邂逅輪廻



「失礼しまたっ!!」
「失礼しました」
 元気溢れる若者らしいオレの声と、年の割には落ち着きまくって妙な貫禄がある元樹の声が重なる。決してハモってはいない。そんなことはあってはならない。
 オレは職員室を出ると無言で自分のカバンを手に取る。
「判っていると思うけど、明後日は馬鹿な行動は控えるように」
 冷たい元樹の冷たい言葉。
「何を勘違いしてるのか知らんが、オレはいつだって真面目に部活動しているぞ」
「それは初耳。それは良いから明後日は、明後日くらいは、明後日だけは真面目にするように」
 くどいくらいに明後日を強調する。まあ、気持ちは判らんでもない。が、オレはそこまで信用ないんだろうか。……ないか。元樹だもんね。
「あと」
 反論しようと口を開く前に冷たい事務的な言葉が出てくる。
「明日はデジカメで撮影」
 その言葉に全身に戦慄が走った。
「な、何故だ!? 我が写真部はデジタルなこのご時世でモノクロで戦う孤独なファイターではなかったのか!? 貴様、写真部としての矜持と誇りを捨て去り彩り豊かなカラー、何よりゼロと一の無機質な世界へとその身を委ねようとでも言うのか!!」
 一気にまくし立て、元樹を責めるように睨み付ける。だが、元樹は表情ひとつ変えずにオレを見ている。
 きっかり十秒見つめられる。ヤローにそんなことされても気持ち悪いだけです。
 呆れたんだか、疲れたんだか知らないが元樹はため息をついた。
「君はとてもどうでも良い所で頭の回転が速くなるよね」
「もっと褒めて良いぞう♪」
 褒めてもらうのに男女も好悪も関係ない。オレの懐の大きさに全米が泣いた。
「褒めてない」
 ショックだ。
「あ、そうか、デジカメ持ってないよね。明後日借すからそれ使って」
 勝手にオレのカメラ事情を悟り納得して終わらせようとする。
「だから何でだよー?」
 帰ろうとした元樹の腕を掴む。
「デジタルのほうが配りやすいでしょう?」
 ?
「明後日は写真部として卒業式に出る。でもそれは建前。本当は先輩たちの最後の姿を納めて渡すことが目的」



誰かのためのおとぎ話 19
〜ひとまずの終わりと不確定な未来〜

りむる



 我が私立修泉学園高等学校卒業式は体育館のキャパシティの関係で二年生から強制参加である。言い換えれば一年生は出られないということだ。
 私立修泉学園高等学校今年度写真部には二年生がいない。いないってことは三年生の卒業を祝福できる人間が当日にいないってことだ。
 それはいくらなんでもないだろう。
 お世話になった先輩たちだ。良い思いをして卒業してもらいたい。というか、一年のオレだって祝いたい。
 そう思っていたのは何もオレだけではなかったわけでして。
 顧問に直訴しよう! と一年部員を集めて言ったんです。そしたらね、風花が言ったんですよ。
「イベント事って基本的に腕章つければ参加しても良いんだよ」
 と。
 え、それどういうこと? って顔をすると元樹が言ったんです。
「つまり、顧問に言っておけば簡単に許可が降りるってこと」
 熱く、むしろ暑苦しく直訴する必要はないのだ。先輩たちへの熱い思いを伝えなくとも、写真部は腕章さえつけていれば学校のあらゆるイベントに参加出来るのだ。
「……せ、折角だからオレが顧問に頼んでくるぜ!!」
 言い出しっぺだし、引っ込みもつかなかったから宣言した。
「いや、僕が言う。時期部長だし、カメラの用意もあるし」
 元樹が冷静に言う。もっともな事を言う。
「そうだね」
「んだなあ」
「……やきそば」
 賛同するは残りの部員。一人はまったく違う事を言っているが気にしない。
「でもオレも行きたい」
「……良いけど」
 食い下がるオレに元樹はあっさりと同行を許してくれた。なんて心の広い奴なんだ! とは思わない。きっと反論するのが面倒なだけだろう。
「じゃ、今から言ってくる。明後日の九時くらいまでに暗室に集合」
 部長らしくピシっと言うと、オレ以外の部員は黙って頷き、カバンを持って去っていった。
「お花を用意したんだ」
「……カーネーション」
「母の日かよ」
「やよ先輩はひまわり」
「あー、そんな感じだ。似合う似合う」
「……みかんは心の太陽です」
「あさみんは愛媛のまわしもんか?」
 楽しげに会話しつつ去っていく友をほけーと見つめる。
「行かないの?」
「行きますよ、部長」
 理由なしに溢れ出た涙をそっと拭う。
「いや、まだやよ先輩が部長だから」
 そんな細かい事は良いです。とゆーか引き継げもう。


