「切り裂き とある日の放課後のことだ。俺は呑気に友達と駄弁っていたのだが、不意にそんな単語を耳にして、鸚鵡返しに問い返した。 「そ。何でもネットの海を彷徨う、あやかしの類らしくてね。夜、モニターをじっと見詰めてると、女の子が現れて問答無用で切り裂いちゃうらしいの」 何処にどう信憑性というものを感じれば良いのか、一瞬、本気で悩んでしまう所だったぞ。 「しかも、その正体は三姉妹でね。長女が切り裂き、次女が電脳世界に引き摺り込み、三女がその痕跡を消すっていう、一流ミステリー顔負けの完全犯罪なの。世界で多発する原因不明な失踪事件の一割はこれなんじゃないかって言われるくらい、社会にも深い闇を落としてる訳よ」 数的根拠を聞きたい所だが、考えるまでもなく時間の無駄なのでやめておくことにした。 「ってか、どっかで聞いたことある話だと思ったら、鎌鼬現象か」 あれはたしか、三匹の鼬がセットで、一匹目が転ばし、二匹目が切り裂き、三匹目が薬を塗るって奴だったな。一応、つむじ風が起こす真空状態がそういう傷を生むということになっているけど、科学的証明はされていないらしい。だからと言って、本当に鼬が鎌持って切り付けてるとも思わないが。 「ふっふっふ。良い所に目を付けたわね。流石、私の見込んだ男よ」 正直、こいつに認められても、一欠片として嬉しくない俺が居る。 「私も、そこに着目したのよ。もしかして鎌鼬って言うのは、この切り裂き娘々の伝承が先んじてあって生まれたのでは無いのか、と」 「あのなぁ。ネットなんて物が世に出てきたのはここ二十年の話だろ。どう考えても整合性が取れないじゃねえか」 「ふう、これだから凡俗は。わざわざ解説しなきゃならないのね」 持ち上げるのか、扱き下ろすのか、キャラ統一しろよ。 「人の精神は無意識下で共有されてるって学説は御存知? 死んだ人間が夢枕に立ったり、血縁的に近い身内ほど、意思を共有し易い現象がこれに依るものだって言うのは、既に定説よ」 うわ、出た。伝家の宝刀、定説攻撃。地球が青いと言うのは某政府に依る捏造工作だの、低脂肪牛乳はそんなに低カロリーじゃないだの、無さそうで無いだろうことを平気で言う奴なのだ、こいつは。 「そして! その共有世界とネット世界が繋がってるとすればどう? これで全ての謎も繋がっちゃう訳よ」 「いや、別に上手くないし」 先制して言っておかないと、図に乗られる恐れがある。 「という訳で、検証に付き合って頂戴」 「何で俺なんだよ!?」 「一番暇だから」 うわ、推定じゃなく、断定と来ましたか。 「たまには論理的に反論してやる。俺は決して暇人などでは無い。今日はたまたま、放課後の予定が空いていた為、仮にも学友であるお前と交友を持ってやるという目的で歓談の場を用意してやっただけだ。そして二つ目。仮に俺が暇であろうと、お前の戯言に付き合う道理は――」 「ほいじゃ、パソコン室行こうか」 「少しくらい聞けよ!?」 やはり、こいつに真っ当な議論を望むことは無謀だったか。俺は捕えられた宇宙人、或いは仔猫宜しく、襟首を掴まれたまま、教室を後にするのだった。 「んで、何をどうしろって言うんだよ?」 うちの高校は、パソコン室が一般開放されている。数十ある椅子には、他にも何人かの生徒が腰掛けており、それぞれがそれぞれの目的でモニターを覗き込んでいる。 「大体、兆に一つの可能性でその話が真実だとしてだ。俺は切り裂かれて電脳世界に引き摺られるなんてのは御免だぞ」 「ジャーナリストは、真実の追究の為には、命も賭けなきゃダメなのよ」 そう。何をどう人生設計を間違えたのか、こいつは報道部の部長なんてものをやっている。しかも俺も名義貸しした関係で一部員ということになっていたりもする。最低でも一つには所属しないといけない規則とは言え、もう少し吟味しておけば良かったとは、正に後の祭りだ。 「まあ良い。さっさとやって、とっとと終わらせるぞ。何をすれば満足するんだ?」 「えっと、とりあえず、パソコンを立ち上げる」 そりゃそうだ。何にしても、それが無ければ始まらない。 「次に、同じページを三種類のプラウザで開く」 一気に、通常の操作から外れてきた気がする。とりあえず、日本で最大規模の検索サイトを開いてみた。 「ってか、ブラウザ一種類しか入ってないんだが」 「じゃあ、適当なのダウンロードして」 他人のパソコンで、良くそれが言えるもんだと思う。しかも、新しい設定を有効にするには再起動掛けなきゃならないし。まあ、終わったらアンインストールすれば良いか。 