「ああ? 海の家を手伝えだって?」 遠華があからさまに嫌そうな顔で言う。 この場所、クーラーの効いた『Complete』店内は外の熱帯とは隔絶された空間とも言っていいだろう。 なんだかんだで季節は進み、現在夏まっさかりの日陰市。夜になればそれなりの肌寒さと別の寒さを感じることが出来るだろうが、日中はそうはいかない。 日陰市の気候は少々変わっている。都市成長によって生まれたスモッグが空を被う事もしばしばで、日差しはあまり当たらない。しかし暑さというのは強力にして厄介で、それでも蒸すような熱がジリジリとアスファルトから立ち上ってくるのだ。 クーラーのない遠華宅に居るよりは『Complete』で涼む方がいいという名分でいつも通り遠華達はここに居た。 暑さを凌ぐ為か、首を回すとまだ夕方でもポツポツ客が居るのが見える。 で、話を現在に移すと、 「そうよ。海原市の海岸で一日だけ海の家が『Complete』に割り当てられるのは、毎年のことだから知ってるでしょ?」 「ああ。毎年決まって明日は休店日なんだよなぁ。……家暑いんだよ」 その呟きに愉喜笑がグラスを拭きながらニヤリと口を歪ませ、 「ホントは適当に一日バイトでも雇うんだけど、折角今年は希望がいるんだから……ほら、あの子海見たぐらいで感動してたんでしょ?」 「んー、ああ。そういやそんなこともあったっけ」 随分前に海原市に物資補給に行った時の事だ。列車の窓から見える海原の海に相当感動して涙を流していたような。……ただアイツが涙もろいだけだと思うが。 「だったらついで。海の家も一日だけだし、店じまいしたら存分に遊ばせてあげればいいじゃない」 「まぁなぁ。……ただし、条件がある」 「な、何よ」 「その―― 言って頬をかいた。愉喜笑が呆然とこちらを見ているので、慌てて視線を逸らす。 「ぷ、ぷぷっ……」 そんな子供っぽい仕草に愉喜笑は腹を抱え、笑った。 「……お、恐れ入ったわ……ぷぷっ、この朴念仁がそんな事言うとは」 「な、笑うなこらぁ!! あーじゃぁ、取り消しだっ」 「ぷっ……い、いいわよ。ちゃんと子供たちも連れてって……ぷぷ……」 「――うがぁー!! 笑うなぁぁぁぁー!!」 「――で、ガキども連れて来たのはいいが……」 ひくひくと頬を引きつらせて遠華は言う。 日陰市とは比べ物にならない日光量が彼らの頭上に降り注ぐ。黒髪はジリジリと焦がされるように、肌は火傷しそうなほど熱い。しかし目の前に広がる無数の色彩と青を目にするだけで雰囲気が変わってくるのだ。 先の海は清清しく、まだ点々としかない人々はこれから集まるのだろう。早朝である現在では、内陸側に建てられた海の家の出入りは少ない。 沢山ある販売店の内の一つ、木で組まれたログハウス風の海の家の前に遠華達は立っている。遠華、愉喜笑、言葉、希望、そして果実に子供達――オヤジと青年と猿を含めて。 「テメェらなんでいるんだゴルァ!!」 ぶち切れた遠華が右手中指を立てて振り向く。そこには当然の如く居座る三人の男。一人は肩に荷物を担ぎ、一人はタバコを吸い、もう一人は日焼けから逃げるように海の家の影に隠れている。 と、今にも掴みかからんとする勢いの遠華の肩に手が置かれた。愉喜笑だ。 「まぁまぁ。男手は多いほうがいいでしょ?」 「確かにそうだがよ……」 遠華を置いて愉喜笑は背後の海の家に入る。 テラスの完備された海の家には看板が無く、店内もテーブル等の最低限しか置いてない。 ここは近辺の喫茶店が毎年割り当てで海の家をしているのだ。スポンサーが海の家を建て、喫茶店が雇われる形で営業する。そこでの儲けをスポンサーと喫茶店で分ける、という仕組みらしいのだ。 