動がいちいちむかつくんだ!!」
「私だってあんたの神経質な言動がいちいちむかつくんだ!!」
 もう部活関係ないじゃない。私は完全にギャラリーに徹し、眺める。しかし二人ともよくもこんなに悪口言い合えるわね。尊敬は出来ないけど感心は出来る。
「三上さん……お願いだから止めて」
 二人を止めようと声をかけていた生徒会長がしゃがれた声で助けを求めてきた。少し哀れと思う。
「このままだと終わらないよ……」
「止めても二人が納得するような予算案を出さないとまた同じことの繰り返しになると思いますけど」
「そこは……。うん。もう、吹奏楽部優遇はやめよう」
「そうですね。去年もこの話出ましたし」
 近くに私の隣の会計も頷く。
「さっき三上さんにも言いましたが、優遇費は実績のある部で山分けにしますか?」
「いや、そういうのももうやめよう。みんな平等にする」
 疲れたように生徒会長は言う。
「ということは、吹奏楽部以外の部費が上がるってことですよね」
「うん、そう。それでいいよ。平等平等」
 疲れているのか、一人で頷く生徒会長。
「てことでいいよね、三上さん」
 何故私に確認を取る?
「はあ、良いと思います」
 曖昧に頷くと生徒会長は微笑んだ。
「うん、よし決定。あとよろしく」
「は?」
「俺じゃ二人を止められないから、三上さんよろしく」
 生徒会長はまた微笑むと喉をさすり始めた。……喉が痛くて声が出ないってこと? だから副会長の私がやれって? というよりも一応写真部に所属してるんだから部長を止めろってこと? それとも弥生は私の幼馴染だから止めろと? どっちにしろ慣れてるんだから止めろってことよね。
 それがあっても生徒会長は議長なんだから自分で治めなくちゃいけないと思うんだけど……。それに副会長が止めたら会長としての威厳とか今後に関わるんじゃないだろうか。第一二年の私がまとめていいんだろうか。
 そんなことを思ったが、いい加減うるさいし帰りたい。終わらせよう。
「え? なに言ってるの会長、ちょっと、あの、三上さん?」
 生徒会長の丸投げに会計の先輩が顔を引きつらせ、止めようとするが無視する。私は立ち上がり、机にあったファイル(五センチほどの厚さがある)を持ち上げ、迷わず弥生めがけて投げ飛ばした。
 ばこん! と音を立てて弥生の額に命中、勢いが強すぎたのか、弥生は大きな音を立ててそのまま後ろに倒れた。後頭部を思い切り床にぶつけたようだが、中学二年生の時に三階の教室から落下しても特に怪我のなかった弥生のことだ、怪我一つないだろう(本人は下が芝生だったから無傷で済んだと言い張っている)。しかし、ちゃんと弥生に当って良かった。他の人だったら大変なことになっていた。
「写真部、黙ってください」
 頭に当った時点で黙っていたが、一応言っておく。岡倉は弥生が倒れたのと、私の過激な行動に絶句していた。うん、静かで良いわ。
「吹奏楽部も黙ってもらえますか?」
 岡倉を思い切り睨みながら冷たい口調で言う。岡倉はう、と喉を鳴らし視線をそらし、頷くとイスに座った。イスをがたがたと鳴らしながら弥生は起き上がり、
「あー、びっくりした」
 と制服についた埃を払ってからイスに座った。周りが驚くが、弥生は気にしない。すぐに私に顔を向けると、ごめんと声を出さずに口だけ動かした。
「吹奏楽部の部費について説明します。
 写真部が言った通り、不確定な未来のために予算は使えません。これは既存の部への差別となります。よって今後は過去に実績があるからと言う理由で部費を優遇するということはもうありません」
「なに?」
 サッカー部部長が反応するが、睨みつけ黙らせる。
「吹奏楽部に優遇されていた予算は白紙に戻します。そしてその上でまた新しい予算案を出します。従来通り、部員数が多い部が予算が集中することになります。ですが、優遇費が基本金に戻りますので、多少ですが他の部の予算も上がります」
 私の言葉に室内が少しざわつく。
「写真部、よろしいですか?」
 弥生を見る。
「はい」
 にっこり笑って頷く。
「吹奏楽部、よろしいですか?」
 唯一予算が減る部だ。文句の一つも出るだろう。そう覚悟して尋ねる。
「……うーん、減額は痛いけど、仕方ないよな。よろしいです、はい」
 拍子抜けするくらいあっさりと頷いた。その反応に生徒会長も会計も驚いている。……この反応、内心優遇費を悪いと思っていたみたいね。
「なら後日改めて予算案を提出いたします。そのためまた集まってもらうことになりますが構いませんね?」
 ほぼ全員が首を縦に振った。多少とはいえ予算が上がるのだ、反論する理由はないだろう。
「それでは本日の会議は終了です。ありがとうございました」


