土曜日の昼下がり。 ゴロゴロゴロ……ガンッ!! 「あはは、またガターだぜ。だっせぇ♪」 学生や一般人で賑わう極々普通のボウリング場。 ゴロゴロゴロ……ガタッ!! オレは戻ってきた十一ポンドの球を手に取り投球。 ゴロゴロゴロ……ガンッ!! 「……うふふ、またガターだわ、おっかしい♪」 振り返って叫ぶ。 「やかましいわっ!!」
オレは楽しげに馬鹿にしているギャラリーに向かって中指をおっ立てた。しかしギャラリーはまったく気にしていない。むしろ爽やかに微笑んでいる。 「見まして、あさみん。啓輔さんったら四連続ガターですのよ」 気持ち悪い口調で語りかけているのは、みんなのエーロー・麻生ぴろ、いや博。動きが噂好きのおばちゃんっぽくてより一層気持ち悪さをかもし出している。 「……ええ、見ましたわ。お笑い種ね。それに見て、あのスコア一ばっかり、まるで啓輔さんの通知表そのものよ」 受け答えるのはみんなのカオス・飯田麻美。目から混沌、口から毒、歩く精神破壊兵器です。口元に手を当ててマダム笑い。気品よりも毒が強すぎてオーラがどす黒く澱んでいる(無論オレはオーラなど見えないのですべて想像だ)。 「ははは、しかしあさみん、さすがの通知表も十段階、ゼロは書けないぜ」 「……あらあら困ったわ。それなら啓輔さん専用にマイナス査定追加しましょう」 「そいつは素敵な考えだ、さすがだあさみん」 「……おほほほほ」 「あはははは」 誰かあいつら殴って来い。確かに今現在のオレのスコアはゼロと一との共演で楽しいことになっているがそこまで言われる謂れもない。だいたいな、オレはボウリング初体験なんだよ!! それに後からギャーギャーなんか言われたら気になってまともに球放れんわ!! 「シロート相手にうるせーぞ、黙って見てやがれぃ!!」 「はっはっはっはっ」 「……あらあらまあまあ」 爽やかに受け流された。怒り心頭、オレは大きく息を吸い込んで、――背後に殺気を感じた。 「明らかに君のほうがやかましい」 考えるよりも先に身体が動いた。振り向き様に身を屈め、後退。それと同時に右手は反撃すべく武器を求める。右手は近くにあった球(十二ポンド)を手に取った。が、重くてすぐに落とした。ガゴンッ!! と馬鹿でかい音が響く。だがしかしここはボウリング場、そんな騒音は日常茶飯事(関係ないがオレはこれをしばらく「にちじょうちゃはんじ」と読んでいた)、近くの老夫婦がびっくりしただけで他に実害はない。 「ちっ」 悔しそうに吐き捨てる少年。目がとても邪悪に光っている彼の名は桐生元樹。前回では出番は名前だけで、初登場ではセリフが三行というツワモノだ。 オレは元樹にどうこう言う前に驚かせてしまった老夫婦に頭を下げた。そして改めて元樹に向き合う。 「何をする!!」 元樹はオレをさらに邪悪に見つめ、不愉快そうに吐き捨てた。 「うるさいからこれで殴って黙らせようと思ったんだ」 素直に言ってくれてお兄さんは嬉しいです。内容はむかつくがなっ。 「これってなんだ!!」 オレはそれを指差し大声で言った。怒りに任せてではない、やかましい場所なのでちょっと大きな声を出さないと相手には聞こえないのだ。 「ハウスボール、十六ポンド。0.45359237×16は?」 なぬ!? 数字責めと来たか!! おのれ知能犯め、オレが数学を苦手と知ってこの作戦とはなかなかやるな!! ……一応言っとくぞ。博や麻美に馬鹿馬鹿言われているが、オレにだって得意な教科くらいある。もちろん体育というオチではない。――家庭科だ。 「……7.25747792。約7.257キログラム」 切り捨てるんならもっと景気良く切り捨てるべきだと思うんだ。