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〜海と泥沼の間〜

七桃りお



 眼を醒ます。
 そのまま左右に視線を走らせた。カーテンのない質素な窓から射す光がまだ淡いことから、時刻は朝だと知る。
 床で寝てしまった為か、身体の節々が軋む。何故なら、ベッドは奪われたのだから。
「っ痛――」
 身体を起こし両手を挙げ、簡単な柔軟。パキパキと調子良く音が鳴る。
 場所は勿論遠華の住居。部屋は広い。
 まずは家具。人が入っていてシーツが丸まっているベッド、そして書類が無造作に山積みされたデスク。それだけだが全てがだらしなく、生活観が全開だ。
 まるで少ない家具達が自己主張するかのような汚さ。まあ、家主の所為であるが。
「…すぅ…すぅ…」
 所狭しと投げ散らかされた週刊誌や書類を軽業師のようにひょいひょいと避け、異物を取り込んで丸くなったシーツを持つベッドの前に立つ。
「おぅらっ」
 シーツを力尽くで引っぺがした。
 ごろんと転がって現れたのはシャツ一枚を着ているだけの少女。頭には潰れたネコミミがついている。
 (そういえば……着るものが無いからってこれ・・にしたんだっけ)
 今更後悔。
 子供と言っても、やはり女性は女性。
 胸の膨らみも、シャツから覗く雪のような肌も今はただ意地悪に理性に刃を向けている。
(いや、決して幼女趣味とかそういうわけではない。人が若い娘に惹かれるというのはいたって普通であり――)
 あくまで自己の趣味の正当化を必死で頭の中で組み上げる。そんなことをしている内に、
「……にゃ…はぅ」
 寝ぼけ眼を擦りながら起き上がる希望がいた。
「…おはよう……ごじゃ…います」
「ああ、そうだ。だからこそこの世は犯罪が多いのだ。いや、この世だからこそ犯罪が多いのか――」
 一生懸命熱弁中。
「…あ、着替えないといけませんね…」
 そんな遠華を放っておいて、ワイシャツのボタンに手をかける。が、
「まぢで勘弁して下さい……」
 必死の形相で伸ばされた手は、がっちりと希望の細い腕を捕まえていた。
 これ以上はもう持たない。早々に退散することにする。
 ハテナのマークを浮かべる希望をおいて、一人遠華は扉の外に出た。
「……俺、情けなくないか?」
 ともあれ、遠華の自我は保つ事ができたのである。



 遠華の住む日陰市ひかげしは、それこそ悪徳に満ちていた。
 便利さを追求するあまりに悪しき住環境を生み、快楽を追求するあまりに犯罪を生みつづける巨大都市。
 それがこの日陰市だ。
 警察も存在するがソレは警察として機能していなく、厄介ではあるが脅威ではない。
 元はただの臨海市だったが、急速な都市発展により無数のビルが立ち並び、繁栄を極める一方で治安は悪化。
 国さえも見放す都市に。
 南にある臨海部に近づくほど治安が悪くなり、夜は出歩く事さえもままならない。
 が、遠華のマンションや『Complete』は比較的安全な北区に存在しているため、その点では安心と言える。
 着替えた希望を連れ、遠華は『Complete』へと足を運んだ。迎えたのはトレイの一撃。ちなみに遠華限定。
「働きなさーいっ」
「働いてるっての!」
 間違いではない。かなりヤクザな仕事だが。
「言葉」
 入り口で口論していると、奥から声が飛んでくる。愉喜笑だ。
「ったく、遠華はい・ち・お・う客なのよ」
「おう、客だ」
「ツケが五桁あるけど、客なのよ。……あ、何かムカついてきちゃった。言葉、もっと殴りなさい」
「分かりました、愉喜笑さん」
「そげなっ!!」
 パコンとトレイが音を放つのに対し、希望はその脇を通り抜け愉喜笑の前のイスに座る。
「以前と同じパフェを、お願いします」
「――ふざけんなげふっ!」
 鳩尾に角がのめり込んだことに満足して、言葉は猛攻を止めた。
 四角いトレイには傷一つ無し。結構分厚いのだ。
 こみ上げる吐き気を我慢して、遠華は強がりを口にした。
「は…はっはっは、可愛い女の子がいて幸せだなぁ」
「心はオヤジ」
「………」
 トドメを放ち、通常業務に戻る。
 といってもこの店内に客はいなく、店主と給仕とパフェを食べる少女と撲殺死体だけだ。
「はぁ。…で、今日はどうしたのさ?」
「お買い物に、行きたいです」
 断固とした意思があるのか、希望はキッパリと言い切った。
「私、お洋服がありません。それに…」
 だが、そこで口ごもる。もごもごと動く口は何を伝えたいのは分からない。
 そこで愉喜笑が気を利かせたのか話をすっ飛ばしたのか、ともかく助け舟を出した。
「そうね、希望ちゃんの服やら何やら必要だし。遠華、そういうことでいいのかい?」
「ああ、海原市みはらしには俺も用がある」
「……『アレ』か」
「そだ」
 二人納得して希望を置いていく二人。
「じゃ、あたし達も買出しでもするー?」
「そうですね。豆や食材が切れてますし」
「決定だね」
 という事で日陰市を離れ隣町、海原市への買い物が決行された。



