――残り七名。 そう書かれているのは壁に照らされるモニタだ。 派手な盛装に身を包み、老若男女がワイングラスを片手に交流を深めている。 このゲームには、いくつかの意味があった。 一つはゲームに参加し、聖杯を手に入れること。 貴重な品物を手に入れようとするのは普通だ。 だが、それだけではこんな人数は集まらない。 エドワードの招待状は、コレクターだけに送られた物ではなかった。 富豪、富豪、富豪富豪富豪。 とにかく金持ちには送りつけていたらしい。 全ての者が集まったわけでは無いが、それなりに豪華なパーティーとなっている。 そして集められた だが、富豪たち側からしてみれば、ゲームなど余興に過ぎない。 最大の目的は、交流だ。 どこのパーティーでも同じことだ。祝いの席で酒を交わし、名刺を交換してパイプラインを繋いでゆく。 九条 清は、あまりこういったものは好きではない。 コレクターの集まりなのならば、面白い話でも聞けると思ったのだが、やはりいつもと変わらぬ馴れ合いでそろそろ嫌気が差してきた。 ……彼らは、無事でしょうか。 九条の依頼を受けた青年、不死御 遠華は腕利きだ。グラスが割られた場合は、その依頼人に連絡が来る。それがまだ無いということは、奮闘してくれているようだ。 ……お礼も、少し上乗せしましょうか。 冗談半分真剣半分のゲームだったのだが、勝利が近づくとなると胸は躍る。二千万や三千万程度で、聖杯というモノが買えるのならば安い買い物だ。 九条は吐息をつく。 そろそろゲームが終わりに近づいたその時、 「――――!?」 こんなパーティーに、来なければ良かった、と。誰も彼もがそう思うことになった。 くだらない、とてもくだらない本当のパーティーが、始まったのだ。 最初のアクションは、照明が落ちたこと。 一瞬のざわめきが辺りを包むが、 「はぁい、皆様〜」 「本日……といっても日付変わってるけど、宴はどうだった〜?」 誰も立っていなかったステージに、二人の少女が立ったことで落ち着いた。 ……ああ、終わったんですか。 「ここでビッグニュースで〜す!」 立て巻きロールの少女、キャステルが嬉しそうに小指を立て握ったマイクに声を吹き込む。 そして 「このゲームで勝ち残った者に与えられる聖遺物……聖杯」 芝居がかったキャステルの声は焦らすような感じがする。続いてポリュデが、 「それを獲得した者が 一息のためがあり、 「――そんなものは、あ・り・ま・せ・ん♪」 伝えられたのは、とてもとても、不相応で、意図していなかったものだった。 「……は?」 理解できず、疑問符を浮かべたのはコレクターだけではない。ここにいる殆どの人間だ。 思わず九条も声を上げてしまった。この少女たちは何と言ったのか。 聖杯が、聖杯が、聖杯がソンザイシナイ――? 瞬間、いくつもの感情が爆発した。 「――――!!」 二人の少女に罵声降りかかる。 九条は皆と違い声を上げることなく、ただ呆然としていた。 ……そんな。 九条がコレクターとなったのはほんの十年ほど前。 特に趣味も無く、親の言われるがまま過ごして二十年。彼女はその両親が事故死し若き社長となった。 そして、女ではなく社長として数年を過ごしたある日、ソレと彼女は出会った。 永い時を経て偶然己の掌に納まった、古い絵画。 それは約百年前のもので、価値はそう高いものではなかったが九条にはそれで十分だった。 時を生き抜いてきたモノ、人に作られしかし人よりも世界を見続けてきたモノ。 いつしか、それを集めるようになっていた。 ……そんな。 それを、ぶち壊された気がして。 「――――」 性格穏やかな九条でさえも声を放とうとしたその時、彼女は見た。 怒りで興奮したガタイのいい男性が、ステージに上って二人の少女へ詰め寄ったのを。 その男性は顔を真っ赤にし、少女へと掴みかかろうとしたが、 「もう、騒がないで下さいよぉ。その代わりお土産をあげますから――」 片方が言い、もう片方が続く。 「――獣に喰われるという、貴重な体験を」 どさり、と。男性は少女の前にひれ伏した。否、倒れこんだ。 だが、それにはおかしなところがあった。 上半身が、なくなっていたのだ。 今度こそ、理解できなかった。 だがその膠着をぶち破ったのは、 「ばいばい、 壁にかかっている幕、大きな扉の向こう、シャンデリアの上、ホールを見渡せるテラス―― 「皆様それではさようなら〜♪」 「地獄に逝ってもお元気で〜♪」 それら全てから、黒の塊が溢れ出してきた。 「…………!!」 きゃ、とも、ぎゃ、とも取れる声が響き渡り、遅れて今の状況を理解した人々が動き出す。 現れたのは漆黒の獣だ。体の端々にパイプなどの機械類を覗かせ、天然の牙を剥いて現れた。 獣は人々に飛び掛り、喰らいつく。 「そ、んな」 九条は呆然と殺戮を見届けるしかなかった。 