自分が人と少し違うと知ったのは、小学校に上がる頃だったか。霊的な存在は、こちら側から干渉しない限り、ほとんど姿を現さない。日本の八百万の神、中国の精霊、欧州の妖精、天使の類。昔は数多く居たと言うよりは、科学で理屈付け出来ない時代だけに、それが心の拠り所として誇張されていたと言うのが正しいだろう。或いは、少し狡猾な人間が政治的手法として利用したか。いずれにせよ、普通の生活をしている限り、関わることは殆ど無い。だけど、俺は少し違っていた。自然の中に漂っている種々の霊を視認し、知覚することが出来た。もちろん、小さい頃はそれが特別だとは思わず、お袋は良く苦笑してた。分別が付く頃には、黙ってる方が無難だって分かってくる。時代が時代なら崇められたのになと思った時期もあったが、今となってはどうでも良い。とにかく俺が物心付いた頃、こいつは既に側に居た。時にはうざったく思うこともあったし、崇り殺されるんじゃないかって思ったこともあった。でも、何だかんだで今も一緒に居る。兄弟なんてのは、結局のところ、そんなものかも知れない。 中一の夏。俺は自室で豪快に伸びていた。一戸建て二階の、西側の部屋を割り当てられていて、日当たりは良いんだが、恐ろしいまでに西日がきつい。夕方頃の不快指数と言ったら、筆舌に尽くしがたいものがあって――結果、文明の利器に頼ってしまう訳だったりする。 「全く。暑いのでしたらプールなり何なりに行って涼んで来れば良いでしょうに」 「黙れ。いつも汗一つ掻かず、涼しげな顔して立ち尽くしやがって。自分が偉いつもりか」 「非論理的な反論は受け付けないといつも言っているでしょう」 「……はぁ」 何だか言い争うのも馬鹿馬鹿しくなって、再び横になった。俺に話し掛けてきたのは富之。有り体に言えば精霊とか、守護霊とかいう奴なのか。俺が気付いた頃にはもう憑いていて、面倒なことに自在に出し入れが出来る。まあ居るのはある程度仕方ないんだが、見えず、使役することも出来なかったら一般人として生活出来たのにとは良く思う。 「それで、振られた原因はなんだったんです?」 「――後輩としか思えないだって」 そう。何故こうも自棄になっているかと言えば、失恋したてなのだ。相手は、二つ上の先輩。美人で、性格も穏やかで、高嶺の花だってことは分かってる。だけど止められなかった。それも分かってた。傷付くってことくらい、分かってたさ。 「良いんだよ。俺にとっては憧れの人だった。だからそれを恋愛感情と錯覚した。それで良いじゃねえか」 捨て鉢になって、背を向けてしまう。褒められた態度じゃないのは分かってる。そんなことは分かってる。 「やれやれ。お子様のお相手と言うのは疲れますね」 「そう思うんなら、消えてくれ」 「私は、あなたの意志でも消えられますが?」 「――面倒だ」 「了解です」 それだけを言い残して、奴は消えた。だけど俺の中にある曖昧な心持ちは、当然の如く消えることは無かった。 満天の星空を眺めながら外を歩くなんて、何時以来だろうか。日数で言えば、大したことは無い気もするんだが、とてつもなく久し振りな感じがする。そこまで思い詰めていたつもりは無いんだがな。 はぁ、と一息だけ吐き出すと、再び歩を進めた。何処へ向かうでもない、文字通りの散策。心と身体は連動していると良く言うが、俺の気持ちそのものだった。真っ暗な時が静止した空間で、何処へ向かう訳でもない只のモノ。それと今の自分と、何の変わりがあるんだろうか。そんなことを思いつつ、突き当たった三叉路を考え無しに左折した。 「あ――」 そこで、今、一番会いたくない人と出くわしてしまう。運命の神様って奴は相当に意地が悪いのか、或いは俺の日頃の行いが悪いだけか。とにかく俺は、心の動揺を必死に抑えて、ぎこちない笑みを作った。 「やあ、 「清水君――」 何のことは無い。俺の目の前に居るのは、つい六時間前に失恋した椎木ゆな先輩だったんだ。容姿端麗、成績優秀、品行方正と、一つの学校に一人居るか居ない、貴重な人材だ。そんな人に、美術部の後輩と言うだけで告白しても、火縄銃で重戦車に立ち向かうくらい無謀な訳だ。 「あ、あのね、清水君。昼間のこと、私、気にしてないから。清水君、良い人だし、こんなことでギクシャクしちゃうのもどうかって思うから。これからも仲良くしていきましょう」 「え、あ、うん」 こんなこと。他愛の無い、只の言葉だ。意味なんて、何も籠められていやしない。