元樹の向こう側、元樹の双子の姉、桐生風花はイスにちょこんと座って湯気の立つコップを両手で包み込んでいる。 「……あっちぃ」 舌をチロリと出して空気に晒して冷やしている。一人で平和そうだ。 「お嬢様、そのような言葉遣いは……」 「もう、息抜きのときくらい、好きにさせてください」 「しかし」 「――鈴村」 凛とした声にその場の空気がぴんと張り詰めた。 「分かりました」 違う世界の会話だった。その世界の住人はスーパーおぜうさま、桐生風花。もう一人は桐生家の執事(そんな職業があって、更に成り立っている事実に驚きを隠せない)、鈴村晋太郎さん(イケメン二十七歳独身)。黒のタキシードがばっちりと決まっていてとてもこの場にそぐわない。 オレは元樹と風花の顔を見比べて一言。 「とても同じ血を分けた人間とは思えないな」 元樹は無言でオレに球を投げつけた。間一髪で避ける。ガコンッという音が当りに響いて再び老夫婦を驚かせる羽目になった。 「お坊ちゃま!!」 鈴村さんの鋭い声に元樹はバツが悪そうに肩をすくめた。……待て謝罪はなしか。鈴村さんとオレが代わりに老夫婦に頭を下げた。老夫婦は「いいのよ」と言いたげにやわらかく微笑んだ。うう、いい人だ。ちなみに反対側のお隣さん(他校生、年上かもしれない)はオレたちに気にせずやかましく楽しんでいる。 「お客様に対してそのような態度は感心できません!」 「……お説教は帰ってから聞くよ」 ふいとそっぽを向いてボウラーズベンチ(投球者が待機するところ)のイスに座った。ほほう、これがこやつの弱点か。いいことを知ったぞ。 コホンと鈴村さんは軽く咳払いをするとオレに向いた。 「樋口様」 苗字に限らず、様をつけて呼ばれたのは初めてです。 「先ほどのお坊ちゃまの行為、大変失礼致しました。二度にわたるお坊ちゃまの暴行を止めに入れなかったことを深くお詫び申し上げます」 なんとむかつくことに元樹は鈴村さんの死角から襲ってきやがったのだ。なので気が付かなかったのは仕方ないことである。それにあんた風花にお茶煎れてただろうに。しかし、自分より十歳以上の人から敬語を使われたのはたぶん、片手で数えるくらいしかないな。 「私はこれよりお二人の休息のためこの場を離れます。どうか、どうかお二人をよろしくお願い致します」 大げさに、というより恭しく頭を下げられ、その後五分間「よろしくお願いします」の丁寧な言い方のバージョン違いを聞く羽目になった。鈴村さんの言葉を理解しようと努力したが、脳みその半分はオーバロードを起こして熱暴走している。思考回路はショート寸前って奴だ。オレには理解できない世界があるんだということを認識した。 そうこうしているうちに鈴村さんはこの場から去ろうとしていた。去り際に博と麻美に気がつき挨拶をしている。……麻美とは面識があるらしくちょいと話している。 オレはふうと息を吐いてからスコア表の映っているテレビを見上げた。どこのボウリング場も同じらしいが、自分らのスコア表はボウラーズベンチの上のテレビで確認できる。無論、ボウラーズベンチ備え付けのテーブルにもそれの小さいものがある。 どうも理解できないことがある。 何故、名前が上から、ぶどう(風花)、はっさく(元樹)、しめさば(オレ)、なんだろう。 「なぉ、啓輔」 今日初めて博とまともな会話をしようとしている気がする。 「お前さん、なんでこんなところにいるんだ?」 オレは視線を彷徨わせ、回想に浸った。名前のことを含めて思い出そうとする。 「あれは昨日の夜だった――」 「どんな壮大な話をするつもりだ」 オレの厳かな声に博はすかさずツッコミを入れた。 「啓輔、今日バイト休みってなっちゃんから聞いたからわたしがボウリングに誘った、ってだけの話」 話す前に風花に要約されてオレの立場は綺麗になくなった。