邂逅輪廻



優二ゆうじ君。突然で何だが、宝捜しに行こう」
「……はぁ?」
 おれの一応の親友、蘇芳京人すおうけいとがその様な、たわけた台詞を口にしたのは、とある日の放課後だった。
「あぁ、つまりは、街に繰り出して若い女性に声を掛けるのだな。なるほど、宝とは女性のことを指す隠語なわけだ。結構、結構。若いのだから、思う存分やりなさい。但し、おれは行かん」
 彼、蘇芳京人は、そこそこ顔も良く、成績も人並み以上なのだが、筋金入りの阿呆である。女性に対する、訳の分からない理想があり、熱く語るだけに留まらず、『二十世紀フェミニズムを考える会』なるものを発足させた。意外と会員が多いのがタチ悪い。
 成績と人格が比例しない典型例といっていいだろう。
「優二君、ひどいよ。僕は真面目に話しているのに」
「そこが良く分からん。何だ、宝って? 某征夷大将軍の、埋もれた財宝でも探し当てる気か? 今時、数字も取れんぞ、そんな企画」
「ふっふふ〜。優二君。あの様な俗物的なものと比較されては困るなぁ。僕はこのネタをちゃ〜んと、ネットで調べたんだよ」
「ネットて……」
 いきなり、信憑性がゼロになりやがった。
「いいかい、優二君。この学校の裏に山があるだろう?」
「ああ」
 何だか、早くも疲れた。とりあえず話だけ聞いて、とっとと終わりにしよう。
「そこは旧日本軍の工場が埋もれているんだ。まあ、工場とは言っても、ちょっとしたデパートくらいの大きさはある。つまり今となっては巨大な蟻の巣みたいな状況なんだよ」
「ああ」
 その話なら知っている。ガキの頃、近付くなと言われ、腹立たしく思って調べたことがあるからな。
「それで、その迷宮には何があるんだ? 大魔王でも切り裂ける聖剣か? 二千カラットのダイヤモンド? ああ、どんな願いも叶えてくれる美人の妖精が現れるって線もアリだな」
「優二君。真面目に聞いてよ」
 半泣きである。いい歳した男がちょっとからかったくらいで。根性というものが欠如しているな、こいつには。
「いやさ、そんな、地元の人間でもそうは近付かない場所なら、ものを隠すにはうってつけだろう? そこでとある盗賊団が、お宝を奥の方に隠したらしいんだ」
「盗賊団――」
 今時、そんな奴いるのか? というより、そんな連中は逆に、口が堅い貸し金庫でも使う気が。まあいい。とりあえず、最後まで聞いてやろう。
「それで、じらすなよ。何があるんだ?」
「ふっふ、媚薬だよ、優二君」
「ほう?」
 別に興味があるわけではない。この様に話してやった方が、スムーズに話を終わりまで導けると思っただけだ。
「ある研究所から盗み出した、極秘書類とその試作品さ。権利さえ手中に収めてしまえば、莫大な富を得られる代物だろう?」
「うんうん、話は良く分かった。どうせお前のことだ。それを使って『ダース単位のネコ耳メイドを可愛がりたいんだ』なんて言い出すんだろう? 分かる、分かる。分かったが、おれはあんま興味ない。故に、他の奴を誘え」
 んな、胡散臭いもののために命を賭けられるか。もし本当にあったとしても、その場合は盗賊団が存在することになり、危険度は更に増す。そこまでして、金や女に固執するおれではない。その手のものは、自分の力で手に入れてこそ価値があるんだ。
「そう言わないでよ〜。他のみんな、もう帰っちゃったんだ」
「……」
 カラオケにでも誘うかのようなノリである。殴ったろか、いっぺん。
「はぁ」
 とりあえず、一度溜め息を吐いて、手近な椅子に腰掛けた。そして冷静に、状況を整理してみる。先ず、裏の山に旧日本軍の工場跡がある。これは事実だろう。自分でも調べたことがあるし、何度か話として聞いた記憶がある。
 次に、某盗賊団が、どこぞの研究室からかっぱらった媚薬をそこの奥に隠した。この時点で、一気に三つも疑わしい点が出てくる。盗賊団が実在? 研究室で媚薬の開発? んな連中が、わざわざ裏の山の奥底に隠した? 悪いが、信憑性は限りなくゼロに近い。その上、おれは媚薬なんぞには全然――と言い切ってしまうと、男としては嘘になってしまうが、まあ、少なくとも京人よりは興味ない。これらより導かれる結論は、付いていく必然性はない、になるのだが。
「いいぜ」
 小さな打算が働いて、承知することにした。
「ほ、ほんとかい?」
「ああ。成功、不成功に関わらず学食一週間分と、貸し一つで手を打つ」
 盗賊団なるものは先ずいないから、内部が崩れ落ちでもしない限り、死にはしないだろう。戦後、今まで無事だったものが短時間に崩れる可能性は、交通事故より、多分低い。あとは、危険なところを出来うる限り避ければ、ちょっとした冒険気分が味わえる。それで、京人に貸しが出来るなら、悪い条件ではない気がしたのだ。
「で、いつ行くんだ?」
「今すぐ」
「ほう?」
 コメカミ辺りがぴくついた。
「心配しないで。探検に必要なライトに予備の電池、万一の時の食料に水と、小さいけどシャベルとツルハシとヘルメットと……ザイルなんかも用意してるから」
 ちょっとした山にでも登るかのような重装備を、二人分、ロッカーから取り出した。良く扉が閉まったな。
「……お前な……もうすぐ日が暮れるぞ……明後日の休みじゃ駄目なのか?」
「優二君、思い立ったが吉日なんだよ。それに、どうせ中は暗いんだから、時間は関係ないし」
「……」
 ちょっと待て。お前、この計画立てたの、今日なのか?
