邂逅輪廻



 今日も、津雲学園は平和だった。
「だからね。揚羽は江戸時代の名工、鶴衛門が鍛えた、生涯屈指と言える名作でね。私の御先祖様にして、稀代の侍、松屋慎乃丈に謙譲したものな訳よ」
「ちょっと待て。松屋何たらが使ってたのは、この前、聞かされた話によると如月と弥生っていう一対の刀じゃなかったのか?」
「ん〜。まあ、主として使ってたのはそれなんだけどね。そっちの刀は、睦月と一緒に本家筋に流れてって、でもその本家、変な病が流行ったとか何とかで途絶えちゃったらしくて刀達も一緒に消息不明だったり」
「まあ、良くある話か」
「だからこそ! 私は現存する数少ない天竜一伐流の後継者として、揚羽と共に、この世に跋扈する魑魅魍魎の類を一掃する使命を持ってる訳なのよ!」
「おー。まあせいぜい頑張ってくれ」
 天竜一伐流ってのは、松屋――何とかってのが創始に当たり、破魔を生業とする、言わば退治屋だ。一説によると天下泰平の世の中で、暇潰しに始めたという話らしいのだが、それを口にすると風花と喧々轟々の討論になるので、黙っておくことにした。
「でねでね。何で揚羽が揚羽って言うかとね。鶴衛門は鍛え上げた名も無き刀に、ふっと髪を一本吹き付けたのよ。音も無く二本に寸断される可哀想なお爺ちゃんの白髪。しか〜し、その時何処からとも無く迷い込んだ揚羽蝶。何も知らない無垢な命は刃の上にそっと止まってしまった訳。ああ、絶体絶命のピンチって感じでしょ?」
「えーっと、まあそうだな」
 大分、主観が混じってる気もするのだが、大筋は分かるので良しとした。
「でも、不思議なことに刃は何も切り裂くことは無かったのよ。やってきた時と同じく、静かに飛び去ってゆく揚羽蝶。そこから、無闇に命あるものを斬らない刀として、揚羽の名が付いたのよ。柄や鍔なんかも揚羽蝶みたいに、黒く妖しいイメージで造られたしね」
「少し思ったんだが、蝶がその手の細長いもんに止まる時ってのは、側面を掴むんじゃないか? だったら刃に触れることは無いように思うんだが――」
 そこまで喋ったところで、風花の目付きが阿修羅モードに入った。思わず萎縮して、口をつぐんでしまう。
「いえ、素人の浅知恵です。どうぞお気になさらずに」
 我ながら情けないと思うが、この学園での処世術の一つだ。つまりは、自分より強い者には逆らうな。
「まあ、そういう訳だから、この揚羽、一部のコレクターの間とかでは結構な値段で取引きされるものだったりするのよ」
「刃、潰してるのにか?」
 日本国において、刀を所有するためには、刀自体に登録証が必要だ。だが、刃の無い模造刀であれば問題は無くなる。揚羽は、過去、杜撰な管理者に扱われたらしく、刃毀れが酷かった。それならばいっそのこと、霊力を保持したまま、刀であることを捨てたのだと言う。
 お陰で風花は白昼堂々、時代錯誤な帯刀姿のまま、色々な場所を歩き回っている。例え職務質問されても、大根も切れない演劇用の小道具で通ってしまう。それ以前にほとんど素通りするこの街のお回りに若干の疑問を感じるのだが。
「ん〜。たしかに相当、価値が下落したのは否めないんだけど、元値が元値だからね。もしかすると郊外で小さなマンション買える位の額かも」
「また微妙な表現だな」
 昨今の不動産価値下落で、下手をすれば高級外車の方が値の張る時代だ。揚羽を天秤に掛けた時、もう一方に何を乗せれば釣り合うのか、見当も付かない。
「それじゃ次は揚羽の、代々の所有者について行ってみるわよ〜」
「って、まだ続くのかよ!?」
「あったり前でしょ。コーヒー奢ってあげたんだから、世間話くらいは付き合ってもらわないと」
 少なくても最近の女子高生は、自分の愛刀について延々と述べることを世間話とは言わないと思います。