 海原市へは電車を使用することになる。
 都会に配備されているようなリニアモーターカーは通じていなく、古めかしい電車を使用しなければならない。
 一応首都にも負けないほどの発展を見せている日陰市だが、社会からは完全に見放されている。
 発展は全て日陰市を牛耳っている企業――特に『シンクロニシティ社』――がしている事に過ぎない。
 シンクロニシティ社――。
 日陰市を発展させ、犯罪都市にした張本社であり、日陰市の影の支配者。
 市長でさえもシンクロニシティ社の社員である滑稽さ。
 幾つもの小企業を持ち、その異常な財力からバックが存在するのではないかと言われるほどだ。
 実際、存在する。――『福音エヴァンジェル』。
 シンクロニシティ本社の社員は殆どが、魔術師。シンクロニシティも“福音”の足に過ぎないのだ。
 ここで注意がしなければならないのは、“福音”は確かに悪い噂も沢山あるが、それは一部の人物の話ということだ。
 “福音”は、魔術師で管理される組織の事だ。
 この組織の基本は『魔術理解の前進、魔術関連の隠蔽、魔術社会の実質的管理』である。
 つまり魔術を研究し、魔術が現代へと明るみになるのを防ぎ魔術社会を統治する組織なのだ。
 だが、一部には過激な魔術師達も存在する。
 その魔術師達が、『魔術理解』や『隠蔽』や『管理』と称して悪事を働いているのは間違いない。
 シンクロニシティ社もそういう者達が創りあげたモノだ。
 だが、“福音”は『魔術理解』等と称しているため口出しが出来ず、その過激な魔術師に上層部も絡んでいるのだから。
 まぁ、やりすぎはそれ相応の罰が待っているが。
 中には“福音”の支配から退くために、他の『三大魔術組織』に避難する者もいるのだ。
「次は――海原市、海原市でございまーす。お忘れ物の無い様――」
 と、思考を止めて窓の外を見る。
「綺麗、です」
 希望が感嘆の声を挙げるのも分かる。
 日陰市のビルで潰された海岸よりも、市名になるほど美しい海原の方が良い。
「って、泣くなよっ!!」
「え?泣いてますか?」
「おいおい、気づいてないのかよ…」
 不思議に思いながらもぼろっぼろ大粒の涙を流す希望を無言で引きずって、鉄の香りを残す電車を後にした。



 駅を出て、まず眼にするのは人。適度な人の歩みは絶対に日陰市では見ることができない。
「人がいっぱいですっ」
「そうね。日陰市ではありえない光景ねぇ」
「暑い……」
 各々の感想を述べた後、ここで別れを済ませることにする。
「短い付き合いだったな。……じゃ」
「ええっ!?」
「スマン。俺には行く所があるんだ。――じゃ愉喜笑さん、終わったら連絡する」
「あいよ」
「あぅあぅ……」
 おろおろとする希望を尻目に、希望は駆け出した。……面白い。
「はぁ。……希望ちゃん、あれは冗談だから放っておきなさい」
「ハルの冗談」
「ええっ!? 冗談なんですか?」
「ユーモアセンスなんてまったく無いけどねぇ」
「同意」
「……じゃ、どこに行ったんですか?」
「あ、あー、それは……行って良いのかねぇ」
「教えてください」
「愉喜笑さん、希望の意志は固そうですよ」
再度はぁ、と愉喜笑はため息をつき、
「仕方ないねぇ、秘密よ? ……じゃ、追いかけよっか」



