邂逅輪廻







 ―――――色は無限の可能性を秘めているが故に災厄を含んでいる。










「なんていうか、あれだな僕。ひ弱すぎ?」
「無茶しすぎなんですっ!」
「ぅわお!?」

 吃驚。
 目が覚めて今までの流れに感想告げたら、すぐさま突っ込みが返ってきた。
 傍らにはリース。その顔は弱弱しい。
 何故だろうと鈍感具合をこれでもかと発揮しつつ、フェイトは奥にいるビューアに理由を尋ねる。

「病み上がりで無茶しすぎじゃ。ちなみに5時間ほど眠っていたよ」

 声に出して尋ねていないのに返事をするビューアに感謝するとともに、フェイトは寝起きによる気だるさに思考が追いつかない。思考を追いつかそうとすると、気持ち悪くなってしまう。気持ち悪いのは余り嫌いじゃない“M”寄りなフェイトは、そうして自分を不況に追いやりながら、窓から見える不思議な光を見つけた。あれはなんだろう、と生来から決して曲げようとも曲げられない性根を抱えているので、リースの制止を無視して光が見える窓へと近付く。

「フェイトさんっ、ゆっくり休んでないと!」
 そう忠告するリースの言葉を右から右へと流しながら、弱弱しさと力強さという矛盾した足取りで窓際に辿り着き、感涙した。
 その、余りの美しさに。
 精霊が舞い、その下位の存在である晶霊が踊り、光が遊んでいた。この集落に蓄積された魔力が彼らと反響し、増幅し、乱反射し、その光を強く、切ないものへ到達せしめる
 
 色取り取りの光。
 これほどまでに、風景は人を感動させるものなのか、とフェイトはこの光景を脳裏に、心に、魂に刻み込み、けして忘れる事の無いように己に戒めた。
 それほどまでに麗しい空間。
 それほどまでに美しい風景。

 素晴らしい、と思った。

「すっげぇー……」

 無邪気な子供のように瞳を輝かせ、フェイトは窓から飛び降りて目の前の幻想を纏おうとはしゃぎ回る。普段纏っている雰囲気が老熟されきったものだけに、その変化は凄まじいものなのだが、生憎と、この集落の人々はフェイトと知りあって間もなかった。
 フェイトを昔からするものからすれば、今のフェイトは有り得ないぐらいに興奮しきっている。表情を、感情を表に出している。
 少しの間しか一緒にいない、リースたちにはわからないが。

「あはは……っ」

 満面の笑顔を引き連れて、フェイトはオリジナルの魔術で空を舞う。虚空を踊る晶霊、精霊たちと遊んでいるかのように――――否、フェイトは彼らと遊んでいるのだ。
ただ、今のフェイトにとって残念な事に、精霊たちの言語はわからない。が、それでも意思の疎通はできる。表情で会話をし、仕草で会話をする。 

「気まぐれな精霊たちともうあんなに仲良く……」

 それはつまり、フェイトという青年の性質が純真な子供と近いことを意味しているか、フェイトは以前から精霊たちと知り合いである、か。
 世界に住まう精霊たち、晶霊たちは、ほぼ例外なく気紛れで、悪戯好きである。悪ガキ、といっても間違いではない。しかし、その性格とは反面、義を重んじる存在でもある。
 助けられれば、精一杯の恩を持て成す。
 仲間として、その人物を受け入れる。
 
 つまり、フェイトは―――――
 
 


 そうして、数十分経った後。

「じゃーねーっ」

 手を振り、フェイトは妖精たちに別れを告げる。
 その顔には、満面の笑みと、別れを惜しむような哀しみの表情があった。
 気分は最高だった。高揚が身を包み、今なら何でもやってやろうという気力が身体の奥底から溢れていた。ひと時もの充実した時間だったが、久し振りの(興奮するほどの)出来事に立ち会えたフェイトには充分すぎる、楽しい時間だった。
 フェイトはるんるん気分でリース、もといビューアの家に戻るとビューアが冷淡の、リースが驚愕の眼差しで迎えた。

(…………あ)