 心で思っていても、言葉に出来ない自分が口惜しかった。
「先ずは初代所有者、松屋慎乃丈。当時としては日本屈指の剣士だったんだけど、歴史の表舞台に出てくることはほとんど無いわね。戦国の世って訳でもなかったから、名を上げる機会が少なかったっていうのが一つ。もう一つは、破魔を裏の生業にしていたから、中央から遠ざけられったっていうのがあってね――」
 何時果てるとも無く、風花の口上は続いていた。たまたま校内のカフェテラスで会ったまでは良くある話だが、奢ってやるとの話に乗せられたのが運の尽き。まさかここまで惚気話に飢えているとは想像もつかなかった。自慢話ではなく、惚気話というのが、こと風花に関してはあまりに適切だと思うのだが、まあそれはそれでいい。
 とりあえず今はじっと我慢の時だ。とっくの昔に冷め切ったコーヒーを一口だけ含み、感覚を紛らわす。学内で提供されるものの割には質が良く、冷えていてもそれなりに飲める。だけど、ホット用で淹れられているんだから、温かい内に飲みたかったんだけどな。
「――?」
 不意に空気が変わった。と言っても俺は芽依みたいに気流の変化に敏感なわけじゃない。場の雰囲気が変わったのだ。カフェ全体が沈黙し、視線が一点に集中している。その先にあるのは入り口だ。とりあえず自分達が何かをしでかしたのではないと安心し、そちらに目を遣った。
 そこに居たのは数人の男だった。中心の奴は白スーツに、何かの冗談なのか白ネクタイを巻いており、細い眼鏡が特徴的だ。他の面子は、対照的と言うべきか黒の上下で纏められており、サングラスで目を隠している。流石に黒ネクタイは着けていなかったが。
「一ノ瀬風花さんですね」
 不意に、中心の男が口を開いた。軽めの、良く通る声。見てみれば美男子で通る整った顔立ちに細めの短髪だ。優男が好きな奴には、かなり良い印象を与える風貌だろう。
「んに?」
 そんなこちらの考えなんて意にも介さず、風花は間抜け面でそいつを見遣った。どうやら、話に夢中で気付きもしなかったらしい。一瞬、本当にこいつは侍なのかと疑問を持ってしまうが、時間の無駄なのでやめておいた。
「私が風花じゃないって言ったら素直に帰るの?」
 挑発とも揶揄とも取れる曖昧な口調だった。どうやら、新しい玩具を見つけて御満悦らしい。表情を見れば、子供でも分かる。
「おや。否定なさるおつもりですか。そんなに目立つものを携えていながら」
 腰に目線を移し、微笑を浮かべた。気障と取るか、冷淡と取るかは判断が割れるところだろう。個人的意見としては、あまり好感を持てないのだが。
「単刀直入に言いましょう。私達はその銘刀、揚羽を譲って頂きたく思い参上いたしました」
「ほらほら雅人。言った通りでしょ。欲しがってる人はちゃんと居るんだから」
 この状況でいきなり何を言い出すのやら。やっぱりこいつは大物だと、再認識した。
「でも、あげらんないわね〜。ほら、良く言うでしょ。刀は侍の命な訳で、いくらお金を積まれても、ね」
「ほう、大した心構えですね。ですけど御家族に危害が加わることになれば、そうも言ってられないでしょう」
「いいよ、別に。やりたいんならやれば?」
 ――いやいや。ちょっと待て。
「あの連中があんたらみたいに雑魚丸出しの奴らにやられたりするわけ無いし」
「その強がりが何処まで続くか、見物ですね――」
「た、大変です!」
 静寂を破ったのは、外から飛び込んできた一人の男だった。取り巻きと同じく黒の上下にサングラスを身に着けている。つまりは見張り役か何かか。慌てた感じで、白スーツに耳打ちする。
「全滅だと!?」
「は、はい。本宅を急襲した隊は、頭を一瞬にして押さえられ壊滅状態です」
