邂逅輪廻



 好戦的かそうでないかとを問われれば、多分、違うと答える。俺は街中で肩をぶつけた位でいきり立ったりはしないし、そんなに大層な縄張り意識も無い。言葉が通じないと分かりきった相手でも、一応は会談の席を用意するべきだとも思っている。ああ、何てピースフルなんだろう。今年度、学園一鳩の似合う男としてノミネートされても良い位だ。
 とは言え、いきなり殴り掛かってきた相手と友好的になれるかと言われれば自信は無い。俺は右頬を張られた時、左頬を差し出す気は無いし、飢えた獣の群れに身を投じる程、博愛の精神に満ち溢れている訳でもない。ああ、何て偽善的なんだろう。今年度、学園一の二枚舌としてノミネートされても良い位だ。
「まあ、何はともあれ――」
 現状は、あまり芳しくない。そりゃ、一方的に他者の縄張りに入った俺にも非があるかも知れない。だけどここは彼のものではないし、不法侵入者同士仲良くしようでは無いかと思わなくも無い。
 尤も、ある意味においてとても適切な行動ではあるのだが。夜の廃病院で、地縛霊が除霊されようとしてたら、必死で抵抗するよな、普通。俺が同じ立場でも、似たようなことをする自信がある。
「だぁ! キリがねえ!!」
 無数の気弾の様なものを躱しつつ、再び相手を見遣った。輪郭がぼやけていてはっきりとはしないが、恐らく声変わりするかしないか程度の少年。青白い霧の様なものを身に纏っており、右手を差し出しては、無数の白色球をこちらに放ってくるのだ。この類の霊体は、場から霊的なエネルギーを受けて肉体を維持する。生死に深く関わる病院や寺院でその度合いは大きく、とてつもなくでかい燃料タンクを備えた火炎放射器だとでも思ってもらえば良い。只でさえ狭い病院の廊下で、さっきから避けるか受け流すのだけで精一杯だ。
「潰れるくらいだからよっぽどヤブ医者揃いだったんだろうな……」
 笑えない冗談を言うくらいの余裕はあるが、それ以上では無い。つまりこのまま行けば体力が尽きるか、ミスって直撃を食らうか。どちらにしても好ましい状況とは言えないだろう。
「しゃあねえ、あいつ呼ぶか。ちゃんと手加減してくれれば良いんだが」
 俺は小さく息を吸い込むと、弾幕の最も薄いところを見極め、二、三歩後へ跳ぶ。多少の直撃を覚悟してでも欲しいのは一瞬の間。それだけあれば充分だ。
芽依めい!!」
 掛け声と時を同じくして、傍らに一人の少女が出現した。彼女の名前は、芽依。俺が使役する使い魔の片割れで、外見は十二、三歳ほど。肩口で切り揃えられたボブヘアーで、やや釣り上がった瞳が特徴的だ。唯、今に関して言えば何処と無く焦点が合って無い気もするのだが――。
「……眠い」
「って、おい!? 危機的状況だ! 戦え!」
 不思議なことに、精霊にも人間並の欲求がある。若干違うのは、性的、並びに食事に関することは我慢できても、睡眠だけはどうにもならないこと。芽依に関してそれは顕著で、三回呼び出せば一回は眠っているか寝起きといっていい。一日の睡眠時間が八時間であると仮定するなら、単純計算で間違っていない気もするが。
「銀幕の殺人鬼」
 怪しい足取りのまま、芽依は右手を前に差し出すと、気弾を見据えてそう呟いた。これは空気を操る彼女の得意技で、無数の真空の刃、いわゆる鎌鼬現象を起こして攻撃する。対人戦闘ではとても重宝する技なのだが――って、待てい!!
 俺は慌てて芽依の襟首を掴むと、三叉路まで後退して左側の通路に逃げ込んだ。幸い、どちらも被弾することなく、流れ弾は壁を凹ませると弾けて消えた。
「お前は〜。何をどうしたら真空でエネルギーの塊を迎撃できるんだよ」
 鎌鼬が肉体を切り裂くのは、あくまで内圧が外圧を上回る力によるもので、一気圧に耐えうるものには大した影響を及ぼさない。気流を乱すことで若干の拡散は望めるかも知れないが、本質的に対抗し得るものではないのだ。
「寝惚けてた」
 一言で済ませられるこいつを、時として、とても羨ましく思うこともある。
「ああもう。逃げられちまったじゃねえか」
 首だけ出して先程の場所を見遣ると、少年霊はいずこかへ消えていた。ここに至るまでそれなりに苦労したのだが、また一から捜し直しだ。
「きっと日頃の行いが悪い」
 その言葉に、俺の中で呆れとも怒りとも付かない感情が沸いてきたが、一瞬の内に爆ぜて消えた。


「それで雅人まさと、ここで何してるの?」
 廊下を歩いている最中さなか、脇を歩く芽依が問い掛けて来た。
「ん、まあ有体に言えば除霊のお仕事だな。一人で片付けられると思ったんだが甘かった」
 芽依の様な使役型精霊は、場の供給に加えて俺の様な精霊士せいれいしから力を受けることが出来る。その為、召喚するだけならいざ知らず、本格的な戦闘に突入するとなると半端無い消耗をするので、避けることが出来るなら避けたいのが本音だ。事実、俺にはもう一人使い魔が居るのだが、二人を全力で戦わせようとすると、俺自身は只の動力炉になってしまい、何も出来なくなるのが現状だ。
「だからまあ付き合え。これが終わらんと家にも帰れん」
 表面上は主従関係にある俺達だが、全ての命令に服従してくれる訳じゃない。あくまで気が向くか、そうでないか。芽依にとって沈黙は肯定なので、どうやら行動を共にしてくれる気らしいが。
「何か居る」
 不意に、芽依が小さく口走った。空気を操る力を持つ彼女は、幾らか離れた場所でも動体の感知を出来る。調子が良い時には人数だけでなく、その体格、性別まで当てられるという優れ技だが、如何せん芽依自身口数が少なく、情報が伝わってこないのが難点だ。
「この先は……待合のロビーか」
「誰かが戦ってる」
「はぁ?」
