――宮丘コロネは、悪魔を視る事が出来る。 幼少の頃より、彼女は人ならざる者を捉える事が出来た。天地で躍る妖精や地霊を、知己とする事が可能だった。 ……けれどもそれは、コロネのみに与えられた才。周囲には決して理解されず、孤立・孤独が深まってゆく。 ある日、彼女は自分と同じような少女が主人公の漫画を読んで――ようやく、己が特別である事を理解した。 それからは簡単である。コロネはその主人公と同じく、自身の能力を隠してひっそりと生きて行けば良かった。 ……しかし真の姿を知らずして、真の友にはなれない。 現在、彼女が友と呼べる人間は2人。たった2人と言えばたった2人だが、それでも充分ではある。 1人は、クラスメイトの少年。 彼はコロネの異能を知ってはいるが、信じている訳でも信じていない訳でもない。要は、どうでも良いと思っているのだろう。 ……そして、もう1人は――
事の起こりは、数時間前。 海尊にやられた鬱憤が晴れぬハヅチが、アルカディア名物の四段パフェを暴食していた時である。 そのパフェの代金とか、さらにはハヅチを受肉させ続けるためのコストとか――そんな事に頭を悩ませていた俺が、遂に諦観の境地へと達した際。 「あー……そういや、そろそろ復学も考えないとなぁ」 などと、ふと思ったのだ。 俺は何かトラブルがある度に、アルカディアへと転がり込んでいる。今回のように、長期の滞在となるケースも少なくない。 そういった場合、俺は近所の高校に通う事にしていた。休学と復学を繰り返す事になり、随分と格好が悪いのだが。 つーか、もう別に学校教育とか受けなくてもいいんだけど……まぁ、何と言うか。いくら修羅でも、剣だけでは生きて行けないのだ。 ……で、俺が呟いた直後に。 「ああ、蓮君。そろそろ言い出すんじゃないかと思って、手続きは済ませておいたよ。今日から復学さ」 マスターが、そう言い放った。 「……ええっ!!?」 あ、相変わらず人智を超えた御仁だ。 そりゃ、俺の復学は毎度の話だが……だからって、今日ピッタリってどういう事よ? 「ありがとう、御座います……」 とりあえずお礼。 ……ニッコリと微笑む、謎マスター。 と、いう訳で―― 「えー、大塚蓮です。また宜しく」 俺は、春神高校2年D組へ、復学したのであった。 クラスメイトからは、特に反応なし。『ああ、またか』みたい感じである。 ……最初の頃は、皆面白がってたんだけどねえ。 席に就く俺。ホームルームが終わり、先生が教室から去って行く。 「よう蓮、久し振りっ」 バンッと、俺の後頭部が叩かれた。 身体を仰け反らせて、後ろを見る。俺よりも身長が高い男が、笑いながらこっちを見ている。 「失礼ですが、どちら様でしょうか?」 「……お前、復学する度に同じ事言ってるよな。マンネリは良くないぞ?」 む、確かにそうかも知れぬ。 浅薄だった。次からは、新しいネタを用意しておくとしよう。 「気を付けるとするよ。それにしても、久し振りだなー」 この男――五十嵐勇人は、比較的俺に近しいクラスメイトだ。 俺が不良に絡まれていた時に颯爽と現れ、鍛え上げたボクシングを武器に加勢してくれた、正義感溢れる男である。まぁ最終的には、バテた勇人に代わって俺がボコボコにしたんだけど。 んで、勇人を通じて知り合ったのが―― 「ほら宮丘、王子様が帰って来たぞー」 「お、王子様って……!」 勇人の戯言にアタフタしている、宮丘コロネである。 ……初めて名前を聞いた時、思わず『美味しそうだなぁ』と呟いて勇人に大笑されたりした。宮丘は真っ赤になっていた。 『名前の話だ、馬鹿ども!』――と、俺は勇人にリアルファイトを仕掛けたりしたものだ。 「え、えーっと……久し振りだね、大塚君」 「ああ、久し振り。元気に暮らしてたかー?」 「う、うん。何事もなく」 「それは良かった」 こっちは色々と大変だったが、知人が息災となれば報われる。 平和維持活動の、甲斐もあるというものだ。 「んで、どうすんだ?」 ニヤニヤしながら、勇人が言う。 「……何がだ?」 「剣道部だよ。お前が復学したとなれば、また勧誘に来るぞ」 「ぬ……」 ……俺は、剣道部に気に入られている。 昔仮入部した事があるのだが、その時に眼を付けられたようだ。何とか俺を引き入れようと、あの手この手で迫って来るのである。 「でも大塚君、どうして剣道部の誘いを断ってるの? 興味があるから、仮入部したんでしょ?」 宮丘が、首を傾げながら俺に尋ねて来た。 確かに、興味はあった。興味はあったんだが―― 「やっぱり……ダメなんだよ。こう、脛打ちしたり、防具の隙間を突いたりしたくなるんだよねえ」 実戦流派を学んだ人間の、悲しい性であった。 剣道は、相手を殺すためのものではない。その辺が、俺には合っていないのだ。 「それが建前で、本音は?」 「紅柳先輩が超恐い」 勇人に問いに、反射的に答える俺。 紅柳先輩とは、女子剣道部の3年生だ。幾度も大会で優勝した、実力者――なのは良いのだが、問題はその気質にある。 彼女と対戦した剣士は、皆が口を揃えて『殺されるかと思った』と語るのだ。凄まじいトラウマを植え付けられ、2度と剣道が出来なくなった選手もいるらしい。 試合を、何度か見たが――確かに、外野の俺でさえ鬼気迫るモノを感じた。先輩の相手がどれ程の殺気を受けているのかは、想像したくもない。 ……ぶっちゃけ、剣道家としてはアウトだと思う。彼女には、交剣知愛の欠片もないのだから。 とは言え、果てしなく強い事は確かだ。以前、その強さの秘密を訊いてみた事があるのだが――彼女は微笑みながら、『好きこそ物の上手なれ、ですよ。流血のない斬り合いも、それはそれで楽しいですから』と答えたのであった。 ……完全に、人斬りの言動である。 凄まじい恐怖を感じた俺は、今後一切剣道部とは関わらぬ事を誓ったのだ。男子と女子は別の部だが、人数少ないから一緒に稽古するらしいし。 「紅柳先輩、そんなに恐いかねぇ? 俺としては、あーいう美人と1度でいいからお付き合いしてみたいなー」 「何だ勇人、自殺願望でもあるのか? そうでないのなら止めておけ、あの人マジ剣鬼だから」 ハハハ、と笑う勇人。 比喩か冗談か、とにかくその類だと思われたらしい。平和な脳味噌してやがる。 「じゃあ蓮、ボクシング部に入るってのはどうだ? 