「さってと……まずは物置いて……」 ぶつぶつ呟きながら愉喜笑は荷物から様々な物を取り出す。言葉はそれに従い手伝いように、希望もそれを手伝うように行動している。こちらはぶっちゃけやることが無い。 「俺達は必要なんだろうか……」 「さぁ。……ま、バイト代もでるんだろ? こりゃー頑張ろっと」 「……ふ、働く愉喜笑も美しげぐっ」 「また舌噛んだんスか」 各々適当に店内に入ってゆく。ぞろぞろと続いて子供達も続く。 「おー、すっげー」 「はやく〜」 「あついよぉ」 「めざせ、だれでもいいからびーちのおねぇちゃん」 「ばっか、ねらうんならびじんにしよーぜ」 「……テメェら、ちょっと来い」 二つの頭を掴み粛清しよう、と思ったとき明らかに暑そうな格好の少女が彼の手を止めた。白と赤の巫女服――海原 果実その人だ。こちらの手の中にある頭二つを指で小突いて、こちらに視線を向け微笑む。 「義兄さん、いじめることはいけないことですよ」 「……まて、それ以外の服は?」 遠華は彼女の服装を見る。確かに巫女服は全季節対応だと思うが、流石にこの浜では場違いにもほどがある。 「えと、私はこれを気に入ってますから。それに――あはは……なんでもないです」 頭二つを降ろし、先ほどとは逆に果実の頭を小突いてやる。ひゃ、と声を出した彼女の背中を引っ叩き、 「ほれ、ここで働けば金がもらえる。それは正真正銘、果実の稼いだ金なんだから好きに使っていーぞ。……わかったな?」 果実の考えている事は一目瞭然だ。自分の衣類などは後回しにして、子供達や生活に割り当てているんだろう。遠華はかなりの金額を渡しているが、あの人数だとやはりどこかで不自由が出るのだろうか。 彼女は少し考えた後、 「――はいっ!」 とてとてと海の家に入る。それを視界に収め、いい娘だ、と思い遠華自身も海の家に足を踏み入れた。 「――海の家『Complete』開店よーっ!!」 声高らかに愉喜笑の声が浜まで響く。店の正面では優治朗と習人が看板をかけたところだ。それを合図に、まばらにいた老若男女がこちらへと足を運んでいる。無論その他の海の家も運営されており――戦争が、始まった。 暑いから、海だから、という名目で水着となった『Complete』の正社員とバイト達がいそいそ動き始める。 「……こ、こりゃぁ」 「眼福だぜ……」 遠華と止麻が、珍しく意気投合して呟く。彼らは水着にアロハシャツという格好で『Complete』の前に仁王立ちしていた。子供達は全て海に出払い、監視のために優治朗と習人は浜にいる。 「来た甲斐があったな、猿」 「何とでも言え。……今のオレ様たちゃ確かにお猿さんだぜぇ」 意味不明な事を言う止麻を無視し、前に目を向けた。 数人の客だがスタートとしては良好で、『彼女ら』に誘われてか男性が多いと思える。 「愉喜笑さーん、オーダーですー」 ぱたぱたと動き回る希望は純白、動くたびに裾がひらひらと踊るツーピースだ。小柄だが起伏に富んだラインは女性らしさを、愛らしい笑顔は子供っぽさを維持する小さな宝石がいた。 「これは予想外だ……」 「まて、予想外ならこっちだな」 びっと指された指の先、銀と紺と白が動いていた。それはコーヒーを受け取った言葉で、 「ってまてまて、ありゃ確信犯だろ! なぁおい!」 「猿黙れ気づかれる。……何で持ってんだよ、アイツ」 正体は――スクール水着の上にエプロンを着けた格好だった。ちなみに足には何か黒っぽい鉄筒のようなL字がくっ付いていたが、気のせいだろう。彼女は無残な板一枚だが、それを意に介さない堂々とした態度でトレイを持つ姿はある意味見惚れるほど。 次にカウンターに目をやる。やっぱり、と息ついた二人の感想は、 「さすが……」 「だな……」 愉喜笑は黒だ。