「開いたぞ」 「そうしたら、一度回線を切断して」 最早、意味不明なんて領域はとうの昔に突破している。思考した方が負けだ。言われるがまま、機械人形の様に指示をこなす。 「最後に、また回線を繋いで、三つのブラウザを全部更新」 はいはい。これでこの下らない実験も終わりだな。俺の人生の中で、実に無益な時であった。帰る前には忘れてしまうことにしよう。そう思いつつ、カーソルを更新の所に合わせ、クリックする。 「ん?」 不意に、画面が凍り付いた。おいおいおい。そんなややこしい作業はしてないぜ。フリーズってのは、ちょっと根性が無さ過ぎじゃないか。 「来たわ!」 一人盛り上がってる奴は黙殺するとして、どうすっかな。いきなり強制シャットダウンというのも有りと言えば有りだが、後ろの奴がうるさそうだ。どうにか、上手いこと言いくるめる方法を考えるべきか。 「にゃおーん」 ふと、奇声を聞いた。猫と狼を足したかの様な、不可思議な声だ。こんな馬鹿げたことをする奴は、他には居ない。 「ふざけてると、怒るぞ」 「ふえ?」 きょとんとした顔で、返答してきやがる。ほほう。貴様、そういう態度を取りやがるのか。 「にゃふ〜」 今度は、空気が抜けるかの様な声だ。芸としては面白いが、この場合、俺の神経を逆撫でするだけだ。 「お前、いい加減にしないと――」 バチッ。何かが弾ける音がした。それが、モニターから発せられたものだと気付くのに、およそ数秒。そして、モニターが中心から不自然に歪んでいるのを認識するのにも数秒費やしてしまう。な、何だ。何が起こってるんだ。 「これよ! 私が求めていたのは、これなのよ!」 「ええい! 黙ってろ、究極変人!」 四の五の言ってる余裕は無さそうだ。こういう時は、強制終了だ。 「って、何で効かないんだよ!?」 電源ボタンを押し続けても、事態は一向に変わらない。モニターの歪みは臨界を突破し、最早、元の背景が何だったのかさえ分からない。 「そうだ、電源を抜けば――」 如何にハイテク機器と言っても、所詮は電化製品。元さえ断ってしまえば良い。そう結論を導いて、半ばタコ足になっているマルチプラグに手を伸ばした。 「にゃほ〜」 声を聞くと同時に、静電気に触れた衝撃を何倍にもしたかの様な痺れを指先に感じ、本能的に腕を引っ込めた。てか、普通に痛ぇ! 「痛みを感じるってのは、まだ生きてる証だにゃ」 耳に届いたその声は、妙に妖しく艶かしく感じられた。喩えるのであれば、西洋に伝わる、歌声で海の男を惑わすセイレーンか。俺の身体は硬直したまま、頭だけが無闇に暴走していた。 「大丈夫にゃ。痛いのはほんの一瞬で、後はむしろ快感にゃ」 モニターが、小さく爆ぜた。いや、この表現は正しくない。雷にも似た電磁の渦が、爆発にも似た光と音を生み出したのだ。だけど俺にとって、そんなことはどうでも良く――次いで起こった非日常的現象に、身体は尚のこと強張り、頬を伝う汗が止め処無く流れ続けた。 「にゃにゃ〜」 モニターから、少女が飛び出して来た。彼女は諸手に死神が使うかの様な巨大な鎌を握り締め、こちらを見据えてくる。そして玩具を見付けた子供の様に無邪気な笑みを浮かべると、その鎌を俺の首筋目掛けて振り下ろしてきた。 嗚呼、終わった、俺の人生。こんなことなら、天見屋の大福、もうちょっと食っとくんだったなぁ。そしてさようなら、五歳の頃に告白して、コクゾウムシに浴びせる様な罵倒をしてくれたベティ。いまわの際の走馬灯がこんなんで良いのか疑問にも思うが、積み重ねてきたもの相応なのかもなぁ。 「どぐら!?」 「うにゃ?」 首付近に鈍痛を覚え、何だか空気の流れが身体に纏わりついている気がする。その直後、背中を叩き付けて息が詰まるが、意識ははっきりとしたままだ。どうやら、吹っ飛ばされたものの、何とか命は繋がったらしい。痛みのするうなじから首筋を擦ってみるが、 「ど、どういうことにゃ!?」 「姉様、また失敗した」 見てみると、デスクの上には二人目の女の子が立ち尽くしていた。褐色の肌に金髪というアンバランスさが目を惹くが、それ以上に印象的なのは、手に握られた鞭だ。二又に分かれたそれは彼女の身長よりも長く、垂れて床にまで達している。な、何だよ、この二人!? 「わ、私のせいじゃ無いにゃ! 鎌はちゃんと直撃したにゃ!」 「それは、姉様が手入れしてないから」 「切れ味はいつだって抜群にゃ。昨日だってこれで、刺身を作ったにゃ」 どうやら俺の首は、鰹とか鮭とか、そういうのと同レベルらしい。 「あ、あの〜、お姉様……」 更に続いて、二人とは違う、小さな女の子の声がする。