別の部に入っちまえば、剣道部に誘われる事もないだろ」 「ハァ? パンチだけで闘うとか馬鹿じゃないの?」 「――やっぱお前はブッコロスッッ!!!!」 放たれる、左のジャブ。 俺は机の上に倒立して躱し、腕力で跳ぶ。教室の後方、机が並んでいないスペースに着地。 勇人が床を蹴り、間合いを詰めて来た。 「拳のみを鍛え上げる事で、どんな奇跡のパンチが生まれるか――その眼に見せてやるッ!!」 「ハッ、笑わせるわ素人がッ! 徒手空拳の神髄は組み技に在ると教えてやろうッ!!」 「ちょ、ちょっと2人ともーっ!!?」 宮丘がオロオロしているが、もう俺は止まるつもりがない。勇人も同様だろう。 「うらぁぁあああッッ!!!!」 重なる気合。 数分後――1限目の担当である数学教師・氷室先生が、ロシア人の祖父から教わったという軍隊武術で俺達を鎮圧するまで、漢同士の決闘は続いたのであった。 「くそ……暴力教師め。PTAに訴えてやる」 数学の終了後、半泣きの勇人が俺の元にやって来た。 ちなみに、俺と勇人には1限目の記憶がない。気絶していたとも言う。 「五十嵐君、最近は体罰の問題とか色々とややこしいから――」 宮丘が、苦笑いで勇人を宥めている。 ……いやでも、どうだろう? いくら指導のためとはいえ、生徒に軍人仕込みの技を見舞うのは本当にどうかと思う。 相手が俺と勇人じゃなかったから、一体どうなってた事やら。あるいは、俺達だからこその行為なのか。 「……氷室先生の乱入がもう少し遅かったら、突き手に跳び付いて腕十字に持って行けたのに」 「馬ッ鹿、あのパンチはフェイントだ。それが読めてなかった時点で、お前の大敗北超決定ッ!」 「あー、はいはい。で、次の授業は何だっけ?」 復学して初めての授業を、気絶で過ごす羽目になるとは。 欠伸をしているクラスメイト達を眺めつつ視線を動かし、教室の前面に貼られている時間割り表を見た。 「おー、喜べ勇人。次は体育だぞ」 「その言い方だと、まるで俺が運動馬鹿のようだな」 「……う、済まん。それ以外の意味に聞こえたのなら、俺の言い方が悪かったんだな」 放たれた、左フックを避ける。 馬鹿め、視界の外から攻撃すれば当たるとでも思ったか。 「……2人とも、早く行かないと遅れちゃうよ?」 呆れ果てた宮丘の声で、慌てて準備を始める俺と勇人。 日差しが強い。 降り注ぐ陽光の中、グラウンドでは2年の体育が行われている。 「……前から思ってたんだが、古流っぽい摺り足で短距離走るのってアリなのか?」 授業中、勇人が半眼で俺に問うた。 何やら、俺の走り方に文句があるらしいのだが。 「いいじゃんか、お前とタイム大して変わんないし」 「何で変わらんのだ?」 「初速は速いんだけどねえ、その後が続かない。短距離走と言えども長過ぎる。……つーかその程度の事、見てれば分かるだろうが」 こいつは俺が走ってる間、何を見ていたのだ。 ……まぁ、考えるまでもない。 「いいなー、俺もブルマの楽園に行きてー」 少し離れた場所でやってる、女子の授業であった。 春神高校では昨今の流れに逆らい、未だに女子の体操着はブルマである。ブルーマー女史も喜んでいる事だろう。 ……宮丘が、号砲の後に走り出す。 「あ、コケた」 ちゃんと地均しされてるのに。 アレだ、きっと一種の才能に違いない。 「お、何か怪我したっぽいぞ?」 「……ぬ?」 良く見てみる。 確かに――どうやら、足を捻ったらしい。 「良し、行って来い蓮ッ!」 「は、俺? いやまぁ、心配ではあるけど」 「あれじゃ保健室行き決定だ。お前が連れて行ってやれい」 「……別に構わないが……」 そういうのって、保険委員とかの役目じゃないのか? 周りを見回す。……何か、皆が俺を見ている気がする。 何だか良く分からないが、ここは任されるのが賢そうだ。 「宮丘ー、大丈夫か?」 「……あ、大塚君」 俺が話し掛けた途端、痛そうな表情が幾分か和らいだ。 先生の指示もあり、俺が保健室に連れて行く事に。ま、そのつもりで来たんだが。 彼女に、肩を貸す俺。 「宮丘、立てるか?」 「うん……こうして肩を貸してくれれば、何とか」 「急ぐ必要はないからな。ゆっくり行くぞ」 二人三脚――とは少し違うが、とにかくそんな感じで進む。 「失礼しまーす」 保健室の、扉を開いた。 机に就いて何やら作業をしていた保険の先生が、こちらに眼をやる。 「ん? どうしたの?」 「宮丘が、足を怪我したみたいで」 彼女を、先生に診て貰う。 ……どうやら、そんなに大した事はないらしい。湿布か何かを、宮丘の足首に貼っている。 しかし念のため、宮丘は保健室で休む事になり―― 「……ふ、2人っきりになっちゃったね」 「ん、そうだな」 俺が、付き添いとして残された。 先生は、事の次第を伝えにグラウンドへと出向いている。去り際の、『若い者同士でごゆっくり♪』という台詞が謎だ。 ベッドに寝ている宮丘が、小さな声で言う。 「お、大塚君……その、ありがとう」 「どういたしまして。友達だしな、当然だろう」 「……そうだよね、友達だもんね……」 ぬ……? 何だろう、気になる声色だ。喜と哀が混在している。 「あ、あのね大塚君。私達って、それなりに仲が良いよね?」 「ん? まぁ、良いな」 「それで、私から1つ提案があるんだけど……私達、下の名前で呼び合うっていうのはどう?」 「下の名前?」 蓮、コロネ――そういう風にするって事だろうか。 ……そうだなぁ。イライザや弥生みたいな悪女どもには名前で呼ばれてるのに、善良な宮丘からは名字で呼ばれるというのは、考えてみれば面白くない。 「ダ、ダメかな……?」 「いや、構わん。むしろ、こっちからお願いしたいくらいだ」 パァ!!! と、彼女の笑顔が輝いた。 名前で呼び合うのは、そんなに嬉しいのだろうか。名字が好きじゃないとか? 「じゃ、じゃあ、れ、れ――」 蓮君、と言いたいのだろう。 しかし慣れないせいか、恥ずかしそうに口篭っている。 「無理をしなくてもいいんだぞ、コロネ」 「――っ!? う、え、あ……」 さらに、顔が真っ赤になるコロネ。 どうしたと言うのだ、一体。 「慣れるまでは、大塚のままでも何でもいいさ」 「う、うん……でも、私が言い出した事なのになぁ……」 コロネは布団を引っ張って、顔の半分を隠す。 クリクリとした瞳だけが、こちらを見ている。 