 希望達から離れて三十分。
 比較的駅から近い場所だが、ビルなどは反対方向にある。つまりここは少しだけ中心から離れた場所だ。
 家の並ぶ住宅街。すれ違う人たちは主婦や子供で、平穏以外知らないといった様子で歩いている。
 そんな安全で普通な場所。そこに一つの場違いな木造建築――否、神社が建っていた。
 一歩神社に足を踏み入れると、
「あー、ハルー!」
「ハルぅー、ハルが来たー!」
 太股ぐらいしかない子供がわらわらと現れた。遠華にしがみついては引っ掻き、殴る。
「あだっ! あだだっ!!」
「こぉーらっ、やめなさい!」
 そこにぴしゃりと威勢の良い叱責が飛ぶ。子供達はしぶしぶ遠華から離れ、声の方向へ振り向く。
 振り向いた先には十七ぐらいの少女。清楚な雰囲気にピッタリの黒髪と『白衣に緋袴』が印象的だ。
「お姉ちゃん、でもハルが来たんだよ」
「ハルだよ、ハル」
「お義兄にいさん、でしょう?」
「おにーちゃーん!!」
 一斉に威勢の良い声で言われ、遠華はその覇気に負けてちょっと焦る。
 ちなみに現れた巫女装束の少女の名は海原 果実みはら みのり
 遠華はこの少女に会うためにここに来たのだ。
「おう、果実。今月はちと少ないが、先月よかマシだ」
 懐から厚めの封筒を取り出す。
「そんな、義兄さん。ありがたく、受け取っておきます」
 長い黒髪を紐で結った後頭部を揺らし、深くお辞儀をする果実。と、遠華はその行動に慌てた。
「果実ぃ……義兄さんは止めないか?」
「あは、でもお義父さんよりはいいでしょう?」
「そりゃなぁ……」
 そこで両者苦笑。だが直後、果実は真剣な顔になり、
「でも、義兄さんのお陰でこうやって生活していられるんですから」
「ああ〜、いいんだって。俺が勝手にやってるし、保護者だからな」
「いえ、こんな大金を毎月…。お陰で皆すくすく育っています」
 そう言って果実は、ぎゅっと手の中にある封筒を握る。それだけでも感謝の気持ちが伝わってくるものだ。
「素行の悪いヤツはいるけど、この様子じゃ大丈夫みたいだな。果実のお陰だな」
「ありがとうございます」
 そう言ってまた深くお辞儀。そこで遠華は踵を返す。
「もう、行くんですか?」
「ああ…連れがいてな。また来るからな」
「はい――」
 眼を閉じてまたお辞儀。礼儀のいい娘だ、と内心思いながら遠華は神社――孤児院を後にした。
 だが角を曲がると、
「どわっ!?」
 ぼろっぼろ涙を流す希望と、それを宥める言葉、照れ笑いを浮かべる愉喜笑さんだった。
「わた…し、はる…かさんのこと…みなおし……です…うぐ」
 何を言っているか理解不能。
「あー」
 ぽりぽりと頬を掻く愉喜笑さん。…こいつが張本人かっ。
「何、教えたんですか」
「全部よ」
「はぁ……」
 予想通りだった。でも何故泣いているのか、理解不能だ。
「遠華さんが…子供達をっ……買ったって」
 まぢで誤解されそうな一言だった。だが納得はいく。
 …そこまで泣くようなシナリオではないような気がするが。
 構わず歩みを進める。目的は駅の向こう、市の真ん中だ。
「ばか、服やら何やら買うんだろうが。急ぐぞ」
「はいぃぃ」
「……ハル、ちょっと照れ屋」
「お咎め無しなのは嬉しいわ」
「外野うるさいっ!」
 小走りで先頭を追いかける三人。
 遠華が子供達――あの孤児院の――を買ったのは真実だ。だが、それには訳がある。
 あの子供達は全て、シンクロニシティ社で扱われていた被験者・・・だ。
 人体改造、臨死体験、魔術素材……。それらを行うために何処からか入手してきた子供達モルモット
 それが見ていられなくて。まるでそれが『自分』のようで――。
 だから大金を叩いて買った。
 それこそ会社一つ買収できるような金額。それを見ず知らずの子供の為に、使った。
 元より使うアテは生活のみなのだ。少々高い買い物も、たまにはいいだろう。
 安全な海原市に住居を作ってやり、孤児院ということで世間の眼を誤魔化した。色々と工作もした。
 ちなみにあの神社は、跡継ぎがいないとかで海原市で少々話題になっていたのだ。
 それを嗅ぎつけた愉喜笑が遠華に紹介してくれた。
 遠華は持ち主に話をつけ、孤児院となった神社を監督者となった遠華が管理・維持することになった。
 だが問題だったのは、子供達の面倒を見る人物だ。
 沢山の子供と孤児院を維持するためには金が必要。遠華は、それこそ不規則な仕事であっても仕事がある。。
 そこで、この果実が名乗りを上げた。
 買い取った子供の中でも一番年が高かった彼女は、率先して面倒を見た。で、今ではあの通り。
 学校など最早行けるわけが無い。
 だが、彼女は幸せなのだろう。無論、さっきの笑顔を見ての断言だ。
 元々明るかった果実のお陰で近所付き合いもスムーズになり、最近は近所のおばさんまで子供達の面倒を手伝ってくれる。
 孤児院となっているにしても神社としては経営しているので、果実が巫女を引き受けることになった。
 ともかく、果実には感謝している。子供達を助けた事は、単なる自分の自己満足に過ぎない。
 後のことなんて考えてなどなかった。
 だが、だからこそ――あの子供達は笑っていられるのだから。