現在上半身のみしか隠れて見えないが、それだけでも十分だろう。見事なプロポーションだけでなくいつもは無造作にまとめられた髪だが今回はそれすらも優雅に感じ、美女の貫禄がある。 「最後は……」 「おお、色彩完璧だな」 トレイを片手に忙しく働く果実は胸から下まで白の続いたワンピースだ。しかし側面の赤いクロスや腰の布は真紅となっている。ないわけでもなく、とりわけあるわけでもない起伏は彼女には関係が無い。なぜなら流麗で清廉な立ち回りが彼女本来の美しさを引き立てているからだ。 一部の人間は『巫女服を着ない巫女さんは巫女さん非ず』なんてイカれた思想を持っているらしいが、これは例外だろう。止麻が呟いた通り、巫女服を彷彿させる水着なのだ。 ちなみに一部除き、全て用意したのは愉喜笑らしい。 「最近荒んでたからな……」 「ああ、荒んでた……おっと涙が」 泣いているわけでも無いのに目尻を拭う止麻の後ろ、いつの間にか影が立っていた。色は黒のかかった紺と銀色の板で、形は人と円――言葉とシルバートレイだ。 「働きなさーいっ!!」 瞬間、二連撃が叩き込まれ二つの金属音が鳴り響いた。 「 「はいはい」 「ハル、かき氷にアイスクリーム一つずつ」 「あいよー」 「えっと、表のアイスボックスに誰か――」 「あ、オレ様が行く」 昼をまわった店内では早朝の清清しさなどどこにも無く、暑さと注文に追われる大忙しだった。希望・言葉・果実がオーダーを受け、愉喜笑とその補助の遠華が厨房、止麻は雑用だ。彼は、 「オレ様は自分から雑用に回ったんだからなっ。アルバイトとかで慣れてんだよ、決して役立たずなわけじゃないからな!!」 と数時間前叫んでいた。 客足は他の店よりも多く、列を作ることが多い。少女達の水着姿もだが、なにより愉喜笑の料理が美味いようだ。『Complete』に固定客がいるのも頷ける一品が次から次へと流れ、客は満足して浜へ戻ってゆく。 「 次々とオーダーされてゆくが、ラーメンやらパフェやらと多彩である。メニューの多さは一部を除いて『Complete』と変わらないため、通常営業でも様々な品が作れるということだ。 フルーツの盛り合わせとチョコレートパフェが 「――美味しそうですよ、『ソフィ』」 少年は双眼鏡を眼から離し膝上に置く。彼は浜から離れた岩場に腰掛けていた。 岩場は海に伸びるほど少しずつ高くなっており、先は海面から三メートルほどまである。その中腹あたりに座った彼はその隣に声をかけた。 「……って、あれ? そーふぃー?」 そのはずだったのだが、少年の隣には誰もいない。立ち上がって見渡してみるが、いない。 「まさか――」 海を見る。彼女は好奇心旺盛で、先ほどここに来た時も海に入ろうとしていたが、 「泳げないんですよ、ソフィは!!」 次の瞬間には、少年は二メートルの高さから跳び込んでいた。半ばパニック状態になりながらも少年は泳ぎ、 「――あれ? みちる君、どうしたの?」 高いソプラノの可愛らしい声が耳に入った。 「……えーっと」 思考する。ソフィがいなくなったと思って、海かと思って、跳び込んで――、 「は、早とちりでしたかー」 急いで浜辺にあがる。興味を持った彼女がこちらに跳び込みかねないからだ。 「……早とちりなの? みちる君、あわてんぼうさんなの」 「そうですね、そうみたいです」 照れ笑いをし、水を絞り犬のように振り払う。 ソフィと呼んだ少女は小さな岩に座っていた。長い、ふわふわとしたウェーブを描く金髪と、黒を基本とし髪と同じ金色がラインされている西洋貴族風のドレスを身に纏っている。暑苦しいほど白い素肌の露出は少なく、日光を遮るための日傘まである。 一方、敬語の少年――溢流は半ズボンにパーカーという少年らしい姿だ。