そしてその獣たちは詰め寄り、ついには九条へと鉤爪を振り上げ、 「――日陰署刑事部特殊課、群上 習人が相手になるっス!!」 変な語尾をした青年が、その獣を横合いから手に持ったスーツケースで殴り飛ばした。 ケースの中からガラスの破砕音が、獣の口からは悲鳴がそれぞれ響き渡る。 「あ……」 呆然としていた九条ははっとし、停止していた意識を動かす。この奇妙な状況は理解できないが、 「ありが……あ、れ?」 何よりも先に青年に感謝が言いたかった。 だが九条が礼を言うよりも早く、青年は止まることなく他の獣へと疾走してしまっていた。 取り残された感謝の声は、 「――っ!」 噛み殺してやった。 獣は止まらない。抵抗しているのはあの青年だけ。他は混乱混乱大混乱。 だからまず、九条は駆けることにした。 とりあえずそうしていれば、自分のやるべきことも見つかるだろうから。 甲板は夜の帳に覆われ、灯りは淡い赤色の月光だけだ。 規則正しく並べられたコンテナや炎上する管制塔、点々と配置された内部への出入り口がある。 コンテナは日陰市の廃港を連想させ、前回ヴラドクを斃したことを思い出す。 だが、ヴラドクは生きていた。 遠華はただ事態が飲み込めず、舌打ちをする。 「……血だ、血だ血だ血液血肉全てを捧げろ!」 ヴラドクの放った咆哮、それに呼応するかのように左右から黒い影が飛び出してきた。 それは、獣。 狼が一回りか二回りほど大きくなったソレは、唾液を垂らして飛び掛ってくる。 だがその速度はそう速くない。身震いし、助走をつけるようにだんだんと歩き、走り出す。 その間に遠華は抱えている希望を、彼女に被せた上着ごと横合いへ投げ飛ばす。それに気づいた言葉が、 「コトハ、ちょっと預かってろ!」 「女の子に乱暴だめなんだからっ!!」 言いつつも見事にキャッチする。愉喜笑はこの非常事態に動けないようで、止麻も呆然としている。 今ヴラドクと対等に戦えるのはおそらく自分しかいない。言葉との連携も考えはしたがヴラドクの戦闘能力の情報はまだ穴だらけで、なにより危険すぎる。なら素直に船内に送り込んだ方が良い。 遠華は思考し、決めた。コイツは一対一で斃す、と。 だがその前に一太刀。今や高速となって接近する牙を、迅速の一刀にて迎撃する。 左に収めた鞘から一息で白刃が射出された。左から右への横薙ぎ、胴だ。 本来なら攻撃後の正面が無防備とされるこの斬りも、抜刀一太刀で片せばその心配も必要ない。 ばつん、と何かを無理矢理断ち切る嫌な音が鳴り、二匹の獣は前足を両断されたことで鉄の地面へ折り重なるように墜落した。 「は、動物虐た――」 軽口など、叩くのではなかった。 遠華は己の腹部に拳が打ち込まれ、つま先が宙に浮いたことを知った。途端、全身を激痛が襲う。 そうだ、先ほど思ったではないか。胴は、正面をおろそかにする、と。 苦笑する。遠華は己の油断に舌打ちをしようとするが、それが出来ない。 肺の空気が無理矢理押し出され、呼吸が出来ないのだ。 ……まぁ、正面ってのは脳天のことなんだけどさ。 ならばその前に受け身を取り転倒を防ぐ。転べば、次の瞬間には頭部を踏み砕かれるからだ。 体勢を直し顔を上げれば数メートル先に笑みを浮かべる生身のヴラドクがいる。 「!?」 と、どこからか掠れた声が聞こえてきた。 遠い場所で金切り声に似た甲高く耳障りな音は、まさしく人の悲鳴。 それも、船内から。 「感動の再開に挨拶も無しか?」 「……おい、船ん中で何が起こってる」 地についた片膝を上げ、鋭い眼光で睨みつける。 だがヴラドクは口を三日月に曲げて声を漏らした。笑いという声を。 「今の獣はオレだ」 言っている意味が分からない。 遠華の疑問は、しかし直ぐに解消された。 「エドワードとかいう男の話では、オレの戦闘思考をコピーしてそこの獣達に組み込んだそうだ。つまりそこに転がっているヤツも、今船内で暴れまわってるヤツも、オレだ」 見れば、先ほどの獣の一匹がもう一匹の獣の、 「血を、吸ってる……」 背後から言葉の震える声がした。 彼女は目を逸らし、愉喜笑と止麻は絶句しているようだった。希望の意識が無くて幸いだ。 ……こんなモノを見せられはしないからな。 とぎれた前足から流れる己の血すらぺちゃぺちゃと音を立てて啜っている。 遠華自身が両断した前足だが、身勝手にも気味が悪いと思ってしまった。 ――ふと、血に濡れた己の両手が浮かぶ。 「……っ」 頭を振って雑念を取り払う。何よりしなければいけない事がある。 「言葉、愉喜笑さんと一緒に船内へ。乗船客の安全を頼む。猿……いや止麻、協力してくれ」 「ったりめーだ!!」 なんと止麻は愉喜笑をひょいと抱え、船内へと急ぐ。言葉は希望を抱いて止麻の後に続いていた。 船内にはゲーム参加者の屈強な人間もいる。