「しっかし、お前もドジだよなー。短距離でコケるだなんて」 「それは……少し、考え事をしていて……」 何となく振った話だったのに、返って来たのは沈んだ声だった。 ……これは―― 「何か、あったのか?」 「……うん……」 コクリと、コロネが頷いた。 ……彼女には、人ならざる者が視える。 しかも修行で見鬼の能力を得た俺とは違い、生まれ付き視る事が出来たらしい。魂に、それだけの天才が備わっているという事だ。 けれどもその才能故に、色々と大変な目に遭ったんじゃないかとも思う。 「最近、頭の中で誰かの声が聞こえるの。ケタケタと笑う、女の人の声が」 「頭の中で……?」 じーっと、コロネを視る。 彼女は何だか居心地が悪そうに、布団の中でもそもぞと動く。 「……憑かれてる様子はないよなぁ。となると、誰かが念話で語り掛けてるのか?」 「念話って、テレパシィ?」 「まぁ、そのようなもんだ。相手が何者か、心当たりは?」 「……ううん、全然」 「そっか……」 どうしたものかな。 専門家なら、もう少し詳しく分かるのだろうか? こんな時、殺す壊すしか能のない己が怨めしい。 「この場では、何とも言えんか。しばらく、様子を見るしかなさそうだ」 「そう……ありがとう、話を聞いてくれて。少し、楽になったかも」 「……相談するだけで楽になるなら、勇人に話せば良かったろうに」 苦笑して、コロネの言葉に答える。 あいつには、俺やコロネとは違って特別な能力はない。それでも、友人である事に変わりはないのだ。 「そうかも知れないけど……五十嵐君に、心配掛けちゃうだろうから」 「……ま、確かに」 前述の通り、勇人に特別な能力はない。 よって、奴に出来るのはただ心配する事のみだ。 勇人は何も出来ず、ただ悩み苦むだけ――それを、コロネが許容出来るはずもない。 ……けれども勇人からすれば、自分にも相談して欲しいだろう。この辺りの擦れ違いが、友情というものの数少ないデメリットの1つである。 「しっかし、役立たずなのは俺も同じだけどなー……」 パパッと魔法のように、解決策を出せれば良かったんだが。 残念ながら――俺は、そこまで器用ではなかった。俺にとってもコロネにとっても、残念な話だ。 「そんな事ないよ。私、大塚君にいっぱい助けられたんだから」 「んあ?」 「私達が、お互いの能力を知った日の事とかね」 「お互いの能力……ああ、あの時か」 とある日。 学校の退屈な授業中、俺はボケーっと外を眺めていた。空を漂っている幽霊の類が視えたので、何となく眼で追っていたのである。 んで、ふと気付くと――俺の席の近くに、同じように視線を動かしている女の子がいたのだ。 ……まぁ言ってしまえば、それだけの話なのだが。 「助けられたって、どういう事だ?」 「だって……こういう力を持ってるのが、私だけじゃないって分かったから。凄く安心したの」 「そんなもんかね……望んで力を得た俺としては、想像するしかない不安だなぁ」 「お坊さんだったんだっけ、大塚君」 「そう。物心付く前から、門前の小僧だったよ。多分、何かの都合で御山に預けられたんじゃないかな」 つーか、捨てられたんだと思うが。 刺激的な話をするのもアレだから、言わないでおく。予想を述べるだけなら、何を喋っても嘘にはならないし。 「まるで、鞍馬山の寺に預けられた源義経みたいだね」 何だか楽しそうに、コロネが笑う。 ……美化し過ぎである。 「あー……でも、天狗に剣の稽古を受けた事ならあるぞ」 「え? 鞍馬天狗に?」 「いや、鞍馬山にいた訳じゃないから。信功宗の御山は、弘法大師聖誕の地――四国香川の讃岐にある。んで、あの辺りを根城とする天狗のボスが、夜な夜な配下を遣って俺に剣技を教えたんだよ」 ベースは、師から習った剣覚流だが。 ……しかし今思うと、良く飽きもせずに教えてくれたものだ。白峰山からの出張、御苦労様といった感じである。 けれども連中の目的は未だに謎なので、素直に感謝するのもどうかと思う。きっと、ロクでもない事なんだろう。 「御山、と言うからには聖地なんじゃないの? そんなに、天狗がポンポンと入って来れて大丈夫なのかな?」 「同感だが……天狗は山の民だし、しかも相手はボスだし、仕方ないような気もするな。まぁ信功宗総本山は、自然の山に開かれている訳ではないんだけど」 「……ほへ?」 ぽかん、とするコロネ。 「ニルヴァーナ・グループっていう、多国籍複合企業を知ってるか? 讃岐に、グループが建てたビルがあるんだが」 「う、うん。日本初の超々高層ビル――チトール・タワーでしょ? どうして首都以外にそんな物を、って話題になったんだよね」 「その理由は簡単だ。グループは真言信功宗の表の顔であり、チトール・タワーは仏僧達が日々修行に励む御山だからだよ」 「…………」 あ、絶句した。 信じられんのも無理はないが……もし信功宗が普通の山に寺を開いてるんだとしたら、とっくに俺が焼き討ちしている。 ……だが高さ1000メートルを超える超々高層ビルが相手では、手の出しようがない。 あれは最早、1つの都市として機能している。いくら俺が悪魔の軍勢を従えていても、都市を攻め落とすだなんて出来る訳がないのだ。 「そんな、無茶苦茶な……」 「一般的な視点からすればそうなのかも知れんが、タワーで育った俺からすれば他宗の山に違和感がある」 「……あ、あはははは……」 困ったような表情をし、乾いた笑いを漏らすコロネ。 ……と、その時だった。 ガラガラ――とドアが開き、人が入って来る。先生が帰って来たのだ。 しかし、それだけではなく―― 「……お、勇人?」 先生の後ろには、勇人がいた。 しかも奴は、クラスメイトの女子をお姫様抱っこしている。 「何だよ、授業を抜け出して逢引か?」 「ケッ、その通りだったらどんなにいいか……つーか、先生同伴で逢引なんてするかボケ」 「じゃああれか、日射病で倒れたそいつを運んで来たとか?」 常識的な考えを、述べてみる。 ぶっちゃけ、俺はこれが正解だと思ったのだが……勇人は、肯定とも否定とも取れる曖昧な顔をした。 「……急に倒れたってのは、確かなんだけどな――」 傍のベッドに、その女子を寝せる勇人。 俺は、彼女に眼をやった。コロネも身を乗り出して、隣のベッドを覗く。 「……へ?」 明らかに、日射病ではなかった。 