「仕事とはサボるためにある――by大塚蓮」
「むしろbyebyeね」
 イライザに殴られた。
 頬骨が打ち抜かれ、首がぐるんと半回転して真後ろを向く。
「あー、いや、ちょっとした冗談だったんだが……グハッ」
 血の塊を吐く俺。
 突然起こった惨劇に度肝を抜かし、店から逃げ出して行く客々。
 ……毎日行われているこのコントは、確実にアルカディアの売り上げにネガティヴな影響を与えている事だろう。
 しかし常連客ともなると、俺の肉体が前衛的になるくらいじゃ驚かない。それを楽しむ、心の余裕を持ち合わせていたりする。
 つーか助けてください。
「……ヤベ、骨が変な風にくっ付いた!?」
 見下ろすと、自分の背中と臀部が見えた。
 お、あわわ、前に進もうとすると後ろに進む! と言うかこの場合、前後をどう定義すればいいのやら!
「いらっしゃい」
 ドアに取り付けられた鈴の音と共に、マスターの大らかな声。
 どうやら、お客さんが来たらしい。一応俺も店員なので出迎えたいが、この有様では。
「あの……ここに、大塚蓮さんがいらっしゃると聞いたんですけど」
「……ほへ?」


真・女神転生マーレボルジェ4
〜八雲立つ〜

大根メロン


 どうやら、俺に対する仕事の依頼であるらしい。
 そう言えば久し振りだな、サマナーとしての仕事は。最近はナチが五月蝿くてなぁ。
「えーっと。まずは、背中を見せて話さなきゃならない事を許してくれ」
「は、はぁ……」
 俺の首は、相変わらず背中側を向いている。
 依頼人の女の子は、俺の威容にドン引きしていた。
「と言うか、元に戻しなさい」
「――ガハァッッ!!!?」
 ぐるんっ!
 イライザの両手が俺の頭を掴み、首の骨を折りつつ半回転させる。
 死ぬのには慣れているが……余りの不意討ちだったために、鼻から鼻水と血液を盛大に吹き出した。
「御免なさい、気にせず話を続けてね」
「え、あの……凄い勢いで、テーブルに血溜まりが……」
 その血液も逆流。
 俺の体内に戻り、首が繋ぎ直される。
「くそぅ……いつか、あいつの首も折ってやる」
「あ……ホントに元に戻るんですね、噂には聞いていましたが」
「――ぬ」
 何やらこの体質、噂になり始めているようだ。
 まずいなぁ。メカニズムはまだ知られてないみたいだから、最悪の事態になる前に対処したい。
「あー、話の腰を折って悪かった」
 実際に折れたのは首だが。
「で、依頼の内容は?」
「は、はい。私は三月みつきといいまして、島根県の平逆村ひらさかむらから来たんですけど」
「……平逆村――?」
 ん、聞いた事があるような。
 ……いや、聞いた事があるも何も――
「ちょうど、ニュースでやってるな」
『島根県平逆村の行方不明者は増加の一方を辿り、県警は対策本部を――』
 テレヴィから聞こえる、キャスターの声。
 現在、平逆村では行方不明者が相次いでいる。老若男女を問わず、既に27人。
 当初は誘拐等も考えられていたが、ここまで大規模になるとそれは考え辛い。
 ……まぁ要するに、何も分かっていないのだ。
「依頼って、もしかしてこの事件関連か?」
「ええ……」
「んー、しかしだな、俺は悪魔事件の専門家だ。これは、そっち方面なのかね?」
「可能性はあると思うんです。村の人達は、皆こう言っています」
 三月の瞳に、真剣な光が宿る。
 思わず、息を呑む俺。ゆっくりと、彼女は言い放った。
「――泉が人を誘い、呑み込んでいるのだと」



 ガタンゴトン。
 新幹線から電車、電車から電車――そんな乗り換えを繰り返す事、数時間。
 外は田んぼと古びた民家ばかりの、のどかな光景と化していた。
「そろそろ、平逆村ですよ」
 俺達しか、乗っていない電車の中。対面の座席に座っている、三月が言う。
 ……そうか、ようやく着くのか。疲れた。
「じゃ、ここらでハッキリさせておくべきかな」
「――? 何をです?」
「舐めんなカス。いい加減に正体を表せ」
 俺は、ギリっと三月を睨み付ける。
 しばらくすると観念したのか、ふぅと息をついた。
「正体、と言われても困りますが――蓮さんにとっての私の正体とは、やっぱりコレの事ですよね?」
 どろん、と煙が立った。
 ……まるで化けていた狐が、正体を表すかのようだ。
「毎度どうも、稲荷商会の篠村弥生でっす!」
「……何が毎度どうもだ、このアマ……」
 眼前には、あの憎々しい巫女さんが。
 この俺と正対してもまったく悪びれる様子はなく、ニコニコとしている。
「しかし、どうして分かったんです?」
「どうしても何も、三月さんがつは旧暦だと弥生だろ?」
 はい、と頷く弥生。俺を見詰める。
 どうやら、続く言葉を待っているようだったが……生憎、もう言う事はない。
「……え!? もしかして、それだけですかっ!?」
「それだけだが、何か問題でも?」
「…………」
 開いた口も塞がらない、といった様子だ。
 ……そんなに、おかしな事を言っただろうか?
「で、今度は何を企んでやがる? 騙し取れるような金は、もう一銭も残ってないぞ?」
「……今回は、真っ当なお勤めですよ。稲荷商会――と言うか上の宗家から指令が下って、行方不明事件の捜査をしてたんですけどね。何やら、1人でやるには危険な臭いがするので」
「それで、俺に白羽の矢を立てた訳か」
「ええ、貴方の実力は確かですし。何より私自身が、その力を見ていますから」
 信頼出来る、という事だろうか。
 こちらは、まったく信頼出来ないんだけどな。
「でも、蓮さん。私だと予想していながら、依頼を受けたのはどうしてです? こう言っちゃ何ですが、私の事嫌いでしょう?」
「そうだな、お前の事は大ッ嫌いだ。けれど、平逆村で事件が起きてるのは事実だから」
 何とか出来るのなら、何とかしたい。
 悪魔と戦い、人々を救う――その使命をプログラムと一緒に受け取ったからこそ、俺は悪魔召喚師デヴィルサマナーだなんてメンドい稼業を続けてる訳だし。
 ……あ、ナチどもは個人的判断により『人々』ではなく『悪魔』に含みます。故に、容赦なく片っ端からブッ殺します。
「えーっと、つまり蓮さんは」
「いい人なんだよ、お前とは違って」
 電車が減速する。
 窓の向こうに、『平逆』と書かれた立て札が見えた。



