Complete!
〜非現実的幻想活劇〜

七桃りお



 空は黒く、月は白い。
 その下に輝く極光の摩天楼。その上を――跳んでいる・・・・・
 鉄骨と鉄柱が縦横無尽に巡らされた建設中の高層ビル、それを足場にして大跳躍したのだ。
 風を切る身は心地よく、胸に在る昂揚感は苦しいほど活発となっている。
 しかし空中浮遊から僅か五秒、突進力によって捻じ曲げられていた重力が起動を始めた。つまり、墜落。
 が、墜落地点は目下たったの十メートル。
 そこはこの摩天楼の中では小さい部類に入るオフィスビルの屋上にあたる。
 着地衝撃は屈伸によって緩和させ、緩和した痛みは痺れですらない。
 『ソレ』は跳ねる様に首を引き上げ、月を視界に納める。――今宵は満月。
「オ……ッ!!」
 重低の唸りが大気を穿つ。それは、歓喜の咆哮か。しかし、『ソレ』を追う影があった。
「“中位架空系統ちゅういかくうけいとう”――『鬼』!!」
 本来、屋上唯一の通行場所である扉から、五つの影が現れる。黒い外套マントを羽織った――エサにんげん
 ――瞬間、この場所は『ソレ』にとって居心地の悪い所へと変化した。
 肉食本能に侵食されつつある理性で、何とか考える。そう、これは――『結界』というやつだ。
 この黒の者達は、『ソレ』のような異形・・を狩るのが役目の、俗に退魔師やエクソシストと呼ばれる者達だ。彼らは『ソレ』の行動でも読み、事前にこの場所に結界を張っていたようだ。
「勝手に逃げ出しやがって・・・・・・・・、この化け物が!!」
 牽制だけなのか声のみで彼らは動かず、しかし『ソレ』は動く。
「…………ッ!!」
 今はこの場所から一刻も早く抜け出したいのと、胸に疼く肉食本能に従い行動する。
 唸りを上げると彼らは息を呑み数歩足を引く。彼らの恐怖は数秒後には終了する事を知っている。
「こ、こいつ成長して――」
 トロい。五月蝿ウルサい。
 次の瞬間には、数名いた彼らは液体を撒き散らしながら『ソレ』の口元に運ばれている。そして同時に結界が解かれる。術者が死亡したのだ。
 ともあれ、『ソレ』はもう一度大跳躍をすることになる。
 次の着地地点は再度目下。だが今回は――百メートルの浮遊距離がある。
 重力に身を任せ――落ちる、堕ちる。だが十数秒の出来事だ。
「ガ……ッ!!」
 先ほどよりも大きい、歓喜を上げて『ソレ』は言う。

 ――足リナイ、オ腹スイタ。



 空は紅く、星も出ている。
 赤茶に染まる店内、部屋奥に設置されたカウンターに二つの影があった。一つはコーヒーを啜る優男、もう一つは両の腕を枕に頭を乗せ、睡眠進行中の少女。
 遠華と希望だ。
 暇をもてあまして一日中『Complete』でこうしていた二人。この通り便利屋という商売はあまり繁盛していない。原因は遠華だ。彼は簡単な、それこそ人探しなどを嫌い、リスクも報酬も高い仕事ばかり愉喜笑に要求している。
 といってもリスクも報酬も高い仕事などゴロゴロ転がっている訳でもなく希望が現れる前のような一日中コーヒー。
 しかし金で困る事はあまり無い。あまり買い物をしない遠華は貯蓄も相当なもので、本人によればゼロを数えるのが面倒なのだそうだ。無論希望が言えば物も買う。現在は遠華が台所を征服しているため食材は遠華が選ぶのだが。
「優雅だ……」
 ともあれ、今の遠華は十分に浸っており、独り言まで漏らす。しかし、

「――愉喜笑さん、僕と結婚してくださぎっ!!」

 豪快に、盛大に舌を噛み、人生を賭けた宣言を舌噛みで無駄にした三十過ぎのオッサンによって雰囲気はぶっ潰された。
 その乱入者は扉を盛大に開き、薔薇の花束を店主である愉喜笑に突きつけたまでは良かったものの、その後の決めゼリフで大失敗。遠華は思う、毎回毎回懲りないヤツだ、と。
「……『Complete』の店主にして情報屋兼仲介屋の麗しき愉喜笑さんに馬鹿な事を言うなこの身の程知らず」
「そんな長いセリフをペラペラと……」
 噛んだ舌を癒すように無精ヒゲを生やした顎を撫で、苦笑と共に歩むのはスーツを着こなした隻眼の男性だ。
 白の混じった短髪を全て後ろに流し、一見小奇麗に見えるが口元には無精ヒゲと今くわえた煙草がある。顔には左目に薄らと浮かぶ白い痕があり、その傷の為に彼の左目は開かれる事が無い。
 このオッサンの名前は哀川 優治朗あいかわ ゆうじろう。――未婚だ。
 彼はカウンターの正面である遠華の隣、希望とは反対側に座る。そこで、ぷは、と煙を吐いた。
「久しぶりだな、不死御」
「ああ……そうだな、オッサン」
 両者それ以上は無く、苦笑するのみ。と、優治朗が指に挟んでいた煙草が静かに引き抜かれた。
「店内禁煙。……いつも言ってる」
 言葉だ。
 彼女は一種の麻薬である煙草を軽蔑の眼差しで見つめた後、指で弾いて数メートル離れた流し台――それも三角コーナーに入れてみせる。
 その曲芸のような行動に、喉に残った煙を惜しむように吐いた優治朗が拍手を送る。
「お見事。久しぶりだね、言葉ちゃん」
「……久しぶり」
 表情を変えることなくそのまま、ぷいと言葉は身を翻して去ってゆく。優治朗は苦笑でその背中を見送り、
「僕は相変わらず嫌われているのかな?」
「……あのねぇ、言葉は煙草が嫌いなのよ。前も言ったわよ」
 カウンターからの声は愉喜笑のもの。眉間にシワを寄せる彼女に、優治朗は目を輝かせ言う。
「お、どうだい愉喜笑。僕の誠意の返事をどうぞっ」
「ゴメン聞いてなかった」
「なっ……っ!」
 驚愕する。
「僕の百一回目のプロポーズがぁ」
「どこのドラマよ、それ……」