それらと連携をとれば獣を撃退できるかもしれない。遠華自身もそれに当たりたいが、 「さぁ、戦おう啜り合おう殺し合おう!!」 このバケモノを倒さねば前には進めない。 視界ギリギリの端、船の手すりに腰掛ける二つの影を遠華は睨みつける。 溢流とソフィは傍観を決め込んでいるようだった。 薄い笑みをもって。 右から来たわき腹への重い衝撃に、習人の身が弾き飛ばされる。 だがその寸前、習人の右手は獣の頭を掴んでいた。それは一瞬のことだったが、 「クソ……何だってんスか!!」 数秒送れて、獣は白目を剥いて頭から倒れこんだ。 先ほどの接触で、習人が適当に血管をぶっちぎっていたのだ。 通路に響く乗船客の悲鳴と獣の鳴き声が、習人の聴覚を刺激する。 双子少女によって気絶させられた習人は、寸前に魔術で昏倒時間を短縮していた。恐らく気絶は数分程度だっただろうが、幸いだった。あと数分気絶が長ければ、自分は獣に食いつかれていただろうと思うからだ。 習人はもう何匹かの獣を撃退していた。しかし獣は非常に獰猛で動きも素早い。こちらも応戦するが、傷は増える一方だ。先ほどの狼にはこちらの左腕を深く裂かれこともあった。 傷を受ける覚悟で懐に潜り込み、攻撃し、受けた傷は自分で回復する。危険なヒットアンドアウェイだ。 右手には それにしてもこの獣たちはイキナリ現れたらしい。 習人は『若葉の知らせ』から出てくる獣を迎撃しつつ別の大ホールに乗船客を集めはしたが、ホールには入り口などいくらでもある。こうして扉の前を駆けていても、別の所で獣が暴れているかもしれない。 舌打ちする。 「せめてもっと役に立つ魔術が使えたら……!!」 障壁や結界も習人はあつかえるが基本だけで、高等に位置する対物の障壁や結界は使えない。 攻撃に特化した魔術師なら、障壁でなくとも扉前に固定できる攻撃に特化した魔術をおけばいいのだが、やはり習人の得意とするカテゴリとは違っている。 苛立ち、扉の前へ立ち塞がる。ここは死守しなければいけない。 そう思ったその時、 「――酔いが醒めちまった。責任、取ってくれよ?」 目の前にスーツの背中が現れた。とても大きな、背中が。 「酒に飲まれた男が、何を言ってるんスか」 皮肉を放つも口には笑みがあり、少しだけ振り向いた優治朗の口元も笑っている。 「む、酔っ払ったのは本当だが……一応眼を醒ましてからは 「……はは、ちょっと信じられませんけど」 「さぁ行け新入り。中で怪我人の治療でもしててくれ。なんなら奥でガタガタ震えてても全然いいけど、どうだね?」 「わかりましたよ、優さん!」 習人は背後の扉へ飛び込んだ。 習人が扉の向こうへと消えたのを確認すると、優治朗は右腕のカフスを外し肘まで露わにした。 「ふむ、疲れるからあまり使いたくは無いんだが――」 そこには、肘からその根元にかけてビッシリと黒の文字が刻まれていた。 一直線に伸びる通路の先、現れたのは四体の獣だ。全てが黒狼の形をしている。そして、それら全てが標的を見つけ歓喜の呻きとともに牙を剥いた。 優治朗はゆっくりと右腕加速する獣へ向ける。五指を開き、 「――たまにはイイとこ見せなければ、な!!」 何も無い空間を下へ殴りつけた。 直後、破砕と悲鳴が巻き起こる。 前者は獣の肉と骨が砕けるもので、後者はそれから放たれた断末魔だ。優治朗は触れることなく、最前列にいた二匹の獣を上方からひき肉に変えた。 まるで、その掌が巨大化でもして獣を押しつぶしたかのように。 だが獣は怯むことなく加速する。 残り二匹。 「残念だが、君達は助けられない。何故なら僕には、守るべき者がいるのでね」 だがこちらに接触する前に、その全てを同じようにへと叩きつけた。 違うのは、叩きつけられた場所が 優治朗の右腕は、今や振り下ろした状態から振り上げられた状態へと変わっている。 まるで、その掌が巨大化でもして獣を下から穿ったかのように。 触れず、遠距離からの攻撃。 残り零匹。 「まさか“架空系統”まで送り込まれていたのはね。ランク的には中位の下ってトコかな?」 プラス、無数。 T字通路の突き当たり、左右から獣が現れる。 だがその先頭には、異形が。 その黒獅子に鷹の翼が生えていた。ギリシャ神話に登場する それが体当たりをするようにこちらへ駆けてきた。背後にいる数匹の狼も同じく迫る。 だが、 「しかし僕の前では、立つ事も許されないよ」 優治朗が声を放った瞬間、全ての獣の動きが止まった。 先ほどのように押しつぶされるのではなく、その足が廊下に磔にされているかのように。 と、音を立てて獣の足たちが廊下へめり込む。 廊下は少しずつ砕け、足を飲み込んでいった。少しずつ崩壊していく。 その異様な光景を生み出しているのは、優治朗しか存在しない。 彼はすでにカフスを外した左手を獣たちにかざしており、右手は半開きのまま腰横に固定されている。 