「妹はどうした。たしかまだ小学生のはずだろ!」
「そ、その、とても言い難いのですが――」
「早く言え!」
 分かり易い動揺をしてくれている。風花の方はと言うと、こんなことは茶飯事なのか、欠伸でも噛み殺しそうな表情で、ぼんやりと彼らを眺めていた。
「下校中に確保しようとしたところ、返り討ちにされ、逆に身代金を要求している模様です」
「……」
 言葉も無いのか、これ以上無いまでに顔を引き攣らせている。折角の色男が台無しだと、他人事ながら哀れにさえ思ってしまった。
「にしても、相変わらずお前んちって無敵なのな」
「そんなこと無いよ。世の中、上には上が居るんだから」
 あまり知りたくない世界だと思った。
「さてと。それじゃそろそろお相手しましょうか」
 音も無く、鞘ごと揚羽を引き抜いた。何でも鍔の部分に細工がしてあるらしく、鞘が外れないように出来るらしい。対人間仕様とでも言ったところか。唯、護身用にしても、あんなものを振り回すのはどうかと思うのだが。
「ふむ。事態は我々に好まざる方に動いているようですね。日を改めてお伺いすることにしましょう」
 言って、白スーツは取り巻きに目線で合図した。すると一人の男が懐から何かを取り出し、地面に叩き付けた。次いで、白煙が上がり出し、彼らを包み込んでいく。
「煙幕とは古典的だな!」
 脱兎の如き逃走音を耳にしつつも、どうしようも無い。もちろん入り口の方向くらいは分かるが、視界が極端に狭まってる今、下手な深追いは得策ではない。
「そう簡単に逃がすもんです――」
「人の店で、勝手に変なもん焚いてるんじゃないわよ!!」
 まるで、大浴場に洗面器を落としたかの様な小気味の良い音が響き渡った。そして次々と何かが倒れこむ音。呆気に取られる俺達だったが、時間の経過と共に、何が起こったかを理解する。
 恐るべし、津雲学園カフェテラス所属のおばちゃん(45)。
「ところで芽依。お前、呼んでもいないのに、何でここに居るんだ?」
「面白そうだったから」
 傍らに立ち尽くす少女は、無表情にそう答えた。俺の肩までくらいしかないこの少女は、芽依。形式上は俺が使役する使い魔に相当する。と言っても、今みたいに命令の有無に関係無く自由意志で行動することもしばしばだ。
 空気を操ることが可能で、色々な局面で役に立つ奴なんだが――って、待てよ、おい。
「芽依。思ったんだが、お前ならこの煙幕、簡単に吹き飛ばせるだろ」
「気付かなかった」
 嘘だ。絶対に嘘だ。
 心の中でそう毒づきつつ、俺達は後始末の為、戦場跡へと足を向けた。


「ふ〜ん、それは大変だったね〜」
 緊張感が感じられない、間延びした声だった。俺は、意識せずに脱力してしまう。
「ところで〜、もう一杯飲む?」
「いや、とりあえずはいいわ。さっき、コーヒー飲んだんだ」
 差し出された500mlビーカーに満たされた、琥珀色の液体を手で制した。別に、器が変わっているからといって、中身も怪しげなものではない。何処にでもある、安物の紅茶だ。総合科学部の人間は、半数以上が普通に実験器具を調理器具として使用している。本来、実験室というのは何を口に含むか分からないという理由で、飲食厳禁のはずなのだが。白衣にしても、何が付着しているのか分からないので、食堂に着て行くなんてことは、言語道断だという話を聞いたことはある。
「は〜、今日のは美味しく淹れられたよ〜。やっぱりパックのでも、コツがあるんだね〜」
 それで、このやたらとのんびりしているのは、浅葱果凛先輩。総合科学部所属の三年生だ。小柄な身体と、幼げな容姿に騙される人も多いのだが、別名は『総合科学部のリーサルウェポン』だったりする。特に何らかの役職に就いているわけでもないのに、予算委員会に出席すると、二割は上乗せされるという逸話から、その実力の程が伺える。只単に、何をしでかすか分からないから、餌を与えて大人しくさせようという解釈も出来るのだが。
