翌日の放課後、グラウンドにオレはいた。何故かと聞かれれば答えよう。
「ふむ、長くなりそうだから分かりやすく七文字程度で説明してもらえんかね?」
 ベンチでだらける博にオレは言い放った。
「白球にかけろ!!」



誰かのためのおとぎ話 09
〜白球にかけろ!! 後編〜

りむる



「分からんよ」
 分かってたまるか。分かったら天才を通り越してバケモンじゃ。
「……なるほど」
 やだよう、お約束どおりに麻美が理解したよう。
「冗談はいいから説明してよ」
 じょ、冗談だったのか……。元樹は本に目を向けたまま言った。相変わらず器用である。
 オレはベンチから立ち上がり、練習に励む野球部員+夏子に背を向た。ベンチには、左から博、麻美、元樹、風花と座っている。一番端っこがオレが座ってたとこね。守備についてない野球部員はその辺に立っているよ。
「ふむ、サッカー部の間抜けな刺客・及川をいじめぬいた風花は夏子の提案を呑んだのだ」
「……あら、前にも風花を怒らせたわよね、及川って」
 興味深い話だが、今は関係ないのでスルー。
「つまりな、3アウト勝負で及川が勝てば風花は調査をやめ、廃部を受け入れる。だが、夏子が勝てばサッカー部は己の非を認め、野球部に土下座して謝って、校長に野球部廃部の撤回を求めるってこと」
「こちらに都合がいいのは当たり前だが、向こうにも都合のいい条件じゃないか。夏子さんにしちゃ、やさしいなあ」
 だらけたまま博は指摘する。ま、そうだよな。
「それだけ自信があるんでしょ。それに向こうに良い条件つけないと勝負として意味ないし」
 元樹の視線は変わらず。
「と、言うよりもさ。素人が夏子の球を打てるとは思えないんだけど」
 視線が夏子に移った。つられてオレも夏子を見る。上から思いっきり、投げる。パシンッ!! といい音がキャッチャーミットから鳴った。
 ……は、速いですね。
「条件が条件だからだけど、よく及川もその無茶な要求飲んだね」
 違うよ、違うよ元樹。及川は当然渋った。いくら野球経験者とはいえ、バットを振らなくなって結構経つ。腕は鈍って当然だ。そんなやつが野球部の助っ人ピッチャーに、野球部のエースより速い球を投げる奴に勝てる要素はほぼない。
「………………………………」
 麻美が風花を見ている。
「万が一の可能性に賭けてるんでね?」
 博は我関せず、と言った態度でへにゃへにゃとだらけた。今日の博は口を開くたびに蕩けていく呪いにでもかかっているのだろうか。
「…………何言ったんだか」
 こっそりつぶやく麻美には、真実を教えてあげたい。


 渋る及川に風花は言った。
『良い条件じゃない。こんなやさしいこと言ってくれる夏子に感謝するのね。
 ま・さ・か、これを蹴るつもり?
 えええ〜、まさか中学時代に四番で打っていた及川くんに限って、たかだが助っ人ごときの球を打てないから勝負を受けない、なんて言わないよね?』

 鬼か悪魔かそれに同等な存在がそこにはいた。


 思い出すだけで背筋が凍るぜ。ドMな御方にゃたまんないだろうが、生憎オレにはそんな趣味はないのでただただ怖いだけである。
「……質問」
「どうぞ、麻美さん」
「……3アウト勝負ってなあに?」
 あんだと、そんなことも分からんのか。いや、野球分からん人には何のことか分かんないか。
「一人の打者で1イニングやるってことだよ」
「……?」
 元樹の説明は野球知らない人には理解できんと思うぜ。
「つまりなー、夏子の投げた球を3アウトになる前にヒット打ったら及川の勝ち、打てなかったら夏子の勝ちってこった」
 また博が蕩けていく……。
「……アウトになる条件は?」
 そ、そんなとこから説明が要るのか!!