 晩飯までに帰れるんだろうな?
 って、言うか、こんなもんどっから調達してきた?
 一抹どころか、億抹くらいの不安はあったが、行くと言った以上、取り消すわけにもいかない。おれは諦めて、片方のリュックに手を掛けた。


「い、いや〜、優二君。やっぱり暗いね〜」
「堂々と当たり前のこと言うんだな……」
 おれは右手の懐中電灯を奥の方に向けた。光が一瞬満ちるかのような錯覚をするが、目が順応し切れないためそう感じるだけだ。冷静に見れば、かなり薄暗い。
「で、お前は、いつまでおれの腕にしがみついているんだ?」
「だ、だって〜」
 中に入ってかなりの時間が経っていた。京人はその間、おれの腕をしっかりと抱き締めていたのだ。何でも、暗いところがかなり苦手らしい。真性の阿呆だ、こいつは。
「?」
「ど、どうしたのさ?」
 おれは何かを感じて、足を止めた。足音? それも近付いてくる。
「そーいや、ここは旧日本軍の工場だったな。亡霊かな?」
「や、やめてよ! そ、そんなこと言うの!」
 言って、腕を更に強く抱き締めてくる。京人が両刀で無いことを祈る。
「あれ? 先輩、誰かいますよ?」
「誰かって、誰ですか?」
 十字路の左側から、懐中電灯の光と女性の声を知覚した。なるほど。おれら以外にも、潜り込んでる奴がいたのか。よっぽどの暇人だな、おれら同様。
「あら、あなた方でしたか」
「ああ〜!! 山吹やまぶき先輩に、蘇芳先輩じゃないですか!」
「五柳にみすみちゃんか。生徒会の二人が、こんなところで何してる?」
 十字路が交わる点で、おれらは合流した。二人とも、知り合いだ。敬語調で喋っているのが、五柳いつやなぎ春蘭しゅんらん。おれらと同じ二年生で、生徒会の中枢で実権を握っている一人だ。完全な男女同権論者で、女性に対して夢を語る京人とは、かなり仲が悪い。
 もう一人は、一つ年下の、百花ももはなみすみ。彼女も生徒会に所属しているが、どちらかと言えば下っ端で、五柳の後をよくへばりついている。オプション的後輩は、ある意味ポイントが高い、とは京人の弁だ。
「いえ、ここに生徒会として黙殺すべきではないものが安置されていると、とある情報筋から手に入れまして。とりあえず、調査に伺ったんです」
「まさか、ホレ薬か?」
「よく御存知ですわね?」
 口に手を当て、驚いたかのような仕草をする。意外だったな。目的まで一緒だったとは。しかし京人の情報が真実なのか、或いは、全員が踊らされているだけなのか。その結論を出すにはまだ情報が少なすぎる。
「ああぁぁ!! もしかして山吹先輩と蘇芳先輩、それを使って、全校の女子をハーレム状態にするつもりなんじゃぁ!? あ♪ でも、お二人になら♪」
「百花さん」
「はっ! し、失礼しました」
 軽くたしなめられ、正気を取り戻した。
「それにしても、蘇芳さんはともかく、山吹さんがこの様なものに手を出そうとするなんて。意外と欲望に身を任せることがお好きなのですか?」
「……」
 おい。
「ふふ、冗談ですわ。とにかく、その様なものを手に入れられては、生徒会としては秩序を保てませんから。無いなら無いで構わないのですが、確認は取っておきたかったんです。特に、蘇芳さんの様な方が手にすると、とんでもないことになりますから」
「言ってくれるね、五柳さん」
 あ、そうそう。京人はもうおれの腕にはしがみついていない。女性を目の前にすると、無理をしてでも元気に見せかけるんだ、こいつは。
「それじゃ、一応は敵同士な訳だな。」
「残念ながらそうなりますね。しかし、ものが無ければ私達の勝ちですから、明らかに優勢なのはこちらです」
「ま、おれとしては、あろうが無かろうが、どっちでもいいんだが」
「ゆ、優二君」
 京人の奴、ちょっとだけ泣きそうだ。
「それじゃ、左にでも行くか。別にこっち、全部調べたわけじゃないんだろう?」
 言って、彼女らが現れた方向を示した。