 失敗した。
 はしゃぎすぎてしまった。
 どうして僕はこうなんだろうと、自分の生来の性格に愚痴をたれながら、フェイトは彼らの家に入った。リースの顔が紅潮しているような気がしたが、気の所為だろうと自分の考えを振り払った。
 彼らに特に言うべきことはないので、挨拶して寝ようと考え、だがその前に聞いてみたいことがあったので、リースではなくビューアに訊いてみた。
 
 世界樹の、違和感について。
 
 初見して、何かがおかしいことに気付いた。それはフェイトの積み重ねられて蓄えた、洞察力のおかげである。14の頃から旅に出て早6年。幾ら、器用ではない自分だからとて、それでも多種多様の”もの”を見ているのだ、自然とそういった力は付いてくるのだと、フェイトはこの数年で理解し、確信していた。とはいえ、下手すればその自分の糧となったものは、間違った方向へと導いてしまうこともあるが、幸いにして自分には物事を見抜く”コツ”を教えてくれた老獪がいた。自分の進むべき道を標してくれた老婆がいた。
 そして、自分に生きるための知識を、知恵を学ばせてくれた養父がいた。
 自分に教えてくれる人が居てくれたことを、神に感謝し、彼らに感謝した。
 
 それはどれだけシアワセなことなんだろう。
 自分の“同胞”はもう居ないけれど。それでも、僕はこうして楽しく生きていられる。
 ―――――それが幸せだって事を気付けた僕は、果報者なんだと。
 
 そう、気付くことができた。




 
「…………明日でいいかの? 今夜は、いろいろと考えたいことがあるでの」

 フェイトが訊ねて数秒。ビューアは苦虫を噛み潰した顔をしながらそう答えた。まあそうだろう、彼ほどの頭脳を、知識を有しているものならば自分に対して、自分の種族に対して色々と思うこともあるだろう。今の妖精との戯れも然り。
 ――――本来、”自分たち”は妖精たちと戯れるようなものではないのだから。
 戯れるものでは。

「ええ……わかりました」

 我ながら今の返し方は拙かったと反省するも、それは遅い。
 今の自分の表情は、どうも重々しいものになっていたのだから。
 リースを見て、その反省の内容は確信に変わった。









































 翌日。
 昨日よりも更に酷い感覚を味わいながら、ルートは目を覚ました。
 身体中が重い上に、身体の感覚に違和感しか覚えない。普段の行動ができない、というわけではないが、ぎこちなくなってしまうのだ。例を挙げるとすれば、今、身体を起こすという簡単すぎる作業にすら、だ。
 毒の後遺症なのか、はたまた昨日の無茶の所為なのかはフェイトには予想しかできない。
 
 恐らく、両方なのだろうなあ、と。
 
 どちらにしても興味は無いので、身体の感覚を取り戻すためにベッドから出ようとして、そこでようやく自分の考えが見当違いだったことに気付いた。
 
(リース……さん?)

 何故か彼女が自分の身体で眠っていた。
 朝特有の涼しげな風をその身に受けながら、穏やかな寝息を立てていた。その小さな口が僅かに開いているのが何処か猥らに見えてきたのは気の所為か。フェイトは自分の思考が緩んでいることを、自分の頭を全力で殴るという事で叱咤し、彼女に小さく謝る。
 彼女が起きないように器用に身体を動かそうとして、それがどうやっても無理なことに気付く。そこで思い当たったのが自分の得意分野。
 
 
 独式魔術(シュルテ)
 
 
 これはフェイトの呼び方の上、正式な名称では無い。更に言えば、この世界ではもう失われた言語としてなりつつある言語だ。
 何故その言語を知ってるかといえば、自分がその失われた種族の数少ない――――唯一と断言してもいい、生き残りであるから。
 それはまだ語られることでは、無い。

ちなみに、先日使用した“風翼”も、これに含まれる。

(涼しい風がゆっくりと〜♪ 眠れる美女を包んで……♪)