「ストライク……、打てそうな球を三つ見逃したり、空振ったりすること。
 打ち返しても、地面に落ちる前に取られること。
 打っても一塁に到達する前にボールが一塁に行くこと。
 かな」
 守備妨害でもアウトを取られるけど、今は必要あるまい。
「……ふぅん」
 元樹の説明に麻美は頷く。
「……打者が不利なんじゃないの?」
「そういうスポーツだから」
 今日に限っては圧倒的にそのとおりなんだがね。
 振り返って、再度夏子を見た。残念ながらいつもの制服姿ではない。スカートの下にジャージを穿いていやがる。ちなみに他の野球部員も制服だ。なぜなら試験が近いってことで部活動は禁止だからだ。当然グラウンドは勝手に使っているヨ☆
「しっかし、及川遅いな。逃げたか?」
「それはないでしょ」
 オレの独り言に風花がツッコんだ。
「逃げたらわたしに捕まるもの」
 だからニッコリ笑顔で怖いことを言わないでもらいたい。
「と、ところで夏子って球種いくつ持ってるんだ?」
 必死に話題をそらす。風花は元樹の顔を見、元樹も風花の顔を見た。そして二人そろってオレを見る。
「ストレートと真っ直ぐと直球」
「全部同じじゃ!!」
 しかもハモるな!!
「変化球はないのか!? カーブはスライダーはフォークはシンカーはチェンジアップは!?」
「そんな卑怯な球投げない」
「お前はどこの芦屋のお嬢様だ!!」
 無表情で元樹は手を振った。
「冗談だよ」
 ならそれっぽく言え!!
「フォークは投げられるけど、捕手が取れないらしいの」
 そんな馬鹿な話があってたまるか!!
「……及川ら、参上よ」
 カオスなヴォイスが聞こえた。
 ん? 『ら』ってなんじゃい? 麻美の視線を追っかけると、そこには及川他男子生徒数名がいた。立会人ってやつか?
「サッカー部精鋭、参上!!」
 大声で宣言する及川。あまりのアホっぷりに野球部は唖然としている。後ろにいた男子生徒も及川の頭をポカリと殴った。
「馬鹿言ってないで始めるぞ」
 なかなかの渋いヴォイス。身体も大きく貫禄がある。きっと開幕投手として出ても博多のチームの監督に「開幕投手にも格と言うものがうんぬん」と文句も言われないだろう。
「で、審判はどうするんだ?」
 渋いヴォイスで聞かれてはっとする。それはどうなってるんでしょ?
「へいへーい、野球と女の子が大好きな竹槍少年の俺がやりますよー」
 博がだらだらと立ち上がり、捕手の後ろへと向かった。だ、大丈夫なのか?
「公平に頼むぞ」
「あたぼうよ、スカートの中を見せてくれぬような格好をしている奴の味方などするもんか」
 博の頭にゴガン!! とボールが当った。夏子を見ると涼しげな顔であらぬほうを見ている。……コメントは控えさせてもらいます。
「DEは、サっSOくはヂめYOU蚊!」
 何事もなかったように博は立ち上がった。ちょっとカタコトだったような気がしたが、気のせいだろう。
「……念力、入ってます」
 後ろで不吉な声が聞こえたが、気のせい気のせい。
 及川は無言でバット(金属)を取り出すと右打席に入った。オレもいい加減座ろうっと。
 ――パシッ!!
 キャッチャーミットにボールが収まる音だ。
「ストラーイクッ!」
 ってもうかよ!? 人が座る前に投げんなよ!!
 慌てて風花の隣りに座った。元樹は絶賛読書中。風花は眠いのか、首がゆらゆら揺れている。元樹の隣の麻美は右手人差し指をクルクルと急がしそうに回している。何をしているのか今更問うほどオレも愚かではない。
 ――パシッ!!
「ストラーイクッ!」
「…………」
 読書中の元樹。
「…………ふわ」
 眠そうな風花。
 ……えーと、みんな真面目に見る気ない?