い、いや、まだ説明の余地はある! 例えばオレのバイト事情とか!! オレと夏子は全国チェーンの某ファミレスでバイトしている。オレはキッチン担当、夏子はフロア担当だ。夏子は最初キッチン担当だったらしいが、顔がいいのでフロア担当に回されたとか何とか。ははは、顔がいいと得だねぇ(実際夏子目当てでくる客もいるらしい)。本人がどう思ってるかは知らない。ちなみにオレの顔に関してはノーコメントだ。 「ほお、よくこの貧乏人を連れ出せたな」 博の物言いにかなしみを覚えた。確かにオレは一人暮らし(高校に入学してから)で、バイトで食いつないでいる貧乏学生ですよ。だからってこの言い方はないだろう。それにオレに輪を掛け捲った貧乏人は違う学校にいるはずだ。ほら、貧乏神と同棲している学生さんとか。 「じゃーん♪」 風花は誇らしげにそれを掲げた。何の事はない、一ゲームタダ券である。しかも三枚。 「オレはそれぞれの一ゲーム目の代金を払うためにここにいる!!」 「お前一人タダか」 そうとも言う。 「頑張ってるなぁ、お嬢さん」 その言葉に風花の顔が赤くなった。視線を忙しそうに彷徨わせ、オレとばちんと合った。 すると、ただでさえ赤かった彼女の顔がトマトみたいに真っ赤になった。 ? 「もう、バカバカバカっ」 風花、お前までオレを馬鹿扱いするのか。あまりのかなしみにオレは風花のなすがままにポカポカと胸を叩かれた。だが所詮女子の、しかも温室育ちのおぜうさまの力である。ちっとも痛くない。だが心には痛い。 「こらそこ、バカップルみたいなことしない」 氷のように冷たい目で元樹がこちらを睨みつけていた。 「馬鹿とはなんだ、馬鹿とは」 風花にポカポカ叩かれながらオレは元樹を睨み返した。 「馬鹿とは言っていない。バカップルと言ったんだ。って君は僕に何を言わせるんだ馬鹿」 馬鹿って言われるとむかつくんだよな。特に元樹のように感情の動きが少ない奴に言われるとなおさらだ。 「馬鹿とはなんだ、馬鹿って言ったほうが馬鹿なんだぞ、このオタンコナス!!」 「オタンコナスとはまた低俗な。だいたい僕はナスが大嫌いだ」 なんだとこの偏食野朗!! 好き嫌いはいけないんだぞコンチクショウ!! 「うるさい、好き嫌いのある元樹なんかただの阿呆だ、阿呆!! 農家の人に謝れ!!」 「訳分からないこと言うな馬鹿、いいから風花から離れろ馬鹿!」 「だまれ! 馬鹿言うなオタンコナス!! そんなんだからお前はモヤシッ子なんだ!!」 元樹は色白でオレや博に比べるとちょいと細い。運動しないで本ばっかり読んでるからだ。 「馬鹿よりマシだ、このスカポンタン!!」 初めて聞く侮辱の言葉に少し驚いた。語源はいったいなんだろう。そんなことを考えつつ、そろそろうっとおしくなってきた風花の手をやさしく払った。 「あうっ」 「うむ」 風花の頭に手を置いてなでなでする。ふははは、見ろ風花がオレのなすがままだぜ!! 元樹の目が鋭く光り、そこから炎がほとばしった(イメージです)。 「その薄汚い手を離せしめさば!!」 なにぃ、しめさばだとう? オレは風花から手を離し元樹の真正面に立った。 「それはお前がつけたプレイヤーネームだろうが!! だいたいぶどうとはっさくの意味が分からねぇ!!」 分かったら嫌だよな、と博の独り言が聞こえたが無視。 「りんごとみかんへのアンチテーゼ、それ即ちぶどう、はっさくだ!!」 「意味分かんねー!!」 ギャーギャー喚くオレたち。横目で辺りを見てみると、博はつまらなさそうにそっぽを向き、耳の裏を掻いている。風花はオロオロしながらオレと元樹を交互に見ている。