 電車から降りた俺達は、その足で村の外れに向かう。
 鬱蒼とした、林の中を進んで行くと――眼前に、大きな泉が現れた。
「これが、人を誘うっていう泉か?」
「はい」
「名前は?」
「ないみたいですね。いえ、あるのかも知れませんが……少なくとも、知る人はいません」
「……ふむ」
 泉を眺める。
 水が、黄色い。濁っている訳ではなく、ただ黄色いのだそうだ。
 この泉が、人を誘うのだとしたら。行方不明者達は、泉の底に沈んでいるんだろうか?
 ……水に着いている色のせいで、底を覗き見る事は出来ない。
 何とか見えないものかと、泉に近付いて行った時――
「ちょ、ちょっと蓮さん」
 弥生に、止められた。
「……んあ、どうした?」
「どうした、じゃありませんよ。ふらふら〜っと泉に近付いて行ったりして」
「え? いや、そんなつもりは……」
 ……気付いてみると、随分と近くに泉があった。
 むぅ。
「……確かに、これはヤバいかも知んない」
 オカルト現象に耐性のある俺ですら、こうなのだ。
 一般人など、あっと言う間に入水する事になるだろう。
「そういや弥生、知ってるか? 『誘い水』って話」
「え? いえ……心当たりがないです」
「昔、『世にも奇妙な物語』でやってたドラマでな。主人公は会員にのみ通信販売される、妙に美味い水――誘い水を愛飲している。けれども、その水が手に入らなくなってしまうんだ」
「…………」
「誘い水を飲み続けていた彼は、最早普通の水なんて飲めたもんじゃない。だから、誘い水の元である源泉に行く事にして……まぁ、そんな感じの話。詳しく知りたければググれ」
「……ちょっと形は違いますが、何にしても泉に誘われる訳ですね」
 弥生が、泉を見る。
 水面に、彼女の顔が映る事はない。
「村の行方不明者達は、この泉の水を飲んだんでしょうか?」
「こんな所の水を飲む奴がいるか、普通? 今の話は所詮テレヴィドラマの話だ、真面目に考えても仕方ないぞ」
「それもそうですね――」
「……ああもう、ふらふら〜っと近付いて行くな。ほら、戻って来い」
「おおうっ!?」
 弥生を、こっちに引っ張り戻す。
 ……長居するのは、危険だな。
「ひ、引き上げましょうか、蓮さん」
「そうだなぁ、こんな所にはいたくない。そろそろ陽も暮れそうだし」
 出発から、何時間も経っているのだ。太陽は、西方に沈んで行こうとしている。
 踵を返し、泉から立ち去る俺達。
 林の中で――俺は1度だけ、泉の方に振り返った。
 ……人を誘う水を湛えた、黄色い泉。
 何処からか、何者かの忍び笑いが聞こえた気がした。
「……黄泉ヨミ誘水イザナミ、か。成程、洒落は利いている訳だ」



 弥生が予約したという、旅館へと向かう。
 その途中――ちょっとした、人集りに遭遇した。
「……何だありゃ?」
「ドラマの撮影が行われているみたいですよ? 確か、月9ゲツクの――」
「『エデンの園』……か?」
「ああ、そんな題名でしたかね。蓮さん、それが何か?」
 俺は、大きな溜息を吐いた。
 何と面倒臭い。
「エデソノの撮影やってる事は、奴も来てるのか? ルイ・サイファーも」
「……ルイ・サイファーって、誰です?」
「最近、テレヴィに良く出てるアメリカ人タレントだ。エデソノでは、ヒロインを誘惑する悪役だったかな。つーか知らんのか」
「私、浮世離れしているので」
「自分で言うな」
「で……そのルイ・サイファーだかルー=サイファーだかって人がいると、何か困る事でも?」
 ……ぬ。
 とてもじゃないが、これは正直には答えられない。
「いや、別に。ファンなので、サインでも貰おうかと」
「……蓮さん、もう少し上手く誤魔化せないんですか? 明らかに嫌がっていたでしょう」
「何、気にするな。ほら、先を急ごう」
「むー」
 早足で、その場から離れようとする俺。
 弥生は納得していない様子でこちらを見ながらも、それ以上問うて来る事はなかった。
「あ、あそこですよ」
 ピッと、弥生が指を差す。
 その先には――決して大きくはないが、それなりに風情のある旅館があった。
 ……看板には、『八雲やくも』と刻まれている。
「旅館八雲、か。この辺は出雲いずもの土地だしな」
「ですね。さ、お邪魔しましょう」



「……何で、部屋が一緒なんだか」
 畳の上ではしゃぎ回る弥生を見ながら、呆れ果てる。
 彼女はゴロゴロするのを止めると、俺の方を見返した。
「仕方ないじゃないですか、本当は私1人でやる予定だったんですよ? 当然、宿泊費も私1人分しか出されていません。2つも部屋を取るだなんて、とてもとても」
「何をシケた事言ってやがる、詐欺紛いの方法で金を集めてるクセに」
「ほとんど宗家に納めちゃいますから。稲荷商会は、元々宗家のための資金調達組織ですし」
「……ふーん」
 その宗家とやらが何処の何家であるかは、まぁいいとして。
「じゃあ、今後の予定は?」
「既に10時ですから、良い子の私はオネムの時間です」
「そんな目先の話はしとらん! 明日からの捜査の話だ!」
「ああ、そっちですか……あの泉が怪しいのは確かですので、郷土資料館にでも行って調べてみようかと」
「2人でか?」
「勿論です。1人で行動するのは危険ですから」
「ふむ……しかし、資料館に行くだけじゃ1日は終わらんよな」
「その後の予定は、資料館での収穫次第ですね。泉に直行して事件を解決する事になるかも知れませんし、何も分からなくてさらなる調査が必要になるかも知れませんし」
「良く言えば臨機応変、悪く言えば行き当たりばったりか」
「未来は無限にあります。無限の可能性を1つ1つ想定しても、徒労にしかなりません。ならば、何も考えずにぶつかってみるのも手です」
「そういうもんかね……」
「そういうものです――とうッ!!」
 弥生が、俺に枕を投げ付けた。
 反射的に――しかし華麗に、身を躱す俺。
「……ぬ、俺に枕投げを挑む気か? フン、愚か者め」
「何ですか、その自信あり気な台詞は?」
「俺を誰だと思っている。イライザの砂鉄入り枕を、日々避けてる大塚蓮サマだぞ」
 直撃すると顔面陥没すんの、あれ。
 そんな死線を毎夜越えている俺に、あの程度の投擲が当たるはずもない。
「じゃ、今度は俺のターン――だッ!」
 俺は枕を、投げるのではなく蹴り飛ばした。
 脚のパワーは、腕の3倍。猛速で滑空した枕は、真っ直ぐに弥生の顔面へとぶち当たる。
「――ぐふぅッ!!?」
「ハッハッハッ、普通の枕に感謝しろ!」
「うぅ……このぉッッ!!!!」
 激化する枕投げ。
 ……この後、両者が体力を使い果たして就寝するまで2時間を要した。
 さらに、深夜。寝相の悪い巫女さんのハイキックが俺の顔面を痛打し、一乱闘あった事も追記しておく。