 即興で詩を作り、適当な音楽を当てはめながら心の裡で呟いていく。その表情は年齢不相応にして、彼の面持ちに適した穏やかな笑顔。例えるなら、そう。昨夜の妖精の笑顔とも言うのだろう。見るもの全てを和ます表情をその顔に浮かべながら、一旅人としてはありえないほどの速度且つ、精密な魔法陣を描いていく。フェイトの左人差し指が虚空を舞い踊り、その泡沫ともいえる魔力の筆で、最期に五芒星を描き、構築した“陣”にが無いか見つめ、安堵の息を漏らした。

(やっぱりシュルテを編み出すときは楽しくやらないと)

 即興にして趣味の鼻歌も佳境に差し掛かったところで、フェイトは試しに近くのもので実験してみることにした。きょろきょろと辺りを見渡し、いい実験材料は無いかと探してみると丁度テーブルの上に小さなコップが乗っかっていた。これでいこうと、新たな術式の使用にうきうきしながら、フェイトは左目を閉じ、利き目である右目で、テーブルの上のコップを視線で射抜く。狙いが定まったのか、左人差し指をコップに向けて振るう。とたんに、そのコップは僅かばかり空に浮いた。
 成功した! と喜びながら、次にこの魔術の持続時間を計測することにしたフェイトは、リースが空いている右手を掴んでいることに気付くことなくその実験を観察していた。
 
 十秒経過。未だコップに”ぶれ”は出ることなく、浮き続けている。
 十五秒経過。コップではなく、魔法陣が揺らいできているのを発見。観察を続ける。
 二十秒経過。式が幽かになっていき、
 二十三秒。かたん、という音とともにコップは元の場所に落ちた。
 
(意外に保ったなぁ…………え?)

 純粋な喜びに口元を綻ばせると同じく、無意識のうちにぐっと握り締めた拳から柔らかな感触が伝わってきたことに疑問を覚えたフェイトは視線を移す。そこには、凄く凄く凄く顔を赤に染めたリースの顔があった。
 それは魅了された顔とも言うが、フェイトにそんな文が浮かぶことは一切無かった。

 ……見覚えのある顔ではあるけれど。

 フェイトはお人よしであると同時に、世界でもトップクラスに値するスケコマシでもある。
 相手が辺境の子だったりするのとか、純朴な子が対象の所為かもしれない…………いや、そんなことは無いか。
フェイト自身の生来の純粋さ――――お人よしっぷり―――――が関わりあいになる女性の胸を打つのであろう。
 フェイトにはわからないけれど。
 タチが悪いのは、フェイト自身がものすごく、ものすごーーーーーく鈍感ということだ。何せ自分に興味が無いのだ、自然とそうなるのは仕方が無いことだが、それでもそのうち女性に刃物で刺されるのではなかろうと、どっかの誰かは思ったことがある。
 
 閑話休題。

 
「え、と……」

 気まずさ全開のフェイト。別にシュルテ作成を見られたのが恥ずかしいわけではない。自分の詩が聞かれていたのではないかと、その点だけは心を覆うのだ。一応心の中だけで呟いてはいたが、経験上、自分が本当に楽しいときは、その詩が口に出ているのをわかっている。わかっているからこその現在の心境なのだが、そんな思惑をリースは完璧に無視して、告げた。

「歌、お上手なんですね……感動しました」

 瞬時。
 フェイトの顔は沸騰する。

 リース。(かわいー)
 母性本能全開な上に、行動にしていた。本当にエルフだろうかと問いたくなる行動の速さだった。
 
「え、あああああああああ、ああのええっとりーすさあーん?」

 ハグっと。
 フェイトは神速で抱き付かれていた。
 全く反応できなかったのは、どっかの精霊が彼女に異常な加護を、とそこまで考えてそんな加護与える精霊なんかいないだろ、と自分にツッコむ。ツッコんで、いやじゃあなんでだろうと好奇心の塊であるフェイトは悩もうとしたが、全身に絡みつくこの柔らかさといい匂いがそれを粉砕した。
 背中に押し付けられる両の乳房。彼女の髪から漂う優しい匂い。首元にある彼女の柔和な笑みが視界を掠める。胸板に絡みつく白く美しく、華奢な腕。
 それらはフェイトの理性の堤防を決壊させ、狂わせるのに十分すぎるほどの威力を持ったものであった。