何処からのものかと思っていると、ひょこっとモニターから顔だけ出してきた。その様はまるで小動物の様だが、今はそんなことに和んでる場合じゃない。 「ひょっとして、また失敗ですか?」 何故だか、彼女が持っているのは雑巾とバケツだ。他二人はやたらと物騒なのに、何でこの子だけ清掃用具なんだよ。 「し、失敗なんかじゃないにゃ。これから、きちんとトドメを刺すにゃ!」 ギロリと、こちらを睨みつけてくる、にゃにゃ娘。名前を知らない訳だが、それで何の不自由も無い気がする。 「ちょっと待ったぁ!」 何処からとも無く、バァンと効果音が聞こえた気がした。よくよく見れば、映画研究部の連中が音響機器を持って、今の音を鳴らしたらしい。どういう意味があるのか知らないが、こいつら校内で何かしらドラマティックなことがあると、効果音から紙吹雪に至るまで演出をしては去っていく。別名を、お忍び黒子隊と言ったりもする。 「ふっふっふ。初めまして、切り裂き娘々の皆さん」 あー、そういやお前、居たんだなぁ。命の危機で綺麗に忘れてたぜ。 「やっぱり、私の仮説は間違って無かったのね。これで泡沫報道部の汚名も返上よ!」 そして、本音が漏れてるぞ。思うのは自由だが、そういうのは心の内に留めておけ。 「お前、なんにゃ?」 常識で考えると、あなたの方がよっぽど不審人物なのですが、それは宜しいのでしょうか。 「姉様、逃げられる」 鞭娘の忠言で、にゃにゃ娘の注意がこちらに戻ってくる。ちっ。野次馬に紛れて逃げ出そうと思っていたものを。 「中々のコンビプレイにゃ。だけど、私達姉妹には勝てないのにゃ」 今のをそう呼ぶなら、口喧嘩から耳掻きに至るまで、二人でやる作業は全てコンビネーションプレイになる気がするのですが、如何でしょう。 「覚悟するのにゃ!」 にゃにゃ娘は、蹴り足一つで俺の所まで飛び込んでくると、大鎌を最上段に構えて、そのまま振り下ろしてきた。ダメだ、躱せない。頭だけ、そんな冷静なことを思うのだけれど、身体が付いていかない。唯、歯をぐっと食い縛り、鎌が近付いてくるのを知覚することしか出来なかった。嗚呼、今度こそさようなら、ディスワールド。今度生まれる時は、可愛い女の子になってみたいなぁ。 パッコォ〜ン。お忍び黒子隊の力を借りるまでも無く、湯船で洗面器を引っくり返したかの様な音が響き渡った。 「う、うにゃ〜?」 「痛ってぇ!!」 箪笥に小指をぶつけた痛みを何倍にもして、頭の中心に集中させたかの様な激痛だった。もんどり打ってのた打ち回るとは、こういう時にこそ使う言葉なのだと、身を以って実感した。 「お、おかしいのにゃ。こんなはずないのにゃ」 先程と同じく、内出血で瘤になってはいるものの、肌には別段損傷が無い。その鎌、ナマクラなんじゃないか。別に本物であって欲しい訳じゃないんだが。 「姉様」 鞭娘はそう一声掛けると、鞭を手近な椅子に絡め付け、宙に舞わせた。 「うにゃ!」 次いで、にゃにゃ娘が気合一閃、鎌を振り下ろす。スパァンという小気味良い音と共に、二つとなった椅子でありながら椅子でないものがそれぞれに落下を始める。うげ、あんな感じになったら、昨今、幾ら医学が発達してるとは言え、生きてけないだろうな。ってか、何であんなものに切り付けられて、俺、無事なんだ? 「あ、あの〜、どういうことでしょうか?」 一番ちまっこい雑巾娘がそんなことを言ってくれる。正直、どういうことか聞きたいのは、俺の方だが。 「あの男、特殊な力がある」 はひ? 「何だか分からないけど撤退にゃ。私の責任じゃないにゃら、それで良いにゃ」 「あ、お姉様――」 「うにゃおう!?」 モニターに片手を掛けた所で、にゃにゃ娘の手元が激しく光り、部屋の端まで弾き飛ばされた。それでも尚、鎌だけは手放さないのは、流石なのか何なのか。 「ふにゃはにゃ……」 「わ、わ、わ。お姉様〜」 「姉様、仕事を完了させないと戻れないの、忘れてる」 白目を剥いたまま倒れてるにゃにゃ娘に解説が入る。仕事ってのが俺の命を獲ることなら、この状況は良いのか悪いのか。 「うにゃ! これで終わりと思うにゃかれ」 「お命、頂戴致します」 「ご、ごめんなさい〜。お仕事なんです〜」 言いたい放題の捨て台詞を残して、三人娘はパソコン室から去って行った。後に残された俺達は、どうしたものか呆然と立ち尽くすしか出来なかった訳で。 かくして、俺の高校生活は、謎の通り魔三姉妹に狙われるものになったって訳さ、ハッハッハ。 って、納得出来るかぁ!!
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