「―― 優治朗は、声を放った。 現代魔術、単語による簡単な詠唱ではなく、魔術的意味も込めた一文を。 獣たちは動けない。両足の見えぬ磔はそう簡単にとれるものではなく、しかし、 「む?」 先頭のキマイラモドキが、磔を振り切って疾駆してきた。それは留まっていた分を返上するかのような速さだ。 「そこらの獣とは違う、か。だけど――」 先ほど紡がれた術式は、一つの現象を引き起こしていた。 優治朗の右手、そこには半透明の渦巻く塊が現れていたのだ。 それは高等魔術、 その名の通りの効果を発する球を優治朗はキャッチボールでもするかのように、軽く前へ投げた。 「地に溺れるといい」 前には飛びかかろうとするキマイラモドキの顔面が。 だがそれさえも、砕く。 圧は内・外、それに捕らわれない全方位から、その頭蓋を爆砕した。 止まらず重力塊は廊下を砕き粉塵にして、土砂のような飛沫を上げて超高速で廊下を抉り捲りながら磔にされた獣へと直進する。 そして、直撃。 「どうだね、僕が唯一使える魔術の味は……!」 重低の破壊音が粉塵を纏って広がる。 ややあって、砂の霧が晴れた通路は、 「あー……やりすぎ、かな?」 その魔術に耐え切れず、音を立てて倒壊してしまった。 無論、獣など木っ端微塵だ。 「……ん」 突然、希望は眼を醒ました。 場所は広く、大きなホールのようなところらしい。シャンデリアの幾つかが地面に落ちていたり、壁に穴が空いていたりと荒れている。 その中でも一際目立つのは、黒い獣たちの死骸だ。 多くが撃ち抜かれていたり打撃による骨折があり、それを見ている希望は軽い吐き気に襲われた。 彼女は壁にもたれかかるように安置されており、見れば周りには同じように老若男女が寝かされている。だが全員どこかしら傷を負っていた。 自分は無傷だ。そして何故こんなにも怪我人が多いのかと。それに自分は眠らされてしまいどうなったのかと。 ……なんですか、これ? 希望の両手には黒い鉄製の手錠が嵌められていた。結構な重みがある。 だが、遠くに言葉と愉喜笑が見えたことから、監禁などをされているわけではないらしい。 ……でも、重いです。 そう思ったところで、 「――――」 身体小さな震えを持っていることに気づく。そうだ、自分はこれで目が覚めたのだ、と。 と、希望は立ち上がる。幸い怪我をしている訳ではない。 だから そうして駆け出した。 向かう先も理由も、自分でも理解不能だ。ただ、行かなければならないのだという意思だけが身体に命令を与えているようで。まるで、自分でない何かが自分に命令しているようで。 言葉も愉喜笑も、乗船客の対応で精一杯だったため気づいていないようだ。 両手を繋げる鉄輪に走りにくさを感じながら、希望は走る。 次の瞬間、眼前にはヴラドクの拳が来ていた。 遠華は攻撃を回避しようと、慌てて背後へステップを踏む。 「この身体はなぁ……ヒトの身体じゃないそうだ」 だが、ヴラドクの翼から溢れる陽炎のような熱気は途絶えていない。ステップの距離分は、その陽炎によって無効化され、 「オレが 二度の大加速による拳が遠華の胸にぶち込まれた。 数十メートルという距離を、派手に遠華が吹き飛ぶ。 後ろへ跳んでいたことで衝撃を軽減することはできたが、それでも骨が軋み悲鳴を上げる一撃だ。受け身も取れずに、溢流の佇む手すりとは逆方向の手すりにその背を打ちつけた。 「……!!」 声など出ない。 ヴラドクの背中、肩甲骨辺りに取り付けられているであろう鋼の翼は、鉄板を何枚も重ねてつなげ合わせたようなものであり、下部に横長いスラスターが付いている。 そこから陽炎が噴出し、ヴラドクに爆発的な加速力と破壊力を与えていた。 「……機械仕掛けの翼とは、吸血鬼らしからぬモノじゃねぇか」 「ハ、吸血鬼など血を吸うバケモノで十分だろう? さぁ続けよう不死御ぃ!!」 陽炎とともに滑空するようにヴラドクが接近する。 「テメェは急には止まれないってか?」 軽く両足を振り上げ、振り下ろしの力を使って起き上がる。そのまま抜き身の切っ先を前に刺突の構えを取り、高速接近するヴラドクへと、 「ああ、止まれはしないさぁ!」 だがその翼が閉じた。主を守るように重ねられる。 「!?」 「っは――」 驚きで動けない遠華の眼前に迫った時に、その翼を開く。 刀は無論外側へと弾き飛ばされ、無防備な顎に強烈なアッパーカットが放たれた。 「っづ……!!」 芯に響く衝撃に、 「おい、そのままじゃ海に落ちるぞ!? 魚の餌には、勿体無いからなぁ!!」 追加まで来た。それは弾かれた刀の身を掴まれ、それごと投げ飛ばされて地面に激突したことで生まれたもの。 もう痛みは感じない。あるのは衝撃と、 ……あ――く――。 何も考えられなくなる空白だ。 意識が飛びそうになるが、 「く、そ……っ」 なんとか持ちこたえることが出来た。