「まったく寝た気がしない……」
「……誰のせいですか、誰の」
「どう考えても、お前のハイキックが原因だろ」
 郷土資料館で、愚痴る2人組。
 ……寝不足で身体が重い、俺と弥生である。
「ったく……」
 この郷土資料館は、図書館と併設されている。調べ物も楽ちんという訳だ。
 ただド田舎の図書館なだけあって、PCでの蔵書検索は出来なかったりする。地道に本棚を巡って、役立ちそうな本を探すしかない。
「…………」
 俺はテーブルに就いて、数百年前の古い地図を眺めていた。
 その地図にも、泉は記されている。ただ泉の辺りは、平野だと描かれているのだが。
「じゃああの林は、最近植林されたものなのか……」
 それにどういう意味があるのかは、まだ分からんが。
 そもそも意味などないかも知れないし、あったとしても事件に関係あるとは限らないし。
「なかなか、参考になる本はありませんねえ……」
 トテトテと、弥生が別の本棚の前へと向かう。
 ……まるで、その隙を見計らっていたかのように――
「こんな所で会うとは奇遇だね、蓮君」
 2度と対面したくなかった奴の、声が聞こえた。
 眼を向ける。仕立ての良いスーツを着込んだ金髪碧眼の伊達男が、こちらを見て微笑んでいた。
「……ああ、ジュデッカで遭った時以来だな。ユダ、ブルートゥス、カッシウス――あいつ等は元気か?」
「勿論だ。彼等は、私と同じ罪を背負った友人だからね――末永く大切にするさ。そう、永遠にね」
「そうかい、そいつは何よりだ」
 地図に、視線を戻す。
 ……嫌な汗が出て来て、まともに読む事も出来ないが。
「つーかお前、エデソノの撮影は?」
「それが、スタッフの何人かが行方不明になってね。撮影どころではなくなっているのだ」
 やれやれ、と肩を竦める男。
 スタッフが行方不明……あの泉のせいかな、やっぱり。
「君が見事この事件を解決して、スタッフの仇を討ってくれると良いのだがね」
「努力はするよ」
「ついでに、君が第3圏から連れ去ったケルベロスも、返して貰えると嬉しいんだが。大事なペットを奪われたプルートが、毎日五月蝿くてね」
「……それは、ご苦労様」
「プルートから聞いた話では、あのヘラクレスも結局は生け捕りにしたケルベロスを冥界に返したそうじゃないか。前例に倣うべきだとは思わないかな、蓮君?」
「――……」
 ……さて、どうするか。
 思わず懐の小刀に手が伸びそうになるが、それはダメだ。絶対に。
 ……男が笑う。窓から差した太陽の光が影を生み、それがスーっと俺に伸びて来る。
「ふふ、冗談だ。そう固くなる事はない」
「……あ?」
「私には、そこまでプルートに義理立てする理由もないのでね。今でこそ同じ地獄に住んではいるが、共に戦った同志という訳でもない」
「……何だよ、仕事の邪魔をしに来ただけか?」
「とんでもない。先程も言ったが、君には仇を討って貰いたいのだ」
 男が、手にあった本を俺に差し出した。
 ……タイトルは、『誘いの泉と不精坊主』。
「それにまぁ、何だ。私は私の性質上、太陽を害する者が好きではないのだよ――」
「――蓮さん、どうしました?」
 急に、弥生の声が聞こえた。
 振り返ると、そこにはキョトンとした顔の彼女が。
「どうしました、って……」
 ……その場には、俺と弥生しかいない。
 金髪碧眼の男だとか、六翼を持つ混沌の王だとか――そういったモノは存在していない。
「あの、蓮さん……顔が真っ青ですよ?」
「……何でもない。それよりも、これを読んでみよう」
 いつの間にか俺の手には、『誘いの泉と不精坊主』があった。
 ……近くの本棚に、1冊分の隙間がある。きっと俺が、そこから抜き取ったのだろう。



 江戸の頃、ヒラサカ村には人を呑み込む泉がありました。

「今もあるがな」
「蓮さん、下らないツッコミは後にしてください」

 泉は魔力で人を誘い出し、水底へと引き摺り込むのです。
 ……村の人々は様々な対策を練りましたが、どんな策も効果を見せません。
 しかし、ある日。村に立ち寄った旅人が泉の周りにカグ山の土を撒き、泉の魔力を封じたのでした。
 その旅人は、いしゃな様と呼ばれ――今でも村民に親しまれています。

「カグ山って、香具山ですよね? 奈良の香具山でしょうか……それとも、高天原?」
「常識的に考えれば前者だろう。それより、いしゃな様?」
「仏教の伊舎那天イシャナテンでしょうかね? その化身とか」

 それから、幾年の後。
 村に、1人の僧が現れました。爪と髪が伸び放題の、無精坊主です。

「お、無精坊主が出て来ましたよ」

 彼は常陸坊海尊ひたちぼうかいそんと名乗り、いしゃな様の封じは不完全であると言いました。

「……常陸坊海尊、だと?」
「海尊って、義経の家来だったお坊さんですよね? 江戸時代から計算しても……何百年も前の人物じゃないですか」
「本人だとは限るまい。襲名しているだとか、勝手に名乗ってるだけだとか……色々考えられる」
「……いや、どうでしょう? 海尊は不老不死となり、源平合戦を長らく語り歩いたらしいですし。生きていたとしても不思議は――」

 海尊は泉の周りに、たくさんの槙の木を植えました。
 それを結界とし、泉の封じを強めたのです。

「にゃるほど。だからあの地図には、林が描かれていなかったのか」

 植林を終えた後、人知れず海尊は村を去りました。
 ……彼は今でも島根の何処かで暮らしており、ヒラサカ村を見守っているそうです。



「さて蓮さん、読み終えての感想は?」
「いしゃな様涙目」
 海尊(?)に、美味しいトコを全部持ってかれてるじゃないか。
「いやもっと、真面目な感想を」
「ふむ……」
 ……この本は、資料館にある絵巻を読み易くした物らしい。
 確認したら、売店で普通に売っていた。色々省略されてる部分はありそうだが、これで大凡の話は掴める。
「いしゃな様の封印がどうだったのかは知らんが、海尊の封印は随分と杜撰だな。後に泉の封じは綻び、こうして事件が起きる訳だし」
「仕事が適当なのは、仕方ないんじゃないですか? 海尊ですし」
「……まぁ、海尊だしな……」
 常陸坊海尊は、義経郎党の中でも異彩を放つ人物だ。
 コミカルと言うか、情けないと言うか。敵に襲われた際、義経や弁慶を残して真っ先に逃げるような男である。
 義経が自刃した衣川の戦いでは、山寺の参拝に出掛けていたため、難を逃れて生き残ったようだが……はてさて、実際はどうなのやら。
(つーか、それ以前に――)
 実在したのだろうか?
 前述の通り、海尊はコミカルな僧兵である。それがいかにも、創作された架空の人物キャラクターっぽいのだ。
 ……それに源九郎判官義経は、現代人のイメージとは違い、それなりに厳しい人物であったらしい。
 主君を置いて逃げるような臣下は、即刻首を刎ねたはずだ。仏僧を斬るのはさすがに躊躇った、という可能性もあるが。
「まぁ、とにかく。泉をどうこうと言うより、泉の封印を何とかすれば良い訳だな」
「泉そのものを消せるならそれに越した事はありませんが、触らぬ神に祟りなし。余計な事は止めた方がいいですよね」
「そうだな。問題はどうすれば封印し直せるのか、まったく見当が付かんという事だが」
 ……予想はしていたが、面倒な仕事になりそうだなぁ。