 奇特な奴が居るものだと思う。ここには、人型にさえ成り切れない低級霊がうようよと居る。さっきの少年霊みたいに手強いのは稀だが、それでも常識的な思考を持つ人間がうろつこうとする場所じゃない。
「あー。でも知り合いに一人居たな。自称、天下無敵を目指す侍娘」
 対霊戦闘に於いて人間離れした凶悪な強さを誇る少女。俺と同い年でありながら、企業などから正規の退魔依頼を請け負うことがある程だ。厳密に言えば、彼女の実家が受けた仕事の処理を任されているのだが、それでも充分に凄いと思う。俺みたいに、先輩から学食一週間分で引き受けてる身とは、比べるべくも無い。
「あれ、多分風花ふうか
「成程ねぇ」
 一ノ瀬いちのせ風花ふうか。俺の同級生にして、一応プロフェッショナルに分類される退魔師さん。客層が被るということは無いので商売敵ではないが、時たま、同じ現場で鉢合わせすることはある。まあ、状況によっては共同戦線もいいだろう。或いは相当に楽が出来るかも知れないし。
「あの人苦手」
 霊体である芽依にとっては切実な意見だが、敢えて黙殺する。状況の確認が先だ。俺は息を潜めると、物陰からそっとロビーを見遣った。
「ふんふんふふふ〜ん♪」
 鼻唄混じりに刀を振るうその少女は、髪紐で纏めただけの簡素なポニーテールをたなびかせ、軽快に舞っていた。凛々しいと言うよりは穏やかな印象を与える顔立ちだが、双眸からは意思の強さが感じられる。間違い無く風花だった。
 相対しているのは先程の少年霊。彼の左手から放たれる無数の気弾を、相棒の霊刀揚羽あげはで切り落としている。高位の破魔能力を保有している刀だから出来る芸当だが、誰にでも真似出来るというものではない。そもそも金属バット程の重量はある日本刀を、あれだけ自在に操るというだけでも、彼女がれっきとした剣士であることを示していると言っていいだろう。
「つっても今んとこ少し不利か」
 流石の風花も、底の無い弾丸の嵐に梃子摺てこずっていた。一振り毎に幾つも叩き切ってはいるが、間合いを詰めるまでには至っていない。つまり、拮抗状態にあると言っていいだろう。
「まああいつなら、何とかするんだろうが――」
 恩を売っておくのも悪くない。最近、どうも力関係がはっきりしてきた感があるし、ちっとは存在を認識させてやらんと――って、自分で考えて惨めになってくるのもなんだかなぁ。
「芽依。奴の脇に風を起こしてくれ」
「それ、あまり意味が無い」
「気を逸らすだけで良い」
「分かった」
 了解の言葉を聞き、俺はロビーに飛び出した。双方、一瞬驚いた表情をするが、風花は意図を理解したのか、刀を構え直し、突っ込んでくる。つまりは、挟撃。単純な作戦だが、弾丸数を半減させられればどちらかは目標に到達できる。
「虚無の暴風」
 途端、芽依の言葉と共に轟音が鳴り響いた。穴だらけの長椅子は音を立てて揺れ、嵌め込みの硝子ガラス窓は軋み出す。台風が直撃でもしなければ体感することは無いであろう強風に、足の方が勝手に前へ進むのを躊躇ためらってしまった。こら、芽依! 少しは手加減しろ!
 文句を言っても始まらず、よろめき掛けた体勢を立て直す。幸い、芽依の陽動は功を奏し、奴は呆けたような表情で視線を宙に泳がせていた。今なら――。
 悲鳴をあげている太腿へ更に負担を掛け、飛び込むようにして少年霊へ詰め寄った。風花の方も、揚羽の刃先が射程内に入っている。気弾を放つにしても、両方を同時にどうこうは出来ないはずだ。
「――!?」
 不意に、視界が暗転した。何が起こったかは分からないが、感じたのは、急激な後方への加速度。次いで、背中をしたたかに打ち付け、何メートルか床を舐めさせられる。あー。俺、吹き飛ばされた訳ね。痛みはそれなりに大きかったが、屈辱感がそれを上回り、呆けてしまう。
「お帰り」
 瞼を開けて、視界に入ってきたのは、枕元で見下ろす芽依だった。スパッツを履いているのは知っているはずなのに、意識せずスカートを覗き込もうとしてしまうのは、男って悲しいなぁ。
「あいつ結構強い」
 芽依の話によると、一抱えはある巨大な気の塊を俺と風花目掛けて放ったらしい。さしもの風花もこの不意打ちには参ったのか、一緒に弾き飛ばされた長椅子群の下で潰れている。と言っても、必死にもがいて退けようとしているから、そう時間は掛からず復活するだろうが。
 それより問題は奴の追撃だ。位置関係からして、芽依と共に退けば壁を盾に出来るが、また取り逃がしてしまう。それでは、意味が無い。
「芽依! 頼む!」
「あれ、加減出来ない」
「死なない程度にしてくれりゃ良い!」
 大雑把な指示を残して、再び駆け出した。次いで、背後から強烈な追い風が俺を後押ししてくる。多少の被弾は覚悟した上で、風力で身体を加速させ、大技を使わせる前に目標に到達する。それが、俺の描いた構想だった。
「……」
 でもまあ、人生という奴は自分の思った通りには動いてくれないもので。前屈みになった状態で後方から強風を受けるということは、背中から頭に向けて空気が流れるということになり、揚力が発生する。もちろんそれはそのまま空を飛べるという程、強い力ではないが、俺が今まで感じたことの無い重力バランスになってしまう訳で。
 要約すると、地面をほんの一蹴りしただけのつもりが、上手いこと風に乗ったこともあり、少年霊の上を通り越して、対角にある廊下に墜落しようとしていた。
「ちくしょう……」
 相当、豪快な音を立てて床に叩き付けられたが、受身は取れたので骨にまでは影響が無いだろう。運の良いことに、転がった先で、何か柔らかい物が衝撃を吸収してくれて――。
「うう……雅人君、痛いよ〜」
 ――へ?