「どうして女ってのはこうも……」
 ずっしりと両腕には重み。ぶら下がった紙袋は、女性の強さを表しているのか。
 無論、遠華は荷物持ち。
 ショッピングモールに入ったが、買い物は希望の為だ。遠華は結果的に彼女達のあとをついて行く事になる。
 これは宿命というヤツなのだろうか。女三人は大きなテーブルを見ながら、きゃっきゃと何か喜んでいた。
 到底、理解などできない。
「つーか何で家具なのさ」
 目的は希望の衣類。それらを買ったら希望を愉喜笑の所、『Complete』に預けるつもりなのだ。それが、
「なぁなぁ、そんなテーブル見てどうするんだよ」
「え?」
 不思議そうに希望が聞き返す。そんな返し方されたら、こちらがおかしなことを言っているかのようだ。
「だから、何で家具?」
「ハルの部屋、テーブル無いでしょ」
「ああ」
「ですから、必要だと思ったのです」
「そうか」
 ――って、
「何でだよっ! 俺はアレだけで十分だ!」
「いえ、遠華さんのお家は……」
 そこで朝と同じように希望が口ごもった。そこで言葉が一歩前に出て、
「無理矢理聞いたけど、希望はハルのお家に何も無いって言ってるの」
「だが俺の部屋は汚い」
「うん、汚い。…でも、必要以上のものが無い」
 そういえばそうだ。部屋にあるのは寝るためのベッドと、荷物置きのデスクのそれだけ。
 テーブルも無ければ冷蔵庫もテレビも全く無い。
「それを希望を言おうとしてたんだけど…」
 一息置き、
「居候の分際で失礼じゃないかって」
「あう…」
 希望が泣きそうな顔で声を漏らす。それは小動物…改め子猫の様で、
「…わかったよ。買えば、いいんだろ」
 遠華はその愛らしさにノックアウトされたのだった。
「そうそう、ハルは黙って持ってなさい」
「…でも、希望は愉喜笑さんトコ預けるつもりなんだが…」
「そんなぁ……」
 がっかりとした希望を背に、また言葉が一歩前に出る。
「何言ってるの、ハル。希望はアンタの助手でしょ?」
「違う」
「ハルのけち」
「人でなしですっ」
 背後からの援護射撃まである。ってか希望、お前今家主に暴言吐いたぞ。
「変態」
「変態なんですかっ!?」
「余計な事吹き込むなっての…」
 希望と言葉の攻撃。頭を垂れる遠華に、愉喜笑が、
「ったく、大丈夫? アンタ、まだ前々回の仕事のギャラが残ってたでしょ。だったら大丈夫よ」
 金の心配をしてくれた。
 …ここから泣いてでもいいから立ち去りたい。
「最悪だ…」
 結局、衣類に様々な家電製品や『Complete』の食材まで買わされた。



