真・女神転生マーレボルジェ7
〜Intellegere・後編〜

大根メロン


 峠を越え、朧車は山を下りて行く。
 俺達は今、地元の通しか知らないような山道を進んでいる。
 こうなると、体裁を取り繕う必要もない。俺はハンドルから手を離して、車の座席に身を委ねている。
「……そう言えば、サマナー・大塚」
 フランカが、言葉を紡ぐ。
 きっと、俺と同じくヒマなのだろう。
「ん、どした?」
「貴方は、不死身の肉体を持っていると聞いたのですが」
 ぬ、その話題か。
 ……やっぱり、この身体に頼り過ぎるのは良くないよなぁ。あっさりと噂が広まっちまう。
「まぁね、お陰で助かってるよ」
 本当は不死身ではなく、死んでも向こうに逝けないだけだが。
 とは言え、そんな事をいちいち説明する気はない。いつ敵になるか、分からない相手なのだし。
「そうですか。では、寿命はどうなっているのです?」
「……ほへ? 寿命?」
「不死身にも色々とあるでしょう。殺されても死なないのは結構ですが、その肉体は時の流れすら寄せ付けないのですか?」
「え、えーっと……」
「そもそも、貴方は老化をするのですか?」
「――……」
 老化とは、死への道程だ。
 しかし俺は、それを禁じられた身である。
 ……考えてなかったな。
 もしかしたら俺は、未来永劫生き続けなければならないのかも知れない。
「……さぁな。あと何年かすれば、ハッキリと分かるだろうけど」
 永遠の命。
 悪魔でないただの人間は、果たしてその徒労に耐えられるのか。
「…………」
 死を繰り返せば、死よりも辛い悲惨な運命。
 かと言って生き続ければ、精神を磨り減らす無間の苦行。
 ……前者も後者も、俺の悪い想像でしかないが。
 しかしそれは、いかにも在り得そうだ。大罪人たる、大塚蓮への罰として。
「……永遠に、劣化しない存在」
 フランカが呟く。
 相変わらず、声には感情の色が薄い。だがその揺らぎのなさは、不変不動を思わせた。
「もし貴方が、そうなのだとしたら――」
 ――と、その時。
 俺の視界に、おかしな物が見えた。
 正確に言えば、俺の視界ではない。俺と繋がっている、ザフキエルの視界だ。
「……来たか?」
 朧車の後方を、1台の自動車が走っていた。
 そのプリマス・フューリィは、猛スピードで俺達との距離を詰めて来る。
 ……さらに、ソナーにも反応。
 どうやらあのフューリィ、ただの自動車ではないらしい。
「サマナー・大塚、後方に自動車が見えますが」
「外道クリス・ザ・カー。この朧車と同じく、女の情念が取り憑いた自動車だよ。言うならば、朧車のアメリカ版だな」
「アメリカ版……」
 アメリカの悪魔だからといって、その使い手がアメリカ人だとは限らないが。
 しかし今の状況と合わせて考えてると、乗っているのは件のイオタなのだろう。
 迫る、クリス・ザ・カー。
 よかろう――この下り坂ダウンヒルで、どっちが上か教えてやる!
「――引き離せ朧車ッッ!!!! 魔界最速はお前だと、後ろのスカタンどもに魅せ付けろッッ!!!!」
「サマナー・大塚、何か違うスウィッチが入ってませんか?」
 フランカの無粋はツッコミは無視。
 後輪を滑らせ、朧車は見事なドリフトでカーヴを駆け抜けた。
 だが、敵もさるもの。後ろのクリスも、完璧なラインで追って来る。
 ……さらに加速。
 悪魔が憑いた2台の車は、車体の限界を超えた速度で突っ走る。
「――……」
 クリスとの距離は広がらない。
 カーヴの直後、眼前に対向車。朧車は、針に糸を通すようにその脇を抜け――クリスも同じラインで追走する。
「……なかなかやる。だがこれは悪魔同士の百鬼夜行、素直に後ろを走らせはせんぞッッ!!!!」
 朧車が、魔力のリアウィングを立てた。
 それはパラシュートのように、空気を受けて溜め込んでゆく。
 ……空気抵抗によって、減速する朧車。
 この隙に追い付かんと、距離を縮めて来たクリスに――
「――空気砲だッッ!!!!」
 溜めた空気を、一気に放った。
 それは寸分の狂いなく直撃し、クリスのバランスを崩す。コースアウトしなかったのはさすがだが、距離は大きく開く事となった。
「……プロトセイバーの技ですか」
「ふはははは、これでもう追い付けまいッッ!!!!」
 俺は勝利を確信する。
 後ろのクリスには、最早何も出来――
「――は?」
 奴は道路から外れ、雑木林に突っ込む。
 メキメキと木々を押し倒しながら――それでも速度は落とさずに、朧車の元へと突っ込んで来た。
 ……カーヴを曲がらず、真っ直ぐに走り切る。
 その走法が許されるのは、この世でロードローラーだけだろう……ッッ!!!!