「普通にはええ……」
 及川はごくりと喉を鳴らした。一球目は見て、二球目は手が出なかったってとこか。
「二人とも見ないの?」
 双子に問い掛けた。
「どうせ夏子が勝つ」
 だからハモって言うなよ……。
「はい空振りのストライク、アウト」
 博の声が高らかと響く。
「ね?」
 ねって言われてもね……。
「さあ次行くようー!」
 張り切って夏子がまた投げる。先ほど見たときと同じように、上からバシッと。
 ――カキン!
 お。当ったぞ。でも、打ち上げてる。
「はい、サードフライでツーアウト」
 あっさりと追い込まれたな。
「ふふん、あと一つね♪」
 勝ち誇った夏子の笑顔が眩しい。つーかさ、そもそも負ける要素なんてほとんどないだろ……。
 今まで疑問に思わなかったんだが、どうしてこうも離れているのにあっちの会話が聞こえるんだろう。
 麻美がこちらを見た。……な、なんですか?
「……念力、入ってます」
 な、なるほど……。念力ってすごいね……。
 視線をグラウンドに戻す。及川は打席を外して、素振りをしていた。その顔は明らかに焦りがみられた。あと一球で勝負が決まるかもしれない、そんなプレッシャーが及川を包み込んでいるのだろう。
「くそっ」
 及川は素振りをやめ、うつむいた。
「ほらほら、さっさと打席入りなさいよー。それともこれで終わりにする? ま、あたしの勝ちになるけど」
 夏子が挑発する。及川は顔を上げキっと夏子を睨みつけ、
「そうだ」
 立会人のサッカー部連中を見た。……まさか代打とか? いや、及川くんいくら追い詰めらているからってそんなとち狂った――
「代打だ!!」
 ――イイヤッホウぅぅぅうううううう!!
 でもサッカー部だぞ? 野球経験者なんてそんないないと思うんだが……。
「天野に交代!!」
 及川は渋いヴォイスで貫禄がある男子生徒の腕を掴んで叫んだ。
「……いいの?」
 麻美はこちらを見る。オレは返事の代わりに、さあ? と首をかしげる。
「勝負を受けたのは自分なのに、肝心なところは他の人に押し付けるんだ」
 眠そうに元樹にもたれかかりつつ、風花は言った。
「根性なし」
 風花、及川のこと嫌いなんだろうか?
「この天野は中学三年の頃、俺と同じく四番で出てたんだ! 打ったホームラン数はなんと五十を超える!!」
 そりゃすごいが、なんでそんなやつがサッカー部にいるんだよ。
「だからなによ、勝負を受けたのはあんたでしょうが!!」
 風花と同じことを夏子に言われてるよ。だが、及川はそれを鼻で笑った。
「おやおや、この俺をツーアウトまで追い込んだ結城さんに限って、ホームランをばかすか打っている天野が怖いからってこの提案を受け入れない、なんて言わないよなあ!!」
 反逆の及川か。とりあえずギアスをもらって好き放題命令してこい。
 そうじゃなくて。
 追い込まれて怒鳴ってるから、それほど怖くない。てか、ただの嫌味だな。いや、風花のも嫌味なんだけどさ。
 夏子を見る。明らかにカチンときた顔してるよ。
「いーじゃない、華麗に討ち取ってやるわよ!!」
 …………単純ですね、夏子さん。
「乗せられやすいあの性格直したらいいのに」
 こっそりつぶやく元樹。
 交代成立、バッター及川に代わりまして、天野。
 釈然としない表情をしつつもバットを受け取り、素振りを始める天野。流されやすいやっちゃな。声は渋いのに。
「さっさと終わらせて土下座させちゃるわよ!!」
 気合注入。天野は左打席に入る。
「こい」
 おおう、なんて渋いんだ!! これは女子生徒に大人気だろう。だが、サッカー部のだれだれが女子に人気あるんだぜって話は聞いたことない。
 オレのどうでもいい考えをよそに、夏子は投球モーションに入った。上から思いっきり、投げる。
 ――パシッ!!
