邂逅輪廻



 土煙の臭いが鼻を突く。アンモニアのごとき刺激臭が、金鉱内には広がっている。あちらこちらでツルハシを振り上げ、下ろし、岩を打ち砕く音。奴隷達の呻き声ど悲鳴。監督官達の怒号が聞こえる。そんな中に、ブローロメスはいた。

 本来、ブローロメスは王家の血族である。暴君オガメスの父、レミングバーンの従兄弟の孫であり、上流階級の人間なのである。年齢は今年で十五歳になり、筋骨も逞しい。剣を取らせたら、非凡な才を示すであろう。

 その少年は、オガメスの指示で奴隷の檻に入れられ、奴隷として生き、奴隷として扱われた。鞭で打たれる、拳で殴られることはないが、一年中労働を強制され、一銭ももらっていないという意味では他の奴隷と同じであった。

 元々、ブローロメスは丹精な顔立ちをしている。祖父ゆずりの彫刻のような顔立ちだ。上流階級の女性がほっとくほうが、おかしいのである。成人して大人になったら、どこか遠くの、金をもてあましている女性に高値で売ろうと、オガメスは思っているのであろう。元々働き手はたくさんいる、ブローロメス一人が抜けたところで、どうということはなかった。

 何時間もツルハシを振るい続けていたせいか、握る手は血豆だらけになり、ブローロメスは疲れ果て、その場に倒れこんだ。

「貴様っ。まだ休憩の時間は来てないぞ、立って働け!」

 すぐさま監督官の怒号が飛んでくる。仕方がない、ブローロメスは嘆息すると、再び疲れ果てた体でツルハシを握った。振り上げて振り下ろす、単調な作業をまた、繰り返すことになるのだ。

「ブローロメス、お前はいいよなー」

「なにがだよ、ジャベイン」

「俺なんて、座り込んだ途端に鞭が飛んでくるんだ。それに比べれば、竜の炎に焼かれるのと、焚き火であったまるのと同じくらいの差があるんだからよ」

 そう言う端から、監督官の怒号が飛んでくる。ジャベインは、眉をしかめると、小声でブローロメスに囁いた。

「だろ? 無駄口叩けばすぐこれだ」

 ブローロメスは肩をすくめ、再び作業に戻った。

「今は、こっちするほうが賢明だと思うよ、シャナック・ジャベイン」

「ああ、わかってるさ、アルフェルト・ブローロメス」

 ブローロメス達が働く金山では、金が発掘される。暴君オガメスは、金を一グラム取るためだけに何百人もの奴隷を差し向け、監督官を置き、そして報酬はなしで何日も何日も、一日中同じ作業を繰り返させられるのだ。殆どは外国から買ったり、敗戦国から連れてきた人間達で、低い身分の人間達だった。もちろん教養などなく、大陸で公用されている言葉であるシャリナ語を話せるものは少ない。南のヴェガーダ、西のバイガーンから来た人種が殆どで、ごく稀にシャルセオナの罪人や、身分が低く浮浪者となった者も含まれる。また、海を隔てた遠い北国のラザカンナの奴隷もおり、真っ白な肌をしており、娘達はとても美しい容姿をしており、上流階級の男達の慰み者となったラザカンナの国の人間も少なくない。

 シャルセオナでは圧制が布かれており、多額の税金をオガメスは役人に取り立てさせ、上流階級の人物だけで毎日のように宴会を開いていた。下級の役人達も、オガメスに仕えてそのおこぼれをもらう、というわけだ。そして自由民であり、市民である人間達は、高額な税に苦しみ、貧しい生活を送っている。納税できなかった者は奴隷として、税金分だけ働かせられるのである。

 ブローロメスの友人、ジャベインもその類であった。彼は自由民として生活していたが、ある日税金を納められずに奴隷監獄へ送られたのだ。そしてここ、シャルセオナの外れの金鉱で働いているわけである。