「――うわぁぁッッ!!!?」
 追突し、吹き飛ぶ両車。
 双方バランスを立て直しながら、映像を逆再生するようにボティを修復した。
 再び、クリスが朧車を追走する形となる。
「んなろぅ、やってくれたなッッ!!!!」
「……サマナー・大塚」
「何だよ、今1番盛り上がってるところッッ!!!!」
「この速度では、次のカーヴは曲がれませんが」
 確かに次は、魔の絶壁ヘアピンカーヴだ。
 文字通り命知らずの首なしライダーでさえ、あのカーヴでは生前を思い出してブレーキを入れてしまう。あそこをフルスロットルで抜けられるのは、ターボばあちゃんの熊田イネさんだけだと聞く。
 ふふ、いい機会だ。俺達が、その伝説を打ち破ってやる……!
「――行けえ、朧車ッッ!!!! カーヴに神が見えているぞッッ!!!!」
 俺の声に応え、朧車は速度を上げた。
 引き離されまいと、クリスも同速で後ろに張り付いている。
 ……カーヴに突入。
 朧車は側溝にタイヤを落とし込み、それをレールにして魔のカーヴを曲がり切る……!
「あははふはは、溝落としだぁぁッッ!!!!」
「これも漫画がソースですね」
「……気になっているのだが、どうしてお前は日本の漫画に詳しいのだ?」
 クリスはカーヴを曲がれず、ガードレールを破って下に落ちてゆく。
 さすがに、あそこから落ちたら助かるまい。ラーメン、安らかに眠れ。
「良し、邪魔は消えたな。後はゆっくり――」
 バキィッッ!!!! と、ガードレールが折れる音。
 ……俺達の眼前に、突如としてクリス・ザ・カーが現れた。
「んなぁ……ッッ!!!? まさか、あの絶壁を登って来たのかッッ!!!?」
 さすがは悪魔車、もう何でもありだな!
 クリスの排気筒から、煙幕が吹き出す。さすがにどうにも出来ず、俺は朧車を止めた。
 くそ……結局は、1番手っ取り早い展開になるのか!
「――出ます」
 車から飛び出したフランカに、俺も続く。
 ――直後。
 隕石のように降って来た何かが、朧車を叩き潰した。
 その衝撃で、煙幕が晴れる。
 朧車を踏み潰したのは、Yシャツにジーンズの少年。そのスカした西洋人は、詰まらなそうに俺達に目をやる。
 ……ザフキエルとの、リンクを切った。今は、俯瞰よりも眼前に集中しなければ。
「グレーミィを渡せ」
 イオタは、端的に目的を告げた。
 無論、大人しくそれに応える俺達ではない。
「やなこった、お前に斃して行かせて貰う!」
「オレを斃す……どうやってだ?」
「こうやってだよッッ!!!!」
 間合いを詰め、本差での居合を放つ。
 同時に、反対側ではフランカが拳を振り被っていた。
 この挟み撃ちで、イオタを打倒する――
「――もう1度問うが。どうやって、だ?」
 はず、だった。
 俺の刀と、フランカの拳。その双方はイオタの直前で、見えない壁に阻まれたかのように動きを止められている。
「――ッッ!!!?」
 何の気配も動作もなく、イオタは俺とフランカを弾き飛ばした。
 フランカが、地面に転がる。間髪入れずにクリス・ザ・カーが突っ込み、彼女の身体を轢いて行く。
 クリスはステアリングを切り、俺に襲い掛かるが――復活した朧車が正面衝突して、それを阻止した。
「……ッ、悪い!」
 さすがに朧車もクリス・ザ・カーも、今の激突で限界だろう。俺とイオタは、愛車の召喚を解除する。
 ……にしても、さっきのはサイコキネシスか? 信じてなかった訳じゃないが、実際に使われると愕然としてしまう。
「サマナー・大塚」
「……うわッ!!? 後ろから話し掛けんなよ……ってか、お前無事だったのか。思いっ切り轢かれてたけど」
「あの程度では、私のボディに大きな損傷を与える事は出来ません」
 超能力で身体能力が強化されているのか、イオタは飛ぶように間合いを詰めて来る。
 伸びやかなミドルキック。蹴り足自体は躱したが――音速を超えた一撃による空気の荒波が、俺達を呑み込んで引き千切らんとする。
「ぐぉ、あああ……ッッ!!!?」
 冗談じゃない、こんな奴とまともに闘ってられるか……!
 ポケットから、懐中時計を取り出す。
 俺はその針を合わせ、仲魔に助力を請うた。
「召喚――魔獣ケルベロスッッ!!!!」
「――その隙を、見逃すと思うか?」
 ケルベロスを喚ぶ間の無防備を狙って、イオタが俺に向かって来る。
 だが、その攻撃は成功しない。フランカが横から蹴り付け、イオタを崖下に叩き落した。
 しかしそれも、余り効果はなかったか。すぐにイオタは、道路上へと戻って来る。
 ……でも、今ので分かった。
 奴はサイコキネシスで攻撃を止めたが、それは任意発動なのだ。不意打ちは防げない。
「行くぞ、ケルベロス!」
「まったく毎度毎度、おかしな敵と縁があるな……」
 ケルベロスに跨り、俺はイオタと対峙する。
 魔犬が、紅蓮の炎を吹き出す。しかしイオタが掌を翳すと、燃える吐息は奴の身体から逸れて行った。
「――お返しだ」
 イオタの手の中で、火が点った。
 奴が振り被って投じると、それは炎の大嵐と化して俺達に襲い掛かる――!