その女子は――気持ち良さそうに、スヤスヤと眠っていたのだ。 「……いきなり眠っちゃう病気って、あったよね」 授業が終わった後の、放課後。 コロネが、考え込みながら呟いた。 「何ていったけ、えっと……ナ、ナル、ナルキッソス?」 「ナルコレプシィ、って言いたいのか?」 「そう、それっ!」 俺の指摘を聞いて、彼女はポンっと手を打った。 ……ナルコレプシィ。日中、強烈な睡眠発作に襲われる病気だ。 発症率は、0.2%以下。極めて珍しい病気であるため、なかなか研究も進んでいないらしい。 しかし成程、ナルコレプシィか……その可能性はあるかも知れない。 「じゃあ、その……ナルコナントカとやらが、あれの原因なのか?」 勇人が、とある席を見た。 その席に座るべき生徒は、保健室に運ばれて以来戻って来ていない。 ……今もまだ、保健室で眠っているんだろうか? 「俺は医者じゃないから、何とも言えんな。様子、見に行ってみるか?」 コロネも勇人も、頷いた。 帰り支度を中止して、保健室へ。 入室し、ベッドを見ると――そこに彼女の姿はなく、別の生徒が眠っていた。 もしや彼女は回復したのか、と思った俺達だったが―― 「彼女は、病院に送ったわ」 そんなに、簡単ではなかった。 俺達は、保健室の先生と向かい合う。 「あの、先生。あれってもしかして、ナルコレプシィじゃないんですか?」 俺は俺達の予想を、先生に進言してみた。 ……しかし。 「先生も、最初はそう思った。睡眠発作に、REM睡眠への急速な移行――この辺りは、ナルコレプシィっぽいんだけどね」 「何か、違う点が?」 「病気っていっても結局はただの睡眠だから、起こせば起きるはずなのよ。そう思って、呼び掛けたり頬を軽く叩いたりしてみたんだけど――」 「……目を、覚まさなかった?」 「ええ。眼球の運動を見るために、目蓋を持ち上げたりもしたわ。さすが起きるかと思ったけど、それでも目を覚まさなかった」 「もしかして、昏睡してるんじゃ?」 「それはない。覚醒はしなかったけど、刺激にはちゃんと反応していたから」 「――……」 「ナルコレプシィだとは考え辛い。仮にナルコレプシィだとしても、何か別の睡眠障害を併発している可能性が高いわ。とても養護教諭の手には負えないから、病院に連れてったって訳」 何やら、想像していた以上の大事であるようだ。 ……勇人が恐る恐る、ベッドで寝ている生徒を指差す。 「じゃあ先生、もしかしてこいつも……?」 「これから、病院に一っ走りする予定よ。同じ症状の患者が短い期間で複数現れたとなると、伝染びょ――……いえ、何でもないわ。聞かなかった事にして」 「…………」 無理である。 伝染病……か。だとしたら、人が密集している学校は極めて危険だな。 だが睡眠障害を引き起こす病原体なんて、果たして存在するのだろうか? まさかこれは、何らかの魔法では―― 「ところで宮丘さん、大丈夫? 何か、顔色が悪いみたいだけど」 先生が診察するかの如く、コロネを見る。 ……改めて見ると、確かに具合が悪そうだ。教室で話してた時には、普通だったのに。 「あ、はい。大丈夫です、心配しないでください」 愛想笑いを浮かべながら、コロネが返答する。 大丈夫じゃないのは、誰が見ても明らかなのだが――彼女の口調には、形容し難い拒絶の気配があった。 ……とても、口を出せる雰囲気ではない。 「そ、そう。なら、いいんだけどね……」 納得し切れない様子でありながら、しかし何も言う事が出来ず、先生は引き下がった。 ……コロネは俺と勇人の方を向き、いつものように笑い掛ける。 「さぁ、帰ろうよ」 「んで、宮丘は一体どうしたんだ?」 アルカディアへの、帰路。 コロネと別れた後に、勇人の奴がそんな事を尋ねてきた。 「どうしたって、何がだ?」 「とぼけんなよ、アホ蓮。何か知ってんだろうが」 「まったく心当たりはないな」 コロネの意思を尊重し、勇人には何も教えない。 あと、アホ蓮言うな。中国のシャーマンみたいな発音になってるじゃまいか。 「……ちぇー。いいよな、お前等は。秘密を共有出来て。何か俺も、スゲー能力とかあったらなぁ」 「能力者ならではの悩み、っていうのもあるんだぞ?」 「悩み苦しむのはどんな人間のどんな人生でも同じだろ。ただちょっと、そのカタチが違うだけで」 「それは確かに。……つーか、勇人のくせに何真面目に語っちゃってんの? キモッ、うわキモッ!! 鳥肌立って来たっ!!」 「……やはりお前とは、1度決着を付けねばならんようだな……」 そんな話をしている内に、別れ道。 俺は右、勇人は左だ。 「じゃあな。どんな相談受けたのか知らんけど、ちゃんと力になってやれよ」 「だから、心当たりはないと言っておろうに」 「はいはい。また明日なー」 ヘラヘラと笑いながら、去って行く勇人。 俺は遠くからその背中に、指で『アホ』と書く。満足したので、俺もアルカディアへと歩を進めた。 「ただいまー」 「ああ、おかえり」 新聞を広げながら、マスターが俺の言葉に返してくれる。 相変わらず、店内は閑散としていた。イライザがセカセカと動いているが、実際は大して何もしていない。 多分、働いてますよ的なアピールだ。そんな事したって、客が来る訳でもないと思うがなぁ。 「……で、こいつは何をしてるんだか」 ソファの上では、ハヅチがぐでーっとした感じで寝ていた。 寝るならマグネタイト使うなー。こいつはどういう訳かCOMPでの命令を無視出来るので、強制的に送還させられないのが痛い。 俺は自分の部屋に荷物を置いて来ると、用心棒稼業に戻った。店自体が流行ってないので、俺の出番はなかなか来ないのだが。 「…………」 考えるのは、コロネの事だ。 頭の中で、聞こえる声――憑かれている訳ではない。 あの場では念話の可能性を挙げたが、それも何だかしっくり来ないなぁ。 例え念話であっても、誰かが話し掛けている事に変わりはないんだ。頭の外からではなく、頭の中から――そこが、腑に落ちない。 まぁ、そんなもんは言葉の綾かも知れんが……。 「うーん……」 やはり、誰かに協力を仰ぐべきだろうか? マスター……は、ダメだ。信用ならない。 あの人は王者の法への道を啓くために、自分の心まで削り落として材料にしたような人間だ。最悪の場合、コロネを炉に放り込まれかねない。 