自転車通学になって早数日、足腰がびみおに鍛えられてるというか、筋肉痛というかなんというか。足は第二の心臓だから動かしておくに越したことはないと思うけど、ちょいと動かしすぎの今日この頃。 オレは思ったのです。 ――逃げるのではなく、立ち向かうべきじゃないか、と。
思い立ったが吉日という言葉に従い、昼飯をしっかり食ってさっさと切り上げて一組に向かった。さて、あのスチャラカ師範代はいるかのう。 一組を覗くと幸運なことにいやがった。奴は昼食後の休みという雰囲気を全開に醸し出しイスに腰掛け、机に突っ伏して虚空を眺めていた。口がだらしなく半開きになっているせいでよだれがたれている。はっきりって不気味極まりない。が、オレは臆せず立ち向かう、明日の幸せのために。 「食い過ぎた……」 とても幸せなセリフを今にも死にそうな声で博は言う。飽食の日本ならではの発言に発展途上国からの抗議の声が怨嗟となって博に襲い掛かるだろう。 「大魔王と戦うために力が欲しい」 冗談でRPGの青臭い主人公みたいな言葉を言った。 「過ぎた力は周囲だけでなく己をも滅ぼしかねん。お前はそれ理解しない限り強くはなれん」 さすが博、死にそうになりながらも冗談に乗ってくれた。こうやってツッコんでくれる人がいる限りオレはボケ続けるよ。 「そうじゃなくて、悪いあんちゃんと戦うために特訓して欲しい」 本題に入った。 「過ぎた力は破滅しか生み出さない」 だが博はオレの言葉をまだ冗談だと思っているらしくテケトーに返事をしやがった。 「そうじゃなくて、お前が忠告してくれたやばいあんちゃんに立ち向かうために特訓してほしいんだよ!!」 「おじさんは特訓しなくても充分に強いねい」 お前のことじゃねーよ。それを言おうと大きく息を吸い込む。そんなオレにすぐに博は気が付いて笑った。 「そういうことなら理香に頼みなされ。おじさんはそういう細かいことは苦手だからねい」 お前、師範代じゃなかったのか。ツッコミたいが、今の死にかけの博に何を言っても無駄だろう。 「判ったよ、メールしてみる」 「それがよかそれがよか。ところで俺は写真部に入部しようと思う、今日」 いきなりの話に首をかしげた。 「それでだ、入部届なら一緒に出してやるぜよ。ちなみにお嬢さんのはもう預かってるんだ」 「オレも入れと?」 「ん、どうせ入部するんだ。いっぺんに処理したほうが楽じゃないか。三上先輩が」 死にそうな声でも"三上先輩"に力を入れるのは忘れない。歪んじゃいないが、間違いのない愛ではないだろう。というよりも、入部手続きって顧問の先生がやるだろうから三上先輩は関係ないんじゃなかろうか。 「それは構わんが……、入部届ってどこに行けばもらえるんだ?」 「……それには、及ばない」 ふ、と背後の突然気配を感じたと同時に、首筋に冷たい何かを押し付けられた。 「これはこれは……」 博が恐ろしく緩慢な動きでオレの首筋に冷たいものを当てる人物を見た。 「……なんとこんなところに啓輔の名前入りの入部届が」 オレも馬鹿ではない、こんな理不尽極まりないことをする人間には心当たりがある。――麻美だ。 「……花の生命は結構長い」 お前は一体なにを言っているんだ。 「それよりも首に押し付けている物騒なものを離してくれませんかね?」 刃物だったら怖いので首は動かさない。 「……物騒?」 首から冷たいものが離れた。振り向くとやはり麻美の姿があった。左手には一枚の紙、入部届だろう。それと右手には……、えっとUの字型の怪しげな物体。おっと、オレはこれに見覚えがあるぞ? 「……音叉、楽器の調律に使うもの」 そ、そうですか……。二話での疑問はここで解決された。めでたしめでたし。 「音楽室から盗ってきたのか?」 心外だと言いたげに麻美は眉間に皺を寄せた。 「……借りてきたのよ。無断で」 人はそれを窃盗という。 ……麻美に言っても仕方ないか。