 本当にエルフなんだろうかこの人、と思うぐらいに。

 幽かに残った理性たち(フェイトを小人化させた姿)を全力疾走させ、襲い来る煩悩(リースを以下略)を振り払い(撃退できないのだろう、多分)、なんとかルートを統括する脳へとたどりつき、フェイトに指令を下す。

 ―――――そのまま身を委ねろ!
 どうやら既に懐柔された後みたいだった。

「り、りーす……さん」

 理性と本能を振り払い、じゃあ何が残っているかといえばリースの僅かな矜持。それが過半数を上回りすぎる欲望を撃滅し、なんとかフェイトの意識を保ち、言う。早くリースから離れないと、無限に増えていく欲望にフェイトの矜持もギブアップしかねないので。
 リースも自分が何をしているのか気付いたのだろう、徐々に頬を赤く染め、ゆっくりと名残惜しそうにフェイトから離れていく。顔が赤いのは恥ずかしさの所為だとそんなことを思いながら、フェイトは息も絶え絶えな様子でテーブルの上に置いてあったコップに水を注ぎ、一気に飲んだ。

「げほげほげほっ!」

 咽た。近年まれに見るレベルの高さで。
 ”あ”に濁音が付きそうな声を出しながら、フェイトはもう一度、今度はゆっくりと水を飲む。喉の辺りが楽になり、普段の声に戻った事を確認すると、今日の予定を考えてみた。リースの存在を無視して。

(ビューアさんに会う前に……やっぱり世界樹を調べたいよな)

 昨夜見た世界樹。
 アレは気にならないほうがおかしい、というか気にしないでおけるような自分ではない。フェイトは自分の性質を在る程度把握しているので、本当ならば今すぐにでもあの場所へと赴きたいのだが、

(リースさんが黙って行かせるわけないし……なぁ)

 確実に彼女は否、と言うだろう。
 駄目だと言わない理由が思いつかない。
 じゃあどうするかと言われれば、困ったとしか返せない。彼女を眠らせて向かうというのは彼女の属性から察するに、効きそうにもない。(エルフの大半はフェイトと同じ風属性だからだ。厳密に言えばフェイトは風属性とは”いえないのだが”、まあ風と言っても過言ではないので、そこは省く)不思議そうにこちらを見つめているリースを彼女の存在そのものを無視しながらフェイトは考えた。
 
 案1.やっぱり無理矢理強制睡眠。
 ――――否。彼女に通用するとは思えないし、失敗したときのリスクが高すぎる。

 案2.散歩と言い、こっそりダッシュで向かう。
 ――――保留に限りなく近い否定。散歩についてくる人間だ、彼女は。
 
 案3.睡眠ではなく、拘束系統の魔術を使う。
 ――――否。確かに自分は魔術を嗜んではいるが、あくまで嗜む程度であること。更に言えば、今シュルテを編み出したとして、成功するかといえば否だ。
 
 案4.思考放棄。
 推奨したい気がするが、それだと前に進まない。

(頭悪いなぁ、僕)

 自虐的にそう言うと、フェイトは仕方ないので案2を採用することにした。

「すいません、リースさん。散歩してきてもいいですか?」
「どこに行かれるんですか?」

 言葉を詰まらせようとして、咄嗟に閃いた言葉をそのまま口に出してみた。

「レイドさんに謝ろうと思って」

 言ってみて、これは意外とイケるんじゃなかろうかと思う。そして意外とどころか、早々とリースは頷いてくれた。

「……レイドは悪くないと思うんですけどね、まあいいです。道、わかります?」
「口頭で教えていただけると助かります」

 なにぶん、方向音痴なもので。
 
 そう続けると、リースは苦笑しながら道を教えてくれた。



















 






「さて」

 準備は万端だ、と続き、フェイトは静かに世界樹の元へと向かう。何故か入り口に誰も見張りが立っていなかったが、まあ昨日もいなかったし、と自分を納得させ、世界樹に接近し、世界樹を触る。叩く、皮を剥いでみる。皮脂を舐めてみる。僅かに甘い。好みの味だな。