「――で、ここ数週間姿を現さなかったのはどうしてかしら?」
 愉喜笑は問う。優治朗は、遠華ほどではないが『Complete』の常連であり、しかしここ数週間パッタリと店に訪れなくなっていたのだ。多少は心配したわ、と多少の部分を強調して愉喜笑は追加を言う。
「……ああ、ちょっと海外に出ていてね。急な用事だったために挨拶にも行けなくてね」
「でも海外出張…な訳ないか。アンタの役職は永久凍結中だものね。――日陰署刑事部特殊課元課長・・・・・・・・・・・・さん」
 告げたのは個人の職業。優治朗の、だ。
 過去、日陰市が成長過程の途中だった数年前。その爆発的な発達に一部の人間は不審に思い、日陰市『日陰署』に特殊なチームを配属した。
 その課の名が『日陰署刑事部特殊課』という訳だ。
 特殊課は日陰市の裏で暗躍する魔術師に対抗するべく、有能な魔術師で構成されていた。目には目を、ということだろうか。しかし彼らは結成一週間で解散を命じられる事になる。何故かは不明だが、恐らく圧力でもかけたのだろう――“福音”が。
 現在優治朗はその特殊課の元課長でただの刑事。しかし存在していても機能していない警察署になど近寄らず、色々な所を放浪している。優治朗自身もそれを望んでいるようだが。
 彼は“福音”と対立している魔術師や機関に連絡を取り合って日陰市の謎を探って言うようだが――相手が強大すぎて進んでいないのだと苦笑交じりに彼は遠華達にごちる事がある。
「いや、こればかりは愉喜笑にも話せないな。――少々、入り組んでいてね」
「……そう」
 愉喜笑はそれ以上問わない。誰にでも秘密というものはあるものだ、と遠華も内心で割り切ってみた。
 そこで重くなった空気を察したのか、そこで優治朗が笑ってみせる。次に述べられるのは、
「そうだな、お詫びに依頼ってのはどうだい?」
「はぁ?」
 何の脈絡もない突拍子な問いに遠華は素っ頓狂な声を上げた。
「おいおいオッサン、どういうつもりだ?」
「気分、と言えばいいのかな」
 優治朗の苦笑の様子を半目で見ながら遠華は飲みかけのコーヒーを一気に煽る。そしてカップを置き、
「……依頼は何だよ。冷やかしはタチが悪いぜ?」
「無論マジメなビジネスだよ。少々骨が折れそうな相手でね」
 驚きという感情で遠華は答えた。
「おいおい。オッサンが骨が折れるって、んなの“福音”を相手にしているからだろ」
「いやはや手厳しい、確かにその通りだ。――しかし依頼はそうじゃあない」
「……まさか、警察かよ」
「アタリだね」
 最悪、という表現を遠華は内心思う。この優治朗はクビをいい事に勝手に活動しているのだ。怪しい事件が起こる度に現れる――ちなみにヴラドクとの戦闘終了時に駆けつけたのは優治朗だったとか。
「……内容と、報酬。まずはそれを聞いてからだ」
 しかし優治朗が『骨が折れる』と言った事に遠華は考える。優治朗は強力な魔術師の集まりである特殊課を束ねる程の男である。高度な魔術を使い、敵を粉砕してゆく姿を一度か二度見たことがある。
 突然優治朗は五指を開いて遠華に突き出す。そして、
「――内容は『狩り』で報酬は『五百』ほどで十分かい?」
「あん? 五百ぽっちで――ご、五百ぅ!?」
 驚きの値段に遠華は心の中で跳び上がる。五百と言えば通常――五百万円を指す。てっきり子供の小遣いのような値段かと思ったら、意外と金持ちだったようだこのオヤジ。今度せしめてやろう、と思いながら遠華は、
「お、OKだ」
「よし。――まぁ話を聞いてくれ。恐らく愉喜笑も知っているだろうけどね」