んでもって我らがカオスの女王・麻美は、 「……こんなヒートアップした元樹をみたのは初めてだわ。啓輔ぐっじょぶ」 とオレに親指を立てていた。誉められているのは分かるが素直に喜べないのはどうしてだろう。 そしてこの無益な諍いは五分くらいで飽きた麻美の呪いの賛美歌によって終止符を打たれた。 すったもんだで一ゲーム終了。 風花、168。八、九フレームでの連続ストライクが効いて、150越えの好成績。 元樹、127。渋くスペアで稼いで100越え。ストライクはなし。 オレ、48。九フレーム目のオレは輝いていた。なんとストライク出したんだぜ!! だから他のフレームのことは聞かないでくれ。 泣いてない、泣いてないぞ!! 「啓輔って今日が初めてなんでしょう? だったらすごい成績だよ」 ボウラーズベンチでうなだれているオレに風花はやさしく言ってくれた。 「そうなのか?」 博を見た。 「ま、そうだな」 そうなのか。オレは前向きな性格なのですぐに立ち直った。単純とも言うかも知れんな。 「……さて、そろそろ行こうかしら」 ボウラーズベンチで和みまくっている麻美が立ち上がった。 「イエス・マム」 博がそれに倣う。そーいや、なんでこいつらここにいるんだろう。最初は疑問に思っていたんだが、元樹とのスピリチュアリティファイトのせいですっかり興味を失っていた。 「どこへ行くの?」 紅茶入りの魔法瓶を片手に風花が尋ねた。 「……おもちゃ屋に予約品を取りに」 「拙者は付き人でござるニンニン」 ピンと立てた左手の人差し指を右手の人差し指以外で包んで、その人差し指はピンと立てて博は言う。 「ぎゅうしゃか」 「従者だよ」 風花の呆れたような、困ったような顔と声。 「……そうそう、それそれ」 ぎゅうしゃとじゅうしゃ。似てるよな? 「博くんが付き合うことないじゃない」 もっともなことを風花は言う。 「俺もそう思うのだが、夏子と決闘したあたりから何故かあさみんには逆らえなくてね」 ……かわいそうに。 気を取り直して続ける。 「てことは、猿が笛をくわえつつ、太鼓を叩いて、タッタカッタッタカッタッタカッタッタカッタッタカッタッタカッタッタカッタッタカッ、ピーピーピーピー!! と動き回る人形を買ってくるのだな?」 タッタカッタッタカッの太鼓を叩く真似も忘れない。麻美は例によってどんよりとした目でオレに言った。 「……啓輔ってやっぱり馬鹿なのね」 改めて感心されましたジョニー。泣きそうだ。 「想像力が豊かなんじゃないかな?」 やはり困った顔の風花。いい奴だ。嬉しくて泣きそうだ。 「俺は偏りを感じるがね」 ああ、長年の友人が心苦しいフォローをぶち壊す。かなしくて泣きそうだ。 「……ふん」 誰かがオレ鼻で笑いやがった。ゆっくりと振り返りその人物――説明するまでもないが、元樹だ――を真正面から睨みつける。 「ば〜か」 ラウンドツー、ファイ!! 「……やめなさい」 ゴンッ!! 元樹が殴られた。麻美に、しかも風花から奪った魔法瓶で。奪われた当人は握っていたはずの魔法瓶を見つめている。 「……話が進まないでしょう」 そんな理由でか!? さすが麻美、恐ろしさも無限大。元樹は相当痛かったらしくしゃがんで頭をさすっている。おお、湯気が出てるぜ。どんな力で殴ったんだ。 「……今日は私の、可愛い、可愛いっ、弟の誕生日なのよ」 カオスに満ちた目を輝かせ、麻美は言った。 「……飯田正信御生誕四周年、さあ祝いなさい」 沸き起こる拍手、中心にいるのは麻美。 「おめでとー」 「おめでとー」 「おめでとー」 「おめでとー」 片手で優雅に応える麻美。神々しいって言うより禍々しい。 「……ありがとう、もっと褒めなさい。