「僕は何をやってるんだ」

 黙って世界樹の皮を剥いだ時点で重罪なのだが、フェイトは生憎それを知らなかった。
 知っていてもやったが。
 
 向いた皮を懐に収めようとして(重罪度レベルアップ)、何か違和感を感じ、もう一度舐め――――その違和感に気付いた。
 気付くというよりも、思い出したというほうが正しい。
 ビューアの兄、ビューレと酒を飲み交わしたときの会話を。
 

『――――世界樹って、甘いんだぜ。クソ兄貴が言うには、魔力が充満しているかららしいけどな。あすこにいた頃は剥いで、酒のつまみにしてたな……』
「魔力が……衰退してる?」


 或いは枯渇か、減退。
 ふむ、と嘯き、フェイトはこの無駄にデカい世界樹の周囲を見てみることにした。とてつもなく太いので、相当な時間が掛かりそうだったが、まあ気にしないことにした。
 途中、なれない足下に躓きながら、フェイトはようやくその原因のところへと辿り着き、

「マジですか……」

 軽く絶望した。
 そこには魔物たちが群れを成し、世界樹の魔力を取り込んでいるのを発見した。
 そして、自分の姿を見つけ、舌なめずりしている魔物の姿。
 戦闘になるな、と確信した。

 で、現実逃避気味に敵の数を数えてみた。

「ひーみーよーいつ…………むー、……なーやー」
 
 てゆーか。
 一杯いた。
 沢山いた。
 更に言えばいつの間にか囲まれていた。
 逃げたい。
 逃げられない。
 どうしよう。

「……軽くというか重く混乱してますね。僕」

 頭を払う。
 用心の為に持ってきた、十年以上付き合いがある得物を手に、フェイトは戦況を確認する。
 敵の数は二十余頭。今、ここに見えるのは2,3頭だが、その彼らの背後からは、遠いところからは更なる気配を感じることができる。風系の、更に置いては探査系統の術を得意としているフェイトは、数を違う事無く魔物の数を確認することができた。

 助けを求めに、逃げ惑うか。
 助けを求めずに、戦うか。

 大まかにわければ選択肢は二つ。だけどフェイトにとってその決断は容易なものであったし、第一に二者択一になりえない問答であった。

(住居区へ傾れこむことだけは避けたい。なら、答えは一つでしょう)

 すぅー、と息を吸い込み、吐き。同じことを三度繰り返し、駆け出した。
 牽制の意味と期待の願望を込めて、風の刃を三つ。その一つは運良く一体の首を切断し、残りの三つは、精々かすり傷をつけただけであった。が、フェイトにとっては一体倒せた事だけで大いに助かる事柄であった。
 
 崩れ行く屍を踏み台にして、跳躍し、右手の刃を射程範囲内ギリギリのところにいる敵へと投げつける。と同時に逆の刃を今、正に襲いかかってきた敵の眼球に突き刺す。そして、その眼球を失って悲鳴を上げている敵の首の前をくるりと回して、必然的に絞め殺す。
 
 飛んでいった右の刃に向けて爆破の術式を流し込みながら、フェイトはその発動までの時間を稼ぐためにその場に構える。
 稼ぐべく時間は一分。自分の得物に魔力が充満しきるまで。だが、その一分を保つのが難しいと、致命傷をできる限り避けながらフェイトはいつも思う。
 魔物の爪牙で傷ついていくのを自覚しながら、フェイトは自分を取り囲む気配がどんどん増えていく事に辟易する。自分の許容範囲外の、つまりは“生きて帰れない”レベルの魔物の数。既に逃亡は不可能。逃げる隙などあるならば、自分の状況はもっと楽になっている。楽にしている。
 だが、絶望はしない、できる限り抵抗し続ける。

「手紙を残しておけばよかったなー」

 と、心にも無いことを呟きながら、自らの足は近くの敵の頭部を粉砕する。
 相手の数は増えてきて、自分の傷は増えて、体力は減っていく。泥沼だった。
 咄嗟に身体を捻り致命傷は回避する。
 だが、血は流れていく。

「幾重に重なりし数奇の民よ、今ここに集いて我を癒せ!」

 治癒系統の呪文に属する、著しい疲労の減退を援護する術。
 だが、それは気休め程度。後残り半分の時間を保つためにはまだ足りない。

 届かないなら届かせる。それが、フェイトの信条である。

 言葉で時間を稼ぐのは通じない。言葉は通じないのだから。
 身体で時間を稼ぐには届かない。身体は既に瀕死に近付いているのだから。

 ならばどうするか。

「…………なんとかしよう」
 
 そう。なんとかするしかないのだ。”無関係”の人たちに危害を及ばせない為に。
 それが、フェイトという、自分の在り方なのだから!