「うおおぉぉおおおおッッ!!!?」
 悲鳴を上げる俺を背に、ケルベロスが跳躍。
 視界を覆い尽くす程の火勢を、どうにか跳び越える。フランカもいつの間にかケルベロスの尻尾を掴んでおり、共に難を逃れていた。
「――……」
 ケルベロスの吐息と、イオタのパイロキネシス――その双方により灼熱地獄と化した地上で、イオタは電子辞書のような物を取り出した。
 ――まさか、COMPか!?
「来い――天使パワー」
 召喚に応え、2体の天使が出でんとする。
 それは天の通路を守護し、悪魔を迎え撃つ第六位の能天使。剣と盾を持ち身体を鎧った彼等が、魔法陣の中から顕現した。
「その隙を、見逃すと思うかぁぁああああッッ!!!!」
 俺はケルベロスに跨ったまま、上空から降下。
 悪魔召喚の間隙を突き、九字兼定の一刀にてイオタを狙う。
「――脳天から真っ二つだッッ!!!!」
 だが。
 真っ赤に焼けたコンクリの破片が、サイコキネシスによって次々と放たれた。
「うお……ッ!?」
 俺とケルベロスは、身体を捩ってそれを躱すのが精一杯。
 とても、攻撃になど転じられない。ちなみに、しがみ付いているフランカにはガスガスと命中していたが、さすがにそこまでは面倒見切れなかった。
「――……」
 着地する。
 俺は普通の人間なので、焼けた地面には降りられない。なので、ケルベロスに乗ったままだ。
 ……フランカは、何でもないかのように地に立っているが。
「我等は、法の尖兵――」
「――悪魔を一掃し、この地に千年王国を築き上げん!」
 パワー2体が、俺達に襲い掛かる。
 ああもう、鬱陶しいったらありゃせんわッ!
「――ハァッッ!!!!」
「おおっと!!?」
 振るわれた剣の一閃を、頭を下げて避ける。
 パワーはケルベロスの前足による打撃を、盾を使って受け止めた。
「ぬ……? 誰かと思えば、貴様は以前地獄を荒らしていたという小僧か!」
 ……こんな連中にまで知れ渡っている俺の偉業。
 へへ、照れちゃうネ!
「命の法を犯すその方の所業、余りにも赦し難しッ!!」
「……ぬあっ、とぉッ!!?」
 パワーの攻撃に加え、さらにはイオタが援護射撃を放って来る。
 何という、仲魔と召喚師のコンビプレイ。ハヅチ辺りに見習わせたい。
 一方、フランカは――
「ハァッッ!!!! ヌゥンッッ!!!!」
「…………」
 パワーが振り回す剣を、ひょいひょいと躱していた。
 だが――彼女には、反撃する様子がない。
「おいフランカ、どしたの?」
「……何という卑劣な策略なのでしょう。私は、天使に拳を向ける事は出来ません」
 ああ、そう言えば教徒っぽい事言ってたね。
 ドイツ人だし、珍しくはないだろう。とは言え、闘えないままでは困る。
「フランカ、それは信仰ではなく逃避だ。真の教徒であるのなら――その手で彼等を、悪の召喚師の呪縛から解き放ってやれ!」
「――成程、確かにそうですね」
 フランカの拳が、パワーの胸板を貫く。
 ……何て扱い易い奴なんだ。詐欺にだけは気を付けろよ。
「じゃ、こっちもそろそろ終わらせますか――」
 パワーが突っ込んで来る。
 ――その上空から衝撃魔法が降り注ぎ、パワーを地に叩き付けた。
「ぬォォ……ッッ!!!?」
「悪いね、下っ端クン。まぁ部署が違うとは言え、上司の手で葬られるなら悔いも残るまい?」
 上空のザフキエルが、さらに魔法を放つ。
 大天使の攻撃はパワーを完全に押し潰し、現界から消滅させた。
 直後――
「――ぐぉアッッ!!!?」
 イオタが放った、サイコキネシスの砲弾(とでも言えばいいのか?)が俺に命中し、ケルベロスの上から転げ落ちそうになった。
 この……せっかく、カッコ良く敵を斃したってのに!
「畜生、イオタめ!」
 怒りながら見回して――イオタの姿が、何処にもない事に気付く。
 ……身を隠したか? でも奴の攻撃は派手だから、何かする時には気配が――
「くぅあ……ッッ!!!?」
 しかしその予想は、フランカの呻きによって否定された。
 彼女の背後に忍び寄ったイオタは、その首にロープを掛けて絞め上げたのだ……!