私と私の弟を褒めなさい」 偉そうだ。怖いから拍手を続けよう。弟さんを祝うのはいいが、褒めるのはなんか違うと思うんだ。 「しっかし、歳が離れてるんだなぁ」 「……うちにも色々事情ってのがあるのよー」 ナチュラルハイなんだろうか? なんか様子が変だ。……いや、普通だったときなんてないけど。 「啓輔、人の家の事情なんて聞くもんじゃ――」 「……まあ、うちの母親が再婚したからなんだけどー♪」 風花のフォローをぶち壊し、爽やかに楽しげに家事情を語る麻美。もうシュールすぎてわけわかめ。 「もう四歳かぁ」 リモコンみたいに気持ちをぱっと切り替え、感慨深く風花はため息をついた。 「何、知り合い?」 あっさりとうなずく風花にオレは続けて尋ねた。 「お前らどんな関係なの?」 「友達だよ」 そーじゃなくてね。 「そういう、啓輔と麻美の関係はなに?」 その言葉に麻美は動きを止めた。そしてオレを見つめる。オレも見つめ返す。 「ビバ☆補習組!!」 肩を組んで友情パワーを見せ付ける。 元樹は頭を抱え、博は呆れ、風花はどういう表情をしていいか分からない、という表情をしてオレたち無視して口を開いた。 「うん、わたしたちと麻美はね、中学二年の時からの友達なの」 元樹がそれに続いて補足を入れる。 「中二の途中に麻美が転入してきたんだ」 なんだろう、二人の視線に哀れを感じる……。 「……そう、それ以来元樹は私の虜なの」 「て、適当なこと言わないでくれる!?」 ここで顔が真っ赤になれば可愛げがあるんだが、二人して無表情、顔色は至って普通なもんだから不気味にしか見えない。オレは麻美から離れ、風花にたずねる。 「姉としてあれをどう思う?」 風花はオレをちらりと一瞥してから言った。 「可愛い……かな?」 眉間にしわを寄せて、自分の発言に首を傾げている。 双子の姉でもフォローできないポーカーフェイス&キングオブカオス。やめよう、汚染される。 そして麻美は急に我に返り(いや、たぶんずっと我の状態なんだろう)、博に目をやった。 「……では、行くわよ。我が下僕」 「イエス・マム」 優雅に麻美は博を引き連れ去っていく。 「……アーマートーラリーメー レスタ リーメンテアゲータ アーソーラヒニファイヤー」 なるほど、これが呪詛の賛美歌の効果か。完全に操り人形だ。よく見ると右手と右足が同時に出ている。 「なぁむ」 手を合わせておこう。安心して成仏するといい。 「じゃあ、はじめようか」 風花が立ち上がり、身体を伸ばした。 「はい」 小学校の授業のように元樹は手を上げた。 「はい、元樹」 小学校の先生のように風花は元樹を当てた。……この二人、マジでやってるのか? 「ただ投げるだけじゃつまらないので勝負しよう」 「異議あり!!」 神速で手を上げた。 「お前はシロートをいたぶって楽しいか!?」 「楽しい」 ぶつかり合う視線、火花が飛び散る。 ラウンド、スリーファイ!! 「喧嘩はだめ」 ガン、ガン!! 麻美を見習ったんだろうか、魔法瓶で叩かれた。 「じゃあ、ハンディを付けましょう」 殴られた箇所をさする。くそう、手加減なしか。おぜうさまのへなちょこパワーでも痛いぜ。同じく殴られた元樹は、麻美と同じ箇所を殴られたらしく、涙目になっていた。同情はしない。むしろザマーミロだ。 「先生、ハンディ付けてでもシロートをいたぶりたいんですか?」 瞳に涙をためて訴えた。するとどうでしょう、なんと風花がたじろいたではありませんか(某リフォーム番組風に)。 「そ、そんなことは言ってないでしょ?」 「でもそういうことです。あなたはオレをいじめて楽しいのですか?」 さらに押す。 「うう、楽しいわけないよぉ……」 オレは風花に詰め寄り、続ける。 