意識を失ったら確実に死ぬ。 そんな状況まで追い込むヴラドクは、余裕で笑っている。 「糞? そんな言い草はないだろう、わざわざ生き返ってきたというのに!?」 「く……もう一回、死んじまえ!」 刀を支えに立つ。 度重なる打撃で手足はガクガクで、意識はぐちゃぐちゃ。 だが、気になることがあったので遠華は口を開く。それさえも苦痛なのだが。 「……一体どういうつもりだ……ヴラドク。テメェは二度も斃したはずだ」 荒い呼吸を吐息で落ち着かせ、 「一度目は四肢を使用不可能にし、二度目は頭部以外を全損させた。ホントに 対するヴラドクは見せびらかすように翼を広げ、ぐつぐつと嫌悪感を抱かずにはいられない笑いを零す。 「簡単なことだ。“福音”に腕を買われた俺は、時折来る命令通りに事をこなし金を貰っていた。そしてオマエに負けた。だが“福音”は見捨てなかった」 いや、と言い、 「さらに利用しようとした。全身を機械に変え、実験のテストをしたらしい。詳しい話は教えてもらえなんだがなぁ」 自嘲のような笑みを浮かべ、 「そしてまたオマエに斃された。だが“福音”は本当に意地汚いよなぁ、また 「……エドワード、か」 「よぉくご存知で。何の実験化はまた教えてはもらえなかったが、この体は本当に良い」 ヴラドクは己の手を開き、握るという動作を繰り返す。 にぃ、と八重歯をむき出しに笑い、 「人の形は失わず、かつ人を凌駕したこの肉体。……そうだな、その点ではどうせ 断言するようにヴラドクは言う。 だが遠華は答えない。 「そんなこと、教えられるか。……くそ、さっさとケリをつけたい」 「そうかぁ? オレはもっと楽しみたい、ぞ!!」 声の最後、そこでまた陽炎を噴いてこちらへ飛んできた。 そして繰り返す一方的な打撃。 遠華の放つ斬りは、ヴラドクの翼によってすべて阻まれる。 正直言って、状況はあまり宜しくない。 獣は最初の二匹だけだったようだが、その分船内で暴れまわっているのだろう。 遠華が二丁拳銃『オフィユケス』を持ってくれば良かった、と後悔したところに高速の拳が落ちてきた。鉄の地面を易々とぶち抜く暴風の如き荒業に、遠華は成すすべも無く後退する。 ヴラドクはその翼の追加加速・防御力だけではない。 その翼を動かすのは人並みはずれた反応力と思考力だ。身体能力も、遠華と同等それ以上か。 ヴラドクは止まらない。 こちらの後退にも跳躍一つで追い立ててくる。翼が波打ち、更なる加速が生まれ距離は一気に零となる。 急ぎ下から上へと刀身を跳ね上げるが、しかしヴラドクは背の翼で前方を覆いこちらの攻撃を通さない。 本来鉄をも切り裂くであろう『天羽々斬』だが、その翼を越える事が出来ない。切り裂き、傷を与える事ができていない。 つまり、この翼は君主を守る城塞壁。 並みの攻撃ではビクともせず、その内に潜む吸血鬼により迎撃される。 「邪魔――」 と、重ね合わせた翼が突如眼前で開かれた。 スラスターから排出される熱と混ざった爆風がが遠華の身を軽く浮かせる。だがそれが命取りとなる。 ヴラドクは言いかけの事柄すら述べさせないとばかりに、腹部へと打撃を打ち込んだ。ヴラドクの武器は翼だけではない。否、翼は補助にすぎなく本来の武器は肉体だ。その肉体ですら、人以上の速度と硬度に攻撃力が宿っている。 先ほどは衝撃をバックステップで吸収できたが、今度は違う。それにスラスターの加速も加えた零距離打撃だ。 「これじゃあ飽きちまうぞ……!!」 ヴラドクの咆哮とともに、遠華は管制塔であったガレキの山へと突撃した。ガレキは山のように盛り上がっており、飾り付けのように炎が猛っている。 その山の中にぶち込まれた。 衝撃とともに胸部の骨が幾本か砕けたような感覚がある。それに加えて、 「……冗談、だろ?」 本来ガレキ程度で遠華が傷つくことは無いが、今回ばかりは違っていた。 ガレキの山にあるのはコンクリートや鉄の塊だけではない。鋭いソレは、遠華に打撃の衝撃で打ち込まれていた。 つまり、斜めに避けた直径三センチのパイプが、こちらの腹から顔を出していたのだ。 認識したとたん、激痛と熱が遠華を襲った。 久しぶりの激痛に重なる激痛に『右胸』の激痛と、三重苦で遠華は苦痛に顔を歪ませる。 本音を言うと、泣き叫びたい。 「く、そ……ひさしぶりの、苦戦でこれかよ……」 口を開くとガバガバ血が零れだした。 「情けないなあっけないなぁ」 答えるのはヴラドクの狂気のみ。巨大な体躯が、数メートル先で爪先を軽く浮かせ鋼の翼を広げて立っている。 まるで、死神のように。 「血を貰う前にダウンするなよなぁ。それじゃあ、楽しみが減ってしまう」 ……負ける、ってか? これまでの人生で、数えるほどもなかった感情。それがぽつりと浮かんでいた。何度も何度も繰り返してきた戦闘行為で、たった数度の敗北感。 