スーツを着ることがあるが、それは『仕事』の時のみである。ソフィのように服にこだわりのあるわけでもない彼は、簡単で涼しい服を選んだのだ。 「もう『観察』はいいの?」 「うん、十分ですよ。――今の先輩の生活がどんなものか 「?」 苦笑する溢流に、ソフィはどうしたものかと首を傾げた。その仕草を可愛いと思い、手を差し伸べる。 「……さて。ソフィ、帰りましょうか」 「うん、お家に帰るの」 その手を受け取りゆっくりとソフィが立つ。そのままひょこひょことステップしながら踊るように砂を歩んでゆく。そんな彼女を前に、溢流は海と浜辺を背に歩きだす。金が潮風で流されるように揺れているのを視界に納めたまま、 「――後は実際に会ってみますか。再開は、近いですよ」 不吉なセリフを残して去っていった。 「うーっしゃっしゃっしゃっしゃ〜」 奇声を上げながら止麻が封筒を受け取った。 夕暮れになった時点で海の家は終了したのだ。バイト代は今配られた封筒の中にある。 「全員渡したわね……んじゃ、遊んでらっしゃい」 愉喜笑の言った瞬間、真っ先に止麻が海に向かうのを横目で見ておいて遠華は砂浜にどっかりと腰を下ろす。と、それに気づいた果実がとてとてと寄ってきた。 「義兄さん泳がないんですか?」 「……おう。お前達だけで行ってこい」 ひらひらと邪魔者扱いにするような手の動きで遠華は追っ払おうとするが、彼女は動かない。 「もぅ。ワガママはダメですよ、義兄さん」 「おいおい強制なのかよ?」 「強制ではありませんが……義兄さんに拒否権はありませんよ♪」 ……素晴らしい娘に育ったな、果実。 「でもヤダ」 「あはっ。もう、お子様なんだから……こうなったら――コトハちゃ〜んっ!」 「げっ!!」 逃げる。彼女を呼ばれたらなにをされるか分からない。 「今ならあの韋駄天にだって追いつけるぞぉぉ!!」 ワケの分からないセリフを置いて遠華は逃げ出す。砂を蹴って今すぐここから離れようとするが、 「止まってハル――拒否くらい認めてあげるけど、どうなるかは知らない。私、優しいよね」 チュン、とこめかみに何かが掠めていった。髪が数本宙に舞い、掠った部分はジリジリと傷む。ゆっくりと振り向くと、黒い小さな何かを片手に持った言葉が悠然と立っていた。 「正確無比な警告をどうもありがとう」 「警告したから――次は当てる」 しぶしぶ二人の下へと遠華は戻る。 ……素晴らしい娘だ、ホント。 右腕を言葉がホールドし、左腕を果実がホールドする。直前の出来事を無視すればシチュエーション的には最高なのだが。 「うむ……左 瞬間、後頭部に何かが激突した。 前のめりになるが、先に背後に落ちた物体を確かめる。――トレイだ。 「OK、大丈夫だ。無くでも一部には――もう言いませんだからトレイを振りかぶらないでヘルプミィ!!」 右の殺気が多少弱まった所で遠華は気づく、眼前には青が広がっていることを。 今彼らの立っている場所は海の家から少し離れた岩場の頂上で、高さは三メートルほどとそこそこある。そのまま振りかぶるように一度後ろに倒され、 「――ってちょっとまてぇぇぇぇ!!」 三メートル程度落ちることは変わりないが、自主的に飛び込むのと落とされるのではワケが違――って、 「ぎ、ぎゃあああぁぁぁぁぁぁ……」 一瞬で迫る海面。遠華は腹ばいになる形で思いっきり海に跳び込まされた。 「ぼぼ……ぼ……がはっ!!」 痛い。腹を盛大に打ち据えた。 海底は浅く、遠華が立てば胸くらいまでの深さだった。海面を砕き、勢い良く顔を上げる。しっかりと水底を踏みしめ、ゆっくりと上を見上げ――るとそこには紺と白と赤と肌色が迫っていた。 「べふっ!! がぼぼぼ……」 色彩に踏みしだかれ、もう一度水の世界へと落ちてゆく。