だけど俺の心にはその声が深く突き刺さり――先輩を直視出来なくなってしまう。 「良かったぁ。ほら、うちの部活って、七人しか居ないでしょ。すぐに私達だけの問題じゃなくなっちゃうし、どうしようかって思ってたんだけど――」 声が、とても遠くに聞こえた。何で――何でだよ。俺は先輩のこと思って、こんなに苦しいのに、何でそんな普通に喋れんだよ。場違いな怒りだと分かっていながら、小さく唇を噛み締める自分を自覚していた。 「放っといてくれよ」 口を付いて出たのは、そんな言葉だった。それも又、只の言葉だ。だけどそれは、夜闇を切り裂く白刃で、同時に俺の心も切り裂いた。 「もう、俺のことなんて構わないでくれよ!」 「しみ、ず……君?」 当惑して、椎木先輩はどうして良いか分からないといった風に、慌てふためいた。俺はそんな先輩の顔を見るのに耐えかねて、踵を返すと、そのまま走り去ってしまった。 「はぁ……」 最低だ、俺。溜め息と共に自己嫌悪の念も捨て去れれば楽なのだろうが、そんな訳にも行かず――結果として、最低としか評しようが無い自身を見詰め返し、落ち込んでしまう。何でこうもガキなのかね。子供の相手は疲れると言った富之を思い出し、又ヘコんだ。あいつは、大人だよな。少なくても俺が知る限り、あいつが物怖じしたことを見たことは無い。何年あの姿で精霊をしているのかは知らないが、そんなことは関係無い。自分を自分として冷静に認識できること。それこそが大人の条件なのだろう。俺が大人になるには後どれだけの時間が必要なのか。それを思うと、少しゾッとした。 「少し、落ち着いた方が良いな……」 騒々しいまでに視覚を刺激するコンビニの蛍光灯に吸い寄せられるようにして、そちらへ向かってしまう。人間には虫と同じく、光に引き寄せられる性質があると言うが、情け無いまでにその通りだと痛感させられた。 「495円になります」 手押し式のガラス戸を押して中に入ると、一人の女の子がレジで袋詰めされた商品を受け取っていた。パンパンに膨らんでる割に軽そうなところを見ると、スナック菓子の類か。他人事ながら、何となく気になって、見遣ってしまう。 「わ、わ、わ〜」 途端、その女の子は 「あ、ありがと〜」 瞳の大きい少女だった。やや色の淡い、ウェーブ掛かった髪を肩口で切り揃えていた。少なくても、この辺りで見かけた記憶は無かった。そういう意味で気にはなったが、とりあえず袋詰めを優先した。 「ほら。中身までは保障できないけどな」 「う、うん。本当にありがとう〜」 独特の、間延びしたイントネーションだった。変わった喋り方だなと驚くと同時に、年下であると確信し、つい大人ぶった行動を取ってしまおうと思ってしまう。 「あのな。塾の帰りかも知んないけど、小学生がこんな時間にうろついてちゃダメだぞ。せめて友達と一緒に行動しな」 頭の上にポンと手を乗せつつ、そう言った。自分も中一で、そう変わりは無いんだが、一つ二つの差で威張りたくなる年頃なのだ。 「私、中学二年生だよ〜」 ――は? 思考が、停止した。この、俺より頭一つは小さい女の子が、一つ年上? いやいやいや。無いとは言い切れないが、喋り方や仕草が子供っぽ過ぎるだろう。どう考えても。 「あー、ちなみに何処の中学?」 少なくても、うちの学校にこんな特徴的な先輩は居なかったはずだ。 「え、あ、うん。今日、引っ越してきたばかりなんだよ〜」 あ、成程。だったら知らなくても仕方は無い。この特徴的な外見の説明にはならないが、身体的なことをいつまでも引き摺るのも不毛なので、ここらでやめておこう。 「うん、それじゃ、またね〜」 扉の前でもう一度手を振って、その先輩らしき人は去っていった。さて、それじゃ立ち読みでもして時間、潰すかなと思ったのだか、何故か彼女は駐車場の辺りで立ち往生していた。何だ何だ。今度は何があった。 「う、う。帰り道が分からないよ〜」 俺は、今日、何度目とも知れない、大きな溜め息を吐き出した。 仕方なく送ってやることにした最中、話を聞いてみると住んでいたアパートが手狭になった為、この近所に越してきただけで、転校もしてないらしい。一応今の住まいは学区外ではあるのだが、距離的にも大差は無いので、認められたということだ。 「ま、そりゃ、折角仲良くなった友達と無意味に別れることは無いわな」 「それはそうだよ〜。みよちゃんもれいなちゃんも大好きだもん」 固有名詞を出されても困るんだが、適当に相槌を打っておいた。って言うか何で年下の俺が気を遣ってんだよ。 