邂逅輪廻


誰かのためのおとぎ話
りむる


 ほんの十五分前は平穏な昼休みだった。
 授業という名の束縛から、ささやかな時間の解放。
 ある者は嬉々として弁当の蓋を開け、ある者は鬼気迫る表情で食堂に向かう。またあるものは授業と授業の僅かな休みの間(十分)に購買で購入した弁当を貪る。
 そう、どこにでもある平和な空間だった。
(それなのに何故?)
 オレはどっかの歌詞にでも出そうなそのフレーズを心の中で何度も何度も繰り返した。
(それなのに何故?)
 ――どんがらがっしゃんっ!!
「ちっ! 生意気な真似しやがって!!」
 彼女は憎々しげな表情で舌打ちした。きっと小さいお子さんが見たら泣き出すだろう。
 机が飛んで、盾にしていた教壇にあたって、相打ち。机の脚は無様に折れ曲がり、板のほうは木っ端微塵。教壇も木っ端微塵だった。
 ――がっっしゃん!!
「当たり前だ! あんなん当たったら死ぬ!」
 椅子が飛んで、彼女が避けて、黒板にぶち当たる。幸いながら破壊はされていない。まあ、無事とは言い難いが。
「こんくらいで死ぬか! てゆーか死ね!!」
(矛盾してる)
 が、つっこむ勇気はもちろんない。
 言葉と同時にやはり机が飛んで行く。
「お前さん、言葉も行動も無茶苦茶だ!!」
 心の底から同意しよう。だが身の危険を感じるので大人しくしている。


 みなさん、始めまして、こんにちは。現在乱闘中のその現場、一年六組に在籍している樋口啓輔です。
 暴れている二人は真に残念なことにオレの知り合いです。
 机を蹴り飛ばし、教壇もろとも木っ端微塵に破壊した彼女は結城夏子、一年八組在籍です。ちなみに彼女が物を壊さなかった日は記憶にありません。
 次に、椅子を投げて応戦している野郎は一年一組在籍の麻生博です。残念なことに彼とは小学校入学時からの悪友です。
 ちなみにオレを含む六組の生徒は逃げ出すか、教室の隅に結界(机のバリケード)を張って避難しています。


「人のクラスに来て、いきなり机を蹴り飛ばすなんてどいうこった!」
(お前のクラスじゃない、オレのクラスだ)
 博は倒れた机の脚に足を掛け、左手を腰に当て、右腕を伸ばし、さらに人差し指をぴっと天に向かって指した。
「テーン!」
 そしてゆっくり腕を下ろして夏子を指した。
「ジョイン!!」
(意味が分からない)
 しかもなかなか様になっているのが馬鹿らしい。この状況でポーズを決めてどうすると言うのか。博と言う男はこういう細かいことにこだわるのだ。
「あたしが何で怒ってるか分かんないの!?」
 同時に机が蹴り飛ばされた。
(危険です、夏子さん)
 まるでサッカーの試合のボールのように、机は真っ直ぐにオレたち目指して飛んできた。しかし幸いなことに結界がある。そしてその前には博がいる。ポーズを決めて悦に浸っている。
(阿呆だ)
 しかも尋常ではない。
 クラスメイトもきっと同意してくれたに違いない。博は顔面で机を受け止めてスローモーションで倒れていった。
 なんと堅牢なゴールキーパだろうか。君の犠牲は忘れない。
 夏子は倒れた博につかつかと歩み寄ると、腰辺りに右つま先を入れ、蹴り上げた。
「おお!!」
 女子高生とは思えない技に結界内の生徒は歓声をあげた。博は赤い液体を鼻から撒き散らしながら天井にぶち当たり、落下。床に激突するかと思われたが、夏子は器用に博の襟首を取り、締め上げた。
「さあ、出しなさい」
(出す?)
 ギャラリーの疑問を無視して夏子は更に博を締め上げる。
「へへっ……パラダイスは俺のモンだぜぃ……」
 不可解極まりない発言をすると博は不敵に笑った。
 遠目からでも夏子のこめかみに青筋が浮んでいるがよぉく分かった。
「さて、みなさん。そろそろ潮時です。避難願います」
 黒ぶち眼鏡の学級委員長がパンパンと手を叩き、小声で促した。好奇心で状況を楽しんでいた生徒(オレは含まない。学級委員長に関係者として居残りを命じられたのだ)はいそいそと荷物(この場合は弁当と次の時間の体育のためのジャージ)をまとめ、逃げ出した。
 もちろん、オレも例に漏れずに逃げ出した。弁当は買いに行く前に乱闘が起きたので無い。だから荷物はジャージだけだ。こんな状況でも次の授業のことを考える学級委員長は偉大だ。
 オレと学級委員長は全員が逃げ出したことを確認すると、安心して六組から離れた。
 そこで爆音のように響く夏子の怒鳴り声。
「こんの、しゃかりきコロンブス! 夢の島でも探しやがれっ!!」
 ――がっっしゃーん!!
 ここでようやくガラスが割れたようだ。てことはあれだ、博が外に飛ばされたってことだ。
「Noooooooooo!!」
 しかし今時「パラダイス銀河」かよ。古いな、夏子。