「ええ。私の言葉を信じていただけるのなら、ですが」
「意図的に嘘を付く奴じゃないだろ?」
 言いながら、後に向けて手を振った。
「きゃああああぁぁ!!」
 不意に、みすみちゃんの叫び声を聞いた。慌てて振り返って照らすと、京人が地面にはいつくばっている。何だ!? 何が起きた。
「ゆ、優二君、手伝ってくれると、嬉しいかな……」
 そこには断層によって生まれた、底の見えない割れ目が存在していた。みすみちゃんはそこに足を踏み外して落ちたのだ。おれは、京人の横に身を伏せると、共に彼女の手を握り締める。
「あ、ありがとうございます〜」
 彼女が小柄で良かった。男二人分の力があれば、何とか引き上げることが出来る。ゆっくり、確実に彼女の身体を引っ張り、持ち上げる。途中で五柳にも手伝ってもらい、彼女が自力だけでも、戻れる位置まで来たその時だった。
 おれが、バランスを崩した。一瞬の油断。おれの重心は完全に割れ目の上に来てしまっていた。
「くっ――」
 反射的に身を捻らせ、腕を伸ばした。その手を取ってくれたのは、五柳だった。もちろん、細身の彼女に、世間一般の男子に相応しい体重を持つおれを支えるだけの腕力はなく――おれ達二人は、見事なまでに、割れ目の底へと落下していった。


「痛え……」
 とりあえず、感想を述べてみた。
「本当に。でも、思ったより浅くて、助かりましたね」
「ああ」
 あの割れ目は、断層がずれた時にひび割れた部分が、長い年月を経て少しずつ崩れ、人が入るくらいの大きさになったものらしい。下は何とか無事で、おれらはそこに身体を打ちつける程度で、特に怪我はしないで済んだ。
「しかし、こっから戻るのは無理かな」
 京人の奴がザイルを持っているはずだから、垂らしてもらうことは可能だろう。しかし、長年の侵蝕で、かなり脆くなっているはずだ。現状において、そこまでの危険を冒す必要性は感じなかった。
「お〜い、京人! こっちは無事だ! とりあえず、こっちも奥に進んでみる!! 二時間経ったら、ここに戻ってくるから、その時に居なかったら、捜索隊か何かに連絡してくれ〜」
『りょうか〜い』
 内壁に反響し、こもった音が返ってくる。二時間か。今、五時前だから、七時前くらいにここに戻ってくる、と。晩飯までに帰るのは無理かな。
「ま、とりあえず、共同戦線だな」
「そのようですわね」
 五柳はニコリと笑った。これはこれでいいだろう。とりあえずおれは、適当な方向に足を向けた。
「しかし、本当に何でも入ってやがるな、このリュック」
 曲がり角の壁ににチョークを擦り付けながら呟いた。一応、道筋は暗記しているつもりだが、安全策を取るに越したことはない。
「白墨や生存刀、鉱物水に天幕まで。野営でもなされるつもりだったのですか?」
 そうそう。五柳には変わった癖がある。日常会話で、カタカナ言葉や横文字は使わないのだ。そして、そのものを示す適切な日本語を知らない場合は、直訳する。ちなみにさっきの台詞で出てきたものは順に、チョーク、サバイバルナイフ、ミネラルウォーター、テント、だ。
「そーいや、前から一度、聞こうと思ってたんだが、五柳って、いいとこのお嬢さんなのか?」
「はい? 何故、そう思うんです?」
「いや、規律とかにうるさいし、いっつも敬語だし。しつけとか厳しいのかなぁ、って思ってな」
「そんなことはありませんわ。父親は平均程度の所得しかない、しがない会社勤めですし、母親は部分時間と庭球に精を出す、どこにでも居る主婦ですわ。ちなみに最近、父娘間の会話が減って、めっきり哀愁を感じておられるようです」
「そ、そうか」
 部分時間――多分、パートタイムだな。非常勤という、適切に近い訳があるが、普通の感覚だと、少しニュアンスが違う。下手な外国人と付き合うより疲れるな。
「?」
 不意に、何かを知覚した。くぐもったような破壊音? まさか、崩れるってのか!?
