邂逅輪廻



 甲冑のぶつかりあう音が山野に響く。

 騎馬は五千、歩兵は一万を数えるファイバサールの軍は、朝の帳が降りた後、軍を進行させた。

 最前衛の第一陣、二万五千の騎馬と三千の歩兵を指揮するのは、かの名将、バルザード・グレイモアである。第一陣の右翼に当たる五百の騎馬と千の歩兵を、リュジャード・ゴルシアスが指揮し、左翼の五百の騎馬と千の歩兵を、リュジャードの、リィズバート・ゴルシアスが指揮し、中央の千の騎馬と千の歩兵をラッガバート・グランシアナイアが指揮する。全てを統括するのがバルザードであり、敵部隊に楔(くさび)を打ち込むのも第一陣の役割である。

 正面から敵陣を攻撃するバルザードの部隊があてがわれた役割は、敵陣を崩し、陣形を変化させることである。バルザード達はひとしきり攻め立てた後、敗戦を装い一時撤退。敵が怒涛の勢いで攻め立ててきたところを、後方に控える三千の兵力がこぞって火矢を射掛けるのである。混乱した最中を、第一陣のバルザード、急襲部隊のデイビスが引きいる二万五千の騎兵と、四千の歩兵が、東の森――即ちメルファ森から挟撃するのである。

 一方、オーガ軍の動向である。

 火刑部隊隊長であるベアローが指揮をし、太い注連縄(しめなわ)を作り、それを油の樽に、丑三つ時から夜明けまで漬けていた。それをメルファ森の木々に何重にも縛りつけ、東の森の、オーガの陣営に面している一帯は火矢を放たれたらすぐさま発火される状態になった。さらにベアローは、念には念を入れ、もし火矢が放たれなかったときのことを考え、陣営の裏にまでやはり油を染み込ませた糸を伸ばし、部下に命じて合図があったら発火せよと命じた。

「いいか、これは殺された仲間達のための弔い合戦だっ。死力を尽くして戦い、愚かな人間達に報いてやれ!」

 グロック達の陣営に、鬨の声が響き渡った。

 元々、オーガは仲間意識が他の種族に比べて、比較的強い種族である。そのため、今度の戦いにおいての意識が強く、士気も高い。さらには計略に長けている大将もいる。オーガ軍が敗戦するという疑惑は、胸中になかった。

「この戦いで、我々の仲間の数百人が死ぬだろう。しかしだっ、俺がこの軍を率いる限り、敗戦はない!」

 グロックは言った。

 しかし、オーガ達の陣営のどよめきとは裏腹に、バルザード、デイビス、ファイバサールの軍は静かであった。

 まずは、第一陣のバルザードの軍であるが、山をそのまま北進し、オーガの砦よりも高台の場所に陣を布いた。

「いいか、みなのもの。栄光は我らにあり、勝利は我らに賜られようぞ。グリディアの戦神フェステバスに祈るときじゃ、士気を高め、鬼どもを一網打尽にしてくれよう」

 元々、寡黙な性格ゆえ、兵達は誰一人、勢いのある弁舌は期待していなかった。しかし、バルザードの人望と、威光に満ちた振る舞いは、士気を自然と高めることとなったのである。

 その頃のデイビス達の前には、五人のエルフが立ちはだかっていた。

 言わずと知れた『憂える聖騎士』が、四人の配下を引き連れて、デイビス達を尾行していたのだ。

「初めまして、デイビス殿」

 ヘレバートは優雅なる礼をした。

「誰だ、貴様は」

「ヘレバート・ユリアン。『憂える聖騎士』でございます」

 ヘレバートは答えた。

「デイビス殿。ここから先への侵攻はおやめいただきたい」

 続けざまにヘレバートは言った。

「オーガ達は、火刑部隊を作り、メルファ森を焼くつもりです。あなた方にとっても、私達エルフにとっても、これは損害のみを得るだけだと思いますが?」

「お前の言ったことが事実ならば、俺達は無益な侵攻をしているだろうな」

 ヘレバートの言葉にデイビスは眉をしかめつつ言った。

「しかしだ、貴様らの言うことのどこまでが信用できるのだ?」

「信用していただかねば困ります、デイビス殿。どうぞ、来た道を引き返していただきたい」

「なぜ信用する必要がある?」

「信用していただかねば困ると言ったでしょう」

 ヘレバートは努めて冷静に受けたが、僅かながらに言葉が濁るのは隠しようがなかった。

 そのとき、デイビスは新しい気配を感じた。物凄い速度で木々の上を移動する気配を――。

 木々のさざめきが大きくなり、デイビス達の真上から、小さな、人間のようなものが落ちてきた。

 咄嗟のことで、判断力よりも防衛本能が働いたのか、デイビス率いる第二陣から数本の矢が放たれた。あやまたず放たれたわけでもないであろう、偶然にも一本の矢が肩口に突き刺さり、人影は自然の法則により、重力へ引かれ自然落下を始めた。