遠華はイラついていた。なにより自分に。 まだ負けたというわけでもないのに、勝手に諦め力を抜いている、そんな自分に。 ……ばか、野郎が。 だが動けない。貫通した鉄のパイプは、常人なら死んでいるであろう深い傷だ。出血は少ないものの、身体の温かさが失われていくのがわかる。 そして。動きたくないがために理由を見つけて、動くことを止めている自分がいる。 ――思い出す。死ぬとわかっていても立ち向かってくる敵と、死ぬとわかっていても突撃する仲間。 馬鹿が。ただの人間だった彼らにアレだけのことができるのなら、 それに負けていいのか。約束したじゃないのか、と。 これだけ意思が命じているのだ。死していない身体が、それに答えぬ道理はない。 だから、不死御 遠華は動く。 「――ぁ」 ぶちぶちと身体が引き裂かれる感覚と痛みを無視してでも。 「ああああああああああ!!!」 ヴラドクが息を呑むのがわかる。 しかし彼もそうしているだけではない。すぐさま瀕死寸前の遠華へと高速の打撃を打ち込むべく、肘を背後へ流し先端の拳を強く握る。スラスターを展開し、加速可能の状態へと移行した。 「は……それだ、それでこそオレの敵だ!!」 生んだ加速と射出された高速は、 「ああああああああああああああああああ!!!!」 慟哭で突き動かされる白刃によって捌かれた。刀身を横殴りに打ち、微細なズレを利用して前へ。 遠華の頬を削り、しかし彼を殺すことなかった。 瀕死の遠華に受け止める力などない。今はただ、拳を躱して懐へ潜り込み、 「……残念だが、そこまでだな!」 眼前で鋼の翼でできたカーテンが閉められた。殻へと篭るように、その絶対防御へと全ての身を隠す。 「ぁ――」 それまでだった。 遠華は己の中身が零れだす感覚を得た。腹の風穴から、ぼたぼたと赤黒い塊が零れだす。 即座にヴラドクは鋼の翼を熱風とともに開き、トドメを与える為に大きく組んだ両手を振りかぶった。 ……ああ。 負けたのか、と思ったその時、 「――――」 とある幻想が、その眼に映し出された。 「――遠華さん!!」 希望が駆けつけたときには、もう地獄は出来上がっていた。 鉄の地面は抉れ、鉄の壁は穿たれ、血の匂いが鼻を突く。 それだけで、希望は意識を失いそうだった。 正直、何のためにここに来たのかは分からない。 ……でも、来てよかった。 そう希望は思っている。 もしものために持ってきた、遠華の 希望は何故この二丁拳銃が部屋に置かれていたのかは知っている。殺傷能力が高いために使わない予定だった。 だが持ってきた。無くてはならないと。まるでこれが しかしもうどうでもいいことだ。今はただ、祈るだけ。 ……勝ってください。 それこそ勝手な願いだというのは知っている。だが、祈らずにはいられない。 ……勝って、一緒に帰りましょう!! それが、この少女の 遠華の右方向、十メートルほどの距離にあった扉が開き、そこから手錠を嵌めた少女が現れたのだ。ヴラドクでさえも、予想外の展開に身を固めた。 「のぞ、み……?」 彼女の名前を口にして、 「……ああ……そう、だ」 遠華は呟き頷く。 希望という少女は、こっちが戦っているというのについて来るのだ。彼女を守る為に戦っているのに、必ずついてきてしまう困った少女なのだ。 そしてそれを、遠華は知っている。 ……だから。 守ってやらなくては、と遠華は思った。 それは彼女のためなどではなく、 ……俺がそう思ったから……アイツに、怪我をさせたくないから。 今度こそ動く。 呼吸が出来なかろうが、腹に穴が開こうが、希望という少女を失うことに比べたら――いや、比べるまでも無い。 だから、勝つ。勝つために戦う。 最大の敵は鋼の翼による壁だ。城塞の如き鉄壁の壁は、しかし壁である以上、 ……果ては在り、越えられないという道理はない。 ならば、どうすればいいか。 ……壁、鋼の翼、機械仕掛け、崩れる、越える、全てを遮断する守り。 そうして見つけた。この壁を越える方法を。 遠華の四肢に力が再度灯り、最後の一撃を可能とする。 だが、 「足りない……」 道具が無い。あの二丁拳銃、圧倒的な火力と閃光と轟音を生み出す兵器が。 ――だがそれさえも、遠華は 「遠華さん、これ……!!」 希望が繋がれた両手で思いっきり投げ飛ばしてきたのは、二丁の黒い長方形だ。 奇跡だった。 いや、世界の理を造りかえるのが魔術であるのなら、これも そんな優しい魔法に感謝の意を表すため勝たねばならない。 ここまで応援してくれる何かがあるのだ。不死御 遠華は、それに答えられないような男ではないのだから。 ならば、 ……勝てるかどうかは自分次第! 遠華はその身を無理矢理奮い立たせ、ごぽごぽと血を流しながら、両拳を頂点に掲げたままのヴラドクに告げる。 「いい事教えてやろう……吸血鬼」 今までのやりとりは、ほんの一瞬だった。