 金鉱での休憩は、朝食時、昼食時、夕食時にわけられ、最初に全体の半分が朝食を食べ、次にまた、もう半分が朝食を食べ・・・・・・を繰り返される。昼、夕食も同じである。主な食事は米粥と殆ど水だけの汁物。運がいいときは、魚の切れ端や、小さい肉が添えられる。

 ジャベインとブローロメスは、まだ昼食を摂っていない。極度の空腹感と、体を蝕む疲労感で、いつ倒れてもおかしくないであろう。――これ以上動くことはできない、二人がそう思った瞬間だ。監督官から、救いの声が飛んできた。

「第七班、昼食の時間だ。全員、宿舎に戻れっ」

 その言葉と共に、金鉱から地上へと、奴隷が全員、移動する。地上では、班別に粗野だが大きい宿舎が建てられており、ひとつの宿舎に千人単位で放り込まれる。金鉱はかなり大きく広がっており、十×十の班があり、宿舎も無論、同じ数が存在している。十の部隊にわけられ、さらにそこで十の班にわけられるのだ。

 このとき、六から十班までが昼食にありつくことができた。途中で過労死したり、仕事ができなくなり放り出された人間を含めなければ、四千三百人程がそれぞれの宿舎に入り、配給制で食事をもらった。

 二人が粗末な食事をもらい、粗野な宿舎に入り、机がないために冷たい床に座り込んで食べていると、一人の少女がブローロメスとジャベインの近くに歩み寄ってきた。名を、シャルガナ・ポーレンといい、南の山脈を越えたところにあるシャンドゥラからの奴隷である。

 褐色の肌に、ハシバミ色の瞳。堀の深い顔立ちで、美しいではなく、可愛らしい顔立ちである。ジャベインとブローロメスの友人であり、若干十四歳であった。

「やあ、ブローロメス」

「やあ、シャルガナ」

 シャルガナは、ブローロメスとジャベインを認めると、近づいて挨拶をした。

「調子はどう、ブローロメス?」

「最低最悪。そっちはどうなのさ?」

 シャルガナは、サジを口に運んだ。

「昔よりはマシだけど、楽しくはないわね。でも、少なくともあなた達より肉体的には楽よ。多分だけどね」

「なんでさ、ポーレン」

 ジャベインは、シャルガナのことをポーレンと呼んでいる。

「だって、金やら鉱石やらの選別をさせられるだけ。あとは砂金採りとかね。だから、そんなに疲れないわ。でも、もし間違ったら、嫌というほど鞭で打たれるけどね」

 シャルガナは、小さい肉をサジで掬い上げると、歓声を上げた。

「今日はついてるわね。肉を見たのは久しぶりだわ」

「はあ・・・・・・。脱走できたらなあ。そしたら、こんな生活ともおさらばなのに」

「脱走して、どこに行くのかしら? 今は冬よ、雪山で野たれ死ぬのがオチじゃない」

 至極正論である。今まで、なんどとなく脱走を計画してきたが、脱走しても、ここから歩いていける距離に街はなく、食べ物もなく、稀に旅人や商人が、近くを通るだけである。しかも今は冬であり、旅人は普通、この時期にこの場所を通らない。脱走して得があるとすれば、監督官の怒号が飛んでこないというだけであり、苦労と苦しみはむしろ大きくなるだけであった。

「今、この状況を甘受するのが得策だわ。だって、死なない程度には食べ物も出るし、命の保障だけはされてるもの」

「そうは言うけどなあ、ポーレン。俺は自由を手に入れたいよ」

 ジャベインは元々、才覚のある男だった。後の世に舞曲『神々の過ち』を著したのもジャベインであり、後の大詩人家として有名になるのはまた、別の話だが、ここで手をこまねいてツルハシを振りかざしているのが似合わない男であるのも確かであった。