「――昨日、深夜に殺人事件が起きたんだ。しかし遺体は残されていなく、現場に人間五名分の血が撒き散らされているだけだったんだよ」
「……確かにそれ、アタシも知ってるわ。失血死に十分なほど残された血液で死亡と判断したらしいわね」
 それは警察の判断ではなく、世間の判断でという意味だが。
「そうだ。死亡したのは――“福音”の、ある特殊なチームだったそうだ。ちなみに五名全滅」
「――異常ね。……“福音”は様々な役職を作っているけど、そこに無能な魔術師は存在しないわ」
 落ち着いた会話の二人に、流されつつある遠華は同意として頷く。
 “福音”は古くより魔術社会を管理し世界の半数以上の魔術師を登録している巨大組織だ。“福音”はその中から有能な魔術師のみを抜粋して組織の運営に当たらせる。そうして有能な実力主義組織を維持しているのだ。
 無論その全滅したチームもエリートとして抜粋された魔術師であり、しかし全滅したのだ。
 何故、と問う愉喜笑に優治朗は、
「彼らは返り討ちに遭ったんだよ。狩ろうとしていた相手・・・・・・・・・・に」
「つまり――ソイツを俺に倒せ、と」
「ああ、その通りだ不死御。引き受けてくれるか?」
 メンドいな、と遠華は思いつつ報酬の高さに心惹かれ、
「――ああ、やってやるぜ」
「持つべきものは良い友だな」
 苦笑し差し伸べられたのは右手。遠華は同じ手で握り返す。
「ん……」
 と、そこで遠華の右が動く。否、そこに寝ている希望が寝返りをうっただけなのだが。その時伏せられていた顔がこちらを向く。頬には袖の痕と思われる赤い筋が薄らと浮かんでいて、
「……そのお嬢さんは? 拉致監禁かい?」
「俺は今すぐアンタが拉致監禁される事を心から願うね」
「ははは。――ハードだな不死身。君はそういう趣味かい?」
「黙れストーカー野郎」
「ははは。――そんな危険極まりない生物がどこにいるんだい?」
「そうね。――アンタよっ! アタシは被害者!!」
 叫び、脱力と共に優治朗へとコーヒーを置く愉喜笑。それを苦笑で受け取り飲もうと優治朗が――突如、凍りついた。
「な、なぁ。僕にはいつから守護霊が憑くようになった?」
「今オッサンの肩に置かれているのは守護霊でも地縛霊でもなければ貧乏神でもない。……人間の掌だな」
「え、誰のだい?」
「アンタの部下」
 優治朗は首を右に回す。まず映るのはニヤニヤした遠華と肩に乗せられた青筋の浮く掌。もう少し右に回し優治朗の右斜め後ろ、そこに掌の主である青年が立っていた。無論額にも青筋。
「……ど、どうした『新入り』」
「全く――アナタという人はぁぁああああ!!!」
 青年が叫ぶと同時に、優治朗がビクンと脈打ちスイッチが切られたかの如く静止、床にぶっ倒れた。動く気配は無く、周りはため息でこの場を濁す。
「あの…身体が全く動かない・・・・よ、習人しゅうと
「首から下の神経系をマヒさせましたっス。勝手に『永遠の都ローマ』から逃げ出した罰っスね」
 青年は苛立った様に艶やかな黒の前髪を掌で押し上げる。その奥には鋭い視線と左目元のホクロがある。男前の美貌は寄せられた眉根と語尾で台無しだが。
 おかしな語尾に長身でスーツの彼は群上 習人むらかみ しゅうと。日陰署の新人で優治朗とコンビだそうだが、彼もまた優治朗と同じく元特殊課だ。解散直前の日に急遽配属されたそうなのだが、その時より優治朗からは『新入り』と呼ばれ続けているらしい。
「優さん、アナタ“薔薇十字ローゼンクロイツ”の途中で何で逃げ出すんスか! そんないい加減な所が嫌いなんスよ僕は。他は尊敬できるのになぁ…」
「はははもっと敬ってくれ。それに、美的感覚ないからわからないんだよ絵画とか。会談は美術館で行われたから話にポンポン出てきてさぁ」
「知りませんよそんなこと! 僕、大変だったんスからねっ。『金剛の薔薇ダイアモンドローズ』にも笑われたり……最悪っス」
「よし、良く頑張ったな」
「全然嬉しくないっス」
 思いっきり習人は憎しみを込めて睨む。
 習人は優治朗を開放する気は無いらしい。床に頬を密着させる優治朗に遠華は、
「……オッサン、アンタは逃げてきたのか」
「ああ、“薔薇十字”と会う予定だったんだが意外と退屈でな。新入りに任せて帰ってきたんだ。そしたら猟奇殺人は起こってるわで大変大変。だから不死御、君に任せようと思ったんだよ」
「……『骨が折れる』って、そういう意味かよ」
 あまりの馬鹿らしさに吐息をつく。
 優治朗は“福音”と日陰市を調査しているが個人では限界な所が幾つかある。そのため“福音”と敵対する他の魔術組織と連携をとる必要があるのだ。
 その一つが“薔薇十字ローゼンクロイツ”。古くより影で存在する“福音”とは違い十七世紀のヨーロッパより発足したとされる新参組織だ。しかし今では“福音”を含めた『三大魔術組織』の一つとして数えられるほどの成長を見せている。
「不死御君」
「んあ?」
 問いに、思考途中だった遠華は情けない声を出す。それに習人は爽やかに微笑し、
「……少しだけ立ち聞きしてたんスけど、君は気づいていたみたいっスねー」
「ああ、扉越しに殺気入りに視線が向けられていてな。……ま、多分オッサンも気づいていただろうけど」
「そっスね。――でも今、僕達は忙しいんス。でも街の異常も見過ごす訳にはいかないんスよ。……分かってくれますか?」
「依頼はもう受け取った。後は任せてくれよ」
「すまないっス。――この、馬鹿オヤジ!! 皆に迷惑かけたりしてっ」
 微笑と罵倒を同時にこなすとは素晴らしい才能だ、と遠華は思う。と、聞こえる優治朗の断絶的な叫び声が引き金になったのか、
「ん……ぁ……えっと」
 眼を醒ました希望は見知らぬオジサンが見知らぬ青年に踏みしだかれている光景を見にし、
「まだ夢ですよね……」
 半ば逃げるように無理矢理眠りへと逃げ込んだ。



「こりゃぁ……」
 封鎖されたビルの屋上。無理矢理乗り込んだその場所は、似たような数色で染まっていた。
 赤に赤銅と赤黒。
 ツンと鼻につく匂いは鉄のようなもの。微かな重圧が気にかかるが、確かにこれは殺人現場の香り。
「希望に黙って来て良かったな」
 遠華は優治朗と習人が『Complete』を出た直後行動を開始した。希望には出かけるとだけ伝えておいて、しかし愉喜笑に説明を頼んでおいた。
 夜になる内に調べておきたかったし、自分は口下手だと自覚している。
 自嘲のように笑い、こびりついた赤を靴底で蹴った。
 四十メートル四方のコンクリートに、落下を防ぐ為のフェンス。配管やタンク等の大小様々な立体が屋上には建っており、しかし中心部に広場のような空間がある。本来はここで昼食を食べたりするのだろうが、今となっては絶対にしたくない。
 そこには敷かれた真っ赤な液体絨毯。元は水溜りだったようだが、今は乾燥して干からびている。
 配管やタンクにも血痕はあったが、擦ったようなものだけだった。しかしこの場所は血溜りである。
「ここで何らかの……例えばトドメとかを行ったって事か」
 血溜りには血しかない。――と、屋上の隅に赤い文字を見つけた事で遠華は気づく。
「この重圧……もしかして『結界』か?」
 結界とは魔術の一種で、術者の魔力で維持される霊的封鎖。
 物理防御等に用いる魔術で作る壁とは違い、結界は指定された空間内に効果を発する。
 動きを封じる程の重圧と、脱出を妨げる為の障壁。障壁は無理矢理通過しようとすれば、何らかの効果を与えるのが基本だ。
 結界や障壁は様々な種類が存在する。対人、対物、対霊、対魔術、対魔など。効果を望むのなら、相手に適応した結界を造らなければならない。
 しかし先ほどから感じるのは、結界ではない。この屋上を被うような結界は何故か解かれていて、本来なら何も感じない筈なのだから。遠華が感じたのは『魔力』だ。『ある理由』から微細な魔力も敏感に感じ取れる遠華は、その力により屋上の隅に刻まれた文字を発見した。
「『魔法陣』の術式が残されてんのか……。強制解除だな」
 結界は物体より場所に使用するものだ。基本的には『魔法陣』と呼ばれる図形と文字を場所に刻む事で発動する。本来ならば魔法陣が刻まれている間は結界を発動しっぱなしなのだが、一つの理由にて、魔法陣を消さず結界を停止させることが出来る。
 魔術師の魔力供給の停止。――つまり死亡。
 魔術は魔術師の体内に存在する魔力を使用して発動する。
 魔術師が死亡すると魔力が断たれ効果は消え、しかし魔法陣事態には魔術を発動するための魔力が篭っており、術者が死亡しようと魔法陣を消されない事と長い年月でも経たない限り、霧散することはほとんど無い。
 つまり遠華が感じ取っていたのは後者の魔法陣に残る魔力だ。
「ここで死んだのは――“福音”の退魔チームっつー事か」
 結界なんて魔術を使うのは、何かを封じ込めておきたいから。この魔法陣、見れば特殊な相手・・・・・に使用するものではないか。
 そして優治朗の声を思い出す。
 ――彼らは返り討ちに遭ったんだよ。狩ろうとしていた相手・・・・・・・・・・に。
「あのオヤジ、薄々気づいてたな……」
 舌打ちど同時に忌々しく言う。しかし全てが合致した。
 魔術師達は何を追っていたのか。
 魔術師達は何に殺されたのか。
 魔術師達を殺したのは何か。
 魔術師達の死体はどこに消えたのか。