とりあえず話を戻そう。 「で、麻美さんはわざわざそれを書いたと?」 「……残念、書いたのはやよやよ先輩。私は博に渡しに来ただけ」 西野先輩……ですか。よっぽど入れたいのか。 「見せてくれ」 麻美から入部届を受け取り、必要最低限しかかかれていないそれを読む。部活名に学年組出席番号氏名、それだけ。西野先輩と思われる文字が書かれていた。その文字は必要以上に大きく、無駄に力強かった。しかしなんで出席番号まで知ってるんだ? 「ふと思ったんだが、西野先輩がそのまま顧問に渡したほうが早いんじゃ……」 「一応、本人の意思を確認しに来てくれたあさみんに対する皮肉かい? 恐ろしや恐ろしや」 相も変わらず死にそうな博の指摘。そ、それもそうか……。 「ちなみにここで入部を拒否したらどうするの?」 麻美は微笑んだ。 「……またの機会に持ち越し」 思った以上に話が通じる麻美が良く判らない。どんな性格をしているのかさっぱりだ。 ま、入るって言ったから勝手に持っていってもらっても良い――いや、やっぱり一言あったほうが嬉しい、か。 「…………」 麻美の顔をじーっと見つめながら改めて思った。 本当にどんな性格なのか判らない。 「……じゃ、頼むわ」 麻美はひょいと入部届をオレから取ると博に渡した。 「了解だ……」 どんだけ食べたんだろう、こいつ。 「……じゃ、帰る」 「星へか?」 もちろん冗談である。麻美はそれを理解したように笑ってくれた。だがただ微笑んでる割りには恐ろしく澄んだ笑顔だった。 「……死んじゃえ」 半分くらい泣きながら六組に帰った。鼻を啜りながら理香にメールを鬱。じゃなくて、打つ。 『世界に立ち向かうには理香の力が必要だ。オレは強くなりたいんだ。げらっぱげらっぱ』 送信、っと。さて、次の授業はなにかな、と。時間割を見ているとすぐに携帯が揺れた。学校にいるときの基本はマナーモードです。電源は切りません。家に帰ったらマナーモードは解除です。目覚ましにも使ってるからねえ。 それは良いとして、随分と早い返事だな。理香からのメールを開封。ディスプレイには有無を言わさぬ完璧な文章が書かれていた。 『?』 なんてボケがいのない奴なんだ。親の顔が見たい。気を取り直して正直に真面目な文章を打つ。 『やばい人間に付きまとわれていて、逃げていても問題は解決しないので立ち向かうことにした。にーにーは強くなりたい』 送信、っと。えと、次の授業は英語だな。どうして結果的に喋れるようになるわけでもない言語を学ばねばならないのだろか。使えないなら別の時間に使ったほうが有意義だろうに。受験のための英語にどれだけの価値があるのか。教育者はこの問題とじっくり向き合うべきだ。 携帯が揺れた。確認するまでもなく理香からのメールだ。 『ようはうちの武道を習いたいってわけですね。友人割引適用化ですよ』 友人割引? 『貴様、友人から金を取ろうというのか!?』 返信。間もなくしてメールの着信。 『けいくん、うちの仕事知ってますよね?』 知らないと返したかったが、嘘は良くないのでぐっと堪える。しかし……おのれ理香め! このビンボー人に金を出せと言いやがる!! うぬれうぬれ。 『ちなみにおいくらほどになるのかね?』 額を聞いてからでも遅くはあるまい。送信っと。お、もう昼休み終わるな。理香も授業に突入するだろうから携帯はカバンに――仕舞おうかと思ったらすぐに返事がきた。どれどれ? 「…………」 法外な額ではない。が、一人暮らしをしている身としては辛い額がディスプレイにあった。……やっぱりさ、自分の力で何とかすべきだよね。そのほうがきっと達成感と充実感がひとしおだよ。 『金持ちになりたいです』 返信して携帯をカバンに仕舞った。オレは勤勉な学生さんだからちゃんと授業を受けるよ。 張りつめた空気が教室内を支配する。 何の事はないただのいつも英語の授業である。