「僕も、脱走したい。僕は逃げ出して、オガメスに思い知らせたいんだ」

「二人とも、いい加減にして! もし逃げ出せたとしても、死ぬに決まってるじゃない」

 食べ終わった器を盆に乗せ、シャルガナは立ち上がった。

「私は賛成しないわ、アルフェルト・ブローロメス、シャナック・ジャベイン」

 そのとき、監督官の怒号が飛んだ。

「七班、休憩は終わりだ! すぐさま仕事を開始しろっ」

 宿舎の扉が開き、男が数人入ってくる。まだ食べ残しである、ないに関わらず、器をすべて片付け始めた。まだ少し残っていた米粥を、ブローロメスは大急ぎでかきこんだ。

「早く行こう」

 食べ終わった器を盆に置かずに(男達の手を少しでも煩わせるため)ブローロメスは立ち上がって扉へと向かった。

 地上に開いた金鉱の入り口である縦穴から、はしごを下り金鉱内へと戻っていく。穴を下っていくと、横穴がいくつか出現するが、横穴のひとつの『七―三』と、書かれた、古く汚い立て札の立てられている横穴に入っていく。そこが、ブローロメスとジャベインの仕事場だった。

 そんな過程にいながらも、ブローロメスは脱走する方法を模索していた。元々、王侯貴族に属し、幼い頃からの教養があるブローロメスは、学術にも体術にも他の奴隷達とは比べ物にならない実力を持っていた。彼の力なら、監督官をのす≠アとぐらいは簡単なのだが、そうしないにはわけがある。

 ここに来る理由があったのも、叔父のオガメスに、「奴隷制度を改正するべきだと思います」と、進言したためである。たったそれだけで、ブローロメスは奴隷監獄行きとなったのだ。成長して大人になったら、外交の道具にでも、金目の物としての扱いにでもするのだろう。

 自分の母とは生き別れ、養育してきてくれた大臣や将軍ともおさらばし、ブローロメスは奴隷になった。監督官すべてを相手にするにしても、多勢に無勢で、ここは知恵を働かせるしかないのだ。

 元々、ブローロメスの母は奴隷の身分であった。奴隷の身分でありながら、ブローロメスの父、カーガッシュは見初め、奴隷の身分を改めさせて妻にしたのだ。整った顔立ちの母だったのだが、納税できずに奴隷として強制労働を強いられてきたのである。母の名は、シュレビアスといった名で、初代シャルセオナ国王の妻であるシュレビアス・シャンヌペチアと同名であった。オガメスはブローロメスの母を嫌い、カーガッシュを戦死に見せかけて殺したのは後に判明する話であるが、ブローロメスが十一歳のときにカーガッシュは死に、その後はシュレビアスに対してきつく当たったのである。

 母が奴隷だったということで、ブローロメスにとって奴隷とは道具ではなく、人間だと考えるようになった。そして、人としての権利が与えられない奴隷に対して寛大な心で接しようと思い、人としての権利が奴隷に戻ることを望み始めた。

 ブローロメスは、自分が実際に奴隷となったことで、その志しを一層、強いものにした。オガメスは後に、ブローロメスを奴隷としたことに後悔の念を抱くであろう。ブローロメスは、この状況から脱出できるかもしれない方法を思いついたのだった。

「ジャベイン、脱出したいか?」

「当たり前だろ」

 ツルハシを振りつつ、ジャベインに問う。ツルハシの音に紛れて、その声は監督官にまで届かずに消え去った。

「僕にひとつ、考えがあるんだ」

「俺達が脱出できる考えなのか?」

「ああ。だけど、そのためにはシャルガナの協力も必要だ。夕飯のときに、訊いてみようか?」

「そうしてくれ。ひとまず、今は黙って仕事を続けようぜ」

 ジャベインがツルハシを振り上げ、そして振り下ろすと、金属と金属がぶつかりあうような音がした。金が発掘されたのだ。

 二人は、丁寧に金を掘り起こし、傍らにあるかごの中へ入れていく。自然金と呼ばれる、人の手が加えられていないものだ。自然金にしては大きく、ブローロメスの拳ほどの大きさがあった。