「――“架空系統かくうけいとう”か……厄介な相手だ」
 
 一つの言葉が、遠華の口から零れた。



 闇を跳躍する。光を通り過ぎる。風を切り裂く。
 コンクリートの壁を飛び越え、更に宙に浮き加速する。
「……ァ!!」
 昨日、この時間に美味しい餌を食べた。彼らはこの身体を維持するために必要なものを沢山もっていたのだ。
 血肉と魔力。
 今となってはあの味が忘れられなく、普通のニンゲンを食べがたい。何故ならその味を覚えてしまったから。
 食べるのなら美味しい方が良い。そしてこの街には何故か美味しそうな沢山餌がある。
 しかし日光の当たるうちはあまり動きたくなかった。この姿では昼間は自由に狩りが出来ないからだ。
 目立つからと思い、
「クゥ……」
 笑う。
 何故人目を気にするの必要があるのか。自分が手に入れた力は強く、餌を食べる事で成長する。
 ならばならば――ああ、メンドウだ。何を考えているのだろうか。
 考えることが面倒になり、眼下に意識を向ける。跳躍の下には雑居ビルが並び、その屋上に着地し再度跳ぶ。
 そうして餌を探す事数分。その餌はトコトコ歩いていた。
 藍の頭にヘンな飾りをつけた幼い少女。しかし彼女から感じる魔力ニオイは一級品だ。
 食べたい、と思い急降下を開始する。
 次の瞬間には少女は肉塊になって己の口に運ばれるだろう。至福の時だ。
「……!!」
 声を上げぬ咆哮をし、右腕を振り上げ――その右腕に風穴が空いた。
 突然の事にバランスを崩し、惨めに頭から着地する。
 幼い餌は尻餅をついていて、その隣には――長身の餌が武器を掲げて立っていた。
「立てよ。――鬼さんこちら」
 瞬間、『ソレ』は今夜の食事はこの二人に決めた。



 希望は目の前の『ソレ』に理解できない。
 世界は広いものだと、そして最近は慣れてきたと思っていたのだが実際はまだまだ奥が深い事を知る。
「こ、この場合は背中にチャックが……」
 遠華宅で観ていた番組を思い出す。緑色の出っ歯と、赤のモサモサが登場するものだったが、
 ……アホか。あんな奇っ怪生物が存在してたまるかっての。
 そう言って彼は一蹴した。その際に背中のチャックを教えてもらった。大抵のああいう生物は背中に出入り口があるのだと。
 しかし目の前の『ソレ』は口の中は肉があり、撃ちぬかれた腕からはあまり見たくない液体が零れている。ぎらつく瞳は、全身が氷漬けにされたかのような錯覚を受ける程露骨な敵対心を煮え滾らせていた。
 怖い。今までの恐怖ランキング上位は確定だろう。
 と、希望は自分がユーモラスにこの状況を判断している事を知る。そして苦笑。
 ……これがパニックなんですね。
 そんな希望を察したのか、遠華が横から手を差し伸べてきた。モチロンそれを受け取り、
「大丈夫か?」
「えっと、はい」
 そうか、という声と共に一気に引き上げられた。ストン、と着地した希望。一直線上には未だ口から透明な液体をだらだらと零し続ける『ソレ』がいるが、
 ……遠華さんなら、大丈夫。
 一人妙に納得し、後ろに下がる。自分は居ても邪魔になるかな、と思ったからだ。
 目線の先には遠華の背中、それが告げる。
「大丈夫、か? ……『囮』ご苦労様」
「はいっ」
 未だすくんでいる足を無視し、彼には見えないが笑顔で頷く。



 目の前に居る『ソレ』は“架空系統”と呼ばれる特殊生物だ。
 古来より、化生・妖怪・異形・怪物なる生物は存在するとされている。それらは『ある一定の条件』をクリアする事で通常の存在・・・・・から上位存在へと進化・・・・・・・・したモノだと理論者は言った。
 『ある一定の条件』とは――魔力マナの過剰摂取だ。
 可能性の塊である魔力、それを収めておける量の限界は許容範囲キャパシティと呼ばれ『存在』ごとに違い、それにより魔術の使用や向き不向きが判断される。
 多ければ多いほど魔術が得意となり様々な未来が存在し、少なければ少ないほど魔術使用は困難になり未来の分岐は少ないとされている。
 魔術師は幼い頃からそのキャパシティを広げる為に様々な技術を用いる。魔力を多く含む霊水を毎日飲んだり、様々な魔術に触れ理解を高めたり、酷い所では薬物や拷問というものまである。しかしそのキャパシティ拡大も、ある一定を超えると不能になるのだ。
 ――それは『存在』ごとに決められた限界。
 その限界を一気に過剰摂取する事で打ち破ることが出来る。その限界突破を『フォールダウン』と呼び、代償は苦痛と狂気だ。
 己の制御できぬ魔力は身体を破壊し、その痛みにより狂気へと堕ちる。
 何らかの原因でフォールダウンした『存在』が進化した『存在』の事を“架空系統”と魔術師は呼ぶ。
 “架空系統”の大半は先述べた苦痛と狂気に支配され、殺戮と肉食本能に走る。それを討伐するのが退魔やエクソシストと呼ばれる者達だ。
「中位――いや、中の上ってトコか。それにしても『鬼』か……」
 昔から面倒事の多い遠華は“架空系統”との交流が何度かあった。自分でも驚くほど貴重な人生だ。
 この目の前の『ソレ』はランクにして中の上、種類は『鬼』と呼ばれる存在。世界の魔術師達は“架空系統”をランクと種類分けをしている。