 両手の大荷物は、歩くのに邪魔。
 ショッピングモールを後にし、人で賑わう商店街に入ったのだ。
「女ってのは、どうして……」
 先ほどと似たような落胆の声を、げっそりとした遠華が放った。
 前方の三人はウィンドウショッピングなんて楽しんでしまっている。絶対、遠華のことを忘れているだろう。
 並べられたアクセサリーを見ている三人にとぼとぼとついて行く。
 これだけの荷物を抱えて歩くのは、疲労よりも羞恥の方が強くなる。
 また落胆のため息をつき、歩くために一歩踏み出す。が、
「――」
 突然、冷たい刃物が首筋に当てられた。否、当てられたような感覚がした。
 方向を真後ろ。距離は大体二十メートル。
 これはスリなんかが狙いを定める視線などではない。完全な闘争の視線。
 意図的か、発作的か。元々遠華はその仕事柄、色々な連中に目をつけられている。
 だが、振り向かなければ誰だか識別できない。だから、振り向いた。
 視線の先で、店と店の間、裏路地に人影が消える。その寸前に、冷たい刃物は霧散した。
 ここまでの殺意を向けられて、無視など出来るか。
 よって追いかけた。
 裏路地に入り、行き止まりまで歩む。素早く左右を見回し、落胆する。
 正直、失敗した。遠華を囲うかのような店とマンションとビルの壁。
 この袋小路で背後を取られれば苦戦は必死。なにより、両手には荷物なのだから。
 腰には二丁拳銃――『オフィユクス蛇使い』があるが、街中で銃声はあげられない。
 聞きつけて人が現れてもいけないし、警察なんて呼ばれたら最悪だ。
 どうする、と思考を巡らした――のが失敗だったか。
 まず、最初に奇妙な感覚。
「――どわっ!」
 そして何処からか、恐るべき速度で飛来してきた物体。それが、胸を浅く切り裂いた。
 だが切り裂いたのは服一枚のみ。遠華は、恐るべき反射で身をよじって避けたのだ。
 気づくことができなければ、胸に穴が開いてぶっ倒れただろう。
 相手は、そう、あの殺意の視線を向けられるのだから只者ではない事は分かっていた。しかし、
「魔術師か……最悪だ」
 初撃を外しかたらか、相手は静寂を保っている。
 先ほどの射撃、あれは魔術だろう。
 感覚と研ぎ澄まし、初撃にもあった魔術発動の際の奇妙な感覚を待つ。
 ――魔術というのは、この世の物質全て・・・・・・・・に存在する源の可能性、魔力マナを操るものだ。
 魔術師は、自己の体内に存在する魔力を汲み上げ、魔術とする。
 魔力は可能性だ。だが、可能性でしかない。その可能性を操り、自在に事を起こすのが魔術。
 だから、魔力で物質は触れられない。
 ゲームなんかでは魔力でバリアなんて作っちゃってる。
 だが実際は、それを凝縮したところで剣は術者を切り裂くだろう。
 しかし魔術で何らかの壁を作るのなら別だ。
 希望が空気を凝縮して銃弾を止めたように。
 まぁ、本来空気の圧縮ごときで高速の銃弾は止められない。魔術の効力は、術者によるのだ。
 ともかく、魔術で無から有は生み出せない。ならば――、
「っだらぁ!!」
 濃縮する殺気。狙いは定められ、魔術の引き金が引かれる。
 遠華は左足を定位置から右に振りぬく動きをした。それは蹴りで、結果は砕き。
 魔術理論に基づくと飛来してくる高速の魔弾は、物質ということだ。
 もう一度飛来してくる魔弾を底の厚い革靴で物質――石ツブテを蹴り砕く。タネが明るみになれば簡単だ。
 火球でも飛ばしてくるなら少々ヤバかったが、見た限り飛来する物質、『触媒』に魔力は使われていない。
 そして、今ここにあるもので手ごろなのは石ころ。
 鉛玉や石塊ならば初撃の後、屑やそのものが痕跡として残るはずだ。
 だが、石ころでも高速射出なら人を射抜けるのだ。
 ニ撃目の飛来方向は上空、恐らく正面に聳えるマンションの屋上。
 高さはたったの数メートル。それを、
「そ・こ・かっ!」
 三歩リズムの助走のみで、駆け上った。
 重力には反していない。跳躍、ベランダの柵に足を引っ掛け、大跳躍。腕など塞がっていて使うに使えない。
 ただの、純粋な脚力。
「っと」
 それができたのは、この人物が通ってきた修羅によるものなのだろうか。