 昼食を摂るために、一旦資料館から脱出。
 定食屋で食事を終え、俺達は再び資料館へと戻る――はずだったのだが。
「1度、村を見て回りませんか? 意外な所に、手掛かりが転がってるかも知れませんし」
 そういう事になった。
 ヒビ割れから雑草が生えている、古めかしい舗装道路を進む。山に近付くと舗装すらなくなり、土が剥き出しの道が続いている。
 そして、道路脇の林には――
「おー、一杯いますねえ」
 木陰からこちらを見る、人ならざる者達の姿があった。
 ……地霊木霊コダマ。樹木の精魂である。
「自然が多いトコには、まだまだああいう連中が棲んでるなぁ」
「ですねー、いぇーいっ!!」
 林の方に、向かって行く弥生。
 ああいう力の弱い悪魔は、結構人間を恐がったりするものだが……弥生は、自然と対話するシャーマンだ。性根は腐り切っているが、それでも彼女の能力は地霊との交流を可能とする。
 きゃーきゃー言いながら戯れる、弥生と木霊達。鬼ごっこっぽい。
「……ったく、弥生め。調べ物に飽きたから、遊びたかっただけか?」
 飽きてたのは俺も同じだから、別にいいんだけど。
 事件を解決しようという意思はあるが、それはモチヴェーションの維持とはまったく別問題だ。
 ……俺は道路脇のブロックに腰を下ろして、弥生を見守る。
 ああいう存在密度の薄い悪魔は、一般人の眼には見えない。眼ではなく、脳かも知れないが。
 故に普通の人がこの光景を見ると、弥生が1人で騒いでるように見える。警察とか病院とかに連絡されても困るので、こうして見張っている訳だ。
「蓮さーん、一緒に遊ばないんですかーっ!?」
「あー……いい、俺は止めておく」
 俺は、職業召喚師だ。
 人のために、金のために――あの手の連中を、山のように斬って捨てた。
 だから、あいつ等に混じって遊ぶだなんて事は――
「……ん?」
 ズボンの裾を、引っ張られた。
 見下ろすと、ぐいぐいと力を込める小さな木霊が。
「――……」
「はははっ、蓮さん! 貴方の背負う業なんて、この子達は知った事じゃないみたいですよ!」
「……どうしようもないなぁ。けれどいい、やっぱり遠慮する。俺まで一緒に遊んだら、見張る人間がいなくなるだろうが」
「あー、それもそうですねぇ……」
「分かったなら、お前も行け。ほれ」
 ズボンを手放し、ふわふわと林に戻る木霊。
 白熱する鬼ごっこ。しかし人間である弥生が、木々の中で自然霊に敵う道理はない。
 ……ぜーぜーと、荒い息を吐く巫女さん(鬼)。
「うりゃああああああああッッ!!!!」
 気合と共に跳び掛かる弥生だが、木霊達はするすると逃げて行ってしまう。
 ……いい加減、諦めたらどうなんだ。観戦するのにも飽きて来たぞ。
 と、その時――
「……あっ!!?」
 弥生が木の根に躓き、体勢を崩した。
 ああ、ありゃコケるな。普段の行いが悪いからだ、ざまぁ。
「――ったく!」
 地を蹴る。
 一息で林まで駆け寄り、弥生の身体を抱える。
 だが――
「……うぉッ!?」
 ズルッ!!
 足を滑らせ、今度は俺が体勢を崩す羽目となった。
 ……ミイラ取りがミイラになる。俺と弥生は、ばたんと一緒に倒れ――
「うー……イタタ……」
「おい、弥生」
「もう何ですか、蓮さ――って、のわぁっ!!?」
 弥生が、勢い良く上体を起こす。倒れた時、俺にしがみ付いていた事に気付いたらしい。
 ……それでも彼女は、俺に跨ったままなのだが。
「ふ、普通逆じゃありません!? こう、縺れ合った挙句に蓮さんが――」
「いいから退け。重い」
「――女の子に重いとは何事ですかっっ!!!?」
「物理的に考えろ。性別とか関係なく、人間が1人乗ってるんだから重いに決まってる」
「むぅ……!」
 説明してやっても、弥生が動く様子はない。
 それどころか――
「……考えてみればこの状況、私はかなり有利なのではないでしょうか?」
「ぬ……?」
 有利――?
 先日、イライザにマウント取られて殴られた記憶が蘇る。背筋が凍る俺。
「蓮さん――……」
 ……弥生が、瞳を閉じた。
 睫毛や瑞々しい唇が、はっきりと見える。彼女の髪が風に乗り、俺の顔をくすぐった。
 ゆっくりと流れる、静謐な時間の中――弥生の顔が、俺の顔に近付いて来る。
 こ、これは――
「ハァ……ッッ!!!!」
「――ぐおぉおおっっ!!!?」
 頭突き以外の、何物でもない。
 恐るべき破壊力を秘めた弥生の額が、俺の額に激突した。
「……ふーんだっ」
「う、おぉおう……っ!!?」
 弥生が退き、地面を転げ回る俺。
 り、理不尽だ。せっかく助けてやったのに。
 ……木霊が近付いて来て、冷たい葉で俺の顔を冷やしてくれる。
「――……」
 有り難いのだが、頬ではなく額を冷やして欲しい。



 資料館に、戻る道中。
「非道い目に遭った。非道い目に遭った。非道い目に遭った。非道い目に――」
「……蓮さん、意外に根に持つタイプですか?」
 俺の精神攻撃に対し、さすがの弥生も疲れた様子を見せる。
 ……根に持つ、か。いやほら、ここって島根だし。
「非道い目に遭った。非道い目に遭った。非道い目に遭った。非道い目に――」
「わ、分かりましたよ。謝りますって」
「分かったのなら宜しい」
 ぶっちゃけ、俺も言い疲れた。
 もう、10分くらい続けたし。喉がガラガラする。
「……ところで、蓮さん――」
「相手にするな。華麗にスルーして、何事もなかったかのように行くぞ」
 ……道路脇に、停まっている自動車。
 その屋根の上に、人頭牛身の悪魔が居座っていた。
 姿の通り、人偏に牛と書いてクダンという。凶事の予言を残してさっさと死ぬ、迷惑な妖怪である。
 しかも、件の予言は絶対に外れないらしい。そうなると最早予言ではなく、件の言霊が凶事を引き寄せているような気も――