「ストライク!」
 綺麗な真っ直ぐ。ぬう、漢の勝負に相応しい。あ、変化球投げられないんだっけ。
「なるほど、これは及川には無理だな」
 じっくり見ていたのだろう、天野は感心したように言った。繰り返すが、なんでサッカー部なんだ、お前ら?
「あんたも、無理よ」
 キャッチャーからボールを受け取り、夏子は言う。
 一拍置いて、投げる。
 ――カキーン!!
 なぬ!?
 心地よい金属音にオレはもちろん、元樹も腰を浮かせた。打球はレフト方向に飛んでいった。おいおいあれホームランじゃないか?
「打たれたのか!?」
「ファール!!」
 オレへの返答のように博は大声で叫んだ。ほっと一息つく。しかし、あの速球を打ち返すとは……。しつこいが、何故サッカー部にいるんだ? 野球部に来たら即四番じゃねーか。及川は……、へたれだからスタベンだな。しかし、本当になんでサッカーなんてやってるんだろう。
 打球を見守っていた立会人連中は落胆し、野球部連中はホっと胸を撫で下ろした。夏子は面白くなさそうに舌打ちをしている。
 ……ちょっとやばくねえ?
 気を取り直し、夏子は再び打者へ集中……じゃなくて、やたらと首振ってる。サイン、交換してるのか? 投げるコースが気に入らないんだよな? だってさ、真っ直ぐしかないじゃん。てことは投げる場所が気に入らんということであって――お、ようやく縦に振ったぞ。
 投げる。
 ――カキン!!
 後ろに飛んで、ファール。
 ボールを夏子に戻して、また投球。
 ――カキーン!!
 レフト方向にファール。
「ファール! んで、カウントはツーストライクのノーボール。んでツーアウトだ」
 カウント的には追い込んでいる。が、実際追い込まれているのは夏子かもしれん。天野の奴、当てるのが上手い。このままだと真っ直ぐしか投げられない夏子が先に切れる(理性をぶっ飛ばし暴れる、と言う意味ではない)。
 夏子の顔を見る。無表情だが、ぴくりとも動かない。何かを考えてるなこりゃ。
「……投げるかもね」
 元樹は本を閉じた。
「?」
「フォーク」
 でも、取れないんじゃ……。
「投げるよ」
 風花が元樹にもたれかかったまま言った。
 夏子が、投げる。
 すぐにあのキャッチャーミットに収まる音が聞こえる、と思ったが、
「後ろ!」
 キャッチャーが取り損なっていた。
「ボール!」
 キャッチャーは慌ててボールを拾う。
「よく見たわね」
「ああ、すごい落ち方だった」
 フォーク、投げた……。取れないと分かって投げたってことは、夏子はもうストレートで取れないと判断したからだ。
「ちっ」
 悔しそうに舌打ちする夏子の姿を見て、オレは自分の推測が正しいことを理解した。同時に、やばい状況ってのも。どうするんだよ……。ストレートとフォークを混ぜて投げれりゃ討ち取れるかもだけど、キャッチャーの技術的にそれは無理だ。あ、いやそもそもこれは試合じゃないんだから、いくら後ろに転がしたって良いんじゃないのか?
「今度から後ろに転がすのはやめてくれよ」
「あんたに言われなくても分かってるわよ!!」
 あ、あああああ……なんてこと言うんだい夏子さん。これでフォーク織り交ぜ大作戦は水泡に帰した。
「はい、提案」
 サッカー部に流れが向き始めたこの状況で審判を勤めていた博が片手を上げた。
「?」
 視線が博に集まった。
「選手こーたい」
 お前はいったい何を言っているんだ? 投手交代か? 挑発した手前、夏子は変えられんぞ? それに変えたとしても、資質的に夏子のほうが(たぶん)上だぞ?