 そんなことがあった後、顧問に話を付けて今に至る。
 顧問に「先輩たちを笑顔で送り出したいんですっ!」と熱く語ると「お前、いい奴だなー」と誉められました。ウキウキな気分です。ひゃっほう。
「デジカメ、貸してくれるのは嬉しいけど、風花のもあるだろ? 大丈夫なんか?」
「ん、いっぱいあるからそこは心配しなくても良い」
 さらっと答えんなや、この金持ちが。中古屋に流したろか。
「ああ、そうだ」
 思い出したようにオレを見た。何だ何だ?
「誇りも矜持も同じ意味だよ。英語で言うプライド」
 あれ、そーだっけ? と思いつつさらにボケる。つか、今つっこむなよ。すぐに言えよ、そういうことはさー。
「ああ、年末にやっていた格闘技だな」
 さて、坊ちゃんはどう返すか!?
「そう」
 表情としては「ふーん、それで?」って感じかな。ちくせう、要するに馬鹿にしてるってことだ!! スルーよりも良いかもしれないが……ちくせう!! なんかすごい敗北感でいっぱいだ!!
「じゃあ、明後日暗室で」
「ああ」
 明日は予行練習日なので一年生はお休みだ。三年生は久々に来る。勉強期間みたいなので三年生は一ヶ月近くお休みなんだよ。羨ましい。まあ、進路不確定組はそんなこといってられないらしいが……。
「遅れないように」
「判っとる」
「ちゃんと制服着てくるように」
「当たり前のこと言うな!!」
 お前は小言じいさんか!? つうかここまで言われるオレは一体なんなんだ!?
「最後のは冗談」
 からかわれていたのか!?
「てことで、明後日に」
「……おう」
 あっさりとくるりと背を向け去る元樹に疲れた声を返す。
 ちくせう、元樹にまでこんな扱いを受けるだなんて……そこまで単純ヤローってことか。ちくせうちくせう。


 卒業式、当日である。
 デジカメを首に下げ(借り物なので落として壊したら弁償出来ないから格好悪くとも安全な持ち運び手段を選ぶ)、厳かに行われる式を見下ろす。
 見下ろす。
 気分が良いです、はい。
 今オレたち(オレと博のことである)はバスケのゴールをも見下ろせる体育館の窓等の点検用スペースにいる。ただ、柵がないのですぐに落下できる。もちろん怪我をする高度なのでそんなことはしない。幅は約一メートル行ったところか。高所恐怖症の人間にはちょいときついかもしれない。
 ちなみに高所恐怖症のお坊ちゃんはオレとは反対側の地上に麻美と並んでデジカメを構えている。
「高いところは気分が良いなあ〜」
 ヤンキー座りで式を眺めつつ小声で独り言。
「――!! !! ――!!」
 博がやたらと必死な表情で「うるせえ黙れ口を開くな無音でいろ!!」と訴えてきた。だがそれも一瞬。すぐにデジカメを構え高速にシャッターを切りまくっている。
 博のレンズのその先を見る。
 無表情の、三上先輩。
 判りやすいやっちゃなあ……。一応先輩全員を撮ろうと参加したはずなんだが……。向こう側の麻美を見ると博と違ってそんな表情は動いていないが、一人の人間を撮りまくっている。
 何が楽しいのか判らんが、ニコニコ笑顔の弥生先輩。
 この人も、判りやすい人だよね……。お、スカートにも関わらず向こうの点検用のスペースに上がろうってか。さすがに元樹も止めてるっぽいが。
 おお、すごいぜ麻美、元樹の制止を振り切って梯子を登ってるぜ。スカートだけど良いのかな。是非下に行きたい。下にいる元樹は小さくため息をついてデジカメを構える。こやつは平等に順々に先輩を撮っている。
 観察してないでオレも撮るか。
 ちなみに風花は具合が悪そうだったので暗室で夏子とお留守番。おや、何でまた夏子が? とお思いのそこの貴方、説明しよう。
 なに、簡単な話だ。
 夏子が助っ人で呼ばれるのは野球部だけじゃない。女子バスケ・バレーもそうなのだ(知ったのは本日である)。だからその先輩たちの卒業を祝しに来たのだ。小さいながらも花束持って。け、どちらかってとお世話した身なのに良い奴じゃねえか。
 でも夏子は決して暗い部活ではないことで有名な帰宅部だからオレたちみたいに式に潜入出来ない。だから時間まで風花とお茶してるのだ。あ、言っとくが風花だって式に出たがっていたぞ。ただ顔色がちょいと悪かったので夏子と元樹が参加を認めなかったのだ。前に倒れたときと似たような感じらしい。というか、式最中に倒れたら洒落にならんわな。
 お、麻美さん、上界(点検用スペース)に到着だ。上からの弥生先輩探しはとても楽だろう。
 隣りをちらりと見ると博がこの上なく幸せな表情で三上先輩の卒業証書授与を取りまくっている。三上先輩クラス代表ですか。確かクラスの成績優秀者が選ばれるんだよな。すげえよ。
 って、感心している場合ではない。オレも撮らなくちゃ。


