「ぬぅ」 このところ、何度となく思い出すのは、過去の情景だ。そこに登場するのは、俺と同い年くらいの女の子だ。どうにも名前は思い出せないが、これだけ頻繁に出てくるってことは、相当に仲が良かったんだろう。なのに、俺にはその子の曖昧なイメージを思い起こすことしか出来ない。何だろう。悲劇的な別れ方でもして、記憶にプロテクトでも掛かってるんだろうか。そんなハードボイルドな過去と縁は無かったはずなんだが、はてね。 「公康。何を難しい顔してるのさ」 「ふっ。生徒会長という重職に就いた御方から見れば、瑣末なことでさぁ」 と言っても、就任式で女装披露という前代未聞の暴挙に出た千織だ。大半の生徒から、良く言えば気さく、悪く言えば軽く見られていて、余り風格や威厳というものは無い。 「最近、何でかガキの頃のことを思い出すんだ。そこに女の子が出てくるんけど、どうしても名前が出てこなくてな。気になって仕方無い」 「初恋の子とかなの?」 「さて……そこんとこも何とも」 俺の記憶にある限り、初恋と呼べそうなものは、中一の頃、二つ上の先輩に抱いたそれだ。だけど件の記憶の中の俺は、それより幼い。もしや俺の中での新史実発覚なんだろうか。自分のことでこんなことを言い出すのもアレな気がするけど。 「とりあえず、俺は記憶探訪の旅に出る」 「はぁ?」 間の抜けた声を漏らす生徒会長様を尻目に、俺は教室を後にした。 「岬ちゃんは、この近辺に住んで何年になる?」 「何ですか、いきなり」 岬ちゃんの疑問符も尤もだ。放課後、何の脈絡も無く一年の教室に乗り込んだかと思えば、開口一番の台詞がこれだったのだから。 「なぁに。悪意の無い、只の世間話さ」 「若干、棒読みなのが気になりますけど、裏は無さそうなのでお答えします。私の家は、代々、この辺に住んでるらしいです。何代も前となるとすぐには分かりませんけど、お爺ちゃん辺りは、この町で生まれたみたいです」 そういや、御先祖様は竹中半兵衛という話だった様な。だけど、たしか彼は美濃、現代で言う岐阜辺りで活躍した武将だったような。どういう流れ方をして、この地に辿り着いたのか気になるところだが、まあ、それは次の機会にしよう。 「そのことを踏まえて聞くけど、岬ちゃん。俺と前に会ったこと無い?」 「それは、この学園に入る前っていう意味ですか?」 「そうそう。更に言うなら、中学以前、小学三、四年の頃に、ちょっとクールなナイスガイの少年と友達だった記憶って無い?」 「自分で、良くそんな捏造を出来ますね」 まあ、それが唯一の取り柄みたいなものだからな。 「結論から言えば、無いですね。私、ちっちゃい時は引っ込み思案のはにかみ屋でしたから、数えるくらいしか友達が居なかったんです。何度か話した程度の人にまで範囲を広げて良いなら可能性はありますけど、それなりに仲が良かった男の子に先輩らしい人は居ないです」 「ほふぅ、そうか」 何か、ちょっと意外な岬ちゃんの過去を知れたのは良いとして、俺の求める情報は無かった。仕方無い。次に行くとしますか。 「おぉっと。綾女ちゃん、ちょっとタンマ」 岬ちゃんに別れを告げようとしたその矢先、次のターゲットが廊下を歩いているのを目にし、声を掛けた。 「こんなところで、何をしておりますの」 「自分探訪」 「何だか、若年層が一度は掛かる流行り病の様ですわね」 別に、レゾンデートルなんて大層なものを探してる訳ではないのだが。 「いやさ。綾女ちゃん、小学生時代に俺っぽい奴と会った記憶ってない?」 「あなたの様に個性的な方を、忘れる訳があると思いますの」 何つう言い草ですか、綾女さん。 「それに、自慢ではありませんが、記憶力にはちょっとした自信がありますの。あなたに偽名で生きてきたという過去が無いのであれば、七原公康という人物に初めて会ったのは、今生徒会長選であると断言できますわ」 「それは、確実に自慢だから」 自覚があるのか、無意識なのか。