 うーむ、素晴らしいな。最近の医療用品は患者を寂しがらせない為、喋るんだな。いやはや、日本最先端の技術は世界に誇って良いものだ――じゃなくてだな。
果凛かりん先輩、こんなとこで何やってんだよ!?」
 下らない逃避はめにして、目の前の現実を見据える。
 浅葱あさぎ果凛かりん。やや淡い色調の、肩口で切り揃えられたソバージュヘアーが特徴的で、丸みを帯びた顔と瞳から、まるで愛玩動物の様な愛らしさを感じてしまうが、これでも一応、津雲学園総合科学部所属の三年生だ。そして今回の仕事の依頼主でもある。科学者の卵のくせに、心霊現象に寛容なところがある変わり者だが、今はそんなことを言っている場合じゃ無い。
「とりあえず、隠れてろ!」
 押し込むようにして、柱の裏側に隠れさせる。直線で見れば、少年霊からは死角の場所だ。少なくても流れ弾の被害にあう確率は低いはずだ。
「ふっふっふっふ……」
 不意に、何処からともなく含み笑いがした。声質自体は、良く通る少女のそれなのだが、何故だか地獄からの使者があげるそれに聞こえてしまい――俺は本能的に身震いをしてしまっていた。
「あったま、きたぁ!!」
 長椅子群が、弾け飛んだ。いや、誇張でも比喩でも何でもなく、そう表現するほか無い。五、六人は掛けられる長椅子が、まるでポップコーンが爆ぜた時の様に、軽々とあちらこちらに飛んでいく。もちろん、壁に叩き付けられれば建物は軋むし、蛍光灯や硝子窓に当たれば砕け散るしで、やかましいことこの上ない。
「自分が最強だなんて思ってるお子様には、やっぱり仕置きが必要よね――」
 いや。多分、んなことは思ってないと思うぞ。
 完全に目を据わらせ、悪鬼でさえ怯えて逃げ出すんじゃないかという表情をしている風花に、思わず突っ込みを入れてしまう。もちろん、矛先がこちらに向かないよう、心の中で、だが。
 見てみれば、対角の廊下に居たはずの芽依の姿は無い。危機を察して、避難したのだろう。使役型精霊は主から一定距離以上離れられないという制約があるから、近くに居るとは思うのだが。
 一方、そんなこちらの危惧や懸念というものは全く意に介さず、風花は駆け出した。少年霊も、幾つもの気弾で迎撃しようとするが、一薙ぎで全て叩き落されてしまう。さっきの大技で場のエネルギーが一時的に減っているのが要因か。或いは、単に風花の方が手加減するのをやめただけかも知れないが。
「こりゃ、本気で傍観してた方が安全だな」
「……」
「先輩?」
 反応が無かったので、肩越しに後ろを見遣った。何だか何処となく焦点が合っていないようにも見える。
「え、あ、うん。何の話?」
「いや、大した話じゃないんだが」
 夜も遅いし、寝惚けたのかな。大袈裟に心配することではないと思い、風花の方を見遣った。彼女は既に刀の間合いギリギリのところまで迫っており、寸断された気の残骸が漂う中、次の一歩を踏み出そうとしていた。少年霊も必死なのか、左手を差し出すが風花の方が一瞬早い。時をほぼ同じくして、揚羽の切っ先が少年の首筋目掛けて襲い掛かった。
 その途端、全てが止まった。風花の上腕、鈍い光沢を放つ刃先、少年霊の擬似肉体、全てがだ。頚動脈付近に突き付けられた刃は何も語らず、唯、静観しているかのように佇んでいた。次の瞬間、少年霊は身を屈めると、片足を軸にして足払いを掛けた。風花はバランスを崩し、体勢を維持しようと足に力を籠めるが、そのまま尻餅を突いてしまう。
「はら?」
 かなり間の抜けた声を尻目に、少年霊は姿を消した。急ぎ、霊気を追跡してみようともするが、周囲には風花が食い散らかした残渣が充満していて、専門家でない俺には追いきれない。
 結果として取り逃がしたことになるのだが、どうにも釈然としなかった。風花の用いている揚羽は高位の霊刀で、あのまま振り抜いていれば勝負は決していたはずだ。
「何がどうしたってんだ?」
 こと風花に関して言えば、情けを掛けたという選択肢は無い。これだけは断言できる。
「ん〜。なんとなく斬れなかった」
「はぁ?」
 理由になっていなかった。あれだけ激昂していた奴が、その場の気分で止めを刺さなかった。支離滅裂もいい所で、どう問い詰めるべきか、頭を抱えてしまう。
「どっちにしてもまた振り出し」
 お前は今まで何処に居た。突如として沸いて出た芽依に、俺は心の中で突っ込んだ。


 月明かりしか差し込まない廃病院の待合ロビーで、俺達は向かい合う格好で座り込んでいた。長椅子はそこらに転がっているのだが、最早戻すのも面倒な状態なので、適当なスペースにそのまま腰掛けているのだ。傍らには用意しておいた緑茶のペットボトルが置かれている。唯、こんなに人数が増えるとは思っていなかったので、二本を二人づつで回し飲みすることになる。その組み合わせは何となく、俺と芽依、風花と果凛先輩で落ち着いていた。
「間接キス」
 前世紀に滅んだはずの発言をした芽依は黙殺するとして。
「ここはね〜。私が産まれた病院なんだ〜」
 間延びした独特のイントネーションで果凛先輩は語り出した。繰り返しになるが、先輩こそ俺にここの調査を依頼した人物だ。報酬に釣られたと言うよりは、色々な借りを返したかったと言うのが本音だったりする。尤も、本人がやってくるなんて話は聞いていないのだが。