 一瞬で詰めた距離は一メートル。屋上の狩人は、灰色のコートを着ていた。
 フードを被っているため顔は見ることができず、端から覗くのは白い肌と茶髪のみ。背丈からして高校生ぐらい。
「おいおい、“福音”の下っ端か? 俺を射抜きたいんなら、今の十倍の速さでないとな」
 茶化す様に笑う遠華。すると相手もフード越しに笑い、
「そうですよね。――では十倍」
 コートの裾から音速超過の石ころが、空気さえも切り裂いて――通過した。
「ひゅぅ!」
 だが、それでも遠華は射抜けなかった。今のスピードは初撃より実に三十倍。
 それは避けられるものではなく、だから相手の腕、魔術の発射口を蹴って軌道を逸らしたのだ。
 両者共に人外。この世ならざる異形と記した方が良いのか。
「相変わらずの自信家ですね」
 と、そこで相手のフードが頭から離れる。露わになる中性的な素顔。だが、日本人であることが分かる。
「――お前は」

「お久しぶりです竜騎士ドラグーン
「……溢流みちるっ」

 その名を口にした途端、遠華は奥歯を砕く勢いで歯をかみ締めた。
 そうしていないと、『右胸の傷』が疼いて仕方が無い。
「どうしたんですか? そっか、僕が現れた事を不思議に思ってるんですね?」
「……」
「勿論、仕事ですよ。『行方不明になった実験体の確保』ですよ――何か知っているんですか、先輩・・?」
 (コイツは、知ってて口にしていやがる)
 ニタリと笑う少年の奇怪さ。だが、そうしてしまったのは誰の責任か――。
 ともかく、ここで争うのは危険だ。しかし先ほどと訳が違う。
 この少年、溢流と戦うと――この街が地図から消えてしまうかもしれないからだ。
「何で、外した。お前なら本当にあの十倍の速度で石ころを放てたんじゃないか?」
 溢流の力量なら、出来た事だ。いやそれ以上に、この路地ぐらい簡単に消し飛ばせるはずだ。
「もちろん――楽しみは、後にとっておくということですよ」
「馬鹿か。そういう輩は後から必ず後悔するぞ? ああ、あの時殺しておけば良かった、とな」
「何を言っているんですか。――ハハ、オカシナ人だなぁ」
 笑い飛ばす溢流。それを、『昔』のように同じ言葉で返した。
 なんてことのない会話。だが、その端々から零れる溢流の絶対的な殺意と闘争本能。
「まだまだガキって事だ」
 ここで返ってくるのは、「はい、まだまだ子供ですよ、先輩」だった。――だったのだ。

「――いいえ、もう大人ですから、先輩」

 その言葉を聞いた瞬間、呼吸をするのを忘れるほど不思議な浮遊感に捕らわれた。
 両腕の荷物は運良く隣のマンションのベランダに引っ掛かったが、
「ではまた、先輩」
 自分は本当に落ちていた。
 つまり、立っていた場所の崩壊。それも遠華限定の。
 原因は、今すれ違った少女・・・・・・・だろうか。
 その少女は屋上の一階下で、落ちる自分の視線の先に立っている。
 両手が淡く輝いていた。魔術だ、と思った矢先。
 考えている暇など無く、遠華は瓦礫と共に、砕かれ柱を失い崩れるするマンションへと沈んでいった。