「お疲れー」
「おかえり」
 夏子と風花に暖かく出迎えられる。
「おう、たくさん撮ってきたぞ」
 片手を上げて酢酸臭い部屋に四人ぞろぞろ入っていく。出る前にも確認したが、テーブルの上に九つの花束があった。二つは先ほど説明したように夏子が用意した女子バスケ・バレーの先輩のだ。残りはうちの先輩たちの。三年生は七人いるが、一人はブラバン部と掛け持ちしている。メインはブラバン部だからそちらのほうに顔を出すそうだ。ま、でもちゃんと渡しますよ。見つけられなかった場合は弥生先輩に任せる。
 しかし大所帯じゃなくて良かった。大所帯だったら一人にあげたら全員にあげないと差別だからね。金も馬鹿にならん。まあ、今回金を出したのは風花なんですがね。! あ、オレだってね、オレだって少ないながら出そうとしたんですよ? でもね、風花が良いって言うから、というか受け取ってくれなかったから任したんですよ? 博も麻美も同じですよ。
「メモリ、余ってる?」
 夏子が淹れた(風花が淹れるわけがない)お茶を一口飲み、元樹が言った。夏子さん、準備が良いですね。
 すぐにデジカメのメモリの残量を見る。使い方は教えてもらっているから安心して良いぞ。
「オレは余裕だ」
 ぶれたり切れたりしている写真は随時消していたからである。オレ偉い。
「俺のメモリは三上先輩で満たされている!! ちなみにミスショットなどない!!」
 そう豪語するのは博に元樹は無言でメモリカードを手渡した。手酷い仕打ちに見えるのは何故だろう。
「……私のメモリはやよやよ先輩の愛で――」
「はい」
 麻美が言い終えるより先に博同様元樹はメモリカードを手渡した。あ、ちょっとしょげてる。言いたかったのか。ちょっと可愛いぞ。
「どうだった?」
 風花と夏子が声を揃えて聞いてくる。ハモるな幼馴染どもが。
「……あー、別にフツー――」
 特に目新しいものでもなく、中学のときと大して変わらない印象をそのまま伝えようとしたんだがね。
「三上先輩を引き立てる、素晴らしい式だった!」
 博が暑苦しく個人的な感想を言った。
「……やよやよ先輩がいつも通りの、普通の式だったわ」
 麻美のも説明ってより感想だな。
「三上先輩がクラス代表で卒業証書を受け取ってた。国歌斉唱のとき、左思想の先生の目の前で大声で君が代歌ってた人がいてちょっと楽しい式だった」
 しっかりと目を見て大声で歌っていたので左思想のおばはん先生(教科は社会だ)は青筋を浮かべていた。周りの生徒もニヤニヤしながらその生徒に同調して素晴らしい君が代を歌い上げていた。感動しました。
「ああ、あの先生ね。色々やらかしてて確か校長に言われてなかったっけ?」
 麻美にお茶を出しつつ夏子が言う。
「うん、保護者からクレームが来たらしいよ。だから呼び出されてあまりに偏った思想の押し付けは望ましくない、って渋い顔」
「あの校長がか?」
 冷蔵庫からお菓子(アーモンドチョコ)を取り出しつつ博が驚きの声を上げる。うん、オレも驚く。だってうちの校長、温厚を体現したような人だもの。滅多に怒らないで有名。
「ま、言われてもしゃーねーくらい押し付けがましいって話じゃねえか。ザマーミロだ」
 けけけっと笑いチョコを頬張る博。オレもテーブルに置かれたチョコを一つ取り、口の中へ。
「私立なのに、あんな先生珍しいよね」
 元樹も笑う。私立公立関わらずあんな先生は珍しい存在であってもらいたいものです。談笑する博たちを眺めつつ思い出す。
 中学にいたんだよなぁ、社会の先生で同じように左思想で押し付けがましい奴が。おばはんじゃなくてじいさん先生だったんだが、案の定生徒は勿論、先生連中にも嫌われていた。まあ、先生連中は大人だから表立って目立つ事はしないが、こちらから見て充分に煙たがられているってのは判ったな。だってさ、普通に会話してたのにそっちの方向になると勝手に暴走し始めるんだぜ? 若い先生は一応、年寄りだからって聞くしかないしさー。たまに授業潰すしさー。うざいったらありゃしねえ。
 そんでいつもポマードで髪を固めていたからポマード大魔王と生徒からもうざがられていた。
 そうか、オレも中学の卒業式のときに奴の目の前で君が代を熱唱してやれば良かったんだ。くやしいな。
「それはそうと、そろそろ行っても良い時間じゃない?」
 風花が壁にかけられた時計を見ながら言う。おお、それもそうだな。
「じゃ、行くか」
 立ち上がり、まだちょっとだけ残りのある湯飲みを水道に持っていく。
「ああ、いいよ。あたしがやる」
 夏子が立ち上がって全員分の湯飲みを回収するとオレを水道から追いやった。ぽんと背中を押されただけなので怪我はないよ。
 ぼふっ!
 なんてことを思っていたら鳩尾に夏子の拳がめり込んでいた。
「失礼なこと考えたら殴るわよ」
 も、もう殴ってるじゃないか……。しかも人体の急所だぞ……。オレじゃなかったら気絶してるぞ、これ。