「へー、大勢の前で喧嘩ですか。やっぱ弥生先輩すげー」
 感心する啓輔。周囲に迷惑がかかっているのでもちろん感心することではない。
「ブラバン部、予算が下がっちゃったんでしょう? 他の部員から文句出たんじゃないですか?」
「詳しくは知らないけど、顧問がねちねち言ってたらしいわ」
 部員の何人かも文句を言ったらしいが、過去の栄光に縋るなんてみっともないことはやめよう、と岡倉が説得したらしい。弥生が関わらないとそこそこ話が通じる人間である。
 岡倉の説得に納得はしたが、気が治まらない人間が写真部に因縁をつけてきたことが数度ある。けど、暗室にいる亜里沙を見て毒気を抜かれて帰っていくのがほとんどだった。敵の本拠地で味方が敵の大将と仲良くお茶を飲んでいたら勢いも毒気もやる気も抜けるというものだ。当然、亜里沙のいないところではガンガン言われてたけどね。
「ん? でも何でそこまで二人は仲が悪いんですか? 話を聞いた限りじゃ前々から仲悪かったみたいですけど」
 案外話を聞いているの少し驚く。私の表情を見て啓輔はちょっと言いたそうな表情をした。本当にすぐに顔に出る子だ。
「ええ、あの二人は高校に入る前から不仲だったわ」
「ふうん、きっかけってなんなんですか?」
 自分の意見を言うよりも話のほうが興味があるらしい。それは良いんだけれど……少し迷う。本当に下らないことだからだ。でも弥生だし、いいか。
「弥生がね、岡倉のフルーツ白玉を食べたからよ」
「は?」
 ほら、目が点になっている。脈絡もない、その上、下らない。
「岡倉が具合が悪くて給食を食べれなくて、せめてデザートだけでも食べようかと迷っていたところに弥生が来て、岡倉の好きなりんごをあげて、白玉を全部食べたのよ。
 でも岡倉はりんごと白玉だけは食べようと思っていたらしくて、そこから具合悪いのを忘れて喧嘩」
 まだ目が点になっている。
「だ、食べ物の恨みは深いって言いますよね」
 思った以上に下らなくて戸惑っている。
「でもそれって小学生の話でしょ? ちょっと根に持ちすぎじゃ」
「いえ、中学三年よ」
「…………」
 絶句、硬直。次に頭を抱えた。
 今でも昨日のことのように思い出せるあの日の出来事。


 残念なことに私は中学三年の時、弥生と岡倉と同じクラスだった。弥生に関しては三年間同じだった。
 明らかに顔色の悪い岡倉。フルーツ白玉を目の前にして冷や汗を流しながら食べるか否かで悩んでいた。
 そこに何も考えてなさそうな弥生が。
『具合悪いんでしょ。無理しないほうが良いよ。でもちょっと食べたほうが良いよ。りんご好きだったよねえ、私のあげるー。白玉もーらい♪』
 言うや否や岡倉のフルーツ白玉が入っている器に大量のりんごが入り、白玉が次々と弥生の口の中へと消えていった。私は知っている。弥生はりんごが大嫌いなのだ。
 唖然とする岡倉とその近くにいたクラスメイト。
 最後の白玉が弥生の喉を通り過ぎたその三秒後、岡倉は顔を真っ赤にさせて立ち上がった。
『西野おおおおおおおおおおおおおお!!』


 下らない。本当に下らない。でもそこがとても弥生らしい。
「弥生先輩が悪いんじゃ……」
「どう考えてもそうよね」
「止めなかったんですか?」
「止めようとして止まるような人間じゃないわ」
 殺してでも止めようと思って止めない限り止らない人間だ。物分りは良いほうだからそんなことはそうそうないが。
「…………」
 実感溢れた言葉に啓輔は複雑そうな表情をして頭を抱えた。
 そう、弥生は止めようと思って止まるような人間じゃない。
 ソフトボール部から嫌がらせを受けてお返しにと使えなくなった現像液をソフトボール部の部室にぶちまけた時も(掃除が大変だったらしい。当然手伝っていない)、サッカー部からの嫌がらせでレギュラー全員のスパイクを酢酸漬けにした時も(匂いがしばらく取れなかったそうだ)止められなかった(どちらも止めようとした部員は亜里沙一人である)。
 美術部の顧問に根拠のない言いがかりをつけられたときには美術部と連盟を組んで顧問に嫌がらせをした時も(顧問のカツラを油絵の具まみれにしてやった)止まらなかった。いや、これは私が指揮をとっていたか。
 こう思い出してみると中々楽しい想い出だ。
「弥生先輩って人生楽しそうですね……」
「そうね」
 楽しくないことがあるから、楽しくしようとしている節もある。が、楽しくないことがなくても弥生は弥生だろう。
 面倒に巻き込まれるが、最後には何だかんだ言って笑っているんだから、悪くはない。少なくとも暇つぶしにはなっている。
「じゃあそろそろ人生を楽しんでいる先輩のところに戻る?」
「あい」
 力なく微笑むと頷いた。
 暗室までの短い道のりを無言で歩く。
 ドアノブに手をかけて振り返る。
「そうそう」
「んは?」
 間の抜けた声と顔に少々呆れる。
「あんまり無邪気に人を信じないほうがいいわよ」
「はい?」
 きょとんとした無防備な顔。
「なんですか、それ?」
「忠告なんて、理解したときにはすでに無意味ってこと」
「うえ?」
 啓輔の顔に少し噴出しそうになるが、それを押し殺してドアを開ける。すると相変わらず楽しそうに話をしている声が。
「おかえりっ!」
 人生を楽しんでる部長はいつだって笑顔だ。
「どうしたの? 何か楽しいことでもあった?」
「ううん、なんでもない」
 少しだけ上がっていた口端を押さえ、元いた席に着いた。



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