「へいへい、キャッチャーミット貸してけろ」
 !?
「なるほど」
 元樹が感心したように頷いた。なんでだよ?
「博くんなら捕れるかもね。動体視力は良いもの」
 風花は元樹にもたれかかったまま言う。……眠いのか。こんな状況でも眠いのか。
 いやいや、今はそれどころではない。
「ほんで、今のキャッチャーが審判ね。お前らもやったことだから問題あるまい」
 及川に文句を言われる前に博は言い放つ。これは反論出来ないな。
「お前さんも文句あるまい。ストレートしか取れんのだろ?」
 キャッチャーミットを博に渡し、キャッチャーはため息をついた。博は受け取り、ぽんと肩を叩いた。がっくりと肩を落とすキャッチャーの背中が切ない。
「んじゃま、作戦タイム」
「それはこっちはしてねーよ」
「じゃ、ツーアウトのはじめっからやろう。それなら文句ねーだろ?」
 そう言って博は夏子がいるマウンドに駆け寄った。内野の連中はすでに集まっている。
 二つとったストライクをゼロにしてから始めるってか。それは随分なサービスじゃないか。案の定、その提案が聞こえた夏子は滅茶苦茶不機嫌な表情をしてらっしゃる。
 ――逃げたい。
 身体に刻まれた傷たちがそう訴えるが、今のオレには関係ないので我慢する。
「……大丈夫なの?」
 オレの葛藤を見越してた言葉かちょいと悩む。
「……楽勝モードから逆転負けモードに突入って感じよ」
 マウンドの二人を見ながら麻美は言った。あ、オレのことじゃないのね。
「さあ?」
 そろって首をかしげる双子。
「ちゃんと配球を組めるんなら勝てるとオレは思うぞ」
 希望でもある。だってあいつ当てるの滅茶苦茶上手いんだもん。
 こそこそ相談する夏子たち。試合中みたいに口を隠している。……いや、そこまでしなくてもいいと思いますよ。ほら、サッカー部連中はよそ向いてだべってますし。
 お、相談終了か。博を含めた内野人が守備位置に戻った。
「プロテクターいらないの?」
「俺は身体に当てるようなへまはせん」
 どんだけ自信があるんだよ。見ろ、またキャッチャーが落ち込んでるぞ。
「プレイ!」
 気を取り直し、博が腰をおろしたのを確認してからキャッチャー@審判は高らかに叫んだ。
 天野は無言で打席に入った。夏子は博とサイン交換し、投球モーションに入る。
 投げる。
 ――パシ!
「ス、ストライク!!」
「!?」
 へ? な、なんだ今の? ストレート?
「……曲がったような、空気の流れを感じた」
 麻美さん、そんな常人からかけ離れたこと言わないで下さい。
「スライダーか!?」
「へへん、当たり」
 驚愕する天野を面白そうに見ながら博は言った。すぐにボールを夏子に返す。受け取った夏子の表情を見るとちょっと笑みが浮かんでいる。
「スライダー!? あいつ、変化球はフォークしか投げられないんじゃないのか!?」
「スライダーも投げられるんだね」
「感心するなよ!!」
 オレは元樹の胸倉を掴み、揺さぶった。
「わたしたちが知らないことだってあるのよ」
 風花の冷たい手がオレの手を止めた。いや、そーなんですけどね、なんかね、納得いかないんですよ。
「そりゃ、そうだけど……」
 手を離し、腕を組んで首をかしげる。
「ボール!!」
 おっと、まだ勝負中だった。オレたちに構わずあっちは勝手に進んでるじゃないか。
「今のは?」
「……また曲がってた」
 二球連続でスライダーか。
「いやあ、目が良いね、お前さん」
 外れたんか。しかし、ちゃんとコントロールしている夏子はすごいな。
「すごいね」
「ああ」
「博くんて、野球経験者なの?」
 そっちかい。いや、すごいけど。昔からスポーツはなんでも器用にこなしてたから驚かなかったけど、博も充分すごいか。
「オレが知る限りでは、初めてだと思う」
「え」
 双子絶句。
「いやでも博だし」
 中学の友達と博に関することはすべてこれで片付けていた。いちいち驚いていたら身が持たんのだ。
「ボール!」
 また見逃した。
「……落ちた」
 フォークがここで来たのか。カウントはワンストライク、ツーボール。
 しかし、変化球が投げれるからって、見せびらかしてるような配球だなあ。真っ直ぐも混ぜたほうがいいと思うんだ。素人考えですよ? もちろん。
「夏子って結構球種持ってるのかも」
「幕張の長老くらい?」
「?」
「いや、なんでもないんだ……」
 幕張の長老といえばもちろん、シェイクなる魔球(?)を投げるピッチャーのことだ。ちなみ作者は下手投げピッチャーが大好きである。内野手では引退したはつs……何を言わすんだ。 夏子が投げる。
 ――カキン!!