 金鉱で発掘された自然金は、シャルガナなど、選別をする者達によってそれぞれに分けられる。それは都に移され、金糸や金箔になり、銅と混ぜ合わせて金貨になるのである。そして、それを行うのは奴隷であり、間接的に奴隷の仕事を少し、ジャベインとブローロメスは増やしたのだった。

 二人は再びツルハシを振り上げ、奴隷としての働きを始めるのだった。



 一方、シャルガナである。

 選別は、純度や金の質などによって分けられる。純度の高いものは金糸や金箔など、装飾品となり、低いものは混ぜ合わせられて金貨となるのだ。無論、奴隷が金銭を持つのは許されていない。

 シャルガナはしたたかであった。他の奴隷達が日に日に明るさと快活を忘れていく中、ただ一人希望と夢を持ち続けているのもシャルガナであった。常に快活で、明るく、お喋りが大好きで、監督官の眼を盗んでは、ちょくちょくと金を掠め取っていた。

 選別は主に、女性の奴隷が行う。鎖につながれ、川で砂金と採らされることもあれば、自然金を選別させられることもある。いずれも鎖につながれ、もしくは左手首と左足首を、一メートルほどの長さの鎖でつながれるのである。もちろん、そんなことではシャルガナの陽気と快活に水を差すことはできないのだが。

 ひとつの班は千人で構成されるが、二割がたは女性ないし女子である。選別及び砂金採りのためにこの金鉱へ送られたのである。金鉱へ送られた女子のうち、シャルガナと同じシャンドゥラから来た奴隷は、金鉱へと送られた十万人のうち三千人ほどで、すべてが女性であった。それというのも、シャンドゥラの男性は、自分のために女性を犠牲にするのも厭わない男達であったからである。

 シャルガナに言わせれば、シャンドゥラにいたころよりも今のほうがずっとマシというものである。今の状況を甘受し、自分の役割が終わったらそのまま死んでもいいだろう――そう考えているのであるからにして、無闇に脱出をしようとは思っていない。ジャベインやブローロメスの考えとは、百八十度違うのである。

 選別の仕事を、シャルガナは好んでやっている。自然金の輝きが好きであったし、原石を触るのが好きだった。それを選別し、取り分けるのが好きだった。もちろんのこと、食事の時間まで仕事は続けさせられるし、なんの報酬もなく、不自由な生活ではあったが、シャンドゥラでは、女性は働いては駄目であり、家のことだけをしていなくてはいけなかった。勉強をさせられ、もし間違えば鞭打たれ、退屈な教室に何時間も閉じ込められた挙句に粗末な食べ物を出されていた過去よりずっとマシであるというものである。

 今の状況が楽しいとは、もちろんシャルガナとて思っていない。しかし、常に快活でいられるのも、陽気に笑っていられるのも、当然のことである。

 その日も選別の仕事をひたすらと続けていた。机上で頭を使うよりも、手先を使い、眼を使い、そして自然金や砂金をそれぞれに選別し、籠や袋に取り分けていた。右隣で作業している老婆も選別をし、その逆の、左側の女性――ラザカンナの白肌の女性もやはり、選別の作業を行っていた。

 と、シャルガナと共に選別の仕事をしていた右隣の女性が、寒さに凍えて、立っていられなくなり、その場に倒れこんでしまった。一緒に鎖につながれているシャルガナと、その隣にいる女性は、それに引っ張られることになり、形として、シャルガナは半ばお辞儀をするように、老婆は半ば吊られるような形になった。

「なにをしている!?」

 監督官がすぐさま駆けつけてくる。選別する女性達は、監督官に選別と砂金採りを教えられ、あとはそれを延々と続けることになるのである。監督官は最後の仕上げをし、それを都まで出荷する。収入があるだけ奴隷よりはマシであるし、いつでも交替ができるため、それほど大変な仕事ではない。