「どうなさいました?」
「とりあえず、伏せろ!!」
「はい」
 全く動じる素振りも見せずに、身を地面に横たえた。それを確認してから、おれも同じ行動を取る。刹那――眼前の右壁が爆発した。土砂が崩れ落ち、土煙が舞う。なんだってんだ、今度は。
「けほっ……ふう。とりあえず、通路に出れたみたいね。本気で生き埋めになるかと思ったわ」
「……」
 壁の穴から、腰に刀を帯びた、見覚えのある少女が現れた。とりあえず、おれはこの御時世に、刀を持ち歩いている人間を一人しか知らない。
「あれ、優? 何してんの、こんなところで?」
「そりゃ、こっちの台詞だ、何してやがる、桜花」
 ふう。とりあえず、落盤とかじゃなくて良かったが、今ので、誘発されないだろうな?
「一ノ瀬さん、それで、何をなさっていたのですか?」
「稽古」
 単語で済ますんじゃない。おれは、呆れてしまい、小さく溜め息を吐いた。
 彼女の名前は、一ノ瀬いちのせ桜花おうか。おれとは、小学校くらいからの付き合いだから、世間的には幼馴染みということになる。唯、三年くらい、北の方に住んでいたことがあり、おれとしては、そんな長い付き合いという気はしていない。家が剣術の道場みたいのをやっている関係で、剣の腕が立つ。学校では総合兵法部の部長で、時たま今の様に不可思議な爆発現象等々を起こしているので、生徒会からは、結構睨まれている奴なのだ。
「うーん、順を追うとね。一時間前までは裏山で、部員と体力造りしてたんだけど、いつのまにか、私一人、穴に落ちたらしくてね。とりあえず、飢え死にとか、渇き死にとかは嫌だったから、体力のあるうちに、奥義を少し――」
「あのな、そういう時は、体力を温存して、救助を待つのが常識だろ」
「でも、こういう空洞があることは知ってたから、勝算は十二分にあったわよ」
 中々、たくましい奴である。
「それで、まだ質問に答えてもらってないわよね? お二人は何してるの? デートにしては、武装し過ぎに見えるけど?」
 軽い調子で、問い掛けてきた。ほんとに、今の今まで死に直面してた人間か?
「ここにとある劇物が保管されていると聞きまして、生徒会と致しましては、そのようなものが流用されるのは、大変に遺憾ですので、無いことを確認するか、或いは見つけ次第、警察に持ち込みますわ」
「ああ、噂のホレ薬。何だ、あれって、完全なガセじゃなかったんだ」
 そのことを聞き、桜花は少し考え込むように、顎に手を当てた。何か、嫌な予感がする。
「とりあえず、ついてくけど問題ないわよね? 生徒会は困ってる生徒を見捨てるほど薄情じゃないでしょうから」
 五柳の方を見ながら、笑みを浮かべた。決して友好的ではない二人――と言うより、確実に仲の悪い二人の間に、火花みたいなものが見えた気がした。
「ええ、問題ありませんわ。生徒会は例え、粗暴で、非従順で、反体制的であっても、学籍を置く学生である以上、適切な処置を持って、最低限の保護を致しますから」
「……」
 ピクッ。桜花のコメカミが小さく動いた。空気が重い。
「それでは、山吹さん、行きましょう。私達の目的はあくまで、例の劇薬です。荷物が一つ増えましたが、幸いにして、自動追尾機能が付いているようですので、楽でいいですわね」
「優。あんた、人情って言葉知ってるわよね? 私と優は長い付き合いだし、色々、楽しい思い出、共有してるわ。たかだか、一年かそこらの付き合いの人に負けないって、信じてるから」
 二人はそれぞれ、おれの腕を取り、軽く抱き寄せた。両手に花、なんて華やかなものじゃない。おれ、生きて帰れるのか? 落盤よりも盗賊団よりも、両脇に居る二人の少女が、一番怖く思えた。


「な、なあ、五柳、桜花。すっげえ、歩きづらいんだが」
 先程から、二人はおれの腕にしがみつく格好を取っている。懐中電灯を持っているのはおれで、この格好では何かあった場合に対処し切れない。
「むう。五柳、桜花、の順で呼んだ。まあ、五十音順ってことで許してあげる」
「致し方ありませんわ。このような時は、出来うる限り離れず行動するのが定石。そして、私と一ノ瀬さんが最も近付かずに済む配置がこれですから」
 それぞれが、おれの台詞にだけ反応する。