「――来るぞ来るぞ、鬼が来るぞ」

 言わせてしまった。
 そして、聞いてしまった。
「……急に、空気が変わりましたね」
「こりゃ、異界を張られたか……」
 ぐるんと、世界が反転する。
 ……随分と、巨大な異界だ。村をすっぽりと呑み込んでいるか――あるいは、もっと広範囲かも知れない。
 件を睨んでみるが、奴は既に絶命していた。現世から消え去る。
「れ、蓮さん! 太陽が――」
 ……黒いモノに、覆われてゆく。
 異界の太陽は、日蝕によって光を遮られてしまった。
「まずいな……」
 こちとら、街中を歩いていたのだ。よって、装備は極めて軽装備。
 弥生は弓を持っていないし、俺も大刀は持っていない。懐に忍ばせた小刀のみだ。
「召喚――ケルベロス!」
 とは言え、武装が貧弱でも仲魔は喚べる。
 俺の傍らに顕現した魔犬は、彼方を見据えて威嚇の声を上げた。
「――……」
 人影が、見えた。
 その何者かが歩を進める度に、街灯がチカチカと点滅しては破裂する。
 ……そいつは、僧だった。
 頭を布で包み、高下駄を履いた僧兵。手にある薙刀が、ギラリと妖しい輝きを放った。
「――ッッ!!!!」
 俺が小刀を抜き放ったのと、奴が地を蹴ったのは同時。
 小刀が薙刀の斬撃を受け、火花が飛び散る。タイミングが同時でなければ、俺は攻撃を防げず斬殺されていただろう。
「――ぐぁぁッ!!?」
 そして、受け切る事も出来なかった。
 ……何て剛力だ。相手は止められたにも関わらず、薙刀を振り切って俺を吹き飛ばす……!
「ッ……何者だ、名乗れッ!!!」
「ははははは、武士もののふのような事を言うッ!!!」
 大笑する、怪僧。
 凄絶な笑みを湛えた相貌が、俺を見る。
 布で隠れているので、ハッキリとは分からないが……僧兵のイメージとは違い、若々しい男だ。
 ……そこで、俺は気付いた。
 頭を覆う布からは、伸び放題の髪がはみ出している。薙刀を握る手の指は、爪が異様に長い。
 ――こいつは……!?
「我こそは源九郎判官義経が股肱の臣下、常陸坊海尊ッ!! いざ尋常に――勝負ッ!!!」
「ぐぅ……ッッ!!!?」
 薙刀の連撃が、襲い掛かる。防ぐのが精一杯だ。
 ……常陸坊、海尊。『義経記』では、コミカルな人物として書かれているが。
『源平盛衰記』では――武蔵坊弁慶と肩を並べる程の、薙刀の使い手とされているのだ……!
「――蓮さんッ!!」
「グゥアアアアアッッ!!!!」
 弥生が印を結び、ケルベロスが業火の吐息を吐く。
 かつて魔王メフィストフェレスを相手に善戦した、そのふたりを――
「――邪魔だ、雑兵どもッ!!!」
 薙刀の一振りで、払い飛ばしてしまった。
 ……誓って言うが、薙刀の刃はふたりに当たってはいなかった。
 海尊は剣圧だけで、魔犬と陰陽巫女を薙ぎ払ったのだ……!
「く――」
 ふたりが心配だが、心配するのは後でも出来る。
 弥生とケルベロスを狙ったせいで、一瞬だが俺は連撃から開放された。その隙に踏み込む!
「この薙刀、貰ったぁ!」
 薙刀は、間合いが遠い。
 だがそれは、広いのではなく遠いだけ。懐に潜り込めば、まったく役に立たないはず。
 普段なら、同じ道理で俺の大刀も役立たずだ。しかし不幸中の幸いか、俺の手あるのは小刀のみ。
 振り回すスペースのない至近距離でも、コンパクトな小刀なら何の問題もない。刃が短い分、殺傷能力には欠けるので――まずは薙刀の刃を、柄から斬り落とす!
「――は?」
 小刀を、薙刀の柄に打ち込んだ瞬間。ガキンと、異質な音が響いた。
 普通、薙刀や槍の柄は木製だ。そうでないと、重過ぎて扱えないのだ。
 なのに――柄まで、金属製だと……ッ!?
「ははははッ!!! いい踏み込みだったぞ、小僧ッ!!!」
 海尊の膝が、俺を蹴り飛ばした。
 ……身体の内からミシミシと、ヤバげな音が響く。
「ぐ……ッ!!?」
 呻きながら、地を転がる。
 視界の端では――海尊が片手で薙刀を持ち上げ、肩に背負っていた。
「だが小僧……当世では男子おのこ用の薙刀を、静型しずかがたというらしいではないか。はははッ、静様に由来するこの薙刀――そう簡単に、くれてやる訳にはいかぬなぁッッ!!!!」
 薙刀が、振り下ろされる。
 稲妻のように落ちて来た刃は、俺の首を一息で断ち斬り――



「……全員、生きてるかー?」
 首と身体を繋げた俺は、弥生とケルベロスに呼び掛けた。
 もぞもぞと、ふたりが起き上がる。
「はい、何とか……」
「……かなり効いたが、死んではおらん」
 ケルベロスが回復魔法で、弥生の傷を癒す。
 ちなみに、俺には不要だ。死んだ後の蘇生サマリカームで、完全に回復している。
「危なかったなぁ、オイ……」
 海尊に追い詰められた俺達が取った戦法は、死んだフリ作戦。
 昨今では熊にすら通用しないと知られている、その戦術で――海尊は俺達が死んだと思い込み、大笑いしながら去って行った。
 俺の身体は実際に死んでいた訳だから、騙すのも難しくはなかったろうが……弥生とケルベロスに関しては、少々危うかったようにも思う。
「ッ、いたたた……」
 ……にしても、くそっ。見事に斬り飛ばしやがって。
 どいつもこいつも、折ったり刎ねたりと――人の首を何だと思ってるんだ。
「でも、蓮さん。どうして海尊は、私達を襲ったんでしょうか?」
「まったく分からん」
 ケルベロスを帰還させながら、弥生の問いに答える。
「俺達は、泉を何とかしに来たんだぞ? 言わば、泉を封じた海尊とは同志のはずだ。なのにどうして――」
 ……いや。
 どうしても何も、ないか。
「……常陸坊海尊は、俺達の敵って事だな」
「え? で、でも海尊は、泉を封印して――」
「伝説ではそうなってるが、真実がその通りだとは限らん。海尊は、いしゃな様の封じに手を加えた。結果、数百年後にこうして事件が起きた――」
「……っ!?」
 弥生が、息を呑んだ。
 俺の言わんとする事に、気付いたらしい。
「つまり常陸坊海尊は、封じを強化したのではなく――」
「ああ。いしゃな様の封印を破って、泉を復活させようとしたんだろう」
「……海尊は、木を植えたんですよね。木、木――」
 数秒、うんうんと頭を捻った後。
 弥生は、ああっ! と叫んで、手を打った。
「ど、どうした?」
「分かりました、五行相剋ですよっ! 五行相剋、土剋水――土は水につ! いしゃな様は神聖な香具山の土を使う事で、みずの力を封じたんですっ!」
「あー……言われてみれば、確かにそうだな。でも、それが何だと――」
「海尊は何をしました?」
「木を植えて――あ」
 俺にも分かった。
 成程、そういう仕組みか!
「五行相剋、木剋土――木は土に剋つ。海尊が植えた木々は、土の力を徐々に吸い上げて奪い取ったのか」
「はい。そのせいで土の封印が弱まり、泉が復活した訳です!」
 ようやく、事件の全貌が見えた。
 となると――
「良し。弥生、今から泉に行くぞ」
「けれど蓮さん、あの木を全て切り倒すのは時間が掛かると――」
「そんな面倒臭い事はしない。ケルベロスの炎で、林を焼き払って終わりだ」
「……うわ、ダイナミックですねー」
 呆れたような眼で、俺を見る弥生。
 しかし、反対意見は出なかった。結局、それが手っ取り早いと思ってるんだろう。
「ったく……そうだよ、何で気付かなかったんだ。海尊が植えた槙は、『日本書紀』の素戔嗚スサノオが『棺を造るのに良い』とした木じゃないか。そんな目出度くないモンで、封印なんて出来るはずが――」
 ……背筋に、冷たいものが走った。
 見れば、弥生の表情が凍り付いている。俺も、似たような顔をしているはずだ。
「――……」
 常陸坊海尊。爪と髪が、伸び放題の男。
 常陸坊海尊。義経の臣下。源平合戦最後の戦場――壇ノ浦で海に沈んだ安徳天皇は、八岐大蛇ヤマタノオロチの転生であるという。
 常陸坊海尊。海尊。海の、尊い――
「れ、蓮さん……」
「……行くぞ、弥生。一刻も早く、槙の林を焼滅させないと」