「この女性が倒れました」

 年老いた老婆は、苦しそうな息をし、水を求めるように喘いだ。

「ならば捨て置け。そして作業に戻るのだ」

 女性とシャルガナをつないでいる鎖を監督官が外し、もう片方も外すと、老婆はそのまま捨て置かれた。

「この女性はどうなるのですか?」

「貴様が知る必要もないが、知りたいのなら教えてやろう」

「お願いします」

「金鉱から追放され、飢え死にするだけだ。どうせこの老婆、半日と持つまいよ」

 監督官は、老婆を足蹴にし、そのまま引きずっていった。

「気の毒ね」

 今度はシャルガナとつながれた女性が言ったが、シャルガナはそうは思わなかった。



 その晩のことである。鎖から解放され、労働から解放され、あとは寝るだけとなった第七班宿舎で、シャルガナは老婆のことをジャベインとブローロメスに話した。

「それだ!」

「なにが?」

「脱出する方法を見つけたんだ」

 そう言うと、低い声でブローロメスは話しかけた。

「力尽きて、過労死寸前のフリをするんだ。そうすれば、そのまま金鉱の外に出れるぞ」

「でも、そのままどうするんだ? 結局俺達は飢え死にするぞ」

「金が少しあれば充分さ。シャルガナ、協力してくれるかな?」

 シャルガナが答えるのには、少しばかりの間が開いた。そして出した答えはこうだった。

「ごめんなさい。二人とも、とっても大事な友達よ。だけど、私は無理、一緒に脱走をするつもりはないわ」

「でも、脱走をすれば自由になれる。オガメスを打倒するために、力をつけることだってできる」

「そういう問題じゃないの。だって今、私達は安定した生活を送ってるじゃない」

「安定した地獄をな」

 ジャベインが苦々しく言ったが、ブローロメスもシャルガナも、その言葉に返答はしなかった。

「どうしても、助けてくれないのかい?」

「あなた達の命が危険に晒されているなら助けるわ。でも、今は生きているし、この先も安定してここで生きていくことができるわ。だいたい、あなたは王族の血を引いているわ、他の奴隷と違って、鞭打たれることもないし、監督官達だってあなたを外へ放り出す、なんてことはしないと思う」

 ブローロメスは考え込んだ。シャルガナの言っていることは至極正論である。監督官達が、自分を他の奴隷を扱うのとは違うと、ブローロメス自身もわかっていた。

 例え脱出しても、今は冬。ブローロメスもジャベインも、そしてシャルガナも凍死するのは確実だった。

「それに、近くに食料や衣服を買えるところがあるかはわからないわ。結局、逃げ出したとしても死ぬのが早くなるだけよ」

 それを言われて、ブローロメスは呻くしかなかった。思えば、まったくもって考えられた位置に金鉱があるものだ。脱出しても抜け出せない牢獄のような場所、だからこその奴隷達。奴隷が一斉に一揆を起こしても、ここから食料をありつける場所に着くには一週間はかかる。その間、食料を摂らずに歩くのは無理であるのだ。

「馬がいたらいいんだけど・・・・・・」

 ジャベインが呟いた。

「馬がいても変わらないよ。寒さに結局はやられるだろうし、かかる時間が単純計算で半分になるとしても、四日はかかる」

 至極正論である。季節は冬、そして山岳地帯にあるこの場所には、降雪量が都よりも遥かに多く、極寒になるのだ。今このときも、宿舎は火、ひとつなく、上から布団や毛布を被っても身を切るほどの寒さである。