 今、線路を横にして歩いている。
「はぁ。……何やってるんだか」
「軽率」
「うわー、酷いです」
「傷をツンツンするなっ!!」
 痛いのだ。
 気がついたときは本当に瓦礫の中で、重い柱が乗っかっていたのだからしょうがない。
 脱出に時間がかかり、後から荷物も一緒に潰された事に気づき、探すので日が暮れてしまった。
 案の定、ローカルである電車は終電を迎え、数キロの道のりを歩く始末。
 薄汚れた紙袋を持ち、闇で満たされた空に、寂れたレール、生茂った背の低い雑草を踏み越えている。
「ハル、格好悪い」
「ウルセー」
 希望は他人の傷をツンツンして楽しんだ後、線路の上でくるくると踊っている。
 それだけ子供っぽく、まさに子供なのだ。
「……で、何があったのさ」
 唐突に愉喜笑が遠華に問いかける。
「ん、ああ……昔の知り合いとケンカしただけだ」
「昔の知り合い…。遠華、それアンタが――」
「おっと、それ以上は勘弁な。…あんま昔の事を喋るのは好きじゃない」
「…そうだったねぇ、アンタは」
 それきり愉喜笑は黙ってしまう。残り一キロ前後。この沈黙のままでは辛い。
 そこで浮かんだのは視界の端に映る希望の姿。
「そうだ、愉喜笑さん」
「…何?」
「あ、いや……その、希望の事なんだけど」
「ダメよ。希望はキチンとアンタが育てなさい」
 そのコメントは少々誤解されそうだが、この際放っておく。
「そうじゃなくって、…希望が魔術を使ったんだ」
「……今、何て言った?」
 愉喜笑が顔を顰めて聞き返す。それは当然の事だろう。何故なら、
「魔術自体は珍しいものじゃないけど……希望ちゃんは隔離生活を送ってたんでしょうが」
 あえて研究対象とは言わない。
 そして魔術は珍しくない。表社会ならともかく、裏社会に生きる遠華達にとっては敵対や依頼でもよく会う。
 魔術も一つや二つなら少し学べば数年で修められる。
 だが、問題点はそこではない。
 何故希望が魔術を使用できるか、だ。
 研究に必要なければ教える必要が無い。それを意味するかのように希望は必要以上の物事を知らなさすぎる。
「魔術組織の研究ってんだから……魔術を教えなければならなかったのかねぇ」
「かもな」
 思い当たる節がいくつか頭の中に浮かんでは消える。
 否、消している。
 思い出したくも無い過去を幾つか持つ遠華にとって、それは苦痛でしかないからだ。
「はぁ。……とにかく、希望ちゃんは遠華が責任を持って保護しなさい」
「何でさっ!」
 咄嗟に叫んでしまう。希望が嫌いなわけじゃない。このご時世には珍しい、無垢で天真爛漫。
 だが、自分は本当に彼女の傍にいることができるのか。
 遠華にとって、それは何だって当てはまる。
 愉喜笑や言葉とこうやって会うのも遠華には不思議なくらいだ。
 果実や子供達に会うのだって、多くて一ヶ月で三回。
「アンタは…何にでも壁を作ってる」
 ある程度まで入り込み、だけど最後の一線で足を引く。
「そのアンタを、変えられるかもしれないの」
「俺は別に変わりたくない」
 今の自分に満足しているし、不足も感じない。信じているのは刃と鉛だけだから。
「なによりあたし達じゃ、“福音”から…守れない」
「よく言うよ、愉喜笑さんだってコトハだって、まだぶいぶい言わせてるぞ」
 あえて明るい口調で言う。それに愉喜笑は笑った後、
「……冗談は程々にしなさいよ」
 そして愉喜笑は最後にため息をついた。本日何度目だろうか。
 その言葉にまた苦笑して、遠華は視線を線路の上で踊る少女に向ける。
 言葉はそんな希望の後ろを追いかけるように、レールの上をバランス感覚で歩いている。
 子供だ、と心底思う。
 だからこそ子供は裏切らない。だったら、『裏切られた傷』を癒すのも、子供ではないか。
 もしかしたら果実達を助けたのも、そこからかもしれない。
 思わず『右胸』を押さえる。――この傷を、癒せるというのか。
「っだー!!」
 突然大声で叫ぶ遠華。きょとんとした眼で見られる。そんな皆を無視して、頭の中を空にして、

