何時の頃からだったんだろうか。少なくても、物心がついた頃に、そこは私にとって最高の遊び場で――飽きることなく、日がな一日、入り浸っていた気がする。後で聞いた話だけど、その前から私はずっとそこに居て、大分困らせていたらしい。子供のすることなんだから、仕方ないと思うけんだけどね。 だってそこは私にとってどんな宝石箱より輝いて、どんな玩具箱より心ときめかせてくれて――何よりも心許せる友達が居た。ううん。私にとっては家族だった。お父さんやお母さん、後に産まれて来る妹と同じくらい大切な存在に思えた。こっそり持ち出して一緒に寝ようとした時、お父さんは相当呆れてた。だけど、お母さんは何だか笑ってた記憶がある。その後は良く憶えてないんだけど、お母さんの意見が通って、私達はずっと一緒に居られることになった。その時は本当に嬉しくて、泣きじゃくって、お父さんに『お前が泣くのは赤ん坊の時以来だな』なんて言われた。褒められたんだよね。 その時からもう、十年以上が経ったけど、私と揚羽は変わらず一緒に居る。それはこれから一生変わらないだろうし、変わる自分を想像できない。だって、私にとって一番大事なのは、揚羽なんだから。 「今にして思うと、あれが全ての過ちだった」 「ほへ?」 とある日の夕食時、お父さんは不意に口を開いて、そう言い放った。 「お前が三歳の時、蔵で揚羽と引き合わせなければ、ここまでのことにはならなかっただろう。十六にもなって、色気が増大する気配も無く、彼氏を作る訳でも無く、挙句には揚羽が恋人と言い切る。明らかに普通の高校生からは掛け離れている」 しみじみと言葉を紡ぐお父さんは、本当に後悔しているように見えた。 「うんうん。私も止めれば良かったと思うよ。まだ産まれてなかったけど」 「あら、桜花ちゃん。面白いこと言うわね」 お母さんはお母さんで、素直に相槌を打っていた。 「雅人君。こんな不束でどうしようもない娘だが、貰ってくれると言うのなら、喜んで差し上げよう」 「いえ、そんなこと言った憶えは全く無いんですが」 そうそう、今日の晩御飯には雅人が同席している。両親の帰りが遅くなるらしく、折角だからと誘ってみたのだ。うちは男っ気が少ないし、お父さんも喜ぶと思ったんだけど、予想以上に懐いていて楽しそうだ。 「だがな、雅人君。婿養子にだけはなるんじゃないぞ。私もこう見えて、若い頃は文武両道、剣道で全国上位に食い込んだこともある。だが、この家に入ってからは、そんなプライドはちんけなものだと思い知らされたんだ。自分より遙かに強い嫁とその一族。そして、小学生の時分には自分を追い抜いていく娘達。ああ、私は一体何処で人生を間違え――」 「あらあら、お父さん。それはどういう意味かしら」 「あ、いや、その――」 お母さんに射竦められ、お父さんは口をつぐんだ。お父さんにしてみれば近所の居酒屋ででも話している気分だったのだろうけど、本人がここに居る訳で。ちなみに私と桜花は、夫婦のことには口を出さないことにしているので、二人してのんびりと味噌汁なんか啜っていたりした。 「雅人君、御免なさいね。うちの人、食後に稽古つけて上げないとダメだから。二人の相手、お願いするわね」 「え、いや、そんなことは一言も――」 「必要よね?」 「……はい」 何時からだったか。かかあ天下とか、尻に敷かれるとかいう言葉を憶えるかなり前から、両親の力関係を理解していたように思う。と言うよりは、父親が母親に従うのは、弱肉強食の原理と同じく、世界に於いて普遍のことだと思っていた。私が結婚したとしても同じ様な家庭を作るのが至極当然のことだと思っていた。世の中に、色々な家族の形があると知ったのは、高校に上がった頃くらいだったか。まあ私も結婚できる年齢になった訳だけど、剣がまだまだ未熟で、それどころじゃないし。何か、桜花の方が先に結婚しそうな気がするのは、私だけかな。 「何つうか……相変わらず平和だよな、お前んとこ。もう少し殺伐としてても良い気がするんだが」 「ほへ?」 言っている意味が分からなかった。 「ところで雅人。さっきの話、実際のところどうよ?」 「んあ?」 桜花の問い掛けに、雅人が間の抜けた返答をした。 「お姉ちゃんと結婚するってとこ。私、雅人だったら別に良いよ。