 一塁線を切ってファール。ファーストがボールを追いかけていく。カウントはツーストライク、ツーボール。
「……真っ直ぐね」
 麻美の解説がありがたい。ファーストが一塁に戻り、ボールを戻す。
 夏子が投げる。
 ――パシ!
 きわどい!! ストライクゾーンギリギリにボールが通過した。
 審判は少し悩んでから宣言する。
「ボール!」
「ふむ、よう見るな」
 博は夏子にボールを返した。
「今のは? スライダーっぽくなかった?」
「……曲がってた。けど、ちょっと遅い」
「カーブ?」
 曲がってるんならカーブだよな。って待て、スライダーってストレート並のスピード出てるのか?
「さっきの曲がってるのと、真っ直ぐの、速さはどのくらい違う?」
「……スライダーってのと、真っ直ぐのことよね。……そりゃあ真っ直ぐのほうが速いわよ。……でも、体感速度なら大して変わらないわ」
 そりは、すげえ。夏子は女子野球部作って全国目指したらいいと思う。公式な大会があるかどうかは知らない。
 話を戻して、カウントはツーストライク、スリーボール。ついでにツーアウト。これがホントのフルカウントってやつだ。予想しなかった展開に驚きを隠せないぜ。夏子が余裕で勝つと思ってたからなぁ。
 息詰まるカウント。否応なく高まる緊張。オレらはもちろん、サッカー部連中も固唾を飲んで見守っている。が、麻美は相変わらずのポーカーフェイスで人差し指をくるくると回している。きっと何かを受信しているんだ。
 博のサインに夏子は大きく頷いた。
「いくよ」
 ――これが最後の一球!!
 一流の速球派ピッチャーが全力で投げると、指とボールがこすれる「ピシ!」という音がバッターボックスまで聞こえるという話を思い出した。
 ――『ピシ!』
 間違いなく、力の限りを尽くしたストレート!!
 直後に大きく、そして力強く振りきるバットの音。
 ――ブゥン!!
 カキン、ではない。
 静寂。
「ストライク、アウト!!」
 空を切ったバットがカランと音を立てて落ちた。そして天野が膝をついた。
 直後に歓声。外野も内野もベンチの連中野球部員もマウンドに駆け寄って夏子を褒めて称えた(オレらは部外者だからここで待機)。しかし当の夏子はほけーとしている。目の前の勝利がイマイチ理解できない様子だ。
「ありがとう、結城、本当にありがとう!!」
 主将である篠田さんは夏子の右手をぶんぶんと振り回し、感謝の言葉を何度も何度も叫んでいる。そう、これで野球部は廃部の危機から救われたのだ。
「あたし、勝ったんだ……」
 喜ぶ野球部員に囲まれて夏子はようやく我に返った。
「おう、勝ったぜ。ナイスピッチ」
 最後にマウンドにやってきた博は夏子にボールを返した。パシッと音を立てて受け取る夏子の顔には戦場を共にした仲間に向ける笑顔があった。無論それは他のナインにも……そして、博にも。
 ……ど、どういうことだ? 博のくせにカッコ良いぞ?