「それで〜、その人達は今どうしてるの〜?」
「風花の奴が尋問中だ。やりすぎなきゃ良いんだがな」
「もう一年以上の付き合いになるんだから、信用してあげようよ〜」
 いえ、浅葱先輩、奴に関しては付き合いが長ければ長いほど信用できなくなるのです。
「見張りに芽依を付けたのは失敗だったかな……」
 そもそも揚羽は高位の霊刀で、こと幽霊の類が相手であれば刃を潰す前と何ら変わらない切れ味を誇る。芽依もその例外ではなく、本気の風花には逆らう術を持たない。となれば事なかれ主義のあいつだ。風花が暴力に訴えたとしても、何もしないだろう。せいぜいがマイペースにやってきて俺に報告するくらい、か。
「はぁ……しゃあねえ。先輩、ちょっと様子見てくるわ」
「頑張ってね〜」
 ああ。何で俺が風花の面倒を見なきゃならんのだ。只飲みしたコーヒーの対価を、こんな形で払わされるとは、人生とは理不尽なものだ
 半ば諦めの心境でドアノブに手を掛けようとすると、先行して扉が開いた。顔を上げると、風花と芽依が立ち尽くしており、その下には引き摺られて来たのか、ボロ雑巾のようになっている白スーツが居た。流石は上質の布地を使っているだけあって、床の埃を綺麗に舐め取ってくれている。
「あれ〜。取調べ、終わったの〜?」
「ううん、ちょっと疲れたから休憩。先輩、何か飲み物貰って良い?」
「うん、今日のはちょっと自信あるんだ〜」
 化学実験室を第二喫茶室として利用するのはどうかと思います。
「しっかし、自業自得とはいえお前も災難だな」
 両手両足を縛られたまま、目を剥いている白スーツを哀れに思ってしまう。ちなみに他の黒スーツ数人は、カフェテラスで勤労中だ。即ち、迷惑料は、身体で払え。
「はい、そいつの分」
 言って芽依は、200mlビーカーに移された紅茶を、目一杯高い位置から男の口目掛けて滴らせた。わざわざ背伸びをしてまで垂らされたその雫は、男の口に入ったが、気管にでも紛れ込んだのか、苦しそうにむせ返る。
 遊んでる。こいつ、絶対に遊んでる。
「んで、何か吐いたのか?」
「ん〜。どうも誰かに頼まれただけみたいなのよね〜。もしかすると本当に詳しいことは知らないかも」
 マイカップに注がれた紅茶を口に含みつつ、小さく嘆息した。ちなみにこいつ、物凄い甘党で、今の紅茶にも何個の角砂糖を入れたのやら。数えるのが嫌になるくらいとだけ言っておく。
「つまり早くも手詰まりか。どうするんだ。姉妹そろって人質にとって脅迫でもするか、或いは泳がすか――」
 皮肉のつもりだった。だがこいつは、そんなこっちの心境なんぞ完全に無視して、とんでもないことを口にしやがった。
「ねえ、こいつ実験台に使っていい?」
「はぁ?」
 声も上擦ってしまう。今、何と仰いました。
「実験なら私も手伝うよ〜」
「いや、先輩が想像してる実験とは多分、もとい絶対に違うぞ」
 表情を輝かせた先輩を、片手で制す。ちなみに、親切心で言ったわけじゃない。負の力と負の力が、相乗効果でとんでもない負の力として暴走するのを防ぐために、だ。
「ほらさ、揚羽って霊刀でしょ?」
「ああ」
「でもさ、人間は全く斬れない訳じゃない」
「ああ」
 生返事もここまで来ると、何だか自分で自分に腹が立ってきたりもする。
「ってことは、生身の人間に対して、霊体を肉体から切り離すことが可能なんじゃないかと思ったりなんか――」
「阿呆か、お前は!!」
 ようやく明確な突っ込み所を見付けて、出し得る限りの音量で怒鳴りつけた。
「だって、前々から試してみたかったんだもん。雅人に言ってもやらせてくれるわけ無いし」