となると、その下僕であるイライザも当然ダメだ。 「――って痛ァッ!!?」 いきなり、イライザに殴られた。 ただいつもとは違って、俺の首が折れたりするような事態には至らなかったが。 「きゅ、急に何だよっ!!?」 「……何だろう。良く分かんないけど、ムカついたから殴った」 理不尽だ。理不尽極まりない。 俺が涙目で睨み付けると、奴は自分でも納得いかないといった表情で、仕事に戻って行った。 ……ホントに何なんだ? (ま、それはともかく……) 例の、睡眠障害。 少し、タイミングが良過ぎる気がする。もしかしたら、コロネのそれと何か関係があるのかも知れない。 ……もしかして、コロネもあんな風に眠ってしまうんだろうか……? 「――……」 俺としては、どうにかして解決したい。 けれど――何をどうすればいいのか、まったく見当が付かないのだ。それが、もどかしくて仕方がない。 一夜明け、俺は再び学校へと登校した。 ……教室には、空席が多い。来ている生徒も、皆眠そうにしている。 「おい、何かヤバくねえか?」 勇人が、ヒソヒソと話し掛けてきた。 言いたい事は、良く分かる。これはどう見ても、例の睡眠障害が拡がっているとしか思えない。 学校に来ていない人間は、きっと『寝坊』だろう。耐性のある者は登校して来ている訳だが、やはり影響は受けているようだ。 ……コロネも、今日は学校に来ていない。昨日の事もあるし、滅茶苦茶心配だ。 「ああ。ヤバいぞ、これは」 「だよな。さっき、職員室前で耳に挟んだんだが――うちの担任が、事故を起こして病院に運ばれたらしい」 「……!? 事故って――」 「学校に来る途中、車でドッカーンと。もしかして、居眠り運転じゃないか?」 「――……」 耐性のない者は、突然眠ってしまう。 それが運転中に起こった場合、どんな事態を招くかは火を見るより明らかだ。 「……これはもう、一刻の猶予もないな」 「けどよ蓮、一体何が起こって――」 「勇人、ちょっと付き合え。屋上に行くぞ」 「へ? あっ、おいっ!」 教室から出、勇人と一緒に階段を登る。 屋上への、扉を開く。廊下に、一斉に風が吹き込んで来た。 ドアを潜る俺。勇人も、後に付いて来た。 「さてと、勇人」 「な、何だ?」 「俺が休学復学を繰り返すのは、両親の都合という事になってたが――実は、そうじゃない」 「……まぁ、そうだろうな。お前、親いないって話だし。真実は、お前自身の都合って訳だ」 「その通り」 「異様にケンカ強えし、何かまともじゃない事をやってんだろうなーとは思ってたよ。んで、それはこの事件と関係あるのか?」 「今から、それを調べるんだよ」 懐中時計型COMPを取り出し、悪魔召喚プログラムを起動。 ダイアルを操作し――針を合わせる事によって、目的の悪魔を召喚する。 「お、おい、蓮? 魔法陣っぽいのが――」 「悪魔召喚だよ」 「――あ、悪魔召喚っ!!!?」 「そ。俺の仕事は、悪魔召喚師。悪魔の類が起こす事件を、悪魔を使役して解決する職業だ。毒を以って毒を制す、ってヤツさね」 マグネタイトが、仲魔の姿を形創ってゆく。 異形の悪魔が、オーヴァーテクノロジィによって受肉を果たす。 「――来い、天使ウォッチャー……!」 天の使いが、光臨する。 一つ目の天使が顕現し、俺達をその眼で見下ろした。 「で、でっかい目玉がっ!!?」 「こいつはウォッチャー。神の命を受け、地上を監視する天使だよ。あの有名なグリゴリも、ウォッチャーズの1種だな」 「天使……あれ、悪魔召喚じゃなかったっけ?」 そんな事に突っ込みを入れる辺り、腰を抜かす程に驚いている訳ではないようだ。 まぁ勇人は、俺やコロネの能力を知っているしなぁ……話が早くていいが、ちょっと物足りない。 「一神教では、天使が堕天したモノを悪魔と呼ぶ。つまり、本質的には変わらんという事だ」 「は、はぁ……にしてもこいつ、俺にも見える……」 「能力者にしか見えない悪魔ってのは、存在の密度が薄いんだよ。だから、普通の人には見えない。でもこいつは、普通の人にも見えてしまう」 「……密度が濃い?」 「イエス。そしてそういうレヴェルの悪魔は、人に危害を加える事が可能だ。連中が起こす事件を片っ端から解決するために、俺みたいなサマナーがいる訳だな」 ウォッチャーを飛ばす。 天使が、街の空を漂って行く。 「……蓮、何してんだ?」 「情報が少な過ぎる。とりあえず、ウォッチャーの眼を借りて例の事故現場を見てみる」 「眼を借りる、か。そんな事も出来んのか」 「ああ、しっかりと縁が結ばれてるからな。それを辿るんだよ」 「……あれ? でもお前、事故の場所知ってんの?」 「ウォッチャーの視力を舐めんなよ。街全体を俯瞰すれば、すぐに見付けられる。まぁ情報量が多過ぎて、人間の脳で処理するのはちょっと辛いんだけどな……」 説明している内に、それらしき光景が見えた。 うちの担任の自動車が、別の車と追突している。対向車線にはみ出したんだろう。 「……ブレーキを掛けた痕跡がない。こりゃ、意識を失ってたな」 「って事は……!」 「ああ。ほぼ間違いなく、居眠り運転だ」 事故現場を観察。 何か、手掛かりでも残ってないかと期待したが――それらしき物は視えなかった。 ……まぁめぼしい物は、警察が押収しちゃってるだろうしなぁ。 ウォッチャーとの、リンクを切る。 「……どうだった?」 「ダメだな、手掛かりなし。分かったのは、担任は事件に巻き込まれただけの哀れな犠牲者だって事くらいだ」 運転中に、何らかの理力によって眠りに落とされてしまった。その転寝によって――……ん? 転寝、転寝……転寝? 「……ッ!!?」 いきなり、歌声が響いた。 ……それは、勇人のポケットの中から聞こえて来る。携帯の着信音か。 「ビックリさせんなよ……」 「あー……悪ぃ悪ぃ」 勇人は携帯を取り出すと、ディスプレイを見る。 ……表情が、いきなり変わった。 「蓮、宮丘からだ!」 「……っ!?」 「宮丘か? どうした、何かあったのか!?」 通話し、怒鳴るように勇人が言う。 奴は、コロネと一言二言交わした後―― 「――蓮!」 俺に、携帯を放り投げた。 キャッチし、耳に当てる。 「コロネ、どうした!?」 『あ、大塚、君……私、眠くて眠くて、仕方なくて……』 「無理をするな、眠いんだったら寝ればいい! 