「それでね〜。五歳くらいの時に入院したことがあって、その時に看護婦さんと仲良くなって〜。大好きな病院だったんだ〜」
 何でも、当時は地域密着型の親しみ易い病院だったらしい。しかし五年ほど前に経営者が変わり、利益追求を推し進めた結果、優秀な医師や看護師がこぞって辞め、あっさりと潰れたらしい。大局的に見えて、視野の狭い戦略を取ると碌な目を見ないと言う典型例だな。
「それで最近ここに幽霊が出るって噂を聞いて、雅人君に頼んだんだけど〜、心配になって来ちゃったんだ〜」
 先輩は両手で包み込むようにしてペットボトルを握り締め、じっと見詰めていた。その瞳は何処と無く寂しげで、少しだけ胸が締め付けられる。
「まあこっちはそういう事情な訳だが、風花は何でここに居るんだ?」
 と言っても、大まかに見当は付いてるのだが。
「ん〜。分かり易く言うなら暇潰し」
「は?」
 完全に虚をつかれて、間の抜けた声を上げてしまった。いつものことながらこいつは、俺の予想を越えた言葉を吐いてくれる。
「ほら、退魔師なんて商売やってる以上、毎日の稽古って欠かせないんだけど、人間や木偶相手にしてるだけじゃ掴めないものもあるのよ。だから、たまに気分を変えるためにもこういうとこに来るの」
 つまり、ロープレでいう経験値稼ぎの感覚で良いのか。
「だから付き合っても良いよ。どの道、さっきの子は気になるしね」
 そう言えば、何で止めを刺さなかったのか問い詰め損ねてたな。改めて、聞いてみた。
「自分でも良く分からないんだけどね〜。何か何処かで似た人に会ったみたいな感覚がして。一目惚れだったら面白いんだけど」
 はにかみながら、適当な仮説を提言してくる。さっきの一件を、一応は失態と思っているのだろうか。おちゃらけて誤魔化している様にも見える。
「そういや、俺も何か引っ掛かってんだよなー」
「雅人も?」
「ああ。二、三、妙な違和感があって――それが何なのかは良く分からないんだけどな」
 結局のところ、俺も風花のことは言えないのかも知れない。どっちにしても、もう少し調べてみる必要はありそうだな。
「それじゃ私は第三病棟の方から調べてみるね」
「一緒に来ないのか?」
「そんな大所帯で移動してもしょうがないでしょ。何かあったら携帯で連絡するから」
「了解」
 一瞬、一人では危険ではないかと思ってしまうが、考えてみれば俺と芽依、二人掛かりでも勝てない相手だ。むしろ先輩と一緒のこっちが心配される立場か。
「あ、雅人ー。言い忘れてたけど、報酬は山分けだからね」
「芽依も居るから、三等分な」
 反射的に返答してみたものの、それが果たして公平なのかは、議論の余地がありそうだった。


「そういや果凛先輩、この病院で産まれたって言ってたよな?」
 第一病棟を散策中、間をもたせる為、何となく話題を振ってみた。
「ってことは、ずっとこの街に住んでるのか?」
「うん、お父さんもお母さんもこの街で育ったから〜。家が隣で幼馴染みだったんだよ〜」
「へー、何か良いな、そういうの」
「えへへ」
 両親のことを褒められて嬉しいということは、良好な関係を築いているのだろう。そういや先輩は一人っ子だったから、かなり甘やかされてきたのかもな。
「でもお母さん、身体が弱かったから大変だったんだよ〜。私が産まれる前に一回流産したんだ〜」
「そうなのか」
「だから私はお兄ちゃんの為にも一生懸命生きようって思ってるんだよ〜」
 実に先輩らしい発言だと思った。思わず口元が緩んでしまう。
「雅人、顔がニヤけてる」
「わ、わ、わ。エッチなことでも考えてたの〜?」
 素で芽依の言葉を受け入れてしまう先輩がとても微笑ましく思えた。その為ますます破顔してしまうが、意味が分からないのか、困った様な顔をしてしまっている。
「いや、家族が好きってのは良いことだと思ってな」
「雅人君も兄弟居なかったよね〜?」
「まあな。でも、こいつとか居るから、そんな気はしないんだが」
「芽依ちゃん可愛いもんね〜。私も何処かで手に入れたいな〜」
 いや、先輩。そこら辺に落ちてるもんではないです。
「精霊士の素養ってのは、それなりの霊力を持ってるってことと、供給向きであるかの二つで決まるんだが、今度先輩のこと調べてやろうか?」
「うん、宜しくね〜」
「但し、何か使役することになったら、最後までちゃんと責任持てよ」
「私、猫扱い」
 真面目な話、似たようなものだと思うのだが。目付き悪いし、攻撃的だし、興味の無いことには首を突っ込まないし、暇さえあれば寝てるし、飯を食う時には何処からともなく沸いて出るし。
「お前、来期の猫っぽい女性コンテストに出場する気は無いか?」
「考えてみる」
 ここで入賞することが本当に名誉であるかはさておいて。
「ところで芽依。参考までに聞きたいことがあるんだが」
「間違って無いと思う」
 以心伝心と言えるほど大したものじゃない。これだけ挑発的に霊力を撒き餌にされれば、大抵の人間は何らかの違和を覚える。先輩は寒気でも感じたのか、露出した両の二の腕を互いに握り締め、小さく震えた。
「何を企んでるのやら」
 放出源は、目の前の部屋だ。ほんの少しだけ開いた扉から漏れ出すそれは、冷凍室から溢れる冷気にも似ていた。肌を刺す独特の感覚に、神経は否が応でも緊張し、唾を飲み込んでしまう。
「どう見る?」