 “低位架空系統”――世界に数多く存在し、保護・研究・使役などが行われている。
 “中位架空系統”――半端な知性を持つため、危険視され狂気に堕ちたモノは相応の人材により処罰される。
 “高位架空系統”――存在が希少で強力な存在だ。完全な知性を持ち人型を取るものも多く居る。
 “幻想架空系統”――現代では数件しか発見されていなく、それこそ神や竜と崇められる姿を冠することが多い。

 フォールダウンの苦痛と狂気を乗り越えた『存在』は代価として強力な魔力や知性など様々なものを得る。
 ちなみにキャパシティの小さい非生物存在や植物などを魔術師が己の魔力を込めてフォールダウンさせる事がある。それが『魔法生物』と呼ばれ使役されるのである。
 つまり世界には“架空系統”と呼ばれる、非現実ファンタジーが存在するということだ。
「……まぁ、魔術すらもファンタジーの世界なんだがな――っと」
 思考を中断し――迫り来る顔面を、遠華は振り下ろす踵で打ち落とした。



 相手が分かれば話は早い。
 味をしめた獣は上があると知ればそれ以下の餌をそう欲しない。
 肉食に堕ちた“架空系統”にとって餌とは肉と魔力だ。肉の味はそう変わらないが、魔力は各々によって異なる。フォールダウンしたソレらにとって魔力感知など呼吸をする事と等しく、大きな魔力を感じてはそこに誘われる。
 その習性を利用し退魔師達はソレらを狩る。そして遠華も利用させていただいた。
「昼にゃ活動してねぇんだから、やっぱ現れるには夜だよな」
 日陰市の北、立ち並ぶ雑居ビルにより出来た一直線の回廊で戦闘は開始する。
「俺の知る限り一番魔力を持ってそうなのは、この希望だからよ」
 ビルに挟まれた百メートルほどの直線の裏路地に俊敏に動く一つの影と、それを迎撃する長身があった。
「ケダモノってのは自分に正直だな。――俺も含めて」
 激しく動く影とは相対的に、長身は全くと言っていいほど動いていない。
 今、迫る影の両腕を初めての移動――ステップで躱す。アスファルトに突き立つ影の両腕は無傷。先ほどの銃弾で空けた風穴は修復されている。
 有り余る魔力がそうさせるのか、再生とは厄介だと思い遠華は、
「さっき踵で触れたからなぁ……はい、鬼タッチ」
 目の前で唸るのは、頭上に角を持ち口は裂けそうなほど開き飛び出す八重歯、二メートルのゴリラ男に様々なオプションをつけた様なその容姿は奇怪だった。
 瞳には敵対心の表れである鋭い眼光。肉食の具現である口元の涎。暴力の基本である鋭い鉤爪と野太い両腕。
 ――鬼、と呼ばれる“架空系統”だ。
 しかしその奇怪も無視し、遠華は動く。
 鬼の左真横に跳び、顔面をもう一度コンクリートにぶち込んだ。遠華の右腕は鬼の側頭部を殴り、雑居ビルの壁に激突させられたのだ。頭から突っ込み、停止するかと思いきや、
「ォオオ……ッ!!」
 唸りと共に全身を上へ跳ばす。飛ぶ、と言ってもいいほどの大跳躍に遠華は腰にある白刃の一刀で対処する。黒コートに隠されていた鞘、『天羽々斬あまのはばきり』と刻まれたそれから刀身が抜かれ、上空に振られた。
 鬼は落下現象に耐え切れず、しかし左手をビルの壁にぶち込むことで速度を緩和。刀は浅く胸を裂かせるのみ。
 傷は数分で癒えるだろう。まずはコイツに致命傷を与えない事には進展しない、と遠華は思想しつつ動く。
 身を引き跳ぶことで距離を取る鬼は、足裏が地面に着地すると同時に全力でこちらに向かって跳躍した。
 飛び掛る様な攻撃が、予想よりも速かった動きに遠華は、刀で対処するはずだったが盛大にスライディング。鬼は彼の身体の上を見事に通り過ぎようとし、
「鬼さん、油断は禁物でっせ」
 ふざけた声と同時に右手の刀を頭上に掲げるだけで鬼の左腕は宙に舞った。
 通り過ぎた鬼は無様に顔面着地。左腕のあった場所からは結構な量の血が溢れている。
「オゥゥゥ……」
 恨みの声なのか、咆哮とは違う篭った声が鬼の口から零れた。決着をつけようと遠華が刀を構えたが、相手は肉食本能と共に知力も持つ。危機的状況に追いやられた鬼は――瞬時に行動する。逃げへと。
「……ッ!!」
「なっ……逃がさねぇっての!」
 即座に右の一刀を足元に突き刺し、腰から二丁拳銃『オフィユケス』を取り出す。その瞬間銃口から銃弾が発射され、鬼の右脚部に付着・・した。しかし一瞬で鬼は上空へと跳び、ビルの壁と屋上を伝って月夜へと消えた。
 残されたのは足元に刀を突き立て二丁拳銃を提げる遠華と、戦いを見守るようにしている希望だけだった。



 痛い。痛い痛い。いたいイタいイタイ――。
 左腕をくわえて空を跳ぶ。ポールや電柱に屋根と、様々な場所を飛び移り移動する。
 急げ、餌を探せ。味なんて関係ない。痛い所を癒す為に餌が必要だ。乱立するビルを縫うように走り、手当たり次第に――ほら今新しい餌を見つけた。その次も、そのまた次も。餌は沢山ある。沢山見つけて沢山食べて。
 鬼は次々と殺人を犯してゆく。老若男女、全てを喰らい尽くしてゆく。
「オァァァアアア!!!」
 沢山食べて強くなる。そしてこの腕を斬った男と特上の餌を食い殺すのだ――。