「ならば、代案を出してもらおうか。むしろ出すのは身体でもかまわない、いや身体を出してもらおうか」 「はいっ!?」 待ってくれ、オレいったい何を言っている? 「え、あ、う、お、い……あ、あのそういうのは、ちゃんと責任を取れる年齢になってからじゃないと……」 お前も何を言っている。だれが悪ノリしろと言った。 「あ、そういう意味じゃないよね、ちゃんと教えろってことだよね、やだなぁ啓輔のばかぁ」 うん、今回ばっかりはそうかもしれない。 先ほどのなんとも言えない空気からは想像も出来ないほどの張り詰めた空気。 オレと元樹、それにお隣の老夫婦(オレがシロートと知ると丁寧に教えてくれたいい人たちでもある)が固唾を飲んで風花を見守っている。 現在、第十フレーム、すなわち最終フレーム。 風花は今までなんとノーミスで来て、しかもここで三投出来れば200越えというおまけつきだ。否応なく緊張が高まる。ちなみにオレのスコアは気にするな。 「――いきます」 凛とした声が、雑音に支配されたボウリング場に響く。 球を左手で持ち、構える。四歩でアプローチ(ファールライン手前までの、投球するゾーンのこと)を駆け、放つ。球は綺麗な直線を描き、一番ピンと二番ピンの間に当たる。ガランガランッ!! と派手な音を立ててピンは倒れていく。 ストライクか!? オレは思わず腰を浮かせて備え付けのテレビを見た(投球した直後はピンデッキ――レーンの一番奥に立っている、ピンが立っているエリアのことを――映している)。くそう、二本も残ってるじゃないか。 「4-7ピンか。……風花、いつものようにね」 元樹は相変わらずの無表情で言ってのける。イツモノヨウニ、緊張した今の空間ではそれが一番難しい。 「うん」 だが、風花は笑顔でうなずいた。この緊張も、オレたちの期待をも力に変えるというのか。だとしたら、たいした根性の持ち主だ。 ゴロゴロ……。球が帰ってきた。第二投目だ。 利き手である左手を胸に当てて深呼吸。オレはそれを固唾を呑んで見守るだけ。なんと歯がゆいことだろうか。隣の元樹を見てみるが、やっぱり無表情。緊張というものを知らんのかコイツは。しかし、隣の高校生連中、やかましい。今までは無視していたが、この場の空気にそぐわない。ちょっと空気を読んで大人しくしてもらいところだ。 「でも、僕らも騒いだからお相子」 「お前、人の思考を読むな」 「視線を追えば分かること」 なってこったい。 「それよりも今は風花を見守ろう」 ロジャ。オレは無言でうなずく。 風花は再び球を持つ、肩の力を抜いて――目を疑う。 ガゴン!! と派手な音を立て、球がオレたちのレーンに入ってきた。その球はよろよろと頼りない動きでガターにはまり、奥へと転がっていった。バーが降りてきて、残った二本のピンをなぎ倒していく。 ――なにがおこったんだ? 風花は球を投げていない。現に持ったままだ。ならどこから来た? 親切な老夫婦は風花の投球を見守ってボウラーズベンチにいるので球を持っていない、すなわちシロだ。じゃあ逆隣はどうだ? オレは視線を移した。 隣の高校生連中はなんだかとても慌てている。 ――ああ、そういうことか。 馬鹿なオレでもそんな態度を取られたら分かっちゃうよ。 頭の奥底で何かが壊れる音がした。 「こぉんのやろぉおおおおおおお!!」 それは手本のように美しいドロップキックだった。 啓輔の身体が宙に浮かび上がり、綺麗にそろえられた両足が、隣の男子高校生(名前が分からないので便宜上Aさん)の胸板を強打した。Aさんは受け身をとる間もなく、仰向けに倒れた。大丈夫、気絶はしていない。 隣の高校生が間違って自分のレーンに球を投げ入れてしまったことを理解したとき、風花はとても怒った。