「危ないっ」

 ヘレバートが咄嗟に動いた。

 ヘレバートのしなやかな体が、滑るように動き、人影であった『智天使の微笑み』ことラファエル・ベリグリンを抱きとめた。

「なにをするんだ!」

 激しい叱責。

 愚かにも矢を放った人間は、後ろめたさで思わず身を竦めた。

「害を与えぬ者に矢を放つ非道を犯したのは誰だ、名乗りをあげろ!」

 ヘレバートは、本気で怒っていた。

 元々の正義感が強く、人一倍、全ての生き物に対して誠実に生きている男である。この際、怒るのも無理ないのだろう。

 ヘレバートは、怒りを抑えてラファエルの治療にかかった。

 幸い、傷自体は深いが、出血は少ない。ヘレバートはふところから薬を取り出し傷口に塗り込むと、同じくふところから包帯を出して、傷口を塞いだ。

 簡単な治療が済むと、再びヘレバートは口を開いた。

「人間達よ、これ以上の騒乱を、私は望みません。お引取りお願いします」

 静かな口調だが、それには確かな怒りと蔑みが込められていた。

 ラファエルが失っていた意識を取り戻したのは、そのときだ。息も絶え絶えであったが、それは肩口の傷がそうさせたのではなく、グランバックに脅迫を受け、一晩を駆けてきたためであろう。

 ラファエルは、痛みに顔を顰めて呻いた。

「大丈夫ですか?」

 ヘレバートが問うた。

 ラファエルは、自分がどのような状況かを判断しようとしたが、頭が真っ白になり、さらには回復後の混乱が、彼女の理解力を鈍らせた。自分が男の腕に抱きかかえられているという状況を見て、一瞬後、ラファエルは赤面した。

「だ、誰っ?」

 反射で逃れようとしたラファエルを、ヘレバートが制止した。

「まだ動いてはいけません」

「で、でも・・・・・・」

 ラファエルの言うことはもっともである。

「治療してくれたのはお礼を言うけど、私には時間がないんだよ」

「駄目です」

 ヘレバートはたしなめたが、ラファエルは逃れようと、いっそう激しさを増して暴れた。

「や、やめて、私を放してよ!」

「駄目です、傷がふさがっていません、動いたら熱をもって膿みますよ」

「だけど、私のペグの命が危ないのよ!」

「しかし――」

 ヘレバートの言うことを聞かず、ラファエルは彼の腕に歯を立てた。

「痛ッ」

 思わずもう片方の手で、ヘレバートを腕を押さえた。その隙に、ラファエルは逃げ出した。

「あ、駄目だ。待ちなさい!」

 言うには及ばず――。ラファエルは、痛みと疲労で均衡を失い、地面に倒れ掛かった。

「あっ」

 ラファエルが倒れこむ寸前。近くまで来ていたデイビスに助けられ、ラファエルは地面と口付けをする必要はなくなった。ラファエルは、仏頂面をしながらも、今の自分に必要なのは休息と食物、そして睡眠だと悟り、もはや抗わず、閉口した。

「お前はドワーフだろう?」

「・・・・・・」

「なぜここにいる?」

「・・・・・・」

「その容姿だと、土の豪族ではなく、水の柔族のようだが」

「・・・・・・」

「目的はなんだ?」

「・・・・・・」

 ラファエルは答えない。頑として口を訊かず、またその瞳は、詰問をしてくるデイビスを睨んでいた。

「デイビス殿、やめないか!」

「黙れエルフ。貴様にはなんら関係のないことだ」

「人間よ、これ以上ヘレバート様に暴言を吐くのであれば、その首この場にて貰い受ける!」

 一人のエルフが、デイビスの粗暴さに堪忍袋の尾を切らせたか、腰から細い長剣を引き抜いた。この血の気の多いエルフの名を、リベリオン・ガルシャースフという。『戦人の血族』という、禍々しい名が示す通り、和平を好む妖精に産まれたにしては、戦いに血肉が沸き踊るようだ。

「エルフ、貴様こそ関係ないだろう。ホラは片付けて、さっさと森へ戻るのだな」

「ホラだと・・・・・・? 知りもしないくせに、偉そうに!」

 リベリオンは剣を構え、デイビスに切りかかった。

「待て、リベリオン!」

 その声を発したのは、ヘレバートではない。人間でもない、エルフですらなかった。それは小さき人間――エルフのごとき華麗さを小さき体に持つ、ラファエル・ベリグリンであった。