「当たり前だ! って言うか可愛くねえ! つうか、ちゃんと元に戻せるのかよ!?」
 良くもこれだけ短い遣り取りで、ここまで突っ込ませてくれるものだと、別の意味で感心させられる。
「いいじゃない、喧嘩売ってきたのは向こうなんだから、勝った私はその身柄をどうしたって」
「何時代のモノの考え方だ! 大体、勝ったのはパートのおばちゃんだ」
 とりあえず今回の一件で風花は特に何もしていない。捕虜虐待の容疑は若干残っているが、今ならまだ引き返せる程度のはずだ。
「ああもう。それ以上ごたごた言うんなら、雅人から実験台にするわよ」
 うーわ、しかも逆ギレですか。人としてどうかと思いますよ、風花さん。
「う〜ん、何だか専門外のことで良く分からないんだけど〜」
 不意に、独特のイントネーションで割って入ってきた。
「人間の知的好奇心っていうのは抑えられないものだと思うよ〜」
「先輩まで無責任なこと、言い出さないで下さい!」
 もはや、何の脈絡も無く敬語にもなってしまうというものだ。
「雅人、やらせてあげればいい」
「芽依〜。おーまーえーもーかー」
 元々味方をしてくれるとは思っていないが、それでも相応に落胆してしまう。
「もし風花に還せなくても、私なら出来る」
 理屈ではある。霊体を滅するのが専門の風花と、霊体そのものの芽依。後者の方がいくらか可能性はありそうだ。
「信じるっきゃないか……」
 冷静に考えれば、風花の説得は不可能だろう。だとすれば、ことを穏便に進めて、波風立てずに収束に向かわせる方に尽力した方が建設的、か。逆上されて、通行人を片っ端から生贄に捧げられても困るしな。
「わかったよ。その代わりとっとと終わらせろよ」
「さっすが雅人。話が分かるわね〜」
 いや、只単に自分の身が可愛いだけだ。
「では、早速」
 言って揚羽を引き抜くと、すっと首筋に当てる。これはあくまでイメージだ。別に、頚動脈付近に霊体の楔があるというわけではなく、命を絶つということで、それに相応しい場所を選んだのだろう。
「――!」
 声とは言えない一喝をし、静かに又、刀を鞘に収めた。
 成程、たしかに肉体と切り離されてるな。意識がほとんど無いのか、唯、肉体の上に浮いているだけだが。
「ね〜。これって、生霊ってことで言いの〜?」
「まあそうだな。肉体の方が朽ちたら、その瞬間、死霊になる訳だが」
 先輩の質問に、あまり笑えない冗談で返した。
「昔からの疑問なんだけど〜。何で幽霊って服を着てるの? これって生命活動には関係ない、只の無機物だよね〜?」
 自身の白衣を摘みつつ、続け様に疑問を投げ掛けてくる。でもまあ、当然と言えば当然の反応か。
「既成観念の問題だな。基本的に霊体って奴は自分の姿を自由に変えられる。だから人前に出る時は服を着るもんだってのが常識としてある限り、意識しない内は服を着て出現する。宗教的な理由で肌を晒せない文化圏の霊体ってのも見たことあるが、そいつらは相当露出を抑えてたな」
「ほえ〜。そういうものなんだ〜」
 本当に科学者の卵なのかと思う程、あっさりと納得した。懐疑論者にしかなれないという話を聞いたことがあるが、どうも人それぞれの様だ。
「それじゃ元に戻すか」
「えぇ〜。折角だから時間経過による変化とかも見たいんだけど」
「身体がダメになったらどうする気だ、お前は」
「どうせ人間、いつかは一回死ぬ訳だし。その時は芽依ちゃんみたいに使ってあげてよ」
「俺は鉄道会社の忘れ物置き場か何かか」
 こいつ、さらりととんでもないこと言ってやがるな。
「ねえ雅人」
「何だ。今、説得でちょっと忙しいぞ」
「霊体、外に流れていった」
「……何だとぉ!?」