 夕日によって赤く染まった林の中を、俺達は猛速で進んで行く。
 ケルベロスの背に跨った俺は、腰に二刀を差した完全武装だ。コカトライスに乗っている弥生も、桃の木から造ったという弓を携えていた。
 さらに――
「……酷い土地だ、常陸を思い出す」
 ケルベロスの隣を、ハヅチが並走している。
 ……これ程の準備を整えて行く理由は、言うまでもない。海尊の襲撃に備えてだ。
「――……」
 この林は、自然が死んでいる。
 いくら捜しても、木霊がひとりも見当たらない。こんなに木が生えているにも関わらず、その精魂が存在しない。
 ……ここは、黄泉の林なのだ。
「主よ、着いたぞ」
 停止する。
 眼前には、魔の泉が広がっている。
「……予想に反して、何事もなく到着したな。ケルベロス、ってくれ」
「構わぬが……火を点けた後、主達はどうするのだ? 燃え広がれば、瞬く間に炎に囲まれるぞ?」
「コカトライスで、に逃げるさ」
「そのような面倒な事をせずとも、もっと安全な場所から火を放てば良かろうに」
「念には念を、だ。なるべく、泉の近くから処理したい」
「……分かった、了解した」
 ケルベロスが、炎を吹いた。
 火は枝葉から枝葉へと燃え移り、留まる事なく広がってゆく。
 ……夕日と火炎が、世界を真っ赤に彩っていた。
「蓮さーん、早く逃げましょうッ!!」
 コカトライスの上の弥生が、呼び掛けて来る。
 ……そうだな、火に呑まれる前に離れないと。
 俺がケルベロスとハヅチを帰還させようとした、その時――
「……ッッ!!!?」
 風が、吹き抜けた。
 ……いや、そんな生易しいもんじゃない。
 暴風、爆風――とてつもない風が、林の中で渦巻いている。
「なッ、火が……!!?」
 ……炎が、吹き消されてゆく。
 そんな馬鹿な――ケルベロスが吐く炎は、この世の炎ではない。たかが風如きで、消えるはずが――
「……奴が、来るぞ」
 ハヅチが呟く。
 ……この風もまた、この世ならざる魔風であったのか。
 夕刻、逢魔ヶ刻――魔界の者が、俺達の前に現れ出でようとしている。
 ――それは、天から訪れた。
「あははははははははは――ッッ!!!!」
 反響する哄笑。同時に、大地が揺れた。
 見上げる程に巨大な水牛が、空から落ちて来て着地したのだ。
 ……太陽が蝕まれ、世界が闇に閉ざされてゆく。
 激しく猛り、唸り声を上げる巨牛。その鞍に、跨っている者は――
「常陸坊海尊――ッッ!!!!」
「おう小僧、生きていたとはなッ!!! 確かに首を刎ねたはずだが――いやはや面白い、貴様一体どうなっているのだッ!!?」
 ……それは、大海を任されし者。
 水神荒ぶる肥河を治水せし、偉大なる出雲の王。
「お前……何のために、この泉を復活させようとしてるんだッ!」
 声を張り上げて、海尊に問う。
 ……けれど、分かっている。まともな答えなんて、返って来ない事は。
「はははははッ、愚問愚問ッ!!! 人を誘うのが、この鬼神泉の本来の姿であろうがッ!! 我はただ、在りのままの形に戻してやっただけよッッ!!!!」
「――うぉらぁぁぁッッ!!!!」
 水牛の足に、斬り掛かる。
 だが――
「……ぐッッ!!!?」
 皮膚は鉄のように硬く、まったくが立たない。
「無駄無駄ぁ、こやつは祇園の牛王ぞッ!! そのような鈍刀ナマクラでは、傷一つ付けられぬわッッ!!!!」
 水牛が、前足を振り上げた。
 その蹄が、俺を踏み潰さんと直下する――!
「――下がってろ、三流召喚師!」
 ハヅチの糸が俺を絡め取り、思い切り引っ張った。
 紙一重で、蹄の一撃は俺から外れる。入れ代わるように、ハヅチが海尊と対峙した。
「久しいな、この悪童めがッ!」
「ふん? 我の事を知っておるか――おおッ! 誰かと思えば、高天原の機織り女かッ!!」
 ハヅチが放った糸と、海尊の薙刀が激突する。
 耳を劈くような、恐ろしい轟音。ふたりの力がぶつかり合い、この世の理が軋みを上げているのだ。
「ケルベロス、ハヅチの援護を――!」
「無粋な真似をするな、小僧ぉぉッッ!!!!」
 海尊の怒号と共に、泉が泡立った。
 何かが、あの中から這い出ようとしている……!?
「――来い、妣上ははうえの下僕どもよッ!!!」
 水柱を上げ、泉から人型が現れる。
 槍を構え、三角の笠ですっぽりと頭を隠した――死人の兵士達。
黄泉軍ヨモツイクサですか……ッ!!」
 コカトライスの上で、弥生が弓を鳴らした。
 放たれた見えざる矢が、死人どもを射ち抜いてゆく。
「――ッ!!」
 俺も二刀を振り、黄泉軍を斬り伏せる。
 さらに――
「――ケルベロス!」
 俺の命に応え、ケルベロスが炎の吐息を放つ。
 それは圧倒的な火力で、黄泉軍どもを灰燼に変えるが――
「くそッ、キリがない……!」
 次から次へと、泉から黄泉軍が顕現する。
 俺達は黄泉軍を斃しつつ、ハヅチの闘いを見守るしかない。
「国津神の祖め――ッッ!!!!」
「違うなッ!! 我は最早、国津神にも天津神にもあらずッ!!! 我は破壊の化身、即ち破壊神よッ!!! 破壊神須佐之男スサノオの力――とくと味わって死ねッッ!!!!」
「ハッ、笑わせるッ!! 要は、壊すしか能がないのであろうッ!!」
「おう、良く言ったな小娘ッ!!! 褒美にそこな犬を逆剥ぎにして、貴様の機屋に放り込んでくれるわッッ!!!!」
 激化する、2柱の死闘。
 ……さり気なく矛先の向いたケルベロスが、凄く嫌そうな顔をしていた。
「はぁぁ――ッ!!!」
 ハヅチの糸が水牛を捕らえ、地に縛り付ける。
 彼女は動けなくなった水牛の顔を蹴り、背中へと跳び上がった。海尊を狙う。
 ……ハヅチの武器は、変幻自在の糸だ。薙刀の間合いだとか、そんなものはまったく関係あるまい。
 まずは得物から――俺と同じ考えだろう。ハヅチの糸が、海尊の薙刀を細切れにした。
「――……」
 ……海尊の眼が、据わる。
 すぅ、と大きく息を吸い込み――
「ウァァアアアアアアアアア――ッッ!!!!」
 凄まじい叫び声を、上げた。
 ぐッ――地上に天変地異を齎したっつう、須佐之男の泣き声か……ッ!!?
「……ッッ!!!?」
 天衝くような海尊の声に威圧され、ハヅチの攻撃が止まる。
 ……止まったのは、ほんの一瞬の事だ。
 けれど、その一瞬の間に――
「建葉槌――」
 海尊の手には、白い剣が現れていた。
 ……外見は、七支刀に似ている。
 刀身から左右に3本ずつ、魚の骨のように別の刀身が伸びているのだ。