「なぜ、僕の名前を・・・・・・」

 リベリオンは口ごもる。リベリオンの反応は、もっともなことである。初めて会った人物に――いや、ドワーフに――自分の名前を呼ばれるのだから。

「木々は語る。森は語る。動物は語る。草木の声に耳を澄まし、教えを乞えば、知識を授けてくれるのよ」

 ラファエルは言った。

「なるほど・・・・・・。だから尊師は北へ向かえと・・・・・・」

「なんの話だ?」

 デイビスが問いかけた。

「この先には、恐がっている木々がいるわ。確かに火を放たれそう。あ、酷い! 油を染み込ませた注連縄が、木々を取り巻いているのよ!」

 ラファエルの口走った。無論のこと、ヘレバート達エルフは、顔を見合わせる。見もしないのに、なんでわかるんだ! そういうことである。

「確証は?」

「私を信じることね」

 ラファエルはにべもなく言った。

「信じれるのか、お前を」

「信じてもらうしかないわ。信じなかったら負けるのはあなた達なわけだし、エルフは森の民で私は水の民・・・・・・木々に情けをかける必要はないから止めはしないわ、デイビス・フオラガーテス」

 どこか楽しむような口調だった。

「クッ」

 万事休す。敗戦だけは御免被りたいのは両軍ともに胸に抱いている気持ちである。このまま進んでもいいのだろうか? デイビスは考えた。もともと、知略や謀略にかけて頭が回る人物でもなく、決断に時間がかかったのは仕方がないだろう――もっとも、軍の編成や動かしにかけてはファイバサールにも勝るところがあるので、戦場には重宝するのだが。

「レオガータ、偵察を頼む」

 デイビスは、一人の小柄な少年に勅命した。レオガータは、軽く頷くと、無言で森に消えた。

 デイビスは、他に密使をファイバサールとバルザードに送った。内容は、オーガの動向に不自然なものがありますゆえ、偵察を送り出し、いま少し開戦を先延ばしせねばならぬ、という事柄である。

 それを伝え聞いたファイバサールは、

「やはりオーガめ。一筋縄ではいかんと思っておったが、なかなか手強いな」

 と、言葉をもらしたという。

 レオガータが偵察へ行ってる間、デイビスはしばしの小休止を取った。兵達はどこか不穏をどことなく感じたが、小休止は嬉しいものである。水を飲むもの、談笑するもの、それぞれがそれぞれ、座して出発のときを待つこと半時ほどであろうか? レオガータが偵察より戻ってきたのは。

「どうであった?」

「油を染み込ませた注連縄がメルファ森の木々に巻きつけられていました。また、導火線もあり、それは敵陣の裏方まで通じ、松明を持ったオーガ数人が合図が上がったら即座に火を点けようと構えておりました」

 デイビスは重ねて質問した。

「オーガ達はどうした?」

「殺しました」

 レオガータは無表情に答えた。この少年の歳の頃は十六歳程であろうか? いつもこのように仏頂面をしているのである。

「ふむ・・・・・・」

 デイビスは愚かではない。いくら知性が足らずとも、このまま進むことは愚作であるとデイビスは判断したのである。

「すまぬ、ヘレバート殿。ご忠告感謝いたす」

 デイビスは知性が少々足らず、粗野で忠誠心だけが取り得の家臣だと思われがちであるが、礼節を損じたり、己の非を認めないということは決してないのである。己の非を認めることができ、礼節を無闇に損じぬからこそ、ファイバサールは忠臣として慕い、重要しているのである。

「いえ、わかればよろしいのです。願わくば、無益な抗争も控えていただきたいのですが・・・・・・」

「それは承知しかねまするな。しかし、エルフの方々にご協力いただければ、オーガを倒し、この森と山にも平和が訪れましょう」

 デイビスの思いは、淡くも打ち砕かれた。

「こちらとしては、抗争を防げれば嬉しいのです。無益な血を流すこともございません、シェリアンス様がご協力する所存でござりますれば協力いたせるのですが、シェリアンス様は今現在、中立派としての意見をあげております」

 申し訳なさそうにヘレバートは首をすくめた。

「第一、平安を乱すのは貴様ら人間とて同じことだろう。知ったような口を訊くでない!」

「黙れエルフ。貴様は争いを敢えて好むか? だったら剣を抜け! 一刀の下に首を切り落としてやるぞっ」

 その言葉に激したリベリオンは、長剣をスラリと抜き、デイビスに向かい構えた。デイビスも例のごとく、幅広の大剣を抜き放ち、示し合わせたように真正面から向かい合う。

「阿呆が。デイビス、お前はファイバサールとやらの軍と合流すべきではないのかな? ここで遊んでおっては、国王陛下に対して示しがつかなかろう」

 ラファエルの言葉に、デイビスは恥じ入った様子で剣を納めた。どうやらこの戦士、小さき遭遇者に頭が上がらないと見える。

「ところでドワーフ。おぬしはどうするのだ?」

「しばしはデイビス、お前に着いていくとしようか。尊師より賜った言葉に、『勇将にして剛勇の、国王に仕える無二の戦士』に着いていけと言われたのでな」

 デイビスは単純に、自分が勇将にして剛勇の無二の戦士、と表現されたのが嬉しかった。もちろんのこと、デイビスは同行を承諾し、軍を反転して陛下の下へと戻ったのである。




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