カチンときた。電話帳の二、三冊くらい余裕で破り捨てれるくらい頭にきた。 だがそれは啓輔のドロップキックのおかげで一気に冷めた。 今は怒っているというより滅茶苦茶焦っている。どうしようどうしよう。とめなくちゃ、でも啓輔の目がおかしい。とてもおかしい。常人の目じゃない。 「うらぁああああああああああ!!」 啓輔の右ストレートが、隣の男子高校生Bさん(便宜上)の頬を打った。Bさんも後ろに倒れ、仰向けになる。他の男子高校生が状況に順応していき、啓輔を敵と認める。 ――とても良くない状況じゃないかしら。 風花はとりあえず、球を置いて元樹のもとに駆け寄った。 そして乱闘が始まった。 「元樹、止めて」 「無理」 あっさりと言う。 「だから鈴村を呼ぼう」 懐から携帯電話を取り出すとすぐに電話をかける。ひとまず胸を撫で下ろした。 「お客様!!」 隣の老夫婦が呼んだんだろう、店員が慌ててやってきた。が、この事態を収められる能力はないと判断する。所詮バイトだ。つまらない怪我なんてしたくないだろう。 「呼んだよ。あとはこちらに飛び火しないように――」 続きは「避難しよう」だ。だがその続きは言えなかった。隣の男子高校生Cさん(便宜上)が、二人に向けて球(15ポンド、約6.8キログラム)を投げつけてきたのだ。反射的に風花は目をきつく瞑った。 バシ! ガン!! 手で球を叩き落とす音、そしてそれが落ちる音。庇ってくれたのは元樹? 「……いい度胸だ」 ――とても、とてもよくない状況ね。 元樹の目を見て風花は思った。 「僕の姉さんになにをする!!」 ――もう誰でもいいから助けてください。 風花は心の奥底から願った。それと裏腹に元樹は男子高校生Cさんに襲い掛かった。眉と眉の間、眉間のド真ん中を狙って拳が伸びていく。が、Cさんも黙っているわけもなく、それを避け、カウンターで元樹の腹に拳をめり込ませた。元樹はそれをまともに食らい、たまらず膝をついた。ケホケホと咳をしながら殴られた腹を押さえる。この絶好の隙にCさんはさらに拳を振るった。元樹は反射的に身をすくませ、目を閉じた。 だが、拳は来ない。 「――いかんな、喧嘩の最中に隙なんて見せちゃあ」 どこかおどけた声、それと聞きなれない音楽に元樹は目を開けた。目の前には先ほど別れた博がCDラジカセを左手に、緑色の棒状のものを右手でCさんの拳を受け、立っていた。音楽はこのラジカセから流れているようだ。 「天知る、地知る、博知る!!」 腹に響く声で博は高らかに吼えた。緑色の棒状のものを振りかざし、Cさんをあっという間になぎ倒した。 「たけやり?」 博の右手の獲物は、例によって竹を斜めに切り落とした鋭利なものだ。 「ツッコミなど無用、礼をよこせ」 Cさんをぐりぐりと踏みつける博に元樹は呆れたように笑いかけた。 「ありがとう」 「応」 ニヤリと人の悪い笑顔で応え、博は乱闘の中に飛び込んでいった。 「お嬢様、お坊ちゃま!!」 顔面蒼白の鈴村が駆け寄ってきた。 「グガアアアアアアアアアア!!」 啓輔の奇声が響く。完全にブチギレてしまったようだ。その目はまるで肉食獣のようにギラギラと輝いていた。 博は啓輔の影で、こっそり、だが確実に男子高校生Dさんを気絶させていく。 「元樹の手当てを」 「いや、平気」 腹をさすり、元樹は微笑む。いつもの無表情からは想像できないほどのやわらかい笑顔だった。無事を見せるため彼は立ち上がった。 それを見た風花は必死に鈴村に訴えかけた。 「じゃあ、啓輔を止めてっ」 がっくりと元樹はうなだれた。自分よりもあの馬鹿へのいたわり感じたからだ。敗北感と屈辱感が全身を覆う。元樹は思わず膝をついた。 