病院なら生命維持は難しくないだろうし、すぐに俺が事件を解決して――」 『ううん、そうじゃ、ないの……』 コロネの声は、重い。 それは――ただ眠気を耐えているのとは、違う気がした。 「……どういう事だ?」 『私が、眠っちゃったら、あれが、あの人が私の中から出て来て――ああ、ダメだよ、眠いよ……』 ゴン、と音がした。 コロネが、携帯を手から落としたのだろう。 ……いくら呼び掛けても、コロネは反応しない。 「くそ……ッ!!」 召喚プログラムを起動。 コカトライスを召喚するための、シークエンスを辿る。 「――勇人! コロネの家の場所、知ってるよな!?」 コカトライスの背に跨り、俺達はコロネの家に向かう。 途中、俺は勇人にコロネの事情を包み隠さず伝えた。こうなったら、もう黙っておく事は出来ない。 そして――今コロネに何が起こっているのか、その予想も。 「……転生体?」 「ああ」 「蓮、そりゃ何だ? 語感から、何となく想像は付くが」 「その語感の通り、悪魔の生まれ変わりである人間の事だ」 普通、転生とは死した者が別の生き物として生まれ直す事を指す。仏教でいう、六道輪廻だ。 ただ悪魔の場合、これに当て嵌まらないパターンもある。己の意思で魂のみの存在となり、新たな肉体を得て人となるのだ。 何故、そんな事をする必要があるのか――まぁ、今は信仰なんて流行らない世の中だ。神サマなんてモノを続けるより、人として生きた方がよっぽど楽なのかも知れない。 「コロネは多分、己の前世が覚醒し掛かってるんだと思う」 ……頭の中から、声が聞こえる。 分かってみれば、それは当たり前の事だ。他ならぬ、コロネ自身の声なのだから。 「その……覚醒すると、どうなるんだ?」 「別に、どうなる事もない。前世だろうが今世だろうが、自分である事に変わりはないんだ。忘れていた過去を、思い出すだけの話」 悪魔としての能力が蘇ったりするので、色々大変だろうが……覚醒自体でどうにかなる訳ではない。 基本的には。 「じゃあ、宮丘は……大丈夫、なのか?」 「大丈夫なら、こうして猛ダッシュで飛行する理由はないな」 「――……」 「前世と今世が、余りにも違う場合。前世は今世を認められず、今世は前世を認められず――それぞれ別のモノとして、乖離してしまう」 ……コロネは必死に、出て来るモノを押さえ込もうとしていた。 彼女の前世たる何者かは、明らかに宮丘コロネを良くは思っていない。 「か、乖離するとどうなっちまうんだ?」 「身体の主導権争い。喰うか、喰われるか――敗者は、勝者に呑まれて消える」 「――ッ!!? 宮丘は、宮丘は勝てるのかッ!!?」 「変な事を言うんだな、勇人は。前世のコロネは、人に転生出来る程の上級悪魔で――今世のコロネは、ただの女の子だ。勝負の結果など、考えるまでもない」 「な……ッ!!?」 「――だから、こうして急いでいるんだ。勝負が付く前に、何とかしなきゃならないからな」 勇人が、唇を噛んだ。 その痛ましい顔を見ていられず、俺は彼から眼を逸らす。 「……どうして、こんな事に――」 誰に発した訳でもない、勇人の問い――しかし俺には、その答えに心当たりがあった。 ……この街には、高位の悪魔が光臨している。 建葉槌や、ヘイムダル――そういった古の神々の波動に刺激され、コロネの内面が目覚めたのかも知れない。 (……いや、待てよ?) 高位悪魔の、波動。 それを言うなら、あいつは己の姿をTVの電波に乗せて―― 「――ッッ!!!?」 突如、突き上げるような衝撃が俺達を襲った。 推進力を失う、コカトライス。浮力も損なわれ、地上に向けて落ちて行く。 「ぐぁ……ッッ!!!?」 胴体着陸。コカトライスが、己の身体をクッションにして俺達を護る。 降り立ったのは、道路のド真ん中だ。しかし皆眠ってしまっているのか、車も人も行き交っていない。 「な、何だ、蓮ッ!!?」 「攻撃だッ!! 糞ッ垂れ、この忙しい時に何処のどいつが――」 俺は重傷を負ったコラトライスを送還させつつ、天を見上げる。 ……空を、1頭の馬が走り回っていた。 その毛並みは、夜の闇のように深い黒。その牡馬は一声鳴くと、俺達の元に突っ込んで来る。 「夜魔ナイトメアか……!」 「ナイトメアって、悪夢ッ!?」 「そう! 古来より、悪い夢は夢魔の仕業だと信じられてきた!」 駆けるナイトメア。 俺は、隠し持っていた小刀を抜き放つ。 「――邪魔をするなぁぁああああッッ!!!!」 一閃。 だがナイトメアは身を翻し、刃の煌めきから身を躱す。 俺は掌の中で柄を返し、逆手でさらに切り掛かった。 「悪い夢……じゃあ、皆を眠らせているのはこいつか!?」 「勇人、手を貸せ! これくらいの相手なら、お前でも充分に闘えるッ!」 「え……お、応! やってやらあッ!!」 悪魔と闘うにおいて、1番の問題は己の恐怖だ。 何しろ、相手は異形の化物である。恐怖心で足が止まれば、どんなに強かろうと勝利はない。 ……未知なるモノへの、恐れ。 ただそれさえ克服すれば、人は悪魔と闘える。勇人は俺がナイトメアと闘っているのを見て、『これは人でも敵う相手なのだ』と理解してくれた。 ま、本人はそこまで考えてないだろうけど。馬鹿だし。 「馬に蹴られる――なんて言葉があるくらいだし、足に気を付けときゃどうにかなるか!」 勇人の拳が、ナイトメアの土手っ腹に叩き込まれた。 悲鳴じみた、声が上がる。やっぱりパンチだけは凄まじいな。 ナイトメアは足を振り上げ、勇人を蹴り飛ばそうとするが―― 「――アホがぁッッ!!!!」 俺はそこに跳び込み、奴の足を斬り落とした。 九字兼定の斬撃を受け、魔なる者は苦痛の絶叫を響かせる。 苦しみ悶える、ナイトメア。俺は、その隙にCOMPを使い―― 「――焼き払え、ケルベロスッ!」 魔犬を、現世に喚び出した。 ケルベロスは俺の命に答え、炎の吐息を吹き出す。冥府の番犬が放つ地獄の業火は、悪夢の化身など一骨も残さず灰燼へと変えた。 「……勝った、のか?」 半信半疑な様子で、勇人が呟く。パンチ1発しか打ってないくせに、結構疲れているように見える。 ま、無理もないか。初めて、人ならざる異形と闘ったのだから。 ……しかし今にして思うと、勇人がボクサーなのは不幸中の幸いか。柔道家とかだったら、人の形をしていない者とは闘えないだろうし。 