「――ッ、この……!」
 イオタはフランカを壁にして、自分の姿を隠している。
 ……依頼人を盾にされたら、そう簡単には手出しが出来ない。
 とは言え、手を拱くつもりはない。フランカが窒息死する前に、何とかしなければならないのだから。
 良し。ケルベロスの脚力で、奴の後ろに回れば――
「終わりだ――」
 ……しかしイオタは、窒息死を待つ気すらなかったらしい。
 奴は身体を返し、フランカの首を絞めているロープを肩に担ぐ。彼女の重心の下に入り、その身体を背負い上げた。
 首を吊るされる形となり、さらにロープが喰い込む。気道が塞がれているのか、呻き声すら聞こえない。
 そして――
「――死ね」
 イオタは背負い投げの要領で、フランカを地に落とした。
 彼女は頭からコンクリートに叩き付けられ、バウンド。そのまま、崖下へと落ちて行った。
 ……言うまでも、ないだろうが。あんな攻撃を喰らって、生きていられる人間などいない。
「まずは、1匹」
「……呆れた。お前、超能力なんて使わなくても十分強いじゃねえか」
「当たり前だ。害虫を潰すのに、PSIが必要だと思うか? 状況によっては殺虫剤を使うように、PSIを使う事もある――その程度の話に過ぎんよ」
「ああ、そうかい。つーか、いいのかよ? グーミィを納めたメモリィは、あいつが持ってるんだぞ」
「構わん。協会にグレーミィが渡らなければ、それでいいのだ。奪還だろうと破壊だろうと、な」
 イオタが手首を動かすと、ロープが巻尺のように袖の中に引っ込んだ。
 もう一方の手には、例の電子手帳型COMP。それにインストールされている魔のプログラムが起動し、地に魔法陣を描く。
「くそ……!」
 止めなければ。
 ケルベロスが駆ける。真正面から行ったって通じない事は、俺も良く分かっている。
 なので本命は、ザフキエルによる不意打ち――なのだが。
「限りなく無駄だな」
 パワーを斃したのと同じ手なのだから、当然読まれてしまう。
 俺とケルベロスが吹き飛ばされると同時に、見えない壁がザフキエルの衝撃魔法を弾き返した。
「来い――!」
 ダメ元の攻撃は、やはり通じず。イオタが仲魔を召喚する。
 ……魔法陣の中から現れたのは、巨大な肉の塊。
 肉塊から、無数の触手が生えた。さらには縦に並んだ2つの目が開き、その異形の双眸で世界を睥睨する。
「――うぉれはぁ、フライング・スパゲッティ・モンスターだぁぁああああッッ!!!!」
 怪物が、咆哮した。
 ……外道FSモンスター。宇宙を創造し、人間の頭を押さえて小人にしていた神サマだっけな。
「こんなモノまで喚び出されてしまうのか、この出来損ないの世界は……」
 いや、それは言いっこなしだ。
 俺がそういう事考えると、ルイが滅茶苦茶喜びそうだし。
「頭がたぁかぁぁぁぁぁぁぁぁいッッ!!!!」
「――のわっちゃあッッ!!!?」
 俺の頭を狙って、触手が振り下ろされる。
 だがケルベロスが回避させてくれたお陰で、ペチャンコにはならずに済んだ。
「呆けるな、主!」
「っと……済まん済まん!」
 再び、触手が躍る。
 しかし狙われたのは俺ではなく、召喚した主であるイオタだった。
 ……奴は舌打ちしながら、その攻撃から身を躱す。
「何をしている、この役立たずがッッ!!!!」
「あいつ等を小さくしたらぁ、次はうぉまえの番だぁぁぁぁッッ!!!! 食卓に並ぶぅ、覚悟をしておけぇぇええええッッ!!!!」
 イオタが、FSモンスターを睨む。
 どうやら、余り仲が宜しくないようだ。
「まるで、主とハヅチのようだな」
「ケルベロス、さすがにあそこまで酷くはない……と、思うぞ?」
 若干、自分でも自信がなかった。
 事実として、ここにはいない訳だし。
「磨り潰されろ、ゴリゴリとぉぉおおおおッッ!!!!」
 FSモンスターの、触手が向かって来た。
 ケルベロスのフットワークで、それを避ける。
 上手くやれば、擦れ違い様に触手を斬り落とすくらいは出来そうだが――
「――落ちろ」
「くぅおおお……ッッ!!!?」
 イオタの超能力による射撃が、それを阻む。
 ……くそ、メンド臭いな。
 まぁ、イオタ自身が突っ込んで来ないのは好都合だが。大方、FSモンスターの攻撃に巻き込まれるのが嫌なのだろう。
 仲魔に斃される召喚師なんて、カッコ悪いったらありゃしない。
「って、やべ――」
 ケルベロスが避けた先に、別の触手が。
 これくらい普通なら躱せるのだが、イオタの援護が加わると絶望的だ。
 万事休すか、と思った瞬間――
「――ぐあッッ!!!?」