 今にも右腕を噛み砕こうとしている犬型の魔物を、そのまま地面に叩きつけ、僅かに緩んだ隙に、左の指でその瞼を貫き、呻き声を上げた瞬間腕を引き、顔を殴りつけて粉砕する。
 残り十と三匹。
 残り十と七秒。

「あああああああっ!!!」

 残り十と一匹。
 残り十と四秒。
 既に右腕は使い物にならなくなっている。
 
「……はぁーっ、はぁーっ、はぁーっっ、んっ」

 十.十四。
 九.十四。
 八.十三。
 七.十三。

「ぜぇーっ、ぜぇーっ」

 鬼気迫るフェイトの様子に、魔物たちは一瞬怯む。

 六.右腕不能。
 五.左肩損傷。
 四.左腕裂傷。
 三.左腕不能。

 二.

「フェイトさんっ!?」

 爆破の中心部となろう場所に立っていたのは、リース・L・マクスウェル。
 死人と成り下がろうとしていたフェイトは目の色を変え、完成しようとしていた術式を強制的に破棄する。完成間近の術式を破棄する代償として、暴力的なまでの激痛が己を苦しめるが、フェイトは歯を食いしばり、なんとか踏みとどまる。
 
「ぐが…………ぁ……ぅああああああああああ!!!」

 咆哮。

 獣のような、雄叫び。
 その叫びに、再び魔物たちは動きを止め―――――次の瞬間には何か得体の知れない、ナニカによってその生涯を終えた。終えさせられた。
 その圧倒的な暴力に。
 その、圧倒的なまでの恐怖に。

 それは、魔物ではなく、”魔者”と呼ばれる存在の眷属。
 魔者。魔物とは比べ物にはならない能力を持ち、そのほとんどが人間が使う言語を会得している。高位な存在。
 余程の、それこそ英雄と呼ばれる“七色”ほどの兵でなければ敵う事の無い、存在。
 それが、魔者。
 大抵、何十かの眷属を従えており、その眷属の彼らには魔者の眷属としての証が刻み込まれている。
 
『…………イッタイ、なにヲ、ヤッテイルのダ?』 
「ぅ…………ぁ…………」

 まだ人語を上手く喋れないだろう眷属の言葉に返すのは、喘ぎ声。
 正直なところ、立っているのがやっとなのだ。

「フェイトさんっ!?」
 
 喘ぐように呼吸をしながらフェイトは、駆け寄ってきたリースに身体を預けつつ、突如として現れた、世界で三番目に見つかりたくなかった相手の眷族に話しかける。

「……ない……しょ、に……して、く、くれたり、しま、せん……よ、ね?」
『……ジョウケンシダイ、ト、イツモイワレテイルのダロウ。“     “ヨ?』

 地獄の番犬。
 ケルベロス。
 魔物とは、違う存在。魔物とは比べ物にはならない存在。
 この世界の住人ではない、魔獣と呼ばれる存在。
 そして、フェイトが後悔している、好戦的な魔獣。
 の、眷属。
 その証拠に、その眷属の胸には、大きな逆十字の刻印が刻まれていた。

『……フ。マアイイダロウ。ソコなエルフ、ソのにンゲンヲツレテ、ハなレテイロ。……サツリクヲミタイトイウのなラ、はなシはべツダガ』 

 ぶんぶん、と首を振ってリースはその強大な眷属から離れる。腕に、フェイトを抱えて。

「あは…………は、けっきょ……く、…………めいわ……」
「いいから黙っててください!」
「い、いえ……す、ま、まむ」

 軽かった。
 凡そ人間らしかぬ重さだった。
 冷たかった。
 雨に打たれ続けていたかのように。
 










 