「目標は日陰市を縦断するように南下中。今はビル裏で人を貪り尽くしているわ」
 愉喜笑は淡々と言う。遠華は急いで『Complete』に戻り、愉喜笑に協力を仰いだのだ。
「……まさか念のために渡しておいた発信機がこんな時に役立つなんてねぇ」
「確か二ヶ月前にヤクザの追っかけをしたときだっけ? あれは発信機もなにも、床裏に親分が隠れてたんだから必要なかったんだが……一応相手の見当はついてたし、逃げられまいと使わせてもらったさ」
 彼女の目の前には一台のパソコン。このパソコンは長いコードで繋がれており、コードは店の置くまで続いている。
 パソコンには平面図形の組み合わせ、地図が表示されている。そこに映し出された赤のポインタが地図の真ん中から少しずつ下へと移動していた。と、赤のポインタが突然二倍ほど拡大する。
「目標の魔力が増幅されたわ。――多分そこらの魔術師でも喰ったんでしょ」
 あっけらかんと言う割には拳は強く握られていた。赤のポインタは停止することなく、更に下へと移動する。この赤は鬼の現在位置を特定するもので、逃げる瞬間に遠華の放った銃弾が発信機となってモニタに映し出されている。
「ヤバいわね。そろそろ誰か異変に気づかれるだろうし……その前に斃さないとね」
「ああ。今度は逃がす気は無い」
「……でも相手は成長しているわ。この日陰市に存在する魔術師を悉く喰らって――それこそ“上位架空系統”クラスよ」
 緊迫した愉喜笑の声に遠華はただ自嘲の様な笑みを浮かべ、
「俺が負けると思ってんのかよ。……でも希望はここにいろ。目をつけられたからな、あの鬼に」
「え……い、嫌ですっ。私も――」
「こ・こ・に・い・ろ」
 そう言って遠華は『Complete』から去った。その背中にため息を吹き、苦笑する愉喜笑。希望は睨みの効いた声に身をすくませたまま、動かない。
「気にしない事よ。……言ってる事は正しいし、それだけ大事に思われているんだから」
 でも、と愉喜笑は前置きし、
「アイツは一人じゃダメ・・・・・・なのよ」
「どういう意味で――」
 そこで口を閉ざす。隣に言葉が立っていたからだ。彼女は睨むように遠華の去った扉を見つめ、
「――愉喜笑さん、私が行きます。……無茶、させない」
 そう言って奥に身を翻し消えていった。彼女は裏にある出入り口から行くのだろう。それを希望は視線で追うようにしか出来なく、やっとの事で口を開いた。
「言葉さんは……一体どうしたんですか?」
 その問いに愉喜笑は苦笑を返した。奥からはバタンと扉を閉める音が響いている。
「――遠華は時々無茶をするのよ。最近は……希望ちゃん、アナタという存在が彼の無意識・・・・・を引き止めているけど、昔は大怪我をして帰ってくる事は珍しくなかったわ。だから言葉はそのお守り。……誰かが、アイツを引き止めておかないと――」
 それ以上は言わなかった。
 希望は少しだけ寂しそうにした愉喜笑の動作を見逃さず、しかし何も出来なかった。
 自分は待てと言われたが、言葉は出ていった。では自分はこのままでいいのかと。胸に疼く心配という感情が、希望を我が儘にさせた。
「見守る人は、多くてもいいはずです。それに私は助手なんですからねっ」
 そう言って、また一人『Complete』から消えていった。それを見つめる愉喜笑はため息をつき――しかし誰もが帰ってきてくつろげるようにと、彼女は新しいコーヒーを煎れだした。



「……美味いかよ」
 口を赤に染め、腕の中に抱く何かを貪る鬼にはっきりと怒気を込めて遠華は言う。
 場所は日陰市の最も南、港に変更された。静かな波がコンクリートにぶつかり、引くように海へ戻る。その行為が発生させる潮の音をBGMに緊迫したシーンが彩られる。
 手には白刃の刀『天羽々斬』で、今回『オフィユケス』は牽制と追跡にしか使用しなかったため『Complete』にある。相手は体格が二倍にも膨らんでいた。相当な人数を喰ったのだろう、ソレから感じる威圧感は先ほどと比でない。
 頭上の角も更に伸びており、髪まで生えている。鉤爪も牙も全て分厚く強化されており、しかし俊敏さは失っていない筈だ。全てが強化され、脅威となっている。
 鬼は遠華の呟きにやっと気づいたのか、こちらに血に染まった大顔を向け修復された左腕をちらつかせ、
「グッグ……」
 笑いやがった。
 貪っていたソレを一気に丸呑みにし、筋肉の隆起した丸太ほどの太い腕で口元を拭う。
 希望がこの光景を見たら卒倒していただろう。『Complete』に置いてきて良かったと思い、
 ……一人で戦う、か。
 数週間前と同じ状況となって少しだけ、ほんの少しだけいつもとは別の感情を得た。戦うのは一人だが、そこに誰かが居合わせていたのだ。それに苦笑しか出来ず、
「始めよーぜ、鬼――いや、大鬼か。俺の言っている事が、理解できるだろ?」
「……ゥググ」
 答えは口元を三日月に曲げた笑いだった。それが、合図。
「ふっ!!」
 踏み込み一つで大鬼の正面に移動する。大鬼はその動きに一瞬だけ迷い、
「グガァァァ!!」
 しかし即座に両腕を叩きつけに来た。その腕を刀で弾く。大鬼の皮膚は硬くなっており、軽く弾く程度では傷もついていない。
 遠華は右足を軸に半回転、背を大鬼の側面に向けるようにして立つ。そしてもう一度半回転し、バットを振るように腹を断つように切り込む。しかし大鬼はアクロバティックな宙一回転することで躱す。
「随分と芸達者だな――」
 振りかぶった反動で身をよじる遠華の背中に、思いっきり丸太の両腕をぶち込んだ。
「がっ!!」
 先ほどビルに叩きつけられたお返しだ、とでも言うように遠華の全身はコンクリートに打ちのめされる。だが遠華は止まらない。
 彼はバウンドの瞬間、横に転がる事でもう一撃を回避する。砕けた地面を見つめながら立ち上がった。
「馬鹿力だなぁ……おい」
 大鬼は答えることなく身を動かし立つ遠華の腹部目掛けて腕を突き出す。伸び硬くなった爪は、しかし遠華を切り裂かなかった。
 攻撃の瞬間に手に持つ刀を地面に突き立てたのだ。流れるように中指と薬指の間に刀が差し込まれ、裂いた。
「オォォッ!!」
 右腕を手首ほどまで斬られた大鬼はしかし動きを止めない。突き刺さった刀を更に食い込ませたのだ。
「なっ――」
 食い込み動かない刀を手放せず、遠華は修復された左腕のフックに直撃した。脳が揺れ意識が途切れかかる。衝撃と共に吹き飛び、五メートル先の地面に落ちた。
 頬が掠り削られる。小石を食ったのか、口の中がジャリジャリする。生暖かい液体と共に、だ。
「決死の反撃って事かよ……」
 油断した。
 大鬼は己の身体よりも敵を倒すことを優先した。己の腕傷を舐め、地にひれ伏している遠華を見て、
「ガ……ヨワ……イ……ギャ、ギャバハハハ!!」
 大笑いをし始めた。
 人を食い、更に強くなった鬼は知能も発達したのだろう。こちらを雑魚と言い、ゲテモノの笑いをする。
 滑稽、侮蔑、脅威、羞恥、殺意、肉食、全ての入り混じった胸糞悪い笑い。
 それが――全て自分に向けられ、