 帰りたい……。
「ところで優さぁ。ホレ薬なんて興味あんの? それとも、何か弱み握られて付き合わされてるとか?」
「話すと、ちょっと長いが、京人とみすみちゃんが、上の階に居てな、おれは京人に付いてきただけなんだが、いつのまにか相方が変わってたんだ」
「はぁ? 良くわかんないけど――むむ? もしや、これは運命かも」
「何だ、運命って?」
「この迷宮を抜け出すまでに、きっと何度かメンツの入れ替えがあってね。最後に一緒に居た二人は赤い糸で結ばれてるのよ、きっと」
「……」
 何だか、二人のおれの腕を持つ力が増大した気がする。いや、えもいわれぬ柔らかい感触があるのはいいのだが、火花が、ちょうどおれの首筋辺りで、弾けまくってる気が。
「なんだ、戻ってきちまったのか?」
 天井を照らすと、先程落ちてきた穴が見えた。目印も付けてあるし、間違いない。まだ一時間も経っていないし、もう一回りできるだろう。
「とりあえず、休憩だな。何か食うか?」
 リュックを降ろし、水と食料を取り出す。乾パンに、缶切りが要らないタイプの缶詰。とりあえず、おれは乾パンだけでいいや。サバイバルナイフを用いて、袋を切り裂いた。
「気にはなってたんだけど、この荷物って、野外探検同好会のじゃない? 見たことある気がするんだけど」
「……」
 なるほど、あのバカ、かっぱらってきやがったな。借りてきたと、良心的に考えられないところが、京人との付き合いが長い証拠である。
「それにしても、特に何も見付からないようですし、そろそろ帰り方を模索しなくては行けませんね」
 頬に手を当て、おっとりと言う。たしかに、頃合いだな。下手をすれば大事になりかねない。予定時間までに、自力で上に戻るのが最良だろう。
「ちょっと待って。戻り方って? 優、ここまでの道筋憶えてないの?」
「ああ、言ってなかったか。おれと五柳は、そこの穴から落ちてきてな。まあ、上に京人とみすみちゃんが居るはずだから、最悪、ロープでも垂らしてもらえば、戻れるんだろうけど、共倒れの恐れもあるしな。階段とか見つけられりゃ、それが一番良い」
「階段ならあったわよ。さっき」
「はぁ?」
「いや、脇目も振らず歩いてるから、何か確信でもあるのかなぁ、って」
「……」
 『おれは自信があったんじゃなく、怖くて首を振れなかっただけだ』
 喉まで出掛かったその言葉は、飲み込んでおいた。
「ふう、まあいい。行ってみるか、まだ、時間はあるしな」
 おれは半分に割った乾パンを口に含むと、水で押し流し、そこに向かうことにした。


「階段、ですわねぇ」
「ああ、階段だ。間違いない」
「何よ、優。気付きもしなかったくせに、文句あるの?」
 文句は無い。唯――。
「下りもあるというのが、厄介なんだ」
 その階段は、上下に伸びていた。仮にこの階層を地下二階とするのであれば、上に進めば地下一階。下へ進めば、地下三階となるのだろう。正直、地下一階と二階、全ても調べてもいないのに、余計な調査部分を増やされるのは御免だ。
「帰ろう。京人には、全部調べたと言い切る。それで、文句は無いな、五柳」
「ええ。嘘を看過するのは遺憾ですが、これ以上ここに留まるのは、全ての面において、賢明な行動ではありません一旦、撤退するのが、無難でしょう」
 ここに入り込んで、二時間近く経つ。そろそろ疲れも見えてくる頃だ。この様な探検をする場合、適度な疲労を感じた時点で帰還を開始するのは常識だ。さもないと、何かがあった時に、生きて帰れるだけの体力を残せないことになる。ここで無理をする必然性は、どこにも無い。
「ま、私としては優についてくだけだからいいけど」
 言って、軽快な足取りで、階段を駆け昇ってゆく。おれと五柳は、小さく肩をすくめると、彼女の後を追った。
「なぁ。思いっきり、嫌な予感がするんだが」
 階段を昇り始めて、二分程が経っていた。たかだか、三、四メートルを昇るのに、それ程の時間を食う訳がなく、明らかに、更に上へと続いている、この階段は。
「困りましたわね〜」
 あまり、困っているように聞こえないのが、五柳らしい。
「大丈夫、大丈夫。上に向かってる、ってことは、外までの距離が縮まってる、ってことだから、いざとなったら奥義の連発で、風穴あけたげるわよ」