『サテ…………』

 怯える魔物たちを傍目に、ケルベロスの眷属――――ホロウは呟いた。
 怯える魔物たちに送る言葉を。
 死の言霊を。

 断末魔とともに、先程まで魔物たちがいたであろう空間が歪み、魔物たちを飲み込んでいった。

 こうして、エルフの集落を覆っていた魔力は元通りになる。
 結果的にビューアは何もせずに自分の集落を護りとおした。
 フェイトと呼ばれる青年の力を間接的に借りて。

 真実は、フェイトと、ビューア。そして、リースと、眷属の彼しか知らぬこと。











































「さて、と」

 夜遅く。
 怪我も完治したフェイトは、手紙を書き終えると、それを自分の寝ていたベッドの上に置いた。内容は主にリースに、僅かにリーシアに。一言、ビューアに。
 一週間の滞在どころか、一ヶ月もこの集落のお世話になってしまった。せめてものお礼をしたいのだが、今は持ち合わせが無い。
 無いのだが、何も礼をしないで、黙って帰るのは流石に気が引けるフェイトは、荒くれ者の英雄の住所を書いたメモを残すことにした。

(こーゆーことは僕じゃなくて、ビューレさんの担当でしょうよ……)

 思いながらフェイトは普段着に着替え、窓から飛び降りる。
 昨日のうちから準備してあったので、着地に音は無い。

「お世話になりましたっ」

 集落の入り口に来て、フェイトはその全ての人たちに頭を下げた。
 みな、寝ているだろう。
 ふぁ、とフェイトは間抜けな声を上げる。
 最後に、もう一度この光景を目に焼き付けて村を旅立った。
 新たな目的地を探して。


『ども。フェイトです。色々お世話になりました。
 なにもお礼ができなくて申し訳ないので、せめてものお礼にとビューレさんの現住所をを書いたメモを同封しておきます。次にこういった事態があった場合は問答無用で尋ねると吉です。
 さて、リースさんが僕と同行したがっていた件ですが、この手紙をリースさんが読んでいる頃には僕はもうこの集落を出て、何処か別の町にいることでしょう。色々考えた挙句、リースさんと旅をできない…………というよりも、リースさんが僕と旅をすると色々と厄介に巻き込まれます。何回もいいましたけど。でも、聞く耳持たない様子でしたので、おいていくことにしました。うあ、怒らないで下さい。
 リースさんが今抱いている感情は、一時的なものだと思いますので、一週間もすれば無かったことになると思います。
 …………んー、もう特に書くことも思いつかないので、これで終わらせていただきます。家族みんなで楽しく過ごして下さい。
 追伸、レイドさんは結構いいオトコだと思いますよ?』



「〜〜〜〜〜〜〜!!!」

 鬼神がいた、とそのときの様子を妹のリーシアは後に語った。
 フェイトが失踪した翌朝、リースはフェイトに宛がったの部屋においてあった手紙を見るや否や、リースは準備していた道具を纏め始めていた。
悪鬼羅刹と評すに相応しい表情で。
 稀に見る姉の本気の怒りの表情に、リーシアはいなくなったフェイトの顔を思い浮かべ、恨みつつ、唯一の安全地帯であろうビューアの元に向かった。

「…………少し頭を働かせればわかることじゃろうに」
「?」
「フェイト君の性質と、性格。そして体質を考えれば、あわてる必要など無いということにじゃよ」

 ビューアの頬には紅葉の痕が残っていた。どうやら、静止しようとして失敗したのだろう。ぶるぶる、とリーシアは震えながら、今の姉の言うことには逆らわないようと思った。

「…………あ」

 そういうことか、とリーシアは怯える思考で理解した。が、姉に告げようとは思わない。下手に告げて、自分がアレに怒られるのは勘弁だったから。

「沈着冷静って大事だね」
「はっはっは」

 老人と少女は向かい合ってお茶を飲みながら、もうすぐ現れるであろうフェイトの無事を祈ることにした。



「〜〜〜〜〜〜!!!」

 七つの大罪の憤怒も土下座してもおかしくないぐらいの表情をしたリースは準備を着々と進め、外からレイドが呼んでいるのが聞こえた。
 思わず射ってしまいそうな衝動を抑えつつ、リースは外に出ると、そこにはフェイトがいた。