ヴラドクは余裕の油断と予想外の展開によって動作は遅い。 そして手にした二丁の拳銃の引き金を引いた。 無論ヴラドクを撃ち抜けるなどと思っていない。現に、引き金に指をかけた瞬間翼は閉じられていたのだから。 瞬間、超大口径の銃弾が 回数は二度。二つの銃口からそれぞれ一発ずつ。 重ねあわされた翼は巨大なガレキも弾き返す。 だが、 元より、己の獲物を欠いた闘いで強者に勝てるはずが無かったのだ。 これが遠華の 遠華は一息で両の手から二丁拳銃『オフィユケス』を捨て去り、地面に突き立てた一刀『天羽々斬』を両手で握る。武器が二つあって良かった。刀で地面を抉っていれば、その反動で行動が鈍るからだ。 二連携による即座な切り替え。 武器を欠いたから勝てないのであれば、白の竜刀と双の竜砲が揃った時の勝敗はどうなるのか。 「テメェには、そんな翼は似合わない」 壁は絶対防御であるが故に、盲点がある。 相手の姿を映さない点だ。 閃光と爆音の相乗効果で一時的に視覚聴覚を封じることが出来る。 だがヴラドクとてそれは承知だろう、数秒の防御が終わればすぐさま翼を広げ攻撃する。 その数秒、だが刹那の闘いにおいては長いものだ。 遠華が突破口を見つけ出し、口に笑みを浮かばせるほどの余裕があるのだから。 「その無駄なパーツ、俺が切り落としてやる――」 今遠華は跳んでいる。全力の跳躍で、翼を開いたヴラドクはその一瞬だけ動きを止めた。 ……カラダが、軽い。 先ほどまで瀕死だったとは思えない跳躍だった。遠華自身も驚いている。 ……チカラが、漲る。 ならば、その力全てを使って、勝つ。 視界は阻まれ聴覚は轟音でかき消され直感は勝利寸前で余裕というヴラドクの隙をつき、主を守る城壁を突破する。 最後の一手は遠華の持つ二種類の 「―― それは世界の理を一時的に無視する奇跡。それを起動させる、不死御 遠華の本質を照らすキーワードを呟いた。 「――八雲立つ、出雲八重垣、妻ごみに。八重垣作る、その八重垣を」 かつて八つの首を持つ大蛇を切り伏せた この手に在るのは、首を断った剣の名を冠する“魔導具”。ならばその奇跡を今此処に、再び。 「――父の剣と 裂くは首ではない。吸血鬼を吸血鬼たらしめぬ、ツクリモノの翼だ。 両翼の先端・接続部・稼動部・根元、それら全てを一度に斬り飛ばすべく狙いを定める。 上空、 「――――“ 神剣が震え、八つの大斬撃が吸血鬼を守る翼へと激突した。 月光を浴び、閃光に似た一太刀は、中空で八に分裂して降り注いだ。 神速の八は白い水蒸気と衝撃波を先端に纏って翼を貫いた。 根元から裂かれ分解され、音を立て鋼の翼が崩れ落ちる。それはバラバラに、ただの鉄くずとなってしまった。 「――オレもそう思っていたところだ」 爆音に渦巻かれながらも、放たれた宿敵の声はきちんと聞いていた。 ヴラドクは犬歯をむき出しに、月を背に降り来る宿敵を睨みつける。だが、反撃などする暇は無い。 同時、叩き込まれる横一閃。 宿敵は、放った八つの直後にもう一つの斬撃をこちらの口目掛けて放つ。 「か……っ!!」 瞬間、吸血鬼の象徴たる八重歯が粉々に砕かれた。口が裂け、己の血が喉を潤す。 ――その時。良かった、とヴラドクは思った。 何故なら、 「……二度死んで生き返ってきた甲斐だよ」 正直きちんと発音できたかさえも怪しい。 そんな声を宿敵は聞いているのかわからない。地に降り立った彼は白刃の刀を杖に、ぎりぎり立っている状態なのだから。 しかしヴラドクはその状況を不思議とも、思っていた。 遠華の異能力は鉄壁の防御である翼を破壊し、更に一撃を叩き込んでいた。最後の一撃がもう少し深かったら、首だったら、確実に勝利していたはずなのだ。では何故だ、と不審に思い、 「ああ、そうだったな。オマエは人を殺すことを 最初出会った一戦、その時そう言っていた気がする。 あえて殺すことをせず、しかし象徴たる牙を折ることで 良かった、と。本当に良かった、と。 ヴラドクに満ちるのは満足感と達成感と安堵と祝福と、とにかく『良い』ものだった。 「――オマエと今一度、こうして戦えたこと。追い詰めたことをオレは、幸せに想うぞ!!!」 そしてそれら全てを含む、心からの咆哮だ。 全身を機械化してまで、生にしがみついたのはそういうこと。 体の大きい捨て子であった自分は、暴力が生きる術である日陰市では有利だった。だから力を欲し、力で生き、そうして力ある者に敗れ去るのは自然の事だ。 この宿敵と初めて出会った一度目は苦戦はさせたがそれは連戦のものであり、自分では傷をつけられなかった。 あるはずが無いと思っていた二度目は追い詰めたが異能力によって吹き飛ばされた。 その直後、スクラップとなっていた自分をゴミのように拾い上げ、またも実験体として体を用意された三度目は、こうして瀕死まで追い詰めたのだ。 