「とりあえず、これで睡眠障害は解決だよな……」 ようやく相手を倒した事を実感したのか、安心した表情で勇人が言う。 ……だが俺は、素直にそれを肯定出来なかった。 果たして、そうだろうか? ナイトメアは眠っている人間に悪夢を見せる夜魔に過ぎず、眠らせるのとはまた違うと思うのだ。 あいつはただ単に、人がたくさん寝てるから寄って来ただけなんじゃ―― 「――宮丘っ!!?」 勇人の声で、俺は我に返った。 見ると――パジャマ姿のコロネが、路地裏からフラフラと出て来たところだった。 俺も勇人も、彼女の元に走り寄る。 「宮丘、大丈夫なのかッ!!?」 「あ、五十嵐君に大塚君……うん、大丈夫だよ。もう、眠くはなくなったから」 勇人の問いに、コロネは微笑みながら答えた。 ……俺の、杞憂だったのか? ナイトメアを倒して、全て解決したのだろうか。 それなら、良かった良かった。 「――だって、私が寝ちゃったら意味がないもん」 コロネの腕が、伸びた。 彼女の手は勇人の胸に突き刺さり、背中から飛び出す。鮮血が飛び散り、俺とコロネを赤く塗らした。 ……コロネの手には、赤黒い塊が握られている。 勇人は何度か痙攣すると、そのまま動かなくなった。 「……おい、コロネ?」 コロネが、ケラケラと笑う。 壮絶な血化粧が、彼女の破顔を兇相に変える。 ……一体、何だ? 俺の、杞憂だったんじゃないのか? ナイトメアを倒して、全て解決したんじゃないのか? どうして――友達が、友達を殺しているんだ? 「大塚君、宮丘コロネはもういないよ? 私の中で、永遠の眠りに就いたの」 ケルベロスが跳び掛かる。 彼女は腕を縮めて勇人の身体から引き抜くと、大きく後退して躱す。 「主よ――アレはもう、人間ではない」 「――……」 認めろっていうのか、そんな事を。 アレはもう、コロネではなく――人に仇なす、ただの悪魔に過ぎないのだと。 「眠れ、怠惰に堕ちよ! このブーシュヤンスターの腕に抱かれ、永久なる眠りに沈むがいい!」 宮丘コロネが前世――鬼女ブーシュヤンスター。 奴の総身から、凄まじい魔力が照射される。強烈な眠気に襲われ、俺もケルベロスも思わず膝を突く。 「ぐ……ッ!!?」 「ハハハ、馬鹿だなぁ。私の前に立って、まともに意識を保てる訳ないよ。睡魔から逃れられる生き物なんて、この世にはいないんだから」 ……ゾロアスター教では、早起きは善行とされる。 故にブーシュヤンスターは、それを妨げる。人々に眠気を吹き込み、堕落せしめる悪鬼なのだ。 現実問題として、全ての人が眠ってしまったら社会は動かない。そうなったら、人類は緩慢に死んでゆくのみだ。 「んー……弱いなぁ、現代人類。昔は、もうちょっと粘り強かったんだけど。でも、これなら悪の王を待つまでもない――私の手で、全てを滅ぼせる」 「――……ッ」 ……俺の使命は、人類の守護だ。 だから――全てを滅ぼすなどと吹聴する存在を、生かしておく訳にはいかない。 例えそれが、我が学友――宮丘コロネの姿をしていたとしても、だ。 「……ケルベロス、まだ動けるか?」 「ああ、何とかな……一刻も早く、奴を討ち取らねば」 ケルベロスの言葉には、2つの意味がある。 まずは、俺達の事情。こうしている間にも、眠気が意識を削り落としているのだ。時間が経過すれば、俺達は不利になる。 そして、もう1つ。覚醒したブーシュヤンスターの能力は、コロネによって抑制されていた頃とは比べ物にもならないはずだ。 迅速に討伐しなければ、睡眠障害による被害は留まる事なく拡がってゆくだろう。犠牲者は、1秒毎に増加してゆく。 「行くぞ、ケルベロスッ!」 「承知した、我が主よ……!」 地を蹴って敵影へと跳び掛かる、俺とケルベロス。 ブーシュヤンスターに、嘲笑を向けられる。あの鬼女に近付けば近付く程、猛烈な眠気が俺達に襲い掛かって来る。 「オオォォオオオオ……ッッ!!!!」 これ以上の接近は危険と判断したのか、ケルベロスは離れた位置から炎を吹く。 そしてそれは、余りにも遠い。完全に見切られ、あっさりと避けられてしまう。 ……やはり、さらなる踏み込みが必要か。 「りゃあああああ……ッ!!!」 俺はケルベロスの背を踏み台にして、跳躍。 殺傷力の足りなさを重力加速で補い、兼定の小刀を奔らせる。 「――覚悟ぉッ!!」 「ホントに私を殺せるのかな、大塚くぅぅぅんッッ!!!?」 伸長する、ブーシュヤンスターの右腕。 それが、空中の俺を撃墜する。当然刃は届く事なく、この身がコンクリートに打ち付けられるのみだ。 「がは……ッ!!?」 「アハハ、やっぱりまだ迷いがあるね! 本気だったなら、今の一太刀で終わってたかも!」 ……迷いがあるだと? そんなの、当たり前だろうが。俺が、迷いなくコロネを殺せるような冷血漢なら――そもそも、悪魔から人を護ろうだなんて考えたりはしない。 「――潰れちゃえッ!!!」 右腕に続き、左腕も異形と化した。 大蛇のような鬼女の双腕が、俺を亡き者せんと迅雷の如く迫る。 「――主よッ!!!」 命中の、寸前。 ケルベロスが俺に体当たりをし、魔手より逃れさせた。目標を外したブーシュヤンスターの両腕は、地に突き立ってコンクリートを粉砕する。 ……俺を殺して、まだ余りある威力だ。殺される事自体に、問題はないのだが――死んでる間に眠らされたら、それは一巻の終わりである。 いくら俺が不死でも、眠ってしまったら手も足も出せない。それは、常人と変わらないのだ。 「……どうした、主よ? あのような大振りの攻撃、主なら難なく回避出来るのではないか?」 「さっき、奴に近付き過ぎた……眠くて、身体が重い……」 少しでも気を緩めれば、あっという間に眠ってしまうだろう。 そして、2度と這い上がる事はない。大塚蓮は、そこでリタイアする羽目になる。 ……俺は意思の力を振り絞って、ケルベロスの背に跨った。 「一気に突っ込んでくれ。交差の瞬間に、全てを懸ける」 「……了解した」 ケルベロスの声は、重い。 俺のこのザマからして、最後の一撃になるのは明らかだ。乾坤一擲――失敗すれば、次のターンは回ってこない。 獣の筋肉が、躍動する。弾弓から放たれたかの如く、ケルベロスは猛然と突撃する。 近付く毎に、眠気が強くなってしまう――なら、取れる手段は1つだ。刹那で間合いを詰めて、寝る前に斬殺するしかない。 