邂逅輪廻



「……痛ぅ」

 頭部と腹部に走る鈍痛で、俺は目を覚ました。辺りは薄暗く、眼を凝らさなければよく見えない。

 窓が無いためか、非常に湿気が高く、ジメジメしている。

 壁や床は、無骨な石造り。ちなみにベッドやトイレもない。

 と、言うことはだ……いや、口に出したくも無いので止めとこう。とりあえず一言、臭い。

 どうやら、あの無表情メイドに気絶させられた後、牢屋か何かに入れられたらしい。

 体を起こしたときに首やら腰が妙に凝ってたのは、こんな所に寝かされていたからだろう。

 ……頭にたんこぶが出来ているのは、きっと誰かが俺を此処に投げ入れたからだろうな。俺は物かっての。

「ま、それはそれとして。これって、勝手に出ろってことか?」

 痛みを訴える頭をさすりつつ、俺は前方に眼を遣った。

 目に映るのは、横に伸びた廊下と、今俺のいる部屋と同じような造りの部屋が二つ。

 視界を遮るものは何も無い。そう、何も無いのだ。普通、こういう部屋にあるであろう鉄格子や、鉄の扉。

 そういったものが、まったく無い。

 これでは、どうぞ出て行って下さいと言っているようなものだろう。

 これは、俺のいる部屋だけでなく、他の部屋も同じらしい。

 だが、その中にいる囚人らしき人物は、何のアクションも起こさず、ただ黙って座っているだけだ。

 確かに、外には看守もいるだろうし、逃げ出したところでまた捕まるだけかもしれない。

 だが、試そうとすらしないのはどういうことか?

 それとも、何もないように見えて実は赤外線などの装置が作動しているのだろうか?

 いや、それでは費用と労力が掛かりすぎる。

 鉄格子などを付けた方がよっぽど安上がりだし、労力も掛からない。

 それに、ただの牢屋にそこまでする必要も無いはずだ。

 じゃあ、これは一体どういうことなのか。

 ま、考えていてもしょうがない。とりあえず行動あるのみだ。

 まさか死ぬような装置は付けちゃいないだろうし。

 俺は、前方へとゆっくり近づいていく。

 ――残り、一メートル

 まだ、手は届かない。一歩、また一歩と距離を詰める。

 ――残り、五十センチ

 伸ばせば、手が届く。あと一歩だけ踏み出し、ゆっくりと手を伸ばし始める。

 ――残り、二十センチ

 そろそろ、手が届く。まだ伸びきっていない肘を伸ばしていく。

 ――残り、五センチ

 あと少しで、手が届く。軽く握っていた指を、静かに開いていく。

 ――残り、一センチ

 手が、届く。伸ばした腕、指をさらに、肩を入れて押し出す。

 そして……

「……あれ?」

 思わず、俺は素っ頓狂な声を上げてしまった。

 伸ばした指先が、何の抵抗も無くするりと抜け出てしまったのだ。

 肘の辺りまでさらに差し込んでみても、結果は同じ。何の抵抗も反応も無い。

「どういうことだ?」

 てっきり、何かの仕掛けがあって出られないようになっているんだとばかり思っていたんだが。

 やっぱり、何も無いのか?

 足や頭でも試してみるが、やはり何の反応も無い。

 ちょっと、そこの向かいの人。そんな化け物でも見るような眼で見てくれるなよ。

 俺が一番驚いてるんだから。

「な……お、おい、お前! どうやって外に出た!」

 結局身体ごと外に出てしまった俺が、どうしたものかと悩んでいると、看守らしき大男が血相を変えて駆け寄ってきた。

 しまった、先に逃げときゃ良かった。

「いや、どうやってって、普通に」

 とりあえず、質問に答えてみる。

「馬鹿を言え! 結界が張ってあるんだ、出られるわけが無いだろう!」

 ……全否定だし。ていうか結界?

 何、このオッサン、ファンタジー小説の読みすぎじゃないの?