 罠であるかどうかの問い掛けに、芽依は返答してしなった。つまり、判断しかねる状態であるということだ。この場合、意見が一致しているといっても素直には喜べない。
「ま、開けなきゃ何も始まらない訳で――」
 先輩が扉の裏側に立っていることだけ確認すると、勢い良く蹴飛ばした。それと同時に、芽依が強風を室内に流し込んでくれる。罠や待ち伏せに対抗する為の常套手段なのだが、それらしいものは無かったようだ。室内では急激に乱れた空気の奔流が揺らぎとなって、草笛にも似た音を立てていた。
「霊力の元はこれか」
 部屋の中心には、握り拳ほどの光球が漂うように浮いていた。青白く明滅する光は弱々しく、線香花火の儚さにも似ていた。実際、指先で軽く触れるだけでその塊は爆ぜて消えた。
「ここって〜。資料室だったと思う〜」
 先輩の話によると、患者や妊婦等、病院を訪れた人の情報を、ファイルや電子情報にして纏めていた部屋らしい。もちろん、守秘義務があるから立ち入ったことは無いらしいのだが。やたらと金属製の棚が多いのはその為か。
「流石に資料は残ってないよな」
 あいつがここで死んだと言うなら記録が残っていたはずだが、考えてみれば膨大な情報の中から特定する手段は無い。精霊の類は自身の外見を自在に変えられるのが特徴で、あれが生前、男だったという保障さえ無いのだ。
 仕方ない。あんま収穫は無かったけど、風花と一回連絡を取って――。
「何か来る」
 芽依が呟くとほぼ同時に、けたたましい音を立てて何かが近付いてきた。この手の喧騒を、霊的な存在は嫌うことが多い。その為、室内の雰囲気そのものが騒然としてしまう。力はともかく、こういう面は退魔師としてまだまだだなぁと、他人事ながら思ってしまった。
「はれ、雅人? こんなとこで何してるの?」
 そりゃ、こっちの台詞だ。
「いや、何だか分からないけど色んな場所から霊力が溢れてたから、一つずつ潰してたとこ」
 犬並の嗅覚や行動力だと、素直に感心した。
「しっかし、分からん。つまりここ以外にもこういう場所があったってことか?」
「うん、分娩室と、ガラス張りの――えーっと、新生児室だっけ?」
「あー、そんな感じの名前だったな」
 産まれたての赤ん坊を無菌状態で保育する部屋を、そんな風に呼んでいた気がする。
「そんなとこに俺らを呼び付けて、どうしようってんだか」
「少子化への警鐘」
 意味不明な発言をした芽依は置いておくとして。
「もしかして〜」
「どうした、先輩?」
「う、ううん。勘違いだと思う〜」
 そんな、悪いことでもしたみたいな顔をされると問い詰めづらくなる。本能的に自己防衛する手段を知っている人間は、時としてタチが悪い。
「ほいじゃまあ、私は次行くね」
「まだあんのか?」
「ん〜。多分、あと一つか二つ――」
 途端、風花は不意に言葉を切ると身を翻した。一瞬、何が起こったのか分からなかったが、気弾が扉に当たり轟音が鳴り響いたことで急襲だと理解する。急ぎ先輩と芽依を背後に押し遣り、陣形を確保した。
「そこから奴は見えるか!?」
 風花は避けた弾みで廊下に転げ出ていた。その為、ここからはどちらも死角で情報が極端に乏しい。
「うんにゃ、見当たらないけどね〜。でもそんなに射程があるとも思えないから近くに居ると――」
 言葉が切れると同時に、扉の前を幾筋もの気弾が通過した。次いで、小さな呻き声とフローリングに響く金属音を耳にする。
「ちっ」
 慌てて部屋から飛び出すと、左手の風花を見遣った。彼女は右手を抑え、蹲っている。気弾が直撃した際に弾き飛ばされたのか、揚羽は彼女の左側に転がっていた。
 戦場で、一番の戦力を真っ先に削ぐのは常套手段だ。彼女の右手さえ封じてしまえば、戦局を有利に進められると判断したのだろう。事実、直撃を受けたその痺れがものの数分で取れるとは、到底思えない。
「上だ!」
 状況判断を終えるとほぼ同時に、奴は天井に姿を現していた。半身を逆さまにしてぶら下がっているその様は、蝙蝠を思わせてくれる。
「なーるほど。二階なら直線で言えば至近だもんね〜。そしてあたかも同一階に居るかの様に平行の弾丸を撃ち込んでくる。結構、頭回るんだねー」
 無数の気弾と共に、少年霊が襲い掛かって来て尚、風花は身動みじろぎ一つすること無く、冷静に構えていた。
「でも、あっま〜い!」
 その瞬間、風花は左手で揚羽を拾い上げると、逆手のまま斬り付ける。気弾の群れはその一薙ぎで千々に千切れ、少年霊の右腕さえも切り落とした。それは只のエネルギーである為、すぐさま霧散し、あるべき場所で再構築されるが、精神的な動揺を与えるには充分だった。
「そりゃ私は右利きだけどね〜。任務上、そういう好き嫌いは言ってられないことも多いの」
 ペン回しでもするかの様に、逆手から順手に刀を持ち替えつつ, そう言い放った。今更ながら、こいつは別世界の住人だと実感させられる。
「――ん?」
 右利きに、左利き? 今さっき、奴は右手から気弾を放った。最初に会った時もだ。だけどその次、ロビーで風花と切り結んでいた時は左で――。
「風花! 伏せろぉ!!」
「ほえ?」
 強烈な霊気の乱れを感じ、本能的に飛び退くと資料室の中に避難した。その刹那、空気を切り裂く衝撃波と共に、眼前を巨大な光の塊が通り過ぎる。一言で言うなら、キャノン砲。霊気を極限まで圧縮し、拡散するいとまも無いまま解き放ったのだ。