いずれにしても、天才の類は時として嫌味だ。 「じゃ、俺は他に行くところがあるから」 「呼び止めておいて、凄い態度ですわね」 俺自身も少しばかりそう思わない訳でもないが、男の生きる道はこういうものなのさ。そんな無茶な理屈を捏ね上げつつ、俺は一年生のエリアに別れを告げた。 「う〜ん。公康君には、千織君を奪った時に会ったのが最初だったと思うけど」 「そうっすか。いや、実に参考になりました。ではこれで」 型通りの礼だけ言って、俺はそそくさと三年生の教室から逃げ出した。茜さんと本格的に関わると、本筋と外れた部分で無駄に体力と時間を食う。身を以ってその事実を認識しているだけに、足に力が入るというものだ。 「もぅ。公康君のいけず」 何か小さな声が聞こえたけど、俺は気にすることなく、その場から立ち去った。 「ほぉ。自分のルーツ探しとは随分と恐ろしいことを実践する奴だな」 校舎をぐるりと一回りして、やってきたのは、自分のクラスだった。目の前には、遊那が腕を組みつつ、足も組んでいた。正直、頭が良さそうに見えない格好だというのは心の内に秘めておこう。 「ところで、恐ろしいって、どういう意味だ」 「常識的に思慮しろ。貴様の脳配線が異常であることを自覚し、その上、その根源が何処にあるかを考えるなど、真っ当な奴ならそれだけで鬱に陥るぞ」 何だか、さりげに酷い言われ様だ。 「んな大層なことじゃない。記憶の中に居る女の子が、どうにも最近、思い出されて仕方ないからな。もしかして、身近に居るんじゃないかと探してるだけだ」 「中々に、興味深いお話ですね」 横から割って入ってきたのは、西ノ宮だった。今は、全ての可能性を視野に入れる段階だからな。こいつにも聞いておくとするか。 「西ノ宮は、本当のガキだった頃、俺っぽい奴に会ったこと無いか?」 「生憎、私は中学へ上がる時に静岡から越して来たものですから。何度か、こちらに来たことはありますけど、その時に会った可能性は天文学的と言って良い低確率でしょうね」 実に正論だった。加えるなら、万に一つ何処かで接触していたとしても、それはその一度きりで、思い出の女の子では無いだろう。 「遊那はどうなんだ。岬ちゃん達と幼馴染なんだから、ずっとこの辺りに住んでるんだろ?」 正直なところ、学区こそ違え、割合、近くに住んでいるこいつが一番怪しかったりする。事実だとしても、本格的に認めたくない訳だけど。 「その前に、一つ聞いておく。件の女の子というのは、どんな格好をしてるんだ」 「どんなと言われても、顔をはっきり憶えてるなら、こんな苦労するかい。漠然としたイメージで、髪はショートカット、服の上はカーディガン、下がスカートかショートパンツってとこだとは思うんだが」 「だったら、私ではないな」 間、髪入れず返答してきた。 「やっぱ、スカートは履いてなかったか?」 「いや……だが、この髪型は、学園に入学したのを機に始めたものだ。短髪であるというのなら、少なくても私ではない」 今、微妙に聞き捨てならないことを言った気がした。 「遊那……お前、昔は長髪だったのか?」 「何か、問題でも」 「いや……やっぱ良い」 こいつには、茜さんに匹敵する執念深さがある。深入りするのは避けるのが基本だろう。 「ほいじゃ、俺はこれくらいで」 ここも外れだったか。やれやれ、ここまで来ると勘違いって線が出てきたな。そんな、骨折り損の展開を視野に入れつつ、俺は再び教室を後にするのだった。 「えっと、りぃはと」 道すがら、俺とりぃ、共通の知り合いに片っ端から所在を聞き込んだところ、図書館に居るということで足を運んだ。どの席までかは特定出来なかったけど、動物ってのは大体、特定の縄張りでしか行動しないからな。携帯のメールで呼び出すというのもありだけど、消音にしていない可能性を考えると、あまり賢明じゃない。それに、こういう無駄とも思える探索が楽しいじゃないか。最近の若者は楽することばかりを考えて、けしからんよ、全く。 