 過去のことは振り返らない。この場合は現実逃避も伴う。
 オレは委員長と別れ、昼飯もとめて彷徨っていた。教室に財布を置いてきてしまったのだ。何たるミス。実に致命的なミスだった。
 なので知り合いのいるクラスに向かう。
 ターゲットは三組。
 知り合いはなんと金持ちの坊ちゃんだ。
「よし」
 気合を入れて三組に乗り込む。
 やつの席は窓側の前から三つ目だ。六組とは違って至って平和な教室に感動すら覚えつつ目的の人物の前に立った。そいつは食事をしつつ、読書に励んでいる。どちらかが疎かになりそうなことをやらかしている。
 秒針が時を刻むような音がするが、今は無視をする。
「よぉ、弁当分けてくれ」
 なかなか失礼な挨拶だ。だが、相手はもっと失礼に対応してくれた。
「………………」
 一瞥して無視。
 まるで「本のほうが大事ですよ」と言わんばかりの態度だった(実際聞いたら本のほうが大事だと答えそうだ)。
「お前には人の心がないのか! 赤い血は流れていないのか!!」
 オレの悲痛な叫びを目の前の人物は爽やかに無視し続けた。
 ついでに「ちっくたっく」と言う秒針が時を刻むような音を無視し続ける。
「……あなたには、礼儀というものが無いのかしら?」
 目的の人物の隣の席でメトロノームを真剣に眺めている少女が口を開いた。
 くそう、今まで無視していたというのに。

 オレを無視しまくっている男は桐生元樹、一年三組に在籍。そしてこの上なく真剣な目でメトロノームを眺めている少女は飯田麻美。一年九組に在籍している。不可解な言動が主体なのであまり関わりたくない。