 こっちはこっちで、物騒なこと言ってるし。下には、京人とみすみちゃんが居るんだぞ。
「でもさぁ、こんな隠し通路みたいのがあるんなら、何かあってもおかしくないわよね」
「おれは、無い方がありがたい」
 小さく、溜め息を吐いた。
「ん? 着いたか」
 階段が終わった。感覚で言うのであれば、四階分は上がったと思う。つまり差し引きで、京人達より三階は上。入口は、小山の中腹だったから、山頂辺りと推定される。
「つまりは、そんなに広いはずはない」
 懐中電灯で、周囲を照らす。思った通りだ。ここはただの直方体の空間、一言で言えば、ワンルームだ。もちろん、畳、六枚や八枚の次元ではないが、五分もあれば一回りできそうだ。
「ひょっとして、春蘭?」
 不意に、暗闇の中から少女の声が聞こえた。ちょっと待て。この声、聞き覚えあるぞ。
「優二に、桜花? 春蘭、どういうこと?」
 かなり奥の方から、光を照らされ、目を細めてしまう。逆行で影になってしまったが、輪郭は見えた。小柄な体躯。やっぱ、あいつか。
「どういうことか聞きたいのは、こっちだ、何してる、いばら?」
 こちらも光を当ててやる。すると、ショートカットの小柄な少女の姿が晒された。間違いない、おれの予想通りだ。
 彼女の名前は、翁零おうれいいばら。おれらより二つ年下だから、下の学校の三年生だ。結構色々な意味で力を持っており、桜花とは遠い親戚らしい。その関係で、おれのことを昔から知っているらしいのだ。そのおかげで、彼女と出会って短期間のわりには、仲は決して悪くない。
「何してるって言われても、私と春蘭はここで、噂の媚薬を探してて、ここで見つけただけ」
 言って、古ぼけたビンをこちらに見せてくれた。ほう、実在したのか。
「せっかくだから、試してみるわ」
 いばらはそう言うと、いきなり、ビンの蓋を開け、こちらに振り撒いてきた。止める隙さえない早業だ。
「な、ななな、何だよ、いきなり」
「この媚薬は、揮発性の液体で、蒸気を少しでも吸い込むと、効果を発揮する。そうそう、正確には、媚薬というよりは、恋愛感情増幅剤とでも言った方が的確かも。つまり決して好きになれない対象には、効果を発揮しない。例えば、幼児とか、同性とか。もちろん、そういう趣味の人もいるんでしょうけど」
 そこまで言うと、小型のガスマスクのようなものを装着した。お前、傍観する気か?
「けほっ、けほっ」
 何かが鼻をついた。シンナーやガソリンに似た、有機溶剤系の匂い。ちくしょう、吸い込んじまったか!?
「ああ、何だか、いい気分ですわ〜。山吹さん。いえ、あえて、優二様と呼ばせていただきますわ〜。私のこと、どう思われています〜?」
 早え。五柳の奴、とろんとした目で、こっちを見上げている。いや、おれも男なわけで、そんな目されたら、理性、飛ぶぞ。
「優……ずるいよ! 私のこと、お嫁さんにしてくれるって言ったのに!」
「何歳の時の話だ!? つうか、お前あの時、首元に刀突きつけて、無理矢理言わせたんじゃねえか!」
 こいつと刀をトラウマにならなかったのは、奇跡とも言える恐怖体験だったぞ、あれは。
「ああ、優二様〜。お慕い申し上げておりますわ〜」
 春蘭は、焦点のあって無い瞳のまま、千鳥足でふらついていた。この薬、本当に大丈夫なのかよ、おい?
「良かったね、優二。二人に割と好かれてるみたい」
「お前は……」
 悪の枢機卿は、楽しそうに現状を視認している。ちくしょう、思考力が落ちてなければぶん殴ってやるところだが、どうにも考えが纏まらない。
「優二様〜」
 ふらふらした足取りのまま、こっちに近付いてくる。俺は反射的にそれを躱すと、そのまま桜花に突っ込んでいった。
「あ――」
 その瞬間、二人の唇と唇が触れ合った。避けなきゃ、おれがああなったのかと、少し羨ましくも思いつつ――じゃなくてだな。
「これは意外な展開」
 無責任な張本人はとりあえず放っておこう。
「ああ! 優二君!」
 不意に、入り口の方がら声がした。見てみると、京人の奴がやってきたらしい。おお、この際だからお前でも良い。この状況を打破してくれ!
「ずるいよ、優二君!」
 ――は?