突き落とした遠華の後に、果実と言葉が続いて跳び込んできたのだ。 「……ふふん♪」 「あはっ。義兄さん大丈夫?」 嬉しそうに笑った言葉は悠然と泳いでどこかへ消えてゆく。果実は足元で泡を出す遠華を引き上げ、 「ちっくしょぉ……」 「あは、あはははっ!」 感情のままに、盛大に笑った。 「んー、大変ねぇ」 岩場で青年が突き落とされるのを見て、愉喜笑はビーチマットに身体を預ける。仰向けに寝た彼女の隣には三十代の男性が座っており、愉喜笑に視線を向けた。右手の親指は岩場を指していて、口には笑みがあり声もついてきた。 「あはははは! ……あれはあれでいいんじゃないのかい?」 「……ま、そうだけどさ」 優治朗の声に愉喜笑はため息混じりに答える。彼女の声は続きがあり、 「でも――昔の遠華からじゃ、想像もできないからねぇ」 「……昔の不死御か、興味あるな。僕と君は君が学生の頃に知り合ってはいたが、彼のお陰で再会したのだからね。……一年前だっけ」 「残念、アンタとは二年前ね。で、遠華と言葉が文字通り そこで、ふと何かを思い出したような表情を愉喜笑が作った。 「……アンタと遠華は出会ったとき、 「そうだ。いやはや、今までの人生で一番苦戦したよ……」 言って優治朗は、左目の傷に触れる。その傷は眉から頬の上部まで縦に伸びる白い痕だ。 「ま、なんとか和解したけどね。……確かに今よりはツンツンしていたが、君と言葉ちゃんにはそこそこ心を許していたじゃないか」 「……そうかしら?」 「そうさ。じゃなきゃ、彼は君の所に居ついたりしないだろう?」 「でも……」 その声に愉喜笑は青の上空を見つめたまま呟く。その表情は、寂しく、悲しく、怒りさえ覚えているような、そんな複雑な色をしていた。 「でも……遠華はどこかで 「……そうかい?」 「ま、ただの感傷だろうけどさ……」 次に愉喜笑はうつ伏せになる事で複雑な表情を一気に隠した。視線は砂に、口はまだ何かを呟いている。 「――言葉はすんなり『 「……確かに。彼は君の所で安穏はできたが……居場所では、無いのだろうね」 「でもね――最近はどう? 希望ちゃんという娘が彼のテリトリーに入り、一緒に生活している。……ホントに、昔からじゃ考えられないわ。最初は冗談のつもりで希望ちゃんを送り込んで、それで何か変わればな、と思ってたんだけど……正直変わりすぎじゃないかしら?」 「――あはははは!」 優治朗が悪ガキのように笑う。意味が分からない、とでも言う風に愉喜笑は眉根を寄せた。 「……何よ」 「もしかして愉喜笑は――横取りされた、と思っているのかい?」 「――なっ!?」 「いやいや、否定する事は無い。そう考えれば合致するだろう?」 「それは……そうだけど……」 「ははははは、認めて楽になりたまえ」 「……アタシ、いつから犯罪者になったん――じゃなくって!!」 起き上がり瞬時に優治朗の両肩をホールド、逃げられないようにする。 「確かに寂しいとは思っているけど、喜ばしい事よ? 遠華が少しでも 「――寂しいけど喜ばしい……それは彼女を家に連れてきた弟に対する姉のようだな」 「って、ちっがぁぁう!!」 「ははははは、何か違うのかい? 君は不死御に人間らしさを取り戻させ、こうして笑わせられているじゃないか。それは愉喜笑、君の功績だよ。誇っていいんじゃないかな?」 「えと、それは、そ……の……」 視線を逸らし顔を伏せる。表情には困惑しか浮かばないが、優治朗の言った事は正しいだろう。ナイフのようだった遠華はこうして楽しんでいられるほど丸くなった。それは自分がいたからだと、自惚れても良いのだろうか。 答えを求める為に視線を上げ、しかしその先にはにんまりと笑った優治朗の顔があった。 