「――――ぁ?」

 『暴力』が、動いた。



 少々油断していただけだ。
 この後立ち上がり戦闘を続け勝つ。それは当然のはずだった。
 少々油断していただけだった。
 笑われた。笑われた。――その笑いは俺を殺した・・・・・ヤツの笑いと同じのようで。
 嘲るようで罵るようで粘着質で滑稽だとでも言うように。
 憎かった。殺してやりたい。『右胸』に突き刺さった大剣の痛みも忘れるほどに憎かった。
 俺は殺された。だから、

「――殺してやる、『インリ』!!!」



 笑う大鬼の目の前から、大声を上げて彼は消えた。そして大鬼の、
「鬼になって大鬼になって、酒呑童子飲みすぎ蛇の息子にでもなるつもりか? ああ?」
 背後から声がした。次の瞬間、大鬼は右腕の半分を刀ごとゴッソリ持っていかれた。
 それにワンテンポ遅れて大鬼は気づく。叫ぶ間も与えず、大鬼はその刀で瞬時にして左腕を切り飛ばされた。修復しされた左腕は、再度宙を飛ぶことになったのだ。
 両腕を失いバランスの保てない大鬼は、しかし顔面を砕く勢いで掴まれ立たされることになった。遠華によって。
「中途半端な出来損ないが――」
 本来身長差から在り得ないはずの宙吊り。その身体をストン、と力も無く振り下ろされた刀が伝う。
 その裂かれた硬い皮膚が、勢い良く血を流し始める。大鬼の抵抗である右足の蹴りが、油断していたのか遠華の顔面にぶち当たった。しかし遠華は何事も無かったのように無視し、
「俺を弱いってか? 弱いってのは――」
 一気に大鬼の喉元に白刃を、
「――テメェの事だろう――なっ!?」
 突如横から伸びた白により弾かれた。次に脳天に思いっきり、『何か』がぶち込まれた。

「――ハル、はしゃぎ過ぎ」

 原因は面白いくらい簡単。キレて己を見失っていた遠華の油断を利用し、単純にトレイの一撃・・・・・・を加えたのみ。先の白は正確無比の銃弾で、その証拠にその少女は右手に半自動式銃セミオートマティックが握られていた。
 脳天に響く一撃と少女――言葉により、遠華は全てを取り戻す。
「……あ、ああ」
 驚きのあまり手に掴んだ刀と大鬼を離してしまった。
「俺は……そうだ、鬼――」
 肉塊のように倒れこんだソレはまだ息がある。そうだ、自分がこうしたのだと。
 同時に『右胸』に激痛が襲う。軋み、焼かれるような痛みが全身を支配し、思わず膝をついた。
「ばか。ハルは無茶しすぎだってば。……心配、するでしょ」
 言ったセリフに言葉は俯き、遠華の腹部に軽い打撃を加えた。
「痛っ。このっ……て、照れてんのか?」
「うるさいっ」
 もう一度打撃が来る。それに苦笑し、
「あいたたた。……にしてもさっきからネコミミが見えているんですけど」
 詰まれた荷物の側面、ひょっこりと尖った三角形が突き出していた。
 同時にもう一人の少女が姿を現す。恥ずかしそうに、懺悔するように俯いており、
「希望、だな」
「ごめんなさい。でも、心配で……」
「……そか。俺も無理矢理……悪かったな」
 二人してショゲる。その二人の両背中をバシン、と叩き、
「帰る」
 一言だけ告げた。



 自分はまだ生きているのか。腕が痛い腹が痛い。
 肉塊になり損ねた大鬼を無視して彼らは話している。それに腹が立つ。
 両腕を失いバランスの取れない大鬼はしかし顎を使って立ち上がる。顔面もぐちゃぐちゃで角も折れ、再生も間に合わず死を待つのみ。
 しかし大鬼は諦めない。最後くらいは上物の餌を食べて死のう、と飾りのつけた少女に狙いを定める。動物の生存本能が、大鬼の力を数段上昇させる。
 風前の灯である自分の悪あがきだが、何も無く死ぬよりはマシだ。
「ガガアァッ!!!」
 全力疾走に全力で大口を開け、全力で喰らいにかかる。脅威は全く無い。
「ァガガ――ア?」
 その筈が、一瞬で全身から力が抜け、開いた口に一つの丸い金属をぶち込まれた。
 ――そして、終わった。生の終着も、肉食への欲求も。
 最後に思い浮かんだのは、実験動物・・・・だった自分の卑小な姿であった。



 以前のヴラドクとの決着の時のように、希望と言葉が現れた。そして相手は巻き戻しのように希望を狙う。
 しかし過去とは違う。遠華の刀は大鬼の倒れていた場所にあり、希望が魔術詠唱が始まるよりも先に――言葉が動いていた。
 動作は三つ。
 動くのはセミオートを持つ右手。相手は高速で照準を合わせる暇もなかったが、言葉には必要無い・・・・・・・・。続けざまに三度引き金を引く。冗談のように全て命中。両太股を打ち抜かれ、極めつけに胸を撃たれた大鬼は数瞬硬直する。
 しかし言葉は止まらない。この硬直の間に役立たずの遠華と口を開く希望を突き飛ばし、地面に伏せさせたのだ。
 最後。彼女は膝まで伸びるスカートの裾を引き上げ銃を捨てた右手を突っ込み、何かを取り出した。その金属製の何かからピンのような物を引き抜き、銃撃の硬直から開放された大鬼の迫る大口に放り込んだのだ。全ては速く鮮麗されており、正確な速攻。そして、