「――わかった。全員、俺が守ってやるよ」

 思いっきりぶちまけた。
 と、そこで苦笑と不満と慌て。
「はいはい、よろしく頼むわ騎士様」
「ちょっと役不足」
「よ、よろしくお願いしますですっ!」
 だが、全員笑っていた。
 陰鬱としている夜の闇すら撥ね飛ばしてしまう笑み。
 “福音”の刺客たる溢流も、謎の多い希望も、遠華の過去も。
 それら全てを無にしているこの一時。
 今、それを遠華は本当に守りたいと思った。それは自己満足で、無謀かもしれない。
 だが、その願いは決して無駄などではないと。
 荒んだ自分への、神からの最後の贈り物。そう考えるのはどうだろうか。
 最後に――俺らしくねぇな――と遠華は笑った。

 
この時、気づいていなかった。
 迫る激突たたかい。満たされていくわかれ
 黒で塗りつぶされた全てが、この先で待ち構えているという事を。

 ――今は、ただ、レールの上で踊っているに過ぎない――




 ガラス張りの最上階は、並び立つビルのどれより高く、偉大だった。
 闇夜の星屑も、ネオンの微光も、全てが塵のように小さい。
 それら小さきものを統べる王。それがこの場所にいた。
 まだ若い、二十代の青年。だが、その青年が常時浮かべている笑み・・・・・・・・・・は、あまりに歪で、
「……では、どうしましょうか」
 また、ソレを平然と受け入れているこの少年も、狂っていて。
 広い一室に二人、青年はソファに全身を沈め、少年はかしこまる様に地面に片足を立てて座っている。
「目標は以後監視。…手を出せば噛まれてしまうからね」
「…せんぱ――いえ、あの『裏切り者』の対処は……」
「裏切り者…」
 突然青年笑みが止み――それ以上の壮絶な笑みを浮かべた。
「違う。違うよミチル。彼は裏切ってなんてない、私が裏切ったんだよ。何せ――」
 異常で、異端。だが、それでこその存在。
「私は『裏切り者ジューダス』だからさ」
 その存在は、だからこそ狂う。それにより、益々異端とされる。
 だが少年にとってこの光景は日常茶飯事――基、この青年の癖であり本質なのだ。
 笑みが何処まで以上であろうと、己の主に変わりは無い。
「……いかがいたしましょうか、インリ様」
「お前に任せる。任せるよ、ミチル」
「では……」
 その言葉だけで溢流の心臓は跳ね上がり、踊り狂う。
 遠華に蹴られた未だ痺れる腕を押さえて、溢流はこの一室から消え去った。
 ――空間転移。
 本来最上級に位置するこの大魔術も、この場所では常識。
 だが、この部屋に満ちているのは魔力だけではない。
裏切り者ユダである竜騎士ドラグーンに――」
 燻る狂気。暴れたがる殺意。それら全てが、この部屋には充満していた。
「――この世の救世主メシアたる666six six six
 その原因はこの男で、

「面白い。面白い組み合わせだね。――神よ、感謝します」

 この男こそが、それらの主なのだから――。





あとがき



 今回のコンセプトは『世界観』と『因縁』です。
 説明不足だったであろう世界観とそれぞれの過去を掘り下げ、伏線化ー。
 よって今回での名誉挽回はちょっとだけです。
 しかし七桃の文章レベルはこの程度です。あしからず(ナニヲ

 電車云々で推測される通り、Complete!の舞台は『近未来』です。
 交通や製品などちょっとした部分しか進んでいませんが(笑

 今回のキャラは三人。
 孤児院の少女、海原 果実はマトモな人。
 黒髪清楚な巫女少女です。――狙ってません。書いていたらこうなりました(大嘘
 恐らく希望がメインで言葉と果実が攻略範囲内でしょう。…え、愉喜笑さん?(核爆
 ライバル?な溢流。彼は後輩です。
 これから障害となるべき相手ですね。属性なんてありませ――ショタか?(爆
 先輩といえど別に学園に憧れを抱いている訳ではありません。断じてw
 謎の人物、インリさんは……アレでアレなアノ人です(えー
 彼については殆ど謎。でもボス的な空気を醸し出しています。
 実はアレでアレな(削除

 魔術云々に関しては解説をこれから織り交ぜて行きたいと思います。
 一応原理などの細かい設定は予め決まっているので困る予定は無いです。

 空白や横線など、一応気をつけてみました。まだまだ改正点が必要な気がしますが、頑張ります。
 でわでわ、汚名返上キャンペーン中の七桃 りおでした。




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