 剣先と柄を数に加えれば、それはまるで八頭の――
「――これで死ね」
 剣が、振られた。
 瞬時に糸を織り、盾を生み出すハヅチ。
 だが、それはまったく意味をなさず――
「く、ぁあああ……ッッ!!!?」
 剣は、盾ごとハヅチの身体を斬り裂いた。
 しかも、それだけでは収まらない。剣圧が草どころか林を薙ぎ払い、槙の木が次々と倒れてゆく。
 ……位置は、俺の頭の上。そして、空を舞うコカトライスの下だ。
 陣の隙間を通り抜けたおかげで、ハヅチ以外の被害はない。奇跡と言う他なかった。
 と、なると――
「――ハヅチッ!!!」
 直撃を受けた、奴が問題だ。
 血を噴きながら、落ちて行くハヅチ。水牛が糸を引き千切り、その前足で彼女を蹴り飛ばす。
「浅かったか……もう一太刀ッ!!!」
 海尊が、再び剣を振り被った。
 牛に蹴り上げられた彼女は、宙を舞っている。地を蹴って躱す事は出来まい。
「今度こそ、妣上の御許に逝くがいい――ッッ!!!!」
 剣の一撃が、放たれる。
 コカトライスが助けに向かうが、間に合いそうもない。
 なら――
「――テケリ・リ!」
 木陰から伸びた触手が、ハヅチを掴んで引っ張った。
 ……よって剣撃は彼女から外れ、ただ林を斬り倒すのみ。
「何だと――ッ!!?」
「甘いな、海の神。伏兵くらいは予想しとけよ」
「……この、小僧……ッッ!!!!」
 海尊が顔を真っ赤にして、俺を睨む。
 剣を、俺に向けて振らんとするが――
「オイオイ、いいのか? あんまりソレを使い過ぎると、大事な林が平野になっちまうぞ」
「……ッッ!!!?」
 馬鹿め。
 林は海尊の剣撃によって、かなりの槙の木が吹っ飛んでいる。
 ……俺は、挑発するようにニヤリと笑う。
「五行相剋、金剋木――金は木に剋つ。有り難い話だな。金属製の剣で薙ぎ払ってくれるのなら、ケルベロスの炎で燃やすよりも効率が良い」
「く……ッッ!!!!」
 今にも血管が破裂しそうな程、怒り荒ぶる海尊。渦巻く風が、さらに強くなる。
 だが――それでも理性的な判断を下したらしく、奴の手から剣が消えた。
「…………」
 さて。口八丁で、神剣を封じたはいいが。
 これから、どうするかね? 奴と互角に闘えそうなのはハヅチだけだが、ケルベロスの治療を受けてて動けないしなぁ。
 ……ま、どうにかなるか。鬱陶しかった黄泉軍は、海尊の大声と神剣の斬撃にビビって出て来ないし。
 俺はCOMPを操作し、コカトライスを呼び寄せる。低空飛行で近付いて来た邪龍の背に、地を蹴って飛び乗った。
「おわ、蓮さんっ!!?」
「狭いから、もっとあっちに行け。さもなくば蹴り落とすぞ」
「そんな無茶苦茶なっ!」
 弥生と位置関係で揉めつつ、俺はコカトライスを駆って空を舞う。
 グォォォ!! と唸りを轟かせ、水牛が俺達目掛けて突っ込んで来る。
「何してる、射てっ!」
「ええ!? でも、私の鳴弦じゃ通じな――」
「いいから!」
「むぅ……良く分かりませんが、信じますよ!」
 弥生が弓を引き、次々と弦を鳴らす。
 数多の見えざる矢が、水牛に降り注ぐが――俺が斬り付けた時と同じく、まったくダメージを与えられない。
「ははははッ、この程度の咒法で――」
 嘲笑う海尊。
 ……が、しかし。
「ぬ――ッ!!?」
 矢の1本が、奴の頬を掠めた。
 水牛と同じく、負傷した様子はない。だが海尊にとっては、攻撃を受けた事自体が極めて不愉快なはずだ。
 ……海尊の瞳に燃え盛る殺意が宿り、その視線が弥生を射竦めた。
「ひっ――」
「恐がるな、大丈夫だ」
 怯える弥生の頭に手を置いて、落ち着かせる。
 怒り狂う海尊の命を受け、水牛が俺達に向けて吶喊し――
「――ッッ!!!?」
 足を、踏み外した。
 咄嗟に海尊は、鞍から跳び退く。だが水牛自身はどうしようもなく、泉の底へと沈んで行く。
 ……泉の縁に着地した海尊は、憤怒の眼で俺達を見上げた。
「こ、小僧ぉぉ……ッッ!!!!」
「足元に注意が足りなかったな、海尊! さぁどうする――得物はなく、騎獣も失った今のお前は!」
「侮るなッッ!!! この身があれば充分、義経四天王の力を知れッッ!!!!」
 無事な槙の幹を駆け登り、海尊が襲い来る。
「この島根ネノクニの王を――あの知盛や教経でさえ討ち取れなかった我を、貴様如きがぁ――ッッ!!!!」
「別に、討ち取るつもりはないがね――俺はただ、泉をどうにかしたいだけだからなッ!」
 海尊が、爪を振るう。
 対する俺も、二刀を振るった。
「うらぁぁぁぁッッ!!!!」
「必断剣――『四方散花』ッッ!!!!」
 交錯する。
 爪と刀がぶつかり合い、壮絶な火花が弾ける。
 ……海尊が、にやりと笑った。
「はッ、貴様の刃は何処を狙って――」
 が、その台詞が終わる前に。
「……ッッ!!!?」
 伸び放題だった海尊の爪と髪が、バラバラになって散った。
 ……本来の須佐之男は、高天原で狼藉を働くような乱暴者だった。
 見兼ねた高天原の神々は、彼を地上へと追放する。その際、須佐之男は爪と髪を抜かれてしまう。
 しかしそれが、彼の禊となったのだろう。以後の須佐之男は、出雲で八岐大蛇を斃す英雄神となるのだ。
 けれど時間が経てば、爪も髪も伸びる訳で――現代、須佐之男は再び邪悪さを取り戻した。
 ――不肖ながらもこの俺が、彼の爪と髪を斬って禊とする。
「爪切り代、散髪代――共にいらんよ。これも、依頼料の範疇内だ」
「――……」
 海尊の気配から、荒々しさが消えた。
 意識を失った彼は、真っ逆様に落ちて行き――地面に倒れる。
「あ……」
 隣の弥生が、眼を醒ましたように動き出した。
「や――やった、やりました! 蓮さん、凄いですっ!」
 弥生が、はしゃいでいる。
 だが俺は、彼女の相手をする事が出来なかった。
「あー、くそ。やっぱり、躱せてなかったか……」
 ……俺の全身から、血が噴き出す。
 傍にいた弥生の顔を、俺の赤い血が濡らした。
「え……?」
 呆ける弥生。
 須佐之男の爪を、俺は避け切れていなかった。その結果がこのザマである。
 ……俺の身体が傾き、コカトライスの背から落ちてしまう。
「れ、蓮さんっ!?」
 普段なら、大した問題ではない。俺は不死の人間なのだから。
 だが――落ちた先が泉の中なら、話はまったく別だ。
「蓮さん、蓮さん――ッ!!!」
 弥生が、手を伸ばしてくれるが……あと少しの所で、届かない。
 ……水飛沫が上がる。
 俺の身体と魂魄は、泉の中に呑み込まれて行く。