「万事休すだっ」

 ブローロメスは吐き棄てた。自分の考えが浅はかで、なおかつ計算されていないことに腹を立てた。

「そう、がなるなブローロメス。絶対に脱出させてやる、俺が保障するよ」

 ジャベインは、シャルガナやブローロメスよりも七、八歳年配である。大人の余裕で言うが、実際は自身も不安を抱いているのである。

「今日はもう寝ましょう? 明日も早いわ」

「そうだね、シャルガナ。おやすみ」

「おやすみ、ブローロメス。ジャベイン」

「おやすみ、二人とも」

 三人は床に就くが、ブローロメスは寝入る間際まで、どうすれば脱走できるか忙しく脳みそを働かせていた。



 奴隷金鉱の朝は早い。

 金属と金属を打ち合わせるような音と共に、ブローロメス、ジャベイン、シャルガナは起きだした。全員が就寝した後、体に鎖をつけて脱走を防いでいる。すぐに鎖と共に、三人は各々の強制労働へ行くことになった。

「お腹空いた・・・・・・」

 ブローロメスが呟くが、監督官達は頓着しない。鎖の重みで足元がおぼつかないブローロメスは、途中二、三度つまずいた。

 昨日の縦穴を通り、昨日の横穴へ入り、そして昨日の場所でツルハシを握る。全員が降りた後、縦穴のはしごは上げられ、今日の担当である監督官と奴隷達以外はすべて上に残される。残された監督官達は、各々、盤遊戯(チェルカ)や小矢投(ダーチ)、その他雑談など、自由なことをしている。奴隷の朝食の時間までは食うなり、賭け事なり、喋るなり、なにをしてもよいのである。

 一方、ブローロメスとジャベインは、地底で汗水を垂らして働いていた。

「もう、お腹空いて、死にそう・・・・・・」

 ブローロメスは呟き、それをジャベインが励ます。

「ここで死んだら、自由になれねェぞ、自由になるまで生きろ!」

 もっとも、これは監督官が自分達の近くにいないときに限った会話である。とうとう力尽きて倒れるまで、労働は続くのである。

 鎖は杭につながれ、逃げようと思っても逃げられないのが現状である。冬でも地下熱で年中暑いここは、労働者達の体力と気力を削ぎ落とすのには充分だったが、監督官達への抵抗力を失わせるにはさらに有効であった。少し離れた場所から、一斑から五班までの朝食を知らせる声が聞こえ、あと数十分頑張れば飯だと本能が告げた。

 後にブローロメスは、このときに金鉱を抜け出せねば今の自分はない、と語る。そして、監督官が見えたそのとき、ブローロメスは倒れたのだった。

「ブ、ブローロメス!」

 ツルハシを放り棄て、ジャベインが駆け寄った。

「どうした、奴隷ども?」

 見て分かる光景に問う監督官は、中々のところ滑稽だと、ジャベインは胸中で思ったが、それを口に出すことはしなかった。

「ブローロメスを助けてあげてください!」

 どうやら嘘でもないらしい――監督官はそう感じた。

 さて、少しばかり話は逸れるが、この監督官は他の非情な監督官よりも少しばかり人情があった。そして、まことにその監督官にとっては可哀想なことに、とても騙されやすい性格だったのがアダとなった。

 刹那、ブローロメスの体が俊敏に動いた。足の鎖は一メートルほどの長さがある――彼は足を突き出して、監督官の足を絡め取った。そして、先に述べたように、彼には体術の心得がある。首筋に平手の一撃を与え、監督官を昏倒させた。

「素晴らしい腕前だな、ブローロメス」

 ジャベインは賞賛したが、不服でもあった。なぜなら、これがすべて企てたものだと見抜いていたからだ。洞察眼の鋭い青年は、他の監督官がやってくると危ないと感じ、このままでは死に至らしめられるかもしれないとも感じた。