「ははははは、今ちょっと感動したね? 僕もいい事言うようになぐぎゃっ!!!」 雰囲気ぶち壊しのおしゃべりなその口は、無理矢理閉ざされた。背後の痩身、習人の華麗なカカト落としによってだが。顔を半分以上埋めた優治朗を無視し、習人はその上に腰を下ろす。愉喜笑はため息をつき、疲れたとでも言うように力の無い笑みを作った。 「馬鹿らし……」 こんな男に何を狼狽し、感動してしまったのだろう。我ながら涙が出てくる。 「優さん、度が過ぎるっスよ」 「な……ぐふ、新米め……」 足裏で潰した顔から漏れる呟きを習人は無視した。 「大丈夫スか、愉喜笑さん」 「え、ああ……。大丈夫よ、ありがとう習人くん」 「いえ、礼には及ばないっス。――この、変態オヤジめっ!!」 言って地面を踏む踏む。優治朗は必死で埋めた口を、首を振る事で露出させ、 「……空気空気っ」 オットセイのように喘いだ。そんな光景を見て落ち着いたのか、愉喜笑は深呼吸をし、 「――覚えてなさい、優治朗?」 絶対零度の微笑みで、その場を硬直――どころか粉砕させた。 この後優治朗は砂浜に埋められ、数時間後に奇跡の大脱出を成功することになる。 浜辺の口論よりすこし後、日が沈みだした海に盛大な水柱が立った。 「見よっ、これが河童と言われた白鐵 止麻様の泳ぎだぁぁ!!」 「……中国じゃ河童って猿と同等なんだよな。よってテメー猿な」 「オレ様=猿ってなんだこらぁぁぁ!!」 「……なんか似てたんだよ、馬鹿っぽいトコ」 「コロすぅぅぅ!!」 「ってかお前うるさいな」 「うおぉおぐっ!? ……がぼ……ごぼ……」 適当に止麻を水底に沈めておいて、遠華は波打ち際に腰を下ろす。小波を繰り返す海の先には赤い光が半分ほど埋まっていて、そろそろ暗くなり帰らなければならない時間だ。 だが目線の先にはまだ浮き輪がばちゃばちゃと派手な飛沫を上げて移動していて――今、 浮き輪を着けているのは希望である。希望と果実は泳げなかったので浮き輪を愉喜笑が渡しておいたのだ。果実はきちんと足の着くところで泳いでいるが、今希望が消えた所は遠華でも足が届かない。 「――って、ヤベェだろ!!」 急いで浮き輪までたどり着く。少し離れところに必死で水に沈ままいともがく希望がいた。浮き輪からスッポ抜け、浮き輪自身も流されたのだろう。 手元の浮き輪を掴み、希望まで泳ぐと遠華はその細い腕を掴む。その拍子に暴れた飛沫によって海水が眼に入り染みるが気にする余裕は無い。 「おいっ、希望!」 面倒な事に、彼女はパニックを起こしていた。もがく腕がこちらを掴み、引っ掻いてくる。遠華の着ていたアロハシャツは力いっぱい捕まれたため、ボタンが一つはじけた。 遠華は腕を引いて彼女を胸元に引き寄せ、声をかける。沈みかけていた体は浮き輪に引っ掛け安定させた。 「落ち着けっ! おい!!」 「げほっ……けふ……かはっ」 沈まなくなり安全と感じたのか、暴れる事を止めた。 希望は飲んだ海水を吐き、少しずつ呼吸が安定してくる。虚ろになった瞳はこちらの顔を映し、ぼんやりとだが生気を取り戻していた。意識が整ったのだろう。 「……けほ……え、えと……」 「――うら」 「あうぅっ!!」 ゲンコツをぶち込んでやった。 「い、痛いですっ」 「当然だ。ちなみに殴った俺の手も痛いんだが――どうしてくれる!!」 「し、知りませ――あ……私、溺れかけて……」 頭のてっぺんを押さえ、涙目の希望が言う。そして自分が腕に抱かれている事を知ると、 「はうあうあうあ〜」 奇声を上げ、顔を真っ赤にしながら泳ぎだす。当然泳げるはずもないのだが。水を掻くたびに沈んでいくのはマンガを連想させるが冗談を言っているところではない。 