 見てみると、先程まで白スーツの上にあったはずの霊体は、そこから消えていた。芽依に促されるまま窓の外を見遣ると、風が強い日のビニール袋の様に、何処に行くでもなくのんびりと漂っていた。
 ちきしょうめ。何でこう悪い方、悪い方に流れてくんだ。
「先輩! 悪ぃけど、その身体見といてくれ。俺はあれを回収してくる!」
「うん、分かった〜」
 のんびりとした声色に力が抜けるが、事態が事態だ。気合を入れ直し、外へと駆け出した。


「一応、目標があるみたいだな」
 当初、奴の霊体は無目的に進んでいるのかと思ったが、どうやら違うらしい。地上から五メートル位のところを一定の方向に、小走りで追えば離されない程度の速度で飛んでいた。
「霊体には帰巣本能がある」
 芽依の説明に依ると、あの類の存在は、特に意識しなければ縁の深い場所に戻っていくのだという。
「でもそりゃおかしくないか。だって、肉体は化学室にあったんだし、動かないってのが順当なとこだと思うんだが。或いは、元に戻っちまうか」
「身体は器に過ぎない。だから人に依っては家族とかの友達の所に還ることもある。夢枕なんていうのはそういう現象だし」
 夢枕っていうのは、死んだ人間や神仏の類が夢に出てくることだ。成程、仲の良かった奴がいきなりやってきて別れを告げたと思ったら、実はその時間に死んでたってのはたまに聞くが、同じ理屈なのかもな。
「ってことは上手くいきゃ黒幕まで連れてってくれるかもしれないってことか」
 結果オーライだが、もしかすると最短での終結を望めるかも知れない。
「えっへん。どうよ、私のこの先見力は」
 風花の戯言はさて置いて。
「降りてくぞ」
 路地へと入り込んだところで、ゆるりと下降を始めた。徐々に高度は下がってゆき、手を伸ばせば届くのではないかという位置までやってくる。
「でもまあ、ここまできたら、な」
 白スーツには悪いが、最後まで連れてってもらおう。今、手掛かりを失うわけにはいかない。
「え?」
 不意に、霊体が消失した。いや、どちらかと言うと掃除機が埃を吸い込む様に、瞬きをするかしないかの内に移動したといった感じだった。敏捷な幽霊というのはあまり聞いたことが無いので、受動的であったと考えるのが妥当だが――。
「右の道に誰か居る」
 空気の流れに敏感な芽依は、ある程度であれば視界の外であっても物の位置を把握できる。眼前の十字路の先に居る誰かが、干渉してきたというのが無難な推察か。
「ああもう、面倒くさい。何があっても力でゴリ押ししてやる」
 危険な発想だが、戦力はそれなりに揃っている。何より、出来ることなら下校時間までに荷物を取りに帰りたい。最速で済ませられる作戦にもなるというものだ。
 俺は、駆け込んできた勢いそのままに、右方向へを身体を傾けると、目的に向かって加速した。
「――女!?」
 正確に言うなら、それは女の子だった。体格で言うなら芽依よりやや大きいのだが、傍らに置かれた赤ランドセルからして小学生なのだろう。腕と、その近辺の関節を捉えようとした手が、躊躇して一瞬止まってしまう。
「――!?」
 その子はそんな隙を見逃すこともなく、懐に潜り込んでくると、胸倉を掴んで背負い投げの要領で投げ飛ばしてきた。ちょっと待て。何でこんな子が。
 アスファルトの上に叩き付けたのでは命に関わると判断したのか、空中で力を抜いてくれ、尻を軽く打っただけで済んだ。もちろんそれでも充分に痛いのだが。
「つう……」
 何が何だか分からないまま、顔を挙げて少女を見遣る。片側だけヘアピンで留めた簡素なショートカット。上背はそれなりにあるが、顔立ちはどう見ても中学生未満の子供だ。早くも、思考が停止しだしてきた。
「何だ、雅人じゃない」