 それも、風花の後方から、だ。それが意味するところはつまり、奴らは二人居たということ。利き手の違いを違和として感じておきながら、今になってようやく気付くとは。あまりの情けなさに、俺は意識せず歯噛みした。
「雅人、話がある」
 芽依に声を掛けられ、視線は前方から外さないまま後退あとずさりする。
「何だ? 今、結構、忙しいぞ」
「果凛が気絶した」
大事おおごとじゃねえかよ!?」
 幸い、呼吸や脈拍は正常で、唯、気絶しただけらしい。一般人の先輩には少し刺激が強すぎたのか。たしかこういう場合は動かさないのが最良の選択だったはずだ。
「先輩を見ててくれ」
「私も戦う。雅人だけじゃ盾にもならない」
 言い難いことをはっきりと言ってくれる。
「それで、何か戦法はあるのか?」
「当たって砕けろ」
「御高説、ありがとな」
 馬鹿な遣り取りも緊張した神経をほぐすのには必要だ。溜まった唾を飲み干し、扉を見据えると、彼らは既にそこに居た。どうやら風花の襟首を掴み、ここまで引き摺ってきたらしい。あのエネルギーをまともに食らったのかは不明だが、意識が飛んでるのは間違い無いだろう。それでも尚、左手に揚羽が握り締められてる辺りは流石だと思ってしまうのだが。
「良い機会だから風花もろとも亡き者に」
 本気とも、冗談とも付かない口調だった。芽依は天敵である風花を、隙あらば抹殺しようと常々口にしているのだが、それがポーズだけなのかについては不明だ。願わくば、彼女流のジョークであると信じたいところだが、相手が相手だけに難しい。
「そんなに構えなくても良いよ」
 不意に、少年霊の片割れが口を開いた。外見通り、声変わりするかしないかのそれで、アルトよりもむしろソプラノに近い、軽やかなものだった。
「僕達に、戦う意思は無い」
 彼らは風花を放り捨てると、見る見るうちに明確な輪郭を持った実体へと姿を変えていった。濃霧の様に曖昧だった全身は、血の通った肉体に変貌し、能面の様に何も読めなかった表情には意思が宿った。その、切り揃えられた短髪と、整った容貌は瓜二つで、双子だと言うことを理解する。いや、精霊の類は自由にその姿を変えられるから、必ずしもそうとも言えないか。
「戦う意思は無いって、そこの剣士様はどう弁明する気だ?」
 風花がされているのは事実で、それは否定しようも無い。
「話し合いが通じそうも無い相手だったからね。問答無用で消される程、人格者って訳でもないし」
「成程」
 妙に納得してしまう自分が居た。
「んで、お前らの目的はなんだ?」
「その前に、自己紹介をさせてもらうよ。僕の名前は、浅葱あさぎ涼果りょうか
「僕は、浅葱あさぎ真凛まりん
『果凛の兄に当たる者だよ』
 綺麗に同調した二人の声は、とても静かに響き渡った。


「気付いてもらえると思ったんだけどね」
 中天からの月明かりが射し込む中庭で、俺達四人は何とはなしに立ち尽くしていた。管理がされていない為、雑草が伸び放題でヤブ蚊などが多そうだが、霊的な存在である三人は意に介していないようだ。
「新生児室、分娩室に資料室。ここで産まれた子供に絡んでたってのは何となく分かったんだけどな」
 今にして思えば、先輩は気付いていたのかも知れない。そう思える節はあった。
「ここは本当に良い病院だったんだ。僕達が産まれることが叶わなかったのも、運命のいたずらで、誰が悪かったってことじゃない。何かを恨んでこの世に残ったわけじゃないよ」
 少年霊の片割れ、涼果が天を仰ぎながら、呟くように言葉を紡いでいた。その姿は何処と無く儚げで、触れるだけで壊れてしまいそうな硝子細工の様にも見えた。
「それじゃ、お前らは何で地縛霊になったんだ?」
 話の流れから聞いてみたが、世の中には芽依の様に、その理由を知らない奴も多い。割と、適当な世界なのだ。
「始めは普通の霊同様、溜まり場みたいなところで漂ってたんだけどね。いつしか、目的があって実体化するようになった」
「果凛先輩か」
「うん。僕達は故あって命を得られなかった。だけど、果凛が産まれて、そんな命にも意味があるんじゃないかと思えて。出来ればずっと一緒に居たかったんだけどね」
 再び、何処と無く寂しげな表情をした。
「僕達は、もうすぐ消えるんだ。この病院が潰されて、霊的な場所じゃなくなるからね」
 一般的に、病院や墓地の様な場所は、半永久的に霊場になると思われているが、実際にはそれを形作る物が無くなった時に、ほとんど霧散してしまう。例え小さくても、社や地蔵はそれそのものに霊が宿るのだ。
「でも、最後に果凛と会えて良かったよ。もう思い残すことは無い」
「それで良いのか?」
「良いも何も、僕達のことを果凛は知らないんだ。このまま居なくなっても悲しむ人は――」
「お兄ちゃん!」
 不意に、宵闇を切り裂く、優しい悲鳴が響いた。四人の視線が交わる場所、つまりは第一病棟の扉には、果凛先輩と風花が立っていて、先輩は何処か遣る瀬無い表情をしていた。
「やあ、果凛。始めましてと言うにはあまりに知り過ぎているんだけど、一応ね」
 芽依の側に居た真凛が、にこやかな笑みを浮かべつつ、そう声を掛けた。その顔付きはあまりに柔らかく、澄み切った青空の様に穏やかな心境であることが見て取れる。
「お兄ちゃん……私、ずっと会いたかったんだよ!」