「一人でこんな楽しそうなことしてるなんて! 僕達、どんな時も一緒に喜びを分かち合おうって言ったよね!」
 その言葉に、おれの脳に、薬が一気に回った気がした。そしてそのまま気を失ってしまい、その後のことは良く覚えていない。


 翌日。教室にて。
「いや〜、優二君。昨日は楽しかったねぇ〜」
「お前、素面で楽しんでやがったな」
 すさまじい神経である。ひょっとすると、世界を動かす大物になれるかもしれない。
「ところで優二君。例の媚薬、結局どうなったんだい?」
「知るか。気付いたら、入口んところで倒れてたんだ。いばらの奴が持って帰ったんじゃねえか?」
「惜しいなぁ。あれの製造法さえ分かれば、巨万の富に女性と、全て思うがままなのに」
「アホ。あんなもん流通してみろ。世界の全価値観がぶっとぶぞ」
「優二君は保守的だなぁ。世紀の大発明というのは、何時だって世の価値観を壊してきたんだよ」
「アホ……」
 もはや、それ以上の言葉は出てこなかった。
「しかし、あれの最も面白い使い方って何かなぁ。とりあえず僕じゃ、水道とか学食に混ぜるくらいしか思い付かないけど」
「!!」
 しまった、無差別攻撃を忘れてた。別に死人や、怪我人が出る訳ではないのだ。あいつならやりかねん。
「優二」
 不意に、聞き馴染みのある声を聞いた。いばら、だよな?
「優二」
 廊下に立つ彼女の声は、何故か甘えるかのようだ。ちなみに、胸元に、例の古ぼけたビンを握っている。
「よ、よ〜し、落ち着け、いばら。とりあえず、それをこっちに渡せ」
「……」
 無言で頷いた。おれはひったくるようにビンを奪うと、フタの具合をチェックする。よし、漏れてない。
「それで、何の用だ?」
「優二。私は優二のことが好き」
「は?」
 いきなり告白しやがった。って、つまり――。
「吸ったのか?」
「うん、空調に流し込もうとした時、つい」
 ――このアマ。
「まあ、とにかく良かった。これ以上被害が広がったんじゃ、洒落にならん」
「ねえ、優二君」
 ドベガッ。もの欲しそうな顔をしている京人を、窓際まで蹴飛ばしてやる。許せ。お前にだけは渡すわけにはいかん。
「とりあえず、教師か? いやいや、効果の程を効かれたら墓穴。匿名で警察かマスコミにでもやった方が――」
 呟きながら、近くに誰かいないか調べておく。廊下は人でごった返しており、今通るのは、かなり危険な気がする。
 ん? 人が多い? 何かおかしくないか?
「いばら。お前、この廊下、通ってきたんだよな?」
「他に方法があるの?」
「いや、となると、何で、だれかれ構わず告白とかしてないんだ?」
 当然の疑問である。彼女はここに来るまで、無数の男を目にしてきたはずだ。それなのに何故?
「私、優二以外好きにになれないから」
「……」
 まるで、それが世界の真理でもあるかの様にさらりと言った。真面目な話、本気で照れるんだが。
 スッ。首元に何かを突き付けられた。それが金属光沢を持つ刃――日本刀であると理解するのに、一秒と掛からなかった。
「優……それをこっちに渡しなさい」
 桜花の目付きは、恐ろしいまでに真剣だ。しかし、顔そのものは風呂上がりであるかのように、異様に赤い。
「あんなことしたと御先祖様――松屋まつや慎乃丈しんのじょうに知れたらと思うと。決めたの! 私はあの事実を抹消する!!」
「いや、それはおれも同感だが、とりあえず、白昼堂々、刀を抜くのはやめた方が」
「桜花」
 不意に、冷たい声がした。
「私の大事な優二を傷付けるって言うなら、桜花でも許さないよ」
 瞬間――いばらはビンをおれからひったくるように奪った。おい、いつでも取り返せたのかよ。
「いばら。それを渡しなさい」
 言って桜花は、切っ先をいばらに向けた。
「桜花って、意味が無いこと好きだよね。そんなもの、私には何の脅しにもならないこと、知ってるのに」
 と、彼女は右手の中指と人差し指で、刃先をつまんだ。
「くっ」
 唯でさえ赤い桜花の顔が、更に紅潮する。力を入れているのに動かないのだ。いばらの腕力は、それ程尋常ではない。
「ね、無意味でしょ?」
「あ、んた。ねぇ」
 刹那。人込みの中から現れた細い金属棒が、いばらの左手を突いた。その弾みで、ビンが床に向けて落ち行く。
「のわ!?」
 驚きで、一瞬身体が硬直した。しかし、すんでの所で白い手がそれをキャッチする。心臓、止まり掛けたぞ。
「って、何の真似だ、五柳!?」