「……博のおかげで勝ったんだからそのくらいは良いと思う」
 確かにな……。博じゃないと夏子の変化球は取れなかった。博がいたからこその配球があったんだよな……。
「……でも気に入らない」
 麻美はくるくると回していた人差し指をピタリと止め、中指とピッとくっつけた。
「ヤンマーーーーーーーーーーーニィイイイイイイイイイイイイイイイ!!」
 博が発狂した。ああ、良い場面が……。爽やかな青春が、音を立てて崩れていく……。
「良い勝負だったのに……台無しだ」
 お、さすが坊ちゃまは言葉の使い方がいいねえ。オレなら『ぶち壊し』って言うね。
「……すー……すー……」
 お嬢様は寝てらっしゃるよ……。こんな場面で何を考えとるのだね。
「これでまたみんなと野球が出来るんだね!!」
 感極まった夏子の声が聞こえた。そちらを見ると……あんれまあ、みんな涙目ですよ。いやあ、青春だ。
「やっぱり、良いチーム」
 元樹は微笑んだ。たぶんこの笑顔は風花以外は中々お目にかかれんものだろう。こっそりじっくり見ておこう。夏子はすーっと息を吸い込んで、空を見上げ、そして、お通夜雰囲気をかもし出しているサッカー部連中に視線を向けた。
「さあ! お楽しみの土下座コーナー!!」
「くっ!」
 及川が反射的に身構えた。ま、逃げ出さなかったことは評価しよう。ちなみに博はまだ発狂中だ。邪魔なのでここからは博の描写はしないことにする。
「勝ったのはあたしたちなんだもんね! ちゃんとやく――」
 夏子の言葉を無視して天野はマウンドのナインのもとに歩み寄った。
「ちょ、な、なによ!?」
 臨戦態勢に入る夏子を、警戒する野球部を真っ直ぐに見つめてから天野は動いた。
「すみませんでした」
 天野は土下座した。
「約束通り、野球部廃部の撤回を校長に言う。その状況も報告しよう」
 な、なんという潔さ!! これはいよいよ女子がほっとかないぞ!! だが、ここにいる女子のうち一人は念力を操るサイコマスターで、もう一人は寝こけている。唯一まともなマウンドにいるお方は性格がちょっぴり残念だ!! これは痛い、痛すぎるぅウ!!
「………………」
 あまりの潔さに夏子を含めた野球部全員がぽかんとしている。
「あ、ああ。部が存続できるなら、それでいいんだ」
 篠田さんが戸惑いつつも力強く頷いた。主将がそう納得したからか、他の部員も徐々に納得していった。
「そう言ってくれるとこちらもありがたい」
 ようやく顔を上げた天野に篠田さんは右手を差し出した。
「良い勝負だった……。素晴らしい時間をありがとう」
 天野はその手をぽかんと見つめ、口端を上げた。
「こちらこそ」
 立ち上がり二人はがっちりと握手を交わした。
 なんという友情!! 青春シャインが眩しくて見えやしねえ!!