 イオタが、苦痛の声を漏らした。
 当然、援護射撃も来ない。俺とケルベロスは、FSモンスターの攻撃から逃れる。
 何が起こったのかと、目をやれば――
「……さっきは、よくもやってくれましたね」
 フランカがイオタの頭を掴んで、地面に叩き付けていた。
 イオタが、蹴りを放つ。フランカは跳躍してそれを避け、俺の傍に着地する。
 ……フランカの生還。しかし、無傷ではないようだ。
 地面に、落とされたせいだろうか。額の皮膚が剥がれ――金属装甲が見えていた。
「そんな気はしていたが、やっぱりマシンかよ……」
「――? 私がガイノイドであると、見抜いていたのですか?」
「ガイノイド……って事は、100%機械なのか。半々サイボーグくらいだと思ってた」
 さすがは、フランケンシュタインを生んだ国。
 こういう事に関しては、他の追随を許さんな。ナチスの科学力は世界一なのだ。
「気付いているのなら言ってくれれば、全力で闘えたものを」
「いや確信はなかったし、違ってたら恥ずかしいし……って、全力?」
 ウィーン、と機械的な音。
 見れば――フランカの脛の裏から、ロケットノズルのような物が現れている。
 俺のツッコミを待たずに点火。フランカはそのブースターで猛加速し、イオタの元へ突撃する。
 ……フランカの拳が、イオタに命中した。
 いかに超能力であろうと、所詮は奴の意思で発動するものだ。イオタが反応出来ない程のスピードで攻め込めば、攻撃は当然のように通用する。
「頭がたぁかぁぁぁぁぁぁぁぁいッッ!!!!」
 唖然としてた俺に、FSモンスターが襲い掛かった。
 イオタの援護はない。俺は触手を回避しつつ、本差でそれを斬断する。
「ぐぅがああ……ッッ!!!?」
「うお、うぅおおおおおおおおおおおおッッ!!!?」
 主従共にダメージを受け、苦しげに呻く。
 良し……何だか、いけそうな気がしてきたぞ!
「ケルベロス、ザフキエル――畳み掛けろッッ!!!!」
 炎の吐息と衝撃魔法が、FSモンスターに撃ち込まれる。
 下級の悪魔なら千度は死ねる、その暴虐。しかし――それでも、異形の神は斃れない。
「うぁれを焼くなぁぁッッ!!!! 茹でる物だろうがぁ、この間抜けどもめぇぇええええッッ!!!!」
 FSモンスターが、猛速で回転する。
 触手を振り回し、地獄の業火を吹き飛ばす……!
「――そう簡単にぃ、うぉれを喰えると思うなよぉぉおおおおッッ!!!!」



 一方。
 もう1つの闘いも、その熱を上げていた。
「はぁ……ッッ!!!!」
「――砕け散れッッ!!!!」
 フランカの拳と、イオタの拳が激突する。
 人型機械と、超能力者。人類の英知――禁断の果実の結晶たる2人が、その神髄をぶつけ合う。
「……ッ!」
 イオタの手が、フランカの腕を取った。
 腕の関節を極め、そのまま地面に倒そうとした――が。
「――浅慮ですね」
 ガキン、と。
 フランカは自分から、間接を外してしまった。
 間接がなくなってしまえば、関節技は通じない。人間でないフランカに、対人間用の技が通じるはずもないのだ。
「な……ッ!?」
 当然、イオタには何の手応えも返らない。
 奴に向けて、フランカの肘が突き出される。肘打ちは、骨を武器にする技であり――フランカの骨が、素直にカルシウムで出来ている訳がない。
 ――必殺の一撃。
 しかし、それは空振りした。突如として、イオタの姿が消えたのである。
 ……離れて見ていた俺には、理由が分かった。
 テレポーテーション。フランカの背後に瞬間移動したイオタが、膝で彼女を蹴り飛ばす……!
「くぁ……ッッ!!!?」
「……チッ、何て硬さだ。スクラップにするのは手間が掛かるな」
 イオタは再び、炎を放つ。
 大火の怒涛が、フランカを呑み込まんと襲撃する。
「――ッ!」
 ブースターに、火が入った。
 天に至るかと思わせる程のジャンプで、フランカは炎の大波を跳び越える。
 ……イオタが、足元の小石を蹴り上げた。
 さらに、もう一撃。蹴り飛ばされた小石はサイコキネシスによって猛加速し、フランカに向けて飛んで行く。
 ……摩擦によって燃え上がり、光り輝くその魔弾。
 フランカはブースターの推進力で、それを躱す。小石は光の残像を残し、彼女の横を通り抜けた。
 イオタは、さらに小石を放たんとする。今度は3つ。
 しかし、それを蹴る前に――
「――ぬぐァッッ!!!?」
 フランカの拳が、イオタを殴り飛ばした。
 ……打撃の間合いではない。
 しかしフランカの肘から先が腕より解き放たれ、イオタに一撃浴びせたのだ……!