「っと、泳げねぇだろうがっ」 「ご、ごめんなさい……」 遠華は腹立たしさをもみ消すまでもなく、苛立ちを露わにして希望の乗る浮き輪を押し、浜へ向かう。 と、押されるままだった希望がこちらを首下を見て、再度涙を溜めた。 「……それ、私が引っ掻いて……」 「あん?」 視線の先を見るとそこには赤い線が二本、首筋に残っていた。それは希望が暴れた時に引っ掻かれてついた痕だと分かる。希望はそのままボタンの外れたアロハシャツにも視線を移し、 「――え?」 硬直した。 遠華は気づく。ボタンが一つ飛び、シャツは胸元までバックリと開いていたのだ。恐らく彼女は他にも傷が無いのか確認のつもりで視線を巡らしたのだろう――結果、 迂闊だった。何かと好奇心旺盛な希望が見れば何かと問われるだろうし、何よりそれが嫌でこれまでアロハシャツを脱がなかったのだ。 「その、今のって――」 「――忘れろ」 怒鳴ることもなく、ただ静かに。冷静に、平静に、遠華は言った。 「……はい」 それ以上問うことなく、希望は顔を伏せた。 正直やりすぎたかな、とは思ったがそうでもしないとこの少女の興味は晴れないだろう。それに『これ』云々の話は不愉快なのでしたくない。 遠華は水で張り付くアロハシャツを整え、いつの間にかたどり着いていた浜に上がる。 「……そろそろ帰るっぽいぞ」 「そ、そうですね」 幾分彼女にも真剣さが伝わったのか、慌てた動きで何もなかったかのような言動を続ける。 話を逸らすために遠華は伸びをするように全身を引き伸ばし、 「あーっ、心配かけやがって……」 と、先ほどの希望の愚行を思い出す。すると忘れていた怒りが何故かふつふつと蘇ってきた。 案外小さな人間だな、と思う。何故こんなに怒ってるのか、遠華自身にもわからないが――心底ホッとしているのには変わりない。そしてなによりそれにイラつきながらも遠華は砂の上に座った。 その遠華の吐いた声を聞き、希望がにへらと顔を綻ばせて笑った。そのまま隣に腰を下ろし、イメージ的にまとわりついてくる。 「心配してくれたんで――あいたっ、何でデコピンなんですかぁー!」 「うるせー!!」 怒鳴った遠華は、二人並んで座っているのが恥ずかしくなったのか立ち上がる。 「もう、帰るんですか……」 くるくると変わる表情を見て、遠華は腹立たしいのと同時に安堵を得たことを実感する。それが何を意味するのか全く理解できないが――悪いものではない、と一人合点しておく。 「あ……海、キレイですよー」 声を上げた彼女の目線の先、伸びる漆黒と群青の混ざり合った色がある。あと少しもすれば更に暗くなり、辺りが見えなくだろう。その前に帰らないといけないのだが、 「そうだな」 今は、少しだけこうして風景を見ていたかった。 この理由がイマイチ良く分からなくて、結局止麻に怒りの矛先が向くのだが、それはまた別の話である。 番外編に近い、ほのぼのとした話をお送りしました〜。 今後ちょっと濃く話が進みそうなので、ここらへんで息抜きをば。 謎の少女、ソフィは『海と泥沼のあいだ』の出てきた謎の少女です。謎の少女ということには変わりありません。 ゴスロリは黒ければいいってワケじゃないので、彼女はただの黒服です。ロリ調ですが〜。 語尾は「なの」で不思議ちゃんです〜。何が不思議かは言うまでも無い(イエヨ 今回は数日で書き上げた短編なので、まだ書き足りない感がするのですが……そうなるとまたいつもの量になりそうなので止めときます。 ……にしても遠華がツンデレに思えてしかたがな(削除 でわでわ、七桃 りおでした〜。
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