 今にも泣き出しそうな掠れ声だった。
「私のお兄ちゃんはどんな人だったんだろうって。私、一緒に遊びに行きたかったし、卒業式に来て欲しかったし、彼女が出来たら嫉妬してみたかったし!」
「それは悪いことをしたね」
 あくまでも穏やかに言葉を受け止めていた。
「ねえ、果凛」
 真凛は、右手でそっと先輩の髪を払い除けると、左頬に触れた。先輩は硬直したまま真凛を見上げると、身体を戦慄わななかせた。
「人はいつか必ず別れなきゃならないものだから。ちょっと早いかも知れないけど、これは誰にも抗えないものなんだよ」
「そうだね。会わなければ悲しみも無いと思ったけど、それは思い違いだったみたいだ。僕達は間違いなく果凛の中に居た。だったらこの一回だけでも話せて良かったよ」
「お兄、ちゃん……」
 力無く立ち尽くす先輩の頬を、真凛は優しく撫でた。
「さようなら、果凛」
「出来ることなら、来世も兄妹として生を受けたいね」
 途端、二人の兄弟はあの光球と同じく、静かに爆ぜて消えた。その様は陽炎の様に儚く、誰もが、何も言葉を発することも出来ないまま、唯、呆然と立ち尽くしていた。
「雅人、君」
 先輩の声は、絞り出すかの様に小さなものだった。
「私は、泣かないよ。お母さんがそうするって、決めたから。だから私も、泣かないよ」
 全身を小刻みに震わせ、立っているのもやっとという感じだった。いたたまれなくなって、頭を二、三度撫でてやる。そのまま抱き締めてしまおうかとも思うが、適役でないのと気恥ずかしさで一歩、引いてしまう。
「風花。ちょっと揚羽借りるぞ」
 ちょうど届くところにあったので、ひょいと手を伸ばして掴もうとする。だが風花が腰を引いて、見事に空振りしてしまった。
「あの、風花さん?」
 風花は鞘ごと揚羽を引く抜くと、両手で抱えて、首をプルプルと横に振っていた。そう言えばこいつは揚羽を溺愛してたな。だが、その仕草は可愛いと言うより、軽く殺意さえ覚えてしまう。
「だーー!! たかだか五分くらい貸せよ!」
「……二分」
 小学生ですか、あなたは。
 俺はコメカミ辺りに僅かばかりの痛みを覚えつつ、嫌々ながらも差し出された柄頭を掴むと、一気に引き抜いた。冷涼な空気が満ちた中庭に無機質な金属音が響き渡り、少しだけ怯えてしまう。
「先輩、ちょっとじっとしてろよ」
「う、うん?」
 揚羽の峰で先輩の頭上を薙いでみる。成程、どうやら間違いないみたいだな。俺は刃を返し、小さく息を吸うと、見様見真似で刀を振り抜いた。揚羽はサンッという軽快な音と共に、先輩の頭上を通り過ぎる。後に残されたのは、僅かな空気の乱れだけだ。それの何が気に食わなかったのか、すぐさま芽依が相殺したのには苦笑してしまった。
「い、今、何したの〜?」
「先輩と、この病院の繋がりをちょっと、な」
 何となく格好付けで露払いをやってみるが、意外な反動で振り回されてしまう。それを見た風花は、慌てて揚羽を奪い返すと刀身や目釘の状態を調べ始めた。とことんまでに信頼無いなぁ、俺。
「病院との繋がりって?」
「ああ。果凛先輩はこの病院で産まれて、入院したりと縁が深かった。そして、涼果と真凛という身近な肉親が命を落とした場所でもある。結果、知らず知らずの内に、とある特異体質になっていた」
 そこまで言って、俺は芽依を手招きで呼び寄せた。そして左手を彼女の頭に乗せると、右手で指し示す。
「俺と同じさ。こういう霊的な存在に自身の精神力を分け与えることが出来る。言うなれば天然精霊士ってとこか」
 言葉の意味を捉えかねているのか、科学者として信じられないのか、或いは、別の意味で天然なだけなのか。先輩は呆けたような面持ちだった。だけど、この仮説は多分、間違っていない。幾ら病院が霊的な場所だと言っても、あれだけ無尽蔵にエネルギーを消耗し続けるのは難しいし、先輩の意識が朦朧としたり途切れた時間帯は合致する。それにたった今、先輩の頭上から霊気が流れていたのは確認した。これだけだと状況証拠しかないが、次の段階に進めれば、確証に変えることが出来る。
「まだ、近くに居るな。幸い、地縛霊の扱いは専門だ」
 両手を広げ、息を吸う様にして、掌に霊気を収束させる。そして、あらかた集め終えたところで、右手を先輩の額の前にかざした。入り混じってしまった雑多のそれを取捨するのは面倒だが、単調作業なので手間さえ惜しまなければどうということは無い。
「何だか、温かいよ〜」
 まるで日向でまどろむ猫の様に、気持ち良さそうに目尻を下げていた。霊気は電磁波と同じ、波動的なエネルギーだから温熱効果があるのかも知れない。将来はその手の整体師でも目指そうかとも思ったが、胡散臭さが半端ではないので一瞬でやめた。
「これで、終わりだ」
 搾り出すようにして、拾い集めた霊気全てを先輩に渡しきった。異質な霊気が融和するには少し時間が掛かるが、良く似た三つの波動は、溶ける様にして交じり合った。
「先輩。今、涼果と真凛の意思を先輩の中に流した」
「え?」
 再び、呆けたような顔をした。
「つっても、今までと違って、先輩に直接仕える格好になるから、また実体化するには先輩自身が訓練しなきゃなんない。でもまあ、のんびり付き合ってやるよ。色々と借りもあることだしな」