 最後のHRも終わり、涙と笑顔でいっぱいの三年生の教室の並ぶ廊下。
「卒業おめでとうございます!!」
 写真部の先輩七人に花束を渡した。
 笑顔で受け取ってくれる人多数の中、三上先輩だけはいつも通りのポーカーフェイスだった。たぶん、渡したのが博で「おめでようございます」じゃなくて「好きです、結婚してください」だったからだろう。殴ったり暴言を吐いたりしない三上先輩の冷静さを尊敬してやみません。ちなみに殴ったり暴言を吐いたのはオレと夏子だ。夏子はたまたま近くにいて条件反射のように殴ったようだ。隣りで見ていたバスケ部とバレー部の部長が笑っていた。
 予想できていると思うが、弥生先輩は滅茶苦茶喜んでくれた。すっげー笑顔で「ありがとう!」言ってくれましたよ。ここまで喜んでもらえるとこちらも嬉しいです。他の先輩も喜んでくれました。
 こっから一年デジカメ班は先輩方に付いて行って撮影ですよ。ブラバン部と掛け持ちしている大村先輩とはここで別れた。
 それぞれ先輩方に引っ張られて撮影撮影。当然だが、麻美は弥生先輩で、博は三上先輩からは外された。獣の唸り声のような鳴き声を上げ、博は他の先輩に連れられていった。
 オレはカメラを持たない風花と一緒に先輩に連れられ、各教室を徘徊。シャッターを切りまくった。さらに先輩の友達を引き連れて校内を徘徊、そして撮影。先輩は玄関で友達と別れた。
 何故か?
 簡単だ。
 最後は暗室と決めていたからだ。
 何枚か撮っているとちらほらと人が集まってきた。「最後だからみんなで撮ろうか」と言うことになっていない部員は携帯で呼び出される。ついでに用事を終えた夏子もやってきた。風花と元樹を迎えに着たんだろう。お前は保護者か。
 狭い暗室に十二人も入ると窮屈だ。みんなで手分けして撮影スペースを確保。すぐさま撮影に入る。カメラマンは元樹だ。一年で一番カメラを触っている人間だからだ。
「はーい、撮りますよ。笑ってください」
 無表情でそう言われて笑った先輩は弥生先輩だけでした。
 そのあともまた写真を撮りまくって撮りまくって。最後には一年も混じって集合写真を撮って。関係ない夏子もなんだか写ることになって。カメラマンがいなくなり三脚を探すのに時間かけて。
 メモリももう満タン、と言うところでお開きになった。
 それぞれ荷物を持って廊下に出る。「これが最後の部長の仕事かあ」と最後に出た弥生先輩は暗室の鍵をかけた。
 ガチャンと無機質な音が静かな廊下に響く。