「――勢ィィッッ!!!!」 最大限の気合を乗せ、小刀で突き掛かる。 ブーシュヤンスターに、その一撃から逃れる術などなく―― 「――はい、残念!」 そもそも、逃れる必要すらなかった。 奴の長腕が、盾を持って来て壁にする。 ……それは、さっき絶命したばかりの勇人の死体。 「あ――」 俺の心が、動揺する。 その隙が、見逃されるはずもなく――午睡の魔力が、俺の内に侵入した。 「主よ――……グ……ッ」 ケルベロスの背より、転げ落ちた蓮。 忠犬は主人の身を案じるが、自身も眠気に耐え切れず――眠りの沼に沈んで行く。 その無様を嘲笑いながら、ブーシュヤンスターは盾を投げ捨てた。 「大した事ないなぁ、現代の術師は。ま、当然と言えば当然か――こんな、神なき世の中じゃね」 しかし神なき世であればある程、魔者にとっては都合が良い。 既に、街からは人の気配が消えている。全てが睡魔に呑まれ、停止してゆく。 「あはは――悪の王と、六柱の下僕に勝利あれ! 大地を呪いで包み込み、今度こそ善を滅ぼし悪徳の世を――」 その時だった。 鬼女の口上が、止まる。背中に不可解な衝撃を受け、思わず舌が止まったのだ。 「な……ッ!?」 その正体は、日本刀。 九字兼定の小刀――それは椎骨の隙間から、鬼女の脊椎に突き刺さっていた。 「……く、が……ぁッッ!!!?」 小刀が引き抜かれ、ブーシュヤンスターは地に倒れ込む。 脆弱な人間の肉体では、この一撃だけでも充分に致命傷だ。それが、鬼女にとっては不愉快極まりない。 消えたはずのコロネが、未だに自分の邪魔をしている――ブーシュヤンスターは、そんな錯覚にすら捕らわれてしまう。 ……見上げればそこには、小刀を握った蓮。 鬼女は、眼前の光景が信じられない。蓮は、確かに醒める事のない眠りに落ちたはずなのだから。 だが、睡眠は死ぬのとは違う。活動は極めて低下するが、反射反応等の肉体機能が消失する訳ではない。 それにブーシュヤンスターの魔力が落とし込むREM睡眠は、脳の活動においては覚醒時と良く似ている。REM睡眠中は夢を見る――つまり、夢を見る程度には脳が動いているのだ。 人は寝ていても、不快な刺激を感じれば逃れるために動く。蓮はそれと同じレヴェルで、鬼女の背を刺した。 剣術の稽古――気が遠くなる程の、型の反復練習。血の滲むような修練によって、『身体が覚えていた』のである。 「あは、ははは……こんな、こんな馬鹿な事がッ!!!」 ブーシュヤンスターは両腕を伸ばして蓮を狙うが、彼は身軽に躱してしまう。 鬼女の今の有様では、まともな攻撃など不可能だ。蓮は踏み込んで小刀を振るい、魔の腕を間接から斬り落とす。 「う……あ、ァァあああッッ!!!?」 絶叫する、古代の鬼女。 それに引導を渡すべく、蓮がするりと歩み寄る。 「……んぁ?」 ふと、目が醒めた。 はて? 俺は確か、ブーシュヤンスターに眠らされてしまったはずだが―― 「あー……」 その答えは、俺の足元に転がっていた。 斬り刻まれ、ボロボロになった鬼女。こんな状態では、眠りの魔力を放つ事も出来まい。 コンクリを真っ赤に染め上げているそれを見て、俺は起こった事を大凡理解した。 「……成程。俺の練武も、なかなか捨てたもんじゃないな」 まぁ師匠や天狗に、散々扱かれたし。 これくらいの事は出来ないと、余りにも俺が報われない。 「さて……」 ブーシュヤンスターは、まだ息がある。 生きているのなら、トドメを刺さねばならない。 「ん……」 鬼女の目蓋が上がり、閉じていた瞳が覗く。 その瞳の奥底に、ブーシュヤンスターとは違う何かが見えた……気がした。 「……蓮、君?」 「さよなら、コロネ」 俺は、静かに小刀を振る。 研ぎ澄まされた、兼定の白刃。それは彼女の生命を、極めて滑らかに断絶した。 ……眠りに就く、クラスメイトの少女。 「――……」 全てが、呆気なく終わってゆく。 ……何だか、実感出来ないけれど。 この眠り姫は、もう目を醒まさないのだ――。 どんな悲劇が起ころうと、関係なく地球は回る。 そして、地球が回れば――夜が終わって、新しい朝が来るのだ。 ……魔の眠気は、既に街から消えている。人々はいつも通り起床し、それぞれの生活を営んでいた。 「バクバクバク……むぎゅむぎゅ、ごっくん!」 しかし俺は学校に行かず、アルカディアに残っている。 ハヅチが四段パフェを暴食する傍らで、俺は四層オムライスを暴食していた。要するに、ヤケ食いである。 「……主従揃って、鬱陶しいわね」 イライザから冷たい眼を向けられるが、その程度を気にしたりはしない。 今の俺は誰の言葉も聞く気はなく、ただただストレスを食事で解消せんとするのみだ。 ――まさに獣ッッ!!!! 下手に触れれば、怪我くらいじゃ済まないぜッッ!!!! 「と言うか、どうしようもなく邪魔」 怪我をしたのは、俺の方だった。 イライザが投じたナイフが俺の頭に突き刺さり、オムライスにケチャップが飛び散る(婉曲表現)。 「なッ、何しやがるぅッ!!?」 「だから邪魔。目障り。学校行きなさいよ」 「嫌だい。友達は死ぬし、新しい担任は氷室先生だし、紅柳先輩は俺を探してるし……地獄だ学校は」 はぐはぐむしゃむしゃ、とオムライスを喰らう。 イライザは頭をかきながら、深い溜息を吐いた。 「ねえ、そこの旧型悪魔」 「……何だ、人工物」 声に答えつつ、ハヅチはイライザにその視線を向ける。 「この醜態を見れば分かる通り、アンタの主人は脆弱な人間よ」 「――……」 「でも、だからこそアンタがいる――それを、良く理解しておく事ね」 「……まさかこの妾が、百年も生きていない小娘に説教されるとは」 「ただの戯言よ。けれどそれが説教に聞こえたのなら、図星である何よりの証だわ」 イライザは背を向け、いつも通りの業務に戻ってゆく。 それに視線をぶつけながら、ハヅチは黙々と考え込んでいた。 「……?」 何か、メンド臭い話をしてたなぁ。どしたんだろ? オムライスを口に運び、咀嚼する俺。ウマーイ。 「――……」 俺の世界は、大きく変わってしまった。大切なものが、掌から零れて地に落ちた。 けれどこの店は、何も変わっていない。 俺の全てが、奪い取られた訳じゃない――ここにいれば、それを感じられる。 ……これもまた、ある種の救いか。余りにも下らないが、俺には大切な事なのだろう。 |