ただ、現在教壇に立っている英語担当の林先生がどえらい怖い先生なので必然的に授業中は尋常ではない緊張を強いられることになっているだけである。 どう怖いかって? 簡単な答えをお教えしよう。 判りません=死 ただし、判らないなりに一生懸命答えると評価してくれるので、話の判る先生でもある。それにそれぞれの学力に合わせて問題を当てるのでまたまた良心的。ただしいつ当るか判らない&席順で当てるとかそんなものはなく完全ランダムで当てるのでいつも心臓はドッキドキ☆だ。 「それじゃあ、……樋口、ここ訳してみろ」 狙い済ましたかのようにオレを当てますか。まず指定された英文を読む。オレはバリバリの日本人だから日本語英語で発音。平仮名で英文を読んでいる感じだ。ちなみにオレの英語の教科書にはすべてカタカナのルビが振ってある。 「えーと、彼の力を、彼女は……えっとチョイスえと、選ぶ? をのっとだから、えーと」 判らない単語を発見。すぐさま板書したノートを見るとその単語の意味が書かれてあった。必要な単語は黒板に書いてくれます。 考えろ考えろ。死にたくない死にたくない。ちなみに死と言うのは当然ながら本当の死ではない。心をすり潰される説教のことだ。傍で見ていて泣きそうになったヨ☆ 「彼の力を、彼女は方法を選びませんでした?」 「ちょっと違うな」 先生はオレが読んだ英文を読み上げ、正しい訳を言った。 「彼女は彼の力を利用するために手段を選びませんでした」 少ししか合ってなくてもこの人は「ちょっと違う」と言う。生徒の努力を踏みにじらない良い先生だ。しかし半分合ってたぞ。うし、オレも英語力がついてきた!! それにしても……すごい文章な気がするんだが……。 「この女、極悪だなー」 先生の何気ない感想。やはり気のせいじゃなかったようだ。 一回当れば基本的にはもう当ることはない。全員均等に当てるためだ。ちなみに今回の授業で当てられなかったものは次の授業に当てられる可能性がグンと高くなる。どんなことをしてでも全員に当てる先生に若干の執念を感じる今日この頃だ。 当ったオレはほっと息を吐いて緊張を少しだけ解く。油断は禁物だ。疲れて眠くなったところを狙い撃ちすることもあるからな。あれは心臓にとても悪かった。 で、だ。 あとは真面目に話を聞きつつノートを取れば良いだけだ。てことは考え事が出来る余裕が出来たってこった。 さてここで問題です。どうやってオレの戦闘力を上げたら良いのでしょうか? 麻生家の皆さんは冷たいので(当然の反応とも取れる)あてに出来ない。ちょっと思い立って結城さんちの夏子さんに教えを請おうと思ったが、あれは天然物なので取得は不可。あんな細い腕から目を覆いたくなるような破壊力が生み出されるなんて世界は間違っている。飯田さんちの麻美さんに戦う術を請うにも、違うものを習得するというか、人として間違った方向に進みかねないのでだめだ。 え? おてあげげ? おてあげと言えば化学の試験で〜〜状態と言う〜の部分を埋める問題があって、判らなくて「おてあげ状態」と書いたことがある。後で化学の先生に「先生はこういう答えが大好きです」と笑顔で言われた(もちろん点数はくれなかった)。 微笑ましい思い出は置いてといて。 どーしよーかなー。やっぱり腕立て腹筋背筋スクワットで基本体力の底上げかなー。でもそれは自転車通学で充分な気がする。ならばやはり純粋な格闘手段を……ってなるよなあ。 博か理香に頼んで撃退してもらう? それじゃ駄目だ。二人がいないときに狙われるだけである。 嗚呼堂堂巡り也。 いや、本当は一つだけ解決方法を思いついている。でもオレにはそれが出来ない。出来ないから、その案は却下だ。 一応説明するが、オレを狙うA高生徒に気が済むまで殴られてやると言うやつだ。 漫画でよくあるじゃないか。腕っ節は確かだけど、色んな高校の不良たちから因縁つけられて、そのせいでちょっと近寄りがたいが実は気の良い主人公。