 弥生先輩は暗室の重いドアを見た。
 笑顔だった。いつも通りの無邪気な、小さな子供みたいな笑顔でドアを見ていた。
 温和な目だ。
 部員と後輩を見守るやさしい目だ。
 いつも通りのその笑顔、いつもやさしいその目から、涙がぽろぽろと零れ落ちた。
「これで、これで、最後なんだね。
 もう、この制服着て、ここにこうしてこうすることなんてないんだね」
 笑顔が歪んでくしゃくしゃになる。
「寂しいよう、寂しいよう、寂しいよう」
 そう言って、弥生先輩はドアに縋り付き、声を上げて泣いた。
 素直に寂しさを訴える悲痛な声だった。
 まだここに居れる一年生は何も言えなかった。
 同じ立場の三年生が、弥生先輩の傍らに立ち、やさしく頭を撫でてやる。その先輩の目にも涙が浮かんでいた。他の先輩も、寂しそうな微笑を浮かべて弥生先輩を見ている。
 ただ、三上先輩のみがいつも通りのポーカーフェイスで静かに佇んでいた。
 少し寒い廊下に響く、弥生先輩の嗚咽。
 先輩たちを見ながら思う。
 まだまだ先のことだけど、オレたちも通る道なんだよな。
 今まで当たり前のように過ごしてきたこの場所から、急にぷっつりと行けなくなる日が来る。
 通うのが面倒で疎ましくすら思っているこの場所から、もう来なくて良いよと言われる日が来る。
 それは……それはとても、寂しいことだ。
 そう思ったら、鼻の奥がつんとして、目がじんわりと熱くなった。胸の奥がじーんとして、きゅっと締め付けられた。
 寂しくてかなしくて、泣きたくなる。
「って、なんであんたまで泣いてるの!?」
 隣りにいた夏子が突然大声を上げた。廊下にいたみんなの視線がオレに集中する。
「んげ?」
 ぽかんとしたみんな(三上先輩は除く)の顔を見回し、夏子の言葉の意味を確かめた。指に冷たいものがあたった。ヨダレなわけがない、涙だった。
「!?」
 驚くオレを見てみんな(三上先輩は除く)は小さく笑い出した。
「もらい泣き?」
 風花が高そうなハンカチーフでオレの涙をそっと拭った。
「いや、そーゆーわけじゃなくて……」
 涙がぽろぽろと零れ落ちる。風花のハンカーチが汚れてしまう。
「いずれみんな通る道だわ」
 三上先輩がいつもの声で言った。
「そうだけど、寂しいんだよお」
「そう、じゃあ好きなだけ泣いたら?」
「もう泣いてるよお」
「それもそうね」
 なんだかそっけない幼馴染同士の会話。
「帰るわよ」
 三上先輩の言葉に黙って頷くみんな。オレも鼻をすすって頷いた。