「結城もな」
 篠田さんと厚い友情を交わしたその右手を夏子に向けて差し出した。
「うんっ」
 握手。照れた夏子がちょっと可愛い。
「ふ、この感動も俺が代打に天野を出したおかげだよな!!」
 高らかに叫ぶ及川。『わしが育てた』並みのおいしいところを持っていくつもりマンマンなセリフである。
「……………………………………」
 痛すぎる沈黙がグラウンドを支配した。
「?」
 なるほど……風花を怒らせたってのがなんとなく分かった。
「……空気が読めないのよね」
 あと、言って良い冗談と悪い冗談の区別も付かないんだろう。オレは麻美の言葉を心の中で繋げた。
 ほら、見てみなさい。夏子さんが青筋浮かべて満面の笑みを浮かべてますよ。ははは、逃げたいねえ。お、天野も『うわ、救いねーな』みたいな顔してますよ。ほらほら、立会人のサッカー部連中を見てごらんなさい。あれは可哀相な子を見る眼差しそのものです。
 夏子さんが無言で及川のもとへ歩み寄ります。及川は原因はともかく、自身に危機が迫っていることを本能的に理解したらしく、顔を青ざめております。ははは、もう遅いって。おやおやあ、夏子さんの右手には何故か金属バットがあるぞう? お、グローブはすでに外していたようだね。うんうん道具は大事にしなくっちゃね。
「あ、ああ、あ、あ、あ、ああ……あーーーーーーーーーーー!!」
 ようやく状況を理解したのでしょうか、及川は奇声を上げ、逃げ出しました。
「死にさらせーーーーーーーーーーー!!」
 大きく振りかぶって、夏子は右手のバットを投げ飛ばした。同時に疾走。バットとほぼ同スピードで及川に向かってまっしぐら。もうこいつ人間やめてねえ? バットはもちろんストライク。頭に当ったんだから、ストライク。遠目で分かるくらいの赤い液体をぶちまけ、及川はゆっくり倒れていった。
「元はといえばあんたのせいでしょうがーーーー!!」
 地面に倒れこむ前にとび蹴りが背中にヒット。飛ばされる及川。それにすぐさま追いつき、倒れこんでくるタイミングを見計らって思い切り顎を蹴り上げる!! おおっと、これはすごい!! 及川の身長の約三倍の飛距離があるぞ!!
 まだまだ夏子のコンボは続く!! お、今度はボディにハイキック(落下の最中だから)!! つま先が鳩尾をえぐっているのがまたポイント高いね!! おおっと、今度は大技だ、夏子自身もジャンプして――なんと、及川の上空を軽々と越えたぞ!! すぐさま踵落とし!! それから――

 公開処刑コンボはかなり続いたので(または良心に呵責を感じるので)、省略。


 かくして、サッカー部の陰謀(?)は夏子の手によって無に帰った(二つの意味で)。
 後日、野球部には存続の知らせが届いた。野球部員と顧問は喜びつつも、さらに練習に熱を入れたという。
 そして、漢気溢れる天野がサッカー部に退部届けを出したらしい。引き止める声もあったが、それに対し天野は爽やかにこう告げた。

「俺はようやく本当に打ち込めるものを見つけたんだ」

 数日後、天野は野球部のユニフォームを着ていた。真新しいユニフォームはまだ硬くて動きにくそうだ。でも、すぐに身体になじむだろう。
 野球部の仲間たちと同じくらい、すぐに。


 せっかくだから及川の後日談も。
 黙っていれば練習場所が増えたのに、余計なことをしたせいで練習場所はそのままだわ、事件を知った新人は「そんなことをする部になんざいられねえ」と数名いなくなるわ、しまいにゃ部活動停止処分を食らうわ(天野含む正義感のあるサッカー部員が内部告発した)の責任を一人で背負わされた。うさぎ跳びでグラウンド百周(マジで)したあと、退部処分でポッポーイ。と思いきや、マネジとしてコキ使われている。ちなみに女子のもとからいたマネジにはパシリ扱いを受けている。
 泣きながら先輩らのスパイクを磨くさまは同情を禁じえない。が、自業自得なんだから仕方ない。責任負わされたにしちゃ仕打ちが軽すぎるしな。馬鹿ほど可愛いというやつだろうか。
 廃部工作の実行犯は停学処分。当然中間試験を受けられない。補習か追試が確実である。悪いことは出来んな。


 ちなみに博はあの奇声をあげた日の記憶をさっぱりなくしたらしい。
「なんだかよく分からないが、あさみんの前ではカッコ良い真似はしないぜ!!」

 同情を禁じえない。



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