邂逅輪廻



 夢の中で、ずっと彼女は泣いていた。

 声を押し殺し、嗚咽を漏らしながら、ただ、ひたすら。

 あまりにかわいそうだった。あまりに痛々しかった。

 だから、俺は――


  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  


「えっと、その、ここ、は、何処でしょう?」

「……」



 ――非常に困ったことになった。

 事情を詳しく、且つ判り易く説明するのは困難なので割愛させてもらうが、俺は今、見知らぬ女性の部屋にいる。

 何故か? と言う質問は、残念ながら回答拒否させて貰いたい。

 実のところ、俺の方が理由を知りたかったりする訳だし。

 とにかく、俺は今、見知らぬ女性の部屋にいる。

 ちなみに不本意ながら、不法侵入という形で、だ。

 そう、不本意なのだ。

 何しろ気付いたらここにいて、目の前の女性と見つめ合っていた(言葉そのままの意味で)のだから、本意も何もあったもんじゃない。

 で、その女性なのだが、これが凄まじい程の美人だった。

 腰まで伸びた、長く艶やかな銀色の髪に、切れ長の翡翠の瞳。

 整った輪郭の中には、理想的な形で各パーツが配置されており、異常なまでに白い肌と合わせると、良く出来たアンティークドールを思わせた。

 そう、まさにアンティークドール。

 その女性の顔には、一切の感情が浮かんでいなかった。

 完全なる無表情。

 瞬きはするので、生きている事は判るが、それすらしなければ、死んでいるのかと疑うだろう。

 それほどの、無表情。

 突然部屋に現れた俺にすら、何の反応も示さないのだ。

 本を読んでいた眼を俺に向けて、それで、終わり。

 何を言うでもなく、ただ、じっと俺の顔を見続けている。



「……」

「……」

「……」



 この沈黙が、非常につらい。

 こちらが何を言っても無反応。返事を返してくる事もなく、そこから動く事もない。

 ただ、じっと見つめてくるだけ。

 これなら、叫ぶなり何なりしてくれた方がよっぽどマシだった(いや、それはそれで結構困った事になりそうだが)。

 しかもこの部屋、無駄なまでに豪華なのだ。

 学校の教室くらいの広さがあると思われる部屋に(こんな陳腐な例えしか思い浮かばん自分が悲しい)、あからさまに高そうな絵画や壷が置かれており、今彼女が座っている椅子と、その前にあるテーブルも、一目で高価だと判る。

 極めつけは、部屋の一角を占める馬鹿でかいベッドだ。

 ぱっと見、軽く三人分位の広さがあるのではあるまいか。

 更に驚くなかれこのベッド、何と天蓋付きなのだ、天蓋付き。

 あの、映画とかでよく見る、お姫様とかが使ってるようなヤツだ。

 俺のような一般ピープルには一生縁のないような代物(いや、男はまず使わないだろうが)。

 おまけに、目の前の彼女が来ているのも綺麗なドレスだったりして、それが妙に似合ってたりするので、良いとこのお嬢様と言うのは容易に予想が着いた。

 のだが、それが判ったところでどうしようもない。

 俺のような凡人にはこの部屋は居心地が悪すぎるので出来れば早く退散したいのだが、目の前の美人さんは無反応。

 ドアがあるのは判っているのでそこから出れば良いのだが、出たからといって他の家の人に見つかれば大騒ぎになるだろう。

 かといってここにいつまでもいたところで、結果は一緒な訳で、つまり、どうしようもないということだ。



「あの、すいません」

「……」



 再度話しかけても、やはり無反応。

 外人さんのようだし、日本語が通じていないのかとも思ったが、それにしても何らかの反応は返してくれるだろう。

 もしかして新手のいじめか? などと不毛極まりない考えに没頭し始めたところで、部屋の扉をノックする音が聞こえてきた。
 次いで、



「姫、シーツを替えに参りました。入ってもよろしいでしょうか?」



 何ていう台詞が、女性の声で聞こえてくる。

 一瞬、お姫様だったのか、という考えが頭に上ってきたが、直ぐに霧散する。

 そんなこと考えている場合じゃないのだ。やばい、この状況は非常にやばい。

 今俺を見たら、確実に不法侵入者と思われるだろう(実際そうなのだが)。

 とすると、今から入ってくる人が常識的な人間だった場合、間違いなく俺は犯罪者と見られる。

 と言う事は警察かなんかが呼ばれる可能性が高いってことだ。

 いや、ていうか姫って言ってたけど、ここって日本なのか?