「……ボンバー」
 彼女の目線の先、大鬼の頭部が――爆砕した。

 ゆっくりと大鬼であったソレは身体を倒し、可能性である『魔力』を糧にしていたソレは斃されることで全てを失い塵となる。残されたのは牛のような角と、動物の皮のようなもの、そして肉であるその他だ。
「え?」
 魔術詠唱を止めた希望が顔を上げた。と、同時に遠華にもピンクのソレがぺしゃりと落ちてくる。
 ……えっと、これ脳だろ。
 数秒遅れて理解した希望が、ぶっ倒れた。
「……おいコトハ、手榴弾とは派手じゃねーか。それとボンバ−って何だよ、ボンバーって」
「急いで出てきたから重いの持って来れなかった。ボンバーはTVで見た決めゼリフ」
 そんな決めゼリフがあってたまるか、と遠華は思い、しかし一つの映像を思い出す。
 それは言葉に押し倒され、彼女がスカートから手榴弾を取り出す時のものであり、
「水色の縞……」
「忘れてっ!!!」
 再度靴裏とその向こうの水縞が迫り、遠華は蹴飛ばされた。
「ぎゃふっ」
 顎を打ち据えた遠華は起き上がり、痛みの止まない顎を押さえながら前を見る。
「朝、か」
 彼らの目線の先には朱の色が浮かびだす海と空。そこには薄暗い蒼から夜明けの紅へとグラデーションのかかった芸術品が完成していた。それを前にして二人は潮の香りを思いっきり深呼吸で吸い、吐く。
「……その、ありがとな。色々と助けてもらってさ……改めて」
 顔が赤いのは朝焼けの所為だと勝手に理由をつけて遠華は言う。
「……うん。こちら、こそ」
 それに答えた言葉の顔が赤いのも朝焼けの所為だとして、ゆっくりと明日を迎えた。
 必ず訪れる、明日を。



「そういうことで、大鬼の処理は任せてくれ。それに犠牲者も通り魔って事で済まされたみたいだ」
 優治朗が笑って言う。場所は『Complete』のカウンター。昨日と同じような場所で二人は話していた。
 早朝、希望を担いで『Complete』に帰ってきた二人を迎えた愉喜笑は奥の部屋で未だ昏倒している希望を介抱しているらしい。その後事後処理もあるため即行で優治朗を呼び今に至る。
「しっかしあの鬼はどうやって発生したんだよ、オッサン」
「……それが不明なんだなぁ。今度調べておくさ」
 軽口を叩いて優治朗は言う。彼は立ち上がり、
「じゃ、これが報酬だ。今回は助かったぞ、ありがとう」
 分厚い封筒をベッドに置き、軽くお辞儀をし優治朗は去っていった。その先には眉間にシワを寄せる習人が立っており――あ、今跳び蹴りが入った。何かからまた逃げてきたのだろう。
 さて、と立ち上がろうとした遠華の前に救急箱を持った言葉が立ちはだかった。その手にある救急箱を置き、
「ダメ。今から治療」
「……唾つけときゃ治るって」
「汚い。それにやせ我慢しないの」
 テキパキと裂傷のある頭に頬の擦り傷、腕の打撲には湿布を張ってくれた。
「ぐるぐる巻きにされるかと思った……」
「ばか」
 同時にフォークが突き出された。一瞬ビビるが、その後更に突き出されたケーキの乗った皿で理解する。
 苦笑し、ケーキを一口。
「美味い美味い」
「そ」
 それだけ言うと言葉はプイとそっぽを向いてしまった。御機嫌取りに一口サイズのケーキをフォークの上に乗せ、
「ほれ、食べるか?」
「っ!?――食べないっ!」
 顔を真っ赤にした言葉はこちらを思いっきりケ−キの乗せてきたトレイでぶん殴った。
「き、効くな〜」
 クラクラしながら去る言葉の怒り背中を見る。と、その背中が一度こちらを振り向き、
「……無事で、良かった」
 そう言ってもう振り返ると無く仕事へと戻っていった。
「心配……されたって事か?」
 それは無いな・・・・・・と独り呟き、
「ああ、そういや金金」
 カウンターの上の封筒に手を伸ばした。しかし異変に気づく。膨らんでいるのに重くないのだ。嫌な汗が頭から流れ頬のガーゼが吸収する。恐る恐る力を込め、半ば分かっているが引き裂いた。
 封筒の中に入っていたのは――丸められた厚紙と五百円玉。丸められた厚紙にはこう書いていた。

『――依頼料五百だ!! 五百である事に変わりは無い!!!』

 思いっきり確信犯だこのオヤジ。
「あ、あの野郎っ!!」
 呆れる言葉を尻目に、遠華は優治朗をとっちめるべく即座に『Complete』から飛び出した。
「――最悪だぁぁぁ!」

 こうして非現実ファンタジーの巻き起こした騒動は一段落ついたが、まだまだ遠華と周りの苦労は絶えそうにも無いようだ。







あとがき





 だが私は謝らない(え
 前回よりも更に長めのコンプ、完読ありがとうございました〜。
 こんにちは、七桃 りおです。
 今回のコンセプトは『深い世界』と『スンゴい力』です。ちなみにあとがきは『ちょっと濃いよ!』です(マテ

 今回の新キャラは二名です。だんでぃとエリート、B○でも出来そうですねっ(激マテ
 相川 優治朗あいかわ ゆうじろうことオッサンはそのままオッサン。
 群上 習人むらかみ しゅうとこと新入りはそのまま新入り。
 彼らも魔術師ですね。どんな能力を持つのかは後のお楽しみです。今回彼らの活躍が書けなくて残念でした。

 またしても用語の増えたコンプでしたが、一応説明づけはできたかな、と。
 回りくどいですがこれも一種の味だと思ってください。
 不明慮な点や疑問があればどしどし言いつけてください。
 なぜなら次回に『おしえてっ、愉喜笑さん!(仮題)』を予定しぎゃふっ(殴
 まあ大抵は感想返信時にお答えしますが。

 ツンデレは今、着実に世界を(削除
 今回の言葉は真の威力発揮ですよ〜、特に終盤とか(ヤリスギ
 ちなみにセミオートとか手榴弾とかやってましたが彼女は重火器が好きなだけで本来の強さは別にあります。一応描写しましたし。
 なので某風紀委員とは関係がありません、あしがらず。……好きですけど(告白

 でわでわ、七桃 りおでした〜。




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