「ロケットパンチ、です」
 フランカが着地する。
 キュルキュルとワイヤーが巻き取られ、彼女の腕が本来の位置に戻った。
 ……地面に倒されたイオタは瞬間移動を行い、直立した状態でフランカの背後に現れる。
 無論、同じ手は通じない。フランカは振り返りつつ、その遠心力を乗せた蹴りを放った。
 対するイオタの攻撃も、同じく回し蹴り。2人のキックは双方の狭間で衝突し、その反動で両者が弾き飛ばされる。
「は、ぅ……ッ!!?」
「……ぐぅ、あッ!!?」
 2人は呻きながらも体勢を立て直し、一瞬で間合いを詰め直した。
 凄まじい速度で繰り出される、突きや蹴りの応酬。2人の激闘は、既に音速の域へと突入していた。
「と、言うかさ……」
 もう、俺の目では残像くらいしか見えんのだけど。
 本気で追っ駆ければもう少し見えそうだが、こっちにも相手がいる。他人ばかりを気にしてはいられない。
「頭がたぁかぁぁぁぁぁぁぁぁいッッ!!!!」
 降り注ぐ、触手攻撃の嵐。
 俺はケルベロスと共に、それを躱しながら――
「――やれッッ!!!!」
 再度、攻撃を命じた。
 FSモンスターに襲い掛かる、ケルベロスの炎とザフキエルの魔法。
「焦がす気かぁ、大莫迦者どもめぇぇええええッッ!!!!」
 さっきと同じように、FSモンスターは回転して振り払う。
 しかし――
「……うぉう?」
 そのせいで、奴は俺を見失った。
 回転するという事は、こちらから目を離すという事だ。
 俺は上空から、FSモンスターを狙う。
 ケルベロスの背から跳び――さらに空中で、ザフキエルを踏み台にしたのだ。
「――おぉぉッッ!!!? 小人のくせに、うぉれの頭上にぃぃいいいいッッ!!!?」
 上から押さえ付けていた神サマは、より上には目が行かなかった。
 九字兼定の、大刀を振り被る。大上段からの振り下ろしに、重力加速を加え――
「――破ァァァァッッ!!!!」
「うぉぉおおおおああああああああああああッッ!!!?」
 防御しようとした、触手も纏めて一刀両断。
 FSモンスターは、真っ二つのまま両目を見開いている。
「終わりだ、ヘンテコパスタ野郎!」
「こ、この国のパスタは、長寿の象徴だったかぁ……? なら、短く切られたうぉれは……こ、ここまでかぁぁああああ――ッッ!!!?」
 ――爆発。
 マグネタイトの炸裂により、緑色の閃光が世界を焼く。
「まずは、1匹……!」
 さて。
 肝心の、イオタの方は――
「しゃああああああッッ!!!!」
 フランカに向けて打ち出される、蹴りの連打。
 しかし、フランカも――
「やぁぁ……ッッ!!!!」
 同じ密度の連打で、鬩ぎ合っていた。
 ……俺では、目で追うのがやっとのレヴェルである。
 イオタが、瞬間移動で消える。フランカは、背後の気配に向かって拳を突き出し――
「な……ッ!!?」
 何処からか現れた、1本の木を打ち抜いていた。
 今度こそ、イオタが姿を見せる。奴は強烈な蹴りで、フランカを上空へと打ち上げた。
「潰れろッッ!!!!」
 イオタ自身も、上に瞬間移動。
 フランカに踵落としを浴びせ、コンクリートの地面へと叩き落とす……!
「ぐ……ッ!!?」
「――トドメだッッ!!!!」
 フランカを追い、イオタも落ちて行く。
 そして――
「ハァァアアアアッッ!!!!」
「がッ、はぎ、ゃ、うぐ……ッッ!!!?」
 空中から、蹴りの連撃。
 要するに、踏み付けるのと同じだ。超能力で強化された、全体重の乗った蹴り――衝撃で道路に蜘蛛の巣状のヒビが入り、一瞬後には粉々になって吹き飛ぶ。
 ……まずいな。
 でも俺じゃ、助けに行っても役立つかどうか――
「――ようやく、捕まえました」
 フランカの左手が、イオタの蹴り足を掴んだ。
 その程度、瞬間移動なら抜けるのは容易い。
 だが次の攻撃が、イオタの反応よりも格段に速かったら――
「――ごがぁふッッ!!!?」
 いつの間にか、イオタは地面に倒れて苦悶していた。
 まるで、映像のコマが飛んだかのようだ。まぁ人間の眼とて、結局はカメラと変わらんのだが。
「……ケルベロス、今のは?」
「左手で掴んだあの男を投げ落とし、3度地に叩き付けていた。投げている最中にも、右手での突きを雨霰のように見舞っていたな」
「……サイヤ人かよ。とても、俺には真似出来んな」
「そんな弱気では困る。我の――いや我等の主人である以上、あの程度には届いて貰わねばならぬ」
 何を期待しているのだ、この犬は。
 ……ともかく。そんな攻撃を受けたのなら、イオタはもう立ち上がれまい。
 そしてフランカの方も、乾坤一擲だったのだろう。オーヴァーワーク故か、全身から煙が上がっている。
 決まりか。フランカはもう限界っぽいが、今のイオタなら俺でも斃せる。
「……サマナー・大塚。彼に、トドメをお願い出来ますか?」
「あいよ。じゃあ、美味しいところを頂くとしよう」
 人殺しの役が、本当に美味しいかどうかは謎だが。
 立ち上がろうと膝を突いているイオタに、俺は刀を携えたまま近付き――
「――はい、そこまで」
 その声で、足を止める事になった。
 ……俺は、振り返って相手を見る。
 制止の主は、俺と変わらないような少年だった。
 いや、俺よりは若いか? 中学生くらいかも知れない。
 彼は光の如き笑顔で、ニコニコとこちらを見ている。
 ……何の邪悪もない、世界の初めを思わせる表情だ。
 俺がそいつに、誰何しようとした時――
「……アルファ!? どういうつもりだッ!?」
 イオタが、先に口を開いた。
 アルファ……って事は、あれもベッカー研の出身者か?
