邂逅輪廻



 果てさて。それでは何故この様な窮地に陥ったのかを考察してみよう。先に言い訳しておくが、俺に非は無い。むしろこの手の喧騒に関して言えば、十中八九、俺は被害者であり、いたいけな小市民である俺にとってみれば、迷惑も良いところなのだ。
「これで雅人も仲間」
「Haha。ミイラ取りがミイラになるとは、正にこのことだぜ」
「やかましい……」
 重量感が曖昧な身体というのは、どうにも感覚が掴めず、ふわふわとその場に漂ってしまう。重力って、大切だよな。しみじみとそんなことを思ってしまう自分が居た。
「ん〜。まあ、雅人。なっちゃったものは仕方ないんだし、気合で戻れば良いじゃない」
 コメカミ辺りがピクついた。成程、擬似的なものであっても、それが習慣である限り、肉体ってのは同じ様な挙動を示す訳だな。はっはっは、こいつは一本取られたぜ。
「って、和やかになれるかぁ!!」
 卓袱ちゃぶ台でもあれば全力でひっくり返してやる程の勢いで叫んでやった。時代錯誤と言われようと、俺は亭主関白主義で押し通してやる。
「そう言えば、身体から霊体が抜けるのって、脱臼みたいに癖になるって聞いたことあるわね〜」
「Oh、そいつはGreatだな。Bossもついに、幽体離脱屋の仲間入りか」
「私、先輩だから色々教えてあげる」
「お前ら……」
 怒りが臨界点を越え、諦めの感情と共に、着地した。ほうほう。俺みたいに慣れてない人間だと、感情の起伏と共に、身体も上下するのか。勉強になるなぁ。
 俺は遣る瀬無いとも、捨て鉢とも言える曖昧な心持ちのまま、不貞腐れて、身を伏せてやった。