「ほら、やっぱり辛いんじゃない。イスに座って」 風花と鈴村に導かれ、元樹が腰掛けたときすべてが終わった。 「これで仕舞いだな」 博は啓輔の首筋をコンと手刀で叩いた。すると啓輔は冗談みたいに床に崩れ落ちた。 「さて、これからどうする?」 気がついたその場所はオレの知らない場所だった。 「をや?」 ここはどこだろう。真っ白な天井と壁。オレの住まいのボロアパートとは比べてはいけないくらい立派な部屋。高級そうな家具が並んでいる。オレはそこにあるベッドに寝かされていたらしい。 「あ、気がついた?」 オレは上半身だけ起き上がり、入ってきた風花を見た。 「今、啓輔がいる場所はわたしの家です」 よほど不思議そうな顔をしていたんだろうか、風花はほっとした笑顔でオレのとなりに腰掛け、オレがここに来た経緯を説明してくれた。 「お隣の男子高校生と乱闘を始めて、元樹まで参加しちゃって、もうどうしようかと思った」 ガチャリとドアの開く音がして、博がやってきた。 「ようよう、何年ぶりのプッツンだぁ?」 茶化す博にオレはうんざりと答えた。 「たぶん、二年ぶりだ」 オレと博を交互に見てから風花は口を開いた。 「どういうこと?」 「説明しよう」 嬉々として博は言った。ったく、人事だと思いやがって。 「ま、簡単な話だ。樋口啓輔はブチギレると暴れて都合よくそのときの記憶をなくすんだ」 嫌な説明だが事実なので黙る。 「んで、今回はなにが理由でキレたんだ?」 むかつくなぁ。だが世話になりまくっているので逆らえない。ポツリポツリと説明する。それを聞き終えた博はきょとんとオレと風花を見た。そして、笑った。嫌味な笑いじゃない。普段はあまり見せない無邪気な笑顔。 「なんだ、お前……うん。良きかな良きかな」 上機嫌に笑う。 「んじゃ、俺帰るわ」 引き止める間もなく、博は出て行った。 「なんじゃいあいつ」 いつも変だが、今のはいつも以上に変だ。 「どうしたんだろうね?」 ほれみれ、風花も不思議がってる。 こっそりため息。 じっと黙って目を閉じて、自分のしでかしたことを思い出そうとする。だが、頭の中は霧がかかって何も見えない。 久しぶりとはいえ、この暴走・記憶消去癖はなんとならんもんだろうか。オレだけの問題じゃないから困ったもんだ。どうしても近くにいる人を巻き込んでしまう。それが申し訳ない。 「ごめんな」 「え?」 風花はオレを見たがオレはうつむいて風花から目をそらした。 「パーフェクトいけたかもしれなかっただろ」 ああ、そのこと、と口が動いた。 「いいの。また出来るから」 たいした自信だが、同じスコアはもう二度と出せない。 「それにね」 風花は大きく息を吐いて、言葉を紡ごうとして、止める。少しの思案後、いまだに合わせようともしないオレの視線に無理やり合わせた。風花はオレの膝に頭を乗せ、変な格好で見つめ合った。 「ありがとう」 彼女は微笑んだ。 「わたしのために怒ってくれてありがとう」 オレは、何も言えなかった。 たぶん、初めて感謝された。 迷惑をかけるだけのこのオレに。 嬉しい。 嬉しいから、行動で示した。 手を伸ばして、風花の頭をなでる。 彼女はオレの行動に驚いて身体をビクと震わせた。が、すぐにその緊張を解いて、また微笑みかけてくれた。 嬉しい。 きっとこれが幸せ。 だがそんな幸せもドアの開く無粋な音で壊される。 「風花、今日の――」 元樹だった。やつはオレたちを見て硬直。そして―― 「貴様、僕の姉さんに手を出すな!!」 オレばりにブチギレ、殴りかかってきた。 オレはこっそりと口端を上げた。 「黙れこのシスコン!!」 オレもベッドから飛び出して応戦。 ま、これも一つの幸せだよな。 |