「礼儀では腹は膨れない。だからその弁当を分けてくれ」
 オレは元樹に頼み込んだ。
 しかし、元樹はオレの存在を無視して読書に励む。左手で器用に箸を操り弁当箱のおかずをつかむ。それを躊躇なく口に放り込み咀嚼。
 ああ完全無視ですよ、お客さん。
「……君を空までつれて行く」
「は?」
 メトロノームから視線を外し、麻美はオレを見つめた。そのどんよりとした瞳が恐ろしいのです。オレには混沌が渦巻いているように見えるんです。
「……ヒント」
 ヒントってなぞなぞかなんかかよ。
「……ここにいたって昼食にはありつけないわよ」
 笑顔で残酷な言葉を吐く。しかもそれが不気味でたまらない。三十秒以上見つめられると呪い殺されそうだ。
「……死にたい?」
 人の考えを読むのはやめてほしい。
 首をかしげて、笑顔。ただし目がちっとも笑っていないことを付け加えておこう。
「麻美って、すごいね」
 ようやく元樹が口を開いた。
 人の考えを読む能力のことか、それとも冗談に等しい中傷誹謗で相手を死に至らしめようとするその思想か、少し悩んだ。
「僕がおかずを三品食べている間に食べ終わっている」
 …………そうですか。
 当の麻美はニコぉと微笑んでメトロノームのテンポを遅めた。
 ちっく、……たっく。
「……他をあたる」
 どっと疲れたオレは彼らに背を向けた。
「賢明だね」
 ようやくオレを認識しやがったなコンチクショウ。
 別れのBGMは「ドナドナ」。歌っているのは麻美。テンポが遅すぎるのでより気が滅入った。
(空でも何でも行きますよ)
 自棄になって心の中で毒づいた。



 三組を出て、廊下を歩く。
 空。
 空といえば雲。飛行機。気球。打ち上げ花火。蚊取り線香。そりゃ違う。
『君を空までつれて行く』
 博から借りたゲームのフレーズと一緒だ。まさかゲームの内容通りに空を目指せというのだろうか。
 オレはどうしようもない思考と停止させると、深くため息をついた。それにつられたのか腹の虫が鳴いた。あまりに素晴らしい音なので周りの生徒がびっくりしてオレを見た。
 お前らよりもオレのうほうがびっくりだ。
 泣きそうになりならが歩く。
 しかし、空ねぇ……。
 空腹で鳴いている腹を撫でながら考える。
 この学校で空に一番近いところ。
(屋上)
「いいんだろうか、こんな単純なモンで」
 小声で呟くと、屋上に向かって歩き始めた。

 一年生の教室は四階である。
 そして我が校は四階建てである。
 すなわち、一年生がもっとも屋上に近いということになる。
 当然ながら屋上への扉は常に施錠されている。
 安全のためと言う理由もあるが、サボり場所を少しでも減らそうとする教師たちの苦肉の策が理由の大半を占めている。
 だが、その策は今年で無意味となった。
 鍵を盗むやつが現れたんじゃない。ドアを壊すやつが現れたからだ。それはご想像にお任せする。
 オレは屋上への扉を力任せに押した。ドアノブが無いのだ。壊したやつは引きドアだったときのことを考えていなかったようだ。
幸い押しドアだったので問題無い。
「ふぃ〜」
 空腹でへろへろの身体に鞭を打つかのこの行為。オレが一体何をした。
 ドアの向こうがすぐ屋上という訳にはいかない。小さな階段室のその先が屋上だ。
   階段を登る。外に続くドアがようやく見える。この先が屋上だ。



 風が吹いて、瑞々しい葉が舞った。
(空だ)
「いや、ゲームじゃないんだから」
 一人でボケつっこみ。かなり虚しいものがある。
 しかし、閑散としている。元々自由に行き来出来ないようにしたんだろう、この屋上にはフェンスが無かった。だから鍵が壊されたからといってみんな気軽に来なかった。
「あれ、啓輔ー?」
 誰もいないと思いきや、なんと物好きが一人いた。
「よう」
 ジャージを持ち直して片手を挙げて答えた。
「どうしたのー?」
 屋上の、あと五メートル外側に歩けば落下できる位置(我ながら表現方法がとても悪い)から彼女は声をかけてきた。遠足で使うようなシートをコンクリートの地面に敷き、弁当をバッグから取り出していた。