二つもオプションついてて面白そうだし」 「凄い選択基準だな、おい」 「それに現役時代は駄馬でも、隔世遺伝とかで種馬としては優秀だってことはたまにあるから安心して良いよ」 「小五の女の子が吐く台詞か」 桜花と雅人の二人は、傍から見てても微笑ましい。少し年の差はあるけど、十年も経てばそんな気にならなくなるだろうし、結婚したら面白いかも。その場合、雅人が私を、姉さんと呼びかねないところがちょっと問題だけど。 「雅人君。結婚は応援するが、婿養子だけはやめといた方が良いぞ」 お父さんはどことなく涙目に見えた。 「そう言えば、こんなこともあった」 「はぁ」 「あれは風花が五つか六つくらいの時のことだった」 小学生に入る前って言うとあれかな。たしか、桜花が生まれたばかりでドタバタしてて、構って欲しくてした悪戯が――。 「裏手の崖に生えてる木に揚羽もろともよじ登ったんだ」 「うぉい」 一瞬の間も入れず、雅人は手の甲で私をはたいた。 「でも、子供なら良くやることじゃない」 「限度を知れ、限度を!」 「しかも、その木から落ちた」 「落ちたんですか!?」 目まぐるしくツッコミ相手が変わる中、敬語をキチンと使っているのは、ちょっと凄いと思う。 「ああ。だが奇跡的に揚羽が途中の木に引っ掛かってな。決して手放そうとしないのが幸いした稀有な例だ」 「揚羽は私が守るし、揚羽も私を守ってくれるのよ」 「――しかし、小さい時から無茶してますね、こいつ」 何か今、軽く無視された気がする。 「その手の話ならまだあるよ」 次いで桜花が挙手しつつ続けた。 「お姉ちゃんがランドセル背負ってた記憶あるから、四、五年前かなぁ」 ふむふむ。その頃の話ならあれかな。 「裏山で一緒に遊んでたんだけど、突然、イボイノシシが出てきて――」 「ちょっと待て。都会とは言わんが、首都近郊のこの街にそんな獣が居るのか?」 「近所で飼ってた人が居たみたいだよ」 「――まあ良い。続けてくれ」 「その時、私、錯乱しちゃってね。近くにあった揚羽を手に取って鞘を放り捨てたんだけど――」 「私、頭来て桜花のことボコボコにしたんだったかなぁ」 「何で他人事みたいなんだよ!?」 静寂に満ちたこの家を、ツッコミと言う名の刃が切り裂いた。 「いや、頭に血が昇っちゃったのか、良く憶えてないし」 「あの時よね。私が人生を有意義に過ごすには、如何にしてお姉ちゃんを敵に回さないかに掛かってるって悟ったのが」 「どんな六歳児だ」 雅人の声は少し呆れてた。 「って言うか、イボイノシシは何処行った?」 「んー、たしか特に何をするでもなく、その場から立ち去って、二時間後くらいに捕まったんだったかな」 「話に関係無いのかよ!?」 「風花ちゃんってば、お茶目さんよね〜」 「お茶目で済ませられるお母さんが一番お茶目です」 流石、雅人。上手いことを言うと思う。 「そうそう。風花ちゃんと揚羽の話なら、こんなのもあるわよ〜」 「まだあるんですか……」 何だか、疲れているように見えた。 「あれは風花ちゃんが十三歳の時だったかしら〜。そろそろ退魔の仕事を仕込もうと思って、現場に連れてったんだけどね〜。悪霊、中立、守護霊、全部構わず薙ぎ払っちゃうんだもの。後始末に苦労したわ〜」 「今でもたまに間違えるけどね」 「あの時に確信したのよ。この子はとんでもない大物になるって。親バカかしら?」 「いえ、ある意味に於いてその予感は的中してます」 雅人が褒めるなんて珍しいこともあると思った。 「だって揚羽の力を見せ付けるチャンスだと思ったんだもん」 「もんを付けるな。可愛くねえ」 てへへ。 「はぁ、何つうか……この親にしてこの子ありと言うか、三つ子の魂百までと言うか」 「そっか。揚羽と一緒になったの三歳の時だし、丁度いい諺だね」 「納得すんな」 再び、雅人に手の甲ではたかれた。 「雅人君、ツッコミ上手いわよね〜。ねえ、ちょくちょくうち来て、旦那に仕込んでくれない? この人、あまり上手じゃないのよ〜」 「いえ、この能力は生活環境上、仕方無しに身に付いたもので、他人にどうこうできるもんじゃないです」 今明かされた衝撃の真実。雅人に、そんな過去があったとはね〜。 「いや、原因はお前らだ、お前ら」 何か今、さりげなく心を読まれた気がする。 「さぁ、お父さん。道場に行きましょうか」 「とほほ」 そう言えば、お父さん以外にとほほって使う人を私は知らない。 「さて。じゃあ俺はそろそろ帰るかな」 「えぇ〜、つまんないなぁ。まだあの二人にも会って無いのに」 「また今度な。