 ……泉は、深かった。
 地の底なんてもんじゃない。地球を貫通して、宇宙の果てに伸びてるとさえ思えて来る。
(――……)
 時間の経過が、良く分からない。
 刹那かも知れない。永劫かも知れない。
 ……とにかく気付いた時には、泉の底が見え始めていた。
(あ――)
 人の形。多分、女性だ。
 声が聞こえる。贄となるべき人間を誘う、稜威母イズモの声。
 ……彼女を、直視してはいけない。
 それは、神でさえ逃げ出す程の醜き姿容。ただの人である俺が見れば、不死も何も関係なく魂を砕かれるだろう。
 けれども母神の親愛は、俺を捕らえて離さない――
(……ッ!!?)
 その時、俺の沈降が止まった。
 見れば、全身に糸が絡み付いている。
 ……地獄に垂れた蜘蛛の糸か、迷宮の導となるアリアドネの糸か。
 俺の身体はその糸に引っ張り上げられ、泉の底から離れて行った。



 ばっしゃーん。
 マグロの如く釣り上げられた俺は、マグロの如く地面を跳ねた。
「――大丈夫かっ!?」
 俺を釣り上げた、アングラーハヅチが駆け寄って来る。
「水を飲んではおらぬだろうな!? 1度でも戸喫へぐいをすれば――」
「あー……心配いらん、大丈夫だ。それより、糸を解いておくれ」
「……ぬ」
 ぐるぐる巻きの俺。
 立ち上がるどころか、手足をまともに動かす事すら出来ない。
 ……スルスルと、糸が解けてゆく。
「ふぅ……じゃあ改めて。助かった、ありがとうハヅチ」
「……礼はいらん」
 感謝されたのに、何故か辛そうな顔をした。
 しかし俺が、それを疑問に思う間もなく――
「蓮さーん、無事で良かったですーっ!!」
「――ぬおッ!!?」
 弥生に、抱き付かれた。
 イタタイタタ、傷が傷がぁ……ッ!!!
「……無事で何よりだ、我等が主よ」
 悶絶する俺を見兼ね、ケルベロスが回復魔法を掛けてくれる。
 ……弥生ではなく傷の方を何とかする辺り、フォローの上手い犬であった。
「テケリ・リ!」
 触手をウネウネとさせ、喜びの舞(?)を踊るショゴス。
 そんな騒ぎの中、ふと見回すと――
「……ん?」
 海尊の姿が、何処にもなかった。
 ……逃げたのか。伝わっている通り、逃げ足の速い奴だ。
 まぁいい、禊は済ませた。しばらくは、悪さをする事もないだろう。
(ああ、禊と言えば――)
 水浴びがしたいな。
 何しろ、穢れた泉に落ちたのだ。しっかりと洗い落とさなければならない。
 でも、その前に――
「弥生、そろそろ離れんか。林を焼いたりとか、まだやる事があるんだからな」






 ガッタンゴットン。
 俺達しか乗っていない電車が、平逆村から離れてゆく。
 とりあえず、林は焼滅させた。後は、海尊がボロボロにした封印の修復が必要だろう。
 とは言え、俺の専門は殺す壊すだ。林がなくなったら、もう出来る事はない。
 そして弥生も、一旦戻って準備をし直すらしい。対面の座席には、彼女が腰掛けている。
「そう言えば、いしゃな様って何者だったんでしょうね?」
「……へ? 何者って――」
 誘泉イザナミを封じた、伊舎那様。自明の理じゃないか。
 勘の悪い巫女さんだなぁ。
「いしゃな様の正体はともかく、今度こそちゃんと報酬は払われるんだろうな?」
「ははは、当たり前じゃないですか。そんな、私が詐欺師みたいな言い方しないでくださいよ」
 ……くびり殺してやりたい。
「それよりも、蓮さんは気にしなきゃならない事があるでしょう」
「んあ?」
「ハヅチさんですよ。随分と凹んでたじゃないですか」
「……あー、凹んでたねえ。海尊スサノオに敗けたのが、そんなに悔しかったのかね?」
「それもあるでしょうが、その後に蓮さんがあっさりと倒しちゃったのが問題なんじゃないですか? 私は人間以下なのかー! って悩んでるんですよ、きっと」
「あっさりと倒した覚えはないが……成程、そういう事もあるか」
 息をついて、流れる景色を眺める。
 俺が海尊を倒したと言っても、それは仲魔の助力あっての事だ。
 ハヅチはそれが分かっていない――つまり、仲魔というものを理解し切れていない。仲魔になれていない。
 ……まったく、プライドの高い神サマは面倒だな。
「まぁいい、疲れたから寝る」
「え? ああ、お休みなさいです。駅に着いたら起こしますから」
 一瞬信じていいものか悩んだが、結局どうでも良くなって目蓋を下ろした。
 ……そう言えば、エデソノの撮影はどうなったんだろうか?
 やっぱり、中止だろうかね。見ないし見たくもないから、どうでもいいんだが。
「――……」
 ……ルイ・サイファー、か。
 リタの魂、返してくんないかなー。いや、無理にとは言わないけどさ。
 つーか、そういうのはプルートの管轄か? あの男は関係ないのかも知れん。
 ……考えても仕方ない。電車のリズムはいい子守唄になるし、さっさと寝よ。




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