「ひとまず、逃げよう、ジャベイン」

 ブローロメスは、ツルハシで鎖に一撃を加え、自分の足を解放した。同じくジャベインの足も解放すると、縦穴に向かって走り出した。

「おい、ラシッドが気絶させられてるぞ。なんでこんなことが・・・・・・」

 しかし、もう片方の監督官は、なにがあったのかを察したようだ。二言三言、言葉を交わしたと見るや、足音のと鎖のぶつかりあう音のする方向へ走り出した。

 足音が近づいてくるのを二人は察した。背後から・・・・・・背後から。足に邪魔物をぶら下げている上、こちらは疲労で困憊である、すぐに捕まえられるのを確信した二人であった。

「七班、朝食の時間だ!」

 頭上から声が聞こえる。最高のタイミングだ! ブローロメスはそう思った。

 縦穴にはしごが落ちてくる。遥か下方で金属と岩がぶつかる音がして、はしごは止まった。

「早く!」

 ジャベインが急かし、ブローロメスは、はしごに飛び乗るようにして上り始めた。身軽なブローロメスに続いて、ジャベインも上る。その後ろから監督官が続いた。

「この反乱者め!」

「黙れ、この悪徳役人。これでも食らえ!」

 肩に担いでいたツルハシの先で監督官を打ち据えたジャベインは、断末魔に悲鳴を意に介さずに上へと再び上り始める。上では、ブローロメスと監督官が戦っているような音が聞こえる――事実そうであった。

 多勢に無勢、劣勢であったブローロメスは、ジャベインの参戦で助かった。二人の頭蓋をツルハシで打ち砕き、もう一人の腹部にツルハシの先を突き刺したジャベインは、ブローロメスと共に出口に向けて走り出した。

 背後からは監督官が追ってくる。追いつかれるのも時間の問題で、今日という日に食料を補給するのが遅れていたら二人の首は飛んでいたであろう。

「ごめん、借りるよ」

 鮮やかに馬へ飛び乗ったジャベインは、他に二頭の馬を引っ張り、ブローロメスを乗せた。

「もう一匹は?」

「シャルガナ用だ!」

 そのままジャベインが先導し、砂金採りの川辺へと走り出した。シャルガナの今日の仕事は砂金採りだと知っていた――なぜならば、選別と砂金採りは一日ずつ交替で行われるのだから。

「シャルガナ!」

「あら、二人とも。どうしたの?」

 訊ねながらも理由を知っているのは、シャルガナが機敏だからであろう。右手首と右足首を鎖でつなげられようが、ブローロメスが引っ張り上げるのには支障をきたさなかった。シャルガナは最後の一頭に乗り、危なげにバランスを取った。

「よし、このまま突破するぞ!」

 ジャベインが叫び、一人で三頭の馬を駆った。背後からは、やはり馬が追ってくる。一人が射掛けてくるが、馬上から弓を扱うのは至難の業だ、飛んできた矢は三人から大きく外れた場所に落ちたのである。

 三人は木でできた低い柵を飛び越えた。

「よし、奴隷金鉱を抜け出したぞ!」

 ジャベインが明るく言うが、ブローロメスは沈んだ顔をしている。

 他の二人が理由を問いただす間もなく、やはり追っ手が来た。そのまま駆けに駆けるしかなく、ジャベイン一人で三頭の馬を操り続けたが、長旅の末にいきなりの全力疾走を強いられた馬達の疲労は大きい。やがて減速し、最後には完全に止まってしまった。

「畜生!」

 背後には流れの速い川。万事休すだ、ブローロメスが呟いた。

 間もなく、追っ手が近づいてくる音が聞こえた。逃げてもどのみち捕まえられ、戦っても勝ち目のないことは全員がわかっていた。

「飛び込むのよ!」

 不意にシャルガナが叫んだ。もはや追っ手は、普通の声で聞こえる位置まで来ている。

「川に飛び込んで!」

「しかし――」

「死にたいの?」

「でも、シャルガナ・・・・・・」

「言い訳は無用よ!」

 どうなっても知るもんか! ――それが川に飛び込む寸前のブローロメスとジャベインの思ったことだった。

 三人は急流に呑まれ――呑まれ・・・・・・行方が知れなくなった。

「いないぞ!?」

「どうせまだ、近くにいるはずだ、捜せ!」

 監督官のうちの一人が叫び、それに呼応して全員が辺りを捜し始める。

 しかし、もちろんのこと、捜しても見つかるはずがなかった。三人は濁流に呑まれ、今ごろ冷たさと痛みで死に掛けているはずだ。結局、逃亡者達は見つからず、取り逃がすこととなってしまった。