 黒の髪に黒耀の瞳。
 容貌は年齢に似合わない童顔で、そのはにかむような笑顔がリースは好きだ。
 いくつもの地を渡り歩き、色々な国に、セカイに知り合いを持つ青年。
 

 











 彼は冴えない冒険者。
 知らない洞窟があれば入って迷い、知らない神殿があれば入って怒られ、だけどそれでも彼は止めない。
 其の特徴は黒の髪。夜のように、闇のように、漆黒の黒。
 剣も魔法も英雄と呼ばれるほど強くなく、悪魔と呼ばれるほど非常でもない。
 他人に優しく、魔物に優しく、世界の全てに優しい男の物語。
 腰に携えた二つの短剣で道を切り開き、
 背に携えた見えない“妖刀”に意見を諮る。
 



 ――――これは、後に“黒耀の彼(ブラックピース)”と呼ばれる男の冒険譚――――













「あ、あの…………」
 
 熱されていた頭が冷え、リースは先程言っていた父の言葉の意味を理解した。
 
「なんですか?」

 性質、性格は元々リースを連れて行く気が無い事。

「……えっと、ですね」
「ええ」

 慌てる必要は無い。
 体質。

「……ぁー……」
「出られなくなったんですよね?」

 方向音痴。
 この集落へは複雑な道を通ってたどり着くことができる。
 逆を言えば、その道を通っていかなければこの森を出ることができない。
 それは、気絶している間にこの集落にたどり着いたフェイトには酷なことであった。

「はい……」

 居心地が悪そうに頭を垂れるフェイトに、リースは笑顔で言う。

「条件があります」

 慌てる必要なんて無かった。
 手を伸ばせばそこにあるのだから。

「ぁーー…………地図さえくれれば」
「条件があります」
「……はい」

 後ろを振り向く。

「フェイト君が一緒だったら大丈夫じゃろ」
「いってらっしゃーい。おみやげよろしくねー」

 言葉に出す必要は無かった。
 ピースサインで二人にお礼。
 
「ぁー………………考え直したりしませんか?」
「ヤです」
「野宿ですよ。風呂入れませんよ。疲れますよ。面倒ですよ?」
「大丈夫です」

 大丈夫です。
 好きな人と一緒にいるためなら、それぐらい我慢します。
 それに。
 どうせ、そんなことにさせないってわかってますから。
 ね、フェイトさん?

「…………考えなお」
「ここに永住します?」

 嫌です、と思わず言いそうになるフェイトさん。
 ここに住むのが嫌というわけじゃないんだろうけど。

「はぁ……………………今まで何とかなったんだけどなぁ……。こればっかしはどうしようもならないのかなぁ」
「わたしと一緒じゃ、イヤですか?」
「いえ、そういうわけじゃないですけども……。一人のが楽なんですよ」
「二人の方がラクかもしれませんよ?」

 はぁ、とフェイトはもう一度息を吐く。

「…………まあ、すぐに飽きるかもしれないし。いっか…………?」

 飽きはしないと思いますよ?

「じゃあ、そういうことで、お願いします。リースさん」
「一緒に旅に出るんですから。他人行儀な呼び方、禁止です」

 エルフの少女は旅に出る。
 彼の者と共に。


「よろしく。リース」
「こちらこそ、フェイト」

 彼女は、“黒耀の彼(ブラックピース)”の最初の仲間。
 その名前は。

 リース・L・マクスウェル。

 ――――後に、“白銀の花(ピュアホワイト)”と呼ばれるエルフの女性――――









 









 




























 これにて、長大なプロローグの一つは終わった。
 次回の冗長なプロローグに登場する人物にして、仲間の名前は佐倉翔也―――――











 ――――後に“空色の絆(ブループロミス)”と呼ばれる青年である。

















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