「わ、わ、わ、雅人君〜。随分、軽くなっちゃったね〜」
 化学室に入るなりの、第一声がそれだった。先輩、もう少し他に言うことがあるだろ。
「夜店の風船」
「Hoo、或いは新型の鯉のぼりだぜ」
「頼むから、黙っててくれ……」
 俺は、胴体に紐を括りつけることでここまで運んできてもらった。自在に動けないんだから、仕方ないと言えば仕方ないが、見てくれは相当に悪い。
「はい、雅人君〜、紅茶だよ〜」
 200mlビーカーに琥珀色の液体を注いで渡してくれる。それは別に良いのだが、口元に運ぼうとすると、反作用で身体は明後日の方に流れてしまい――結果として、意味不明な踊りでも踊っているかの様になってしまう。
「何、遊んでるの〜?」
 ――泣いてなんかないやい。
「さて。それで、これからどうしようか」
 風花は、俺の身体をその場に横たえると、ふうと一息ついた。おいこら、人様の身体をそんな乱暴に扱うんじゃねえ。
「まあ、雅人に揚羽が当たって、霊体が抜けちゃったってのは、良くあることだから置いておくとして」
「置いとくな」
 お前には、良心とか自制心というものは無いのか。
「うんうん。たしかに揚羽が刃毀れしちゃわなかったかは重要な問題だけど」
「そっちかよ!?」
 つうか、そもそも刃引きしてあるだろうが!
「ふえ〜。私、そっちの話は詳しくないんだけど、雅人君、こういうの元に戻せなかったっけ〜?」
「あー、俺が戻せんのはあくまで他人だけな。自分の肉体を媒体にした霊力じゃないとダメなんだ」
「私はこういう細かいの、どうにも苦手で」
 蹂躙専門の退魔師というのも、どうかと思う。一度、そのことについて聞いてみたことはあるのだが、両親の方針が、長所を伸ばす方向で纏まっているらしい。一般論としては素晴らしいものだと思うのだが、ことこいつについては、どうなんだろう。
「でもまあ、いつかはこうなる可能性が高いんだし、予行演習だと思えば良いじゃない」
「縁起でもないこと言うな。俺は白寿まで生きて、ひ孫三十人くらいに見守られて死ぬ予定なんだ」
「でも実際は、三十人くらいの使い魔に、『早くこっち来いよ』って手招きされそうだよね」
「うぉい」
 現実味のありすぎる仮説だ。肝に銘じておこう。
「私なら戻せる」
 不意に口を挟んできたのは芽依だった。そう言えばこいつ、割と器用なんだよな。とてつもなく不精なだけで。
「雅人と私の精神を融和させて、肉体に入り込んだ後、分離するのが一番早い」
「わ、わ。何だか、えろてぃっくだよ〜」
「芽依。一応聞いておくが、本当に分離できるんだろうな?」
「そのまま、一つのものになる可能性はある」
 ――待て。
「ん〜。つまり雅人の突っ込みが、芽依ちゃん口調になるってこと? それって結構、辛辣だよね〜」
「言いたいことは、それだけか」
 とりあえず、こいつに意見を求めるのが無謀だということだけは良く分かった。
「却下だ、却下。やれそうなこと全部試した訳でもないのに、そんな危ない橋を渡れるか」
「残念」
 この残念が、『人体実験できなくて残念』なのか、『肉体を奪えなくて残念』なのかは不明だ。唯、間違いなく、『俺を元に戻せなくて残念』だけは有り得ない。
「Oh、だけどBoss。慣れればこの身体も良いものだぜ。いざとなれば飯も食わなくて良いしな」
「眠気だけは我慢できないけど」
「それはお前だけの特性だ」
 事実、トミーは押入れに布団を敷いているのだが、その中で夜通し筋トレをし続け、芽依と共にボコボコにしてやったことがある。その気になれば、全ての欲求を遮断できるのだろう。その様な生き方が楽しいかは本格的に謎だが。
「でも、芽依ちゃん達って生きてはいないよね」
 心を読むな、天然系退魔師。
「あー、もう。こうなったら多少の金を払ってでも専門の人間に頼むとするか」
 イライラして、髪をクシャクシャに掻いてやろうかと思ったのだが、霊体の一部が飛散するのを知覚し、ぞっとして手を引いた。
「でも雅人君〜。そんな都合の良い人、知り合いに居るの〜?」
「……」
 何を言いやがりますかな、このおとぼけた先輩は。
「あのな。風花んちは――」
「やっほ〜、お姉ちゃん。遊びに来たよ〜」
 俺の言葉を遮ったのは、入り口に立ち尽くす一人の少女であった。身長だけは標準的な成人女性並だが、全身の線は細く、顔もあどけない。明らかにこの学園の生徒ではない。
「はら。桜花?」
 ここに居るべきではない自身の妹に気付き、風花は呆気に取られていた。彼女は短めの短髪をヘアピンで留めただけの簡素な髪型で、背中には白木の木刀、白紫はくしを背負っている。こいつは芽依の身長近くもある代物だが、桜花は平然と使いこなす。これを見る度、つくづく化物の一族だと思い、同時に如何にして敵に回さないかを真剣に考えてしまう。
「ほっほう。雅人ってば面白そうなことしてるね〜」
 黙れ、クソガキ。六つも年下の癖に呼び捨てすんな。
 心の声で済ますの大人の余裕と言うものだ。決して、口喧嘩や、取っ組み合いになったら勝ち目が無いとか、そういう事情ではない。
「ふむふむ、揚羽が当たって、ね〜。雅人らしい根性の無い話だね。気合入れれば離脱なんてしないで済むのに」
「無茶言うな」
 こいつに掛かれば、同じ理論で死さえも回避させられてしまいそうだ。
「ま、私なら入魂出来るよ。お姉ちゃんと違って、そっちの勉強してるし」
 言って、白紫を抜くと、正眼の構えを取った。一応言っておくが、ここは化学室だぞ。ガラス器具とか一杯あるんだぞ。
「にひひ〜。ところで雅人。もちろんプロ相手に只で仕事しろなんて言わないわよね〜?」
 きっちりしてると言うか、金銭に細かいと言うか。日本の法律で十五歳未満は就労禁止のはずだが、それを盾に取ると機嫌を損ねかねないので、妥協点を検討してみる。
「駅前でハンバーガーセット奢ってやるよ」
 並の小学生なら、喜んで飛びつく内容のはずだ。本当に並なら、だが。
「ナゲットつけて良い?」
 釣れたよ、おい。
「ああ、何なら全部Lサイズでも良い。ちゃんと食いきれるならな」
「オッケー、だったら張り切っちゃおうかな〜」
 はぁ。何だかんだ生意気なところもあるが、所詮は子供なんだな。今度からはもう少し考えて扱えば平和に過ごせ――。
「桜花。一つ聞きたいんだが」
 視界に入ったその光景に衝撃を受け、引き攣った表情のまま問い掛けた。
「その構えは何だ」
 彼女は今、柄を両手共、順手で握り、左肩の方に引き絞っていた。分かり易く言えば、野球の打者と同じ格好で、次に取る行動は容易に推察できる。
「ん? 神主打法が気に入らない? だったら、振り子打法でも良いけど」
 そっちじゃない。そっちじゃない。
「つまり、それで俺を引っ叩く気なんだな?」
「戻りたいんなら、これが一番早いよ」
「……痛くないのか?」
 何よりも、そこが気になる。
「霊体になったこと無いから分かんない」
 出たよ、最強理論。
「ほいじゃま、一発行くわよ〜」
 その昔、プロ野球界に物干し竿の異名を持つ程、長いバットを振り回す男が居た。だが、長いと言っても一メートルに達する程ではなく、又、規定で一○六.七センチ以上のものの使用は禁止されている。しかし眼前の少女は、木刀とはいえ、それよりも遙かに長いそれを波打つことなく振り切り――じゃなくてだなぁ!!
 自分の意思でまともに動くことの出来ない俺は、その剣戟をまともに食らい、意識を失った。