「何のつもりとは、こちらの台詞ですよイオタ。コミュニティを通していないこの作戦は、明らかに安全保障法に違反しています。情報長官も、NROに説明を求めていますしね」
「……中央情報局CIAめ、もう嗅ぎ付けたか……!」
「ええ、情報のリークがありましたので――アメリカから、超音速機で飛んで来たんです。いやはや、時差ボケを治すヒマもありません」
 ……CIAだと?
 ははーん、そういう訳ね。
「サマナー・大塚、どういう事ですか? CIAと言えば、米帝の諜報機関でしょう――その一員が、何故イオタに?」
諜報機関15部局インテリジェンス・コミュニティの内、CIAだけは行政機関に属していない。一枚岩ではないんだな。NROが所属する国防総省ペンタゴンとは、特に仲が悪いらしいぞ」
「……内輪揉め、ですか」
「コミュニティの足並みを揃えるために、国家情報長官が新設されたんだが……まぁ、そんなにすぐ効果は出ないよなぁ」
 にしても、リーク?
 一体何処から……ああ、あの巫女の仕業か。
「さぁイオタ、引き上げますよ。見た所、敗北したようですし」
「巫山戯るな、オレは――」
「――イオタ。僕は、君を消す許可も貰って来ています。聞き分けがないようだと、それを行使しなければなりませんが」
「く……ッ!!?」
 イオタが沈黙する。
 奴は俺達を烈火のように睨んだ後、その踵を返した。
「では、改めまして。CIAのアルファと言います。イオタが、ご迷惑をお掛けしました」
「ギリシア文字の1番目――初めて造られた超能力者か」
「いえ、そうではないのですよ」
「……ん?」
「超能力者を造るには、超能力者の研究が不可欠。僕は、サンプルとしてベッカー研に入ったんです」
「ああ、そういう意味での1番目なのか」
「しかし僕の力は、世間一般で言う超能力とは違うので……何の参考にもならず、すぐにCIAへと送られたんですけどね。イオタ達のモデルになっているのは、僕の後に来たベータですよ」
 苦笑しながら、アルファは頬をかいた。
 ……その姿は、普通の子供にしか見えない。
「――……」
 だが、何だ?
 この、言葉にし難い感覚は……?
「さて、僕達は引き上げます。こちらの事は気にせず、お仕事を続けてください」
「……俺が言うのも何だが、それでいいのかよ?」
 余りにもあっさりとした退き方に、思わず問うてしまう。
 アルファは相変わらずの輝くような顔で、俺に笑い掛けた。
「はい。アドルフ・ヒトラーを復活させたいのなら、どうぞご自由に」
「……あん?」
「しかし、今のドイツでは無理でしょうね。悪魔合体の最先端、日本の東京でなら可能かも知れませんが」
「ちょっと待て、お前――」
 言っている事がおかしい。
 まるで、ヒトラー復活を望んでいるような口振りだ。
「ヒトラーが復活すると、CIAに得でもあるのか?」
 クーメーカーCIAになら、あってもおかしくはないが。
 しかし返って来た答えは、諜報活動とはまったく無関係だった。
「フフフ……僕自身に、得があるのですよ」
「……何だと?」
「それでようやく、東京を滅ぼすための大義名分が立ちますからね。前は何故か――本当に何故か失敗しましたから、今度こそ成功させないと。この世界に、我等が望む未来を招くために」
「――……」
 嫌な感覚が、さらに強くなる。
 ……俺は今、聞いてはならない話を聞いているのか?