それと、それを慕う舎弟のような後輩。ある日、なんか問題を起こして舎弟が主人公に怨みを持つ隣の高校の不良軍団に攫われる、それを主人公は「関係ない」と言いつつも舎弟を助けに行って、一方的にボコられる。 『センパイ、なんで反撃しなかったんスか!?』 主人公を殴り飽きた不良軍団が去った後、後輩は主人公に詰め寄る。 『俺がまた手を出したら、また違う誰かが狙われるだろ』 夕日を全身に浴びつつ親指で口端の血を拭いクールに言う主人公。 『セ、センパイ……』 感動する後輩。 カッコ良い。ひたすらにカッコ良い。それに問題解決にも繋がる素晴らしい行動だ。 しかしこの方法には欠点がある。 現実問題として、漫画みたいに相手が殴り飽きてくれるかどうかなんて判らない。つーかここまで執拗に狙われてるんだから死ぬまで殴られる可能性も捨てきれないこと。 そして、もう一つ致命的な欠点。 オレが殴られて黙っていられる性格じゃないってこと。 問題が解決すると判っていても、オレにはそんなこと出来ない。どうしても無理なんだよ。 「…………」 どーしよーかなー。この手の連中は自分より強い相手と判ったら手を出さないはずだ。だから力でものを言わすという方法は間違っちゃいない。でも力って色々ある。法律とか、金とか……。 ふと思いついたが、桐生さんちの双子も当事者なんだから金で――いかんいかん!! 風花はオレが守ると決めたのだ!! そげな情けない真似は出来ん!! ちなみに元樹はどうなっても構わない。 「彼は迷うことなく親友の鳩尾目掛け右ストレートを放ちました。ってなんだこの物騒な文章は」 煮詰まった脳に休憩を入れるように、林先生が声がじわりと染み込んだ。……教材は選べと思いました。 右ストレートか。ふと脳裏に黒人男性がちらついた。 おや、誰だろう? 右ストレートで思い出すような――知り合いに外国人はいないので――有名人っていたかな? オレの脳内で黒人男性は見えない敵に向かって鋭い右ストレートを放った。次は後ろにハイキック。そして黒人男性は言った。 『ワンモアセッ!!』 !! 瞬間、オレは口を開いていた。 「ブリーズビートキャンプ!!」 突然の発言に教室内に沈黙が訪れた。し、しまった。林先生のお説教がくる!! 慌てて口を塞ぎうつむくが、放った言葉は消えやしない。 「…………」 し、視線を感じる。この場合は死線かもね!! 冗談をかましてもプレッシャーは消えない。 「樋口」 林先生の声にびく、と身体を震わせ、顔を上げた。無理矢理暴力的に上げさせられるのはご勘弁です。 「ブとビが逆だ」 「はい?」 林先生の指摘に、教室中が爆笑に包まれた。 ? オレは訳が判らずに助けを求めるように両隣を見た。したら右も左も楽しそうに笑ってやがる。 「?」 「樋口、お前なあ……」 呆れたように林先生はオレを見て、小さく笑った。 キーンコーンカーンコーン…… 「お前狙って言ったのか? ちょうど良いところで笑いを取りやがって。 よし、今日はここまで。日直」 は? 「きりーつ」 立ち上がる。周りは黙っているものの、表情が笑っている。 「れーい」 頭を下げる。 「ちゃくせーき」 座る。以上、すべて条件反射でした。 「??」 まだ笑いの残る教室。だがオレは何故笑われているのかさっぱり判らない。でも笑いが取れてるんだからそれはそれでいいんじゃないかと思う自分もいる。 「…………」 周りを見ると暖かな笑顔。よく判らんがなんかすごく嬉しくなってきたぞっ。 うん、いいや。問題の解決策は見つからなかったけど、あの英語の授業で笑いを取ったんだから自慢にもなる。そう考えるととたんに元気になった。 オレは周りに合わせてテケトーに笑いを取りつつ次の授業の準備を始めた。 十分後の六時間目開始直後、林先生の言葉の意味を理解し、恥ずかしさのあまり叫びそうになったと言うのは……内緒である。 |