「りぃ、ちょっと良いか?」 いきなり背後から声を掛けた為か、声にならない悲鳴を上げたように思えたけど、気にするのはやめておこう。 「あ、き、公康。な、何か用?」 「いや、ちょっと話したいことがあるんだけどな。ここじゃ人も多いし、ちょっと出れないか?」 「き、聞かれちゃ困る話なの?」 あくまで、図書館という場所柄、平然と会話をするのがまずいという意味で言ったんだが、微妙に勘違いしてないか。 「とりあえず、出よう」 「う、うん」 何か、後をついてくるりぃの姿が随分とギクシャクしているような。両手両脚が一緒に出るなんて古典的な緊張の仕方をする奴、久々に見たぞ。 「お、誰も居ないな」 談話室の中には、幸いにと言うべきか、人の姿が無かった。まあ、そんな大層なことじゃないし、ちゃっちゃか済ませますか。 「なぁ、りぃ」 「は、はい! 何で御座いましょうか!」 何故にここで、身を強張らせる。 「お前、俺と小学生時代に会ったこと無いか」 「……ふえ?」 何が起こったか分からないといった感じで、間の抜けた顔をした。 「小学生って……私と公康が初めて会ったのって、入学式の時じゃん」 「そこを、何とか曲がらんかと問うている」 「言ってることが分からないんだけど」 正直なところ、俺自身も完全には理解しきってない。 「俺っぽい奴と仲が良かった記憶が無いってんなら、別に良いんだ。邪魔したな」 「え、え、えっと。会ったことが何かで必要だっていうなら、何とか捻り出してみようと思うけど」 それは、完全なる記憶の捏造です。 「あぁ〜。もう、訳分からん」 記憶と現実が、一切纏まる気配を見せないまま、時だけが流れることに力が抜け、目の前のテーブルに突っ伏した。あ、冷たくて気持ち良いな、これ。 「な、何か、緊張したら喉が渇いちゃった」 「きなこ餅ドリンクが旨いらしいぞ」 俺も、茜さんとそれなりに同類だと知った。 「公康〜。何か面白いことは分かった?」 千織、貴様という奴は、苦悩する俺を面白いこと扱いしやがって。ってか、どうやってこの場所を知った。ツッコミどころがやたらと多いぞ、最近のお前は。 「ところで、僕もちょっと気になることがあるんだけど」 「何だよ?」 基本的に千織は成績上の優等生ではあるが、同時に俺と同程度のバカでもある。何を聞いても動揺しないよう、心の準備だけは済ませておいた。 「公康の話を聞いて思い出したんだけど、僕も小さい頃に一緒に遊んだ友達が居るんだよ」 「まあ、良くあることと言えば、良くあることだよな」 特に、小学校に上がる前ともなると、自我さえも怪しい時期だから、更にその確率は上がる。だけど、俺の場合、小学生の中頃だからなぁ。たかだか六、七年前のことが思い出せないっていうのは、ちょっとヤバいかも知れない。 「あの、さ。その友達っていうのが、名前は思い出せないんだけど、公康にそっくりな気がするんだ」 「……」 ナンデスト? 「よくよく考えてみると、僕の住んでる場所って、公康のところにそこそこ近いんだよね。学区が違うと、どうしても縁遠くなりがちだけどさ」 いやいやいや、ちょっと、冷静に整理させてくれ。 「つまり、あれか。俺の思い出の女の子は、千織、お前だとでも言うのか?」 「一緒に、聖歌隊もどきをやったり、テストを見せ合ったりした記憶ならあるよ。学校も違うっていうのにね」 やべえ、半端無く、真実の可能性が高まってきたぞ。 「き〜さ〜ま〜!」 「な、何さ?」 「俺の甘酸っぱい思い出を返せ! 今すぐ返せ!」 「公康の方が、勝手に事実を捻じ曲げただけじゃないか!」 後々、冷静に考えると千織の方が正論なんだけど、この時の俺はまともじゃなかった訳で。椅子なんか持ち上げて、本当、恥ずかしい話だったぜ。 かくして、俺の過去を探る旅路は、とんでもないオチで締め括られた。
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