 何を言えばいいか分からず、俺は奴の名を呟いていた。
「アルファ……」
「僕はアルファですが、同時にオメガでもあります。では大塚蓮、ルイに宜しく」
 微笑みを向けながら、アルファは姿を消した。
 いつの間にか、イオタもいなくなっている。お得意の瞬間移動だろうか。
「――……」
 ルイに宜しく、ね。
 まさかこんな仕事で、その名を耳にする羽目になるとは。
「……サマナー・大塚?」
「行くぞフランカ、敵は排した。後は、運ぶだけの楽な仕事だ」



 四角い、建物が見えた。
 横には柱が立ち、ドイツの国旗が風に乗って揺れている。
 東京都港区南麻布4-5-10――ドイツ大使館。
「着いたーッッ!!!!」
 朧車の中から、飛び出した。
 すぐに敵を倒したので、思ったよりは早く到着したが……それでも、数時間に及ぶ長旅である。そりゃあテンションも上がるってもんだ。
 狭い車内で固まった身体を、うーんと伸ばす。そんな俺を見て、フランカが言った。
「人間の身体は不便ですね。そうやって、すぐに不調が出てしまう」
「うるしゃい。……つーかとっくに受付時間過ぎてるんだけど、大丈夫なのか?」
 1日に3時間しか開かないんだから、当然と言えば当然だが。
「問題ありません」
「……あっそう。じゃ、俺はここまでだな」
「はい。……ところで、サマナー・大塚。あの、アルファという諜報員は――」
「あいつの言った事は忘れろ。一字一句、余さずにな。世の中には人が聞くべき言葉と、そうでない言葉がある」
「私は人ではありませんが」
「人の形をしていて、人に混じって暮らしてるだろ。人間ごっこを続ける限りは、人間として扱われるんだよ」
「…………」
 フランカが、黙り込む。
 どうしたんだろう、と俺が気に掛けると。
「それは、御自分の事でしょうか?」
「……お前、ズバッと切り込んで来るね」
「いえ、そんなに大した事では」
「一応言っておくが、褒めた訳じゃないからな」
 こんなベタなツッコミをさせるでない。
 ……最初っから最後まで、どっかズレた奴だな。まぁロボだしな。
「確かに、俺自身の事でもある。お前の言った通り、俺は永く生きるかも知れないし」
「知れない、なら私とは違いますね。私は、確実に永い時を経るでしょうから」
「分からんぞ。お前の『永遠』は、トゥーレ協会によって維持されているものだ。なら、協会が潰れたらそれまでだろう」
「別に、トゥーレ協会でなくても良いのですが。私のメンテナンスくらいなら、他の組織でも出来るでしょうし」
 ぬ、ぶっちゃけたな。協会以外の組織でも構わんとは。
 ……組織によって、フランカの『永遠』は維持される。なら俺の『永遠』は、何によって維持されるのだろう?
 いやまぁ、永生きすると決まった訳じゃないけどさ。
「ふむ。もしかしたら俺達、未来では肩を並べているかも知れんな。永生組、みたいな感じで」
「激しく遠慮します」
「……言うとは思ったが、本当にアッサリと言いおって」
 やれやれ。
 まぁいいや、詰まらないが仕方ない。
「じゃあ、さよなら。次会う時も、敵じゃない事を祈るよ」
「ええ、私もそう願います。それがすぐになるか、未来の彼方になるかは分かりませんが」
 フランカは、形だけの礼をした。
 俺に背を向けて、大使館へと歩いて行く。
「――……」
 それを見送った後、俺は回りの景色に目をやった。
 ――東京。
 悪魔召喚プログラム発祥の地。故に悪魔関係の技術では、他の追随を許さない。
 ……この魔都東京に、異常な執着を示している連中がいる。
 余り、長居はしたくない。いつ何が起こるか、知れたものではないのだ。
 さっさと引き上げよう。東京の事については、ここのサマナーに任せておけば良い。
 朧車に乗り込む。ポルシェ356Cの座席に身を委ね、ドアを閉めた。
「東京を滅ぼす……ね」
 ……しかし考えるのは、そんな事ばかり。
 望む未来を招くって、何だろう? 以前の失敗とやらがなければ、その未来が訪れていたのか?
 アルファ、そしてルイ・サイファー……奴等は一体、どんな世界を望んでいるというのだ。
「巫山戯やがって……この世界は、チェス盤と同じかよ」
 とりあえず、抵抗はしよう。
 俺じゃあヒーローは務まらんが、水面に波紋を立てるくらいは出来るはずだ。
「……うん、何かやる気が出て来た」
 気を取り直し、出発する。
 朧車が道路に出た時、1台の車が猛スピードで追い越して行った。
「ぬわっ、何だよまったく――」
 ――エンジンの回転数が跳ね上がる。
 アクセルペダルが底まで踏まれ――無論、俺が踏んでいる訳ではない――朧車が加速する。
 それはまるで、あの車に対抗するかのようであった。
「ちょ――ま、待てッッ!!!? 何でこんな所でテンション上げちゃってんのッッ!!!?」
 ヤバいって!
 お前、前に暴走したせいで俺に退治されたの忘れたのか!
「く――!」
 ブレーキを踏む。
 しかし返って来るのは、スカスカとした反応のみ。勿論、朧車がスピードを緩める事はない。
「落ち着け朧車! 何をそんなに――って、あれはポルシェ・ケイマンッ!!? お前はそれで対抗意識を燃やしてやがるのかッッ!!!!」
 ひぃぃ、後ろから白黒のピーポー車!
 朧車は、迷わず空気砲を撃ち放つ。何台ものパトカーが、纏めて宙を舞った。
 嗚呼……ネタで教えた技が、こんな惨事を招くとは!
 1人の警官が、車から転げ落ちる。それでも諦めず、停めてあったママチャリで追って来る。
 ……何故か、パトカーよりも速い。
 ケイマンを追い越すか、ママチャリに追い付かれるか――未来は、その2つしかないようだ。
「うわぁぁ、誰か助けてえーッッ!!!!」
 思わず、悲鳴を上げた。
 ……無論助けが現れる事もなく、景色は後ろへ吹っ飛んで行く。




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