 日本語は喋ってたけど(俺が理解できたし)、現在の日本に姫何ていう肩書きを持った人間はいないはずなんだが。

 まあ、趣味で呼ばせてるんなら別だけど、そんな感じには見えないしなあ。

 でも、実は無感情に見えて中々に茶目っ気のある人なのかもしれないし……

 と、俺が現実逃避に走ってる間にも時間は刻々と過ぎていく訳であり、



「……失礼します」



 ついに許可の言葉もないまま、さっきの人が扉を開けて入ってこようとしていたりして、良いのか、と一瞬思うが、さっきの無反応を思い出し、いつもの事なのかと納得し、されど問題は何も解決していない事をゆっくり一秒かけて再確認した辺りで、とうとう扉は完全に開け放たれた次第である。

 その向こうに立っていたのは、



「め、メイドだあ?」



 どこからどう見ても、バッチリメイドさんだった。

 胸元が無意味に強調されてたり、スカートの丈が極端に短かったりということはないが(これは偏見というものだろう)、エプロンドレスを着て、頭にはあのヒラヒラしたヤツも乗っている。

 ただしこちらも、驚くほど無表情だったが(微妙に作られた無表情な感はある)。

 しかしなんだ、この家はもしかして全員こんな無表情なのか?

 その無表情メイドは、俺の姿を一瞥して、特に何を言うでもなく、普通にベッドに近寄ってシーツを取り替え始めた。

 完璧、且つ華麗なまでのスルー。俺の存在など完全にアウトオブ眼中らしい。

 騒がれずに済んだことを喜ぶべきなのか、ある意味学校のイジメよりも酷い無視を憂うべきなのか、どうにも判断が難しいところだ。

 それにしても、このメイドの仕事は恐ろしく速い。

 ものの数十秒で、あの馬鹿でかいベッドのシーツの取替えを完了したメイドに、俺が心の中で割れんばかりの大歓声を送っている間にも、メイドは次々と仕事をこなしていく。

 何も無い空間からいきなりはたきを取り出し一つウン百万はするような壷や絵画を無造作にずらしたり退けたりして、たまった埃をはたいていく――どうでも良いが、貧乏人の俺はその間、ずっとハラハラしていたりする――その間僅か二分足らず。

 物凄い早業であった。

 無論、作業中もずっと無表情のままである。

 さて、そのような、滅多に見れないメイドの匠の業に、唸りを上げる俺であったわけだが、この時俺は、自分がどういう立場の人間であったのかを綺麗さっぱり忘れてしまっていた。故に、



「失礼。此処はアイリッシュ様の私室でございます。見たところ、アイリッシュ様のお知り合いの方ではない様子。出来れば速やかにお立ち去り下さりやが……お立ち去り下さいませ」

「……は?」



 と、明らかにおかしな部分のあったメイドの台詞にろくなツッコミを入れることすら出来ず、間抜けな返事を返すだけに留まってしまった訳だ。

 これがいけなかった。



「あ、はい。では速やかに立ち去り下さりやがります」



 などと、素敵な切り返しを繰り出してそのまま部屋を出て行けば、もしかしたら最悪の状況は避けられたかもしれない。

 だがもう、後の祭り。

 先ほど俺の吐いた台詞、「は?」は、それこそどこぞの不良が、気の弱い学生やサラリーマンのオッサンに絡むときの常套文句だ。

 無論、俺の台詞はそれらのものとはニュアンスが違うのだが、そんなことはこのメイドには関係が無いらしい。



「ほう、立ち去るつもりは無いと。良い度胸です。ですがそれならば、残念ながら実力行使に出なくてはなりません」



 相変わらずの無表情で、指をポキポキと鳴らすメイド。

 ああ、これは本気の眼だ。今の俺はさながら、死刑の宣告を受ける被告人ってところだろうか。

 と、そんなことを考えているうちにも、メイドは恐ろしい速さで間合いを詰めてくる。

 一流ボクサーもかくやと言うような踏み込みの速度だ。

 そこから繰り出される拳打も、等しく常人のレベルを遥かに超えている。

 凡人の俺に、その一撃を避けられるほどのスキルがあるはずも無く、腹部に鈍い衝撃が走るとともに、意識がだんだん遠のいていく。

 ああ、そういえば、あの美人さん、最後まで無表情のまんまだったなぁ。





 と、そうそう。意識を失う前に自己紹介を済ませておこう。

 ――俺の名前は真田智成(さなだともなり)。日本で普通に高校生をやっていたはずなのだが、果たして今のこの状況はなんなのか? もし神って奴いるのならば、首根っこひっ捕まえて小一時間ほど問――




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