成長していた。 荒んで、血と暴力に溺れた自分が、子供のように成長することに喜びを見出している。 それで満足だった。 二度朽ちたこの身、今砕けようとなんということはない。 ただ、もう少しだけこの優しい宿敵と戦っていたい、そうは想いもしたが。 ヴラドクは、柄でもないと思いつつも、感謝を捧げる為に口を開き、 「――――」 直後、己の眉間あたりに銃弾がのめり込んだ。 何が起こったか一瞬わからなかったが、遅れてようやく気づいた。用を終えた道具は、いらないのだ。 ……そう驚いた顔をするな、不死御ぃ。 宿敵が、何か叫んでいるようだったが、脳を貫いた銃弾によって考えることが出来なくなる。 はは、とヴラドクは心の中で笑った。 ……終わりなど、こんなものか。 だが最高だ、と笑えた。この終わりは、本当に良い終わりだ、と。 「ハハハハ! オレは先に地獄へ堕ちるが――んなとこテメェは絶対来るんじゃねぇぞ、不死御ぃ!!!」 矛盾した叫びが終わると同時、吸血鬼ヴラドクはその生涯に今度こそ幕を閉じた。 ゆっくりとその巨体が沈み、大きく倒れていった。ぐらり、と大きく揺れ、 「――おい」 こちらが手を伸ばす間も無く、膝を地に付けた。 上半身が背後へ、仰向けに両手を広げたように倒れこむ。 「待てよ」 離れた位置に居る希望が息を呑み、一歩下がるまでもが判る。だが、遠華にはまず今の状況が理解できていなかった。 「決着は、ついてない」 数秒の間があり、ようやく漠然と理解した。 宿敵は、もういないのだと。勝負は第三者によってかき乱され、踏みにじられたのだと。 「なんだ……それ」 とてもあっけない。遠華がかつてないほど全力を注ぎ、やっとのこと勝利への道を切り開いた途端。 「なにやってんだ、よ」 終わってしまった。不死御 遠華の手ではなく、乱入者の勝手な振る舞いによって。 そんな――理不尽。 「テメェらぁぁぁあああああああああ!!!」 夜の帳を引き裂く勢いで咆哮した。 その咆哮の先、船の甲板ではない位置に複数の人影が立っていた。溢流たちが腰掛けていた手すりより だが海の上空に浮遊しているのではない。夜闇に溶け込むような、巨大なヘリがそこにあった。 人影のうちに1つに、黒塗りの拳銃を持つ影があった。メガネの痩躯はエドワードだ。 「はははは、どうした? ソレの ヘリが放つ豪風とともに、エドワードの笑いがこちらまで届く。 それが遠華にとって、たまらなく憎かった。 「くだらない……そんなくだらないコトで」 この場所も、この場面も、この狂気も、この暴走でさえも―― ……たまらなく、憎い。 遠華は姿を現さぬ黒幕に憎悪という憎悪を注ぎ込み、 「フザけた それら全てをぶちまけた。 遠華は弾けるように前へ足を踏み出した。 一歩。たったそれだけでヘリとの距離が十数メートル縮まる。 近くに立つ少女が息を呑もうと、今の遠華には関係ない。 なぜならば、この不死御 遠華は人ではない。人としての一面を剥ぎ取り、バケモノとしての愚面を顕わにする。 遠華の怒りは簡単だ。夢中になっていたのに、それを奪われた。楽しかったのに、壊された。子供だろうが大人だろうが人だろうが獣だろうが抱く怒り。 二歩。千切れていた筋肉が弾け飛び、焼ききれた神経が暴れだす。 考えることを捨て、感情のままに咆哮する。 「――――!!!」 三歩。同時に最早声にすらなっていない叫びを放った。 「な……なんですか、あの先輩は!」 今発言したのが誰なのか、遠華には分からない。 「は、キミは全力の彼を見たことはなかったのかね? ……正直、私は震えているよ」 聴覚は澄まされていて、声もきちんと聞こえる。だが、理解する脳が溶けているのだからどうしようもない。 「アレが『D』の力……不死御 遠華という『存在』に刻み付けられた『 大気が乱れ、鉄の地面が震える。そこに不死御 遠華という『存在』がいるだけで、周りの『存在』が狂わされる。 四歩。残るヘリとの距離はほんの十メートルほど。 しかし船の縁に至り、それ以上近づけなくなる。 だから、 「……このままでは少々危険だね。インリの言ったプラン……ああ、インリの言いなりになるのは情けないが、今回ばかりは彼が正しいな。ともあれ、彼の覚醒にはまだ早すぎる……暴走、と言ったところかな?」 跳んだ。 前へ、食らいつくかのように跳躍し、 「ははは……さて、出番だ破滅の少女。その魔術で彼の眼を醒まさせてやるといい」 眼前に遠華が迫っているというのに、エドワードは緊張感もなく告げた。 同時、 「ごめんなさいなの。そして、さよならなの」 少女の紅き両腕が、ばん、と遠華の胸に突き出された。 ――瞬間、全てが砕け散る。
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