 この物好きの名は桐生風花。一年七組在籍。苗字で分かるとおり元樹とは血縁だ。もっと言うならば双子の姉である。二卵性なので顔は似ていない。

 オレは風花の元に駆け寄った。
「昼飯を求めて彷徨っていたんだ」
 正直に話すと風花は小さく微笑んだ。
「ここ、滅多に人来ないのに?」
「麻美に変なヒント貰ったからだ」
 麻美? と小首を傾げると、合点がいったのか「ふぅん」と頷いた。
「そーゆー風花はなんでここにいる?」
「お隣のクラスが大変なことになっていたから」
 無邪気な笑顔で言った。六組の隣は七組しかない。ちなみに五組は対角線の先、その隣が四、三、二、一と続いて、教官室を挟んだ向かいが六組となる。五組の向かいは十組だ。
 あれだけ暴れれば相当な音が響いていただろうなと思う。
「なっちゃんでしょう? 朝から機嫌が悪かったもの」
 笑顔のまま彼女は「どうぞ」とシートに誘った。オレは「お邪魔します」と靴を脱ぎ、胡座をかいた。
「原因、知っている?」
 風花は割り箸を二膳手に取った。オレはそれを凝視しながら六組に襲い掛かった惨劇を軽く説明した。
「なるほどねぇ」
 器用に両手で割り箸をくるくると回した。オレの視線に気がついたのか、風花は右手の割り箸をオレに差し出した。
「どうぞ。お詫びと言うことで」
「あ?」
 しっかり受け取って疑問の一声。
「原因はたぶん元樹だから」
 笑顔で弁当――重箱の蓋を開ける風花。運動会でもないのになんでコイツはこんな豪勢な弁当を持ってくるんだろう。金持ちの思考は分からん。
 オレの表情を見て風花は少し困った顔で説明を始めた。
 先週の休日に夏子が桐生宅に泊まりに来たこと。そこで使い捨てカメラで写真を撮りまくっていたこと。最後の一枚をどうしようかと思っていた矢先に――
「なっちゃんが……その、お風呂に入る前に、忘れ物をして……」
 バスタオル一枚で廊下を出たところ、ドアを撮ろうとしていた元樹に激写されたらしい。ドアを撮ろうと思った心理はよく分からない。
「なるほど」
 露出狂なら喜ぶだろうが、生憎夏子は普通の感性なので該当しない。
「なんでそんなもん現像したんだよ」
 オレの疑問に風花は割り箸を割りながら答える。
「他の写真は欲しかったの」
 乙女の心理はいかなるものか、なんて考えながらオレも割り箸を割る。
「どうしてそれが博くんの手に渡ったのかしら?」
「さぁ?」
 正直過ぎ去ったことよりも今この目の前の弁当のほうが大事だ。
「いただきます」
 両手を合わせてからがっつく。
「どうせ一人では食べきれないから沢山食べてね」
 若干うんざりした表情で言った。まあ、風花一人じゃ全部は無理だろう。
「これって元樹の分も入ってるんじゃないのか?」
「うん。だけど、麻美がお弁当作ってきたから、ね?」
 何が「ね?」なんだ? 疑問に思ったが、次の授業のことを考えて栄養を取る。
「啓輔って、鈍感」
「あ?」
「いいの。気にしないで」
 微笑んで風花はようやく弁当に手をつけた。
 ?
 ま、いいかぁ。

 オレ達はのんびりと談笑しながら昼食をとった。
 時折吹く風に身をゆだね、そして弁当箱に入ろうとする埃や小さなゴミと格闘する。
 それが楽しい。
 きっと遠足とか運動会のときの弁当を思い出したからだ。
「こんなふうに毎日楽しかったら良いね」
 風に髪をなびかせて、彼女は言った。
 その言葉に、頷きかけて、はと今日の惨事を思い出した。
 宙を舞う机と椅子。木っ端微塵の教壇。無様にひしゃげた机の残骸。修羅にも負けない形相の夏子。血まみれの顔で不敵に笑う博。人を人として見ない元樹。ストレートに物を言わない麻美。
 ここに至るまで数々の難関が待ち受けていた。
 オレは眉間にしわを寄せて言った。
「オレはもっと気軽に過ごしたい」
 その答えに風花は黙って微笑んだ。






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