 いきなり呼び捨てにされた。生憎だが、こんな子に見覚えは――。
「桜花!?」
 ……ごめんなさい、ありました。
「やっほ〜、お姉ちゃん」
「やっほ〜、じゃないわよ。あんた、何でこんなところに居るのよ?」
 風花の妹、桜花は何だかお気楽に語り掛けていた。たしか、黒服軍団に誘拐されそうになって、返り討ちにしていたはずなのだが。慣れていると言ってしまえばそれまでなんですけどね。
「あ、そうだ。はい、雅人、これ」
 言って桜花は、握り拳より一回り小さいガラス瓶を放り投げてきた。本能的に受け止めると、中身を確認する。
「霊体、か?」
 詰まっているのは、白スーツの精神体だった。さっき唐突に消えたのは、これに吸い込んだからか。ガラス自体だけではなく、蓋のコルクにも霊的な処理が施されており、漏れ出すということは無いだろう。
「それさ。後で戻しておいて。雅人、そういうの専門でしょ?」
「いや待て。俺の専門は精霊の使役であって、そういう処理は出来ないことも無いレベルに過ぎないぞ」
 つうか、姉妹揃って俺を使いっ走りにするんじゃない。
 大体、こいつは元々揚羽を狙ってやってきた連中で、俺には何の関係ない――って、何かおかしくないか。
「桜花。何でこいつの身体が俺等の手の内にあるなんて知ってるんだ?」
 尋問中は知らないが、少なくても実験後に風花が携帯を使ってるのは見ていない。まあ、風花のことだから、既に数人の犠牲者が出てるなんて展開は考えられなくも無い訳だが――。
「そりゃ、そいつらけしかけたの、私だし」
 桜花の発言は、そんな俺の乏しい世界観を、完膚なきまでに破壊してくれた。
「はぁ?」
「何だ、そうだったんだ。でも桜花、人選がまだまだね。カフェのおばちゃんに負けてたわよ」
「だって、私が直接交渉したんじゃ舐められると思って仲介使ったんだもん」
 いやこら、お前ら。俺を完全に無視するんじゃない。
「どういうことだ!? ちゃんと説明責任を果たせ!」
「何よ、左翼新聞みたいな物言いで」
「ここまで巻き込んでおいて、何故そうものほほんとしてられるんだ」
 もしかするとこの姉妹、強さと引き換えに人として大事なものを捨ててきたのかも知れない。
「いやまあ、根は物凄く単純な話な訳よ」
「おう」
 殺意を覚えていたりもするが、全力で向かっても勝ち目の無い相手なので話を聞くことにする。
「揚羽って、割と欲しがってる人、居たりするのよ」
「ほうほう」
「で、桜花もその一人で――」
「うーむ、成程」
「何日か前、勢いでつい、私に勝てたらあげるみたいなこと言っちゃって――」
「つまりは只の姉妹喧嘩じゃねえか!!」
 最後まで聞いて損したわい。
「大体それなら最初の時点で最有力容疑者じゃねえか」
「だって、自分で奪いに来ると思ってたんだもん。雅人だって、好きな女の子が居たら自分で告白するでしょ?」
「喩えが意味分からんわ!」
「ダメだよ雅人。方程式とか、化学式ならともかく、日本語くらいはまともに使えるようにならないと」
「だあぁぁ!! もう!!」
 烏の鳴き声が遠くに聞こえる夕暮れ時。周囲に絶叫が木霊した。言うなればこれは定時に響く鐘の音。耳に入ったからと言って、気に留める訳でも、足を止める訳でも無い。事実だけが入ってくる、そんな日常の音だ。
 脇を歩く親子連れでさえ、ここには何も無いかのように素通りしていった。

「かくして、今日も津雲学園は平和なのでありました。めでたしめでたし」
「って、何で芽依が締めてるんだよ!?」

                                                了



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