 元樹は弥生先輩から暗室の鍵を受け取った。これで名実ともに写真部部長だ。引継ぎ完了だ。
 先輩たちを玄関まで送った。
 弥生先輩は泣き止んでいたが、目がウサギのように真っ赤だった。
 でも笑っていたから良いだろう。
「じゃっ、今日はありがとうねー!!」
 花束と卒業証書の入った筒をがしゃがしゃと振り回して弥生先輩が叫ぶ。三上先輩を除く先輩方も、手を振っている。オレたちも手を振って応える。
 六人の先輩はオレたちに背中を向けて校舎から出て行った。
 六人揃って、この学校から卒業していった。
 くるりと弥生先輩が振り返る。
「いつか遊ぼうねー!!」
 そう叫んで、弥生先輩は元気に走り出し、五人を抜いて一番最初に私立修泉学園高等学校から出て行った。


「さて、あたしたちも帰りますか」
 元樹が職員室から帰ってきたのを見て夏子は言った。
「夏子の用事はもう終わったの?」
「うん、あっさりしたもんだったよ」
「ああ、今後この学校に来ても三上先輩の気配は感じられないのか」
 風花と夏子の会話を無視した博が絶望し、うなだれる。
「……やよやよ先輩の存在が確かめられないこの校舎に、どれほどの価値があるのでしょうか」
 淡々とどこか寂しそうに麻美が言う。お前ら、何しに学校にきてるんだ? おっと、答えは聞いていない。
 落ち込む二人を無視して靴を履き替え、外に出た。
 カラッと晴れた空は、卒業式で流した涙を乾かすのには相応しく、何より眩しい。
「あ、啓輔待ってよ!」
 風花の声に歩みを止め、振り返る。わたわたと危なっかしく駆け寄る風花。その後ろにはのんびりめな歩調で夏子。さらにその後ろには風花に置いていかれてはなるものかと元樹がポーカーフェイスに少々の汗をにじませ走ってくる。
 麻美と博は方を落として重い足取りで出てきた。
「――……」
 風花はオレの隣りにきて、口を開くが、言葉が出なかったのか、何も言わずに口を閉ざした。
 無言で二人並んで、先ほど先輩たちが歩いた道を歩く。
 校門を抜け、立ち止まり、校舎を見上げた。風花も同じように見上げる。追いついた後ろの四人もオレたちにつられたのか、立ち止まり校舎を見上げた。
「…………」
 無言で見上げること数十秒。
 目は真っ赤だったけど、笑顔で卒業した弥生先輩を思う。
「オレも二年後に笑って卒業したいなあ」
「そうだね」
 自然と出た独り言に、風花が頷いた。
「泣くくらい愛着あったんだね……」
 隣りに来ていた夏子がしみじみと言う。三年間過ごした暗室の前で、弥生先輩は笑って泣いた。
 泣けるくらいの愛着を持てる彼女を少し羨ましいと思う。
「まあ、その前に、だ」
 博の声と同時に背中にばんと衝撃が。抗議するより先に博が心底意地悪そうな笑みを浮かべ、言った。
「進級しないとなあ」
「確定じゃ!!」
 背中の手を払いつつ振り返り、怒鳴り返した。三学期の期末には赤点なんてなかったんだぞ!!
「もう一回しなくちゃ駄目じゃないか」
 冷たい声と冷たい表情で、言い放つのは元樹。ごもっともだが、むかつくぞ!!
「確かにそうね♪」
 楽しそうに同意するのは夏子。
「……安心なさい、未来はいつでも不確定」
 当たり前だが、なんとなく縁起でもないことを言うのは麻美。
「頑張ろうっ」
 赤点とってもわたしだけは見捨てないよ、みたいに励ます風花。お前、悪意なく人を馬鹿にすんなや。
「お、お前らな……」
 怒りにふつふつと揺れるオレを無視してさっさと五人は歩き出してしまった。
「さーさー、けーろーけーろー」
「……やきそばが食べたい」
「食べていこうか?」
「そうね、お昼時だし。風花は良い?」
「ん、うん。調子良いよ」
 オレだけポツンと残される。
 視線の先に楽しそうに談笑する五人の姿が。
 カチンとくるよりも先に、こんな酷い人間に囲まれてあと二年も同じ校舎で過ごさなくてはならないのかと落ち込んだ。人生とは正に戦いだということを痛感する。
 後ろから五人をゆっくり眺める。
 素晴らしき外見からは想像出来ぬそのパワーを秘めた夏子。
 幼馴染以外、姉に関わる人間はすべて排除すべしをモットーに生きるシスコンの元樹。
 自分の欲求に正直に生きまくる常に竹槍(最近は出さないけど)を装備している博。
 一言で言えばカオス。そうでなかったら混沌。言葉も行動も理解不可能な麻美。
 最後に、病弱小食何より天然お嬢様の風花。
 付き合う上で頭を抱えたくなるような連中である。
 でも……退屈とだけは無縁そうだ。
 オレの平穏からちょいと離れた日常は、まだまだ続きそうである。



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