 うわー、本当にいるんだ、こういう人。

「貴様がいくら高度な魔術師だとしてもここから出ることなど不可能なはずだ!」

 デカイ顔を真っ赤に染めながら、一気に捲くし立てる看守らしきオッサン。

 しっかしよく叫ぶなぁ、この人。

 あ、叫びすぎでゼーゼー言ってる。

 それにしても、今度は魔術師ときたもんだ。本格的だね、こりゃ。

 大丈夫かなぁ、この人。妄想と現実をごっちゃにするのは流石にヤバイと思うんだけど、社会的に。

「あの、ちょっと。結界とか魔術師とか、夢を見るのは結構なんですけどね? 流石に職場にそれを持ち込むのはどうかと思うんですが。もう少し現実を見たほうが良いですよ」

 と、言うことで、少し忠告してみた。

 いや、本当は年上相手にこんなことを言うのは気が引けるんだけど、言っとかないと、俺が妙な魔術師とやらにされそうだし。
 これで持ち直してくれれば良いんだけど。

「おちょくっとるのか貴様!」

 駄目だこりゃ。これじゃあ、火に油を注いだだけだ。

 よっぽどの妄想家だな、このオッサン。

 さて、どうしたものか。

 ……ん? いや待てよ。

 よくよく考えたらこのオッサンはどうでも良いんだよ。まず逃げることが先決だ。

「どうなさいました? 騒がしいですが」

 俺が新たな真理に到達した直後、この場にそぐわない冷静な声が、冷たく湿ったフロアの中に響いてきた。

 声のした方向に眼を遣ると、廊下の先にある階段から、女性が一人、降りてくるところだった。

 例の無表情メイドだ。どうでも良いが、こんなジメジメした汚い場所にメイド服。

 どうしようもなくミスマッチなんだが。

「ジュ、ジュリア様。何故このような所へ?」

 そのメイドの姿を見て、看守のオッサンがいきなり慌てだした。

 道端で天皇陛下とばったり会ったかのような表情だ。

 最近のメイドはどれだけ身分が高いんだよ(様付けだし)?

「お気になさらず。それよりもあなた、どうやって出たのですか?」

 看守に軽く答えておいて、あの無表情メイドが僅かに驚いた顔をして俺に尋ねてきた。

 へぇ、このメイドでも表情は変わるんだな……じゃなくてちょっと待て。

 まさかアンタも同じなのか? アンタもあの、

「結界はどうなされました?」

「っだぁぁあああ! やっぱりかい!」

 我知らず、俺は絶叫していた。

 何なんだここは。もしかして皆が皆、妄想に取り付かれてたりするのか?

 そういえば、あの向かいの人も、俺のことを妙な眼で見てたな。

 まさか、あの連中も此処には結界ってのがあって、それで出られないとかいう妄想をしてたりするのか?

 そういえば姫とか言ってたし、ここってもしかして、そういうプレイの店だったりする?

 いや、そうだとして、何で俺はそんな店にいるんだ。

「どうか、なさいましたか?」

 いきなり叫んだ後に、これまたいきなり黙りこくった俺を不審に思ったのか、メイドが声を掛けてきた。

 もう、元の無表情に戻っている。

 この辺りは流石、プロのメイドといったところか(意味不明だが)。

「あ、いや。大丈夫、です」

「そうですか、それは安心いたしました」

 全然安心したように見えませんがね。

 むしろどうでも良さそうに見えますけどね。

「で、どうやって出たのですか?」

 いま『で』って言った、『で』って。

 殴られたときも思ったけど、コイツ絶対、素はこんなんじゃねーだろ。

「どうなのですか? 何ならもう一度気絶してもらっ……」

「待てい! 言う。言うから殴んな」

 必死で懇願する俺。我ながら情けないとは思うが、背に腹は代えられない。

 流石にあれをもう一発喰らう気にはなれないのだ。

「チッ……ゴホン、では説明していただきましょうか」

 今絶対『チッ』って言った。何だ、そんなにコイツは俺を殴りたいのか?

 とは言え、言及すると怖そうだったので、そのまま何も言わず、説明を始める。

「だから、普通に出たんだって。歩いて、普通に」

「……」

「コラコラコラコラ、何で指の骨を鳴らす必要がある? 何で足場を確認する必要がある?」

 何で本当のことを言っただけなのに殴られにゃならんのだ。

「次、ふざけたことを言い始めたら問答無用で殴ります」

「だから、本当なんだって! 本当に普通に出られたんだよ! 何なら証明してやろうか?」

 言って、先ほどまで俺のいた部屋の中へ向かう。ここは証拠を見せておくしかないだろう。

「ほら、ほら。どうだよ? 何もしてないだろ?」

 部屋の中と外を行ったり来たりして、何もしていないことを証明してみせる。

 ていうか、こんなこと他の連中でも出来るだろうに、これだから妄想狂は。

「本当に、何もしていませんね」

「だから、最初からそう言ってんだろ!」

 何を言い出すかと思えば、もうそろそろ妄想から離れろよ。

「これは、私では判断のしようがありませんね。ガレオン様を呼びましょう。貴方は係りの者に、彼を応接室へお通しするよう伝えてください」

「は、はい」

 看守にそう告げると、メイドは俺を一瞥し、外へと出て行ってしまった。

 何だ? 判断できないってどういうことだよ。

 応接室って、俺ってば一気に客人にレベルアップ? どうなってんの?

「おい、お前。付いて来い」

 あ、ちょっと、看守のオッサンも、さっさと行くなよ。

 俺は道わかんないんだから。




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