 白い手の持ち主――五柳に、そう叫んだ。言い忘れていたが、五柳はフェンシングの達人だ。本気で大会に出れば全国でも上位に食い込むほどだが、生徒会の仕事に専念するため、地方の小さな大会にしか出場しない。
「あの様な痴態を行なったと知られたくはありません。私はあの過去と、その証拠を消すことにしました!!」
「……」
 桜花と五柳。二人の仲が悪いのは、多分、近親嫌悪だ。
「春蘭。そうやって、あなたも私から離れていくのね」
「翁零さん!! あの様なことをさせておいて、何で被害者のように振る舞っているんですか!!」
 おぉ、あの五柳が激昂しとる。当たり前か――。
「それで、どうするの?」
「はい?」
 不意を突かれたのか、五柳は一瞬、顔を呆けさせた。
「それを私から奪って、その後、どうやって処分するの? 海に投げ捨てる? 焼却炉に放り込む? 徹底的に密閉して山に埋める? 正解は、どれも危険。いずれも外界に漏れ、蔓延する恐れがあるわ。倫理家のあなたにそれが出来る?」
「……」
 いきなりの正論だ。しかも筋が通ってるから、タチが悪い。
「それに私、それの造り方知ってるから、奪ってもあんまり意味無いよ」
「!!」
 最悪だ。こうなってしまったら、これ以上の拡散を防ぐためには、いばらの口を封じるしか。
 ん? ああ、そうか。そんな簡単な手があったか。
「五柳。ちょっとそれ貸せ」
「は、はい?」
「いいから、とりあえず貸せ」
「……?」
 いばらは、良く分からないとでも言いたげに、顔に疑問符を浮かべている。。
「優二、何する気?」
「こうする」
 言って、手早くフタを開閉すると、少量だけハンカチに吸い込ませた。そして、自分が吸い込まないように気を付けつつ、一気にいばらとの間合いを詰めると、口元にあてがい、吸引させてやる。
「ふがっ!?」
 流石のいばらも、虚を突かれたらしく、対応し切れない。その隙に後ろに回りこむと、羽交い締めにして、尚も吸引を続けさせる。多少暴れるものの、おれが相手だ。桜花に相対する時ほど、本気にならないというのは計算通りだ。
「……」
 二分程吸わせると、いばらの目は、まるで別世界にでも行ってしまったかの様に、甘く、とろけていた。ちと、吸わせすぎたか?
「いばら。おれのこと好きか?」
「は?」
「はい?」
 とりあえず、予定通りの行動をとっておく。横の二人が、頓狂な声を上げているが、無視だ、無視。
「うん、大好き。優二のためなら、世界を敵に回したって構わない。大丈夫、私が護ってあげるから」
 胸元で、こちらを見上げるようにして、そう言ってくる。やばい、おれ、一瞬、ときめきやがった。
「そうか、そうか。じゃあ、一つお願いを聞いてくれ」
 頑張って、平常心を保つ。理性的な男を演じるのって辛い。
「うん。私、優二のためなら、何でも出来る。燕の子安貝だって、竜の首飾りだって、何でも取ってくるよ」
「んな、大層なもん要らんが。いや、簡単なことだ。この薬のことを綺麗さっぱり忘れてくれ。でないと、おれはお前のことを嫌いになってしまう」
「嫌い? やだ! 絶対にやだ! 分かった。忘れる。忘れるから、嫌いにならないで」
 ここまで素直だと、逆に罪悪感が芽生えてくるから不思議だ……おれ、そんなにひどいことしてないよな……?
「よし、それじゃ、この話はこれで終わり。そんじゃあな、いばら。授業、しっかり受けてこいよ」
「……」
 焦点が合わない瞳のまま、下の学校のある棟へと帰ってゆく。ふらついてるけど、大丈夫か?
「ふう、良かった、良かった。何とか円満に終わった」
 ほぉっと、小さく息を吐き出した直後だった。喉元に、メイドインジャパンの刀と、西洋由来のフルーレが、突き付けられたのは。う〜ん、これも和洋折衷?
「優」
「山吹さん」
 二人が、非難の視線をこちらに向ける。しょうがないだろ。他に手があったなら、提唱してから、文句言え。
「……」
「……」
 そのことを理解しているのか、二人は大人しく、武器を収めた。これで、ほぼ完全に決着だな。

 放課後、おれは残ったサンプルを、何重にもラップやら、ビニール袋で、包んだ上で、小型の金庫に入れて、うちの庭に埋めておいた。何十、何百年後に、ひょっこり発掘されるかもしれないが、そこまで、おれの知ったこっちゃない。それに、それまでに、効果も無くなるだろ。おれは深く考えず、惰眠を貪って、全て忘れることにした。

 かくして、おれ達を巻き込んだ、お宝騒動は、思いの外、あっさりと終結した。


                  了

サイトトップ  小説置場  絵画置場  雑記帳  掲示板  伝言板  落書広場  リンク