 このことがシャルセオナの王都、レゾバナータに報告されると、オガメスは無論のこと怒った。それは逃亡者を取り逃がしたことではなく、主に――というよりも全面的に――ブローロメスという外交的にも経済的にも有用な武器が、自分の手元から消えてしまったからである。

 監督官達は、処刑こそされずとも、永久的に減給され、金貨一万枚を罰金として払わされた。払えぬ者は、払い終えるまで給料を与えられず、奴隷とほぼ、同じところでの働きとなるのだった。

「こんなことならば、カーガッシュとあの女奴隷との結婚を、どうあっても阻止すべきだった!」

 カーガッシュとシュレビアスの結婚に対して、もちろん国王以下ほぼ全ての王侯貴族が反対をした。特に反対の意思を強く示したのが、奴隷に対して残虐な仕打ちで有名なガルガン・ジェトラーとベアロワ・シャークナーである。自分の娘を、オガメスの従兄弟であるカーガッシュと結婚させ、自らの影響力を高めようと計ったのである。

 オガメスとしては、そのような低い身分の貴族と自分の従兄弟を結婚させようとも思っていなかったが、この二人を筆頭とした反対により、シュレビアスとカーガッシュの婚儀は難航をきわめた。側室というのならともかく、正室に迎えようとしていたカーガッシュは批判の的にされ、暴言の嵐に耐え忍ぶこととなった。

 しかし、最後には結局、批判を退けてまで二人は結婚したのだ。カーガッシュはオガメスの恨みを買い、利用価値のなくなった道具同然に考えられ、身分をオガメスとの血縁関係から、ただの一貴族にまで落とされた。平民にまで落とされなかったのは、オガメスがカーガッシュの器を、確かに評価していたからだろう。

 しかし、ブローロメスは秀麗で、王族の血縁である。利用価値はあり、外交の道具にも金品なりなんなりとの取引の商品にもなったはずである。それを失ったことは、オガメスにとって大きな損失であった。

「こうなるのならば、シュレビアスのヤツめを遠くの金鉱なり炭鉱なりへと飛ばしておけばよかったわ!」

 しかし、あとの祭りである。今さら嘆いても、栓のないことであるし、自分の意識の不行き届きだと言われてしまえば仕方がない。

「こうなれば、シュレビアスを処刑してくれる」

 怒りの矛先はブローロメスの母へと向いた。ブローロメスが金鉱へと飛ばされて以来、シュレビアスは牢へと投獄されていた。

「いや待て。しかし、ブローロメスが逃げたとなると・・・・・・シュレビアスめを使って誘い出せるかもしれん」

 オガメスはそう考え直した。腹の黒いこと、シャルセオナ中を探しても彼以上の腹黒の人物はいないだろう。しかし、計算違いとして、ブローロメス達が生きているとは限らないのである。

 ところで、濁流に呑まれたブローロメス達だが、三人は離れ離れになってしまった。急流の中でお互いの姿を見失まいと、手に手を取り合っていたはずだが、水の勢いに押されてその手を離してしまったのだ。しかも真冬の、身を切るように冷たい川である。早く陸に上がらなければ凍死してしまうかもしれないし、陸に上がったとしても、やもすれば監督官達に見つかる可能性がある。

 しかし、そのようなことを考える余裕もなく、ブローロメスは必死で手探り手探り、岸へと這い登ったのである。


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