「あ、私のうち、ここだよ〜」 町名と番地から何となく分かっていたことだが、俺んちの近所、歩いて五分程度のマンションがその場所だった。最近建てられたばかりで、設備が良く、値段も比較的安かった為、こんな時代なのに希望者が殺到したらしい。 「親御さん、運が良いんだな」 「……」 何となく、悲しそうな顔をした気がした。まずいことに触れたつもりは無いのだが、何となく目が見れなくなって、頬を掻いて誤魔化した。 「それじゃ、な」 「う、うん。またね〜」 またね、か。学校が違う以上、そうそう会う機会は無い気もするが、笑顔で返しておいた。そして、彼女が見えなくなったところで、一つの事実に気付いた。 「あー、そういや名前も聞かなかったな」 どうやら、女垂らしになる素質は無いらしい。良いことかどうかは果てしなく謎だが。 「帰るか、な」 幸いにして、少しだけ気分は落ち着いた。明日以降、どんな顔して先輩に会えば良いのか分からないが、自業自得だ。とことん苦しむのが筋ってもんだろう。先輩は、下手すれば俺以上に苦しんでる訳だしな。 その時、不意に幾つかの白色光が目に入った。それとほぼ同時にエンジン音を共にこちらへ突進してくるトラックを知覚する。何が起こったのか分からないまま、その光景がゆっくりとこちらに向かってきて――硬直したまま、それを受け入れることしか出来なかった。 それから一体どうなったのか。気付いた時に俺は、近くの歩道に倒れていた。背中が少し痛いが、それだけだった。手も、足も、全ての部位を自分の意思で動かせた。背中は、壁に叩きつけられたのか。と言うことは、誰かが突き飛ばしてくれたのか、自身で跳んだのか。危機回避能力にそれほど自信がある訳では無いので、多分、前者だろう。 「富之……」 俺を突き飛ばしたのは、相棒であろう精霊だった。その際に左足を轢かれたのか、霧散してしまっているが、すぐさま再構築される。 「お前、ずっと近くに居たのか」 「ええ、私はあなたに仕える精霊です。当然のことでしょう」 たしかに、使役型精霊はある程度以上術者から離れなれない規制がある。だけど、話を聞けない程度、挙動を観察できない程度には離れられる。意識して、留まっていたということだ。 「何でだよ。俺は、お前に――」 「関係有りません。私は、あなたに生涯従うと決めた身です。あなたにどの様に扱われようと、それは大したことでは無いのです」 ああ、何となく理解した。こいつの凄さは、どんな時も自分を曲げないこと。言うのは容易いが、それはそれ程簡単なことじゃない。俺にはきっと、何年も掛かってしまう。 「わかった。お前は、俺に付き添え。少なくても俺が大人になるまでは」 「あなたがそう望むのであれば」 この時、始めてこいつとは仲良くなれそうな、そんな気がしていた。 翌日。先輩には謝り倒して許してもらった。もう、前みたいに気楽には話せなかったけど、卒業式には写真を撮ってくれたし、許してはくれたんだと思う。初恋の結末としては、こんなものなのかも知れない。 そしてコンビニの女の子は、何故だか何度と無く出会うことがあり、何年か後に、先輩として再会することになった。人の縁という奴は、あながち侮れないものなのかも知れない。 そして俺の高校生活が、中学時代とは別の意味で喧騒に満ちて始まった訳だ。 「Hahaha。これで俺様のチェックメイトだぜ」 「え、え、え〜。ちょっと待ってよ〜。まだ一手あるよ〜」 「Hoo。悪足掻きはよすんだな。返し手は全て封じたぜ」 何かがおかしい。確実におかしい。俺はたしかにあの時、こいつを尊敬していた。俺が持っていないものを持っていると。そして、如何に子供な先輩であろうと、何年か経てば大人びるであろうという、根拠の無い目算があった。何だこの結末は。俺は悪夢でも見ているのか。 「ここに打てば勝てる」 「Guhi!? Adviceはマナー違反だぜ」 「芽依ちゃんありがとう〜。抱きしめてあげるよ〜」 「要らない」 妙なのも加わった。正確には俺が拾ってきたんだが、これで良いのか。本当にこれは俺が望んだことなのか。願望なんて、所詮は叶わないように出来てるって言いたいのか。ええ、運命の女神様よ。 「雅人、何、間の抜けた顔してる訳?」 はぁ。 ま、こういうのも悪くないか。結局のところ人に出来ることは流れに流されることだけと言うのなら、それに身を任せるのも一興だ。そう思うと、俺は親友であろう侍娘を、軽く小突いてやった。 了 |