って言うか、遊び相手が欲しいんなら、お前も使役すれば良いだろ」 「昔、やったんだけどね。あまりに危なっかしいんで、野に還したよ」 「危なっかしいって、何が――」 「……?」 何故だか、桜花と雅人の視線が、私の所で交差してる気がした。 「一緒に暮らすのは無理かも知れんな」 「一薙ぎくらいなら耐えられる上位精霊を見つけたら考えてみることにする」 「そうだな」 「??」 意味が分からなかった。 「あ、そうだ、雅人。泊まってったら良いじゃない。確実に何か出るけど、雅人なら気にしないでしょ」 「何かって何だ!?」 「アレとか、コレとかかな」 「絶対に断る」 残念。面白いリアクション、取ってくれそうなのに。 「ん〜。だったらせめて、腹ごなしに付き合ってくれない?」 「散歩か何かか?」 「いや、道場」 この時、雅人はこれ以上無いってくらい、間の抜けた顔をしていた。 「ふう。何だか分からんが助かったな」 「風花ちゃん、ファイト〜♪ 雅人君も頑張って〜。一ノ瀬家に弱い男は要らないのよ〜」 私は今、雅人と対峙していた。と言っても、平手じゃ勝負にならないので、トミーとの二対一だ。私は、揚羽に鞘を付けた状態で、正眼の構えを取ると、一息吐いた。鞘自体にも破魔能力はあるけど、刃の方に比べれば甘噛みみたいな物で、鞘そのものに殴られたのとあんまり変わらないと思う。 「Hoo。俺は何時如何なる時、誰の挑戦でも受けるぜ」 「まあ、バカは置いておくとして」 屈伸運動をしながら、敢えて目を合わせずにいた。 「ほいじゃ、いっくわよ〜」 下段へと構えなおし、呼吸を止めると、畳を蹴って一気に間合いを詰めた。現状、左手にトミー、右手に雅人が並んでいる格好だ。二人がコンビネーションを駆使しているのを見たこと無いので、多分、それぞれに攻撃してくるだろう。そういう時にすべきことは――。 「Guha!?」 一番の戦力を先に削ぐこと。私は柄頭と 次いで、動きが止まっていた雅人の胸元を右足で蹴り込んだ。軸足を途中で切り替えなくてはいけなかったけど、その程度は朝飯前だし。それで雅人がどうなったかって言うと、そのまま吹き飛ばされて、お父さんのところにダイブした。戦場では、何時、何処から弾が飛んでくるか分からないとは、お母さんの談だ。 「お前は〜。少しくらい手加減しろよ!」 日々の喧騒で生命力が増大しているのか。雅人は、何事も無かったかのように立ち上がるとそう言い放った。 「ん〜。弱いよねぇ、雅人って」 「第一声がそれかよ」 「ねえ、私達って何で友達なんだっけ?」 「はぁ?」 意味が分からないとでも言いたげに、頓狂な声を上げた。 「いや、何となく。そりゃ学校一緒だし、現場でばったり会ったことはあったけど、それだけで仲良くなれるってもんでもないでしょ?」 「それで、強さか?」 「ん〜。でもまあ、何か違うみたい」 考えてみれば、純粋に強さだけなら、お母さんの方がお父さんより上だけど、好きの度合いは変わらない。 「はぁ。何だか、ガキっぽいこと言い出す奴だなぁ」 「ほへ?」 いきなり溜め息をつかれた上に、呆れられた気がする。 「あのな、こういうのは縁なんだよ。人は生きてれば、無数の人に会う。そしてその中から波長の合う奴と一緒に歩いてくんだ。それは決して何かで代用出来るもんじゃない。お前は、揚羽と同じくらいの力の刀があるとして、それと取り替えられるか?」 「無理」 脊髄反射と見紛う程の早さで返答した。 「あら、雅人君、良いこと言うわね〜。流石はうちの婿養子だわ〜」 「何で決定事項になってんですか!?」 「でも今のままじゃうちの旦那にも勝てないから、もう少し頑張ってね〜」 「マイペースに話を進めないで下さい!」 何だか、あっちはあっちで会話が成立してるみたいだった。 そっか。揚羽と私が一緒に居るのは、あまりに当たり前で、深く考えたことは無かったけど、縁だったのかな。そう言えば、私が知る限り、お母さんはずっと同じ刀を使い続けている。あれはきっと、お父さんとは別の意味で相棒だからなんだと思う。出会いがあって、恋をして、何時しか一緒に居るのが自然になる。何のことは無い。愛刀が愛刀であると言うことは、家族を作ることと変わり無い。とても早い時期にそれを得ることが出来た私は、幸せ者なのかも知れない。 そんなことを思いつつ、私は、揚羽の鍔にそっと唇を押し当てた。 了 |