「何回見ても可愛いよ〜。持って帰って良い〜?」
「ん〜。本体の方を見て、影響無さそうだったら良いんじゃない?」
「Haha。身を切り売りするとは言うが、これだと喩えにもならないぜ」
「面白くない」
 薄ぼんやりと、自分が自分であると知覚した。次いで耳に入ってくるのは聞き慣れた声。ああもう、人が気持ちよく寝てんのに、そんなざわつくな。と言うか、寝てたのか、俺。記憶が曖昧なんだが、たしかトミーと花畑で追いかけっこをしてた様な――。
「って、違うだろ!?」
 一人ツッコミの虚しさに気付く間も無い程の勢いで身を起こした。視界はまだ少しぼやけていていたが、場所は化学室教壇の横だと分かる。傍らに立っているのは、芽依、風花、先輩にトミーといつもの面子だ。頭には若干の痛みが残っていて、殴られた箇所と一致する気がする。ああ、思い出してきたぞ。桜花の奴、無茶しやがって。これで元に戻れなかったら、三人纏めてあいつに使役させてやる。
「――ん?」
 そこまで思考を巡らせた所で、右腕に重みを感じた。いや、重いのは右腕だけじゃなく、全身だ。目を何度と無く瞬かせ、ゆっくりと顔、首、両肩、腰とまさぐっていった。良かった、元に戻ったのか。
「あ〜、生きてるって素晴らしい。文字通り寿命が縮んだ気がしたぜ」
 安堵して、そのままそこに寝転んでしまう。行儀が悪いのは承知の上だ。今日の所は見逃してくれ。
「ところで桜花はどうしたんだ?」
「ん。友達から連絡があったみたいで帰ったよ」
 早。
「それで雅人の財布から、依頼料取ってったみたい」
 そして、セコ。
 まあ、どうせ大した額は入れないことにしてるし、全額取られてても、代金としてはまっとうなものだ。あまり深く考えないことにしよう。
「雅人」
「ん?」
 芽依に声を掛けられ、身を起こした。基本的には表情の読めない奴だが、何だか神妙な顔をしてる気もする。
「これ、何本に見える?」
 言って、親指だけ折り曲げた状態の右手をこちらに突きつけてきた。
「四本だな」
「じゃあ、これは?」
 次いで出されたのは、人差し指と小指だけを伸ばしたもので、ツーアウトのサインだと言えば、分かる人には分かる。どうでも良いが、選択が渋いぞ、芽依。
「二本だ」
 何を問われてるかは良く分からないが、一応真面目に答えておいた。
「目はちゃんと見えてるみたい」
「じゃあ、連れてって良い〜?」
「でも、記憶の一部が欠損してる可能性はある」
「わ、わ、わ。それは少し大変だよ〜」
 傍らの四人は、教壇を囲うようにして何かを話し合っていた。そう言えばさっきから、ちらちらこっちと教壇を見ている気もする。話題の中心は俺とそこの何かってことか。気になって立ち上がると、四人の中を覗き込んだ。
「何、話して――」
 全身が強張こわばったのが、良く分かった。そこに居たのは、俺、だったのだ。いやいや、サイズで言えばハムスターと同程度で、俺が俺である自己同一性と言う観点で見れば、それが俺であると言える本来の根拠は――だあぁぁぁぁ。何、考えてるかさえ、分かんなくなってきたぞ!?
「な、何なんだよ、これ!?」
「残渣」
 芽衣君。的確かつ、端的な回答、ありがとう。
「あー、分かってきたぞ。つまり頭を掻いたり、ぶん殴られた時に飛び散った霊気が時間経過と共に再構築された訳だ」
「普通は肉体に還るか、霧散するんだけどね。雅人の霊力って結合力が強いのかも。お母さんに見せたら喜んで研究材料にしそうだね」
 勘弁してくれ。これ以上、一ノ瀬一族の玩具にされて溜まるか。
「しかしこいつ寝てるだけだな」
 俺、と呼んで良いのかは微妙だが、とにかくちっこい俺は大の字になったまま、時たま寝返りを打ちつつ、ひたすらに眠っていた。
 先輩、これ、可愛いか?
「ま、ぱっと見、九割方の霊力は身体に戻ったみたいだし、問題無いんじゃない? 若いんだからすぐ元に戻るって」
 バンバンと肩を叩きながら、大雑把な見解を提示してくれる親友の意見は聞き流すとして。
「私が管理する」
「ちなみにだが、芽依。何をする気だ?」
「色々」
 絶対に却下だ。
「だから〜。私が可愛がってあげるよ〜」
 先輩、その表現は語弊があるから今の内に訂正しておいた方が良いぞ。
「Haha。こいつは俺が立派に育ててやるぜ」
 大事な俺自身を、筋肉ナルシストなんかに任せられるかい!


 今日も今日とてツッコミに明け暮れる日々は続く訳で。結局、ミニサイズの俺は、しばらく飼ってる間に俺の中に還った。芽依曰く、俺が精霊になったら百分割くらいにして、全国にばら撒いてみたいそうだ。
 勘弁してくれ、マジで。
 あ、でも美人のお姉さん限定なら、悪くないかも――。

                             了


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