 先輩は、その場で案山子の様に立ち尽くしたまま、俺を見上げていた。全身は小刻みに震え、言葉にならないのか、酸素不足の魚の様に口をパクパクとさせている。その双眸からは大粒の涙がボロボロと零れ落ち、地面に落ちる度、弾けて散っていた。
「何だ、先輩。泣かないんじゃなかったのか?」
「い、いいんだよ〜。本当に嬉しい時は泣いたって〜」
 照れ隠しなのか、懸命に表情を繕う果凛先輩がとても可愛く思えた。そんな彼女の笑顔を、俺は一生忘れないと思った。


 数日後。俺達は昼休みに、屋上でのんびりとしていた。梅雨入り宣言もされて、ジメジメする日が多かったのだが、この日は快晴で、適度な湿度がむしろ心地よかった。芽依は傍らで寝息を立てているし、もう一人の奴も肌を焼くとか言って、日向で寝転んでいる。精霊は紫外線で遺伝子を壊すことは無いが、外見は自由に変えられるので根本的に意味が無かったりするのだが。
「果凛ちゃんは?」
「用事があるから遅れるってさ」
 風花の横に腰掛けつつ、簡潔に返答した。そして購買で買ってきたコロッケパンの封を開くと、一口分だけ噛み切った。
「それで、果凛ちゃんの調子はどうなの?」
「まあ、筋は悪くないけど、取り込んだ精霊を実体化するってのは簡単じゃないからな。正直、何年掛かるやらだけど、先輩はやり遂げるだろう」
 二度と会えないと思っていた兄貴達に再会したのだ。日々の精進だって、壁にすらならないだろう。
「ん〜。にしても、揚羽にあんな使い道があったとはね〜」
 学内で堂々と日本刀を引き抜き、まじまじと見詰めていた。刃引きはされているので違法行為では無いが、倫理的、風紀的にはどうかと常々思っている。
「あれは半分思い付きだったんだけどな。そいつは霊的なものは触れただけで切り裂く力があるから、霊力の流出を防ぐにはちょうど良いと思って。でもそれ切れ過ぎだぞ。素人の俺が使って、問答無用でズタズタに出来るってのは問題だろ」
 芽依が必要以上に恐れるのも、判る気がした。
「それにしても雅人。私、今回の一件で学んだことがあるのよ」
「ほう?」
 珍しく殊勝な面持ちで切り出した。
「あ、ひょっとして事実関係を把握せずに蹴散らすのを反省したか?」
「はえ?」
 何のことか分からないのか、かなり間の抜けた顔をした。
「うんにゃ。私が最初、彼に会った時、果凛ちゃんに似てるってだけで、止めを刺せなかったでしょ。今度からはそんな甘いことはしないように精進を重ねなきゃね〜、って雅人。何でずっこけてる訳?」
「お、お前は〜!」
 何を、どういう考え方をすればそんな結論に至るんだ。
「あれは先輩の兄貴だったんだぞ!?」
「でもそれは結果論でしょ? 状況的には浄化するのが的確だった訳で。そりゃ私だって、最初からお兄さんだって分かってたら斬らなかったし」
 雅人だってそうでしょ、と言外に籠められている気がした。反論する術を失い、俺は苦虫を噛み潰したような顔で、自棄の様にコロッケパンの残りをかっ込んだ。
「みんな、お待たせ〜」
 扉を開け、果凛先輩が走り寄ってきた。両手でピクニックに使われるようなバスケットを握っており、周りの学生は何事かと視線を集中させていた。
「雅人君、この前の御礼だよ〜。学食って話だったけど、手作りの方が栄養取れるよね〜」
 バスケットの中には、色とりどりのサンドイッチや、フライドチキン、ポテトサラダなどが整然と詰められていて、本当にこのままハイキングにでも行けそうだ。
「マッシュポテト美味しい」
 何時の間に目覚めたのか、芽依は自分の分を皿に盛り、黙々と食事をしていた。わざわざ混ざっているサラミを取り分けて、ジャガイモだけを食べているのが彼女らしい。
「芽依ちゃんもたくさん働いたもんね〜。い〜っぱい食べてね〜」
 満面の笑みを浮かべて、俺達に勧めてくる。ま、山分けって話だったし、無難な配分かもな。
「先輩」
「ん? な〜に〜?」
「……いや、何でも無い」
 何で声を掛けたのかは良く分からなかった。唯、何となく顔を見たかっただけで。
 先輩は、顔に疑問符を浮かべていた。ばつが悪くなったので、髪を撫でてクシャクシャにしてやる。
「わ、わ、わ〜。いきなり、何するの〜?」
「雅人、ラブラブ」
「何だったら芽依、お前にもしてやるぞ」
 手を伸ばそうとしたその瞬間、芽依は身を引くと、顎を引いてこちらを睨みつけてきた。
「ふー」
 仔猫を守る母猫か、お前は。
「雅人君! 女の子の髪をこんな風に扱っちゃダメなんだよ!」
「きっと雅人は果凛ちゃんみたいな髪が好きなんだよ、きっと」
「そ、そうだったの?」
「こら、風花。適当なことを」
「私は最初から信じてなかった」
 思い付きで茶々を入れた芽依を、裏拳で小突こうとするが、風を起こして逸らされてしまう。むきになってもう一度試みようかと思ったが、先輩の笑みが視界に入って、その気が失せた。
 ああ、俺はきっとこの笑顔を見るために頑張ったんだな。そんな気障なことを思いつつ、何時の日か涼果や真凛と会えた時、先輩がどんな顔をするかと思い、口元を緩めた。
 命の意味は多様であるのだと、俺は、今更ながらに思い知らされていた。

                                               了



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